【天候】快晴
【宿場】(43)四日市宿⇒(44)石薬師宿⇒(45)庄野宿⇒(46)亀山宿
【行程】歩行距離=14.75㎞ 総距離=403.96㎞

近鉄追分・駅入口⇒(3.55㎞)⇒097采女一里塚⇒(4.00㎞)⇒
098石薬師一里塚⇒(4.60㎞)⇒中富田一里塚⇒(2.60㎞)⇒
JR井田川・国分自動車角
【ルート図】
  ↓宿場(黒印が第28回旅の宿場)

22 28回宿場
  旧東海道の旅・進捗状況
  (〇28=今回の旅区間/〇27まで=完歩区間)
全体 第28回
  第28回の旅ルート
  (近鉄・追分駅入口 ⇒ 井田川・国分自動車角)

第28回ルート
【旧東海道の旅
《移動》
05時20分、起床

身支度を整えた後、血圧測定と目薬点眼を行い、最後にザックの荷造りし、室内に忘れ物がないか点検し、朝食を食べてそのまま旅に出発することにして、部屋を出ました。
06時55分、朝食
朝食は7時からと聞いていたのですが、7時30分の電車に乗るため7時前に、食事するホテル併設の店舗に行きました。
朝食はセットメニューになっていて、券を渡すとパンが乗せられたトレーを渡され、コーヒーやジュースは自分で用意し、直ぐに食べて空いたお腹を満たしました。
07時12分、ホテル発
朝食後、チェックアウトし、近鉄四日市駅に行くと、Yumiさんが「あそこ」とトイレに行きたいと云うので、直ぐに連れていき、電車に乗ってから冷蔵庫に、ペットボトルとなが餅を忘れてきたことを思い出しましたが、時すでに遅しでした。
07時30分、近鉄四日市駅発

001 近鉄内部線・四日市駅
近鉄内部線は、単線の3両編成のワンマン電車で、ほとんどの駅は無人駅です。
電車は、1・3両目が一人掛け席、2両目が横並び席なので、私とYumiさんは左右の景色を見ながら乗れるように、1人席に座りましたが、電車というよりバスに乗ったような感じでした

004 近鉄内部線・車内
私は下車する追分駅が無人駅なので、購入した切符はどうするのだろうと思い、駅にいた学生に聞くと「切符を入れる箱があるので、そこに入れます」と教えてもらいました。
何も監視チェックされることがないので、乗車する人の良心に委ねられている人間性が問われる電車です。
07時46分、追分着
私とYumiさんは、追分駅で降り、改札口に置いてあった箱に切符を投入し、駅舎横の自販機でペットボトルを2本購入しました。
また、私は羽織ってきた長袖を脱いでもらうため、
E=Yumiさん、脱ぐよ
Y=えー、脱ぐの
E=暑くなるから
Y=脱いだら寒くて風邪ひく
E=大丈夫。寒くなったら着るから
と云って、長袖パーカー(私は長袖シャツ)を脱ぎました。
【=旅=】
07時48分、近鉄・追分駅入口(出発式)
005 出発式(追分駅前)
いつものとおりYumiさんに出発の看板を持ってもらい、出発の儀式を行いました。
空は真っ青、陽射しは眩しく、長袖がないと肌寒く感じる朝でした。
旅は、もう少し遅い時間の出発でもよいのですが、暑くならないうちに歩き始めて、暑くなる早い時間に終わろうと考え、8時前から旅を始めることにし、街道を歩き始めました。
朝の爽やかな空気を吸いながらの旅は、とても気持ち良く爽快です。
Yumiさんも寒いということなく、気持ち良く歩いています。
追分の次の駅である小古曽駅入口の十字路左角に、カーブミラーと並んで東海道の道標が建っていました。
08時00分、道標(左側)
008 東海道道標
街道は、道標の矢印にしたがって右方向に進みます。
右折して少し歩いたところで、私は帽子の代わりにバンダナを巻くことにしました。
この先辺りから沿道の人達が廃品回収をしており、私とYumiさんはその光景を眺めながら歩きました。
街道は道標から約110先で左折し、そこから約400m歩くと小古曽三丁目交差点で、県道407号(東海道)を斜めに渡りそのまま真っ直ぐ進み、交差点先の右の四日市小古曽郵便局、左の内部寿司を確認しながら約350m歩くと内部川の土手に突き当ります。
08時11分、道標(内部川土手)
010 道標
土手の手前を左折し、約60m先に内部橋北詰交差点があり、橋を渡ってから横断できるか分からないので、この交差点で渡ることにしました。
交差点には横断歩道がなかったので、信号が青の時に車と一緒に、進行左側に渡りました。
  ↓内部橋からの眺め

011 内部橋
内部橋を渡りきる少し手前に、日本橋から401.7㎞」の距離標が建っていました。
08時17分、401.7㎞距離標

7㎞ポスト
ここから約80m先を左折し杖衝坂に向かったのですが、左折する少し先の左に最中(もなか)で有名な「菊屋本店」があるので立ち寄ろうとしていたのですが、視野の狭さから地図に書き込んでおきながら立ち寄らないで左折してしまいました。
左折して350m先歩くとT字路となり、ここを右折して約120m歩くと杖衝坂に向かう道標が手前の電柱に掲げられていました。
08時24分、杖衝坂道案内

015 杖衝坂道標
道案内を廻り込む感じで左折し、60m歩くと小さな川があり、これを越したところから上り坂が始まりました。
  ↓杖衝坂上り口
016 杖衝坂上り口
杖衝坂は、東海道の中でも急坂で知られ神代の昔、日本武尊が東征の帰りにここにさしかかった際に、大変疲れていたので杖をついて歩いたと言われたことから、その名が付けられたそうです。
坂を上り始めて約30m先の突き当りに、金刀比羅の祠が建っていました。
08時28分、金刀比羅(左側)
017 金比羅宮
上りが急になった約30m先の左側に、うつべ町かど博物館がありましたが、時間が早くまだ開館していませんでした。
08時30分、うつべ町かど博物館(左側)

019 うつべ町かど博物館(杖衝坂)
ここには杖衝坂に関する資料があり、開いていたら見学したかった場所でしたので、残念でした。
道なりに少し歩いた左側の石垣の上に石碑が建っていました。
08時32分、杖衝坂碑・芭蕉句碑(左側)
021 杖衝坂碑
  芭蕉句碑
023 芭蕉句碑
芭蕉句碑は、貞享4(1687)年、江戸から関西に向かった芭蕉が馬に乗って杖衝坂にさしかかったが、坂が急なため馬の鞍とも落馬したことを詠ん季語のない有名な句です。
宝暦6(1756)年、村田鵤州が坂の中ほどにこの句碑を建てたが、明治の初期坂ノ下の屋敷の庭園に移されたが、その後所有者の厚志により再びもとの地に移設されたそうです。
石碑から約100m先の坂道を上りきった左側に、血塚社の祠が建っていました。
08時35分、血塚社(左側)
026 血塚社鳥居
血塚社は、東国征伐の帰途、伊吹山の神と戦い傷ついた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、険しい杖衝坂登り、足が破れて出た血を洗浄したときに血で染まった石を集めて葬ったところといわれています。
血塚社の祠から約600m歩くと国道1号に合流しましたが、信号も横断歩道もないところで国道反対側(右側)の史跡に立ち寄るため、車の来ないのを確認して道路を横切りました。
国道を進行右側に渡ったところから約130m歩いた右側にガソリンスタンドがあり、スタンド先の仕切り壁の脇に、日本橋から97番目の一里塚跡があり、石碑が建っていました。
08時47分、097采女一里塚跡碑(右側)
029 097采女一里塚跡
一里塚跡碑の写真を撮り、また国道1号を車が来ないのを確認して反対側(左側)に横切り、約100m歩いた左側に神社があり、今日はまだ神社に参拝していないので立ち寄りました。
08時51分、豊富稲荷神社(左側)
031 豊富稲荷神社
鳥居を潜り、本殿の前に立ち、お賽銭をご奉納し、Yumiさんと一緒に
・Yumiさんの意味認知症と緑内障の完治
・旧東海道の旅のご加護
を声を出してご祈願しました。
参拝の後、国道に戻り約70m歩くと喫茶采女があり、その手前に日本橋から403㎞距離標が建っていました。
08時54分、403㎞距離標(左側)
034 403㎞ポスト
街道は、強い日差しの炎天下になり、約300m歩いたところに日陰になった坐れるブロックがあり、ザックを降ろして水分補給とエネルギー補給でスポーツ羊羹を食べました。
08時58分~09時05分、休憩
ひと休みと栄養補給し、また旅に戻りました。
約170m先の采女南信号を過ぎ、さらに約530m歩いた国分町信号の少し先に四日市市から鈴鹿市に入る市境標識が建っていました。
09時14分、鈴鹿市境標識(四日市市から鈴鹿市)
038
国分町交差点のところから街道は、国道1号と分岐し左側に進み、四日市市から鈴鹿市に入りました。
旅は、私が前、Yumiさんが後ろを歩き、私がYumiさんの状況を確認するようにして進んでいます。
039 歩く姿
国分町交差点から約850m歩くと、再び国道1号に合流します。
合流する木田町大谷交差点には横断歩道がなく、道路の反対側に行くのは地下通路を通のですが、この地下通路の入口が分からなく、ここも車のない時に道路を横切ってしまいました。
道路を横切って後ろを眺めると、地下通路の入口の位置が分かりました。
木田町大谷交差点の1号を少し戻ると地下通路に入る入口があり、反対側に出口がありました。
横切った後、国道1号を約400m歩くと、右に進む道があり、国道1号との間に石薬師宿の道標が建っていました。
09時31分、石薬師宿道標
040 石薬師宿・信綱かるた道入口
石薬師宿は、元和2年(1616)に幕命によって設置されました。この時から、宿の名は「石薬師」となり、石薬師寺が近郊近在に知れ渡っていたので、寺名をとって村名とした。天保14年に人口991人、家数241軒、旅籠15軒、本陣3軒の規模だったそうで、当初は鈴鹿川の近くにありましたが水害を避けて当地に移ったといわれています。この地区は、田園地帯でもあり休憩地の役割が強く、宿泊客が少なかったので宿の経営は苦しかったようです。
また、最初の短歌かるたの手前に、北町地蔵堂の祠がありました。
  ※北町地蔵堂
042 地蔵堂
街道は、ここから「信綱かるた道」となり、街道の両サイドに36種の短歌がパネル表示されていました。
信綱かるた道は、地元石薬師町出身の佐佐木信綱の短歌から50首を選んで信綱かるたを作成。健康ブームで石薬師宿を歩いて訪れる人にも知ってもらおうと、一昨年秋、うち28首を紹介した額28枚を掲示し、「かるた道」と名づけられました。平成19年アルミ製に一新され、新しい額は鈴鹿市石薬師町から同市上野町の1・8キロ間に郷土に関する歌、代表歌など三十六点に増やし設置。大きさは横40センチ、縦60センチのアルミ製で、郷土を詠んだものなど信綱の短歌と、関連の絵が描かれています。
地蔵堂から約450m歩くと右側に、大木神社参道入口の鳥居が建っていました。
09時39分、大木神社参道入口(右側)
045 大木神社参道入口
神社は参道の奥にあるため、写真だけ撮って参拝は失礼させて頂き先に進みました。
参道入口から約80m先の左側に、民家(山口宅)の壁に石薬師宿の絵図が掲げられていました。
09時41分、石薬師宿絵図(左側)
046 石薬師軒並み図
絵図から約60m先の右側に石薬師駐在所があり、その数軒先の右側に小澤本陣跡がありました。
09時43分、小澤本陣跡:資料館(右側)

047 小澤本陣跡
小澤本陣は、小澤家が勤め、本陣のまわりには高い松の木があったので、別名「松本陣」ともいわれていたという。
小澤本陣は、歴史の宝庫で、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭、大岡裁きの大岡越前守、江戸幕府の基礎を築いた徳川家光など、江戸時代の石薬師宿にあった小澤本陣に保存されている宿帳には、時代劇でお馴染みの名前が登場します。千姫(家康の孫)が姫路城に行く際に宿泊したこともあるそうです。
時間が早かったのか、資料館は閉まっていて(閉まっていることは未確認。外からの感じで思い込んでいました)、江戸時代の展示物を見ることができませんでした。
残念です。
本陣を過ぎ、天野記念館の先の右側に道路元標が建っていました。
09時47分、道路元標(大正期)=右側
050 大正期建立の道標
道標の横に、佐々木信綱の生家があり、その隣りに記念館が建っていました。
09時49分、佐々木信綱生家(右側)
052 佐々木信綱生家
佐々木信綱は、明治5年6月3日、佐々木弘綱(文政11~明治24年)の長男として、現鈴鹿市石薬師町に生まれ、6歳(以下、数え年)までを過ごしました。信綱は5歳から父弘綱に「万葉集」や西行の「山家集」の歌を暗唱するよう教えられ、6歳の時に初めて短歌を作り、生涯に1万余首を作歌し、第1歌集『思草』(博文館 明治36年)から第9歌集『山と水と』(長谷川書房 昭和26年)や『佐佐木信綱歌集』(竹柏会 昭和31年)など、多くの歌集を刊行しました。また、明治30年頃より竹柏会を主宰し、機関誌『心の花』の創刊(同31年)や門人の育成・指導にあたるなど、歌人として活躍しました。
一方、信綱は学者として、特に万葉集の研究者として、不滅の大業というべき『校本万葉集』(校本万葉集刊行会 大正13~14年)を刊行するなど、万葉集の研究と普及に尽力し、昭和12年4月28日に第1回文化勲章を受章しました。
石薬師小学校南信号を渡り、約350m歩くと陸橋の瑠璃光橋となり、陸橋を渡った右側に石薬師寺がありました。
09時56分、瑠璃光橋
054 瑠璃光橋
  瑠璃光橋からの眺め
055 橋からの眺望
10時00分、石薬師寺(右側)
057 石薬師寺・山門
お寺が嫌いなYumiさんが、中に入りたくないと云うので、山門の入口で写真だけ撮って中には入りませんでした。
街道を約130m下った処を街道から外れて左折し、約80m先を右折(最初の道)、そして約80m先の左側に大きな桜の樹が立っていました。
10時03分、蒲さくら(左側)
059 蒲さくら
蒲桜は、ヤマサクラの一変種として植物学上からも珍しく、花は一重五弁、直径5㎝、白色から淡紅色で、開花すると綺麗である。
この蒲サクラは、1,182~1.185年頃、蒲冠者源範頼が平家追討のために西へ向かう途中、石薬師寺に戦勝を祈り、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに刺したのが芽を出してこの桜になったと云われている。現在は、県指定文化財・天然記念物として保存管理されている。
桜を右に見て直進し、最初の右方向に行く道を利康実業を右に見て進み、街道に出ました。
街道を約130m歩くと分岐になり、右の上る道を進みます。
  ※分岐(右側)
062 分岐
約70m上ると蒲川橋があり、橋を渡った先の左側に、日本橋から98番目の一里塚跡があり石柱が建っていました。
10時10分、098石薬師一里塚跡碑(左側)
063 098石薬師一里塚跡
一里塚碑の前(道路の反対側)に、石薬師宿碑・道標とかるた道最後(36枚目)のかるたパルネが建っていました。
  ↓石薬師宿碑・道標(右側)
068 石薬師宿道標
  ↓かるた道・かるたパネル
067 信綱かるた道・終了
一里塚碑の処を左折し、石薬師宿碑・信綱かるた道を右に見ながら歩き、
①関西線のガード下を潜ったところを右折

070 分岐
②野焼きしていた右土手上=関西線、左=田圃
071 野焼きの煙の中を歩く
③正面の国道1号に沿って左に進み、高架下ガードを潜る
072 分岐
ガードを潜り抜けた日陰で、水分補給の休憩を取り、T字路を左折し、約20mで芥川に突き当り、道なりに右折して約80m歩き、T字路を左折し(右は関西線の踏切)、そのまま道なりに進むと国道1号に合流します。
合流したところは信号、横断歩道がなく、道路の反対側にガソリンスタンド(昭和シェル石油)があり、ここも車の往来を確認して横切りました。
横切った理由は、国道の左側を部分的に歩く街道ルートになっていたためで、歩いた結果から行くと、国道1号を横切らないで、そのまま合流したら進行右側を歩いていけば良いと思います。
左側に渡って国道1号から別れて部分的に左側の道を歩くのですが、少し歩いて見るとほとんど人が歩いていないような状態だったので、国道を歩いても大差がないと国道に戻りました。
国道から別れた街道は、国道に合流する処に来ると防護柵が建っていて、旧街道からは入れないようになっていました。
073 道の先は柵です
そのため、街道を歩いてきた人は、防護柵の手前で、国道に入っているようです。
国道1号を約250m歩くと左側に日本橋から408㎞距離標が、右側に県道637号の基点標識が建っていて、その直ぐ先が加佐登町交差点でした。
10時36分、408㎞距離標(左側)
075 408㎞ポスト
  県道637号の基点
074 県道637号基点
加佐登町交差点で右側に渡り、国道1号を左に庄野町に向かって歩きました。
日陰のない照り返しの強い国道の歩道を約750m歩き、庄野町北交差点を右折しました。
10時46分、庄野町北交差点

077 庄野町北交差点
庄野町北交差点から約160m歩くと、庄野町西交差点となり左折しました。
10時50分、庄野町・庄野町西交差点
078 庄野町西交差点(ブログ分割地)
  ※庄野宿碑(東木戸口)
080 庄野宿碑
  庄野町の街並み
082 庄野宿の町並み
街道は、庄野宿西交差点を左折すると、道幅が急に狭くなり、庄野宿の街並みを見ると人通りがなく閑散としていました。
庄野町西交差点から約350m歩くと、左側に旧小林家が市に移管した庄野宿資料館がありました。
10時56分~11時04分、庄野宿資料館
086 庄野宿資料館
庄野宿資料館は、庄野宿に残る膨大な宿場関係資料の活用と旧小林家(市指定文化財)の保存を進めるため、主屋の一部を創建当時の姿に復元して、平成10年に開館しました。庄野宿は東海道五十三次の45番目の宿として発展し、庄野宿の本陣・脇本陣文書、宿駅関係資料をはじめ、日本画壇で活躍された故小林彦三郎氏の絵画や文書の他、地域に残る民具、農具、日用品などが展示されていました。
資料館には係員(女性)がおり、「ゆっくり見て行って下さい」と案内下さったのですが、靴を脱いで上がりたくなかったのと、Yumiさんがまったく興味を示さなかったので、ひと通り見て上り框でザックを降ろして水分補給していると、係員の方が来られて旧小林家のことなど、庄野宿についての話しを聞かせて下さいました。
涼しい室内で休ませて頂き、係員の方にお礼を云って外に出て、資料館をバックに写真を撮っていると、先ほどの係員の方が外に出てきて、写真を撮って下さいました。
《食べる処》
E=この先に食事できるところはありますか?
係員=この先、コンビニが一軒あるだけで、食べるところはありません
E=え、ないのですか?
係員=石薬師宿辺りからコンビニもなかったのでは
E=そうですね、国道1号線沿いに数軒ありましたけど、時間が早かったので
係員=この先のコンビニで何か買われると良いですよ
E=分かりました
と、優しく、親切に対応下さいました。
この後、約650m先のコンビニで昼食を買いました(詳細は後述)。
係員の方にお礼を云って資料館を後にしました。
約100m歩くと右側の民家の雨戸カバーの上部に、問屋場跡のパネルが掲げられていました。
11時06分、問屋場跡(右側)
087 問屋場跡
問屋場は、御伝馬所ともいわれ、公務で東海道を往復する旅人の人馬や駕籠を用意し荷物の運び継ぎをする仕事場であった。三番町の弓削氏の家が古い問屋場だったと伝えられているが、幕末は四番町の倉田氏に代わっていましたが、明治5年正月に廃止されました。
問屋場跡から約50m先の右側に庄野集会所があり、その手前に本陣跡碑が建っていました。
11時08分、庄野宿本陣跡(右側)
089 庄野宿本陣跡
庄野宿本陣は、沢田家が勤め、明治5年に廃止されるまで続いた。間口16間の宅地を有し、建坪198坪余、室数28、畳数198.5枚、板間3室の大邸宅で、東海道に面して門があり、大名等が出入りした。
本陣跡の隣りに庄野集会所があり、その隣りの郵便ポストの横に道路元標の石柱が建っていました。
11時09分、道路元標(右側)
091 津市道路元標
道路元標は、津市元標までの距離を表し、大正時代に道路元標が各市町村に設置された時のものです。
郵便
ポスト横の道路を渡った民家の角に、高札場跡のパネルが建っていました。
11時10分、高札場跡(右側)

093 高札場跡
この民家にはもう一つの史跡があり、玄関の横上部に脇本陣跡のパネルが掲げられていました。
11時11分、脇本陣跡碑(右側)
095 庄野宿脇本陣跡
脇本陣は、本陣の補助として、本陣だけでは収容できない時に使用され、時には普通の旅籠も兼ねていました。
ここから数軒先に「理容いとう」があり、店舗の横壁に史跡のパネルが掲げられていました。
11時13分、御会所跡
097 御会所跡
御会所は、助郷の割り当てを受けている各村の代表者(庄屋等)が集会する場所で、減免陳情のための会合が持たれたようで、庄野町資料館に陳情書の控えが残っているそうです。
「理容いとう」を後にして約200m歩くと川俣神社(その1)があり、境内に「スダジイ」の樹があるというので、参拝を兼ねて立ち寄りました。
川俣神社は、この先同じ名前で2カ所あるため、町名で区分することにしました。
11時16分、庄野・川俣神社
099 川俣神社入口
  ※スダジイの樹(県指定天然記念物)
100 スタジイの樹
スダジイは、庄野・川俣神社の境内に御神木として大切にされているブナ科の常緑高木です。樹齢は約300年とも言われ、樹高約約15m、幹周り約5m以上の巨木で、立ち上がって間もなく、地上約2mほどの高さで多数の大枝に分かれ、大きく盛り上がった壮大な樹冠が印象的です。相当の老木で、樹皮に縦の裂け目があり、一部空洞も見られます。昭和44(1969)年3月28日に県の天然記念物に指定されました。
川俣神社に参拝したのですが、お賽銭がなく、ご奉納なしでお参りさせて頂きました。
この神社には私達以外に参拝者がいなかったので、ご奉納がないことをお詫び申し上げ、Yumiさんの病気完治と旧東海道の旅のご加護を声を出してご祈願しました。
参拝を終え、街道を歩きだして約80m進むと、左側に「ほたる」の案内が掲げられていました。

103 ホタルの案内
「ほたる」の観賞期間が終わっているので見られませんが、どうだったのだろうと、心が温まる案内でした。
案内板から約80m進んだ十字路の右側に、庄野宿碑が建っていました。
資料ではここが西の出入り口だった木戸口があったところのようです。
11時24分、庄野宿碑(西木戸口跡)=右側
104 庄野宿(西木戸跡?)
ここから約100m歩いた左の国道1号沿いにコンビニ(サークルK)があり、立ち寄りました。
11時26分~11時35分、コンビニ(休憩)
このコンビニは、庄野宿資料館の係員(女性)の方に教えて頂いた所で、冷房のきいた店内に入ったら思わず「あー、気持ちいい」とひと言。
そしてまず、Yumiさんをトイレに連れて行き、二人ともスッキリしてから昼食(おにぎり・いなり寿司)とペットボトルを買いました。
昼食は、この先に神社があるので、そこの境内で食べることにし、コンビニを後にして街道に戻りました。
コンビニの直ぐ先が汲川原町交差点で、
①国道1号の高架下の信号を渡り(県道637号を横切る)
②渡ったら右に進む
③道なりに左カーブの道を歩いて、国道1号の高架下を潜る(アンダーパス)
④T字路を右折
して汲川原町交差点の反対側に出ました。
※この順路は、Nさんから頂いた地図に書き込まれていました。
この順路を知らなかったら、道路横切りなどの危険を冒していたことと、Nさんに感謝しています。
④のT字路から約150m歩いた左側の民家の角(※要注意・カーブを曲がったところ)、道標が建っていました。
11時43分、平野道道標(左側)
106 平野道の道標
道標から約230m先の小さな川があり、その手前の両側に石碑が建っていました。
11時47分、山の神碑・神戸領界石(進行右側)
  ↓右=山の神碑・左=神戸領界石

108 右山の神碑・左神戸領碑
11時48分、神戸領界石・女人堤防碑(進行左側)
  ↓右=女人堤防碑・左=神戸領界石

110 左神戸領碑・後ろ女人堤防碑
汲川原女人堤防碑は、川が氾濫するにも関わらず神戸藩の禁により堤防を築くことができず汲川原の村人は辛い日々を過ごしていた。菊女を先頭とした女性たちは、男に代わり打ち首の刑を覚悟に暗夜を選んで6年がかりで堤防を築いた功績を讃えて碑が建てられました。

石碑から約550m歩くと左側に神社があり、その境内入口脇に日本橋から99番目の一里塚碑跡があり、石柱が建っていました。
11時58分、099中富田一里塚跡碑(左側)

112 099中富田一里塚碑
中富田一里塚は、慶長9年(1604年)に江戸幕府の事業として、東海、東山、北陸の三道に築かれ、江戸日本橋を起点として、三十六町を一里(約4キロ)として、一里ごとに塚を築き旅人の往来の目印とした。享和3年(1803年)に作成された「東海道亀山宿分間絵図」によると、川俣神社の東隣に一里塚があったことが描かれている。
11時59分、中富田・川俣神社

115 川俣神社・本殿
12時00分~12時16分、昼食(中富田・川俣神社境内)
117 昼食(神社境内)
昼食は、時間的にも、場所的(日陰で、縁石がある)にも良いので、中富田・川俣神社の境内で食べることにしました。
ザックを降ろし、コンビニで買ってきた「おにぎり」と「いなり寿司」をYumiさんと食べましたが、Yumiさんは暑さと疲れからかあまり食欲がないようでしたので、少し残しました。
水分補給したり、ザックの荷造りしていると蚊が飛んできたりしたので、短い時間でしたが、旅立つことにしました。
ここからは史跡も少なく、歩くことが多くなるので(史跡があると立ったままですが、少し休める)、早歩きにならないように気を付けて歩き、約750m先の左側に西富田・川俣神社がありました。
12時27分、西富田・川俣神社(左側)
120 川俣神社参道
街道から左に入り、右の石垣の脇に座標石柱が建っていました。
座標石柱が何故ここに建っているのか不明ですが、石柱には北緯34度52分14秒、東経136度30分25秒と記されていました。
12時29分、座標石柱(左側)

121 座標碑
鳥居に通じる道に戻り、鳥居を潜って参道を進むと、境内右側に神戸城主だった織田信孝が愛飲した井戸跡がありました。
12時30分、無上冷水井跡(境内右側)

123 無上冷水井跡
西富田・川俣神社は、参拝しないで、境内から一礼して街道に戻りました。
神社をでると直ぐT字路となり、左折して土手道を約110m上ると和泉橋のたもとに出ました。
12時35分、和泉橋(入り口)
126 和泉橋
河川敷は綺麗に整地され、グランドではソフトボールチームの子供達が練習をしていました。
橋の上からその光景を眺めながら歩き、橋の真ん中付近で写真を撮ろうと思い、Yumiさんに声を掛けたのですが、血流の状態が「」の状態で、私が云うことがなかなか理解できませんでした。
E=ちよっと、止まって
Y=?????
E=(指差して)そこに、止まるの
Y=どこに
E=止まって!!、云ってることが分からない
で、やっと止まりました。
その状態の時に撮ったのが(↓)の写真です。
128 橋からの眺望
(Yumiさんが持っている袋は、昼食の時に出たゴミです)
橋を渡り、T字路を右折し、約160m先の二又を左に下り、道なりに約280m歩いた所の右に入る道の右角に道標が建っていました。
12時44分、道標(江戸期と大正期)=右側
 ↓江戸時代の自然石道標(下部はアスファルトに埋まる)
130 道標(江戸の自然石)
 ↓大正期の道標(右側)
133 大正期の道標
道標から約60m歩いた左側に、お地蔵さんの祠が建っていました。
12時45分、地蔵堂
134 地蔵堂
ここの時点では、電車を少し待ってもいいと思って歩いていたので、一時間に一本の関西線井田川駅の時刻は確認しませんでした。
しかし、ここまで来ると色気が出てきて、時刻を確認すると13時03分と分かりました。
少し急げば間に合うと思い、「Yumiさん、電車が来るから少し急ぐよ」と声を掛け、歩くスピードをアップしました。
駅までは、
・地蔵堂から二又の分岐まで約250m
・二又を左に下り県道を斜めに横切り、関西線踏切まで約300m
・関西線踏切を渡り、渡って直ぐ道なりに左折、その先を右折すると、先ほど横切った県道に突き当るまで約160m
・県道突き当りから到着地の井田川駅・国分自動車角まで約190m
の約900mです。
Yumiさんが離れないように確認しながら歩き、井田川駅前に到着しました。
正式な到着地は道路を渡った先の国分自動車角ですが、今日は交差点を渡らない場所で終了し、明日(23日)の到着の時に到着の写真を撮ることにしました。
12時58分、井田川駅・国分自動車角(到着地)
138 到着式(国分自動車角)
(※写真=翌日23日の到着時に、同じ場所で撮影)
13時00分、井田川駅着
井田川駅に行くと駅舎はあるのですが、無人駅で駅舎の中に乗車口があるものと思って探しましたがありません。
駅舎の外に出るとホームに入る柵なしのところがあり、そこからホームに入り連絡歩道橋を渡り、乗車する反対側のホームに行きました。
折角、ホームに隣接して駅舎が建っているのに、駅舎からホームに通じる入口を作らなかったのか、不思議です。
  ※連絡橋の階段
139 井田川駅横断橋
  連絡橋からの駅周辺の眺め
140 井田川駅
  連絡橋の階段の下り(乗車するホーム側)
141 井田川駅横断橋
連絡橋を渡り乗車するホームで待っていましたが、電車が来ません。
定刻を2~3分過ぎた頃に放送が流れ、7分遅れで到着すると連絡がありました。
私とYumiさんは切符を購入しないで乗車するので、どうしたら良いか分からず同じホームで待っていた男性に聞くと、「そのまま乗って下車駅で精算すればいいですよ。多分、電車の中に整理券の機械があると思います。」と教えて下さいました。
電車(関西線)は、放送どおり7分遅れて到着し、乗車すると直ぐに乗り方を教えて下さった男性が「この整理券、取っていった方がいいですよ」と、親切に教えて下さいました。
  ※乗車した関西線

142 関西線
到着した電車は、かなり混雑しており、1駅先の亀山駅まではつり革に捕まって移動しました。
13時15分、亀山駅着
亀山駅で先ほどの親切な男性にお礼を云おうと探したのですが、混雑していて見付けられませんでした。
亀山駅の改札で整理券を出して精算し、外に出ました。
13時17分、亀山駅発

143 JR亀山駅
亀山駅に想定していたより早く到着したので、明日の出発地から今日宿泊するホテルに近い東町交差点まで歩くことにし、出発地の亀山宿碑に向けて出発しました。

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亀山(亀山宿碑)⇒(東町交差点)⇒井田川(国分自動車角)
旅紀行は、第29回の旅で掲載します。
※この区間は、逆方向の江戸に向けて旅します。ご注意下さい。

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【帰路】
東町交差点までの旅を終え、ホテルに隣接するショッピングセンターを通って宿泊予約したホテルに向かい、チェックインしようとしたら時間が早く、ザックを預けて隣接のショッピングセンターで過ごすことになりました。
約一時間後、ホテルに入りチェックインしました。
15時10分、ホテル着(ホテルエコノ亀山)
145 ホテルエコノ亀山
指定された部屋に入り、ザックから荷物を取り出し、デジカメと携帯電話の電池充電を最初もに行い、次にこれから使用する目薬(2種)、服用薬、血圧計、朝使用する髭剃りや化粧道具、着替えなどを準備しました。
17時30分、夕食(和食めん処 サガミ)
何処に食べに行くか決めてない状態で外に出たのですが、明日の朝出発地点に行く下見も兼ねて歩き始めると大きな看板が目に入り、そこで食べることにしました。
147 和食・さがみ
店内はほどほどの混雑で、生ビールを注文し、食べ物はどれにしようか考えていると、生ビールを運んできたウェートレスが「これがお勧めです」と云われ「さがみ膳」を注文しました。
私は生ビールを追加しながら食し、Yumiさんも生ビールを飲みながら食べていました。
151 夕食

お腹も一杯になり、精算を済ませてホタルに戻り、服用薬を飲んでからシャワーを浴び、シャワーを出てから目薬(寝る前に点眼)、血圧を測定して、一日が終わりました。
Yumiさんはベッドに入ると数分で寝息が聞こえてきましたが、私はNHKのスポーツニュースを見ながら夢の世界に入りました。

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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。H26.09.15に日本橋を出発し、旧甲州道中を相方のYumiさんと二人で歩いています。
お時間がありましたら、以下のURLでご覧下さい。
   
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/