【天候】曇り(旅の後、雨)
【宿場】(13)原宿⇒(14)吉原宿⇒(15)蒲原宿
【行程】歩行距離=18.56㎞ 総距離=152.41㎞

東田子の浦駅前交差点⇒(0.70㎞)⇒032沼田新田一里塚⇒(4.476㎞)⇒
033依田橋一里塚⇒(5.114㎞)⇒034本市場一里塚⇒(4.204㎞)⇒035岩渕一里塚⇒(3.294㎞)⇒
036蒲原一里塚⇒(0.77)⇒新蒲原・五十嵐商店角
【ルート図】
 ↓
宿場(黒囲みが第9回旅の宿場)
11 9回宿場
 ↓旧東海道の旅・進捗状況
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第9回)
 第9回の旅ルート
 (東田子の浦駅前交差点 ⇒ 新蒲原・五十嵐商店角)
第9回ルート
【旧東海道の旅】
《ホテル》
6時にモーニングコールをセットしておいたのですが、いつもと同じ起きる時間(5時5分)に目を覚ましてしまいそのままベッドで横になっていましたが、「寝ていてもしょうがない」と思い、「Yumiさん起きるよ」と声を掛けて5時30分にベッドから出ました。
私の疲れはかなり回復しているように感じましたが、Yumiさんはお疲れ気味のようです。
Yumiさんの体調も大切なのですが、同じくらい気になるのは天気です。
カーテンを開けて外を見ると曇り空で、どんよりした暗い感じではなく明るい感じがします。
しかし、テレビの天気予報は、午前は曇り、午後から雨模様と、昨日の夜の予報と同じです。
洗顔&髭剃り後、持参した下着と靴下を新しくし、Yumiさんの身支度を整え、ザッグの荷造りを行い出掛けられる状態にし、7時前にホテル提供の朝食を食べに行きました。
ホテル提供の朝食はバイキング形式のため、Yumiさんに取り皿を渡し、自分で食べたいと思うものを取ってもらうのですが、普通の人と違うのは自分で選べないので私と同じものを取ります。そのため、私もYumiさんが食べそうなものを選んで取ることになります。
Yumiさんを椅子に座らせ、服用薬の水やお茶を用意してから取り皿に盛った朝食を食べ、部屋に戻ってトイレを済ませ、ホテルをチェックアウトして沼津駅に向かいました。
07時18分、ホテルを出発
《移動》
07時32分、沼津発

沼津駅で東海道線に乗り、走る車窓から昨日歩いた街道を眺めていると、曇り空の中に一部が雲が掛かっている大きな富士山を間近に、そして綺麗に眺めることができました。
07時43分、東田子の浦駅着
【=旅=】

07時45分、東田子の浦駅前交差点(出発地)
01 東田子の浦駅入口(出発地)
東田子の浦駅の改札を出て、昨日の到着地である駅前交差点に立ち、出発の看板を掲げ写真を撮る出発式を行い、旅をスタートしました。
出発地の東田子の浦駅前交差点から約230m歩くと、左側に本陣の跡碑が建っていました。
07時51分、間宿・柏原本陣跡碑(左側)
02 間宿・柏原本陣跡碑
本陣跡碑の真向いに立円寺があり、塀の前に「望嶽の碑」が建っていました。
07時53分、望嶽の碑(右側
04 望嶽の碑
望嶽の碑から約60m歩くと柏原2丁目交差点があり、交差点の右側角に男女一対の小さな道祖神が祭ってありました。
07時54分、男女一対道祖神(右側)
06 男女一体の道祖神
とても愛くるしい道祖神で、記念に残しました。
道祖神から約350m歩いた先の広沼橋を渡った先の左側に、日本橋から32番目の一里塚跡があり標柱が建っていました。
07時59分、032沼田新田一里塚跡(左側)
08 032沼田新田一里塚跡碑
ここは富士山を眺望できるビューポイントと云われているところなのですが、冠雪部分が雲に覆われて眺めることは出来ませんでした。
 ※富士山ビューポイント(右側)
10 雲に隠れた富士山(一里塚の先)
富士山の眺望がダメだったこともあり、アスファルトの道を歩いても無味乾燥なので、左側の細い道を見ると千本松原の方に行けそうなので、左折して千本松原に向かいました。
千本松原の遊歩道を通り過ぎた先にコンクリートで覆われた土手(防波堤)があり、防波堤に出ると駿河湾の眺望が楽しめるのですが、昨日歩いて眺望を楽しんでいるため、千本松原の遊歩道を歩きました。
 ※千本松原の道
11 千本松原
また、千本松原の道に入ったところで、Yumiさんに「温かくなったからダウンジャケットを脱ごう」と話し、脱いでもらいました。
Yumiさんはいつもと同じように「寒い、寒い」と云うのですが、ダウンは少し汗ばんでおり、「寒くなったらまた着るから」と云いながらザックに入れました(ダウンは新蒲原で今日の旅が終わるまで、Yumiさんから要求されなかったので、着ませんでした)。
千本松原の道の方が旅をしている気分になれるので歩き続けたかったのですが、道が行き止まりみたいになりそのまま道なりに進むと、富士マリンプールの手前の旧街道に出ました(千本松原はまだ続いていたので、途中の分岐を間違えたみたいです)。
約200m歩くと「檜」信号があり、県道380号と県道170号が分岐し、旧街道は左側に進む県道170号を歩きます。
県道170号を歩き始めて直ぐ、左側に富士マリンプールがあり、今日はプールで催し物があるみたいで駐車場等の案内をしているいました。
プール入口から約450m歩くと、右側に
大石石材工業があり、店舗前にドラえもん、ピカチューなどの石像が展示されており、何とも和やかな気持ちになりました。
08時24分、大石石材工業(石像)=右側
12 ドラえもん像(大石石材工業)
石材店から約800m歩くと、日本三大だるま市(1月7日~9日)で有名な、妙法寺・毘沙門天があり立ち寄りました。
08時40分、妙法寺・毘沙門天
(左側)
13 妙法寺毘沙門天
階段を上がって境内を通り本堂でお賽銭を奉納し、Yumiさんと一緒に「Yumiさんの意味認知症の完治と今日の到着までの天候」をご祈願しました。
また、寺院にはネパール式目玉塔の地下に150mの洞窟があり、七福神の像や中国陶器、絵画が飾られているそうですが、立ち寄りませんでした。
寺院から約160m歩くと左側にスズキコーポレーションがあり、富士山のビューポイントというので右側にそびえる富士山を眺めましたが、残念ながらここでも富士山を眺めることは叶いませんでした。
08時56分、スズキコーポレーション前(左側)
16 見えない富士山(スズキコーポレーション前)
スズキコーポレーションから約400m歩くと(東海道線と並行)三叉路の分岐となり、右側の「いとう」に沿って右折して約40m進むとJR吉原駅の手前の踏切を渡りました。
08時49分、東海道線踏切
踏切を渡り旧街道を道なりに進み、約350m歩くと「吉原駅北口信号」があり、さらに約150m先の河合橋を渡ります。
河合橋を渡ったところから県道が171号となり大昭和製紙吉原工場に沿って約100m歩いたところの分岐(右側に鈴与富士支店)を左折し、約300m歩くと吉原駅入口交差点となり、ここから国道139号を約170m歩き、富士由比バイパス・新幹線の手前(右側にHonda Cars 富士東)を分岐する県道171号を右進み、バイパスと新幹線ガードを潜り、約350m歩くと左側に左富士神社がありました。
09時08分、左冨士神社(左側)
19 左富士神社
なお、新幹線のガードを過ぎたあたりから左冨士神社の付近に、日本橋から33番目の033依田橋一里塚があったということが資料に記されていたので、左右をキョロキョロ
探しながら歩きましたが、私の目では一里塚跡を見付けることはできませんでした。
一里塚跡を探しながら歩いていると左側に左富士神社がありましたが、神社に参拝することなく境内入口で写真だけ撮って、富士山が進行方向左側に見える「左富士公園」に向かいました。
09時11分、左冨士公園手前の交差点
21 左富士公園の手前からの富士山
富士山は信号機の赤のところに下の方だけしか見えませんでしたが、公園の松(信号右横)の右側が旧東海道なので、進行左側に富士山が見える「左富士」になっていました。
また、交差点に左冨士の解説が記されていました。
 ※左冨士・解説(左側)
22 左富士の解説
09時12分、左富士公園(右側)
25 左富士公園
出発してから約1時間30分が経過し休憩も取っていなかったので、近くの自販機でペットボトルを買って、公園のベンチに座り一服休憩をしました。
公園から道なりに約500m歩くと、右側の新橋製紙を越えたところで分岐し、左方向に進むと平家越橋手前の右側に「平家越しの碑」が建っていました。
09時23分、平家越しの碑(右側)
26 平家越し碑
平家越橋を渡り約450m歩くと(次の信号の先)、右側に東木戸跡碑が建っていました。
09時30分、東木戸跡碑(右側)
29 吉原宿・東木戸跡碑
東木戸跡碑の道路向かい側に蕎麦「てんのぶ」があり、時間によっては食べようと考えていましたが、昼には早過ぎるのと、開店前だったので通過しました。
また、私とYumiさんは、ホテルを出発してからトイレに行ってないので、トイレを探しながら歩きました。
ところが、借りようと思ったガソリンスタンドは休みだったり、小スーパーにはトイレがないようでしたので、東木戸跡碑を記録に残し約160m先の吉原本町駅に向かいました。
吉原本町駅の駅員さんに「すいません、トイレを貸していただけないでしょうか」とお願いすると、「いいですよ」と気持ち良く貸して下さいました。
私とYumiさんは、すっきりして親切な駅員にお礼を云って、先に進みました。
吉原本町駅の踏切を渡って道なりに歩くと、旧街道の両側に多くの商店が立ち並んでいましたが、日曜日の朝ということで人通りはほとんどありませんでした。
また、野口脇本陣(現野口カメラ店)や杉山脇本陣(現おもちゃのキムラ)で本陣の跡碑を探しながら歩きましたが、標柱などの案内を見付けることができず、寂しい感じがしました。
吉原本町の踏切から約550m歩くと、商店街の終わりに近い左側に創業350年の鯛屋旅館があり、入口に本陣跡碑が建っていました。
09時45分、鯛屋旅館(本陣跡)=左側
31 吉原本陣跡(鯛屋)
鯛屋旅館を過ぎ約120m歩くと中央駅交差点を静岡銀行に沿って左折し、さらに約160m先の十字路(右前方角に和田屋)を右折、そして約400m歩くと志軒橋があり、橋の手前右側に西木戸跡碑の標柱が建っていました。
09時54分、西木戸跡碑(右側)
34 吉原宿・西木戸跡碑
志軒橋を渡り、錦町北信号で国道139号に合流し、一つ先の錦町交差点で斜め前方の吉田写真館の前を通ります。
錦町交差点は、国道139号と青葉通りが交差しているので、信号状態で両方を渡り、斜め前方に進みます。
錦町交差点を渡った角に、東海道跡の碑が建っていました。

09時58分、東海道跡の碑
35 旧東海道跡碑
吉田写真館前から約550m歩くと、高島交差点に出ます。
《街道を間違え迷子になりました》
旧街道は、かっぱ寿司を右に見ながら交差点を渡り、
 ●大村ハイツの約180m先を右折
 ●約100m先の十字路(右角にMDマンション)を左折
して冨安橋を渡ります。
ところが、高島交差点でかっぱ寿司に沿って港大通り方向に右折してしまったため、全然方向違いの方に向かってしまい、自分がどこにいるのか分からなくなり(迷子になった地点の地図を持っていなかった)、迷子になってしまいました。
ウロウロ探しながら歩いている時、たまたま通りかかった地元の若夫婦に持参している地図を見せると、富士市役所の近く(先ほどの東海道跡の碑の近く)に戻っていることを教えて下さり、男性が「私が分かるところまで連れて行ってあげましょう」と親切に道案内をして下さいました。
私は教えて頂いた場所の地図を見ながら、間違った高島交差点には戻らず、富士市立中央病院前を通り、富安橋で旧街道に合流することにしました。
15分ほどロスしましたが、親切な若夫婦のお蔭で、何とか正規のルートに戻れホッとしました。
10時24分、冨安橋
橋を渡り、信号「塔の木」、信号「総合庁舎北」など約1㎞歩くと、間宿碑が建っていました。
10時38分~42分、間宿碑(休憩)=左側
38 間宿・本市場跡
この頃になると雲はさらに多くなり、富士山の眺望はとても無理な状況になっていました。
間宿碑の近くにベンチがあったので、カメラをセルフタイマーにセットして一緒の写真を撮り、一服休憩をしました。
一服休憩の後、歩き始めると直ぐ(約80m)、民家の前に鶴芝の碑が建っていました。
10時43分、鶴芝の碑(左側)
39 鶴芝の碑
約20m先の小橋を渡り、さらに約180m歩くと県道396号の交差点になります。
交差点はコの字に渡って左方向に進まなければ違反なのですが、左右の車の状況を確認し、信号待ちの間を利用して横切ってしまいました。
県道396号を横切って約160m歩くと、左側に日本橋から34番目の一里塚跡があり石碑が建っていました。
10時49分、034本市場一里塚跡碑=白丸(左側)
44 034本市場一里塚全景
一里塚碑の周りは、手入れが行き届いた花壇になっており、写真は撮り方が下手なので花が綺麗に写っていませんが、実際はとても綺麗でした。
一里塚跡から約650m歩くと、小橋を渡った左側に平垣町公会堂があり、その脇に「札の辻跡碑」が建っていました。
11時00分、札の辻跡碑(左側)

45 札の辻跡碑
札の辻跡から約750m歩くと県道396号に合流し、県道を約80m進むとJR身延線のガードがあり、潜ると柚木駅前にです。
私は、「ここで今日の歩きをやめようかな」と思いましたが、雨がまだ降ってきていなかったので、雨が降らないことを祈りつつ旅を続けることにしました。
柚木駅前から約160m歩くと橋下交差点があり、県道396号をそのまま約150m進むと、右に細い道のある分岐となり、分岐点に道標と常夜燈が建っていました。
11時16分、柚ノ木・道標と常夜燈(分岐点)
47 道標・常夜燈
旧街道は分岐を右に進み、約100m先の小橋を渡り、同じ太さの道を蛇行する感じで約350m歩くと、また県道396号に合流します。
県道396号を約550m歩くと右側に水ジン公会堂があり、その隣りに水神社が祀られており、神社の参道入り口右側に渡船場跡碑と秋葉常夜燈が建っていました。
11時27分、富士川渡船場跡(右側)
48 富士川渡船場跡碑
静岡県に入って最初の大きな川幅がある「富士川」を渡ります。
富士川橋は、
大正13年(1924年)に完成した鉄橋(トラス6連橋)で、橋長が399mです。
11時29分、富士川橋東

49 富士川橋(東)
11時31分、富士川橋の中間付近
52 富士川橋からの富士山眺望
この橋は富士山のビューポイントの場所で、右手後方に雄大な富士山が見えるはずなのですが、今日はあいにくの天気で残念ながら富士山の一部(冠雪部分は見えません)しか眺めることができませんでした。
私は富士山の一部が見えるので写真を撮りましたが、Yumiさんに私の写真を撮ってもらったら、富士山が入らない状態で撮ったので、「あの山(富士山を指差して)を入れて撮って!!」ともう一度撮り直してもらいました。
富士川橋のあたりから見える雲はどんよりとした雲で、いつ雨が降ってきてもおかしくない状況になっていましたので、少し苛ついて強い云い方をしてしまいました。
今日の行程で旅を途中で止める時は、柚木駅か富士川駅に近い所と考えていたので、新蒲原駅まで行かないで富士川駅で終わらせようかとどうか考えながら歩いていました。
富士川橋を渡った富士川橋西交差点を川に沿って右折し、クリーニング店を回り込む形で歩き、上り坂の道を息を弾ませながらクランク形になった道を歩いていると
、道路側溝のグレーチング(鋼製網目ふた)にパネル
が埋め込まれていることに気が付きました。
 ※東海道ルネッサンスのグレーチング
55 岩淵の側溝蓋
グレーチングのふたを眺めながら歩いていると、右側に黒い門構えの小休本陣(常盤家)があり立ち寄りました。
旧東海道を歩いている中で、これほど立派な本陣跡は初めで、史跡としてぜひ後世まで残してほしいと思いました。
11時40分、小休本陣(常盤家)
56 小休本陣跡(常盤家)
案内の方が親切に説明して下さるのでゆっくりと聞きたかったのですが、雨が今にも降り出しそうな空模様だったので、説明書だけ頂き失礼させて頂きました。
今度、ゆっくりと立ち寄らせて頂きたいと思います。
また、案内の方が「女優の常盤貴子さんは、この常盤家の方です」と説明されていたのが印象に残りました。
本陣からそのまま真っ直ぐ約550m歩くと、右にカーブした十字路の手前の両側に、日本橋から35番目の一里塚があり当時の塚が現存されていました。
11時49分、035岩淵一里塚(左側)
61 035岩淵一里塚(左)
 岩淵一里塚(右側)
65 035岩淵一里塚(右)
一里塚は、塚が現存されていてとても立派なものでしたが、塚のある場所が真っ直ぐ歩いてきた道を少し左にカーブした辺りにあり、塚の先は変則的な交差点(往来する車は主に右折して走っていく)になっているなど、見通しの悪い場所にありました。
そのため、車の往来に気を付けながら左側の一里塚を撮影しましたが、右側は車道からでないと撮れないため危険なので、左側の一里塚の前から撮りました。
Yumiさんが私の写真を撮る時は、車の来ない時をねらってシャッターを押すのですが、車が来てしまったり、撮った写真が何処を撮ってるの状態で、それこそ大騒ぎになりました。
いやはや疲れます。
さて、旧街道は、右側の一里塚に沿って右折し、左側の小学校に沿って県道188号を進みました。
一里塚跡から約450m歩くと富士美台公民館が左側にあり、公民館から約120m先の左側に秋葉常夜燈が建っていました。
11時59分、秋葉常夜燈(左側)
67 秋葉常夜燈
秋葉常夜燈から約70m歩くと、右前方に防災倉庫のある十字路があり、十字路を右折しました。
記憶が定かでないのですが、「富士川駅まで〇〇m」と記された標識が建っていたように思います。
もし、右折しないで直進すると約90mで右側に郵便局があり、さらに約120m先の右に行ける道を歩くと旧街道に戻ります。
富士川駅は、十字路を曲がらずに真っ直ぐ進めばよいのですが、雨はまだ降ってきていませんでした。
私は、十字路の手前で、地元の方に新蒲原までの歩程時間を聞くと、「一時間あれば新蒲原に着く」とのこと。
Yumiさんは富士川駅に行きたそうでしたが、私は何とか新蒲原駅まで天気は持ちそうな予感がしたので、十字路を新蒲原方面に向けて右折しました。
12時00分、富士川駅・新蒲原駅分岐の十字路(右折)
新蒲原まで食べる処はないと聞いていたので、Yumiさんに「食べるのが少し遅くなるので、我慢してね」と話して歩き出すと、空腹にはつらい車坂の上り道となり、溜め息ともつかない息を吐きながら歩きました。
車坂の頂上付近はビューポイントと云われていますが、厚い雲に隠れて何も見えませんでした。
《どら焼き》
東名高速のガードを潜り、高速道路に沿って左折して約350m歩くと、左側に「ツル家菓子店(後で昼食に寄った旅籠で出会った女性2人組も、この菓子店で買ったとのこと)」があり、「何か食べられるものを買おう」と入店し、どら焼きを買い歩きながら食べて空腹をしのぎました。
菓子店から約300m歩くとY字路の分岐があり、どちらの道で進んでも新幹線のガードを潜った先で合流します(距離も変わらない)。
旧東海道は右の道を行くのですが、階段の上り、下りがあるので、私達はなだらかな坂道の左の道をいくことにしました。
なだらかな坂を下ると新幹線のガードとなり、ガードを潜ったところからなだらかな坂道を約180m歩くと右の道と合流し、そこから約50m先の右側に、明治天皇御駐輦之碑が民家の前に建っていました。
12時20分、明治天皇御駐輦之碑(右側)
68 明治天皇御駐輦之碑
旧街道は、ここから一段ときつい上り坂となり、上り切ったところ(明治天皇碑から約400m)にフェンスが建っており、その先の崖下に東名高速道路があり、高速道路を見下ろすように並行して約230m歩くと高速道路
を渡り歩く跨道橋が架かっていました。
12時28分、東名跨道橋(右=下り・名古屋方面、左=上り・東京方面)
70 東名跨道橋
東名高速は、日曜日の昼食時間帯なのか、とても空いていました。
跨道橋を渡ると、今度は蒲原に向けて遠くに駿河湾を眺めながら下り坂となりました。
 ※遠くに駿河湾(白丸)を眺めながらの下り坂
71 駿河湾を眺めながらの下り坂
遠くに見える駿河湾を眺めながら約400m下ると、左側に光蓮寺があり、大きな石板の墓が並んでいました。
下り坂は光蓮寺から約100m下るとT字路となり、T字路を右折して約120m歩いた右側の赤い鳥居が建っている脇に、日本橋から36番目の一里塚跡があり石碑が建っていました。
12時38分、036蒲原一里塚跡碑(右側)
72 036蒲原一里塚跡碑
一里塚跡から約160m歩くと諏訪神社上り口があり、その手前右側に蒲原宿の江戸口の入口だった東木戸跡と秋葉常夜燈がありました。
12時40分、蒲原宿・東木戸跡(右側)
74 蒲原宿・東木戸跡碑
 ※蒲原宿・秋葉常夜燈(右側)
75 秋葉常夜燈
諏訪神社は、下諏訪秋宮を年に数回参拝しているのでとても親しみがあり参拝したかったのですが、傾斜のきつい階段だったり、空腹だったりなどの屁理屈をつけ、神社の階段から眺めて通り過ぎました。
諏訪神社入口から約70m歩くと、右側に
日軽金の導水路がドカーンと設置されていました。
12時42分、日軽金の導水路(右側)
77 日軽金の導水路
導水路は遠くから見たことはありましたが、このように間近でみる機会はないので、眺めていました。
そして、導水路から約80m先の左側に、木屋江戸資料館がありました。
12時46分、木屋江戸資料館(左側)
79 木屋江戸資料館
資料館の周りを歩いてみたのですが、誰もいなかったので(昼休みだったのかな?)何も見ないで先に進みました。
今日の旅ももう少しで終わりです。
木屋江戸資料館から約270m歩くと、右側に出発前まで今日の旅の到着地として計画していた「ヘアサロンカンダ」があり、さらに約80m歩いた右側に、
なまこ壁と寄棟屋根の佐野家(しまづふとん店の手前)がありました。
12時51分、佐野家(なまこ壁・寄棟屋根)=右側
82 なまこ壁(佐野家)
佐野家の斜め前に橋があり、橋のたもとで到着式(到着の看板を掲げて写真を撮る)を行い、今日の旅を終わりました。
12時53分、新蒲原・五十嵐商店角(到着地)
84 新蒲原・五十嵐商店角(到着地)
昼食】
昼食を摂らずに(富士川橋から新蒲原まで食事する処がありませんでした)旅をして来たので、お腹がペコペコです。
二人ともお腹が空いてくると、夫婦間にただならぬ空気が漂ってきます。
そのため、険悪にならない前に何処か食べられるところがないかと探すと、到着地の少し先の右側にある江戸時代の「旅籠・和泉屋」、現在のお休み処「和泉屋」で食べられることが分かり、昼食を食べることにしました。
12時56分~13時31分 昼食(和泉屋)=右側
86 旅籠跡・お休み処
店に入ると、男の旅人さんが出掛けるところで、他に女性2人組の街道ウォーカーが先客としておりました。
食事は軽食しかないと云うので、「五目炒飯(500円)」を注文し待っていると、女将が「江戸時代の階段(急傾斜)を上がって二階もどうぞ」と云われたので、靴を脱いで落ちないように気を付けて二階を見に行ってきました。
 
※二階の客間
89 旅籠の二階
 ※階段(二階からの眺め)
88 旅籠の階段(二階から)の眺め
女性ウォーカー(2人)と挨拶しながら旅の話しをしていると、来る途中にツル家菓子店でどら焼きを買ったと聞き、「私達もそこでどら焼きを買って歩きながら食べてきたんですよ」と、思わぬ偶然に笑ってしまいました。
女性2人組は、次回以降のことを考えて由比宿まで歩くと云って、先に出掛けました。
昼食を食べていると、今度は親子4人連れ(子供は小学生高学年の男女)の街道ウォーカーが入ってきました。
話しでは、宮宿(近くに住んでいる)から日本橋を目指していて、宮宿から三条大橋は別途に計画するとのことでした。
食事の後、Yumiさんがトイレに行きたいというので連れて行くと、とうとう雨が降ってきました。
今日は、旅の間は傘を差さずに済んだので、「よかった」と思いながらザックから傘を出し和泉屋を後にしました。
【帰路】
お休み処和泉屋を出て到着地の橋に戻り、橋を渡ったところを川沿いに歩くと、右側に安藤広重の「夜の雪」碑があり立ち寄りました。
13時32分、夜の雪碑(右側)
90 広重「夜の雪」碑
新蒲原駅は、夜の雪碑から川沿いに歩き、県道396号を渡り、駅下のガードを潜った反対側に改札口がありました。
13時36分、新蒲原駅着
ジバングで事前に購入していた切符で改札を通り、東京方面のホームに行きました。
13時41分、新蒲原駅発

電車は3両編成で、そこそこ混んでおり、最初はYumiさんと別々のところに座り、途中から並んで座りました。
三島駅で熱海行きの電車に乗り換えましたが、吊り革を持つのがやっとというくらい混んでいてとても座れるような状態ではありませんでした。
熱海駅で始発電車に乗り換えたのですが、最初に並んだ位置がグリーン車のところだったので、急いで他の乗車口に行き移動して座り、途中で電車を乗り換え最寄り駅に帰ってきました。

17時30分、最寄り駅着

【次回の予定】
次回は、
 12月1日㊏:新蒲原駅・五十嵐商店角から新清水駅・水神社前=16.44㎞
 ●12月2日㊐:新清水駅・水神社前から静岡駅・江川町交差点=12.18㎞ 
を一泊二日で旅します。
この旅では、12月1日に由比宿から興津宿に行く途中に通る薩埵峠が一番の楽しみです。
薩埵峠は、安藤広重の浮世絵で有名な「富士山の眺望」が素晴らしい処です。
富士山が良く見える冬場に合せて旅の行程を調整した訳ではありませんが、丁度良い時期に巡りあわせとなり、眺望を楽しむことができるのではないかと期待しています。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールでお願いします。
  専用メール  

  eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/  
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/