【天候】曇り・晴れ
【宿場】(35)御油宿~(36)赤坂宿
【行程】歩行距離=10.46㎞ 総距離=317.26㎞
伊奈・駅入口T字路⇒(0.65㎞)⇒071伊奈一里塚⇒(4.55㎞)
⇒072御油一里塚

(4.51㎞)⇒073長沢一里塚⇒
(0.75㎞)⇒名電長沢・長沢郵便局前
【ルート図】
 ↓宿場(黒囲みが第21回旅の宿場)
18 21回宿場
 ↓旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第21回
 ↓第21回の旅ルート
  
(名鉄伊奈・駅入口T字路
 ⇒ 名電長沢・長沢郵便局前)
第21回ルート
【旧東海道の旅】
《序章》
GW明けてから孫の弟君を保育園に送って行くため、自宅と娘の家を往復するなどで忙しかったので、空いている時間に旅の準備を行いました。
また、今回の旅で通過する自治体から頂いた史跡パンフレットとネット情報で、史跡の場所を地図に書き込んだりしましたが、自治体から頂いた史跡パンフレットに記された場所と、ネットの情報が異なるところがあり、どちらが正しいのか困ってしまいました。
それは、史跡の場所が前後していたり、進行方向の左と右が違っていたりと大したことがないと云えばそれまでですが、史跡を見落とす大きな要因になってしまいます。
旅はYumiさんと二人で歩いているので、二人で史跡が探せれば良いのですが、残念ながらYumiさんには史跡を探す能力は無くなっているため役に立たず、私が一人で探さなければなりません。
Yumiさんを介護しながらの旅のため、自分の不注意から見落としたりするこ当然ありますが、正確な情報でないために見落としたものもかなりあることも事実です。
今回も、史跡をマップに書き込むのに、どの情報が正しいのか困ってしまうことが何回もあったので、このブログを見た方が困ることがないように、正しい情報を提供することを念頭に旅の準備を行いました。
《準備》
05時15分、起床

ゆっくり身支度出来るように、いつもより15分早く目覚ましの音楽で起床し、体重測定、髭剃り・歯磨き・洗顔・整髪などの身支度を整え、次にリビングに場所を移して
・Yumiさん
椅子に座らせて、両足に軟膏を塗り、両足の膝の両側にシップ薬を貼り、CWXタイツを穿きます。
CWXは、足全体をサポートするスポーツタイツのため、健常者の人でも慣れるまで大変なのですから、認知症のYumiさんに穿かせることはさらに大変になるので、購入したもののほとんど使用していませんでしたが、膝痛対策を考えて穿かせることにしました。
CWXを穿いてからは、着るものなどを順番に重ね置きし、一人で支度してもらいました。
・私
YumiさんがCWX以降の身支度をしている間に、Yumiさんと同じように両足に軟膏を塗り、両足のふくろはぎにシップ薬を1枚づつ貼り、CWXタイツを穿く
などで旅の身支度を整えました。
朝食は、前日のうちに購入しておいた菓子パンと電子レンジで温めた牛乳で食べました。
歩く時は炭水化物系が良いのですが、簡単に食べられることと、Yumiさんがお餅よりパンの方が好きなため、旅の朝食はパン系が多くなっています。
そして、トイレを済ませて休憩していると、Yumiさんが早く行こうと急かすので、予定より20分早く家を出発し、東京駅に向かいました。
《移動》
家を出て近くの公園を自転車で走ると、朝のラジオ体操が終わったところなのか参加した人が帰る時で、帰る人達を見ながら最寄り駅に行き、東京駅に向かいました。
東京駅には8時頃に着き、4号車の乗車口に二番目に並び、ザックを行列のところに置いてYumiさんをトイレに連れて行くなどして、新幹線の入線を待ちました。
08時33分、東京駅発(ひかり505号)
   東京駅新幹線ホーム
001 東京駅新幹線ホーム
新幹線は、定刻に4号車の乗車率50~60%くらいで、出発しました。
空は曇り空で、眺望の良い三島~新富士間も富士山は雲の中に隠れてしまい、残念ながら眺望することはできませんでした。
   富士山は雲の中

003 富士山は雲の中
天気は新幹線の移動とともに青空が広がるようになり、浜名湖は綺麗に眺めることができました。
   車窓からの浜名湖
004 車窓からの浜名湖
新幹線は、東京を出発し、品川、新横浜に停車した後、豊橋までノンストップで走り、定刻に豊橋駅に着きました。
09時58分、豊橋駅着
豊橋で下車し、乗り継ぎで名鉄線に移動するのですが、待ち時間が25分あるため、Yumiさんの乗り換えを考えJRの改札から切符で一度出札し、名鉄線にパスモで入場しました。
駅の改札をパスモで通る時、後ろを歩くYumiさんにパスモを見せて「これを出して」と伝え、用意してもらいます。
そして、改札を通る直前になると、パスモが入っているケースを見せ「どっち」と聞いてくるので、どちらの向きでも感知するケースなので、見せた方で良いことを伝え、改札を通過します。
この流れは、Yumiさんの学習高架がないため、改札の時に毎回繰り返されるパフォーマンスです。
今日もYumiさんはパスモを使う時、パスモが入っているケースを私に見せて使い方を確認してきました。
10時23分、豊橋発(急行)
   
名鉄豊橋駅ホーム
005 名鉄・豊橋駅ホーム
10時28分、名鉄伊奈駅着
改札を出て、階段を下って外に出ました。
駅に隣接している中学校の教室から聞こえてくる先生や生徒の声を聞きながら、出発地の駅入口T字路に向かいました。
天気は晴れて温度も上昇気味で、私は汗が出てきました。
今回の出発地に、これから二泊三日の旅が始まるので気を引き締めて立ち、車が通る合間を縫って出発式の準備(出発用の看板)を行い、旅の出発式(撮影)を行いました。
【=旅=】
10時36分、名鉄伊奈・駅入口T字路(出発地)
008 名鉄伊奈駅入口(出発地)
歩道のない道路なのに車がひっきりなしに走ってくるので、気を緩められません。
出発して直ぐ、少し早めでしたが、Yumiさんの衣服調整をしておこうと考え、
E=暑くなってきたからチョッキを脱いで
Y=男の人と女の人は違うの
E=これから温度が上がっていくので、汗をかく前に一枚脱いで
Y=風邪をひいちゃうよ
と、ブーブー文句を云われましたが、自分で温度調節が出来ないため、汗をかいて体力が消耗する前に、文句が出てもチョッキを脱いでもらいました。
「さあ、出発」とスタートして約350m歩くと酸素の里「親空治療院」があり、その隣りの駐車場の隅に本陣茶屋の跡碑が立っていました。
10時44分、伊奈立場茶屋跡(左側)
010 茶屋本陣跡碑
伊奈立場茶屋は別名「茶屋本陣」ともいい、貞享4年(1687)、吉田藩主小笠原壱岐守長祐が御馳走御茶屋として建てたのが始まりで、その後、数軒の茶屋が建てられ休息所として利用されました。
伊奈は東海道吉田宿と御油宿の中間にあり、旅人の休憩所として立場茶屋が設けられたそうです。茶屋のうち格式高い加藤家(初代は大林平右衛門)は「良香散」という腹薬が有名で、芭蕉とも親交のあった俳人の鳥巣(うそう)はこの加藤家の生まれである。
茶屋から約300m先の右側に山本太鼓店があり、店の前に日本橋から71番目の一里塚があり、跡碑が建っていました。
10時50分、071伊奈一里塚跡(右側)
014 071伊奈一里塚跡
太鼓を綺麗に飾ってある店舗で、少し見学させて頂ければと店の中に入らせて頂きました。
仙台に転勤していた時、北秋田市綴子(鷹ノ巣)で世界一の大太鼓を見たことを思い出しながら見ていると、女将さんが出てきて、長い歴史がある店であること、豊川の祭りで使用する太鼓の皮(写真・中央奥)などを見せて下さいました。
016 山本太鼓店(一里塚碑前)
女将さんにお礼を云って店を出て約170m歩くと、右側に参道の両側に常夜燈などの石塔が多数立っている神社がありました。
10時56分、速須佐之男神社(右側)
017 速須佐之男神社入口
「はやすきのをのこと」と読み、Yumiさんに参拝して行こうと声を掛け、参道を進み本殿に向かいました。
神社に参拝しているのは私とYumiさんの二人なので、本殿でお賽銭をご奉納し、
・Yumiさんの意味認知症の完治
・旅の御加護
を小さい声ですが、声を出して祈願すると気持ち良く参拝することができ、所願成就を心から願いました。
神社を出て約450m歩くと佐奈川に架かる佐奈橋があり、橋を渡ってさらに約180m歩くと左側に中村医院があり、その先に格子戸の家(星川家)がありました。
11時07分、格子戸の家(星川家)=左側
020 格子戸の家(星川家)
この辺りから数軒ですが、格子戸を残した家が建っており、街道を歩いているとこのような格子戸の家を見ると江戸時代の頃を連想させて下さいます。
星川家から約290m先の星川建設(左側)を過ぎた右側の道の角(星川建設から約90m)に、色とりどりの花が咲いた花壇があり、少し目の保養をしました。
11時14分、花壇の花(右側)
021 街道沿いの花壇(桜町)
Yumiさんが「綺麗な花」と云って立ち止まったので、ハイ・ポーズをしてもらいました。
街道は歩道がないので、左側だと後ろから車が走ってきても見えないため、車が走ってくるのが見える右側の方が安全なので、右側を歩いています。
旅は炎天下の中、約90m先の五伝橋、五伝橋から約350mの西古瀬橋を渡り、無味乾燥の工業団地の中を歩きました。
11時30分、県道31号越え
西古瀬橋から約500m歩くと工業団地の山桃交差点をがあり、交差点から約250m歩くと正面に県道31号線のガードレールが見えてきました。
ガードレールの前に来て、
・左折して約150m先の名鉄線沿いの交差点を迂回
・右折して約100m先の京次西交差点を迂回
・ガードレールを跨いでしまおうか
のどの方法にするか考え、交通量が少ないのと、足が短いYumiさんでも何とかガードレールを跨げそうなので、交通違反ですが最短のガードレールを跨いで進むことにしました。

025 県道31号・ガードレールを跨いで渡る
Yumiさんは1号線の交差点を渡ると考えていたようで(Yumiさんの考え方が正しいのです)、
E=跨げる?
Y=あそこ(1号線の交差点)ではないの?
E=ここを越えていこう
Y=え、ここを通るの?
E=跨げるかな?
Y=・・・・・
と話しながら、何とかガードレールを跨ぐ ⇒ 立体交差道路の下を潜る ⇒ ガードレールを跨いで県道31号を横切りました。
県道31号を横切り(交通違反)約140m進むと、右側に中華料理の豊龍園があり、入口に「新年会忘年会受付中」の看板が立っていました。
027 一年中受付中(豊龍園)
素人がペンキで書いた看板で、店の人は私と同じ面倒臭がり屋で、片付けるのが面倒だったのでしょう、時期に関係なくそのまま置かれていました。
きっと店の人もこの時期に、看板を見て忘年会や新年会の予約をする人はいないだろうと考えているのでしょうね。
中華料理店から約120mで国道1号(白鳥5丁目西交差点)に合流するので、交差点を真っ直ぐ渡り国道脇の田圃道を進みます。
11時35分~11時40分、白鳥5丁目西交差点(休憩)

028 白鳥5丁目西交差点
ネットに掲載されているマップは、国道1号線を歩くようになっていますが、いろいろと調べてみたら国道脇の道を歩くのが正解のようなので、田圃道を歩くことにしました。
また、交差点を渡ったところで、
・歩き始めてから一時間経過した
・Yumiさんが寒い
と云うので、休憩を兼ねて水分補給と衣服調整(長袖のパーカーを着る)をしました。
国道脇の田圃道は、道なりに約400m進み、名鉄豊川線の踏切を渡って直ぐの民家(夫婦で垣根の剪定をしていました)の前を左折し、豊川コンクリート工業(生コン工場)に沿って歩くとT字路(変則5差路になっている)となり、五差路を左折しました。
左折して約120m歩くとまた名鉄(豊川線と本線)の踏切を渡るのですが、丁度遮断機が下りたので写真を撮ろうとしていると猛スピードで特急電車が走り抜けて行ったので、準備してシャッターを押したら先頭車両はすでに通り過ぎてしまいました。
030 名鉄の踏切(特急)
名鉄の踏切を渡って約170m進むと、国道1号線に出るので、白鳥地下歩道を潜って反対側に渡ります。
031 白鳥地下道
地下歩道を潜って反対側に出て右に約80m進むと国府町藪下交差点で、左角にお城の櫓造りのような国府交番がありました。
11時57分、国府交番(左側)

032 国府交番(城風建物)
旧東海道は、ここで1号線から分岐して左に進みますが、静寂に包まれた中の旅となりました。
交番の先の左側に豊川国府郵便局があり、郵便局を過ぎて約70m先の右側の空き地に、半僧坊の石碑が立っていました。
12時02分、半僧坊大権現碑(右側)
034 半僧坊大権現
半僧坊大権現は、浜松市引佐にある奥山半僧坊のことのようです。方広寺の守り神で、明治14年の山火事で、本堂などの建物が焼けたが、半僧坊仮堂と開山円明大師の墓地が焼け残ったことから、火除けの神として全国に広がったとあり、この石柱もその頃に建てられたのではないかと考えられています。 
石碑を過ぎると商店街らしくなってきたので、Yumiさんに「食べられる処があったら入るから少し我慢してね」と話し、昼食を食べる処を探しながら歩きましたが、飲食店が街道沿いには見当たりません。
名鉄の特急が停車する国府駅の近くなので、食堂の一軒くらいあるだろうと考えていた私の期待は見事に裏切られました。
12時06分、うば車の看板(左側)
036 うば車店
食べる処を探しながら歩いていると、「うば車」の看板が目に入りました。
「うば車?」
最近は、聞くことも、見ることもない文字に昔、私が乗せてもらった「うば車」を思い出し、どうゆうものを売っているのだろうと、戸を開けて店内を見させて頂きました。
店内は同じ店なのですが2つに分かれており、手前はクリーニング店で、奥にうば車(ベビーカー)の売場になっていたので、
E=売っているのですか?
店=売ってますよ
E=昔懐かしい名前だったので、見させて頂きました
とお礼を云って、店を後にしました。
国府駅に行く新栄町2丁目交差点を過ぎると、商店がなくなり民家だけの状態となり、「Yumiさん、もう少し待っててね」と云いながら歩くのですが、食堂がありません。
新栄町2丁目交差点から約240m歩くと、右側に大社神社があり立ち寄りました。
12時14分、大社神社(右側)
037 大社神社
大社(おおやしろ)神社国府の総氏神として祀られて、7月下旬に開催される夏まつりは盛大に行われるようです。
二人ともお腹は空いていましたが、参拝に立ち寄り、伊奈の速須佐之男神社の時と同じようにお賽銭をご奉納し、Yumiさんの病気平癒と旅のご加護を祈願しました。
大社神社出て、約170m歩くと右側に蒲郡信用金庫国府支店があり、敷地の角に日本橋から72番目の一里塚があり、塚跡に石柱が建っていました。
12時18分、072御油一里塚跡(右側)
041 御油一里塚
一里塚から約180m先の県道368号を渡った右側に、秋葉山常夜燈と道標が立っていました。
12時23分、御油追分(右側)
043 御油追分(姫街道合流地)
追分は、東海道と姫街道の分岐点で、昔から佇む常夜灯と「ほうらいじ道」「砥鹿神社道」「秋葉山三尺坊大権現道」の道標が今も残っていました。
国府では食べる処に巡り合うことができなかったので、次の御油に期待して空腹を我慢して歩みを進めると、約250m歩くと五井橋が架かっていました。
12時28分、五井橋
047 御油橋
音羽川に架かる五井橋(旧御油橋)を渡ると、御油宿に入ります。
音羽川の両岸は綺麗に整備された桜並木になっており、Yumiさんに「桜の時期は綺麗だろうね」と話しながら、暫し新緑の桜の樹を眺めました。
五井橋を渡り約220m先の十字路を右折するのですが、右折する右角にベルツ花夫人ゆかりの地の標札が立っていました。
12時32分、ベルツ花夫人ゆかりの地(右側)
048 花の実家跡(ベルツ夫人)
ベルツ花夫人(本名 荒井花子)は、元治元年(1864)11月18日 東京の神田で生まれ、明治新政府がドイツから招いた日本近代医学の祖といわれるドイツ人医師ベルツ博士と結婚し、日本とドイツで暮らし、1905年に任期を終えた博士とドイツに渡たり、博士が亡くなったため1922年に日本に帰国し、1936年74歳で亡くなりました。父親の荒井熊吉の生家が、御油宿で戸田屋という旅籠を営んでいたのがこの場所でした。
ベルツ花夫人の標板の真向いの左角に連呼格子の家が、静かな佇まいの中に残されていました。
12時33分、連子格子の家(左側)
051 格子戸の家
連子格子の家の2階は雨戸が閉まっているので、現在住んでいるのかどうか分かりません。
さらに右折する十字路の左角(連呼格子の家の道路を越えた先隣り)に、高札場跡の標板が立っていました。
12時34分、高札場跡(左側)
052 高札場跡
街道は、右角のベルツ花夫人ゆかりの地の、左角の連呼格子の十字路を右折しました。
右折して約40m歩くと右側の空き地に東海道御油宿の宿絵が掲げられていました。
12時35分、東海道御油宿の絵(右側)
054 御油宿・宿女の絵
御油宿の史跡案内を見ると、この絵が立っている辺りが問屋場跡なのですが、史跡の標示がなく確認できませんでした。
時間が12時30分を過ぎ早く昼食を食べたいと思い、宿絵から約60m先の十字路を左折して約30m歩いた左側の茶屋「こくや」に向かいました。
団子などでもいいから何かお腹に入れようと考え「こくや」に立ち寄ったのですが、店は代が代わり現在は注文弁当のみを扱う店になっていて、資料に書かれていた団子は売っていませんでした。
店の人に近くで食べられる処を聞くと、赤坂宿までないとの回答に、「え!!、ホント」と体の力が抜けてしまいました。
御油宿の中には、予約弁当を扱う店はあるのですが、コンビニも、食堂も一軒もありません。
自治体から頂いた史料にも、ネットの情報にも、食べるところが無いとは記されていなかったので、弁当の用意をしていませんでした。
これから国府・御油を昼頃に歩かれる街道ウォーカの方は、弁当を持参するか、国道1号線に出て探す必要がありますので、留意下さい。
私とYumiさんは、御油にこの後来る予定がないので、空腹を我慢して「こくや」の前のみそ・醤油の旧いがやや少し戻って御油松並木資料館(右側)を見に行きました。
12時40分、旧いがや(右側)
055 旧いがや(みそ・しょうゆ)
旧いがやは、住んでいるようですが、店舗はシャッターが閉まっていて、見学することはできませんでした。
次に訪れた御油松並木資料館は、土足禁止で靴を脱着する必要があり、お腹が空いていたのと、靴の脱着はYumiさんの脱着を介護する必要があるため、脱着するのが面倒で戸口の処から中を覗いただけで出てしまいました。
また、家に帰ってきてから、御油松並木資料館の写真を撮っていないことに気が付きました。
資料館から出て、「さて、どうしようか」と考えた時、旧茶屋のこくやの隣りに洋菓子店があったことを思い出し、ケーキでも何でも良いから取り合えず何か食べるものを買うことにして洋菓子店に向かいました。
12時48分、洋菓子店・おふく(左側)
056 おふく(昼食のパンを購入)
   お土産に頂いた楊枝入れ
057 おふくで頂いた楊枝入れ
お店に入ると、洋菓子・和菓子の他にパンが売られており、Yumiさんに食べたいものを聞きながら購入しました。
また、カウンターの上に折り紙で折った楊枝入れが無料配布されていたので、お店の人に断って2つ頂きました。
「これで食べられる」と、食べるものを手に入れてホッとしました。
おふくを出て約50m歩くと、左側に本陣跡がありました。
12時55分、御油宿本陣跡(左側)
058 本陣跡碑
本陣は、江戸時代の宿場で大名や幕府役人等が宿泊した公認の宿舎で、御油宿には二軒の本陣があったそうで、鈴木半左衛門が営んでいた本陣跡です。
鈴木半左衛門が営んでいた本陣の跡は現在はイチビキ醤油の第一工場の倉庫になっています。
本陣の道路反対側に連子格子の家があり、資料では脇本陣らしいのですが、史跡標示もなく、戸も締まっていたので確認できませんでした。
   脇本陣跡(右側)?
061 脇本陣跡(?)
本陣跡碑が立っていた隣りは、醤油醸造イチビキの工場が道の両側に建っていました。
史料では、大樽が展示してあると記されていましたが、工場内の展示なのか外にはありませんでした。
醤油醸造のイチビキ第一工場を過ぎ、左側のうさみ商店、右側の本町区集会所を過ぎた右側にメープル御油があり、道路反対側の真向い家の軒先にツバメの巣があり、3~4匹の子がいました。
13時04分、ツバメの巣(左側)
062 つばめの巣
ツバメの子は、私の姿が見えると首をすくめて身を隠くすようにし、少し離れるとまた首を伸ばしていました。
ツバメの巣は、隣りの家にもあり、親ツバメが近くを飛び回っていました。
この飛んでいるツバメの写真を撮ろうとすると、カメラの電池が切れてしまい持参している予備電池と交換しました。
ツバメの巣ある処(メープル御油)から約240m歩くと、御油の松並木が始まり右側に石碑が立っていました。
13時07分、御油の松並木碑(右側)
063 御油・松並木
そして、石碑の左側に腰掛ける場所があったので、遅くなった昼食を食べることにしました。
《昼食》
13時07分~13時20分、昼食(松並木入口でパン食)
065 昼食
昼食は、歩いている途中の自販機で買った缶コーヒーとパンだけですが、赤坂宿まで我慢することを考えたらパンが買えたことが幸運だったと思いました。
そして、松の木陰は涼しく、短い時間でしたが、良い休息を取ることができました。
13時21分、十王堂(左側)
067 十王堂
御油の松並木の石碑の少し手前の左側に、十王堂が立っていました。
十王とは、冥界にあって、死者の罪業を裁判する十人の王のことで、建物は明治の中頃に火災にあい再建されたもので、この十王堂の創立年は定かではありませんが、古くからこの地にあったようです。
13時21分、御油の松並木
  松並木の入口付近
069 御油・松並木①
   松並木の中間付近
073 御油・松並木②
松並木は、御油宿と赤坂宿の間の600mに現存する松並木で、昭和19年に国指定の天然記念物となり、松の本数は推定650本ありました。しかし、次第に減少し百数十本まで落ち込み、昭和40年代から松並木の保護育成が行われ「日本の名松百選」にも選ばれています。
また、松並木は慶長9年(1604)、徳川家康が植樹させたもので、以来夏は緑陰をつくり、冬は風雪を防ぎ、長く、旅人の旅情をなぐさめてきました。
松並木を歩き始めて約100m先にある最初の十字路を過ぎた左側に、弥次喜多茶屋がありました。
昼食を食べた直後だったので立ち寄りませんでしたが、一時間くらい前に昼食を食べていたら立ち寄ったと思います。
13時24分、弥次喜多茶屋(左側)
072 弥次喜多茶屋
茶屋の道路反対側(右側)には、松並木が終わる付近まで公園として整備されており、公園の中にトイレがあったので、Yumiさんに場所を教えてトイレ休憩を取りしました。
13時31分~13時34分、休憩(トイレ)
トイレは松並木の終わる付近にもあり、公園が終わるところで松並木も終わりました。
松並木が終わった付近の小さい橋を渡り、約40m先のT字路の右角に東(江戸口)見付跡がありました。
13時36分、赤坂宿東見附跡(右側)
075 東見附跡
見附とは、宿場の入口に石垣などを積み、出入りするところを見張ったところで、松並木に近いところが東側の見附跡です。
見附跡から約230m歩いた左側に関川神社があり、天然記念物のクスノキと芭蕉の句碑があり立ち寄りました。
13時43分、関川神社(クスノ木・芭蕉句碑)(左側)
080 楠木(関川神社)
関川神社は、長保3(1001)年創建と伝えられており、三河国司大江定基の命をうけた赤坂の長者宮道弥太次郎長富が、クスノキのそばに市杵島媛命を祀ったのが発祥とされます。
関川神社には、推定樹齢は約800年の天然記念物のクスノキで植えられています。木の根元がえぐれているは、慶長14年(1609年)に十王堂付近から出火した火災時に焼けたものだといわれています。
また、本殿の横に、芭蕉の句碑が立っており、句碑に「夏の月御油よりいでて赤坂や」と刻まれています。
この句は、松尾芭蕉が夏の夜の短さと、16町しかない赤坂と御油間の距離の短さを詠ったものと云われています。
13時43分、芭蕉句碑(左側)

081 芭蕉句碑
関川神社から約120m先の左側に、格子戸の民家がありました。
13時45分、連子格子の家(左側)
082 格子戸の家
連子格子の家を過ぎ、赤坂紅里交差点の手前左側に平松家のがあり、家の門前に赤坂宿の本陣跡の史跡解説の標板が立っていました。
13時47分、赤坂宿本陣跡(左側)
083 赤坂宿本陣跡
赤坂宿の本陣は、初め彦十郎家一軒で行われていましたが、その後庄左衛門家・弥兵衛家・又左衛門家が加わり4本陣になりました。4陣のうち伝統のある彦十郎家は、間口17間半、奥行28間、部屋の畳数422畳、門構玄関付きの大変立派なものでした。
そして、本陣の道路の反対側(真向い)に、高札場跡がありました。
13時48分、高札場跡(右側)
086 高札場跡
史料ではこの近くに問屋場跡があると記されていましたが、見落としてしまいました。
赤坂紅里交差点を越えた右側に、行灯型看板がそのまま残っている尾崎屋がありました。
13時49分、尾崎屋曲物店(右側)
088 尾崎屋(行燈形看板)
尾崎屋の行灯(あんどん)型看板(写真中央の白丸)は、商店の軒先に看板として掲げる形式に発展したようで、現在もそのまま残っていました。
尾崎屋から数軒先(約50m)の左側に、東海道筋で唯一営業を続けている旅籠の「大橋屋」がありました。
13時51分、旅籠大橋屋(左側)
090 旅籠・大橋屋
大橋屋の創業は慶安2年(1649年)と約360年の歴史があります。現存の建物(写真)は正徳6年(1716年)の建築と伝えられ、創業時の屋号は「伊右エ門 鯉屋」であったそうです。
赤坂宿には、享保18年(1733年)に83軒の旅籠があり、大橋屋はその中でも大旅籠に属しており、間口が9間、奥行が23間ほどあったそうです。
大橋屋は「ぜひ宿泊したい」と考えかなり前に宿泊予約をしたのですが、先人の宿泊エピソードを拝読すると健常者の人でも頭をぶつけたりする鴨居の低さ(江戸時代から続いている建物なので当たり前です)と知り、トイレのことも考えると認知症のYumiさんに宿泊させるのは難しいと考えキャンセルしました。
折角の機会だったので残念でしたが、致し方ありません。
大橋屋は、平成27年3月15日で、長い歴史に終止符が打たれました。
大橋屋から約100m歩くと、左側に豊川市の休憩所(よらまい館)がありました。
13時56分、よらまい館(左側)
094 御休処・よらまいかん
休憩所なので、ひと休みしようかと入館したのですが、休憩するには靴を脱いで上がらなければならないため、靴の脱着が面倒で立ち寄るのを取り止めました。
そして、よらまい館の真向いに、陣屋跡がありました。
13時59分、赤坂宿陣屋跡(右側)
096 赤坂陣屋跡
赤坂宿陣屋は、天和2年(1682年)、三河国の天領を支配するために代官所として設けられ、慶応4年(1868年)から明治2年(1869年)まで、政体書による府藩県三冶制が敷かれて、明治政府直轄の三河県の県庁として機能した。
陣屋跡から約280m歩くと、右側に赤坂宿西(京口)の見張り所だった見附跡があり、民家の塀の脇に標柱が立っていました。
14時05分、赤坂宿西見附宿(右側)
098 西見附跡
そして、見附跡の斜め前方の左側駐車場に、十王堂跡碑の標柱が立っていました。
14時07分、十王堂跡碑(左側)
100 十王堂跡
さらに、十王堂跡碑の反対側(右側)に杉森八幡社や赤坂の舞台があると記されていましたが、立ち寄らずに通り過ぎました。
十王堂跡から約200m歩くと音羽中学があり、音羽中学を過ぎた処の週字路から約60m歩いた右側に、石碑が立っていました。
14時15分、毘沙門天入口道標(右側)
102 毘沙門天入口道標
石碑には道標を伺わせる文字はありませんが、街道の前後に道標がなかったのと、史跡資料から道標と記しました。
間違っていたらコメントに記して教えて下さい。
この辺りは、堀内姓の立派な建物の家が多く、その中には連子格子の家が残されており、歴史の重みを感じました。
   堀内家の連子格子(右側)
104 連子格子の家(堀内家)
連子格子は、通り側にある縦に細かい格子は外から中が見えにくい様になっており、細い角材を縦に並べ、その格子間の空きを格子の見付き寸法の1~3倍ほどとった格子のことで、1・2階の柱間で平格子または出格子として用いらました。
連子格子の家などを眺めながら歩いていると、右に道路のあるT字路となっている左側にまごころ薬局があり、ここから約500m先の音羽川に架かる八王子橋の手前左側に道標が立っていました。
14時30分、一里山庚申道道標(左側)
106 一里山庚申道道標
石碑に書かれている文字を確認し、写真を撮って次に向かいました。
八王子橋を渡り、県道73号の下を潜り、約280m歩いた左側に、日本橋から73番目の一里塚があり、塚跡に標柱が建っていました。
14時35分、073長沢一里塚跡(左側)
108 073長沢一里塚跡
現在の一里塚は、左側に標柱が1本立っているだけでした。
今日の旅は名鉄線の長沢駅までのため、旅の終点もあと少しとなり、乗車する電車(15時10分発)まで時間の余裕があるので、最後の休憩を取ることにしました。
14時35分~14時40分、休憩
ザックを降ろし、水分補給とお菓子(柿ピー)を食べるなどして5分ほど休憩しました。
一里塚跡から約30m歩くと右側に長沢小学校があり、学校の角の石垣に標板が立っていました。
14時41分、長沢城址碑(右側)

110 長沢城址
長沢城は、長禄2年(1458年)、標高92mの丘陵地に松平信光の子の親則が築城したといわれ、親則が岡崎市岩津からここに移り住み、長沢松平家の祖となりました。
東西約200m、南北約250mに及ぶ大規模なものでしたが、現在は堀の一部が残っているだけで、城址を感じるものがなく史跡保存の空しさを感じました。
長沢城址跡から約600m歩くと、長沢簡易郵便局がある今日の到着地の十字路に着きました。
14時50分、長沢簡易郵便局前(到着地)
114 長沢郵便局(到着地)
【移動】
到着地で到着式(看板を掲げて写真撮影)を行い、名鉄線と並行している国道1号を地下道で潜り、名電長沢駅に向いました。
14時54分、名電長沢駅着
   名鉄・名電長沢駅(後方は東名高速)
117 名電長沢駅舎
   名電長沢駅ホーム(後方は豊橋方面)
119 名電長沢駅ホーム
駅は無人駅で、自動改札機が設置されているだけで、ホームにも誰もいません。
駅舎の隣りは、東名高速で車の走る音が聞こえてくるだけで、ホームのベンチに約15分Yumiさんと二人だけで座り、のんびりとした時間を過ごしました。
15時10分、名電長沢駅発
1時間に2本の電車に乗り、今日歩いた街道を車窓から眺めながら途中、国府駅で豊橋行きの急行に乗り換え、ホテルのある豊橋に向かいました。
※名電長沢で乗車した各停電車は、全て豊橋の手前の伊奈止まりのため、豊橋に行くには特急停車駅の国府などで乗り換える必要があります。
15時26分、名鉄・豊橋駅着
【ホテル】
今日の夕食は、豊橋の名物である「菜飯田楽」が食べたいので、食べに行こうとする店舗を決めてからホテルに向かいました。
菜飯田楽は、
こんがりと焼いた豆腐に味噌をぬった田楽と、細かくきざんだ大根の葉を混ぜ合わせた"菜めし"です。
先月の旅の時、時間の巡り合わせが悪く老舗の店で食べられなかったので、今日は老舗ではありませんが、味わってみたいと考えていました。
15時40分、ホテル着
宿泊するホテルは、豊橋鉄道系列の豊鉄ターミナルホテルです。
ホテルは、豊橋駅東口を右に進み、豊橋鉄道の新豊橋駅を右に見て、デッキからエスカレータで下った先にありました。
豊橋鉄道本社が入っており、6階がフロントになっていました。
フロントでチェックインを行い、8階の部屋(ツインルーム)に行きました。
部屋は、ベッドの他に、テーブルとイスが置いてあり、クローゼットも一人4本のハンガーが用意されていました。
夕食まで少し時間があるので、靴をスリッパに履き替え、これから明日の出掛けるまでに必要な着替え、服用薬等をザックから出して用意したり、ベッドに横になって体を休めたりしました。
17時35分、夕食
122 菜飯田楽セット(いちょう豊橋駅前店)
チェックインする前に確認した「菜飯田楽」の店に行きました。
時間が早く、店内は空いていましたが、入っている数組の人達は私達より先輩でした。
まず菜飯田楽を注文する前に、生ビールと数種類のつまみを注文しました。
生ビールが運ばれ、今日の旅を祝して乾杯し、乾いた咽喉を潤しました。
暑い日に飲むビールは格別で、気持ちよく咽喉を通っていき、Yumiさんもニコニコしながら飲んでいます。
生ビール(私が2杯、Yumiさんが1杯)を飲んでから、菜飯田楽を食べました。
写真の田楽は3本ですが、私が5本の定食を注文したので、Yumiさんに1本分け仲良く4本ずつ食べました。
串刺しされた木綿豆腐に、濃いタレとからしが付いていて、食べやすく美味しかったので、豊橋に来る機会があったら食べたいと思います。
満腹になったお腹を揺すりながらホテルに戻り、シャワーを浴びました。
《シャワー》
Yumiさんは、ホテルの給湯がお湯と水を調整して使うシステムのため、一人でシャワーを浴びることができないので、私が先にシャワーを浴び、その後Yumiさんがシャワーを浴びます。
Yumiさんにボディーシャンプーを付けたタオルを渡し、自分で体を洗ってシャワーで洗い流し、次に洗髪しましたが、私が介助した部分は、シャワーを渡したり、洗髪を手伝う程度で、ほとんどはYumiさんが一人で洗い流しました。
シャワーを浴びて汗を流すとすっきりし、一杯飲んだアルコールが効いてきたのか睡魔が襲ってきて、翌日の旅支度を確認して早々にベットに入りました。
 

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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/