【天候】晴れ・風強し
【宿場】(28)見付宿⇒(29)浜松宿
【行程】歩行距離=13.37㎞ 総距離=262.74㎞

磐田・東町交差点⇒(1.92㎞)⇒059宮之一色一里塚⇒(4.79㎞)
⇒060安間一里塚
⇒(4.46㎞)⇒061馬込一里塚⇒(2.20㎞)⇒(番外編・浜松城)
⇒浜松・伝馬町交差点

【ルート図】
 宿場(黒囲みが第17回旅の宿場)
09 17回宿場
 ↓旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第17回
 ↓第17回の旅ルート
 
(磐田・東町交差点
 ⇒ 浜松・伝馬町交差点)
第17回ルート
【旧東海道の旅】
《支度》
〔衣服〕

朝と昼間の寒暖の差がまだ激しいので、Yumiさんの着るものをどれにしようか頭を痛めました。
一番下に撥水性の良いファイントラックの下着、長袖シャツ、純毛シャツにし、その上に着るコートはフリースを脱着するコートにしようかと考えましたが、脱いだ後のザックへの保管などを考え、シャツの上に裏地付チョッキ、インナーダウン、フリース、薄いジャケットにし、薄いフリースを予備に持参することにしました。
私も、一番下にファイントラックの下着を着用し、半袖下着、春用シャツ、裏地付チョッキ、インナーダウン、ジャケットにしました。
〔ザック〕
Yumiさんのザックは、前の週に参加したウォーキングの用具を再点検し、ザックは二室の下段に折り畳み傘、化粧道具、着替え(下着・靴下)等を、上段は脱いだものが入るように空にしました。
私のザックは、横開きができるドウター30㍑の上蓋付きに変更し、上蓋に血圧計、服用薬、髭剃り、整髪セット、予備電池等を入れ、ザックに応急用品、折り畳み傘、着替え(下着・靴下)等を入れました。
〔ポシェット〕
以前は、ウエストバックにしていたのですが、ポシェットの方が使いやすいので、最近は二人ともポシェットにしています。
財布、パスモ、切符(ジバング)、鍵、カメラなどの貴重品類は、全てポシェットに入れています。
Yumiさんはティッシュを沢山使うので、ポシェットが一杯になってしまうため、携帯電話や手帳などの貴重品類は、ザックの中に入れました。
朝は、磯辺巻にして焼き餅を食べることにし、その準備を行い、
4時に目覚ましをセットし、ベットに入りました。
《準備》
4時、目覚ましを知らせるチャイムで、「Yumiさん、旅に出掛けるよ」と声を掛け一緒に起き、いつもと同じ流れで朝の準備を行い、着替えの前に足のケアをしました。
今日の旅は、ほとんどアップタ゜ウンのない道ですが、Yumiさんの膝痛予防にシップ薬を両足の膝の両側とふくろはぎに貼り、塗り薬も膝~足首まで塗り、その後に私の足のケア(シップ薬は両足のふくろはぎのみと塗り薬を膝~足首)をしました。
また、朝食の支度はほとんど私が行い、Yumiさんは入念に化粧をしていました。
Yumiさんはあまりお餅が好きでないのですが、お餅は腹持ちが良いのと、お腹が空いたら途中で何か食べれば良いと考え、お餅があまり好物でないYumiさんにも食べてもらいました。
そして、準備を整え、予定した時間に家を出発し、途中で乗り換えて小田原に着ました。
《最悪の花粉症》
朝の道中から花粉症の症状が出て、目が痒くて涙目、鼻水がたらたら、くしゃみは5連発、6連発の状態で、ティッシュが鼻のところになかったのは「いつ?」というくらいの状態です。
ティッシュはYumiさんの分も含めて多く持参しましたが、この先足りるのか心配な状況です。
小田原駅でトイレを済ませてから新幹線のホームに行くと、自由席車両の各乗り口は6~7人の人が並んでいたので、こんなに沢山の人が乗るの?と思いながら4号車の乗り口に並びました。
新幹線が入線し、乗車しようとすると誰も扉の前に進まないので、私とYumiが最初の乗車となり、多く人が並んでいたのが数分後に到着する「ひかり」を待っていたことが分かりました。
私は、ひかり号が小田原に停車するとは思ってもいなかったので、乗車待ちの行列が理解できました。
8時03分、小田原発(こだま635号)
こだま号は、各駅で「のぞみ」や「ひかり」の待ち合わせで、各駅とも5分程度停車し下車駅の掛川に到着しました。
途中、三島から新富士間の富士山の眺望を楽しみにしていましたが、薄いもやで鮮明に見えませんでした。
 ※靄に包まれた富士山
004 車窓からの富士山
そして、掛川で在来線に乗り換え、目的地の磐田に向かいました。
静岡県内の在来線の駅は、東京のように電車が停まる位置が明確に明示されていないため、どの番号のところに並んで待ったらよいのか分かりません。
適当に並んでいたら場内放送があり言葉に従って乗り場を替えたら、今まで並んでいた処でも扉が開いていました。
掛川駅に着いた3両編成の電車は、乗車率120%程度の混雑で、とても座れる状態ではありませんでした。
ただ、静岡県内の電車に乗って感じたのは、
①電車の乗り口が、良く分からない
②人の顔を平気で、ジロジロと眺める
です。
特に、人の顔をジロジロと眺められるのは、気分の良いものではないので、やめてもらいたいものです。
これは、歩いていても同じで、特に年配の人に共通しています。
9時30分、磐田駅着
前回の旅で撮れなかった駅舎を撮影し、駅前の善導寺大クスを出発地に行く前に見に行きました。
 ※磐田駅・駅舎
007 磐田駅
9時34分、善導寺大クス(左側)
008 善導寺の大樟(くす)
大クスの樹は、磐田駅を出ると左側にバスロータリーがあり、バス停の隣りの一段高くなった場所にドーンと立っていました。
大くすの樹を記録に残した後、今日の出発地である東町交差点に行きYumiさんに、出発式の看板を掲げてもらいハイ・パチリと、出発の儀式を行って旅をスタートしました。
【=旅=】
09時37分、磐田・東町交差点(出発地)
010 磐田・東町交差点(出発式)
スタート直後は、きょろきょろと左右を眺めたり、持参した地図と見比べるなどして旅に慣れるため、目と頭のストレッチをしながら歩き出しました。
約650m歩くと右側に中泉公民館があり、公民館の前の道路沿いに、江戸時代、大正時代の中泉の絵図が建っていました。
09時48分、江戸時代・大正時代中泉絵図(右側)
013 江戸&大正の中泉絵図
公民館前から約550m歩くと旧東海道が県道に合流し、合流する交差点の右側に明治35年創業で千年長寿祈願の酒を造っている千寿酒造がありました。
先日(8日)、山の会の仲間と行った東京・福生市の石川酒造と違い予約すれば土・日でも見学ができるのですが、立ち寄れば試飲してお酒を買いたくなるので、数日前に酒造見学したので、今日は我慢して立ち寄らずにそのまま先に進みました。
※東京都福生市の石川酒造は、平日のみ見学ができますが、要予約です。
千寿酒造のある交差点から約240m歩くと、右側にパチスロ店JUMBOパークがあり、その屋上から恐竜の頭が見えました。
10時00分、屋上に恐竜(右側)
015 恐竜?
 ※パチスロ店JUMBOパークの恐竜
017 ゲーセンの恐竜
屋上の恐竜を眺めながら店舗を通り過ぎて振り返ると、答えが分かりました。
私は、お店にピッタリの実にユーモラスで、遊び心が一杯なアイデアだと感心しましたが、Yumiさんは「変なの」と云っていました。
JUMBOパークから万能橋交差点を渡り、約250m歩くと日産の販売店があり、それを過ぎた処の下万能バス停の前に、日本橋から59番目の一里塚跡碑が建っていました。
10時08分、059宮之一色一里塚跡(右側)
019 宮之一色一里塚跡
資料では、右に石碑、左に説明板と記されていましたが、左の説明板は確認できませんでした。
右の跡碑は、塚を模した石段を上ったところに、石碑が立てられていました。
一里塚跡碑から約270m歩いた左側に魚勝があり、その手前に木屋で囲まれた常夜燈がありました。
10時13分、秋葉山常夜燈=龍燈(左側)
022 宮之一色秋葉山常夜燈
常夜燈は、木製の建屋の中に石燈籠が置かれており、木屋は平成8年に部分改修し保存されています。
石燈籠は、文政11年(1828年)に作られたもので、竜の彫り物がある竜燈と呼ばれ、数ある灯篭の中でも大変貴重なものだそうです。
木屋は、風除けのために灯篭の周りを板で囲み、上部は灯りが漏れるように格子になっている。
陸の灯台として大活躍し、この先にも数多くの木屋の常夜燈が立っていました。
木屋の常夜燈から約450m歩くと右側にファミリーマートがあり、それを過ぎた左側の久野塗料店の角に「東海道の道標」が立っていました。
10時22分、「東海道と歴史の道」道標(左側)
025 東海道と歴史の道標柱
東海道に残る史跡を大切にしていることが感じる道標です。
道標から約120m先の左側の沿道に、松並木の名残りがありました。
10時24分、宮之一色松並木(勝手な命名)=左側
026 東海道の松
後ろの松から、少し間隔があいた状態で、10本程度の松が立っていました。
松並木を過ぎ、森下交差点の手前で道が分岐し、旧東海道は左に進み森下南交差点を渡ります。
森下南交差点から約300m歩くと右側に若宮神社があり、境内の隣りの森下公園の中に西之宮学校跡の碑が建っていました。
10時33分、西之宮学校跡(右側)
030 西之島学校跡
西之島学校は、明治3年に豪農の熊谷三郎馬が静岡藩士の大久保おろかを招いて開いた私塾で、その後学校になったそうです。
公園から旧街道に戻り約500m歩くと県道262号線の交差点があり、交差点を右折して天竜川橋に向かいましたが、右折する場所を間違えないように気を付けながら歩きました。
地図を見ながら歩いていると、右折する交差点の手前右側に、長森立場跡の碑が建っていました。
10時43分、長森立場跡・長森かうやく跡(右側)
032 長森立場跡・長森かうやく
立場は、江戸時代に街道の途中(宿場の間)に設けられた施設で、休憩所として茶屋や売店が建てられ、賑わったところだそうです。
また、長森かうやくは、江戸時代の前期から山田与左衛門家で作り始めらた家伝薬で、アカギレや切り傷に抜群の効能があるとして旅人の土産品として人気を博していた。
立場跡の先にある交差点を右折し、天竜川を渡る橋に向かいました。
風はだんだんと強くなり、持参している地図が飛ばされないように気を付けて歩くと、天竜川を渡る橋に近づいてきました。
天竜川に架かっている最初の橋は、長森交差点を左折する旧天竜川橋ですが、ここには歩道がないので、そのまま通り過ぎその先の池田交差点を左折しました。
10時50分、池田入口交差点
池田入口交差点を左折したところは風が強いのですが、温度も高くなってきたので、Yumiさんに「チョッキを脱ごう」と云うとブツブツ云うので、「寒くなったらまた着るから一度脱いで」と説得し脱いでもらいました。
また、ここで水分の補給もしました。
10時58分、新天竜川橋
 ※新天竜川橋(右)・旧天竜川橋(左)
038 新天竜川橋(右)と旧天竜川橋
新しく出来た新天竜川橋(隣りの鉄橋は旧道)の歩道は、幅が広くとても歩きやすく出来ていました。
私とYumiさんは、全長が912mの長大橋を向かい風が吹く中、頭を下げてもくもくと歩きました。
また、富士山が見れるかなと思いながら何度か後方を確認しましたが、富嶽を眺望することはできませんでした。
そして、橋を渡り切る約50m手前に、日本橋から250㎞の距離標が建っていました。
11時10分、250㎞距離標(左側)
043 250㎞標柱
東海道の半分を超えたことを証明する距離標になるとともに、意味認知症(要介護2)のYumiさんが、日本橋から自力で歩いてきて証明書にもなりました。
残念なのは、風が強くて、みだれ髪の写真になってしまったことです。
新天竜川橋と旧天竜川橋の間に小さな公園があり、新橋建設による東海道の歩き方が、いくつか色分けされて記されていました。
11時13分、中野町マップパネル(右側)
046 中野町絵図
私とYumiさんは渡った処を左折して天竜川西交差点を横切り約120m歩くと、六所神社の裏手に舟橋之碑の石碑が建っていました。
11時19分、舟橋之碑(右側)
048 船橋之記の碑
急傾斜を降りて石碑のところで写真を撮り、六所神社の裏手から境内に入りました。
11時20分、六所神社(右側)
050 六所神社
六所神社は、お賽銭を奉納し、Yumiさんの病気完治と旅の御加護をご祈願しました。
いつもは周囲に聞こえないように心の中でご祈願するのですが、周りに誰もいなかったので声を出して(普通の大きさ)ご祈願すると、とても気持ちが良く、清々しい気分になったので、これからは周りに人がいなかったら声を出してご祈願しようと思いました。
神社を出ると中野町道路元標と東海道案内パネルが、右側の六所神社の入口脇に建っていました。
11時21分、中野町道路元標(右側)
053 道路元標
道路元標は、大正9年に各市町村に1ケ所設置され、市町村の起終点を示す道標で、現存する1,600基の一つでだそうで、(当初は12,044基)静岡県内ではこの道標だけが現存しているそうで、貴重な道標です。
 
※東海道案内パネル(右側)
052 東海道案内標識
11時24分、船橋木橋跡(右側)
055 船橋木橋跡
船橋は、橋のない河川に多数の小船を並べて綱や鎖で連結し、その上に板を敷いたものを云うのだそうですが、ここの船橋は、明治7年(1874)、明治天皇行幸の際に掛けられたものです。
船橋は、その後、木橋に掛け替えられたが、これまで渡船しかなかった東海道の往来に大変貢献したと云われています。
最近撮った写真を見ると、Yumiさんが目を閉じたところの写真が増えてきたので、Yumiさんに目を閉じないで、と云って撮るのですが、どうゆうわけか目を閉じた時にシャッターを押してしまいます。
東海道案内パネルの前から約40m進んだ最初のT字路の右角に、銀行跡の碑が建っていました。
11時27分、中野町銀行跡(右側)
=後方の神社は六所神社
057 中野町銀行跡(後方は六所神社)
中野町銀行は、明治3年から昭和3年までこの地で営業していたそうで、現在は住宅地になっています。
そして、銀行跡から約110m歩いた右角に、創業130年の歴史を誇る人気のうなぎ店があり、昼食に立ち寄りました。
《昼食》
11時30分、昼食(うなぎ中川)=右側

062 うなぎ中川・入口
 ※うなぎ重
066 うな重
昼食は、計画した時からここで食べたいと考えていたので、スムーズに入店出来てホッとしました。
店舗に入ると座敷を進められたのですが、靴の脱着を考えて椅子席にさせてもらいました。
椅子席は、一組だけで他が空いていたので、奥の席に座りました。
のんびりしたいのですが、今年最悪の花粉症の症状がでて、目の痒さと鼻水対策に追われながら待っていると、注文したうな重がうなぎの匂いを漂わせて運ばれてきました。
Yumiさんと顔を見合わせてニッコリして、食べ始めました。
うなぎは、昨年の9月(第7回の旅)に三島の桜家で食べて以来です。
中川のうなぎは、柔らかく、たれがほどよく浸み込んでいて、とても美味しものでした。
また、待っている時に「ぶらり東海道の旅」(天竜橋~子安神社付近)のガイドパンフを頂き、午後の旅にとても役立たせて頂きました。
美味しいうなぎを食べ、トイレを済ませてスッキリしてから旅に出発しました。
12時05分、うなぎ中川発
店を出て県道313号を横切り、3本目の路地の右側に軽便鉄道の軌道跡があり、碑が建っていました(うなぎ店から約400m)。
12時13分、軽便鉄道軌道跡碑(右側)
069 軽便鉄道軌道跡
元は浜松鉄道(開業当時は濱松軽便鉄道)という遠州鉄道とは別の私鉄でしたが、戦後に合併し遠州鉄道奥山線となった鉄道の軌道が敷設されていた処である。
軌道跡から約110m歩くと右側に松林寺があり、境内の入口に奥山大権現石碑と東海道お休み処協力隊のベンチがあり、Yumiさんに座って休んでもらいました。
12時15分、奥山大権現石碑&東海道お休み処協力隊ベンチ(右側)
072 東海道お休み処協力隊・ベンチ
このベンチは、休みたいと思ったところに設置されているので、この後も体力を回復するのに大変助かりました。
そして、ベンチの真向いに、高札場跡がありました。
12時17分、かやんば高札場跡(左側)
074 かやんば高札場跡
かやんばとは萱場が訛ったもので、萱場村の高札場だったそうで、現在は高札場にあやかって市民条例が記された高札が掲げられていました。
高札場から約160m先に金原明善生家があり、その手前右側に「村境の碑」が建っていました。
12時22分、村境標柱(右側)
075 村境標柱
そして村境碑のとなりに金原明善生家が、道路を隔てた反対側(左側)に記念館が建っていました。
12時23分、金原明善生家(右側)
076 金原明善生家
 ※生家の展示室
080 室内
生家は無料で公開されていたので靴を脱いで入らせて頂きましたが、無料で公開している上に、立派なパンフを頂き恐縮してしまいました。
代々名主の家で、明治から大正にかけて天竜川の治水や植林に貢献した郷土の偉人の遺品等が展示されており、2階を含めてひと通り見学させて頂き、お礼を云って後にしました。
生家を出発して約200m歩くと、右側に姫街道の道標が建っていました。
12時36分、本坂道姫街道安間起点(右側)
084 姫街道・安間基点
姫街道は、Yumiさんが立っている右側の道で、街道の基点に立った時、どのような道だろうという思いが湧いてきました。
そして、姫街道入口から約30m先の右側に、日本橋から60番目の一里塚跡があり、標柱が建っていました。
12時38分、060安間一里塚跡(右側)
087 安間一里塚跡
四角柱に一里塚が記されていましたが、資料ではフェンスの中でだったので、確認してみると鉄柱を切って現在の場所に移動したようで、元の場所に切り取った跡が残っていました。
フェンスの中では分かりづらい、という声に対応したのかどうか分かりませんが、・・・・という感じがしました。
一里塚跡碑から約65m歩くと安間橋があり、これを渡り浜松バイパスの下を通り過ぎると左側に、松並木がありました。
12時47分、薬師町松並木(勝手に命名)=左側
092 東海道の松並木
松並木は左側だけで、10本程度でしたが、東海道の名残りを残し、松並木が終わった先に、最近では珍しい円形の郵便ポストが民家の前に建っていました。
12時51分、円形郵便ポスト(左側)
094 円柱形ポスト
ポストから約200m歩いた左側に、今にも倒れそうになりながら支柱に支えられ、途中でまた上に伸びている生命力のある松が残っていました。
12時54分、生命力のある松(左側)
098 保護の松
そして、松の直ぐ隣りには、江戸時代に宿場と宿場の間の街道などで旅人が休息する場所として、茶屋や売店などが設けられていた立場跡がありました。
 ※立場跡(左側)
096 立場跡
ここの立場には、藤棚があり旅人の目を楽しませていたと記されてました。
街道は、薬師町から天竜川町に入り、天竜川駅入口交差点先の秋葉山常夜燈を道路反対側(右側)に眺めながら、天竜川町西交差点を過ぎ、あすみ接骨院の先のレストラン・ガストの横に和洋折衷の家が右側に建っていました。
13時13分、和・洋折衷の家(右側)
100 和洋折衷の家
私とYumiさんは、道路の左側を歩いていたので、Yumiさんに待っているように伝え、道路を走って横切り写真を撮りに行きました。
Yumiさんを道路の反対側に待たせているので、写真だけ撮ってYumiさんのところに戻ったため詳細は分かりませんが、歴史のある邸宅を感じる家で機会があったら邸内を見せてほしいと思いました。
進行左側の歩道をYumiさんと約250m歩くとコンビニ(サンクス)があり、店内のトイレを使わせて頂いて、おやつ(プリン)を買いました。
13時18分、コンビニ(サンクス)=左側
 サンクスを出た処の交差点角にセブンイレブンがあり、その2軒先の卸問屋・浜松屋の前を通りながら社用車のドアを見ると、実にユニークなロゴマークが目に留まりました。
13時23分、浜松屋のロゴマーク(左側)
101 浜松屋ロゴマーク
5匹のアヒルが魚が入った網を高々と掲げているロゴマークで、創業者が北京ダックをイメージして作ったとのこと、気持ちが和む素晴らしいデザインだと思い記録に残しました。
左側の浜松屋から約210m(2つ先の信号)歩くと、右側に絵図が建っており、急いで道路を渡り見に行きました。
13時25分、浜松宿絵図(右側)
102 浜松宿絵図
絵図は、冬枯れノ図で、浜松宿について
・人別=5,964人
・本陣=6カ所
・旅籠=94軒
と記されており、江戸時代から浜松宿は大きな宿場町で、賑わっていたことが目に浮かびます。
右側の絵図を見て、また道路を左側に渡って戻り佐野歯科医院のところで、浜松市内と思わる付近にそびえ立っている建物を撮ろうとしたら、デジカメの電池が切れてしまい、予備の電池と交換することになりました。
電池を交換しながら浜松市内の方に目を向けると、前方にロケットの胴体部分と思わせる建物が見え、何の建物だろうと思いながら、シャッターを切りました(望遠にして撮影)。
 ※写真中央の高い建物は何?
103 高いタワーは?(アクトタワー)
建物の答えは、浜松城の展望台に行った時に分かりました。
さて、おやつタイムですが、少し先に子安神社があるので、境内でひと休みしようと考え神社に向かったのですが、入口が少し離れていることが近くに行って判明し、神社を往復するのが面倒になり交差点手前のアサヒビルド㈱の前のベンチでおやつタイムにすることにしました。
13時39分~13時48分、休憩(子安交差点手前)=左側
104 子安交差点
おやつタイムを取った場所には、東海道お休み処協力隊が設置したベンチがあり、サンクスで買ったプリンを食べました。
休みたいと思ったところに設置されたいるベンチは、街道ウォーカにとって大助かりのオアシスです。
ありがとうございます。
ベンチでひと休みして、「さあ、あとひと踏ん張り」と出発すると、少し先の子安交差点の左角に「植松の道標」が建っていました。
13時50分、東海道。植松原道標(左側)
106 植松原道標
子安交差点は道路に横断歩道がなく、地下道で渡ります。
地下道は方向をしっかりと見定めておかないと、とんでもない方向に出てしまうので、方向を見定めて地下道に入り交差点を潜りました。
そして、芳川に架かる琵琶橋を渡って約100m歩くと、右側に鳥居が建っていました。
13時57分、蒲神明宮大鳥居(右側)
108 蒲神明宮大鳥居
蒲神明宮は、藤原鎌足十世の孫、越後守静並(えちごのかみしずなみ)が伊勢神宮の神託を受け、この蒲の地を開拓し、美田(みた)550町歩を神宮に寄進し神明宮を創設したと伝えられ、明治6年に郷社(ごうしゃ)に指定されると共に蒲神明宮と改称され今日に至っているそうです。

神明宮入口の鳥居から約700m旅をすると、天神町交差点手前の左側に古い看板が目に入りました。
14時05分、萬屋蒟蒻(こんにゃく)店(左側)
109 蒟蒻店の看板
お店はカーテンが閉まっていたので、店の中は見えませんでしたが、年代を感じさせる建物と看板でした。
店が開いていたら見学したいと思うお店だったので、とても残念でした。
天神町交差点を渡り、約250m歩くと浜松東警察署があり、ここを過ぎた左側に日本橋から61番目の一里塚跡碑が建っていました。
14時10分、061馬込一里塚跡(左側)
110 馬込一里塚跡
一里塚跡には道路沿いに標板が建っているだけで、一里塚を連想するものはありませんでした。
一里塚跡から約210m歩いた右側(相生町交差点を渡りホテル明治屋を過ぎた右角)に、道路の起点を表示する標柱が建っていました。
14時18分、旧笠井街道入口(右側)
115 笠井街道入口
そして、笠井街道入口の標柱が建っている国道152号線の右側から左側に渡り、約110m歩くと左側に旧掛塚街道入口の碑が建っていました。
14時19分、旧掛塚街道入口(左側)
113 旧掛塚街道入口
掛塚街道入口の標柱から約40m先の馬込橋たもと左側に、通行人を監視した木戸跡の碑が建っていました。
14時22分、外木戸(東番所)跡(左側)
117 外木戸跡
馬込橋を渡った道路右側に馬込公園があり、公営のトイレがあるのでYumiさんに聞くと「大丈夫」と云うので、トイレに立ち寄らずに先に進みました。
ここで道路を左側から右側に渡り、道路の右側を進むと静岡銀行の手前に地蔵尊が祀ってありました。
14時30分、夢告地蔵尊(右側)
119 夢告地蔵尊
向かい風と、花粉症と闘いながら板屋町交差点と田町交差点を過ぎ、連尺交差点に着きました。
14時42分、連尺交差点
交差点に着くと15時前と時間的にまだ余裕があるので、急遽浜松城に立ち寄ることにしました。
連尺交差点も地下道を潜って道路を渡るので、方向を見定めて地下道に入りました。
しかし、道がいろいろな方向に出られるようになっているので、案内板を頼りに地上に出ましたが、慣れていない人には迷路の地下道です。
※ 寄り道・・・【浜松城】・・・
浜松城方面の階段を上った処に、大手門跡の碑が建っていました。
14時44分、浜松城・大手門跡(右側)
121 浜松城・大手門跡
浜松城は次回の旅の時に城内を見学する予定にしていたため、浜松城に関する地図や資料を持参していなかったので、停車している車の人(女性)に浜松城への道順を教えて頂きました。
見ず知らずの旅人に親切に応対して下さり、浜松市役所の脇から行く分かりやすい道を教えて下さいましたので、少し遠回りになりましたが、教えて頂いた道でお城に行きました。
《浜松城》 14時53分~15時14分

125 浜松城
浜松城は、徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、17年間在城しました。城は、東西600メートル、南北650メートルの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なっている。家康の後、城主は代々普代の大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多く、出世城とも云われていた。石垣は野づら積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されています。
さて、浜松城公園に入り道案内に沿って歩いて行くと、上り坂となり浜松城の撮影ポイントになりました。
天気の良い土曜日の午後ですが、人出は途切れることがない程度でした。
お城の入口で入場料(一人150円)を支払い、中に入りました。
お城の中は、江戸時代の遺品等が展示してあるだけで、掛川城のようなお城の風情は味わうことはできませんでしたが、天守閣の渡り通路からの眺望は、安全のための金網が少し目障りですが、お勧めです。
 ※浜松城・天守閣の渡り通路
130 天守閣・東側
ここで、天竜川町の子安交差点から見た高い建物(ロケットの胴体のような)が、アクトタワーという「地上45階建、最高部(塔屋上ヘリポート)の高さ212.77mの超高層ビル」で、ホテルオークラ直営のオークラアクトシティホテル浜松、多くの企業や店舗が入居する、浜松市のランドタワーでした。
浜松市の大きさを感じさせる建物だと思いました、
ひと通りお城の中を見学し、城内の土産物店で記念のお土産を買ってお城を跡にしました。
 ※浜松城のお土産(コースター)
159 浜松城のお土産
浜松城からの帰りは、来た道ではなく大手門跡碑に向かって、最短距離を歩いて戻りました。
大手門跡碑に戻り、道路を横断するために方向を見定めて連尺交差点を渡る地下道に入ったのですが、途中で方向が分からなくなってしまい、迷いながら地上に出ました。
*****旧東海道に戻る*****
地下道から出ると、右側に谷島屋書店があり、店のショーウィンドウ右側に高札場跡の石碑が建っていました。
15時23分、浜松宿・高札場跡(右側)
136 浜松宿・高札場跡
谷島書店の2軒隣りに浜松蓮尺郵便局があり、営業していたら日付スタンプを押してもらおうとしましたが、土曜日の午後で営業時間外となってしまい押印できませんでした。
そして郵便局から数軒先の浜松信金前の道路沿いに、本陣跡の標板がありました。
15時26分、杉浦本陣跡(右側)
139 杉浦本陣跡
杉浦家は、元亀元年(1570)家康入城と共に名主役に、慶長6年(1601)伝馬制が定められた時、問屋役を命じられた。室町後期から続く古い家柄で、浜松宿本陣6ヶ所の内、最も古い本陣として、建坪が約272坪(約900㎡)あったそうですが、残念ながら他の本陣跡を含めて当時を偲ぶ史跡はありません。
杉浦本陣跡から約20m歩くと、左側(進行方向では右側の歩道)に二つ目の本陣跡碑が建っていました。
15時28分、川口本陣跡(右側)
142 川口本陣跡
川口本陣は、浜松の本陣(6ヶ所)のうちで最も新しく、建坪は約163坪(約540㎡)あったそうです。
まだ浜松宿はこの2カ所の本陣の他にあと2ケ所の本陣跡があるのですが、地下道を潜った道路の反対側にあるため、ここで明日の出発場所を考え到着式を行うことにしました。
15時33分、浜松・伝馬町交差点(到着地)
151 浜松・伝馬町交差点(到着地)
【旅の追加】
到着式を行った後、迷路の地下道を潜って道路の反対側に移動すると、地下道から出た伝馬町交差点のサザンシティ浜松角に、三番目の本陣跡がありました。
15時36分、梅屋本陣跡(左側)
145 梅屋本陣跡
梅屋本陣は、杉浦本陣に次ぐ格式のある本陣で、江戸初期から本陣を勤めていた。
江戸中期の国学者加茂真淵の養子先(婿養子先)だそうです。
伝馬町交差点を渡り、杉浦本陣跡がある道路の反対側を連尺交差点の方に逆戻りしたクリニックの前に、四番目の本陣跡がありました。
15時40分、佐藤本陣跡(左側)

148 佐藤本陣跡
佐藤本陣は、約225坪(約745㎡)の建坪があったそうです。
今日の旅は、ここで終了しました。
【ホテル・夕食】
15時48分、ホテル着
佐藤本陣跡碑の連尺交差点寄りの道を右折し、今日宿泊するホテルに向かい、フロントでチェックインすると、普通の部屋から介護用の部屋に変更されていました。
このホテルに予約した時、介護できる部屋があるということで、介護用の部屋をお願いしました。
その後、介護認定(要介護2)を受けているといっても車椅子を使用していないので、車椅子の人を優先しようと考え一般のツインルームに変更しました。
ところが、その後のホテルとのやり取りで、支配人から車椅子でなくても構いません。もし、当日利用できるようでしたら介護用の部屋に変更しますと云われたことを思い出し、支配人の善意にお礼を云ってご厚意を受けさせて頂きました。
Yumiさんと指定された部屋に入り、ザックなどの荷物の整理、デジカメや携帯の充電、翌日の旅準備をし、お茶を飲んだり、テレビを見たりして夕食までの時間を過ごしました。
《夕食》
ホテルは繁華街の近くなので、沢山のお店が並んでおり、迷った末に山内牧場という居酒屋に入りました。
17時35分、居酒屋「山内牧場」
時間が早かったので、店内は閑散としていたので、個室的な席に案内してくれました。
生ビールを注文し、Yumiさんとまず乾杯。
157 居酒屋・山内農場③
料理は、
・付きだし(きゅうりとキャベツの味噌付け)
・刺身三点盛り
・さつま揚げ
・鳥の唐揚げ
と、少し財布の紐を締めて、少量にしました。
それぞれの味は、とても良く、美味しい店でした。
浜松は「うなぎ」とともに「餃子」が有名なので、中華店に入りラーメンと餃子を食べました。
食べた餃子が浜松餃子かどうか分かりませんが、小ぶりの餃子で固焼きでした。
私もYumiさんも、焼き餃子でも柔らかい方が好きなので、固焼きの餃子は???でした。
お腹が膨らんだので、ホテルに戻りました。
 ↓浜松の繁華街=寒いを連発して歩いていました

158 浜松繁華街
《シャワー》
夕食の後、ホテルに帰り、シャワーで今日の汗を流しました。
シャワーは、私が浴びた後、Yumiさんが浴びましたが、一人でシャワーを使うことが難しいので、私が全て介護しました。
シャワー室は、車椅子が入れる専用のシャワー室になっているので、介護しながらのシャワーは大変助かりました。

今日は持病の花粉症に悩まされました。
明日も天気が良く雨が降ることはないようですが、風が強く花粉が飛ぶようで、明日も花粉症に悩まされるのか、と考えると気が重くなります。
明日の支度の準備を行い、ホテルのモーニングコールとテレビのOFFタイマーをセットして、ベッドに入りました。

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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/