天候】晴れ
【宿場】(46)亀山宿
【行程】歩行距離=4.85㎞ 総距離=408.81㎞
亀山・亀山宿碑前⇒(2.55㎞)⇒100和田一里塚⇒(2.30㎞)⇒
JR井田川駅・国分自動車角

【ルート図】
  ↓宿場(黒囲みが第29回旅の宿場)

23 29回宿場
  ↓旧東海道の旅・進捗状況
  (〇29=今回の旅区間/〇28まで=完歩区間)
全体 第29回
  第29回の旅ルート
 (亀山駅・亀山宿碑前 ⇒ 井田川駅・国分自動車角)
第29回ルート
【旧東海道の旅】
《旅の検討》
第29回(9月23日)の旅は、
〔第一案〕
ホテルから亀山駅まで700m歩き、関西線に1駅乗って井田川駅に行き旅を出発する。そして、宿泊したホテルの裏(東町交差点)を通って到着地まで旅を行い、到着地から亀山駅に450m移動して一時間に一本の関西線で名古屋に移動し、蓬莱橋に行く。
〔第二案〕
前日の第28回(9月22日)の時に宿泊するホテルの裏まで(東町交差点)旅を行い、翌日(23日)の第29回はホテル裏から関宿(関駅まで600m歩く地点)まで旅を行う。
この場合、第28回の旅の距離が約15㎞⇒約19㎞と4㎞の増加、第29回の旅の距離が約5㎞⇒約8㎞になり、蓬莱橋は次回(10月)の関宿に移動する前に行く。
〔第3案〕
第28回(9月22日)は井田川駅で終了(到着地)し、亀山駅に移動して宿泊。
翌日の第29回(9月23日)はホテルから600m移動し、亀山宿・山兵商店角から井田川駅まで旅をする。
井田川駅から一時間に一本の関西線で名古屋に移動し、蓬莱橋に行く。
この3案を考え、島田市の蓬莱橋をいつ見学するかも含めて検討し、旅の行程が逆コース(東下り)になるが、体への負担が少なく、帰りに蓬莱橋の観光もできると考え〔第3案〕で旅をすることにしました

***今日は亀山駅から日本橋に向けて旅します
     逆方向に旅をするので、ご注意下さい    ***
※ここから「東町交差点」までは、前日の22日に旅をした分を掲載します。
 移動時間はそれに合わせていますので、気を付けて下さい。

《移動》

13時17分、亀山駅発
143 JR亀山駅
亀山駅を出発し、県道565号(東海道)の亀山駅前交差点を下に眺めながら約210m歩くとT字路となり、T字路を右折して約80m歩くと南崎交差点があり、交差点を左折して上り坂を約180m進むと四辻となり、四辻の左角に「亀山宿碑」が建っていました。
当初は四辻を右に入った処にある「山兵商店」を出発地に考えていたのですが、四辻の亀山宿碑の方が良いと判断し、急遽変更しました。
【=旅=】
13時25分、亀山宿碑前(出発地)

001 出発式(亀山宿碑)
Yumiさんに出発式の表示板を持ってもらい、写真を撮って儀式を終えました。
出発地を急遽変更したので、次回(第30回)の出発式の時に撮り直したいと考えています。
宿碑に交差している県道302号を横切り、道路の反対側に行って左を見るとお城の櫓が見えたので、写真に納めました。
12時29分、お城見庭園(後方は亀山城の多聞櫓

004 お城見庭園
お城見庭園は、亀山宿西町問屋場跡付近から亀山城多門櫓を望むビユーポイントに、地域の皆さんとのワークショップによって完成したミニ庭園です。
街道を歩き始めると直ぐの右側に山兵商店があり、基点としては宿碑の方が良かったと再確認しました。
山兵商店から右曲りしている街道を、約90m歩いた左側に菓子処出雲屋がありました。
13時32分、菓子・出雲屋(左側)
008 江戸まち並み看板
この場所は江戸期は、「よろずや」、「おおさかや」があった場所だったようで、標札板が掲げられていました。
出雲屋は休業日ではなかったと思うのですが、店は閉まっていたように思い立ち寄りませんでした。
また、道路の反対側には、「ふくしまや」の標札板が掲げられていました。

007ふくしま屋跡
出雲屋から約30m先の左に入る道の角に、会所跡がありました。
13時33分、西町会所跡(左側)
010 会所跡
会所跡から約90m歩いた右側に遍照寺がありました。
13時37分、遍照寺(右側)
012 遍照寺・山門
遍照寺は鐘楼門から急な下り坂になっており、参拝に行こうと思って門の処まで来ると、Yumiさんが「行かなくていい」と云うので、鐘楼門のところで引き返しました。
山門から約60m歩くと街道が直角に折れ曲がって(クランク形=白線の矢印)枡形のようになっていました。
枡形とは、旧城下町に見られる街の作りで、敵が一気に攻め込めないようにカギの形状になっていることで、別名「曲尺手(かねんて)」ともいいます。

014 曲り手
枡形道を通り、出口から約100m歩くと江ケ室交番前交差点となり、交差点を渡る手前左側に高札場跡がありました。
13時41分、高札場跡

016 高札場跡
街道は高札場跡の交差点を右折するのですが、そのまま真っ直ぐ渡った先に亀山城大手門跡があるので、街道を外れて見に行きました。
13時43分、亀山城大手門跡
018 亀山城大手門跡
大手門は、東海道に直面する亀山城の正門として位置づけられる門で、大手門櫓と大手脇櫓から構成される枡形門で、一の門が省略されたものとなっている。明治初頭に石垣にいたるまで破却され、往時の形状を見ることは出来ませんが、発掘調査により枡形石垣の痕跡が確認されている。
写真を撮ろうとしていると、団体の人が歩いて来られ撮るまで待って下さいました。
また、交差点を交番側に渡り、交番の前をさらに反対側に渡りました((街道は、高札場跡を右折して交差点を渡ります)。
交差点を渡った処の歩道(かつき内科医院の前)に「旧東海道・亀山城」をモチーフにした絵タイルが埋め込まれていました。
021 亀山宿・東海道標示板
かつき内科医院から約40m歩いた処(道路の反対側が亀山市市民協働センター)に、本陣跡の標板が掲げられていました。
13時46分、樋口本陣跡
022 樋口本陣跡
歩いてきたのは、後ろ方向(白の矢印)からなので、標板は歩いてきた方向からは見えないので、通り過ぎる毎に振り返って確認しました。
そして、本陣跡の先にある岡歯科医院を過ぎた先に脇本陣跡がありました。
13時47分、椿屋脇本陣跡

024 つばきや脇本陣跡
脇本陣跡から標板を確認しながら歩きましたが、史跡の標板はなく約230m先に東町交差点(宿泊するホテルに一番近い場所)があり、今日の旅を終了しました。
13時55分、東町交差点(22日の旅の終わり)
026 東町交差点
この後、東町交差点を右折して、少し下った左側にヤッホー橋(鉄製の通路)があったので、ヤッホー橋を渡りらせん階段を歩いてショッピングセンターに行きました。
※ここまでは22日の旅で、ここから宿泊するホテルに移動しました。

※ここからは23日の旅記録で、旅する方向は東下り(日本橋方向)です。
気を付けてご覧下さい。
 
【旧東海道の旅】
《移動》
05時15分、起床
洗顔、着替えなどの身支度を整え、ザックの荷造りを行い、トイレに行ってスッキリしてからザックを持って部屋を後にしました。
昨日は、冷蔵庫にペットボトルを入れたまま忘れてきたので、今日は冷蔵庫の確認を忘れないようにしました。
朝食は6時30分からですが、少し早く食事会場(1階フロント横)に着くと、ホテルの人から「食べられます」と案内があったので、先頭を切って食事を始めました。
食事は、和食、洋食のバイキングで、約15分位で食事を食べ、チェックアウトしてホテルを出ました。
06時47分、ホテル発
ホテルを出て県道28号(東海道)を亀山駅方向(右)に約200m歩き、商工会議所前交差点を右折し、約450m先の東町交差点まで坂を上りました。
【=旅=】
06時57分、東町交差点発
029 東町交差点
出発して直ぐ、道路を横切り道路の反対側(進行方向左側)に渡り、旅がスタートしました。
東町交差点から約110m先を左折するのですが、左側角の第三銀行の道路反対側の右角に江戸口門跡がありました。
06時59分、江戸口門跡
031 江戸口門跡
江戸口門は亀山城下の東の入口で、水掘と土居で囲まれた中に門と番所をかまえ、通行人を監視していました。
早朝で少し肌寒いのですが、とても爽やかです。
第三銀行のところで左折しましたが、銀行の角からの道は「巡見街道」でしたが、案内板は立っていませんでした。
街道は狭い生活道路で、日中は交通量が多いと聞いていましたが、祭日の朝ということで車はほとんど走っておらず、歩きやすい状態でした。
江戸口門跡から約90m歩いた牛乳店(左側)の前(右側)に、連子格子の旧家が建っていました。
  ※連子格子の旧家(右側)

033 連子格子の家
旧家の先で道路は右にカーブし、約300m歩いた左側にお城風の建物がありました。
07時06分、衣城しもむら(左側)

034 衣城しもむら
早朝で開店していなかったので、内部がどのようになっているのか分かりませんが、周りに高い建物が無く、宣伝効果抜群の建物でした。
城風の建物を過ぎて約100m程歩いたところで、急にYumiさんが「イタタ」といって左足を引きづり始めました。
今回の21日からの旅では、昨日まで足の不調を云わなかったのですが、痛がっているので少し歩いた栃木屋の店舗前でYumiさんの足を見ると、左足にできたマメの皮が剥けていました。
ザックから救急セットを取り出し、ガーゼ綿をバンドエイドで止め、痛みの処置を施しました。
※足の治療 7時10分~7時15分
足の治療を終え、街道を約80m進むと、東海道と巡見道との分岐点がありました。
07時17分、東海道と巡見道の分岐

036 巡見道分岐
黒矢印=東海道、白矢印=巡見道
巡見道は、東海道から分かれて鈴鹿山脈の東麓を縦貫して中山道へ抜ける道で、
江戸時代に幕府の巡見使が通った道で、将軍の代替わりごとに諸国の政情、政道の得失・民権の風俗を査察するために派遣される幕府の役人で、県内へは約10回派遣された記録があります。
分岐から約280m歩いたカットハウスキャロル先の脇道左側角に露心庵跡がありました。
07時22分、露心庵跡(左側)
038 露心庵跡
露心庵跡は、天正11(1583)年に神戸正武が亀山城を急襲しましたが、城を守る関万鉄斉はわずか十三騎でこれを撃破しました。関氏一門の露心はこの近くに仏庵を建立し、この合戦の戦死者を供養したと云われています。
露心庵跡の約10m隣りに、鳥居・道標が建っていました。
07時24分、鳥居・道標
040 道標
道標から約120m歩いた右側に「亀山ローソク」の工場あり、記念に社章をカメラに納めました。
  ※亀山ローソク・社章

042 亀山ローソク工場
  ↓(拡大)
043 亀山ローソクの社章
亀山ローソクから栄町交差点を越えた約350m先の左側に、亀山市の汚水フタがあり、記録に残しました。
07時30分、亀山市汚水フタ
044 亀山市・汚水フタ
ここからナガイ種苗店、林歯科医院、左に入る道を越えた約300m先の左側に、日本橋から100番目の一里塚跡があり復元塚がありました。
07時34分、100和田一里塚跡碑(左側)
047 100和田一里塚跡
和田一里塚は、日本橋から100里目の一里塚で、昭和59年までは江戸時代の塚の一部が残っていましたが、道路拡幅工事でなくなってしまいました。現在、塚の上に大木が植わっていますが、平成5年に復元されたものです。
一里塚の先から道路右側は、約350mに渡って桜並木になっていました。
今は、青々とした葉に覆われていましたが、桜が開花したら綺麗だろうなと思いながら歩きました。
桜並木が終わった先の小さい川から約140m歩いた右側の幸福寺に入る入口角に、道標が建っていました。
07時43分、井尻道道標(右側)

051 井尻道道標
道標から約140m歩いた分岐(右側の別府時計店の前)を左に進みます。
分岐から約100m歩くと和田交差点があり、交差点に出る手前に案内道標が建っていました。
07時46分、案内道標

053 分岐案内
案内道標を右に見ながら約50m歩いた右側に、和田道標(標示板あり)が建っていました。
07時48分、和田道標(右側)
054 和田道標
和田道標は、元禄3年(1690)東海道から神戸、白子港、若松港方面への分岐点に建てられた道標で、三重県内旧東海道沿いにある道標の中で最も古いもののようです。
和田道標から信号のある交差点を過ぎ、国道1号の亀山バイパスの下を潜り、約500m歩くと椋川に架かる川合椋川橋がありました。
07時56分、川合椋川橋
056 川合椋川橋
この橋は、生田理左衛門が私財を出して架けた橋で、昔は理左衛門橋と云われていたそうです。
橋を渡り、約400m歩くとT字路に突き当り、右に進みます。
08時01分、T字路分岐(右方向)
058 分岐
右折すると約70mで、先ほど下を潜った国道1号亀山バイパスが走っていて道路を横断できないため、歩道橋で渡ります。
この歩道橋は、亀山市をモチーフにしたモザイクタイルの絵が、路面に埋め込まれていました。
8時06分、歩道橋モザイクタイル
  ※①歩道橋亀山側(地場産のローソク)

061 歩道橋床タイル(亀山寄り)
  ※②歩道橋の真ん中(方角を示す亀)
062 歩道橋床タイル(中央)
  ※③歩道橋井田川側
063 歩道橋床タイル(井田川寄り)
歩道橋を降りた先の右側にレンタルのマツオカ建機があり、約350m歩くと井田川駅前のロータリー見え、ロータリー手前の左角に今日の到着地である国分自動車がありました。
08時11分、井田川駅・国分自動車角着(到着地)
065 国分自動車角(到着地)
到着地で、Yumiさんに到着地の看板を持って写真を撮って到着式を行いました。
また、前日の到着式も合わせて行いました。
記念の写真を納め、昨日撮影出来なかった井田川駅の写真を撮ろうとしたら、関西線の電車が入線してきたので、写真を撮らないで乗車しましたが、間一髪でした。

※この後、井田川駅から関西線で名古屋駅に行き、新幹線と在来線を乗り継いで島田駅に行き、「蓬莱橋」を見学しました。
井田川駅=島田駅・・・「蓬莱橋」・・・「昼食」・・・島田駅は、「番外編=蓬莱橋」をご覧下さい。

【帰路】

12時35分、島田駅発
在来線で静岡駅に行き、静岡駅で新幹線(ひかり)に乗り換え、東京に帰ります。
13時01分、静岡駅着
Yumiさんの切符は、改札を通る前に渡し、改札を通った後に預かり、紛失することを防いでいます。
また、自動改札に切符を通す時も毎回、通し方を説明し、自動改札から出てくる切符も受け取るように話します。
静岡駅の在来線と新幹線の静岡駅でも同じようにし、新幹線のホームに行くと、30分くらいの待ち時間があるので、二人のザックを乗車位置に置き、近くのベンチに座って休みました。
新幹線が入線する少し前にザックの場所に行き、入ってきた新幹線「ひかり」は見た目で混雑していたので、Yumiさんと並んで座れるか心配しましたが、運良く二人掛けの席が空いていたので、座ることができました。
13時37分、新幹線静岡駅発
新幹線に乗って少しすると睡魔に襲われ、富士山を見ることなく寝てしまい、気が付いたら品川に着く車内放送でした。
急ぎザックを網棚から降ろしたり、座席の背もたれを直したりして、下りる準備を整え、品川駅で下車しました。
14時33分、新幹線品川駅着
改札を通ってからYumiさんに「トイレに行こう」と声を掛け、トイレに連れて行き、山の手線のホームに向かいました。
14時46分、山の手線品川駅発
山の手線はいつも座る席がなくつり革で立っている場合が多いのですが、今日は空いていて座ることができ、電車を乗り継いで、自宅に帰りました。

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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/