【天候】⇒曇り(ホテル到着直後から降雨)
【宿場】(39)知立宿
【行程】歩行距離=8.35㎞ 総距離=351.21㎞
新安城・里町4丁目西交差点⇒(2.00㎞)⇒079来迎寺一里塚⇒(4.35㎞)⇒080一ツ木一里塚⇒(2.00㎞)⇒富士松・岡田燃料店角

【ルート図】
 ↓宿場(黒囲みが第24回旅の宿場)
15 24回宿場
 ↓旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第24回
  第24回の旅ルート
  
(新安城・里町4丁目西交差点 ⇒ 富士松・岡田燃料店角

第24回ルート
【旧東海道の旅】

《序章》
日本橋を出発して約340㎞歩き、七里の渡しが目前のところまできたとともに、三条大橋が近づいてきたことを強く感じるようになり、一日一日の旅を大切にしながら、運に恵まれた旅ができたらと願っています。
旅に出発する一週間くらい前は、雨模様の予報が発表されていたので、どうなるのかと心配していたのですが、日が経つにつれてだんだんと天候が回復基調となりホッとしたのも束の間、今度は発生した台風の影響でまた雨模様の天気予報になりました。
日程の変更は諸々の事情から出来ないので、雨天時の準備(山行で教えて頂いた雨具およびビニール袋での濡れ防止)を整えて出発することにしました。
また、昼食についても当初は安城市観光協会から頂いた資料を基に、新安城駅付近で食べる予定にしていたのですが、11時~11時30分の開店まで待つことになるため、降雨になる前に少しでも先に進進んだ方が良いと考え、少しの時間を惜しみ旅の途中(知立付近)で食べることにしました。
安城市観光協会の方(女性)には、大変お世話になりながらご厚意に報いることができなくなり、旅から帰ってきてからお詫びと情報提供頂いたお礼のFAXを送信させて頂きました。
《移動》
05時00分、起床

ゆっくり身支度が出来るように考え、前回と同じようにいつもより15分早く目覚ましをセットし、起床しました。
身支度を整え、事前に準備したザックと朝食(パンと飲み物)を持って出発しました。
爽やかな朝の空気を吸いながら自転車で走っていると、朝のラジオ体操が終わったところで、顔見知りの方とすれ違うなどして最寄り駅に向かいました。
最寄り駅から電車に乗り、東京駅に8時頃着きました。
※東京駅ホーム
001 東京駅ホーム
東京駅で4号車の前から二番目に並び、Yumiさんをトイレに連れて行くなどして、新幹線の入線を待ちました。
8時33分、東京駅発(ひかり505号)
前から7番目の2人用の座席に坐り、持参した朝食(菓子パン、ジュース)を食べ、出発を待ちました。
003 新幹線車内
新幹線は定刻に、前月の時と同じように50~60%程度の乗車率で出発しました。
天気は曇りのため「富士山は観れない」と考え、うとうとと寝てしまいました。
9時58分、豊橋駅着
ここで乗り換えるため、連絡改札口を通って名鉄線のホームに移動しました。
005 名鉄・豊橋駅ホーム
名鉄線には、4月、5月の旅の時に何回か乗車しているため乗り方が分かってきましたが、「乗るのは今回の旅が最後かなと」思いながら乗車しました。
10時15分、名鉄豊橋駅発
車窓から歩いた処が見れるようにと、進行左側の座席に坐りました。
私は、名鉄線沿いの旧東海道の旅を思い出しながら車窓から眺めながら、Yumiさんに「あそこを歩いたんだよ」、「この橋も歩いて渡ったんだよ」等と話しても、「そうね」と覚えているのか、いないのか分からない返事が返り、私のように感傷的な気分になることなく、コックリ、コックリと寝ていました。
10時42分、名鉄・新安城駅到着
今日の旅の基点となる駅に着きました。
007 新安城駅北口
改札を通り駅の北口に出て、記録の写真を撮り出発式を行う場所に向かいました。
【=旅=】
10時52分、里町4丁目西交差点(出発式)
009 里町4丁目西交差点(出発地)
Yumiさんに看板を掲げてもらい出発式(写真撮影)を行い、旅を出発しました。
この交差点は以前は「東栄町」だったのですが、区画整理に合わせて名称が変更になり、次の「今本町北」も「今本町8丁目」に変更になっていました。
今本町8丁目交差点から約350m歩いた左のホワイト急便(クリーニング店)の道路反対側辺りから、7~8本の今本町松並木(私の命名)があり、今本町4丁目交差点を過ぎた50mくらい先の右側約100mと、左側のテクノアソシエ脇から100mに松並木が交互にありました。
11時02分、今本町松並木(命名)=ホワイト急便斜め前
012 今本町松並木
石田橋、猿渡川橋と渡り、来迎寺公園東交差点から150m歩いた右に御鍬神社があり今日、最初の神社でしたので立ち寄りました。
11時15分、御鍬神社(右側)
016 御鍬神社
神社の社殿は、まだ新しく木の香りが漂っている感じ(匂いはしませんでした)でした。
お賽銭を奉納し(ガラスのない窓から入れる)、Yumiさんの病気平癒(意味性認知症と緑内障)と今日の旅の御加護を、周りに人がいなかったので声を出してご祈願しました。
神社を出て約100m歩くと来迎寺町交差点となり、ここを右折すると無量寿寺があるのですが、降雨の心配があるため割愛し先を急ぎました。
無量寿寺は、奈良時代の慶雲元年(704)の創立といわれ、境内の八橋かきつばたの歴史と文化および在原業平や方巌売茶竹製笈(県指定文化財)など数百点の文化財が保存されており、5月に開花する「かきつばた」の名勝地として有名なので、その時期に来たいと思います。
交差点から約200m歩いた左側の来迎寺公民館バス停、右側の公民館裏に、日本橋から79番目の一里塚があり、石碑が建てられていました。
11時22分、079来迎寺一里塚(左側)
019 来迎寺一里塚(左側)
  来迎寺一里塚(右塚)
023 来迎寺一里塚(右側)
来迎寺一里塚は、昭和36年(1961)に指定された右塚(北塚)は高さ3.5m、基部の幅10m、奥行9mの規模で、西側がやや崩れているものの一里塚の原形をよく保たれている。塚上には黒松が植えられている。ただ旧東海道と右塚との間に公民館が建設され、かなり景観が損なわれている。
左塚(南塚)は、塚の半分ほどが崩され原形を失っており、塚上には従軍記念碑や戦死者記念碑があったため、右塚と同時に指定されなかったが、原形復帰に努力する地元の意志に鑑み、平成8年追加指定された。
現在は塚上の石碑等も撤去され、相並んだ双塚の面影を示すようになっています。
左側の塚は道路から見えるのですが、右側の塚は公民館の裏手にあるため見えません。
最初、右の塚は撤去されたのかなと思い歩き始めてから、もしかしたらと公民館の裏手に行くと右の塚がありました。
江戸時代の原形を保持している貴重な塚なので、左右の塚について案内があると親切だなと感じました。
一里塚から約200m歩いた右側に、「菓子司 両口屋本舗」があり休憩に立ち寄りました。
11時30分~11時37分、休憩(菓子司・両口屋本舗=右側)
幟旗が一番多く立っていた「かしわ餅」を注文し、店主の許可を頂いて店内のベンチに座り休憩しました。
店主=東海道を歩いているのですか?
Ei=はい。今日は、新安城から歩いています
Ei=かしわ餅が一番売れているのですが?
店主=無量寿寺に参拝される人が立ち寄られ、人気があります
などの会話をし、出来立てホカホカのかしわ餅を食べ、お礼を云って後にしました。
店を出て少し歩いたところで、写真を撮り忘れたことに気が付きましたが、戻る時間を惜しみ先に進みました。
店舗を出て約700m歩くと高架の衣浦豊田道路(有料道路)と地上の国道419号線の新田北交差点があり、交差点の手前右側に元禄時代に立てられた道標がありました。
11時47分、元禄の道標(右側)
026 元禄の道標
道標は、江戸時代の東海道の諸処に同じ様な道標が建てられ、「従是四丁 半北 八橋 業平作観音有 元禄九丙子年6月吉朔日施主敬白」と記されています。これは、元禄9年(1696年)に、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられたもので、ここから西へ500mの牛田町西端にも、『東海道名所図会』に記されている元禄 12年の道標が残されているようですが、確認するのを忘れました。
国道419号線は道路幅が広く、横断歩道もないため、歩道橋で道路を渡りました。
  ※新田北交差点の歩道橋(矢印の方に歩く)

028 新田北歩道橋
歩道橋を渡ると、長い松並木の知立松並木が始まるところでした。
11時50分、知立松並木
031 知立松並木
知立松並木は、慶長9年(1604年)に幕府からの命令により設置したもので、知立松並木は幅7m、約500mにわたって凡そ170本の松が植えられています。
知立松並木は、側道があるのが特徴で、この地で行われた馬市の馬をつなぐためとも推定されています。
写真は道路の真ん中でのんびり撮っているようですが、信号の加減でやっと撮れたもので、何でこんなに走るの、と云う状態でした。
松並木が始まって直ぐの左側に、小林一茶の句碑が立っていました。
11時52分、一茶句碑(左側)
035 一茶句碑
旧東海道を旅していて芭蕉の句碑はいたる処に立っているのですが、一茶の句碑に出会ったのは初めてのように思います。
一茶の句碑は、平成2年に建てられたもので、『はつ雪やちりふの市の銭叺(ぜにかます)』と記されています。
一茶が見物した市とは知立で有名な木綿市のことで、売上金を無造作に大きな叺に投げ入れるのを見て、その盛況ぶりを詠んだものだろうと伝えられています。
句碑から約150m歩いた左側の山田産業を過ぎた処を左折し、山田産業の裏側の喫茶ミミに行きました。
11時56分~12時34分、昼食(喫茶ミミ)
038 喫茶ミミ
喫茶ミミは、旅に出る前に昼食が食べられると情報を得ていた場所の一つで、時間的にも良い時間になっていたため立ち寄ることにしました。
店内に入りメニューを見てYumiさんに「どれがいい?」と聞きましたが、答えは同じで「分からない」。
そのため、いろいろな食材が入っていて、値段的にも安い幕の内弁当(@650円)を注文しました。
  ※注文した幕の内弁当
040 幕の内弁当
  にこにこ顔のYumiさん
041 昼食
食事を注文している間に、1日3回の目薬を点眼し、汗をかいてビッショリになっている半袖を脱いでもらい、持参した長袖のポリのパーカーを着て、汗冷えの対応をしました。
私も、Yumiさんも残すことなく食べ、トイレに寄って店外に出ました。
出る時は、湿度が高いのと、ホテルに着いてからの寒さ対策もあり長袖のポリのパーカーを脱いでもらいましたが、定番となった「寒い」との苦情があり、何とか宥めて脱いでもらいました。
約40分の短い休憩でしたが、食べたことでエネルギーが補給され元気になり、また旧街道に戻りました。
旧東海道に戻ると、20~30人の人がたむろしており、案内人の人が説明している時で、読売旅行の旧東海道東下りに参加している人達でした。
特に挨拶することなく、その人達と交錯しないように気を付けながら、史跡の記録を残しました。
12時37分、馬市の跡・万葉の歌碑・他(左側)
044 馬市の跡碑
池鯉鮒の馬市は、古来、牛田~八橋間の野原にあったとする言い伝えられています。馬市の付近に「馬場池」と呼ぶ池があり、70年前頃まで子供達がよく遊びにいったと言い伝えられています。
江戸時代初期に東海道が出来て池鯉鮒宿が設けられ、人々が町に集まってきたことから、慈眼寺を中心にした付近が馬市の場所に選ばれ、時には東海道松並木両側にも空き地を設けて、収容し切れない馬をつないだともいわれています。
  ※馬市句碑・万葉の歌碑
043 馬市の句碑
この松並木の西の地名を引馬野と呼び、大宝2年(702)持統天皇が三河行幸の際詠まれた歌「引馬野爾 仁保布榛原 入乱 衣爾保波勢多鼻能 知師爾 長忌寸奥麻呂」から、浜松市・宝飯郡御津町と共に天皇行幸の推定地とされています。
  ※万葉集引馬野の跡

046 引馬野禰の碑
読売旅行の旧東海道東下りは、3班に分かれ100人程度おり、旧東海道の旅の根強い人気にビックリしました。
参加費4,000~5,000円を支払って、計画ルートに沿って旅するのも一つの方法かもしれませんが、ガイドのペースに付いて歩ける人や、主要史跡で説明を聞きたい人には良いかもしれませんが、自分のペースで歩きたい、自分の考えで史跡を見てみたいと思う人には向かないと思いました。
私とYumiさんの旅は、二人の結婚40周年記念と人生の思い出作りが目的なので、自力で計画、準備していろいろなことを体験しながらなので、私とYumiさんとは少し違う楽しみ方のようです。
知立松並木が終わり御林交差点の手前で、左側から右側に移動し、御林交差点を地下道で潜りました。
地下道を潜って出た左側に、宿碑が立っていました。
12時44分、池鯉鮒宿碑(左側)
050 池鯉鮒宿碑
碑から約120m歩いた左側に「手もみ・マッサージ山」の看板が掲げられていました。
「手もみマッサージ山」は、何とも記憶に残る名前と思いました。

052 手もみ マッサージ山の看板
Yumiさんに、「手もみ マッサージ山、面白い名前だね」と云うと、笑われました。
ここから約140m先に、変わったマンホールの蓋がありました。
12時49分、伊勢物語が記された蓋
054 マンホールの蓋
地域を表現した絵柄が多い中、この地方で有名な在原業平がモデルとして読まれた歌が多い、伊勢物語の蓋はとても印象的でした。
この直ぐ先が名鉄三河線の踏切で、タイミングが合えば電車の写真を撮りたいと思ったのですが、何時走ってくるかわからなかったため踏切を渡って50~60m行くと、警報機が鳴り始め、赤い1両電車が走っていきました。
写真を撮ることはできませんでしたが、直接目で見ることができて良かったです。
踏切から約200m歩いた左の「かぎや」の前を右折し、県道51号線の山町の交差点を渡って約50~60m先の右側に慈眼寺があり、境内に馬市之碑が立っていました。
12時53分、馬市之碑(慈眼寺)=右側
055 馬市の跡
馬市之碑はパネルで、馬を弔うためか家畜市場碑は石碑と塚が立っていました。
また、境内入口の斎場で葬儀が行われていたので、写真だけ撮って早々と後にしました。
交差点を渡り、かぎやの前を左折し旧東海道に戻りました。
約350m歩いた左側(ホワイト急便の先)に秋葉山常夜燈が立っていました。
13時00分、秋葉山常夜燈(左側)
058 秋葉常夜燈
常夜燈を後に、約200m歩くと五差路の中町交差点となり、県道51号線を斜めに横切る形で旧東海道は真っ直ぐに進みます。
交差点を渡ったところに、年代を感じるお茶屋の看板の店が目に止まりました。
  ※香味園・山城屋茶舗
060 香味園・山城屋茶舗
ここから約80m先、右側の食品館美松中町店の入口右に問屋場跡がありました。
13時07分、問屋場跡碑(右側)
061 問屋場跡
スーパーの前から約70m先の道路を渡った左側の知立本町郵便局の手前に、池鯉鮒銘菓の「都築屋羊羹」があり立ち寄りました。
13時10分、都築屋羊羹=池鯉鮒銘菓(左側)
063 都築屋
  ※都築屋の店内(五代目の店主)
065 店内
都築屋は、明治8年創業の店ではあるが、都築屋の建物自体は江戸時代に建てられたものだそうです。
江戸時代は都築屋と郵便局の建っている土地に、柳屋という旅籠が店を構えていたものを、居ぬきで都築屋の初代が柳屋の建物半分を土地ごと購入し、菓子屋を始めたのだそうで、ほとんど改装することなく現在に至っているとのことでした。
私は、店の看板に羊羹と書かれていたので、小豆羊羹(@500円)をお土産に購入しました。
家に帰って食しましたら、暑さで少し味が変わったかもしれませんが、水羊羹を食べる感じでした。
お土産をザックにしまい、次に向けて店を後にしましたが、羊羹を買っている時、どうゆう訳かYumiさんは店内に入らずに外で待っていました。
約70m先の右の神谷自転車店の前、左・村瀬商店の1軒先の路地を左折し、国道419号線に出た処の左角(右側=今川屋)の駐車場の左角に本陣跡がありました。
13時16分、池鯉鮒宿・本陣跡碑(左側)
066 池鯉鮒宿・本陣跡
駐車場が満杯で、わずかな隙間しかなく、やっと撮ったという感じでした。
旧街道から少し外れた処にある史跡から、また元の旧街道に戻り、約120m先のT字路の突き当り左に、道標が立っていました。
13時20分、東海道道標(左側)
069 池鯉鮒宿道標
T字路を右折し、約50m先の左の西町公園の中に、知立古城址碑が立っていました。
13時22分、知立古城址碑(左側)
071 知立古城址
碑から約40m歩くと、またT字路となり、道なりに左折します。
都築屋羊羹からの道は、道標のあるT字路、知立古城址跡の先のT字路と、軍事用の曲尺手(かねんて)構造になっていますが、特に曲尺手(かねんて)として扱っていないようです。
クランク形に曲がった道が終わった右角に、知立名物「あんまき」の小松屋があり立ち寄りました。
13時27分、小松屋(あんまき)=右側
074 あんまき・小松屋
あんまきは、愛知県知立(ちりゅう)の名物で、小松屋本家が明治22年頃から作り始めた歴史あるお菓子だそうで、あんまき屋がある中、唯一手焼きで作って あんまきの皮に屋号が入っています。
あんまきは、もともと焼き菓子の「二つ折り」を焼いていたけれど、あんこを入れてみたところ、評判となり人気が出たとのことです。
私は、小豆あんと白あんがありましたが、小豆あん(@160円)を買いました。
また、小松屋の看板を撮り損ねてしまいましたが、銃砲店でもあるようです。
.小松屋を出て約100m歩くと、国道155号豊田南バイパスとなり信号機も横断歩道もなく、地下道で潜るようになっています。
13時32分、国道155号豊田南バイパス地下道入口
076 豊田南バイパス横断地下道入口
豊田南バイパスの地下道を潜り、反対側の出口に来ました。
空は雲に覆われていますが、比較的明るいので、降雨はもう少し大丈夫のような感じです。
出口から約250m歩くと右側に、知立神社の道標が立っていました。
13時38分、知立神社道標(右側)
080 知立神社道標
道標に沿って右折し、約100m歩くと左に花菖蒲が咲いている知立公園があり、その先が神社の境内になっていました。
13時40分、知立神社(右側)
知立神社は東海道三大大社の一つで、昔は池鯉鮒神社でした。
本殿に進み、お賽銭をご奉納し、Yumiさんの病気平癒と今日の旅のご加護をご祈願しました。
参拝後、隣りの知立公園の花菖蒲を見に行きました。
公園では花菖蒲まつりが開催されており、花菖蒲は終わりに近づいていましたが、まだ綺麗に咲き誇っていました。
昼食を食べてから約1時間経つので、花菖蒲見物と休憩を取ることにしました。
13時44分~13時52分、知立公園(休憩)
  ※知立公園の花菖蒲
084 知立公園・花菖蒲
  ※知立公園入口のベンチ(休憩)
089 知立公園(休憩)
公園の池に咲く花菖蒲を見ながら、小松屋で買った「あんまき」を食べ、水分補給も行い、英気を養いました。
また、公園では花菖蒲まつりが行われていて、週末ということもあり大勢の人が観賞に来ていました。
知立神社の参道から旧東海道に出る左角の民家の裏に、秋葉山常夜燈が立っていました。
13時54分、秋葉山常夜燈(左側)
093 秋葉常夜燈
旧東海道に戻り、約70m先の左側に総持寺がありました。
13時55分、総持寺(左側)
095 総持寺・山門(お万の方生誕の碑)
総持寺の山門は竜宮門で、山門の手前右側に秀康の母「お万の方」の生誕碑がありました。
ただ、生誕地はお万の方が知立神社の神官氷見氏一族から出たことから生誕地とされているそうで、本当の生誕地がどうか?です。
総持寺を後に約250m歩くと、逢妻川に架かる逢妻橋がありました。
13時59分、逢妻橋
097 逢妻橋
橋は新しく架け直され、歩道も広く歩きやすくなっていました。
橋を渡って約150m歩くと、国道1号(逢妻町交差点)と合流し、さらに150m歩いた左側の活魚・宇和海を過ぎる手前に知立市から刈谷市に入る市境標柱が立っていました。
14時04分、刈谷市境標柱(知立市から刈谷市)=左側
100 刈谷市境標柱
標柱から約50m先の左側に、日本橋から341㎞の距離標が建っていました。
14時05分、341㎞距離標(左側)
102 341㎞ポスト
距離ポストから約300m歩くと古い一里山歩道橋(341.4㎞地点)があり、歩道橋の階段の奥に日本橋から80番目の一里塚があり、石碑が建っていました。
14時11分、080一ツ木一里塚跡碑(左側)
105 一ツ木一里塚跡(一里山歩道橋下)
  ※一ツ木一里塚後碑
106 一ツ木一里塚跡
旧東海道は白矢印の方に向かって歩くため、歩道橋を間違えないようにしないと通り過ぎてしまうので、私も細心の注意を払って史跡跡を確認しました。
旧東海道はこの先の信号を越えた先で右折するため、一里塚のある歩道橋か、次の交差点の歩道橋で道路を渡る必要があります。
私達は、一里塚跡碑の処の歩道橋を渡り、進行右側に移動しました。
旧東海道は、次の一里山町新屋敷交差点から約200m先右側の、石原商店の先を右に進みます。
14時19分、国道1号と分岐(右折)
108 道案内
旧東海道は、ここで国道1号と分岐し、約500m脇の道を歩き、右側のアド大府センターの処で、再び国道1号と合流します。
合流して約50m歩くと今岡歩道橋があり、歩道橋を一里塚と同じ側の道路左側に渡ります。
14時26分、今岡歩道橋
109 今岡歩道橋
国道1号の左側に渡ると直ぐ、左側に分岐する道路があり、旧東海道は左側に分岐する道を進みます。
分岐から約100m先の右側の民家の横に、アルミサッシに囲まれた十王堂がありました。
14時28分、十王堂(右側)
111 十王堂
  ※アルミサッシの中の十王堂
113 十王堂・内部
さらに約50m先の左側の民家に、家を通り抜けるような出入り口のある民家があり、出入り口の脇に玉ねぎとニンニクが吊るし干してありました。
14時31分、大きな古民家(左側)
114 立派な古民家
  ※吊るし干し(玉ねぎとニンニク)
115 干し物(玉ねぎとニンニク)
広い敷地の古民家で、このような出入り口のある家も街道筋にあったと思いますが、このようにしっかりとした形で残っている家はありませんでした。
古民家から約150m歩いた左に洞隣寺があり、寺院入口に秋葉山常夜燈が、境内に達磨の石像がありました。
14時34分、秋葉山常夜燈(洞隣寺)=左側
116 秋葉常夜燈
  ※達磨の石像(洞隣寺)=左側
118 ダルマ石像(洞隣寺)
寺院の境内に、達磨の石像が設置されている理由は解説されたものがないため、深く考えず写真だけ撮って先に進みました。
寺院を出て約30m歩いた右に、いもかわうどん碑が立っていました。
14時36分、いもかわうどん碑(右側)
120 いもかわうどん碑
いもかわうどんは、江戸時代、東海道の芋川に立場(休憩所)があり、平打ちのうどんが名物だったそうです。その芋川うどんが西に伝わってきしめんと、東に伝わってひもかわと呼ばれるようになったとされているそうです。
最近は食べたことはありませんが、ひもかわうどんは小さい時によく食べた記憶があります。
昔食べたひもかわうどんを思い出しながら約400m歩いた左に連子格子の古民家(左=今川市民館)が残っていました。
14時43分、連子格子の民家(岡田家)=左側
123 古民家(岡田家)
連子格子の古民家は東海道沿いに多く残っていましたが、中には住んでいるのかな?と思える家がある中、現在住んでいる規模の大きな古民家でしたので、旅人の私達には目の保養となってありがたいのですが、住居を維持するのは大変なことだろうなと思いました。
今日の旅もあと少しとなり、古民家から約230m歩いた右の乗蓮寺に、刈谷市の天然記念物のシイの樹があるというので立ち寄ることにしました。
14時47分、シイの樹(乗蓮寺)=右側
125 天然記念物「シイ」の木
127 天然記念物「シイ」の木
乗蓮寺の境内にあるシイの樹は、樹齢850年と推定され、昭和33年に刈谷市の天然記念物に指定されたそうです。幹の根元に大きな空洞があり、昔タヌキが住んでいたと言い伝えられています。
乗蓮寺を出て約90m歩いた交差点を渡った右角が、今日の到着地です。
14時50分、富士松駅・岡田燃料店角(到着地)=右側
130 富士松・岡田燃料店角(到着地)
新安城駅北口を出発してから薄曇りの状態でしたが、雨に降られることなく旅をすることができました。
陽は陰っているのですが、蒸し暑く汗が噴き出てくる状態で、水分補給をしながらの旅となりました。
Yumiさんも汗をかなりかき、背中はびしょ濡れ状態でした。
到着地で到着式(看板を掲げて写真撮影)を行い、名鉄・富士松駅に向かいました。
【到着地から移動】
駅に向かう途中、性懲りもなくまたカメラを落としてしまいました。
カメラのカバーが正常に動かなくなり、写真の右下のようにカバーが写ってしまう状態になってしまいました。
カメラのカバーを手で直していると、カバーが元の状態に戻り、正常に撮れるようになりました。
カメラを落として一台壊しているので、かなり注意して扱っているのですが、これで二度目なので改めて気を付けなければと、自分に言い聞かせました。
14時57分、名鉄・富士松駅着
132 名鉄・富士松駅
14時58分、富士松駅発
パスモを使って改札を通る時の定例儀式の、私がパスモをYumiさんに「これだよ」と云って見せ、Yumiさんにパスモを用意してもらい入札しました。
ホームに出ると、待つ間もなく電車が入ってきました。
好きなところにどうぞ状態の電車に乗り、2駅、約5分、宿泊する知立駅に向かいました。
  ※名鉄線の車内

135 名鉄車内(富士松駅)
15時03分、知立駅着
136 知立駅・改札口
今日、宿泊する知立駅に着きました。
ペットボトルが空の状態になっていたので、ペットボトルを自販機で購入し、駅舎を出ると雨がポツリ、ポツリと降ってきたので、駅舎に戻りザックの中から折畳み傘を出し、ホテルに向かいましたました。
第22日目の時と同じように、旅が終わってから降雨となり、運が良かったと思いました。
【ホテル】
雨は少し降っていますが、傘を差すほどではないので、そのままホテルに到着しました。
15時15分、ホテル着(アイリスイン知立)
138 アイリスイン知立
ホテルは、富士松駅付近で見付けられなかったので、少し戻りますが知立駅で探し、ビジネスホテルのアイリスイン知立に予約しました。
フロントでチェックインして指定された部屋に入りましたが、夕食まで少し時間の余裕があるので、靴をスリッパに履き替え、着てきたものをハンガーで乾かしたり、入浴後の着替え、服用薬等をザックから出しての用意などを行い、その後ベッドに横になって体を休めました。
【夕食】
雨は私達がホテルに着いてから本降りになったのか、傘なしではとても歩けないくらい降っていました。
知立は初めての街なので、ホテルの人に聞くと駅前の魚介類中心のお店が良いというので行ったのですが、人数は少ないのに店内がガヤガヤうるさいのと、店の対応が良くないので他の店に替えることにし、駅からホテルに行く途中にあった居酒屋に入りました。
17時45分、居酒屋黒ちゃん
144 居酒屋・黒ちゃん
店内には数組のお客が入っており、座敷ではなく椅子席のカウンターに座り、生ビールを注文しました。
旧東海道の旅に出るようになってYumiさんも居酒屋に行く機会が増えたので初めてではないのですが、どこに行っても「このようなお店は初めて」と云うのが口癖です。
同じ店に二度行くことはないので、Yumiさんが云うのもある意味では当たっているのですが、私には記憶していないからだと思います。
145 居酒屋・黒ちゃん店内
毎度のことですが、汗をかいた後の生ビールは格別で、今日も冷たいビールで咽喉を潤しながら刺身、板わさ、玉子焼き、他数点食べました。
店内にいるお客は、私達と同年輩くらいで、若い人が多い店特有の騒がしさはないので、のんびりとした気分で時間を過ごしました。
Yumiさんも汗をかいたあとのビールは咽喉の通りがよいようで、いつもより早く飲みきってしまい、顔がかなり赤くなってきたので、2杯目はウーロン茶にしてもらいました。
その内に2杯飲むようになるのでしょうが、旅の途中で変事があっても困るので、東海道の旅の時は1杯にしてもらおうと考えています。
最後に、お茶漬けを食べましたが、これも「私、これ初めて食べる」です。
前月の5月の第22回の旅の時に食べているのですが、記憶に残っていないようです。
飲んで、食べて、満腹になったお腹を揺すりながら外に出ると、雨はかなり小降りになっていました。
《シャワー》
ホテルに戻り、シャワーを浴びて今日の汗を流し、

夜の点眼、血圧測定などを行い、目覚ましを5時30分にセットし、21時前に寝てしまいました。

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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/