【番外編=蓬莱橋の見学】
第29回亀山・亀山宿碑⇒井田川・国分自動車前までの旅の後、静岡県島田市にある「蓬莱橋」を見学しました。
《移動》
08時15分、井田川駅発
二人掛けの席に座り、名古屋駅まで一時間少々の旅が始まりました。
井田川駅からのんびりとした旅だったのですが、桑名で後から来る快速電車を待ち合わせるというので、快速に乗り換えると今までの状態が一変し乗車率200%近くの混雑電車となり、のんびり旅が窮屈旅になりました。
09時21分、名古屋駅着
名古屋で新幹線に乗り換えて掛川に行き、掛川から在来線で島田に移動しました。
09時28分、名古屋駅発(こだま640号)
10時31分、掛川駅着
10時36分、掛川駅発(在来線)
10時54分、島田駅着

島田駅でレンタサイクルを借りたのですが、2月9日の第14回の旅の時にレンタサイクルのことを確認していたので、真っ直ぐ受付に行きレンタサイクルを借りました。
※レンタル料=1日、500円+保証金500円(返した時に戻る)+身分証明の確認あり
蓬莱橋への地図や史跡案内の資料は持参しましたが、受付でもらった地図を確認しながら蓬莱橋に向かいました。
11時07分、レンタサイクル駐輪場発
001 島田市レンタサイクル
レンタサイクルで頂いた地図を見ながらJRの高架下を潜り、クランク形に左、右、左と道を曲りながら蓬莱橋を目指して走りました。
11時18分、蓬莱橋着
《蓬莱橋》

蓬萊橋(ほうらいばし)は、静岡県島田市の大井川に架けられた全長897.422m、幅2.7mの木造橋(歩行者と自転車の専用橋)である。

橋の歴史は、明治2年(1869年)7月、最後の徳川慶喜を護衛してきた幕臣が大井川右岸の牧の原を開拓しお茶を作り始めました。苦労のかいがあってお茶栽培が順調になるとともに人の往来が多くなり明治12年(1879年)1月13日に完成した。

昭和40年(1965年)4月に橋脚がコンクリート製となり、平成9年にギネスの認定を受けました。
11時20分、蓬莱橋入口
002 蓬莱橋

天気は良いのですが、風が強く、Yumiの帽子と私のバンダナは吹き飛ばされそうだったので、二人とも外しました。
橋を渡っている人は少なかったので、のんびりと景色を眺めながら歩きたかったのですが、風が強くて景色をゆっくり眺めるどころではありませんした。
  ※蓬莱橋②(川は大井川)

007
11時34分、蓬莱橋反対側
009 橋の反対側
  蓬莱橋(反対側から島田市内方向の眺め)
012 島田市側を望む
11時50分、蓬莱橋帰着
015 橋の出発地からの眺め
往復1.8㎞の橋上の旅は、強い風の中、30分という短い旅で終わりました。
風は強かったのですが、天気に恵まれ、東海道を歩き始めた時から渡ってみたいと思っていたことが実現して良い思い出ができました。
また、帰る前に事務所に立ち寄り、渡橋料(@100円)を二人分支払いました。

016 渡橋記念
レンタサイクルの鍵をYumiさんに開けてもらおうと思ってYumiさんに鍵を渡したのですが、レンタサイクルの鍵に対応できず私が開けました。
Yumiさんは家の自転車の鍵を開けるのがやっとの状態なので、形状が違う鍵に対応できなくて当たり前かもしれません。
蓬莱橋の前の信号を渡り、来た時と違う道を通って駅に向かいましたが、昼食の時間になっていたので食べるところを探しながら走りました。
JRの下を潜り抜けた先の交差点角に、スナック風のお店があったので寄りました。
11時58分~12時20分、昼食(ごはん屋 ととも)
068 昼食(ととも)
店の名前の「ととも」は、魚(と)、魚(と)、茂(も)で、店名の意味は聞かなかったので分かりません。
店に入り、席に着き、メニューを見て、「刺身定食」(@700円)を注文しました。

069 昼食(ととも)
刺身の他にフルーツが付いており、二人とも残さずきれいに食べ、美味しいお昼でした。
私達が入ってから続々とお客が入り、食べ終わる頃には2階席も含めて満席になっていました。
食事後、島田駅脇の駐輪場に向かい、レンタサイクルを返却しました。
12時25分、島田駅前レンタサイクル着
保証金(2台分、1,000円)と預けたザックを受け取り、お礼を云ってJR島田駅に向かいました。
改札の前に来ると、Yumiさんが「あそこ」とトイレを指差すので、急ぎ改札を通りYumiさんのザックを預かり、トイレに行かせ、電車が着く数分前にホームに立ち、電車を待ちました。
12時35分、島田駅発
※島田駅からの帰り道は、第29回の旅紀行をご覧下さい

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp


【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。

旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/  
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/