【天候】薄曇り⇒晴れ⇒曇り⇒雨
【宿場】(36)赤坂宿~(37)藤川宿~
(38)岡崎宿
【行程】歩行距離=15.56㎞ 総距離=332.82㎞
名電長沢・長沢郵便局前⇒(3.49㎞)⇒074本宿一里塚⇒(4.69㎞)⇒075藤川一里塚⇒(4.32㎞)⇒076大平一里塚⇒(3.06㎞)⇒東岡崎・岡崎サンホテル前

【ルート図】
 ↓宿場(黒囲みが第22回旅の宿場)
19 22回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第22回
 第22回の旅ルート
  
(名電長沢・長沢郵便局前
⇒ 東岡崎・岡崎サンホテル前)
第22回ルート
【旧東海道の旅】
《準備》
〔トイレ〕
Yumiさん恒例の早朝のトイレ通いは、4時頃から始まりました。
トイレにはペーパーフォルダーが2個付いており、普通の使用状況では不足しない量が残っているのですが、Yumiさんのトイレ通いによっては不足することも考えられるため、私は「大丈夫かな?」と一抹の不安を抱きながら朝を向えました。
予感は見事に的中し、私がトイレに行った時に確認したら、1つのフォルダーのペーパーは使い切ってロールだけが残っている状態、もう1つも1㎝未満の状態でしたので、早朝でしたがフロントに電話し、トイレットペーパーの追加をお願いしました。
フロントの方は恐縮して直ぐに届けて下さいましたが、こちらの使用量が異常なので、清掃された方が責められなければよいのですがと思いました。
Yumiさんのトイレ通いは4時頃から出発するまでに、十数回になっていました。
〔身支度〕
起床、5時30分
Yumiさんのトイレ通いが始まった4時に目を覚ましてから夢の世界に入ることなくベットの中で横になっていましたが、セットした目覚ましの音で起床し洗面所に行き歯磨きと洗顔。
洗面所に置いてある歯磨きセットは、ホテルに何回も泊まっているので使い方を覚えてほしいのですが、学習効果はまったくなくなり、その都度袋から出してYumiさんに渡さないと分からない状態に認知症は進行しています。
洗顔は持参した石鹸で洗い、ブラシで髪を整えました。
その後、下着を着替え、両足に塗り薬を塗布し、両膝にシップ薬を貼り、ピチピチのスポーツタイツであるCWXを穿くのですが、一人では穿けないので、二人掛かりでした。
今日は午後から降雨になるとの天気予報のため、長袖のTシャツの上に、半袖のシャツを着て、降雨になった時の寒さ対策をしました。
そして、朝食前に朝の血圧測定(手首式を持参)と緑内障目薬の点眼を行い、ザックの荷物を整理しながら忘れ物がないか点検しました。
〔朝食〕
6時45分から朝食と聞いたので、少し早い6時40分に9階の会場に行きました。
バイキング形式でパンの朝食を頂きましたが、今まで宿泊したホテルの朝食は1階だったので、9階からの眺望を楽しみながら食べる朝食は、清々しい気分で食べることができました。
Yumiさんは特に感じることはなかったようで、何も云わずに私が配膳した朝食を食べていました。
《移動》
朝食後、部屋に戻ってトイレを済まし、予定よりも早くチェックアウトして豊橋駅に向かいました。
07時01分、ホテル発
001 ホテル前
時刻表を見ると7時10分発の電車があるので、駅員に名電長沢に行く方法を聞き、ホームに向かいました。
ホームには電車が停まっていて、通学する学生が賑やかに談笑していました。
07時10分、名鉄・豊橋駅発
003 名鉄線車内
国府で電車を乗り換え、名電長沢に到着しました。
07時28分、名電長沢駅着
名電長沢駅で下車したのは、私とYumiさんの二人で、無人駅の自動改札をパスモで通り、国道1号線を地下歩道で潜り、今日の出発地である長沢郵便局前に立ちました。
【=旅=】
07時32分、名電長沢・長沢郵便局前(出発地)
005 長沢郵便局前(出発地)
出発地でYumiさんが掲げる看板を入れた写真を撮る出発式を行い、旅をスタートしました。
天候は曇りですが、まだ雨が降る心配はないようです。
07時35分、秋葉山常夜燈(右側)
008 秋葉山常夜燈
出発して約130m歩いた右側に、秋葉山常夜燈が立っていて、裸電球が付いていましたが消灯していました。
本当はろうそくか油だったのでしょうが、現代の電燈でも点灯している時に見たことがないので、機会があったら見てみたいなと思いました。
常夜燈から約350m歩くと、左側に連子格子の家が数軒連なって残っていました。
07時41分、連子格子の家(左側)
011 古い民家(格子戸)
※写真は、数軒通り過ぎたところで、歩いてきた方に向いて撮っています。
格子戸の家が続いている所を歩いていると、タイムスリップしたような感じがします。
建物を維持するのは大変かと思いますが、多くの人に時代の建物を見せ、先人の知恵を語り継いでほしいと思います。
連子格子の家並みから約150m先の大榎橋の手前T字路の角に常夜燈とお堂がありました。
07時43分、秋葉山常夜燈(右側)
012 秋葉山常夜燈
先の秋葉山常夜燈は点燈していませんでしたが、ここの秋葉常夜燈は裸電球が点灯されていました。
また、お堂の中は、確認しないで通過しました。
街道は秋葉常夜燈から約230m先の関屋交差点で国道1号線に合流し、ここから約2㎞、交通量の多い国道を歩きました。
関屋交差点を過ぎた処で、私がチョッキ、Yumiさんがパーカー上着を脱ぎました。
国道の脇を走る名鉄を眺めながら約500m歩くと、313㎞の距離標が立っていました。
07時55分、313㎞距離標(左側)
014 313㎞ポスト
国道1号線の距離標を記録に残すのは久し振りで、3月9日の新天竜川橋の250㎞距離標以来です。
この間、国道1号線は歩いたのですが、距離標が左側、私達が歩くのが右側で、巡り合わなかったためと思います。
私がブログに掲載している距離数は、出発時の317.26㎞に今日歩いた1.3㎞を加算した約318.5㎞で、5.5㎞差異がありますが、許容範囲内の数値なので、掲載している数値は概ね正しいようです。
そして、次の距離標を目指して歩いていると、左側の高木製作所音羽工務センターを過ぎたところに、面白いキャッチコピーの看板掲げられていました。
016 募集看板
「犬も歩けば看板をみる」と、看板広告募集の看板で、
E=Yumiさん、面白い看板だと思うんだけど
Y=そうね
と、実につれない返事でした。
この看板は、この先の岡崎市内にも掲げられていました。
国道の反対側を名鉄が走っているので、電車の入った写真が撮りたいと思いながら歩いていると、そのチャンスがやってきましたので、急ぎYumiさんに声を掛け写真を撮りました。
017 国道沿いを走る名鉄線
写真を撮る時、トラックが走っていると電車が隠れてしまうため、良い条件で撮れて良かったです。
314㎞距離標から約80m先(写真奥の標識)に、豊川市と岡崎市の市境標柱が立っていました。
08時10分、豊川市・岡崎市境標柱(左側)
020 豊川市・岡崎市境
標識柱の少し先が、本宿町深田交差点で、交差点を過ぎた処から左に分岐し、国道と並行して歩きます。
分岐する処の左に本宿の石碑が、その少し先に木製モニュメントの鳥居が立っていました。
08時12分、本宿の石碑(左側)
022 本宿碑
08時14分、木製鳥居(左側)
026 モニュメント鳥居
写真には写っていませんが、地区の人達が清掃奉仕をされていました。
木製鳥居を潜り、新箱根交差点を越した先の分岐(約150m先)の処に、道標が立っていました。
08時20分、東海道道標(右側)
028 東海道道標
街道は、道標に従って分岐を左に進み、約140m歩くと徳川家康ゆかりの法蔵寺があり、参道入口の左に法蔵寺の解説看板と御草紙掛松があり、その先に山門がありました。
08時23分~08時38分、法蔵寺(左側)
   ※御草紙掛松
030 御草紙掛松
   ※法蔵寺山門
034 法蔵寺・山門
   ※イヌマキ(天然記念物)
036 イヌマキ(天然記念物)
法蔵寺は、家康が幼い頃、手習いや漢籍を学びに通った寺といわれ、家康の父松平広忠(ひろただ)の墓があります。 701年(大宝元)、行基によって開山されたといわれ、松平親氏が深く帰依し,寺号を法相宗出生寺(しゅっしょうじ)と称していたが,1385年(元中2)に浄土宗となり法蔵寺と改称しました。 山門や鐘楼門,本堂が一直線に並び,境内には六角堂や東照宮が建っている。 六角堂には,聖観音,十一面観音,千手観音,不空絹索(ふくうけんじゃく)観音,馬頭(ばとう)観音,如意輪(にょいりん)観音の六観音がまつられている。境内には、天然記念物のイヌマキが植えられている。また、境内の横に、新撰組の近藤勇の首塚があります。
08時31分、近藤勇首塚(法蔵寺内)
040 近藤勇首塚全景
首塚を参拝した時、Yumiさんがどのような反応をするか興味があったのですが、ひと言も云わないですんなりと写真に納まりました。
いままで幾つかの首塚を見てきましたが、写真を撮ろうとすると「イヤ」と云って撮影を拒否されたり、嫌々付き合ってくれたりと、様々な反応がありましたが、理由は分かりませんが近藤勇の首塚は何も云わずに云われたとおりにしてくれました。
首塚から境内に戻り、寺院のトイレを使わせて頂き少し休憩をしました。
法蔵寺を出て直ぐの法蔵寺橋を渡った先の本宿町中集会所の脇に、地蔵堂が立っていました。
08時40分、地蔵堂(右側)
042 地蔵堂
地蔵堂から約80m歩いた左側に、陣屋跡の標板が立っていました。
08時45分、陣屋敷・代官屋敷跡(左側)
043 陣屋跡・代官屋敷跡
柴田陣屋跡と代官屋敷は、元禄11年(1698)旗本 柴田出雲守勝門(かつかど)(柴田勝家子孫)が、知行所支配のため本宿村に陣屋を設け、明治に至るまで存続しました。陣屋代官職は冨田家が世襲し、現存の居宅は文政10年(1827)の建築だそうです。
陣屋跡は現在病院になっていて、改築工事中でした。
代官屋敷は、見に行ったのですが、古民家が建っていただけで案内板もなく、何となく見学し辛かったので、そのまま引き返してきました。
もう少し、史跡を大切にしてほしいと思いました。
陣屋跡を後にして約200m歩いたT字路角に火の見やぐらが立っていて、秋葉山常夜燈と道路元標が立っていました。
08時48分、本宿村道路元標(右側)
045 道路元標・常夜燈
道路元標は、旧道路法(大正9年4月1日施行)によって、各市町村に一箇所、道路の起終点、経過地を表示するために設置され、里程の基準となりました。市町村役場の前に設置されることが多く、ここ本宿も例外ではなかったようです。
道路元標は、歴史の証人として地域にひっそりと鎮座していますが、歴史的資産として後世まで残してほしい史跡ではないかと思います。
元標から約40m歩いた右に十王堂跡があり、さらに約190m歩いた右側に日本橋から74番目の一里塚があり、石柱が立っていました。
一里塚碑は、左側の柴田家の道路真向いで、一里塚を過ぎた交差点左角には豊川信金がありました。
08時54分、074本宿一里塚跡(右側)
050 074本宿一里塚跡
一里塚をから約300m歩いた右に「味処通りゃんせ」があり、その約50m先の左側に宇都野の邸宅跡と長屋門がありました。
09時00分、宇都野龍碩邸跡と長屋門(左側)
052 宇都野龍蹟邸跡・長屋門
宇都野龍碩は、本宿村の医家で、古部村(現岡崎市古部町)の出といわれ宝暦年間(1751-63)三代立碩が当地において開業したのが始まりといわれています。七代目の龍碩はシーボルト門人青木周弼に、医学を学んだ蘭方医として知られており、安政年間、当時としては画期的ともいわれる植疱瘡(種痘)を施している。
また、質素な長屋門が名残りをとどめている。
長屋門は正面から撮りたかったのですが、現在住まわれている方のプライバシーを考えて、横から撮りました。
長屋門から約150m先に本宿町沢渡交差点があり、その手前の右側に宿碑と道標が立っていました。
09時04分、本宿宿碑・道標(右側)
055 本宿宿碑
   ※道標
057 東海道道標
道標は、右が東海道、左が国道1号となっていますが、道標の直ぐ先が本宿町沢渡交差点で東海道と国道1号が合流します。
国道1号の左側を歩くと次の山綱町下中野交差点の手前に、316㎞距離標が建っていました。
この先で街道は国道1号から分岐して右に進むため、次の東海中学校入口交差点で左側から右側に渡りました。
渡った交差点から国道1号の右側を歩き、約400m歩いた処で、右に分岐します。
09時15分、国道1号と分岐(右入り)
059 道案内・分岐(右の道を進む)
左側が国道1号、右側が名鉄の間を下ると、車が名鉄の下を潜るガードがあり、街道はそのまま真っ直ぐに進みます。
09時20分頃に、名電山中駅前を通過し、約400m歩くと消火栓の蓋が目に入りました。
   ※消火栓の蓋
060 岡崎市消火栓ふた
消火栓の約10m先の左に宿碑が立っていて、右側にダッドという会社がありました。
09時26分、藤川宿碑(左側)
061 藤川宿碑
藤川宿は、三河高原を横断する御油断層の谷間から、西の平地への出入口にあり、中世から交通の要地で、1601年(慶長6年)の伝馬制度により設置された宿場である。
山綱川に架かる舞木橋を渡って歩いていると数本の松並木があり、左側に東海道の道標が立っていました。
09時31分~09時37分、道標・松並木(休憩)=左側
066 東海道道標
道標が立っている場所は、ブロック積みしてあり、座るのに丁度良い高さになっていたので、水分補給の休憩を取りました。
   ※山中松並木(私の勝手な命名)
067 山中松並木(命名)
松並木と云えるものかどうか見解が分かれるでしょうが、私は松並木として山中松並木と勝手に命名しました。
松並木は、数本の松しかないため、休憩後に歩いてきた方に向けて撮影しました。
街道はこの先の舞木町西交差点で国道1号に合流し、交差点から約100m歩いたマンション「エスポワール舞木」の前に318㎞距離標が建っていました。
右側の距離標は大阪からの距離表示で、日本橋を起点とした進行左側の距離表示も318㎞と同じです。
09時40分、318㎞距離標(進行右側の距離標)
068 318㎞ポスト(反対車線の代用)
※進行右側の距離表示から進行左側の距離表示を撮影 
070 進行方向318㎞ポスト
旧街道は、この先で左に分岐するため、次の市場町交差点で進行右側から左側に渡りました。
市場町交差点を渡り、約80mで左側の道に入り、さらに約80m先で分岐をする左に藤川宿の出入り口跡がありました。
09時51分、東棒鼻跡(左側)
071 東棒鼻跡
棒鼻とは、宿場の出入り口のことで、東にあるため東棒鼻と呼ばれています。
藤川宿に棒鼻が再現されたのは、東海道ルネッサンス活動の機運が盛り上がった平成元年に、江戸時代の浮世絵の絵師・歌川広重が東海道五十三次の藤川「棒鼻ノ図」に描かれていたからだそうです。
東棒鼻の斜め前に、麦の穂が紫色したむらさき麦の栽培地がありました。
栽培地は保護のため、全面を網で囲われていました。
09時53分、むらさき麦碑(右側)
076 むらさき麦栽培地
むらさき麦の色は、写真よりもっと紫色していました。
街道は、細い道を進みT字路を右折し、その先のT字路を左折する曲尺手(かねんて)になっていました。
09時54分、藤川宿曲尺手
078 藤川宿・曲手
曲尺手(かねんて)を出て約200m歩いた左側に藤川宿駐車場があり、トイレが設置されていました。
トイレに通う名人のYumiさんに利用の有無を確認すると、「大丈夫」という回答だったのでそのまま通過しました。
10時02分、粟生人形(左側)
080 穂州作人形処
駐車場から約250m先の左側に、お城風の建物の粟生人形の店舗がありました。
お店の人が玄関先を清掃していたので、
E=立派な建物ですね
店=ありがとうございます
と挨拶だけしました。
人形店の道路反対側(右側)に、高札場跡の木製パネルが立っていました。
10時03分、高札場跡(右側)
082 高札場跡
高札場跡から約150m歩いた右側の小林商店の左隣りに、問屋場跡の石柱と木製パネルが立っていました。
10時07分、問屋場跡(右側)
085 問屋場跡
問屋場跡碑から約50m歩くと、右側のシロアリ会社の隣りの板塀に「つる屋」の表示がありました。
10時09分、旅籠つる屋跡(右側)
087 旅籠・つる屋跡
旅籠つる屋は、藤川宿にあった7軒の大宿のうちで、原型をとどめていた唯一の建物といわれていましたが、現在は取り壊されてしまいました。
その他に、屋号看板を掲げた米屋(左側=つる屋跡の斜め前)、銭屋(左側=米屋の数軒先)がありました。
   旅籠米屋跡(左側
089 商家・米屋跡
   旅籠銭屋跡(左側)
091 商家・銭屋跡
旧旅籠銭屋跡の道路真向い辺りに、藤川宿本陣跡があったようなのですが、完全に見落としてしまいました。
その隣りに藤川宿資料館があり、入口脇に脇本陣跡がありました。
10時15分、藤川宿資料館・脇本陣跡(右側)
   資料館・脇本陣跡入口
093 藤川宿資料館
  
 脇本陣石碑(資料館内の敷地右手)
096 脇本陣跡
藤川宿脇本陣は、宿駅の本陣の予備にあてた宿舎で、大名や幕府の重臣が本陣に泊まる時は、家老や奉行の止宿にあてられたが、平常は一般の旅行者にも使用されていたもので、経営は本陣に次ぐ宿内有数の名望家が選ばれ、その敷地も、現在の跡地の4倍、約130坪(約450平方メートル)程の敷地を有していました。
現存する門は、関ヶ原の戦いの後に藤川へ居住したといわれる大西三家のうち大西喜太夫(橘屋)のもので、一部修理も施されたが、昔日の名残りをよく留めています。
脇本陣碑の横には、藤川宿史跡マップが掲げられていましたが、どうゆう訳か本陣跡を見に行こうという考えは浮かんできませんでした。
   藤川宿史跡マップ
106 藤川宿マップ
   
藤川宿資料館の内部
095 資料館内部
資料館は、脱靴だったので、玄関入口から中を覗いただけで失礼しました。
そして門外出た右側に、本陣石垣の案内板が掲げられていたので、見に行きました。
10時18分、本陣石垣跡(右側)
104 本陣石垣跡
本陣石垣だけを見ても、広い敷地の中に建っていたことが分かります。
来た道を戻り、街道に出た右側に道路元標が立っていました。
10時19分、藤川村道路元標(右側)
101 藤川村道路元標

約200㎞歩いた静岡県内では数回しか見る機会のなかった道路元標は、愛知県に入ってから目にする機会が増えたように感じます。
道路元標を後に、左の伝誓寺参道を眺めながら約300m進んだ藤川小学校(右)の正門前に、西の出入り口跡がありました。
10時30分、西棒鼻跡(右側)
109 西棒鼻跡
隣には東海道五十三次の絵で有名な安藤広重の歌碑が立っていました。
10時31分、歌川豊広歌碑(右側)
111 歌川豊広歌碑
歌川豊広は、江戸中期の浮世絵絵師で、歌川広重の絵の師匠です。
ここには、「藤川の 宿の棒鼻 みわたせば 杉のしるしとうで蛸のあし」という 歌碑が立っていました。
この辺りから進行右側に松並木があり、地名を生かして藤川西町松並木と私が勝手に命名しました。
   藤川西町松並木(右側)
114 藤川松並木①
藤川小学校が終わる十字路の左角に十王堂があり、その隣りに芭蕉の句碑が建っていました。
10時34分、芭蕉句碑(左側)
117 芭蕉句碑
芭蕉は藤川宿に「ここも三河 むらさき麦のかきつばた」の句を残しました。
句碑は二つあり、小は元石、大は寛政5年芭蕉の百回忌にたてられたもので、芭蕉句碑の中で最大級といわれています。幻のむらさき麦は県農業総合試験場の協力により、はじめて藤川で栽培され現物は、資料館に展示されているそうです。
句碑から約50m歩いた左側に、日本橋から75番目の一里塚跡があり、標板が建っていました。
10時36分、075藤川一里塚跡(左側)
120 075藤川一里塚
藤川一里塚は、江戸時代、街道の左右に塚を作り、榎が植えてあったらしいが、天保年間(1830年~)頃にはすでに南側がなくなり、北側の榎は昭和初期頃には枯れて、太平洋戦争後に、土盛りも削られてなくなってしまったようです。
一里塚から約200m先の三幸建設(左)の処から数本の松並木があり、地名から一里山松並木と私が勝手に命名しました。
   一里山松並木
123 一里山松並木
一里山松並木から約100m歩いた左に、吉良道の道標がありました。
10時45分、吉良道道標(左側)
125 吉良道道標
吉良道道標は、土呂(現・岡崎市福岡町)、西尾(現・西尾市)、吉良(現・幡豆郡吉良町)方面へ出る道があり、この道を「吉良道」と呼んでいて、その分岐点に立っている高さ143㎝・幅20㎝の四角の石柱です。
道標から約50m歩くと名鉄名古屋線の踏切となり、遮断機が下がっていたのでカメラを向けると特急電車が走ってきました。
   ※名鉄名古屋線踏切
128 名鉄踏切・特急列車
踏切を渡たり約50m歩くと、藤川の松並木が始まりました。
10時51分、藤川松並木
129 藤川松並木
松並木をバックに携帯三脚で写真を撮ろうと準備していると、女性二人組の街道ウォーカが挨拶することなく脇を無言で通り過ぎて行きました。
三脚のセットが上手く行かないでモタモタしていると、女性ウォーカはどんどん先に進み、私とYumiさんが歩き出した時にははるか先を歩いていました。
藤川松並木は、国道1号の藤川町西交差点の手前まで約300m続きました。
藤川町西交差点で国道1号と合流し、国道を歩くと岡町神馬崎交差点の手前に距離標が建っていました。
11時05分、321.5㎞距離標(左側)
5㎞ポスト
この先で国道1号と別れるので、記録に残しました。
岡町神馬崎交差点を越し、約250m先の黒柳建設(左)の処を国道1号と分岐して、愛知産業大学留学生会館の方に進み竜泉寺川に架かる坂下橋を渡りました。
時計を見ると11時を過ぎているので、Yumiさんに「食べるところがあったら寄るからね」と話していると、中国料理三国志があり立ち寄りましたが、想定していた値段よりはるかに高かったので次の店を探すことにしました。
別の店にしようと考えたのは、昨日と違い食べるところが見付かる予感がしたからです。
名鉄美合駅に行く美合新町を過ぎ、県道48号を渡る処で左を見ると「めん処 泉七八」があったので、昼食に寄りました。
11時20分~11時48分、昼食(めん処 泉七八)
   天ざるそば
137 昼食(天ざるそば)
   
目薬(緑内障)を点眼
138 点眼中
店内は時間が少し早かったのか2組しかおらず好きな所に座り、天ざるそばを注文しました。
また、配膳を待っている時に目薬のことを思い出し、点眼(緑内障で眼圧を下げる薬)をしてもらいました。
店内は11時30分を過ぎると入店するお客が増えてきて、私達がいるフロアーは満席になりました。
食べた蕎麦と天ぷらは、可もなく不可もない味と料金でした。
支払いを済ませ、信号のない県道48号を走って渡り、山綱川に架かる高橋を越すと、Yumiさんからトイレの要望が出てきました。
私の配慮不足から昼食に寄った店で、トイレに行かなかったのを思い出しましたが、戻るわけにもいかずYumiさんに少し我慢してもらってトイレを探しました。
大平川に橋が架かっていないため国道1号に架かる大平橋を渡ると、橋の途中に暫く出会わないと思っていた距離標がありました。
11時55分、323㎞距離標(左側)
139 323㎞ポスト(大平橋)
Yumiさんを早くトイレに連れて行かなければならないので、急いで記録に収め先を急ぎました。
大平橋を渡たると左にキャンピングカー販売・オグショー愛知があり、店に飛び込んでトイレを貸して頂きました。
11時57分~12時03分、トイレ休憩
141 オグショー愛知
お店の人は大変親切に対応下さり、トイレを貸して下さいました。
Yumiさんと二人でお店の人にお礼を云って、店を後にしました。
街道は、オグショー愛知の手前を左折し、約110m先のT字路を右折、約210m歩いた国道1号の大平町東交差点をそのまま国道1号を横切り県道を進みました。
国道1号から分岐して約130m歩いた右の火の見やぐらの前に、常夜燈が立っていました。
12時08分、秋葉山常夜燈(右側)
143 秋葉山常夜燈
さらに、大平交番から約80m先の男川小学校西交差点(三叉路)の手前右側に、つくて道道標が立っていました。
12時10分、つくて道石碑(右側)
145 つくて道道標
道標から約100m歩くと岡崎大平郵便局があり、角に西大平藩陣屋跡の案内看板が立っていました。
   矢印方向に進む
147 道案内
12時13分、西大平藩陣屋跡(大岡越前守陣屋跡)
148 西大平藩陣屋跡
道案内に従って歩くと右に、大岡越前守陣屋跡(西大平藩陣屋跡)がありました。
陣屋跡は、大岡越前守忠相が寛延元年(1748年)に一万石の大名となって、西大平藩に陣屋を置きました。
西大平藩は定府大名で江戸屋敷詰であったため、三州郡奉行が江戸から派遣され支配していました。
大岡忠相自身も江戸屋敷詰であったため、実際にこの陣屋に住んだことはありませんが、庭園の散策をしながら「大岡裁き」で有名な大岡忠相の功績をしのぶことができます。
陣屋跡から郵便局に戻り、街道を約200m先の十字路左角(右側の大平西町バス停の前)に、日本橋から76番目の一里塚跡がありました。
12時20分、076大平一里塚跡(左側)
154 大平一里塚跡
一里塚は、岡崎宿と藤川宿の間に位置し、大きさは高さ2.4m、横幅6.7m、縦右7.3m、縦左8.5mのひし形の塚である。昭和3年(1928年)の道路改修で北側の塚が壊され、現在は南側だけが残っている。昭和12年(1936年)、国指定の史跡となった。塚の中央に植えられた榎は巨木になっていたが、昭和28年(1953年)の台風で倒れ、現在の榎は2代目のものだそうです。
 一里塚の真向いに、秋葉山常夜燈が立っていました。
12時22分、秋葉山常夜燈(右側)
156 秋葉山常夜燈
常夜燈から約350m歩くと、国道1号に合流し、約200m歩いてまた右に分岐します。
この先から、国道1号と旧街道は、合流と分岐を繰り返しながら進みます。
国道1号を右に分岐した処の右側にお城風の建物のホテル伍萬石があり、街道は東名高速ICの下を潜って進みます。
   ①ホテル伍萬石の前を通る
158 ホテル五万石(城風建物)
   
東名高速ICの下を潜る
159 道案内①(高速ICの下)
   
東名高速ICの下を潜る
三つ目を潜り、坂を上って右に進む
161 道案内
160 道案内②
   
この先で国道1号に合流し、岡崎インター西交差点を渡りむなが約250m進み、ガソリンスタンドのある三叉路を右に行き、筋違橋東交差点に出ます。
交差点から国道脇の道(国道沿いの歩道ではなく、その外側の道)を次の竹橋入口に向けて歩くき、交差点の少し手前から右カープの上り坂となり、約350m歩いた左に27曲り碑・冠木門が立っていました。
12時45分、27曲り碑・冠木門(左側)
163 岡崎27曲りモニュメント
ここで水分補給の休憩を取り、気持ちを新たにして旅に出発しました。
12時49分、01 倉橋歯科医院(右角)
165 27曲り-01
01から約120m、若宮町2丁目交差点角
12時51分、02東海道道標(右)・27曲り=い
166 27曲り-02
02から両町二丁目交差点まで約550m。
   03両町二丁目交差点(右)・27曲り=ろ
167 27曲り-03
03から04まで約100m
13時00分、04 27曲り(右)=は
168 27曲り-04
04から05まで、約80m。
次の角の手前にコンビニ(ファミマ)があり、Yumiのトイレとペットボトル(茶)とおやつを買いました。
13時09分、05 27曲り=に(左)
172 27曲り-05
13時23分、備前屋(左側)
174 備前屋
05から備前屋まで、550m。
備前屋は、天明2年(1782年)に初代が岡崎宿伝馬町に菓子屋を始めたのが興りで、この地で菓子舗を営み現在で八代目です。
歴史のある有名な菓子舗なので、立ち寄り代表銘菓の「あわ雪」をお土産で購入しました。
そして、店を出た処に、東海道道標が立っていました。
13時24分、東海道道標(左側)
175 東海道道標(備前屋前)
伝馬交差点から伝馬通りに、小さい石像が設置されていたので、少し見学してから到着地に向かいました。
   旅籠屋の石像
177 石像・旅籠屋
   
市隠亭の石像
178 石像・市隠亭
   
助郷の石像
179 石像・助郷
13時30分、東岡崎・岡崎サンホテル前(到着地)
180 岡崎サンホテル前(到着地)
ホテルの前で、今日の到着式を行い、ホテルに入りました。
天候は、曇天模様になっていましたが、雨は降りだしておらず、雨が降る前に今日の旅を終了しました。
【ホテル】
13時30分、ホテル着
ホテルに入りましたが、時間が早いためチェックインは1時間後でないとできないため、折畳み傘と雨具以外の荷物を預けて、岡崎城を見に行くことにしました。
ホテルを出る時は雨は降っていなかったのですが、27曲りの道標辺りまで行くとポツポツと雨が降りだし、Yumiさんは雨の中を歩きたくないと云うので、岡崎城は明日見に行くことにしてホテルに戻りました。
しかし、ホテルに戻りましたが、14時頃でまだチェックインできないというので、ホテルのロビーで待たせてもらいました。
14時20分、チェックイン
チェックインして部屋に入りましたが、夕食まで時間があるので、明日の荷物の準備をしたり、テレビを観たりして時間を過ごし17時30分頃、食事に出掛けました。
【夕食】
外は本降りの雨が降っており、持参した折畳み傘を差して、ホテルでもらった地図を頼りに食事処に向かいました。
ところが地図の見方を誤り目的地の反対方向に行ってしまい、雨中の伝馬通りを散歩し、ホテルを出てから30分後に目的の店に着きました。
18時00分、夕食
183 食事処みゆき
ホテルの近くにも店はあったのですが、日曜日が定休日で開いていない等で、少し離れた店になりました。
「みゆき」は夫婦二人で開いている店で、家庭的な雰囲気の中で食事をすることができました。
生ビールで乾杯し、おつまみを食べながら、ご夫婦と楽しい会話をしながら時間を過ごし、最後にさけ茶漬けを食べましたが、Yumiさんは、「こうゆうの初めて食べた」というのですが、さけ茶漬けは家で何回も食べたことがあるので、Yumiさんは忘れてしまったようです。
Yumiさんと二人、美味しい料理と楽しい会話でお腹も膨らみ、久し振りに食べた美味しいさけ茶漬で満足し、また雨の中を歩いてホテルに戻りました。
《入浴》
ホテルに戻り、シャワーで今日の汗を流しましたが、今日のYumiさんは言葉の理解度が低状態で、私が云うことがほとんど理解できません。
同じことを何回も云っていると、分かっていても声が大きくなり、強い云い方になってしまいます。
3才の子でも理解できることができないYumiさんには、病気とは云え困ってしまいます。
狭い浴室の中で何とか汗を流し、シャワーが終わった時はぐったりしました。
今日は、旅プラスのYumiさんの入浴介護で疲れました。

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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/