【天候】晴れ
【宿場】(24)金谷宿⇒(25)日坂宿
⇒(26)掛川宿
【行程】歩行距離=16.785㎞ 総距離=232.95㎞

051金谷一里塚⇒(4.352㎞)⇒052小夜中山一里塚⇒(4.355)⇒053伊達方一里塚⇒(4.128㎞)⇒
054葛川一里塚⇒(3.95㎞)⇒西掛川駅入口

【ルート図】
 ↓
宿場(黒囲みが第15回旅の宿場)
10 15回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
 
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間 )

全体 第15回
 第15回の旅のルート
 
(051金谷一里塚跡⇒西掛川駅入口)
第15回ルート
【再訪】
 夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
  〔※①〕=平成26(2014)年 9月13日
【旧東海道の旅】
《序章》
2日目の今日は、宿泊した掛川から金谷にJRで移動し、昨日の到着地である(金谷宿)金谷一里塚跡 から (日坂宿)~ (掛川宿)西掛川駅入口までの16.8㎞を歩く旅です。
今日のハイライトは、箱根峠に次いで厳しい道と云われている、日坂宿・小夜の中山峠越えです。
日坂宿には、茶畑はあっても食事処がないと聞いているので、昼食の用意をして出掛けます。

《ホテル》

05時30分、起床
設定していたホテルのモーニングコールで起床しましたが、Yumiさん恒例のトイレ通いで、4時すぎからウトウト状態で朝を迎えました。
洗面所での歯磨きは、歯ブラシが入っている袋を破って使えば良いのですが、Yumiさんはそれがわからないので、私が封を開けて使えるようにする必要があります。
また、化粧品は持参したのですが、洗顔用は持参しなかったので、洗顔はホテルで頂いた液体ソープで洗い、洗顔後の化粧水も頂いたものを使いました。
私は、出張の時に使用していた髭剃りと化粧水を持参していましたので、次回からはYumiさんの洗顔用のクリームを持参しようと思います。
さて、今日は箱根東坂に次いで厳しいと云われている小夜の中山峠越えがあるので、Yumiさんが途中で膝痛を発生しないように、K先生に処方して頂いたシップ薬を両膝の両側と、両足のふくろはぎに貼り、私も両足のふくろはぎに貼りました。
着る物は、下着類と靴下(内側)を替えた以外は同じ物を着ました。
荷物は、今日も同じ部屋に宿泊するので、今日使わない物は置いておくようにし、逆に昨晩コンビニで調達した今日の昼食(おにぎりと豚汁パック)をバックに入れました。
全ての着替えが終わってから、目薬の点眼と血圧測定を行い、ホテル提供の朝食を食べに行きました。
1階のホールに着くと同時に食事解禁となり、バイキング形式の朝食を食べましたが、Yumiさんは何をどうしてよいのか分からないので、私が自分のものとYumiさんのものを取ってあげました。
旅を積み重ねているうちに、認知症の症状が進んでいることが分かるようになっています。
残念ですが、現実ですから致し方ありません。
京都まで頑張ってねの心境です。
また、ホテルが提供する食事は、食材の種類は少ないのですが、贅沢を云わなければこれで十分かなと思います。
食事を終わり、部屋に戻ってトイレを済ませ、ひと息ついてからホテルを出発しました。

07時35分、ホテル発

ホテルの中は、温かく小春日和でしたが、一歩外に足を踏み出すと、冷たい風に思わず「おー!!寒い」の一声。
マフラーを首に巻き寒風の中、掛川駅に向かいました。
07時52分、掛川駅発
08時06分、金谷駅着
掛川駅から在来線で金谷駅に移動し、昨日の到着地である金谷一里塚跡に向かいました。
【=旅=】

08時12分、051金谷一里塚跡(出発地)=右側
金谷一里塚跡で、最初に昨日の到着式(看板を持って撮影)を行い、続いて今日の出発式を行いました。
01 金谷一里塚(出発地)
街道は一里塚跡の付近は、上り坂になっており、ガードを潜って金谷駅の裏側を道なりに上ると不動橋があり、坂はここから一段と上りがきつくなり約180m歩くと国道473号線に出るのですが、この上り道が金谷坂です。
国道に出て道路を渡った左側に石畳入口の看板があり、それに沿って右折すると石畳道が見えてきました。
08時17分、東海道石畳入口(右側)
03 東海道石畳入口
金谷坂石畳(上り坂)は、平成3年に地元の有志が一人一石運動で、71,000個の石を使い430mを復元したもので、一つ一つの石に思いが込められているのですが、見るのは良いのですが、歩くのは大変です。
08時20分、金谷宿石畳上り口
05 金谷坂石畳入口
石畳に入ると直ぐの右に「金谷宿お休み処石畳茶屋」がありましたが、時間が早くまだ閉まっていましたので、写真だけ撮って先に進みました。
08時21分、石畳茶屋(右側)

07 石畳茶屋
ここで夫婦2人連れと出会いましたが、撮影を申し出たら断られ何となく話しづらくなり、会話を交わすことなく石畳坂の上り頂上の芭蕉句碑のところで別れ、夫婦は先に歩いて行きました。
 
金谷上り坂石畳(石畳茶屋の先)
08 金谷坂石畳
旅紀行を少し戻して、石畳茶屋から約210m石畳道を上ると右側に石畳六角地蔵堂があり、すべらず地蔵尊が祀られていました。
08時28分~08時33分、すべらず地蔵尊(右側)=休憩
09 すべらず地蔵尊
すべらず地蔵尊は、人の足元を守ってきた「滑らない山石」に「すべらず」、「ころばず」進むようにと、多くの受験生、商売繁盛の願掛け参拝者が来ているとのことですが、今日は1組の夫婦だけでした。
歩きづらい石畳の上り坂を歩いてきて少し汗ばんできたので、私がインナーダウンとフリース、Yumiさんがインナーダウンを脱いで、衣服調整をするとともに小休憩しました。
石畳の上り坂はこの先約210m続き車の通る道に出て、平坦な舗装道路になりました。
08時37分、金谷上り坂・出口からの眺め
10 金谷坂頂上からの石畳
金谷坂石畳が終わっり(頂上)アスファルト舗装になった道を左に約30m歩くと、右側に芭蕉の句碑が建っていました。
08時38分、芭蕉句碑(右側)

11 芭蕉句碑
 芭蕉句碑
13 芭蕉句碑・解説
句碑のところでUターンして約350m真っ直ぐ進むと、右側に「諏訪原城址跡」の案内看板があり見に行きました。
08時49分、諏訪原城址跡(右側)
14 諏訪原城址跡碑
諏訪原城は武田勝頼が徳川家康と戦うために馬場信房に作らせた城で、国指定史跡になっています。
全体を見る時間がないので、諏訪神社に参拝し、空堀跡、大手口跡など、街道から近いところだけ見て失礼しました。
08時51分、諏訪神社・本殿(右側)

16 諏訪神社・拝殿
08時53分、大手口跡
17 諏訪原城址
諏訪原城址を見た後、街道に戻り約130m歩くと県道と交差し、県道を横切ると菊川坂石畳(下り坂)の入口になっていました。
08時57分、菊川坂石畳入口(下り坂)
18 菊川坂石畳入口
菊川坂石畳は、金谷坂石畳と同様に平成13年に有志の力で、611mの石畳の道ができたそうです。
石畳の道は、上り坂以上に下り坂は歩きづらく、足を滑らせて捻挫しないように注意して歩きました。
 菊川坂下り石畳
20 菊川坂石畳・下り坂
途中で前日見た粟ケ岳の「茶」文字がさらに大きく見えるようになり、「Yumiさん「茶」の字が見えるよ」と声を掛けましたが、返ってきたのは生返事の「そう」だけでした。
 
粟ケ岳の茶文字(その1)
22 粟ケ岳の茶文字
菊川坂の案内看板のある十字路、車の通る十字路を過ぎた先に、道の真ん中に杭が建てられ有志が作った菊川坂石畳(611m)が終了しました。
09時11分、菊川坂石畳出口
23 菊川坂石畳
そして、その先の161mの石畳が、県指定遺跡になっている「江戸時代後期の石畳」で、石畳の終わった処の左側に、菊川辻の道標が建っていました。
09時13分、菊川辻の道標(左側)
24 菊川辻の道標
道標の先に流れている菊川に架かる高麗橋を渡り、約220m歩いた右側に間の宿菊川の里会館がありましたが、開店前で扉が閉まっていたので立ち寄れませんでしたので、トイレだけ使わせて頂きました。
09時19分~09時24分、間の宿菊川の里(右側)=休憩

27 間の宿・菊川の里
 宗行卿詩碑・日野俊甚歌碑(右側)
26 宗行卿詩碑
間の宿菊川の里会館から約100m先の四群橋を渡った所を左折し、道路を横切り15段ほどの階段を上った処から、標高差155m、1.2㎞の箭置(ヤオキ)坂の上りで、小夜の中山越えが始まりました。
右側の上り道を上って、夫婦二人旅の時に写真を撮った場所とほぼ同じ場所で、
09時27分、箭置坂(上り坂)発=上って来る方向を向いて
29 箭置坂の上り
私達の前も後ろも街道ウォーカを含めて誰も歩いていません。
天気はピーカン照りの快晴で、勾配のきつい坂道を上っていると自然と温かくなり、Yumiさんが着ていた厚手のチョッキを脱いで衣服調整をしました。
※①=箭置坂(上り坂):小夜の中山=これから上る方向を向いて
027 小夜の中山
と、再訪の時、撮る方向を変えて写真を撮りました。
箭置坂を上り始めて約700m歩くと、右側に日坂宿・菊川宿の里分岐の標識が建っていました。
09時43分、日坂宿・菊川の里分岐の標識(右側)

31 菊川の里・日原宿分岐の標識
標識から約100m歩くと右側に中継機場があり、ここを通り過ぎると、一段と勾配がきつくなってきました。
左に茶畑だけが見える坂道で、景色を見る楽しみがない分、上りの辛さだけが残ります。
 ※小夜の中山の眺め
30 箭置坂からの眺め(茶畑)
Yumiさんに「もう少しだよ、頑張れ」と励ましながら歩いていると、進行方向からエンジン音が聞こえてきたので、何をしているのだろうと思いながら約450m歩くと、峠の頂上にある久延寺に到着し、小夜の中山越えの半分(上り)が終わりました。
山歩きでこの程度の坂道は常に歩いているのですが、やはり上り坂は疲れます。
09時50分、久延寺(右側)
33 久延寺
久延寺は、伝説・夜泣き石物語の石、山内一豊が徳川家康を接待した茶亭跡、家康手植えの五葉松が有名な寺院だそうです。
 夜泣き石伝説の石
35 小夜の中山・夜泣き石
 茶亭跡
38 茶亭跡
久延寺の境内に建っていた史跡を記録に残し、山門を出て道路の反対側の空き地で、エンジンが沢山並べられエンジンが音が響いていました。
 E=エンジンの修理をしているのですか?
 男=農機械のエンジンを掛けて、楽しんでいるのです
着ているつなぎ服の背中を見ると、「・・・・・楽しむ会」と書かれていました。
農機械を使う地域ならではの趣味で、この場所なら周囲に気兼ねすることなく、思い切ってエンジンを掛けて楽しむことができるようです。
 農機械のエンジン音を楽しむ会

41 農機械エンジンを楽しむ会
そして、久延寺の隣に子育て飴で有名な「扇屋」がありました。
09時56分~10時10分、扇屋(右側)=休憩
42 扇屋
扇屋は江戸時代創業の峠の茶屋で、夜泣き石伝説にちなんだ子育て飴(砂糖を使わずに麦芽だけで作られた琥珀色の水飴)を食べたいと思っていたのですが、店が閉まっていました。
扉のところに「土・日・祝だけ10時ごろに開店」と書かれていたので、店の前の縁台に座って待つことにしました。
ところが10時を過ぎても開店しないので、農機械エンジンを動かしている人に尋ねると、「掛川から来るので遅れているようですね」とのことでした。
もう少し待ってみようと思い、その間に斜め前方(左側)に建っている「西行法師の歌碑」を見に行きました。
10時07分、西行法師の歌碑(左側)
44 西行歌碑
歌碑から扇屋に戻ってきましたが、いつ来るか分からない状態で待っていることもできないので、またの機会にしようと思い扇屋を出発しました。
10時10分、扇屋発
扇屋を過ぎると街道は緩やかな下り坂になり、右斜め前方を見ると粟ケ岳の「茶」文字がさらに大きく見えました。
 粟ケ岳の「茶」文字(その2)=右斜め前方
46 粟ケ岳・茶文字
扇屋から約250m歩くと三叉路があり、左角に日本橋から52番目の一里塚跡があり標柱が建っていました。
10時14分、052佐夜鹿一里塚跡(左側)
一里塚跡には小さな塚があり、その前に石碑が建っていました。
47 佐夜鹿一里塚
一里塚跡から130m歩くと左側に神明神社があり、さらに約130m先の左側に鎧塚があり、街道から少し上った所に塚碑が建っていました。
10時21分、鎧塚(左側)
51 鎧塚
街道はほぼ一直線の下り坂で、周囲は茶畑です。
鎧塚から約450m歩くと、右側に小さなお社だけが祀られた白山神社があったので、Yumiさんと一緒にお賽銭を奉納して参拝しました。
10時29分、白山神社(右側)

54 白山神社
参拝を終わり歩いてきた方を見ると、一人の女性が歩いてくるのが見えました。
女性の歩きは早く、白山神社から約300m先の涼み松・芭蕉句碑で写真を撮っていると、追いついて一緒になりました。
 E=今日は、どちらまで
 女=掛川まで歩きます
 E=金谷からですか?
 女=そうです
 E=じゃあ、一緒ですね
   ところで、扇屋は開店してましたか?
 女=いえ、開いていませんでしたよ
 E=そうですか。私達も少し待っていたのですが
などの会話をしながら少しの間、一緒に歩きました
10時38分、涼み松碑・芭蕉句碑(左側)
56 涼み松
涼み松で写真を撮ろうとすると、女性が「撮りますよ」と声を掛けて下さいましたので、お言葉に甘え二人の写真を撮ってもらいました。
女性は、そのまま先に歩かれて行き、私とYumiさんは芭蕉句碑を見てから出発しました。
 芭蕉句碑(左側)
59 芭蕉句碑
句碑から約450m歩くと左側に夜泣き石碑があり、さらに約10m先の右側に広重絵碑が建っていました。
10時44分、夜泣き石碑(左側)
61 夜泣き石碑
夜泣き石は、街道の真ん中にあったのですが、明治元年に明治天皇御東上の時に街道脇に移されたそうです。
10時47分、広重絵碑(右側)
63 広重絵碑
絵碑は、建っている辺りで、安藤広重が「東海道五十三次・日坂」を描いたことを記すために建てられたようです。
この付近の下り坂の傾斜は緩やかで、箱根峠から三島に下る箱根西坂を思い出しながら歩いていると、茶畑で茶の木の上を二人の男の人が電動剪定機持って茶の木の先端部分を刈っているところに遭遇しました。
 茶の木の剪定作業(右側)
66 茶の育成
 E=今されているのは、何のための作業なんですか?
 男=新芽の伸びを揃えるためだよ
 E=そうですか
私は、茶畑に沢山の柱上の回転扇が設置されているのを見て、Yumiさんと「送風のためかな」、「充電のためかな」などと回転扇の使い道について話しながら歩いてきたので、
 鉄柱の回転扇(白丸)
67 茶の育成・霜除け扇
 E=柱に付いている回転扇は、何に使うのですか
 男=霜除けです。
   茶の木に霜が付くと芽がダメになってしまうので、温度が2~3℃になると自動的に回転して
   、霜が付かないようにしているんですよ
と教えて下さいました。
東海道を歩くようになって、いろいろな物を見たり、聞いたりして新しい知識が増えてきましたが、Yumiさんは残念ながら、歩いた所の部分が少し記憶に残っている程度のようです。
街道は、約250m歩いた左側にある稲荷大明神を過ぎた先から、急坂が始まりました。
10時56分、小夜の中山の急坂
68 二の曲りの急坂
写真では坂の傾斜が分かりませんが、かなりの急こう配です。
坂は、一度緩やかになった後、沓掛付近でさらに急こう配となり、二の曲がり付近では車は上れない傾斜角度(先人のHPには28.5度と書かれていました)です。
Yumiさんの膝痛は、下り坂でいつも発生するので、「足、大丈夫?」と状態を聞きながらの下りとなりましたが、K先生に処方して頂いたシップ薬の効能は抜群で、Yumiさんは膝痛を起こすことなく下り切ることができました。
下り坂を下っていると、二の曲がり急下りの終わる直前の左側に、絵碑が建っていました。
11時05分、広重絵碑(左側)
71 日坂の絵碑
ここで夫婦二人連れと会いましたが、お互いに声を掛けることなく二人連れは先に歩いて行きました。
絵碑を過ぎたところで、二の曲り坂を上って行こうとする車に状況を聞かれたので、「車は上れないですよ。バックして下りてくるようになると思います」と伝えると信用しなかったようで、横道から来た農器具運搬車に乗った老夫婦に、同じように聞いていましたが、どのような会話をしたのか分かりません。
そして、日坂バイパスの下を潜ったところで、この老夫婦の車が走ってきて、
 夫=どこまで行くの
 E=今日は掛川まで行きます
 夫=そうかい。気を付けていきなはれ
 E=ありがとうございます。先ほどの車は、どうされましたか?
 夫=あの坂は車では上れねえ、やめとけといったよ
 E=そうですよね。元気に過ごして下さい
 夫=ありがとう
と和やかな会話をして別れました。
県道を渡ると、江戸から25番目の宿場であった日坂宿です。
宿に入って間もなく秋葉常夜燈があり、その少し先の右側に本陣跡と記した門が建っていました。
11時10分、日坂本陣跡(扇屋片岡家)=右側
74 日坂本陣跡
本陣跡には、立派な門が建っていて、ここから日坂宿の街並みが始まりました。
そして、本陣から5軒先の右側に問屋場跡があり、標板が建てられていました。
11時11分、問屋場跡(右側)
77 問屋場跡
問屋場跡の3軒先が旅籠・池田家。
11時12分、旅籠・池田家(右側)
78 日坂宿・池田屋
池田家のところで写真を撮っていると、昨日の夜、居酒屋「甚八・駅前店」で、Yumiさんの隣に座って歴史資料のコピーを読みながら一人で一杯飲んでいた男性と出会いました。
 E=あれ、昨晩の方では?
 男=あー、・・・を注文した方ですか
 E=そうです
二言、三言の会話で別れましたが、まったくの偶然でした。
男の人は資料コピーを持って調べているようで、自転車に乗って別の処に行かれました。
私達は先に進むと、池田家の隣に脇本陣だった黒田屋がありました。
11時14分、脇本陣・黒田屋(右側)
80 黒田屋脇本陣跡
※①=かえで屋(手前)と藤文(奥)=右側
046 日坂宿・商家
11時18分、藤文(右側)

82 藤文
045 藤文・解説
日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七の自宅で(藤文は屋号)、大切に保存されていたので店の中を見学したまでは良かったのですが、庶民の旅籠だった萬屋の写真を撮った直後にハプニングが発生しました。
11時20分、旅籠・萬屋(右側)

85 万屋
042 萬屋・解説
《ハプニング発生=デジカメを破損》
藤文を出て、4軒先の萬屋に向かう時にデジカメを路上に落としてしまい、壊れてしまいました。
私が地図等の資料を整理するために、Yumiさんにデジカメを預けたのですが、Yumiさんが持ち替えようとした時に落としてしまったようで、「ばか」と少し怒りましたが、壊れたものは元にもどらないので、しょうがないと諦め先に進みました。
***この先、掛川七曲りまで歩き旅では写真が撮れなくなり、再訪で撮りました***
萬屋は、江戸時代に建てられた素泊まりの旅籠で、岡部宿の大旅籠柏屋に立ち寄った時に、案内をして下さった方から見ることを奨められた旅籠でしたが、デジカメを破損した直後だったので、ゆっくり見る気分になれませんでした。
11時25分~11時30分、旅籠・川坂屋(左側)
037 川坂屋
江戸時代の面影を遺す建物で、室内に入ることができたのですが、デジカメ破損のショックから立ち直れないでいたことと、靴を脱ぐのが嫌だった(実は靴下が擦り切れていたのです)ので、外からだけ見学しました。
また、敷地内に茶室が復元されているとのことでしたので、裏庭に行って見せて頂きました。
帰りに茶と歴史の里日坂のスタンプを宿場図に押印して、旅籠川坂屋を後にしました。
11時31分、高札場跡(右側)
川坂屋を出て坂を下る途中の右側に高札場跡がありました。
031 高札場跡
高札場跡を過ぎると古宮橋が架かっており、橋のたもとに下木戸跡があり、碑が建っていました。
 ※①=下木戸跡(右側)
034 下木戸跡
相伝寺の山門入口手前に、天保10年(1839)に建てられた秋葉常夜燈が残っていました。
場所は高札場の近くだったように記憶しています(間違っていたらごめんなさい)。
 ※①=秋葉常夜燈(右側)
047 秋葉常夜燈
常夜燈から約100m先の左側に、三河屋と屋号が記された看板が掲げられた民家の前に碑が建っていました
 ※①=書家・成瀬大域出生の地碑(左側)
052 成瀬大域出生の地
書家の碑の直ぐ先に右側へ行く道があり、その分岐付近に若宮神社の祠がありました。
 ※①=若宮神社(右側)
055 若宮神社・秋葉常夜燈
若宮神社はお社の後ろの山頂に祀られているので、そこまで行かなくてもお参りできるように造られたお社のように思います。
また、お社の横には、先ほどの秋葉常夜燈と同時期に建てられた秋葉常夜燈がありました。
そして、秋葉常夜燈から約100m歩くと国道1号に合流し、道路を渡った左側に事任八幡宮があり、歩道橋を渡って行きました。
 ※①=日坂宿近辺のお祭りでした

030 日坂宿・祭の山車
11時38分、事任八幡宮(左側)
 ※①=事任八幡宮・参道
058 事任八幡宮・参道
言の葉で事を取り結ぶ己等乃麻知媛命など4神を祀っており、境内には夫婦杉がありました。
 ※①=夫婦杉
059 夫婦杉
多くの人が木に触ったり、書かれていた通りに木の周りを回ったりしていましたが、私は迷信じみたことは嫌いなので、Yumiさんと拝殿に行きお賽銭をご奉納して手を合わせ参拝しました。
 ※①=事任八幡宮・本殿

066 事任八幡宮・本殿
 ※①=大クスノキ
063 大クスノキ
参拝を終わり昼食の場所を何処にしようか探していると風が強く吹き始めてきたので、風除けが出来る場所を探しましたが適当な場所がありません。
そのため、境内外のトイレに立ち寄ってから、食べる場所を探しながら旅を続けました。
すると八幡宮から約70m先の県道沿いの左側にベンチが置いてあり、食べる場所には良いかなと考え、そこに荷物を下しました。
【昼食】
11時50分~12時04分、昼食
今日の昼食は、おにぎり(私=3個、Yumiさん=2個)と豚汁です。
豚汁カップが風に飛ばされないように、手で押さえながら持参したテルモスのお湯を注ぎ、おにぎりと一緒に食べました。
ボトルのお湯は、朝ホテルのポットで沸かしたお湯を入れてきたので、かなり熱い状態でした。
おにぎりは、簡単にカバーを取ることが出来るように出来ているのですが、Yumiは取り外すことができません。
そのため、私がすぐにカバーを外せる状態にしてYumiさんに渡すのですが、世話の焼ける・・・です。
食事なので、ゆっくり寛ぎながな食べたいのですが、風がビュービュー吹いているので、15分程で出発することにしました。

ここからしばらくは、史跡のほとんどない、車道沿いの歩きになりました。
県道に沿って(右側)岩瀬コンクリート、(左側)みどり茶屋、(左側)ガソリンスタンドと、約900m歩くと国道1号掛川バイパスの八坂ICの交差点があり、1号掛川バイパスを横切り1号線に入ります。
1号線を約180m歩いた左側に塩井神社があり、ここで街道は1号線から別れて左側に進み、約450m歩くと左側に大頭龍神社がある交差点となり、その右角に日本橋から53番目の一里塚跡があり石碑が建っていました。

12時20分、053伊達方一里塚(右側) ※①
069 伊達方一里塚跡
歩き旅の時は、ここで父親と娘の二人連れに会いましたが、ここでも言葉を交わすことなく、二人連れは先に歩いて行きました。
私とYumiさんは、デジカメが壊れてしまったため、一里塚跡碑で写真を撮ることなく、ただ眺めるだけで通りすぎました。
デジカメがある時と、ない時の違いを感じるのと、旅の記念にはデジカメが必要と考え、掛川に着いたらカメラ店を教えてもらいデジカメを買うことにしようと思い、これからの道中で探していこうと思いました。
さて、旅ですが、一里塚跡碑から約180m先の1号線に合流する手前(右)に、道標がありました。
12時25分、慶雲寺道道標(右側) ※①
071 慶雲寺道道標
街道は、道標の先で国道1号と合流し約120m歩くとまた左に分岐しますが、国道1号と分岐する少し手前に日本橋から224㎞の距離標が建っていました。
 ※①=224㎞距離標(左側)
072 224㎞ポイント
国道1号と分岐した街道は、約200mもするとまた合流と、合流と分岐を繰り返しながら進みます。
12時40分、225㎞距離標(左側)
12時52分、226㎞距離標(左側)
と、何もない1号線を、強風に帽子が飛ばないように押さえながらこの区間は、時速5㎞と少しハイペースで歩いてしまいました。
226㎞距離標を越した左側に榛葉食堂があり、たこ焼きが売っていたので、「Yumiさん、食べる?」と聞きましたが、昼食後一時間も経過していないのか「ううーん」と生返事でしたので、「この先で何かおやつでも買おう」と云うと、元気な声で「そうね」と返ってきたので、そのまま通り過ぎました。
旅は、国道1号の本村橋交差点で、左に分岐して約600m歩くと左側に伊達医院があり、その手前の十字路を右折して旧東海道を離れて国道1号沿いにあるセブンイレブンに向かいました。
セブンイレブンに行った理由は、①おやつを買うこと、②家電量販店の場所を聞くためでした。
13時10分、セブンイレブン掛川成瀬店(左側)
 E=デジカメを買いたいのですが、近くに売っているところはありませんか?
 店=この近くには家電量販店はありません
 E=旧道沿いは、どうですか
 店=ないですね
との回答に、おやつにシュークリームを買って店を出ました。
がっかりしながら旧東海道に戻り、また旅を続けました。
ところが、国道1号沿いのセブンイレブンに行ったことで、史跡の道標を見過ごすしてしまいました。
本来は、国道1号の本村橋交差点で左に分岐し、約810m歩くと左側にJA掛川市西山口支所があり、その支所の前に道標が建っています。
 ※①=大頭龍権現道標・福天権現道標(左側)
074 道標
道標を過ぎ街道を約500m歩くと右斜め前に「金の豚掛川店」のある交差点なり、交差点を真っ直ぐに渡って約30m歩くと橋の親柱が馬の顔形になっている馬喰橋が架かっていました。
13時24分、馬喰橋 ※①=馬喰橋の馬顔の親柱(左側)
077 馬喰橋(馬顏親柱)
そして馬喰橋を渡った左側の橋のたもとに、日本橋から54番目の一里塚跡があり碑が建っていました。
13時25分、054葛川一里塚跡(左側) ※①
079 葛川一里塚跡
葛川一里塚は、江戸時代は隣りの増田村にあり、榎ではなく松が植えられていたそうである。
一里塚跡から約400m歩くと、掛川の七曲りの入口に着きました。
曲がる角が7ケ所あることから名付けられ、街道ウォーカも良く間違えるところであると記しされていたので、資料を整えてきました。
13時31分、掛川七曲り入口 
※①=七曲り
最初は、角皆染物店前の三叉路の一番左を進みます


081 掛川七曲り・入口
①進学予備校の前を右折
083 掛川七曲り①
②秋葉常夜燈(写真:車の左側)の前を左折
085 掛川七曲り②
③T字路を右折(角から2軒目右にそねめんがある)
087 掛川七曲り③
④左の割烹・魚林の前を右折
088 掛川七曲り④
右に七曲りの案内看板が建っている
089 掛川七曲り・標識
 ※七曲り解説標板(右側)
090掛川七曲り標識
⑤七曲り標板の先の十字路を塩沢機械店に沿って左折
093 掛川七曲り⑤
⑥最初の十字路(真向い左にディリーヤマザキ)を右折
094 掛川七曲り⑥
⑦桂花園(真向い左)の前の十字路を左折
095 掛川七曲り⑦
と、間違えることなく歩きました。
13時42分、掛川七曲り出口(カメラ店に立ち寄った時間も含む)
《デジカメの購入》
掛川七曲りの出口手前でカメラ店があったので、立ち寄りました。
デジカメを落として壊してしまったことを話すと、店では売っていないけどFカメラならあると、場所を教えて下さいました。
場所は掛川城大手門の前とのことなので、急いでカメラ店に向かいました。
 E=(壊れたデジカメを見せ)落として壊れてしまいましたので、新しいデジカメを購入したい
 店=壊れてますね
 E=この店は七曲り出口近くのカメラ屋さんで、紹介して頂きました。
   何か機会がありましたら、購入したことをお伝え頂けると助かります
 店=(店舗の位置を確認し)あー、あの店は、私どもの親戚です
 E=あー、そうですか
と、云いながら、いくつかのデジカメを見せて下さいました。
私は、壊れたデジカメが気に入っていたので、同じメーカーにしたいと思ったのですが、今使っている電池が使えないことや、値段が少し高かいと云う理由で、店主が奨める安い方のニコンを買うことにしました。
私は、充電しないと使えないかなと思っていたら、少しは使えるとのことでしたので、店主に初期設定をお願いして、すぐ使えるようにして頂きました。
デジカメを購入したことで、気掛かりなことが一つ無くなり、気分的に楽になりました。
《再出発》
早速、店の前の掛川城・大手門の前で、テストを兼ねて撮りました。
14時03分、掛川城・大手門(右側)
86 掛川城大手門
撮った感じはそれほど悪くないので、これから活用しようと思います。
さて、旅を続けようと街道にもどると、交差点の角に白い壁の古風的建築の掛川信用金庫があり、記録に残しました。
14時05分、掛川信用金庫(右側)
88 掛川信金
連雀西交差点の次の中町交差点の角に、お城をモチーフにしたような清水銀行がありました。
14時09分、清水銀行(右側)
90 清水銀行
街道は、中町交差点から南西郷~十九首と約750m歩くと、十九首には平将門以下19人の首塚があるとのことで立ち寄ろうと、街道を歩きながら探したのですが分からず、首塚なので見学しなくても良いかとそのまま通りすぎました。
十九首から逆川を渡った先で国道1号に合流する二瀬川交差点があり、交差点の左角に日本橋から230㎞の距離標が建っていました。
14時27分、230㎞距離標(左側)
92 230㎞ポイント標識
南からの強風を正面から受けながら、1号線を約550m歩き大池橋を渡ったところの大池橋交差点の左角に秋葉街道入口の道標が建っていました。
14時35分、秋葉街道起点標板(左側)
93 秋葉街道起点標
橋を渡ったところで街道は左折するのですが、正面を見ると家電量販店のケーズデンキの赤い看板が見えました。
値段はケーズデンキの方が安いのでしょうが、自然の流れの中での対応でしたので、特に高い買い物をしたという思いはしませんでした。
大池橋交差点を左折して県道を真っ直ぐ進むと、信号のある交差点を渡ってガードを潜ったところに今日の到着である天竜浜名湖線の西掛川駅入口がありました(大池橋交差点から約450mです)。
14時45分、西掛川駅入口着(到着地)
96 西掛川駅入口(到着地)
【移動】

西掛川駅は、天竜浜名湖線の駅で、ホームは階段を20~30段くらい登った上にあり、待合い所はありますが無人駅でトイレはありません。
そのため、トイレは、駅前にある公園の公衆トイレを使うことになります。
また、電車は1時間に1本の運行(朝・夕は2~3本)で、1両編成という本当のローカル線です。
 ホームと天浜線

99 西掛川駅・天浜線電車
西掛川駅を到着地にしたのは、翌日の歩く距離との兼ね合いからですが、このようにな機会でないと乗れない電車なので、自分ながら良い計画になったと自画自賛する思いでしたた。
さて、乗る電車は15時34分発で、約50分待つことになるため、Yumiさんを連れて駅前の公園に行きトイレを済ませてから駅の待合い所に行きました。
駅の待合い所には2人の先客がいましたが、10分後に来た浜名湖方面に行く電車に乗っていきました。
ベンチに座って電車を待っていると、少しづつ人が増え、電車が来る少し前に若い男女が10人くらい来たので、賑やかになりました。
15時34分、西掛川駅発

101 西掛川駅標
定刻通りに来た電車は、ワンマンバスと同じで、後部から券を受け取って乗り、前部で支払って降りる形式でした。
座席は、車両の前後がベンチ形式、後はボックス席になっており、乗車率は約30%でした。
私とYumiさんは、ボックス席の空いている席に座り掛川駅までの2駅ですが、ローカル線を味わうことができました。
15時39分、掛川駅着
15時46分、ホテル着
ホテルは、昨日に引き続き掛川駅南口の東横INNに泊まり、部屋も同じでした。

【夕食】
部屋に入り、ひと休みする前に、明日使う地図などの資料および下着類の準備、ザックの荷造り等を行いました。
また、昼の目薬の点眼を忘れていたので、急いで点眼(一日3回の2回目)をしました。
17時30分頃、ホテルを出て食事に行きました。
昨日は、居酒屋に行ったので、今日は食事を主にしようと考え、掛川駅構内にある食事処に入りました。
扉を開けて中に入ると、女性ウェータが指示した席に座って、注文取りに来るのを待っていたのですが、待てどもフンでもなければスンでもないので、そのまま何も云わずに店を出ました。
何処にしようかと考え、ホテルでもらったチラシに書いてあった店に行ってみようと決め、その店に向かいました。
《キッチン大衆》
その店は駅の近くにある「キッチン大衆」という店で、女将さんが一人で切り盛りしていました。
店には、先客が1人おり、私達が二番目の客でした。
まずビール(瓶ビールのみ)を注文し、女将さんが奨めた牛筋を注文し、Yumiさんにはてんぷら定食+おでんを注文しました。
その他に単品を幾つかを注文し、最後に焼きそばを頼みました。
Yumiさんは生ビールを全部飲み、お茶を出してもらい、私はビールの他に焼酎を飲み、満腹感を感じて帰りました。
この店は、この場所で長年営業しているため、いろいろな話しを聞かせて頂きました。
家族的な雰囲気の中、和やかなひと時をすごすことができ、帰りには女将さんがYumiさんを抱きしめて何か話していました。
また、掛川に来た時は、立ち寄りたいと思います。
結果論ですが、最初に入った店で食べなくて良かったと思いました。
ほろ酔いで外にでましたが、途中の寒さで、ホテルに戻るころにはほろ酔いは無くなっていました。
部屋に戻り、夜の点眼(2種)、シャワー、血圧測定など、日々行わなければならないことを全て行い、翌日のモーニングコールの予約をしてベッドに入りました。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。

旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/  
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/