【天候】曇り・晴れ
【宿場】(10)箱根宿⇒(11)三島宿
【行程】歩行距離=14.43㎞ 総距離=116.25㎞
箱根町バス停⇒(3.00㎞)⇒025山中新田一里塚⇒(4.17㎞)⇒026笹原一里塚⇒(4.26㎞)⇒027錦田一里塚⇒(3.00㎞)⇒三島広小路駅前

【ルート図】
 宿場(黒囲みが第7回旅の宿場)
29 7回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第7回)
 第7回の旅ルート
 
(箱根町バス停
 ⇒ 三島広小路駅前)
第7回ルート
【旧東海道の旅】
《序章》

前回(第6回)の箱根東坂の上り旅は朝は良い天気だったのですが、途中から雨模様となり
・旧道を間違えない
・石畳の道で滑って転ばない
・地図などの資料を濡らさない
・Yumiさんの膝痛対策
などで、旅を楽しみながら歩くということが出来ませんでした。
今回の箱根西坂の下り旅は、天気予報では雨の心配がなさそうなので、富士山を眺めながら旅を味わえたらと思います。
《移動》
03時50分、起床
セットした目覚ましの音楽で起床し、外を見ましたがまだ真っ暗です。
朝食は前回と同じように、前日買い置きしたサンドイッチを食べ、靴はトレッキングシューズをウォーキングシューズに戻し、家を出発しました。
05時15分、自宅発
最寄り駅を定刻に出発し、何回かの乗り換えを行い、小田急線の小田原駅に到着しましたが、乗り換え時間の短い駅では、Yumiさんのザックを私が担いで走るなど、眠気を吹き飛ばされました。
07時30分、小田急線・小田原駅到着
駅前のバス停に着くと一人もいないので、出発前にトイレを済ませておこうと、Yumiさんを連れてトイレに行きました。
07時45分、小田原駅バス停発
01 小田原バス停①
バスは定刻に出発し、旅で歩いた道を走るなどして箱根湯本⇒大平台⇒小湧園⇒元箱根⇒箱根町と進み終点に着きました。
08時45分、箱根町バス停着
初めて乗ったバスですが、渋滞もなく、バス停での停車も少なく、約1時間の快適なバス移動でした。

【=旅=】
バスから降りて最初に、前回(H24.09.16 第6回)の到着式を行いました。
バス停は降りたバス停の隣りにあるので、そのバス停を背景に前回の看板を持って、写真を撮り到着式を終了しました。
次に、今日の出発の看板に変更して、出発式を行いました。
08時45分、箱根町バス停発(出発式)

02 箱根町バス停①(出発地)
バス停を出発し箱根駅伝のゴール地点やミュージアムを右側に見ながら約260m先の信号(箱根関所南信号の1つ先)を右折し、さらに約240m歩くと芦川の石仏群がありました。
08時59分、芦川の石仏群碑(右側)
03 芦川の石仏群附近(道は向坂)
芦川の石仏群は、芦川のはずれ箱根峠にのぼる旧街道の道端には、庚申塔、六地蔵など、いくつかの石仏、石塔がある。江戸時代箱根を越えて、西に東に向う旅人は、恐らく村はずれにあるこの石仏、石塔に旅の安全を祈ったことでしょう。
街道は、その辺りから石ブロックが敷き詰められた道となり、向坂が始まりました。
09時00分、向坂碑(右側)
04 向坂碑
国道1号が上を走るトンネルを潜り、赤石坂を上ります。
09時04分、赤石坂碑(右側)
05 赤石坂碑
09時06分、釜石坂碑(右側)
06 釜石坂碑
石畳で急坂の風越坂と進み、
09時10分、風越坂碑(右側)
07 風越坂碑
最後に一番の急坂である挟石坂となり、箱根峠までの箱根東坂の上り坂はほぼ終わりましたが、最後の挟石坂の急階段は、息が切れました。
09時14分、挟石坂
09 挟石坂碑(フーフー息が乱れている)
 ※挟石坂を上から眺める
08 挟石坂(頂上からの眺め)
挟石坂を上ったところの国道を渡って左に進み、箱根新道からまた旧街道に入り、右方向に歩くと箱根峠交差点に着きました。
09時24分、箱根峠(標高=846m)交差点
10 箱根峠①
箱根峠交差点を渡り、左に進むと右に冠門があり、門を潜って八里記念碑(峠の地蔵)を右に見て、駐車場の角のトイレに立ち寄り、身支度を整えました。
09時27分、箱根旧街道冠木門
11 箱根西坂入口
09時29分、箱根八里記念碑石像群(右側)
12 箱根八里記念碑(峠の地蔵)①
身支度を整え、国道から右方向に進むとNTT箱根高原電話交換所の建物があり、建物の左を通って約350m歩くと茨ケ平に着きました。
09時40分、茨ケ平(左側)
13 茨ケ平①
慶長9年(1604)江戸幕府は江戸を中心に、日本各地へ通じる五街道を整備した。中でも江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道で、最大の難所は小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を越える箱根八里(約32km)の区間で、箱根旧街道と呼ばれました。この街道は、土がローム層で大変滑り易いので、最初は箱根竹の束を敷きましたが延宝8年(1680)に、幅二間(約3.6m)の石畳に改修されました。参勤交替や伊勢参りなど、江戸時代の旅が一般的になるとともに賑わった旧街道も、明治22年(1889)東海道線の開通や、大正12年(1923)の国道一号線の敷設によって衰退しました。
この辺りは、茨が生い茂っているので、この付近の草原を茨ヶ平というそうです。

道標の三島方向に沿って歩くと、東屋が建っていました。
09時43分、兜石
14 兜石跡碑
兜石の東屋を過ぎると、笹が覆い茂る道となりました。
15 甲石坂①
さらに、笹やぶトンネルとなり、このような道はなかなか味わえないと、キョロキョロと周りを眺めながら歩きました。
15 甲石坂③(やぶトンネル)
笹やぶトンネルを過ぎると甲石坂となり、途中で先に出発していたイベント集団に遭遇しながら歩くと国道1号に合流し、道なりに約400m下ると右側にバス停があり、その先を右折するのですが、その角に日本橋から25番目の一里塚跡碑(標高=755.9m)と接待茶屋跡碑が建っていました。
09時58分、025山中新田一里塚碑・接待茶屋跡碑
16 山中新田一里塚①
 025山中新田一里塚(左側)
16 山中新田一里塚③
 接待茶屋跡碑
17 接待茶屋解説
ここには先客として先程と同じ仲間の集団(20名程)がおり、ワイワイ、ガヤガヤとうるさいので、写真だけ撮って先に石原坂を歩き始めました。
石原坂の途中の右側に、甲を置いたようなかぶと石と念仏石という大きな石がありました。
10時01分、かぶと石(右側)
18 かぶと石①
大きなおむすび形の石で、兜を伏したような形をしていることから、かぶと石」と呼ばれている。また、別の説として「豊臣秀吉が小田原征伐のとき休憩した際、兜をこの石の上に置いたことから「かぶと石」と呼ばれるなったといわれている。
10時09分、念仏石(右側)
19 念仏石①
坂は大枯木坂と続き、国道に出る手前に民家があり、その庭先を通りましたが、コスモスが満開で綺麗でした。
 ※大枯木坂
20 大枯木坂①
10時26分、民家前のコスモス
20 大枯木坂②(民家の花壇)
民家の前をクランク形に歩くと国道1号に合流しました。
20 大枯木坂④(花壇の先を左折)
そして国道を少し歩くと、箱根町から三島市に入る市境標識が建っていました。
10時30分、市境標識(箱根町から三島市)=左側
21 三島市境標識
そして、その少し先に階段があり小枯木坂となりました。
 ※小枯木坂
22 小枯木坂の眺め
この坂は、道幅が広く、石畳も整備されており、神社の参道ではないのと思わせる感じの道でした。
10時33分、
道標(三島宿山中新田)
23 小枯木坂の途中①(山中新田碑)
 ※ぽつんと1本立っていました(花名は?)
24 花の名前4が不明
小枯木坂を約650m歩くと、国道1号に合流する手前の右側に雲助徳利の墓が建っていました。
10時44分、雲助徳利の墓(右側)
25 雲助徳利の墓
お墓は、盃(上)とトックリ(下)が墓面に付いているユニークな墓で、「久四郎」という名前が彫られています。松谷久四郎と名乗り、一説には西国大名の剣道指南役でしたが、大酒飲みのために事件を起こして、国外追放となり、箱根で雲助の仲間に入りました。優れた剣術の腕前があったので、雲助をいじめる武士をこらしめたり、読み書きができるので、文字が読めない雲助たちの手紙を読んで雲助仲間から親分以上に慕われるようになったそうです。しかし、普段はお酒を飲んでごろごろしていたので命を縮めることになってしまいました。
Yumiさんに「写真を撮るから横に立って」と云うと、「お墓と一緒の写真はイヤです」と、強く拒否されてしまいました。
お墓を過ぎると直ぐに国道1号と合流し、道路を渡った進行右側に山中城址に行く階段があり、入口に石碑が建っていました。
10時48分、山中城跡入口(左側)

26 山中城址上り口
入口の道路反対側に、「うなぎ竹屋」(H26.04.29で裾野市に移転)がありましたが、昼には時間が早いというのと、有名な三島広小路の桜屋で食べる予定があるので、横に見て通過しました。
竹屋から約350m歩くと、右側に山中城跡に行く駐車場、左側に山中城跡案内所があり立ち寄りました。
《昼食》
10時55分、山中城跡案内所着(左側)
27 山中城址案内所(昼食)
この茶店で名物の「寒ざらし団子」(@400)を買うとともに、朝も早かったので昼食(かき揚げ丼)を摂ることにしました。
ここでは、店主の方と話しをするなど、のんびりと寛ぎました。
11時24分、山中城跡案内所発
《初めての富士山眺望》
案内所を出て、案内所裏手の石畳の坂道を約350m歩くと国道と合流しました。
旧東海道は、約110mでまた国道から分岐して右折するのですが、東海道の旅で初めて富士山を見ました。
11時33分、初めての富士山眺望
29 富士山②(旅で初めての眺望)
全景ではなかったり、頂上付近に雲がかかっていましたが、初めて見れた富士山だったので、なんとも嬉しいひと時でした。
写真を撮って歩きだそうとすると、ノルディックウォーク姿の二人の男性が後方から歩いてきました。
箱根駅伝の全5区を歩き、今日(西坂)と来年1月(東坂)で箱根八里を歩くとのこと。
この旅を始めてから、行き交う人と挨拶することはありましたが、歩いている人と立ち止まって話したのは初めてでした。
《Yumiさんの膝痛》
男性二人が風のごとく歩き去った後、懸念していたことが起きました。
Yumiさんの、膝の痛みが強くなってきたのです。
大枯木坂を下っている時も、少し膝が痛いようなことを云っていたのですが、何とか歩いてきました。
シップ薬を貼り歩き出しましたが、平地や上りはまだ良いのですが、下りは横向き(蟹の伝い歩き)か、後ろ向きにならないと無理な状況です。
前回の箱根東坂の上りで塩を飲ませて乗り切ったことを思い出しましたが、後遺症として血圧が上昇したので、塩を飲ませることを止め、歩くスピードを遅くすることで対応し、Yumiさんが離れないよう後ろを見ながら歩くことにしました。
富士見平の直前で富士山を眺めると、先ほどより大きく眺めることができ、足の痛みを忘れてニッコリしていました。
11時40分、富士見平の手前からの眺め
30 富士見平手前①
富士山を眺めたところから直ぐに富士見平ドライブインに着くと、敷地に芭蕉句碑が建っていました。
11時41分、富士見平芭蕉句碑
31 富士見平芭蕉句碑
富士見平ドライブインの前の国道は、カーブしているので右方向が良く見えません。
いつ車が走ってくるのかわからないので、約100m離れた場所で横断しなければ危険なのですが、面倒臭いので左右を確認し走って渡ってしまいました。
渡った先は上長坂の石畳の下りとなっていて約350m歩くと国道に合流します。
そして合流した国道を約140m歩き、再び国道から左に分岐し、石畳の道を約350m歩くと左側に日本橋から26番目の一里塚碑が建っていました。
12時00分、026笹原一里塚跡(標高=379.6m)=左側
32 笹原一里塚①
 026笹原一里塚跡
32 笹原一里塚②
一里塚を過ぎ、国道1号を横切ると勾配のかなりきつい強飯坂となり、足の膝痛を発生しているYumiさんには辛い下り道となりました。
強飯坂を下り始めると下から上ってくるお婆さんがおり、すれ違う時に「今、採ってきたばかりのミニトマトがあるので、袋はないか」と聞かれ、袋をザックから取り出すと、水を灌ぐ感じでミニトマトを分けて下さいました。
急に云われて、私は流れのままお礼だけ云ってお婆さんと別れてしまい、気が付いた時はお婆さんの姿はなく、「時、すでに遅し」で、写真でも撮ってお礼をすることもできず、自分ながらいい年をして気の利かない自分に恥ずかしくなりました。
笹原一里塚から約750m歩くと左側に「三ツ谷新田入口」の道標が立っており、三ツ谷地区に入りました。
三ツ谷公民館を過ぎると、「軒下の美術館」と看板が掲げられた家の軒下に、写真などが展示されていました。
12時27分、軒下の美術館(三ツ谷地区)=右側

33 軒下の美術館(三ツ谷)
軒下の美術館の作品を眺めながら約290m歩くと、右側に松雲寺があり、一服休憩を含めて立ち寄りました。
12時30分、明治天皇御腰掛石(松雲寺)=右側
34 明治天皇史蹟①
史蹟の手前に、明治天皇が座られた石があり、同じ石に座って正面に見える富士山を眺めさせて頂きました。
35 明治天皇御腰掛石①(実際に座る)
石畳道の次に、炎天下の舗装道路を汗を拭きながらの歩いてきましたが、正面に見える富士山を眺望することができて救われました。
松雲寺を出て歩いていると道路の右側に綺麗に手入れされた花壇があり、その先で右側を見ると富士山が見ええました。
 
※道端の花壇(右側)
36 街道の花壇(三ツ谷)
 ※富士山(写真中央)・・・実際は良く見えています
37 頂上の雲が取れる(三ツ谷)
松雲寺から約850m歩くと分岐となりそのまま直進して左側に、坂放課後児童クラブを見ながらさらに約110m歩くと左側に七面堂碑が建っていました。
12時49分、七面堂碑(左側)
38 七面堂碑
七面堂碑のところを左折(坂幼稚園を左に見る)し、細い階段道を進み、広い道に出たら左に70m進むと「市の山新田」信号があり、約290m歩くと右側に「六地蔵」がありました。
12時56分、六地蔵(右側)
39 六地蔵
六地蔵を過ぎると臼転がり坂となり、国道1号と並列の道を進み、約450m歩くと国道1号の市山新田信号があり、旧東海道は交差点を左に見てそのまま真っ直ぐ進みます。
市山新田交差点から約500m歩くと右側に宗福寺があり、その約50m右側に「駄菓子屋YOU」がありました。
13時10分、駄菓子屋YOU(右側)
40 駄菓子屋YOU(午後はお休みでした)
この店は、先人のHPで知り、通る時は立ち寄ろうと計画していたのですが、「午後はおやすみします」と扉に貼紙されていてガッカリでした。
きっと、私達と縁がなかったのでしょう。
駄菓子屋YOUから約450m歩くと国道1号の三島塚原IC交差点があり、交差点の手前左側に「箱根路の碑」が建っていました。
13時21分、箱根路の碑(左側)
41 箱根路碑①
箱根路の碑の先の国道1号の三島塚原ICを渡ると、初音ケ原松並木(約1㎞の石畳)となり、炎天下から解放されホッとしました。
初音ケ原松並木は、三島市に残っている唯一の松並木だそうです。
 ※初音ケ原松並木入口
42 初音ケ原松並木①
松並木は、国道1号と並行しており、少し歩くと東海道の史跡として保存されている日本橋から27番目となる一里塚がありました。
13時30分、027錦田一里塚(標高=101.6m)=左側
43 錦田一里塚①
もう片方の一里塚跡は、国道1号を越した反対側にあるそうですが、確認はしていません。
暑い中を歩いてきたので、木陰を利用し、昼に買った「寒ざらし団子」と持参した麦茶で、おやつタイムにしました。
木蔭で10分位休憩し、旅を続けました。
平坦な石畳の道を約400m歩くと、右側に全面がガラス張りのレストラン「アサカ」があり、さらに約250m歩くと国道1号五本松交差点があり、石畳道の初音ケ原松並木が終わり、今度は舗装の愛宕坂になりました。
Yumiさんに「最後の坂だよ」と励ましたのですが、膝痛から元気がありません。
13時52分、愛宕坂上
44 愛宕坂①
膝痛で足を少し引きずりながら何とか約350m下って、東海道線の踏切を渡り、長い箱根西坂が終わりました。
東海道線の踏切を渡ってからは、平地の歩きとなり、Yumiさんも普通に歩けるようになりましたが、炎天下で汗が噴き出てきました。
日陰のない舗装路を約150m歩いて愛宕橋、愛宕橋から約400m歩いて大場川に架かる新町橋を渡り、新町橋からさらに約650m歩くと、右側に三島大社参道入口の鳥居に着きました。
三島大社に参拝しようと、鳥居の下を通って参道を歩き、山門を潜り、さらに進んで神殿の前に立ちました。
 
※三島大社・山門(右側)
45 三島神社②(山門)
14時15分、三島大社・神殿
45 三島神社④(神殿)
大社の参道を通り、境内⇒神殿と進み、Yumiさんと一緒にお賽銭をご奉納し参拝しました。
参拝は、周りに人がいるので、心の中でYumiさんの病気平癒をご祈願しました。
境内には、天然記念物の金木犀が植生されており、開花し始めた所でしたが、大きな樹から強い香りを漂わせていました。
45 三島神社⑤(金木犀)
また、境内では、結婚式を挙げた花婿さんと白無垢の花嫁さんが、幸せ一杯の満面の笑み称えて歩いていました。
14時28分、三島大社発
三島大社を出発し、約270m歩くと右側に三島市中央町別館があり、建物の脇に問屋場跡碑が建っていました。
14時34分、問屋場跡(右側)
46 問屋場跡碑①
問屋場跡から約180m歩くと本町交差点があり、交差点を真っ直ぐ越えた右側に本陣碑が建っていました。
14時38分、
世古本陣跡碑(右側)
47 世古本陣跡碑①
世古本陣跡から交差点に戻り、交差点を渡って右に2軒目の山田園(茶園)の前に樋口本陣碑が建っていました。
14時41分、樋口本陣跡碑(左側)
48 樋口本陣跡碑①
世古本陣と樋口本陣碑は、それぞれ50㎝程の高さのため、座らないと写真が撮れないので、膝痛のYumiさんは座るのが大変でした。
樋口本陣碑から約250m歩くと左側に三石神社があり、境内に「時の鐘」がありました。
14時46分、時の鐘(三石神社)=左側
49 時の鐘①(三石神社境内)
時の鐘のある三石神社を出て、約10m先の右側に蓮馨寺があり、芭蕉老翁の墓があるので見に行きました。
14時49分、芭蕉老翁の墓

50 芭蕉老翁の墓(連馨寺)
老翁の墓から旧東海道に戻り、伊豆箱根駿豆線の踏切を渡ると、右側に今日の到着である「三島広小路駅」があり、Yumiさんに看板を掲げてもらい到着式を行いました。
14時52分、三島広小路駅・駅前着(到着式)
51 三島広小路駅前②(到着地)
Yumiさんが膝痛になり苦労しましたが、何とか旅を終えることができました。
「さあ、うなぎを食べに行こう」とYumiさんに声を掛け、楽しみにしていた「桜家」にうなぎを食べに行きました。
【うなぎ】
「桜家」は、旧東海道に面していて、三島広小路駅から踏切を渡った右側にあり、夕方は行列ができる有名な店と聞いていました。
15時頃なので空いているかと思って店内に入ると、「え!!」と思うくらいお客が入っていて、他の人と相席で座りました。
52 うなぎ桜家(注文品)
鰻は、柔らかく、香ばしく、口の中でとろけるようで、諏訪のk店と変わらないくらい美味しかったです。
【帰路】
15時32分、三島広小路発
53 三島広小路駅ホーム
改札で切符を買い、ひと駅先の終点三島でJRに乗り換え、熱海、小田原を経由して、19時頃に最寄り駅に到着しました。
熱海から西はJR東海の管轄で東日本のパスモが使えないことを失念していたため、三島駅では民鉄の改札から一度改札を通って外に出て、JRの切符売り場に移動して小田原までの乗車券を購入して入場しました。
Yumiさんに切符を入れて改札を通る方法を教えましたが、次回まで覚えていてくれるかな?です。
99%、覚えているのは無理だとおもうので、また教えるようです。
また、駅の下り階段は膝痛のため下るのが難しいため、エレベータを使用して移動しました。
【総評】
今回の旅は、
①天候に恵まれた
②富士山が初めて眺められた
③街道を歩く人との会話
④Yumiさんの膝痛
など、今までにない体験がありました。
次回の旅は、どのような体験をするのか分かりませんが、準備して楽しい旅にしたいと思います。
また、Yumiさんにとっては厳しい旅になってしまいましたので、少しでも楽しい旅になるよう膝の筋肉強化の運動をまた再開したいと思います。
【次回の予定】
次回は、11月10日(土)~11日(日)の一泊二日で、三島広小路駅前・・・東田子の浦駅前・・・新蒲原・五十嵐商店角までの旅をします。
三島から先は、
①日帰り2回の二人分の旅費より、ツインルームで宿泊した方が安い
②Yumiさんの体力負担を軽減する
ためです。
また、男性が加入できる65才になり加入したJR東日本のジバング(30%引き)も活用したいと思います。

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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 

 

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/