【天候】晴れ
【宿場】(23)島田宿⇒(24)金谷宿
【行程】歩行距離=5.47㎞ 総距離=216.16㎞

島田・本通り2丁目交差点⇒(5.47㎞)⇒051金谷一里塚

【ルート図】
 ↓
宿場(黒囲みが第14回旅の宿場)
09 14回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
 
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間 )
全体 第14回
 第14回の旅のルート
 
(島田駅本通り2丁目交差点⇒051金谷一里塚跡)
第14回ルート
【再訪】
 夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
  〔※①〕=平成26(2014)年 9月13日

【旧東海道の旅】

《序章》
今回の旅は、3連休を利用して3日間歩くことにしました。
初日の今日は、大井川を渡って金谷までの約6㎞と少なくし、残りの時間は掛川に移動してレンタサイクルを借り、掛川城を観光することにしました。
Yumiさんが認知症を発症してからは蓼科の山荘を除いて、旅館やホテルに2泊する旅行をしたことがないので、体力的にどうなのか、病気は大丈夫かと不安なことが多々ありますが決行することにしました。
《準備》

今回は同じホテル(東横イン・掛川新幹線南口)に二泊するので、ホテルで1回洗濯することにして着替えの持ち物を少なくし、洗濯物を干す携帯用ハンガー(靴下と下着用)を持参し、残りはホテルのハンガーで対応することにしました。
また、2日目の金谷宿~小夜中山~日坂宿は、コンビニや食事をする店舗がないようなので、山行の時と同じように昼食を持参する必要があり、お湯を入れるテルモスを持参することにし、その他の荷物は前回と同じ物を準備しました。
《移動》
4時30分、起床
目覚ましの音楽で目覚め、身支度を整えながらYumiさんの両足の膝の両側に、認知症の主治医に処方して頂いたシップ薬を貼りました。
これは、明日の小夜の中山越えを考えて山歩きウォーキングで試した結果、効果があると思えたので今日から貼ることにしました。
着替えを終え、朝食、トイレなどを済ませ準備万端(この時は高度計をしていないことに気が付いていません)整えて家を出発し、まだ氷点下の厳しい寒さの中、自転車で最寄り駅に向かいました。
〔忘れもの〕
準備万端整えて家を出発したと思っていたのですが、最寄り駅に着くと山歩き用に購入し、毎回使用している高度計時計を手首にはめていないことに気が付きました。
Yumiさんは「私の時計を使えばと」優しく云ってくれましたが、3日間のことを考えると時計は必要と判断し、急いで往復すればなんとか間に合うだろうと思い、Yumiさんに「家に帰ってくるから、お父さんが戻るまてでここを動かないでね」と話し、Yumiさんがこの場所から動かないことを心に念じながら家に戻りました。
家に戻り、忘れた高度計時計を取って全速力で自転車を走らせて駅に戻ると、Yumiさんは私に云われたとおり動くことなく同じ場所で待っていてくれたので、まずはひと安心しました。
さて、電車ですが、改札を入ったところで乗る予定にしていた電車は発車してしまい、予定していた新幹線には間に合わなくなり、東京駅8時03分発の新幹線ひかり号に乗ることになりました。
東京駅新幹線ホームに着き自由席5号車の乗車口に並ぶと、4人の人が並んでおり(入線5分前)、5~6番目の私達は楽々と二人席に座ることができました。
8時03分、東京駅発
新幹線の車内は、品川、新横浜と徐々に混雑し、5号車はほぼ満席の状態で静岡駅に到着しました。
なお、今日の富士山は雲が掛かっていて上部は見えませんでしたので、写真は撮りませんでした。
また、乗降駅の階段に近い自由席車両は混雑することが分かったので、今後の自由席(指定席料金を節約するため)に乗車する時の参考になりました。
静岡で新幹線を降り、島田に行くため在来線ホームに行きましたが、在来線は車両が短く(3~5両)、どの位置にドアの部分が停まるのかが分からないので、ホームに並んでいる人に聞いて電車を待っていました。
01 静岡駅・在来線ホーム
9時22分、静岡駅発

電車は座ることができ、前回の旅で歩いた場所を思い出しながら車窓からの景色を楽しんでいましたが、Yumiさんは何を考えて乗っていたのかは分かりません。
9時50分、島田駅着
島田駅では出発地点に行く前に、駅に隣接している駐輪場に行きました。
理由は、4月に蓬莱橋を観光する予定にしており、その時に借りるレンタサイクルについて事前情報を得るためです。
係員の人に借り方などを教えて頂くとともに、蓬莱橋のことを聞くとパンフレットを持ってきて「今日は行かないのですか」と聞かれたので、「まだ寒いので、温かくなった桜の時期にまた来ます」と答え、親切な対応にお礼を云って失礼しました。
次に、創業290年の老舗の清水屋に立ち寄り、名物の小饅頭を今日のおやつとして仕入れました。
 ※清水屋
02-1 島田・清水屋
 清水屋名物・小饅頭
02-2 清水屋・小饅頭
計画した新幹線(品川発7時34分のこだま号)だと、店舗の開店時間よりかなり早い時間に着いてしまうため、買うことが出来なかったということが分かり、高度計を忘れ家の往復でひと汗かきましたが、結果として良かったという気持ちになりました。
そして、この清水屋の2軒先が、今日の出発地となる本通り2丁目交差点です。
【=旅=】
10時00分、本通り2丁目交差点発(出発地)
03 島田・本通り交差点(出発地)
前回の到着した付近で、Yumiさんに看板を掲げてもらい、出発式(撮影)を行いました。
出発式の後、最初に道路の反対側に建っている芭蕉の句碑に立ち寄りました。
10時02分、芭蕉句碑
04 島田・芭蕉句碑
そして約100m先の駅西通りを渡った先の右側に帯祭りで有名な大井神社があり、石の太鼓橋と平橋が境内入口にあり、平橋を渡って境内に入りました。
10時06分、太鼓橋と平橋
05 大井神社・石の太鼓橋と平橋
10時06分~10時16分、大井神社
静寂な境内を歩き、拝殿に参拝し、Yumiさんの病気平癒(意味認知症と緑内障)と今回の旅の安全を祈願しました。
 大井神社・拝殿
07 大井神社・本殿
境内には島田名物の帯まつりの人形模型があり、「Yumiさん、ここに立って」と顔が見えるようにしてもらうと、「撮るの」と云いいながら人形模型の後ろに立って顔を出してもらいました。
 ※帯踊り人形
06 大井神社境内
今年の10月初旬に開催されるので、時間があったら立ち寄ってみようかなと思います。
気温は、朝の氷点下の状態からかなり上昇してきており、Yumiさんの首筋を触ると汗をかいていたので、寒くなったらまた着るからと説明しフリースを脱いでもらいました。
大井神社を後にして、島田酒販の先の右側に、時の鐘(今は除夜の鐘の時だけ)の梵鐘がある大善寺に立ち寄りました。
10時22分、大善寺・時の鐘(後方の櫓)
09-1 大善寺と鐘
時の鐘を告げた梵鐘は、境内の奥に吊るされていました。
大善寺を出て交差点(大善寺前)を渡ると、右前方の山の斜面に「茶」の樹文字が見えてきました。
「茶」の文字は、粟ケ岳(標高532m)山頂付近の斜面に、ヒノキを茶文字に植林して作られているようで、茶の木でないのが残念ですが、ヒノキは高木の常緑・針葉樹で一年を通して緑で、高木ということから選ばれたのでしょう。
街道は、特種東海製紙工場に沿って歩くと、信号の先に大井川川越遺跡を示す標識が掲げられているところで、分岐しています。
10時31分、道標
10 藤枝宿・金谷宿境標
分岐を左に進み少し行くと、江戸時代の屋号を掲げた家が立ち並び始めました。
10時36分~10時47分、大井川川越遺跡
 ※塚本家(右側)
11-1 大井川川越遺跡・塚本家
上段の間(他の部屋より20㎝高くなっている)が現存している家です。
 ※十番宿跡(右側)
12 十番宿跡
※①=十番宿・宿内(右側)
022 十番宿・内部
反対側のお土産屋の男の人が「撮りましょう」と声を掛けて下さいましたので、当時の人足を模した人形を入れて撮ることをお願いしたらYumiさんに「怖いから嫌だ」と云われてしまい、人形のいない場所に移動して撮って頂きましたが、男の人は苦笑いしていました(お土産を買わなくてすいませんでした)。
 ※札場跡(左側)
14 札場跡
※①=仲間の宿(左側)
019 仲間の宿・全景
 ※川会所跡(右側)
13-1 川会所跡
 ※復元・川会所跡(右側)

16 -1 川会所復元建物
 ※復元・川会所跡・室内
16-3 川会所復元建物内部
 ※大井川川越遺跡碑(川会所敷地内)
15 大井川川越遺跡碑
旧青年男女が階段に座り、陽だまりの井戸端会議を楽しんでおり、復元川会所跡の隣りに島田大堤跡がありました。
※①=島田大堤(右側)
023 島田大堤
島田大堤は、慶長の大洪水で大井川の堤防が決壊したために作られたもので、それ以降は大井川が氾濫することはなくなったそうです。
島田大堤から数十m先の左側に、朝顔の松公園がありました。
10時48分、朝顔の松(左側)

17-1 朝顔の松
朝顔の松公園の中に、柵で囲われ解説パネル付きで大切に保存されていました。
そして、公園の前に島田市博物館があったので、立ち寄りました。
10時50分~11時05分、島田市博物館(右側)
18-1 島田市博物館
島田市観光課から資料を送付頂いた中に、博物館の割引券(2割引き)が同封されていたので、今回使わせて頂きました。
博物館は、1階が川越遺跡の展示、2階は絵画展が開催されていましたが、ゆっくりと観る時間がなかったので、15分程で館外に出ました。
Yumiさんは展示物にはまったく興味を示すことなく、トイレを済ますと帰るモードになっていました。
絵画を見るのが好きだったYumiさんだったのですが、・・・寂しい限りです。
博物館を出ると、目の前は大井川の土手です。
 ※大井川河川敷き(左側)・・・この後、後方の大井川鉄橋を渡ります

19 大井川の眺め
※①=大井川鉄橋の眺め
026 大井川鉄橋
広々とした河川敷や遠くの山々を眺めながら土手上の道路を歩き、大井川橋東交差点に着きました。
11時14分、大井川橋東交差点
富士川より長い大井川橋を渡る前に記念撮影し、東海道屈指の難所とされ「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠われた大井川を渡り始めました。

20-1 大井川・鉄橋
橋の上から見る大井川は、上流のダムで堰き止められているため、細々と流れているという印象で、右に国道1号線、新東名高速、左に東海道線、新幹線を眺めながら、私の数メートル後ろをYumiさんが歩きました。
長い橋の中程で写真を撮ったりしながら、昔は川の中を歩いて渡った難所の大井川を、現代は歩いて渡りました。
21-1 大井川・中間点
11時27分、東町交差点(大井川橋西側)
大井川橋を渡った交差点を左折して土手道を歩きながら東の方を見ると、真っ白な富士山がちょこんと顔を出していました。
大井川橋の後方に富士山(白丸)
22-3 大井川と富士山
街道は、土手道を少し歩くと右側に旧東海道を示す看板があり、それに沿って右折して土手下に出ました。
土手下の道を少し歩いた処の八軒屋橋から金谷側の川越しだそうですが、案内絵図があるだけで、島田の川越遺跡に比べ、金谷の川越遺跡はあまり整備されていないようです。
11時33分、金谷宿川越し場跡(左側)
23-1 金谷宿・大井川川越遺跡
街道をそのまま真っ直ぐ進むと、大井川鉄道の踏切があり、蒸気機関車の始発駅である新金谷駅が100mくらい先に見えました。
11時38分、新金谷駅前
24 新金谷駅舎
新金谷駅前に「金谷川越し資料館」があるということなので、街道を左折して新金谷駅前に行き、辺りを見渡しましたが、資料館の看板は見付かりませんでした。
そして、駅に目を向けるとSLが止まっていたので撮りに行くと、近くで写真を撮るのでしたら入場券を買って下さいと云われました。
改札からでも写せるかなと思いながらSLを見ると、人が乗り込んでいる途中です。
駅員に発車時間を聞くと「45分です」と云われ、時計を見ると11時40分、あと5分で出発です。
Yumiさんに早くおいでと急き立てて、先ほど渡った踏切手前の線路脇に行き、そこでSLが通るのを待つことにしました。
 ※近づく蒸気機関車
27-2 近づく蒸気機関車
 ※通り過ぎる蒸気機関車
27-3 通り過ぎる蒸気機関車
SLは、観光バスの遅れから約5分ほど遅れて走り出し、今日最後のSL運行を偶然の巡り合わせで見ることができました。
《昼食・その1》
さて、時間も昼になり、当初は菜めし田楽(大根の葉を混ぜたご飯)のよし善で食べる予定にしていたのですが、SLを見た辺りに住む旧乙女に聞くと、良い返事をしないで別の店を教えてくれたので、そちらに行くことにしました。
教えられた店に行くと、男性2人と3人組の2組が先客としていました。
店に入りましたが、店の女将は知人らしき3人組との個人的な会話が忙しく、こちらのことはお構いなし。
しばらく待ちましたが、先客の3人組と会話はするのですが、こちらには何の声もかけてこないので、「注文は」と調理場に声を掛けると、やっとおしぼりが出され「時間が掛かりますけど」と、食べなくても結構との態度に、他で食べようと店を出ました。実に気分の悪い店でした。
《昼食・その2》
新金谷の街道沿いには食事処がなく、金谷の街に入りました。
金谷の街は、人通りがほとんどない静寂そのものので、緩い上り坂になっていました。
食事処を探して歩いたのですが、店舗がありません。
とうとう今日の到着地の金谷駅の近くまで来た時、スナック憩の入口に食事の案内看板が見えたので、ここで食べることにしました。
《昼食》
12時17分、スナック憩(左側)着
28 金谷宿・スナック憩
 E=食事できますか?
 店主(美人女将)=できますよ
 E=(Yumiさんに確認して)とんかつ定食を2つ
 店主=今日はどちらまで
 E=金谷駅までです
 (食べながら)
 E=新金谷駅でSLを見てきました
 店主=SLが新金谷発になって、金谷は寂れました。人が歩いていないでしょう
 E=いないですね
   それと食事する処がなくて困りました
 店主=金谷で食べられる処は、ここともう少し下の店の2軒だけよ。他は全部やっていない。
 E=そうですか。ところで本陣はこの先ですか?
 店主=もう通り越していますよ。2~3分坂を下った(戻った)ところにありますよ
 E=え、そうなんですか。食べる処を探していて、見落としていました。ありがとうございます
とお礼を云って、店を出ました。
12時48分、スナック憩発
地図の書き込んだ史跡の場所が間違っていたため、4分ほど後戻りして山田屋本陣跡に行きました。
12時52分、山田屋本陣跡(右側)
29-1 山田屋本陣跡
山田屋本陣と柏屋本陣の間に佐塚書店(佐塚本陣跡)がありましたが、史跡の案内標識はありませんでした。
そして、金谷駅に向かって直ぐのバス停の前に、柏屋本陣跡がありました。
12時55分、柏屋本陣跡
(右側)
30-1 柏屋本陣跡
柏屋本陣跡から少し坂を登ると食事をしたスナックの道路真向いに役所跡がありました。
12時58分、お七里役所跡
(右側
31-1 お七里役所跡
昼食を摂ったスナック憩で教えて頂かなかったら、そのまま見落としたままで終わるところでした。
金谷の坂をさらに数分上ると街道が左折する角に、一里塚の看板が建っていました。
13時02分、051金谷一里塚跡(到着地)
33-1 金谷一里塚(到着地)
今日は、ここが到着地です。
到着の写真を撮って終了しました(この時は到着式の看板なしで写真を撮ってしまい、翌日の出発の時に看板を掲げて撮りました)
【移動】

一里塚から金谷駅までは直ぐでしたが、大井川鉄道の金谷駅の駅舎に入ってしまい、駅舎の売店の方に教えて頂き乗車するJRの金谷駅に行きました。
13時05分、金谷駅着
34 金谷駅
ジバングで購入した切符は磐田まで購入してあるので、その切符で改札を通り掛川方面に行く反対側に、地下道を潜って移動しました。
掛川方面のホームに着いた時、到着式の看板を掲げた写真を撮っていないことに気が付きましたが、戻る時間がないので明日の朝、一里塚を出発する時に改めて撮ることにしました。
13時13分、金谷駅発
電車は3分程遅れて到着し、掛川に向かいました。
掛川までは2駅ですが、駅間の距離が長く14分です。
13時30分、掛川駅着
掛川駅新幹線南口を出て、レンタサイクルを事前に予約しておいた「サイクルランドちゃりんこ」に行きました。
【観光】
《レンタサイクル》
13時36分、サイクルランドちゃりんこ着
44-1 レンタサイクル
名前を告げると自転車は用意されていて、代金を支払い自転車を借りました。
料金は1台・500円で、貸し出し時に1,000円支払い、返した時に500円戻るとのことでしたが、最初に1,000円の支払いでした。
このお店は、スポーツサイクルが主体のため、ママちゃりタイプの自転車は、予約した時に1台しかないと云われ、後はスポーツタイプになるとのことでしたが、私が乗るスポーツタイプも一本ハンドルの普通の自転車を用意してくれました。
自転車の荷台の籠にザックを入れようとしましたが入らないので、背中に背負って走ることになり、サドルの高さを調整して出発しました。
13時42分、サイクルランドちゃりんこ発
《掛川城》
掛川の道は初めてです。
店舗を出て直ぐに、JRのガードを潜るアップダウンがあり、Yumiさんの安全を確認しながらゆっくりと走りました。
お城までの道は、クランク形に走るだけの分かりやすい道でしたので、地図に気を取られることなく走ることができました。
13時53分~14時56分、掛川城見学
掛川城の手前でトイレを済ませ、入口の階段脇に自転車を停め、入場(@400円)しました。
35-5 掛川城
  ※武者姿武士
36-2 武士と一緒
白壁の城に天守閣の綺麗なお城で、ボランティアの武士装束や忍者装束の人がおり、目を楽しませくれました。
また、城内に入り、狭い急階段を上って天守閣まで行き、遠くの景色を眺めました。
 ※天守閣
37-1 天守閣
37-3 掛川城・天守閣
 ※御書院上の間
42-2 御書院・上の間
 ※天主丸・霧吹き井戸
38-1 天守丸・霧吹き井戸
 ※腰曲輪跡
40 腰曲輪跡
 ※山内一豊具足
41-1 山内一豊具足
 ※掛川城御殿跡
43 掛川城・御殿
その後、城の隣にある御殿に行き、江戸時代の階級別の部屋を見学し、城の庭で清水屋で買った「小饅頭」を食べ、陽だまりの中、小饅頭と持参したボトルのお湯で、のんびり過ごしました。
ひと休みした後、掛川城を出て、サイクルランドちゃりんこに戻り、自転車を返却しました。
15時03分、サイクルランドちゃりんこ着
【ホテル】
サイクルランドちゃりんこからホテルの東横INNまでは、10分程度の一本道で、ゆっくりと歩きホテルに到着しました。
ホテルは15時からチェックインできるようにしておいたので、チェックインを済ませて部屋に入り夕食までの間、デジカメの充電、血圧・目薬・服用薬等の準備、明日の着替えの準備などを行い、その後はベッドに寝転んで体を休めました。
《介護用ルーム》
ホテルはツインルームで予約したのですが、途中で車いす利用者向けの部屋があることを知り、電話でYumiさんの状況を話すと、「OK」との返事を頂きお願いしました。
車いすは使用していないので、介護保険証(要介護2)の写しを持参し、フロントの方に提示して確認して頂きました。
部屋はトイレも浴室も車椅子が入れるようにできており、Yumiさんを介護するにはとても便利でした。
私は、車椅子は利用していませんが、Yumiさんの入浴介助を考えるとこの部屋を利用させて頂く必要があると判断し、予約する時に利用のお願いをさせて頂こうと思いました。
【夕食】

食事は、ホテルの近くに食事処がないので、掛川駅北口(ホテルは南口)の飲食街に行きました。
最初に入った居酒屋は、女性十数名の予約客が店の真ん中を占領するようにセットされ、この後の騒音を考えるととても寛げないと思い、店の方にお詫びして店を出ました。
特に決めている店はなく、駅から離れるのも嫌ということで、一番身近な駅前の「甚八・駅前店」に入りカウンター席に座りました。
46-1 居酒屋・甚八駅前店
 ※甚八駅前店の箸置き
46-3 居酒屋・甚八駅前店の箸置き
まず、中生ビールを注文し、Yumiさんと今日の無事を祝して乾杯しました。
この後、焼き鳥、盛り合わせ刺身等々を食しながら、焼酎も飲み腹を満たしました。
また、Yumiさんも注文した中生ビールを一杯、一人で飲み干しました。
最近、飲む機会が増えているので、飲めるようになってきたようです。
この店でYumiさんの隣に座った男性客が歴史資料を見ながら飲んでいました。
この時は知るよしもありませんでしたが、翌日、日坂宿の入口でバッタリと出会うことになるのです。
夕食後、ホテルに戻り、服薬、点眼(2種)、血圧測定を行ってからシャワーを浴び、今日の汗を流しました。
シャワーの後、明後日(11日)に履く靴下(2枚重ねの内側)と下着類を手洗いで洗濯し、持参したハンガーとホテルのハンガーに掛けて干し、それから就寝しました。

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【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。

旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/  
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/