【天候】曇り・晴れ
【宿場】(10)箱根宿⇒(11)三島宿
【行程】歩行距離=14.43㎞ 総距離=116.25㎞
箱根町バス停⇒(3.00㎞)⇒025山中新田一里塚⇒(4.17㎞)⇒026笹原一里塚⇒(4.26㎞)⇒027錦田一里塚⇒(3.00㎞)⇒三島広小路駅前

【ルート図】
 宿場(黒囲みが第7回旅の宿場)
29 7回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第7回)
 第7回の旅ルート
 
(箱根町バス停
 ⇒ 三島広小路駅前)
第7回ルート
【再訪】
 夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
  
〔※①〕=令和02(2020)年10月13日
  〔※②〕=令和02(2020)年11月 4日
【旧東海道の旅】
《序章》

前回(第6回)の箱根東坂の上り旅は朝は良い天気だったのですが、途中から雨模様となり
 ●旧道を間違えないように地図と睨めっこで、周りの景観を楽しむゆとりをなくす
 ●石畳の道で滑って転ばないよう下を見ながらの歩行
 ●地図などの資料を濡らさない
 ●Yumiさんの膝痛対策
などで、旅を楽しみながら歩くということが出来ませんでした。
今回の箱根西坂の下り旅は、天気予報では雨の心配がなさそうなので、富士山を眺めながら旅を味わえたらと思います。
《移動》
セットした目覚ましの音楽で起床し、外を見ましたがまだ真っ暗です。
朝食は前回と同じように、前日買い置きしたサンドイッチを食べ、靴はトレッキングシューズをウォーキングシューズに戻し、家を出発しました。
最寄り駅を定刻に出発し、何回かの乗り換えを行い、小田急線の小田原駅に到着しましたが、乗り換え時間の短い駅では、Yumiさんのザックを私が担いで走るなど、眠気を吹き飛ばされました。
07時30分、小田急線・小田原駅到着
駅前のバス停に着くと一人もいないので、出発前にトイレを済ませておこうと、Yumiさんを連れてトイレに行きました。
07時45分、小田原駅バス停発(写真右=※①で撮影)
01 小田原バス停① 003 小田原駅東口バス停
バスは定刻に出発し、旅で歩いた道を走るなどして
 箱根湯本 ⇒ 大平台 ⇒ 小湧園 ⇒ 元箱根 ⇒ 箱根町と進みバスの終点に着きました。
08時45分、箱根町港バス停着
Yumiさんと歩いた時は乗り場の建物はありませんでしたが、バス停の建物が出来ていました。
初めて乗ったバスですが、渋滞もなく、バス停での停車も少なく、約1時間の快適なバス移動でした。

【=旅=】
バスから降りて最初に、前回(H24.09.16 第6回)の到着式を行いました。
バス停は降りたバス停の隣りにあるので、そのバス停を背景に前回の看板を持って、写真を撮り到着式を終了しました。
次に、今日の出発の看板に変更して、出発式を行いました。
08時45分、箱根町バス停発(出発式)・・・(写真右)R02.11.05 箱根町港バス停

02 箱根町バス停①(出発地) 004 箱根町港バス停
バス停裏から富士山が眺められました(※②)
002-2
バス停を出発し約80m先の箱根関所南交差点の右側に箱根駅伝のミュージアムやゴール地点(白枠)がありました。
 ※①=箱根駅伝ゴール地点(右側)
005 箱根駅伝ゴール地点
箱根関所南交差点から約160m(箱根関所南信号の1つ先)歩くと信号の有る交差点で、左側の角に馬頭観音が祀られていました。
 ※①=馬頭観音(左角)
006 馬頭観音
交差点を右折する曲がり角の道路面に道路標板が埋め込まれていました。
 ※分岐(十字路):右折
007 分岐(右折) 008 道路標板
分岐をを右折して約200m歩くと、左側に赤い鳥居の駒形神社が祀られていました。
 ※①=駒形神社(左側)
005 駒形神社
駒形神社から約30m歩くとY字路分岐があり、左方向に進みました。
 ※分岐(Y字路)=左方向
011 分岐(左)
分岐を左方向に約20m歩くと右側に解説標板が建っており、さらに約20m歩くと右側に芦川の石仏群が祀られていました。
08時59分、芦川の石仏群碑(右側)
03 芦川の石仏群附近(道は向坂)013 芦川の石仏群
芦川の石仏群は、芦川のはずれ箱根峠にのぼる旧街道の道端には、庚申塔、六地蔵など、いくつかの石仏、石塔がある。江戸時代箱根を越えて、西に東に向う旅人は、恐らく村はずれにあるこの石仏、石塔に旅の安全を祈ったことでしょう。
街道は石仏の先から石畳道となり向坂が始まりますが、石畳に入った左側(白枠)に念仏碑が建っていました。
 ※①=(写真左)石畳入口 ・ (写真右)念仏碑
014 石畳入口 015 念仏碑
念仏碑から坂を約50m上ると、左側に向坂碑が建っていました。
09時00分、向坂碑(右側)
04 向坂碑016 向坂碑
向坂碑から約120m歩くと国道1号が上を走るトンネルがあり、トンネルを潜って進みました。
 ※①=国道1号ガード
018 R1ガード
ガードを潜った先から赤石坂となり、右側に赤石坂碑が建っていました。
09時04分、赤石坂碑(右側)
05 赤石坂碑019 赤石坂碑
赤石坂を過ぎると釜石坂となり、左側に釜石坂碑が建っていました。
09時06分、釜石坂碑(左側)
06 釜石坂碑021 釜石坂
釜石坂を過ぎると勾配がきつい石畳の風越坂となり、右側に風越坂碑が建っていました。
09時10分、風越坂碑(右側)
07 風越坂碑023 風越坂
風越坂を進むと右に曲がる道となり、階段坂の挟石坂に入りました。
025 挟石坂入口006 挟石坂
階段を上ると頂上手前の右側に挟石坂碑が建っていました。
09時14分、挟石坂碑(右側)
09 挟石坂碑(フーフー息が乱れている)027 挟石坂碑
挟石坂を上ると、上り切る手前の右側に箱根旧街道標柱が建っていました。
 ※①=箱根旧街道標柱(右側)
028 箱根旧街道標柱
挟石坂を上り切ったところの国道を左折(写真左)し、さらにY字路を右に進み(写真中)、箱根新道の下を潜り、道路を横切った突き当りを右折(写真右)して進みました。
 ※分岐=写真左:左折 ・ 写真中:右方向 ・ 写真右=右折)
029 分岐(左折)030 分岐(右)008 箱根新道分岐
右折して約100m歩くとY字路分岐があり左側の坂道に入りました。
 ※分岐(Y字路)=左方向 ※(写真右)駒ヶ岳
032 分岐(左)009 箱根駒ヶ岳
Y字路分岐を左方向に進むと上り坂となり、約130m進むとY字路分岐がありここが箱根峠で、ここから先は下りになり、右方向に進みました。
 ※分岐(箱根峠・Y字路):右方向
033 分岐(右折)
Y字路分岐を右方向に約120m下ると、国道1号の箱根峠交差点がありました。
09時24分、箱根峠(標高=846m)交差点
10 箱根峠①034-2 箱根峠・標識
箱根峠交差点を渡り、渡ったところを左折(写真左)して約90m進むと右折する道となり、冠木門(写真右)が建っていました。
 ※分岐=(写真左)箱根峠信号:横断 ・ (写真中)左折 ・ (写真右)冠木門:潜る
010 箱根峠交差点012 分岐(左折)036 冠木門
09時27分、箱根旧街道冠木門

11 箱根西坂入口
門を潜り約80m歩くと右側に八里記念碑(峠の地蔵)が建っていました。
09時29分、
箱根八里記念碑石像群(右側)
12 箱根八里記念碑(峠の地蔵)①
箱根八里記念碑石像群から約80m進むと左側にトイレがあり、立ち寄って身支度を整えました。
身支度を整え、街道に戻り約30m進むと分岐があり、右折して進みました。
038 分岐(右折)
※R02.11.05現在 甲石坂は台風の影響による道路破損で通行止めになっています。
そのため甲石坂が開通するまで、峠茶屋前の駐車場を通り国道1号を歩いて約1.3㎞迂回して進みます。

013 峠茶屋
〔本来の街道〕

分岐から約350m歩くと、左に箱根旧街道茨ケ平の標板、右角に石柱道標が建っている分岐があり、左折して草道に入りました。
09時40分、箱根旧街道茨ケ平標板(左側)
13 茨ケ平①
慶長9年(1604)江戸幕府は江戸を中心に、日本各地へ通じる五街道を整備した。中でも江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道で、最大の難所は小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を越える箱根八里(約32km)の区間で、箱根旧街道と呼ばれました。この街道は、土がローム層で大変滑り易いので、最初は箱根竹の束を敷きましたが延宝8年(1680)に、幅二間(約3.6m)の石畳に改修されました。参勤交替や伊勢参りなど、江戸時代の旅が一般的になるとともに賑わった旧街道も、明治22年(1889)東海道線の開通や、大正12年(1923)の国道一号線の敷設によって衰退しました。
この辺りは、茨が生い茂っているので、この付近の草原を茨ヶ平というそうです。

標板に沿って分岐を約40m進むと、東屋が建っている兜石休憩所がありました。
09時43分、兜石
14 兜石跡碑043 兜石休憩所
休憩所の手前右側に馬頭観音(憤怒の形相で災いを避ける)、左側の細道の奥に井上靖の八里記念碑が建っていました。
※①=(写真左)馬頭観音 ・ (写真右)八里記念碑:井上靖
045 八ツ手観音044 箱根八里碑(井上靖)
兜石休憩所の東屋を過ぎると、笹が覆い茂る道となりました。
15 甲石坂①
さらに歩いて行くと、笹やぶが覆うトンネルとなり、このような道はなかなか味わえないと、キョロキョロと周りを眺めながら歩きました。
15 甲石坂③(やぶトンネル)
笹やぶトンネルを過ぎるなど約550m坂を下ると、国道1号に合流しました。
なお、①と②の時は台風の影響で歩けなくなっていました。
※①=甲石坂の国道1号口の状況
050 兜石坂出口
突き当たった国道1号を右折して約180m進むと白色ガードパイプが終わった所に右折できる分岐があり、右折しました。
 ※分岐(右折)
014 分岐(右折)
右折した左側に日本橋から25番目の山中新田一里塚跡がありました。
09時58分、
025山中新田一里塚(左側)
16 山中新田一里塚③053 山中新田一里塚
一里塚の手前左側に旧街道石柱(標高=755.9m)が建っていました。
 ※箱根旧街道石柱

16 山中新田一里塚①053-2 旧街道標石
山中新田一里塚の真向かい(進行右側)に接待茶屋跡があり、跡地に解説標板が建っていました。
 接待茶屋跡碑
17 接待茶屋解説052 接待茶屋
ここには先客として先程と同じ仲間の集団(20名程)がおり、ワイワイ、ガヤガヤとうるさいので、写真だけ撮って先に歩き始めました。
 ※一里塚跡から見た街道
054 街道
一里塚跡から約40m歩くと、右側に石柱に囲まれた中の段上に兜を置いたような形の甲石があり、解説標板が建っていました。
10時01分、かぶと石(右側)
18 かぶと石①056 かぶと石
大きなおむすび形の石で、兜を伏したような形をしていることから、かぶと石」と呼ばれている。また、別の説として「豊臣秀吉が小田原征伐のとき休憩した際、兜をこの石の上に置いたことから「かぶと石」と呼ばれるなったといわれている。
甲石の真向かい(進行左側)に八代将軍吉宗がここの接待茶屋で休憩し永楽銭で支払った徳川有徳公遺蹟碑が建っていました。
 ※①=徳川有徳公遺蹟碑(左側)
055 徳川有徳公遺蹟碑
徳川有徳公遺蹟碑から約3分歩くと石原坂(黄矢印)の下りになりますが、下る手前の左奥に明治天皇御小休趾碑(白枠)が建っていました。
 ※①=明治天皇御小休市趾碑(左側)
015 明治天皇碑と石原坂058 明治天皇碑
明治天皇御小休趾碑から街道に戻り勾配のきつい石原坂をゆっくりと下るなど7分歩くと、念仏石があり解説標板が建っていました。
061 石原坂
10時09分、念仏石(右側)
19 念仏石①062 念仏石
念仏石から笹が頭上に覆いかぶさるようなところを通り、約4分坂を下ると視界が広がる施行平に着きました。
 ※笹が頭上を覆う
063 笹トンネル
右側の道標に沿ってT字路分岐を右折して約70m歩くと、右に上る道と左に進む分岐があり左に進みました。
 ※(写真左)施行平分岐 、(写真右)道標
064 施工平入口065 道標
Y字路分岐を左に進むと杉並木の上り坂となり、続いて草が茂る下り坂など大枯木坂を約400m歩くと、右側に民家が建っていました。
 ※(写真左)分岐:左方向 ・ (写真中)大枯木坂:上り ・ (写真右)大枯木坂:下り
066 分岐(左)067 大枯木坂(上り)069 大枯木坂(下り)
 ※大枯木坂の下り
20 大枯木坂①
大枯木坂を下ると右側に民家があり、民家の庭先を通るとコスモスが満開で綺麗でした。
10時26分、民家前のコスモス

20 大枯木坂②(民家の花壇)
民家の前を通りT字路を左折し(写真左)、約20mで右折し(写真中)、約40m先のT字路を左折(写真右)するクランク形に歩き、国道1号に突き当りました。
070 分岐(左折)071 分岐(右折)018 分岐(左折)
突き当たった国道を横切り右折して歩くと、箱根町から三島市に入る市境標識が建っていました。
072 合流(右折)
10時30分、市境標識(箱根町から三島市)=左側

21 三島市境標識
市境標識から約30m歩くと左折する分岐となり、左折して階段を下りました。
 ※小枯木坂
073 分岐(左折) 22 小枯木坂の眺め
この坂は小枯木坂で、道幅が広く、石畳も整備されており、神社の参道ではないのと思わせる感じの道でした。
10時33分、
道標(三島宿山中新田)
23 小枯木坂の途中①(山中新田碑)075 山中新田碑
山中新田の道標から小枯木坂を約50m下り始めると、一本杉石橋跡(白線)があり、右側に解説標板が建っていました。
※①=一本杉石橋跡
076 小枯木坂077 一本杉石橋跡077-2 解説
杉林と石畳の下り坂を歩いていると左側にポツンと1本の花が輝いていました。
 ※ぽつんと1本立っていました(花名は?)
24 花の名前4が不明079 杉林と石畳
小枯木坂を約650m歩くと、国道1号に合流する手前の右側に雲助徳利の墓が建っていました。
10時44分、雲助徳利の墓(右側)
080-2 場所確認用 25 雲助徳利の墓
お墓は、盃(上)とトックリ(下)が墓面に付いているユニークな墓で、「久四郎」という名前が彫られています。松谷久四郎と名乗り、一説には西国大名の剣道指南役でしたが、大酒飲みのために事件を起こして、国外追放となり、箱根で雲助の仲間に入りました。優れた剣術の腕前があったので、雲助をいじめる武士をこらしめたり、読み書きができるので、文字が読めない雲助たちの手紙を読んで雲助仲間から親分以上に慕われるようになったそうです。しかし、普段はお酒を飲んでごろごろしていたので命を縮めることになってしまいました。
Yumiさんに「写真を撮るから横に立って」と云うと、「お墓と一緒の写真はイヤです」と、強く拒否されてしまいました。
お墓の先で左カーブするなど約80m坂を上ると国道1号に合流するのですが、その手前の左側に箱根旧街道碑が建っていました。
 ※①=箱根旧街道碑(左側)
081 旧街道碑
箱根旧街道碑を過ぎると国道1号に合流し(写真左)、道路を渡って左方向(写真右)に進みました。
082 合流(斜め左)022 山中城址入口
道路を渡って進行右側を進むと、右側に山中城址の石碑が建っており、階段を上った先に駒形諏訪神社の鳥居が建っていました。
10時48分、山中城跡入口(左側)

26 山中城址上り口083 山中城址入口
《※①=山中城址》
階段を上ると右から城跡を歩く土道がありますが、左の駒形諏訪神社側に進みました。
 ※駒形諏訪神社
085 諏訪神社・境内085-2 諏訪神社・本殿
神社の境内左側に、今は根元だけが残された大カシ碑が建っていました。
 ※大カシ碑(神社境内)
086-2 大カシ碑023 大カシ跡
境内を出た左側に四阿が建っており、その奥に兵量庫跡があり、柱穴が保存されていました。
 ※(写真左)四阿 ・ (写真右)兵糧庫跡
087 四阿088 柱穴
ここから土道の坂を上ると、右側に矢立の杉が植生されていました。
 ※矢立の杉
089 矢立の杉089-2 解説
矢立の杉から少し上ると本丸跡があり、本丸堀跡が残されていました。
 ※(写真左)本丸跡 ・ (写真右)本丸堀跡
090 本丸跡090-2 解説093 本丸堀跡
本丸西橋を渡り二の丸跡と元西櫓を結ぶ二の丸橋の手前右側の高台に上ると、美しい富士山が目に飛び込んできました。
 ※(写真左)二の丸跡 ・ (写真右)富士山の眺め
096-2 二の丸(出発)028 富士山の眺望
二の丸橋を渡り城址内の坂を下りながら三の丸跡、三の丸堀跡を見て歩き、駐車場に出ました。
 ※(写真左)城址内の道 ・ (写真中)三の丸跡 ・ (写真右)三の丸堀跡
097 城址道098 三の丸跡099 三の丸堀跡
《Yumiさんとは山中城址には立ち寄らないで街道を歩きました》

入口の道路反対側に、「うなぎ竹屋」(H26.04.29で裾野市に移転)がありましたが、昼には時間が早いというのと、有名な三島広小路の桜屋で食べる予定があるので、横に見て通過しました。
竹屋から約350m歩くと、右側に山中城跡に行く駐車場、左側に山中城跡案内所があり立ち寄りました。
※①=山中城址駐車場(右側)
101 駐車場入口
《昼食》
10時55分、山中城跡案内所着(左側)
27 山中城址案内所(昼食)
この茶店で名物の「寒ざらし団子」(@400)を買うとともに、朝も早かったので昼食(かき揚げ丼)を摂ることにしました。
ここでは、店主の方と話しをするなど、のんびりと寛ぎました。
11時24分、山中城跡案内所発
案内所を出て、案内所裏手の石畳に入り約30m歩くと、左側に階段(白丸)があり、山中城址出丸跡があります。
102 分岐(左)
※山中城址出丸跡
103 出丸跡入口104 出丸跡付近
出丸跡入口から約50m歩くと、右側に馬頭観音と箱根八里記念碑(司馬遼太郎)が建っていました。
※①=(写真左)馬頭観音 ・ (写真右)箱根八里記念碑
106 馬頭観音107 八里記念碑
八里記念碑から石畳の坂道(写真左)を約280m下ると国道に合流する手前左側に道標(写真中)が建っており、合流した国道を左方向(写真右)に進みました。
108 石畳109 旧街道碑110 合流(左)
《初めての富士山眺望》
国道を約120m進むと信号(山中城口)があり、交差点を渡って進むのですが、信号を渡る時、右斜め前方に東海道の旅で初めて富士山を見ることが出来ました。
111 分岐(右側)
11時33分、初めての富士山眺望:(写真右)R02.11.05撮影
29 富士山②(旅で初めての眺望)032 山中城口交差点からの眺め
全景ではなく頂上付近には雲がかかっていましたが、初めて見れた富士山だったので、なんとも嬉しいひと時でした。
写真を撮って歩きだそうとすると、ノルディックウォーク姿の二人の男性が後方から歩いてきました。
箱根駅伝の全5区を歩き、今日(西坂)と来年1月(東坂)で箱根八里を歩くとのこと。
この旅を始めてから、行き交う人と挨拶することはありましたが、歩いている人と立ち止まって話したのは初めてでした。
《Yumiさんの膝痛》
男性二人が風のごとく歩き去った後、懸念していたことが起きました。
Yumiさんの、膝の痛みが強くなってきたのです。
大枯木坂を下っている時も、少し膝が痛いようなことを云っていたのですが、何とか歩いてきました。
シップ薬を貼り歩き出しましたが、平地や上りはまだ良いのですが、下りは横向き(蟹の伝い歩き)か、後ろ向きにならないと無理な状況です。
112 石畳113 道標114 石畳
前回の箱根東坂の上りで塩を飲ませて乗り切ったことを思い出しましたが、後遺症として血圧が上昇したので、塩を飲ませることを止め、歩くスピードを遅くすることで対応し、Yumiさんが離れないよう後ろを見ながら歩くことにしました。
富士見平の直前で富士山を眺めると、先ほどより大きく眺めることができ、足の痛みを忘れてニッコリしていました。
11時40分、富士見平手前からの眺め・・・(写真右)R02.11.05撮影
30 富士見平手前①033 富士見平手前からの眺め
富士山を眺めることができたところから約1分歩くと、左側に富士見平ドライブイン(食堂冨士見平)があり、突き当たった国道1号の左側に芭蕉句碑(写真下・左)、右側(写真下・右)に道標が建っていました。
116 富士見平117 食堂・冨士見平
11時41分、富士見平芭蕉句碑
31 富士見平芭蕉句碑119 道標
富士見平ドライブインの前の国道は、カーブしているので右方向が良く見えません。
いつ車が走ってくるのかわからないので、約100m離れた場所で横断しなければ危険なのですが、面倒臭いので左右を確認し走って渡ってしまいました。
国道を横断するとそのまま下る道があるのですが、街道は10数m左の階段道を進みます。
120-2(右は違う)035 階段下り123 石畳
下り坂を進むと先で街道と接する(写真右)ので進んでも大丈夫ですが、その先で分離するので気を付けて下さい。
124 左側の道
階段を下り石畳を約350m歩くと再び国道1号に突き当たるのですが、途中の左側に明治天皇休憩碑が建っていると資料に記されていましたが、確認することができませんでした。
※分岐(合流)=左折
125 合流(左折)
国道1号に合流するとYumiさんと歩いた時は出来ていなかった「三島スカイウォーク」と富士山が右側に見えました。
※②=三島スカイウォークと富士山
037-4
国道を約130m歩くと左側に道標が建っており、その先でY字路分岐となり左方向に進みました。
※(写真左)分岐(Y字路):左方向 ・ (写真右)道標=左側
128 分岐(左)129 道標
分岐を左に入り約70m進むと再びY字路となり、左方向に進みました(右はスカイウォークの駐車場)。
130 分岐(左)
この道は篠竹を敷いた道を意味する上長坂で、別名かみなり坂と云う下り立場でした。
写真の分岐から約1分歩くと右側に馬頭観世音が祠の中に四基納まっていました。
※①=馬頭観世音(右側)
131 馬頭観音131-2 馬頭観音
馬頭観世音から石畳の上長坂の下り坂を約250m歩くと、左側に箱根旧街道石柱が建っていました。
※①=(写真左)上長坂 ・ (写真右)箱根旧街道石柱=左側
132 上長坂133 旧街道碑
箱根旧街道石柱から約60m歩くと、左にUターンする小路の上り道分岐(右側の土屋家の前)があり、坂の上に日本橋から26番目の一里塚碑が建っていました。
12時00分、026笹原一里塚跡(標高=379.6m)=左側
32 笹原一里塚①32 笹原一里塚②
一里塚から街道に戻り、約50m歩くと国道1号に突き当り、突き当たった右角に石の道標が建っていました。
※R02.10.14 石の道標(右側)
138 石の道標139 分岐(直進)
国道を斜め右に横切って下長坂に入り約40m歩くと、右側に道祖神と馬頭観音が祀られていました。
※①=道祖神・馬頭観音=右側
140 道祖神・馬頭観音140-2 道祖神・馬頭観音
道祖神が祀られている向かい(進行左側)は高札場跡で、笹原新田集落の東口でした。
※①=高札場跡(左側)
141 高札場跡
道祖神が祀られている下長坂はあまりの急坂のため、背負ったコメが汗と熱でこわめし(強飯)になったということで別名「こわめし(強飯)坂」と云われています。
最初は緩やかな下りでしたが、途中から勾配のきつい下りとなり、足の膝痛を発生しているYumiさんには辛い下り道となりました。
※強飯坂
143 下長坂(強飯坂)144 下長坂(強飯坂)
強飯坂を下り始めると下から上ってくるお婆さんがおり、すれ違う時に「今、採ってきたばかりのミニトマトがあるので、袋はないか」と聞かれ、ザックからレジ袋を取り出すと、水を注ぐ感じでミニトマトを分けて下さいました。
急に云われて、私は流れのままお礼だけ云ってお婆さんと別れてしまい、気が付いた時はお婆さんの姿はなく、「時、すでに遅し」で、写真でも撮ってお礼をすることもできず、自分ながらいい年をして気の利かない自分に恥ずかしくなりました。
道祖神から約700m歩くと合流し、右方向に進みました。
145 合流(右)
合流から約70m進むと分岐があり、分岐の左側に「三ツ谷新田入口」の道標が立っており、三ツ谷地区に入って分岐を真っ直ぐに進むと、左側に少し入ったところに天神社が祀られていました。
※①=天神社(左側)
146 天神社
街道に戻り三ツ谷区公民館前から約60m歩くと「軒下の美術館」と看板が掲げられた家があり、軒下に写真などが展示されていました。
12時27分、軒下の美術館(右側)・・・(写真右)R02.10.14に撮影

33 軒下の美術館(三ツ谷)147 軒下の美術館
軒下の美術館から作品を眺めながら約240m歩くと右側に松雲寺があり、一服休憩を含めて立ち寄りました。
12時30分、松雲寺(右側)
148 松雲寺34 明治天皇史蹟①
史蹟の手前に、明治天皇が座られた石があり、同じ石に座って正面に見える富士山を眺めさせて頂きました。
※(写真左)明治天皇御座石・・・(写真右)R02.11.05撮影
35 明治天皇御腰掛石①(実際に座る)040 松雲寺からの眺め
石畳の道が終り、次に炎天下の舗装道路を汗を拭きながらの歩いてきましたが、正面に見える富士山を眺望することができて救われました。
松雲寺を出て約400m歩くと道路の右側に綺麗に手入れされた花壇があり、その先で右側を見ると富士山が見えました。
 
※道端の花壇(右側)・・・(写真右)R02.10.14に撮影
36 街道の花壇(三ツ谷)152 花壇
 ※富士山(写真中央)・・・実際は良く見えています  (写真右)R02.11.05に撮影
37 頂上の雲が取れる(三ツ谷)41 小時雨坂からの眺め
花壇からさらに小時雨坂を約350m下るとY字路分岐(三ツ谷下バス停の先)があり、右方向(写真左)に進みました。
Y字路分岐から約40m歩くと三島市眺望地点と記された看板が掲げられた分岐があり、左方向(写真右)に進みました。
154 分岐(右側)155 分岐(左⇒右)
分岐から約60m歩くと左側に史跡法善寺旧址碑が建っていました。
※②=史跡法善寺旧址碑(右側)
042 法善寺旧址碑
史跡法善寺旧址碑から右側の坂小学校に沿って約90m進むとY字路分岐があり、分岐を右方向に進みました。
156 分岐(右)
分岐を右方向に入ると左側に、足利尊氏が建立したと云われている七面堂旧址碑が建っていました。
12時49分、七面堂碑(左側)
38 七面堂碑
七面堂碑の前の細い道を進み(写真左)、階段(題目坂)を下り(写真中)、直進しました(写真右)。
159 題目坂160 題目坂161 分岐(左)
階段を下り約70m進むと「市の山新田」信号があり、右折して横断しそのまま真っ直ぐに進みました。
162 分岐(右)
交差点を渡った所の右側に、出征馬の碑が建っていました。
※①=出征馬の碑(右側)
164 出征馬の碑
出征馬の碑から約280m歩くと右側に地蔵堂が祀られており、地蔵堂の先に地蔵が12体祀られていました。
12時56分、六地蔵(右側)
165 地蔵堂166 六地蔵
六地蔵から大時雨坂を約90m歩くとガードレールの手前右側に右折して臼転坂の分岐があり、右折して臼転坂に進みました。
※分岐(臼転坂)=右折
167 大時雨坂168 分岐(右折)169 道標
臼転坂を約150m歩くと、左側に文政五年(1822)に建立された馬頭観音が祀られていました。
※①=馬頭観音(左側)
170 臼転坂172 馬頭観音
馬頭観音から約80m歩くと、左側に臼転坂解説標板が建っていました。
※①=臼転坂解説標板
173 臼転坂・解説
臼転坂解説標板から約80m歩くと国道1号と並列の道(写真左)となり、そのまま進むと左側は国道1号の市山新田信号(写真中)で、交差点を左に見てそのまま真っ直ぐ進み(写真右)ました。
044 分岐(直進)175 市山新田交差点045 合流
市山新田交差点から約160m歩くと左側に普門庵がありました。
※①=普門庵(左側)
176 普門院176-2 堂内
普門庵から約290m歩くと、右側に本尊が聖観音菩薩像の宗福寺がありました。
※①=宗福寺(右側)
177 宗福寺
宗福寺は鉄牛なる上人が本尊を運んでいたが、ここで動かなくなり、この寺に安置したと伝わっている弁財天女尊・西国三十三所供養塔がある。
宗福寺は立ち寄らないでそのまま約60m進むと、右側に「駄菓子屋YOU」がありました。
13時10分、駄菓子屋YOU(右側)
40 駄菓子屋YOU(午後はお休みでした)
この店は、先人のHPで知り、通る時は立ち寄ろうと計画していたのですが、「午後はおやすみします」と扉に貼紙されていてガッカリしました。
※①=確認
Yumiさんと歩いた時は臨時休業でご縁がなく、8年後に訪れた時は店は閉店し別の所有者に代わっていました。
046 元駄菓子屋YOU
駄菓子屋YOUから約280m歩くと左折して国道1号に出る分岐(写真左)があり、分岐を真っ直ぐに約90m進むとY字路分岐(写真右)となり左方向に進みました。
※(写真左)分岐:直進 ・ (写真右)分岐(Y字路):左方向 
047 分岐(直進)179 分岐(左)
Y字路を左に約70m進むと左側に石仏があり、石仏の先に箱根路の碑が建っていました。
※①=石仏(左側)
180 石仏
13時21分、箱根路の碑(左側)
41 箱根路碑①181 箱根路の碑
箱根路の碑の先で国道1号に突き当り、右折して進みました。
048 分岐(右折)
T字路分岐から約30m歩くと三島塚原IC交差点で、横断しながら右方向を見ると、富士山を眺めることができました。
※②=(写真左)三島塚原IC交差点:横断 ・ (写真右)富士山の眺め(交差点の右手)
049 三島塚原IC交差点(横断)050 三島塚原ICからの眺め
交差点を渡り伊豆縦貫自動車道の上(写真のフェンスの下)を横切るなど約150m歩くと、初音ケ原松並木(約1㎞の石畳)となり、炎天下から解放されホッとしました。
※伊豆縦貫自動車道の上を横切る
182 国道沿い
初音ケ原松並木は、三島市に残っている唯一の松並木だそうです。
 ※初音ケ原松並木入口・・・(写真右)R02.11.05に道路から撮影
42 初音ケ原松並木①051 初音ケ原松並木
松並木は国道1号と並行して植生されており、松並木に入って約70m歩いたところで右方向を見ると、綺麗な富士山を眺めることができました。
※②=初音ケ原からの富士山の眺め
052 初音ケ原松並木からの眺め
初音ケ原松並木に入ってから約230m歩くと、東海道の史跡として保存されている日本橋から27番目となる錦田一里塚がありました。
13時30分、027錦田一里塚(標高=101.6m)=左側
※(写真左)右塚 ・ (写真右)左塚

43 錦田一里塚①
185 錦田一里塚(左塚)
左塚は、国道1号を越した反対側にあります。
また一里塚(右塚)の手前左側に箱根八里記念碑(鈴木宗忠)が建っていました。
 ※①=箱根八里記念碑(鈴木宗忠):左側
186 箱根八里記念碑
暑い中を歩いてきたので、一里塚付近の木陰を利用し、昼に買った「寒ざらし団子」と持参した麦茶で、おやつタイム(10分休憩)を取りました。
錦田一里塚から約40m歩くと初音ケ原歩道橋が架かっており、渡って進みました。
 ※初音ケ原歩道橋=直進
187 初音ケ原歩道橋
歩道橋を渡り平坦な石畳の道を約400m歩くと、右側に全面がガラス張りのレストラン「アサカ」がありました。
 ※②=レストランアサカ(右側)・・・天気が良いと富士山の眺望が抜群です
188 初音ケ原松並木189 レストラン・アサカ053 レストランあすか・富士山
レストランアサカから約240m歩くと五本松交差点があり、石畳道の初音ケ原松並木が終わりました。
交差点の手前左側に旧街道標板が建っており、突き当たった国道1号を右折すると、分岐点右側の植え込みの中に大根の碑が建っていました。
 ※分岐(五本松交差点)=右折
190 旧街道標板
 ※①=大根の碑(右側)
191 大根の碑
街道は植え込みに沿って進み、交差点を渡り、右折して数m先の小路を左折します。
 ※分岐(五本松交差点)
192 分岐
小路を約10m進むと右側に石仏石塔群がありました。
 ※②=石仏石塔群(右側) 
055 石仏石塔群
石仏石塔群の直ぐ先のところの右手に、富士山を眺めることができました。
056 五本松交差点先からの眺め
街道は石畳から舗装路となり石仏石塔群から約140m歩くと愛宕坂になりました。
Yumiさんに「最後の坂だよ」と励ましたのですが、膝痛で元気がありません。
13時52分、愛宕坂上
44 愛宕坂①193-2 解説標板
膝痛で足を少し引きずりながら何とか約160m下ると右側に箱根旧街道標板が建っており、その先に東海道線の踏切があり長い箱根西坂が終わりました。
 ※①=(写真左)箱根旧街道標板 ・ (写真右)東海道線踏切
194 旧街道標板195 JR踏切
東海道線の踏切を渡ってからは、平地の歩きとなり、Yumiさんも普通に歩けるようになりましたが、炎天下で汗が噴き出てきました。
日陰のない舗装路を約130m歩くと山田川に架かる愛宕橋があり、愛宕橋から約60歩くと県道に合流し、そのまま真っ直ぐに進みました。
 ※①=(写真左)愛宕橋 ・ (写真右)合流(県道):直進
196 愛宕橋197 合流(直進)
県道合流から約300m歩くと大場川に架かる新町橋があり、橋から富士山が眺められると記された写真パネルが掲げられていました。
 ※新町橋
057 新町橋
 ※新町橋からの富士山
058-3198-2 解説
新町橋を渡ると、晒し場があった三島宿の江戸口の東見附跡です。
 ※東見附跡(白枠付近)
200 三島宿東見附跡
新町橋から約550m歩くと、右側に三島大社参道入口の鳥居に着きました。
三島大社に参拝しようと、鳥居の下を通って参道を歩き、山門を潜り、さらに進んで神殿の前に立ちました。
14時12分、
三島大社(右側)=(写真左)鳥居 ・ (写真右)神門
201 三島大社45 三島神社②(山門)
14時15分、三島大社・神殿
45 三島神社④(神殿)
大社の参道を通り、境内⇒神殿と進み、Yumiさんと一緒にお賽銭をご奉納し参拝しました。
参拝は、周りに人がいるので、心の中でYumiさんの病気平癒をご祈願しました。
境内(神門と舞殿の間の右側)に天然記念物の金木犀(写真左)が植生されており、開花し始めた所でしたが、大きな樹から強い香りを漂わせていました。
※写真右=神池(鳥居~神門の間の左側)
45 三島神社⑤(金木犀)061 三島大社・神池
また、境内では、結婚式を挙げた花婿さんと白無垢の花嫁さんが、幸せ一杯の満面の笑み称えて歩いていました。
14時28分、三島大社発
三島大社を出発し、約270m歩くと右側に三島市中央町別館があり、建物の脇に問屋場跡碑が建っていました。
14時34分、問屋場跡(右側)
46 問屋場跡碑①
問屋場跡から約180m歩くと本町交差点があり、交差点を真っ直ぐ越えた右側に本陣碑が建っていました。
14時38分、
世古本陣跡碑(右側)
47 世古本陣跡碑①
世古本陣跡から交差点に戻り、交差点を渡って右に2軒目の山田園(茶園)の前に樋口本陣碑が建っていました。
14時41分、樋口本陣跡碑(左側)
48 樋口本陣跡碑①
世古本陣と樋口本陣碑は、それぞれ50㎝程の高さのため、座らないと写真が撮れないので、膝痛のYumiさんは座るのが大変でした。
樋口本陣碑から約250m歩くと左側に三石神社があり、境内に「時の鐘」がありました。
14時46分、時の鐘(三石神社)=左側
49 時の鐘①(三石神社境内)
時の鐘のある三石神社を出て、約10m先の右側に蓮馨寺があり、芭蕉老翁の墓があるので見に行きました。
14時49分、芭蕉老翁の墓

50 芭蕉老翁の墓(連馨寺)
老翁の墓から旧東海道に戻り、伊豆箱根駿豆線の踏切を渡ると、右側に今日の到着である「三島広小路駅」があり、Yumiさんに看板を掲げてもらい到着式を行いました。
14時52分、三島広小路駅・駅前着(到着式)
51 三島広小路駅前②(到着地)
Yumiさんが膝痛になり苦労しましたが、何とか旅を終えることができました。
「さあ、うなぎを食べに行こう」とYumiさんに声を掛け、楽しみにしていた「桜家」にうなぎを食べに行きました。
【うなぎ】
「桜家」は、旧東海道に面していて、三島広小路駅から踏切を渡った右側にあり、夕方は行列ができる有名な店と聞いていました。
15時頃なので空いているかと思って店内に入ると、「え!!」と思うくらいお客が入っていて、他の人と相席で座りました。
52 うなぎ桜家(注文品)
鰻は、柔らかく、香ばしく、口の中でとろけるようで、諏訪のうなぎ小林店と変わらないくらい美味しかったです。
【帰路】
15時32分、三島広小路発
53 三島広小路駅ホーム
改札で切符を買い、ひと駅先の終点三島でJRに乗り換え、家に帰ってきました。
熱海から西はJR東海の管轄で東日本のパスモが使えないことを失念していたため、三島駅では民鉄の改札から一度改札を通って外に出て、JRの切符売り場に移動して小田原までの乗車券を購入して入場しました。
Yumiさんに切符を入れて改札を通る方法を教えましたが、次回まで覚えていてくれるかな?です。
99%、覚えているのは無理だとおもうので、また教えるようです。
また、駅の下り階段は膝痛のため下るのが難しいため、エレベータを使用して移動しました。
【総評】
今回の旅は、
 ①.天候に恵まれた
 ②.富士山が初めて眺められた
 ③.街道を歩く人との会話
 ④.Yumiさんの膝痛
など、今までにない体験がありました。
次回の旅は、どのような体験をするのか分かりませんが、準備して楽しい旅にしたいと思います。
また、Yumiさんにとっては厳しい旅になってしまいましたので、少しでも楽しい旅になるよう膝の筋肉強化の運動をまた再開したいと思います。
【次回の予定】
次回は「11月10日㊏~11日㊐」の一泊二日で、三島広小路駅前~東田子の浦駅前~新蒲原・五十嵐商店角までの旅をします。
三島から先は、
 ①.日帰り2回の二人分の旅費より、ツインルームで宿泊した方が安い
 ②.Yumiさんの体力負担を軽減する
ためです。
また、男性が加入できる65才になり加入したJR東日本のジバング(30%引き)も活用したいと思います。

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【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
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旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
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※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
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なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
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