【天候】晴れ
【宿場】(51)石部宿⇒(52)草津宿

【行程】歩行距離=13.75㎞ 総距離=462.42㎞
三雲駅・野村薬品店前⇒(2.70㎞)⇒111夏目一里塚⇒(4.55㎞)⇒112石部一里塚⇒(4.80)⇒113六地蔵一里塚⇒(1.70)⇒手原駅・駅入口交差点

【ルート図】

  宿場(黒囲みが第34回旅の宿場)
18 34回宿場
  旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第34回
  ↓
第34回のルート
  
(三雲駅・野村薬品店前 ⇒ 手原駅・駅入口交差点)

第34回ルート
【旧東海道の旅】
《移動》
起床、5時20分

旅の身支度を整え、ザックの荷造りを行い、出発の準備を終えてから食卓に並べられた朝食を食べました。
食後、トイレなどを済ませ7時30分過ぎにザックを持ちお礼を云って出発しようとすると、「お腹が空いたら食べて下さい」と特大の大きさに握られたおむすびを頂きました。
実は、このおにぎりが今日のお昼を救ってくれました。
そして、女将さんから「また写真を撮らせて下さい」と云われ、玄関前の石碑脇で写真を撮りました。

002 あや乃旅館
7時35分、あや乃旅館発
ご主人が運転する車に乗せて頂き、女将さんの見送りを受け、出発地のJR三雲駅前に向かいました。
朝の通勤時間帯になってきたのか、幹線道路の1号線は多くの車が走っていましたが、渋滞することもなく、15分くらいで到着しました。
ご主人にお礼をいい、また機会を作って泊まりに来ますと約束して別れ、出発地に立っていつもの通りYumiさんに、出発地が記されたボードを掲げてもらい写真を撮って出発式を行いました。
出発地は駅前のため、ひっきりなしに車が走ってくるため、車と車の合間をぬって写真を撮る状況でした。

【=旅=】
07時55分、三雲駅・野村薬品店前(出発地)
003 野村薬品店前(出発地)
出発地を出て最初にしたのは、史跡を探す時の準備運動で、両方の景色をキョロキョロ眺めて歩くことですが、朝の通勤時間帯のため、狭い裏道をひっきりなしに車が走っているので、事故に気を付けて歩きました。
出発地を出て約650m歩いた荒川橋を渡った十字路の左側の角に道標が3つ建っていました。
08時04分、道標

008 道標群
そして、十字路を川に沿って直進(出発地からは橋を渡って右折)すると、約50m先の左側に三雲公民館があり、その前に三雲常夜燈が建っていました。
08時10分、三雲常夜燈
005 三雲常夜燈
常夜燈から元の十字路に戻り、右折して街道を約450m歩くと県道4号に突き当たるので左折して踏切を渡ったところを右折するクランク形になっていました。
010 分岐(クランク形)
踏切に着くと、草津線の列車が走ってきたので、記念写真を撮りました。
011 JR草津線
遮断機が下りている間に道を渡り、踏切を渡たると右角に東海道の道標が建っていました。
08時15分、東海道の道標
012 東海道・道標
道標から約290m歩くと右側にお大尽の家がありました。
014 門の中に門がある家(山中家)
写真でははっきりしませんが、外門の中に内門があり、その先に庭園が見えました。
東海道を歩いてきて、史跡でない豪邸を数多く見てきましたが、このようなお宅(山中家)は初めてで、どのようなお宅なのだろうと思いました。
豪邸から約220m歩くと天井川だった大沙川隊道(トンネル)があり、トンネルを潜った左側に弘法杉と弘法大師錫杖碑がありました。
08時25分、大沙川隊道(トンネル)=上部は天井川跡
015 大沙川隊道
08時26分、弘法杉
017 弘法杉

弘法杉は、大沙川の堤上に、樹高26m、周囲6m、樹令約750年の杉で、この大杉を古来より弘法杉、または二本杉と人々はよんでいます。一説によれば弘法大師(空海)がこの地方を通過した時、二本の木を植えたとも、また弘法大師が食事をしたあと杉箸を差しておいたがのが芽を出したとの説がある。その後、大風のために折れて朽ちたので里人が再び植えたが、安政2年(1773年)の台風でそのうちの1本が倒れたともいわれています。

08時27分、弘法大師錫杖跡碑
020 弘法大師緆杖跡
街道は片側一車線で歩道もない狭い道なのに、通勤車がひっきりなしにスピードを落とさずに走るので、車の合間をぬっての写真撮影となるり時間を費やしました。
錫杖跡碑から約450m先(右側の炭忠商店先)の十字路左角に、藤棚跡碑が建っていました。
08時33分、夏見の里藤棚跡
022 夏見の里藤棚跡
夏見の里藤棚跡は、名物トコロテンを出す茶屋があり賑わっていたが、夏見の里も今は昔。かつては茶屋の店先で水車を回し、その動力でカラクリ仕掛けの人形を動かして客を楽しませていたという。近年まで”いなりや”という茶店の建物が残っていたが、平成21年に店先の藤棚と共に撤去されてしまったらしい。
藤棚跡から約700m歩くと左側に中川昭宅があり、その前の道路に日本橋から111番目の一里塚跡があり、塚跡にパネルが埋め込まれていました。
08時45分、111夏見一里塚跡(道路に埋設)

025 111夏見一里塚跡
  ※一里塚の位置
026 111夏見一里塚跡
一里塚跡が埋設されている道路の反対側(進行方向右側)に、石碑と石灯篭が建っていました。
029 夏見一里塚跡の前
一里塚跡から約80m先に市立夏見診療所があり、入口の看板脇に立場跡がありました。
08時50分、夏見立場跡
030 夏見立場跡
立場跡碑から約250m歩くと由良谷川隊道手前の右折道路の手前に、道標が建っていました。
08時53分、新田道道標
033 新田道道標
道標脇の道路を過ぎたところに、天井川の隊道がありました。
08時54分、由良谷川隊道=上部は天井川跡

035 道標・隊道

由良谷川隊道は、明治19(1,886)年3月25日に完成した、街道の通行をよくするために作られたアーチ型の隊道です。外国人技師の設計により、県費で大沙川⇒由良谷川⇒家棟川の順に作られ、旧東海道筋にあった3つの隊道の一つです。

  ↓トンネル内を歩くYumiさん
038 隊道の中
トンネルを越えたところで、上部の天井川跡を見ておきたいと思い、急傾斜の堰堤を上り見に行きました。
08時56分、天井川跡

039 隊道上の天井川跡
急傾斜を戻り街道を約400m歩くと右側に、針公民館(街道の休憩所)がありましたが、月曜日で休館だったのか閉まっていました。
09時02分、お休み処(針公民館)
040 針公民館(お休み処)
公民館から約240m歩くと、左側に酒造があり立ち寄りました。
09時07分~09時24分、北島酒造

041 北島酒造
この酒造は、市から資料を頂いた時に、「御代栄」という日本酒が美味しいので、お酒が好きだったら立ち寄って頂ければと案内を頂いていました。
山の師匠であるNさんはお酒がすきなので、何か贈ろうと思って立ち寄りました。
いろいろなお酒が飾られていて、お店の方に「人に贈りたいのですが、どれが良いでしょうか?」と聞くと、「これが一番人気があります」と勧められ、試飲するとさっぱりとしたお酒で美味しかったので、Nさんと私の自宅に送ってもらうことにしました。
  ↓しぼったそのまま一番酒

043 ぼったそのまま一番酒
私が宅急便の手続きをしている間、Yumiさんはお店のトイレを借用しました。
お店の人に、「病気でトイレから一人で戻ってこれないかもしれないので、よろしくお願いします」と伝えました。
お店の人に見送られて約120m歩くと安棟川に架かる安棟川橋があり、橋の手前左側にうつくし松碑が建っていました。
09時26分、うつくし松碑

044 うつくし松碑
安棟川橋を渡った左側に、角形の細長い常夜燈が建っていました。
09時28分、常夜燈(角形細長)
047 常夜燈(角細形)
安棟川橋を渡った先から、ベンガラ塗りの家が目に留まるようになりました。
049 ベンガラ塗の家
常夜燈から約450m歩くと右側に宮島商店があり、そこから約70m先の左側のベンガラ塗りの家の前に、立派な菊の花が(田村家)置いてありました。
09時37分、菊の花(田村家)
050 満開の菊
歩いていて「青木姓」の家が多いことに気が付き、なおキョロキョロと表札をみていると、途中から小島姓が多くなってきました。
そして菊の花の家から約500m先の右側に光林寺があり、さらに220m歩いたところの十字路の左側に、石灯篭が建っていました。
09時47分、石燈籠
053 石燈籠
石燈籠から約240m先に落合川に架かる落合川橋があり、橋を渡った左側に宿碑が建っていました。
09時50分、石部宿標識
055 石部宿看板

石部宿は東海道五十三次の五十一番目の宿場町で、古くから伊勢路への街道として多くの人の往来がありました。最も栄えた頃には商家や旅籠が建ち並び、京都から江戸へ向かう旅人が最初に泊まる宿場町として栄えました。

宿碑から右側の電柱に、東見附跡の看板が掲げられていると地図に記していたのですが、ものの見事に見落としました。
少しの間、ぼやーと歩いた区間があり、その時に見落としたようで、橋から450m先の吉姫神社の鳥居が出てきてしまいました。
09時58分、吉姫神社鳥居(金文字
057 金文字の鳥居(吉姫神社)
いろいろな神社を見てきましたが、金文字の神社文字は珍しいと思い記録に残しました。
鳥居から約300m歩くと石部宿の中心地となり、現在の街並みを写真に収めました。

059 石部宿の現在の町並み
現在の街並みを眺めながら歩いていると石部中央交差点の左角に高札場跡碑が建っていました。
10時06分、高札場跡
061 高札場跡
高札場跡の直ぐ脇に東海道碑(お休み処)があり、壁に浮世絵が、広場にはベンチが設けられていました。
063 東海道碑(お休み処)
また、立ち寄りませんでしたが、道路の向かい側(交差点手前の右側)に造り酒屋がありました。
そして交差点を渡った道路右側に、問屋場跡碑が建っていました。
10時07分、問屋場跡
064 問屋場跡
問屋場跡碑から約60m先の右側にバーバータニグチがあり、店の軒先に本陣跡看板が掲げられていました。
10時12分、三大寺本陣跡

067 三大寺本陣跡
本陣跡の額縁パネルは、最初気が付かないで通り越してしまい、休憩施設で教えて頂いて戻りました。
近くに寄らないとこの額縁が本陣跡とは分からないので、気を付けて歩かないと確実に見落としてしまいます(要注意)
本陣跡から約80m歩くと左側に木八金物店があり、その隣りの駐車場先隣りに休憩施設「あっこれ」がありました。
10時12分~10時19分、休憩施設「あっこれ」

070 石部宿休憩施設・あっこれ
休憩施設の方は親切に対応下さったのですが、まだ道中が長いので、トイレと少しの休憩で出発しました。
休憩施設を出発して直ぐ(数軒先)の左側に、いしべ宿駅の施設がありました。

071 石部宿駅
宿駅には立ち寄らなかったので、どのような施設か分かりません。
また、立て続けに休憩施設があるのはどのようなことかも分かりません。
いしべ宿駅を過ぎて直ぐ左側に、本陣跡碑が建っていました。
10時22分、小島本陣跡碑
072 小島本陣跡

小島本陣は、慶安三年(1650)吉川代官屋敷あとに創建され、承応元年(1652)に膳新藩主本多俊次公、康将公に忠勤の功により本陣職を拝命された。なお、明治天皇も御宿泊され、明治天皇聖跡碑が残っている。
本陣跡から約170m歩くと正面に田楽茶屋が見え、手前の三叉路を右折します。
075 分岐(右折)
田楽茶屋は、江戸末期に人気を博した浮世絵師・安藤広重の「東海道五十三次」で石部の田楽茶屋が描かれ、それをもとに再現されました。施設は木造平屋建てで、観光客などが休憩できるようになっており、営業=10:00~16:00、休業日=月曜日(祝日の場合はその翌日)、12月27日~1月5日、駐車場はない。
  ↓田楽茶屋(月曜日は定休で休みでした)

076 田楽茶屋
田楽茶屋前の三叉路から約70m歩くと、左側に「いちご大福」で有名な菓子店があり立ち寄りました。
この店は、北島酒造と同じように、市から資料を頂いた時に記されていた処で、立ち寄る予定にしていました。
10時28分、谷口長栄堂
078 谷口長栄堂(いちご大福)
名物のいちご大福(@130)を買う時、ふと食事場所のことが頭に浮かび、
E=この先、食事をするところがありますか?
店員=手原駅まで行かないと無いと思います
と云われ、急遽菓子パンを追加で買いました。
店外に出て約130m歩いた先のT字路を左に曲がりました。

080 分岐(左折)
左折して約50m歩くと右側の民家の前(先隣りは吉川宅)に、日本橋から112番目の一里塚跡があり、塚跡に木碑が建っていました。
10時35分、112石部一里塚跡碑(右側)
081 112石部一里塚
一里塚跡から約80m進むと石部西交差点があり、交差点を渡った公園の右角に西見附跡碑が建っていました。
10時38分、西見附跡碑(右側)
083 西見附跡
西見附跡から約400m歩いた右側に旅館平野屋があり、さらに40m先の右側に入る道があり、石部駅がありました。
石部駅入口から約70m先の左側に西縄手松並木があり、その松並木の中に西縄手跡や、跡碑の直ぐ裏の松が公園の中に五十三次図の石板が建っていました。
10時46分、西縄手松並木
089 西縄手松並木
10時47分、西縄手跡
091 西縄手跡
  ↓東海道五十三次絵図石板
094 東海道五十三次図
公園にベンチがあったので、少し早いかと思いましたが昼食をたべようと公園に入ると、風が吹いていて寒いので、この先で場所を探すことにしました。
街道はこの先で村井川をクランク形に渡ります。
10時50分、分岐(左側の橋は第3号町道橋)
095 分岐(左折)
第3号町道橋を渡って左折し、約150m歩くと五軒茶屋橋が左にある分岐となり、写真は撮りませんでしたが、右前方に大きな「昭建石部ソーラー発電」がありました。
10時53分、分岐(五軒茶屋橋を渡る)
096 分岐(左折)
街道は真っ直ぐ進むと旧道の下道、左折すると新道の上道です。
上道は、天和3年(1683)の野洲川の洪水で下道を通行止めとし、この道を使うことになったそうです。
東海道を歩く人は上道だったり、下道だったりしていますが、私はお上の通達に従って上道を歩くことにしました。
分岐の五軒茶屋橋を渡り、道はだらだらとした上り坂となり、右側にはゴーシューという会社で、左側は荒地状態でした。
ゴーシューの間から三角おむすびのような灰山が見え、銅・亜鉛の2次鉱物を多産する山でしたが、今は廃鉱山のように見えます。
  ↓灰山(中央の山)
098 灰山(石部金山跡)
五軒茶屋橋を渡ってから右の工場、左の荒地と、無味乾燥な道を約950m歩いていると、道路工事中の看板ととも左方向に進む迂回路となり、指示に従って進むと栗東水口道路の下を潜り、約100m歩くと元の道と合流し、上りが終わりました。
※栗東水口道路=この時点では開通前の無料区間

097 現在の状況
合流地点から下り坂となり、約150m歩くと分岐があり、右折しました。
11時13分、分岐(栗東水口道路先)
099 分岐(右折)
右折した道は、左カーブとなり、その先の名神高速道を潜り、出た処を右折しました。
  ↓名神高速道の下を潜る

100 分岐(直進)
  ↓名神高速道を潜った処を右折
101 分岐(右折)
東海道は名神高速道に沿って進み約190m歩くと、高速道路に市境標識(湖南市)が建っていました。
11時19分、市境標識(湖南市)
102 市境標識(湖南市)
この道路は工事用や産廃用のダンプトラックがひっきりなしに走っていて、この写真を撮る時も車がない時に
急いでシャッターを切りました。
また、この道の正面に近江富士がそびえていました。

104 近江富士
近江富士を眺めながら歩いていると、左側に座るのに丁度良い高さのブロックがあったので、昼食を食べることにしました(市境標識から約150m先)。
11時22分~11時37分、昼食(名神高速道路脇)
106 昼食休憩
昼食は、あや乃旅館で頂いた「おにぎり」、いちご大福を買った時に買った菓子パンといちご大福でしたが、頂いたおにぎりは漬物混じりの固く握られた「特大の旅おむすび」だったので、お腹を満たすのに大変助かりました。
あや乃旅館の女将さん、ありがとうございました
また、この場所は、左を見ると近江富士を眺めることができ、風に吹かれることなく、陽差しを受け、前を走り抜けるダンプがなかったら最高の場所でした。
短い時間でしたが、お腹も膨らみ先に向けて出発しました。
出発して160m歩くと十字路となり左折するのですが、この十字路が下道との合流地点でした。
  ※分岐(左折)

108 分岐(左折)
左折すると伊勢落集落に入るのですが、左折する右角に案内標識が建っていました。
11時42分、伊勢落集落案内標識

109 伊勢落集落案内標識
十字路から約500m歩くと、右側に大きな家(山本宅)がありました。
どのような間取りになっているか、どのように使用しているのか、うさぎの寝床にすんでいる私は聞いてみたいと思いながら、横に眺めながら前を通り過ぎました。

111 大きな家(山本家)
山本宅から約40m歩くと十字路があり、それを過ぎた辺りからの集落を記録に残しました。
112 伊勢落集落街並み
集落は、新しい家になっているので、往時を偲ばせる建物はありませんでしたが、柱がベンガラ色に塗られた家が多く建っており、その中の一軒、青木宅を記録に残しました(大きな家の山本宅から約270m先の右側)。
11時52分、柱がベンガラ色の家(青木家)

113 柱がベンガラ塗り
青木宅から約30m先の左側の小さい祠の前に、伊勢落晴嵐碑が建っていました。
11時55分、伊勢落晴嵐碑
114 伊勢落晴嵐碑
碑から約270m歩くと右側に、虎マーク(色が薄くなっている)の看板が建っている家があり、家の壁も薄黄色でした。
どこのファンか一目瞭然で、Yumiさんに「ここで写真撮る」と聞くと、「嫌です」とキッパリと断られてしまいました。
我が家は大の巨人ファンなので、当然の答えが返ってきました。

117 黄色壁・虎マーク
虎マークの家から約70m先の左側に、人力屋の屋号が架かっている家がありました。
12時02分、屋号=人力屋(森部宅)
118 屋号人力屋(森野家)
人力屋屋号の家から約140m歩くと右側に薬師如来堂があり、入口左側に領界石が建っていました。
12時05分、領界石「従是東照嶺」

120 薬師如来堂
如来堂から約270m歩いた右方向に進む道を越えた右角に、道標が建っていました。
12時09分、新善光寺道道標
122 新善光寺道道標
道標から約40m歩くと三叉路(左=太い道、右=細い道)となり、左に進みました。
左に進むと直ぐの左の六地蔵尊の山門前に、国宝六地蔵尊碑が建っていました。
12時12分、六地蔵尊碑

125 地蔵尊碑
山門の脇を通って中に入ると、地蔵堂が建っていましたので、Yumiさんに声を掛けて一緒にお賽銭をご奉納し、参拝しました(※参拝方法は、いつもと同じ)。
  ↓六地蔵堂

126 六地蔵堂
六地蔵から約130m歩くと、左側に標板が建っていました。
どのようなものか見たかったのですが、施設がお休みなのか扉が閉まっていたため、パネルを写真に収めて次に進みました。
  ↓大角氏庭園碑

129 大角氏庭園碑
その隣りに旧和中散本舗大角家の屋敷が建っていました。
12時20分、旧和中散本舗大角家屋敷
130 旧和中散本舗跡
旧和中散跡の道路を隔てた反対側に、大角家住宅隠居所があり、門から中を覗くと現在も使われていて人がいたので、記録だけ残して先に進みました。
12時21分、大角家住宅隠居所

134 大角家住宅隠居所
また、隠居所の右脇に井戸があり、つるべがそのまま残っていました。
釣瓶(つるべ)は、
水をくみ上げる際に利用される、綱等を取り付けた桶などの容器を言い、後に、それを引き上げる天秤状の釣瓶竿や滑車など機構の一切を指すようになった。
隠居所から約50m歩くと左の県道116号に接続する道路があり、そのまま県道116号と平行に真っ直ぐ約160m歩くと、左側の三角地に日本橋から113番目の一里塚跡があり、塚跡に石碑が建っていました。
12時25分、113六地蔵一里塚跡碑
139 113六地蔵一里塚跡
一里塚碑から後らを振り替えると、昼食の時に見た近江富士を眺めることができました。
  ↓近江富士の眺め

141 近江富士(後方の山)
ここでトイレに寄っていないことに気が付き、Yumiさんに聞くと行きたいと云うので、「少し待っててね」と話し約160m歩いた処にあるコミュニティセンター葉山東に立ち寄り、トイレを貸して頂きました。
施設の方は親切に対応下さり、休憩もできますよと案内下さいましたが、「先の予定(京都に移動する)があるので失礼します」と答えトイレだけお借りしました。
12時30分~12時36分、休憩(トイレ=コミュニティセンター葉山東)
六地蔵会議所角に戻り東海道を約300m進むと、枡形道になっていました。
12時41分、枡形道
143 枡形道
枡形道から約350m歩くと、右側民家の壁に「五葉の松」と書かれた看板が掲げられていました。
12時48分、五葉の松碑
144 五葉の松跡
近くにいた方に、
E=五葉の松があったのですか?
男=そうだよ。この先にも碑が建っているから見ていきな
E=ありがとうございます
と、云って別れました。
看板のところから碑を見逃さないように注意深く歩くと、約120m先の右側に小野公民館があり、西厳寺の参道入口に教えられた松の碑が建っていました。
12時52分、肩かえの松碑

146 肩かえの松
松の碑から約240m先の手原一丁目交差点があり、交差点から約230m歩くと名神高速道があり、その下を潜ってでたところの右側に石碑が建っていました。
13時00分、行者堂跡
149 行者堂跡
石碑から約100m歩くと、右側に有形文化財の登録票が掲げられた連子格子の里内呉服店があり、その先隣りも同じように連子格子の家で、同じ苗字の里内家で屋号が塩屋藤五郎と掲げられていました。
13時03分、里内呉服店(有形文化財)

152 有形文化財の家(里内呉服店)
  ↓登録票
154 登録標
13時05分、里内宅(屋号=塩屋藤五郎)
155 連子格子の家・屋号塩屋
ここから約80m歩いた左に稲荷神社があり、その手前に石で出来た手のひら形になった「手ハラベンチ」がありました。
13時07分、手ハラベンチ

159 手ハラベンチ
ここから約10m歩くと、今日の到着地になっている「手原駅入口交差点」がありました。
Yumiさんに到着式に使う看板を渡し、看板を掲げた写真を撮って到着式を行いました。
13時10分、手原駅入口交差点(到着式)
162 手原駅入口交差点(到着地)
列車の時刻表を確認すると、13時12分の草津行きがありましたが、時間も早く急ぐ必要もないかと考え次の13時40分の列車に乗ることにし、稲荷神社で参拝することにしました。
13時11分~13時15分、稲荷神社

164 稲荷神社
  ↓稲荷神社(本殿)
165 稲荷神社・本殿
お賽銭をご奉納し、Yumiさんの病気完治と東海道の旅のご加護、および無事の到着に対してお礼を言上しました。
稲荷神社から手原駅は数分の処にあり、駅舎をバックに記念撮影をして旅を終了しました。

13時17分、今日の旅を終了し、京都・嵐山に移動しました


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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/