【天候】晴れのち曇り、一時雨
【宿場】(09)小田原宿⇒(10)箱根宿
【行程】歩行距離=12.91㎞ 総距離=101.82㎞  

箱根登山鉄道・入生田駅入口⇒(2.80㎞)⇒022湯本茶屋一里塚⇒(4.39㎞)⇒
023畑宿一里塚⇒(4.42㎞)⇒024箱根一里塚⇒(1.30㎞)⇒箱根町バス停
【ルート図】
 宿場(黒囲みが第6回旅の宿場)
16 6回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第6回)
 第6回の旅ルート
 
(箱根登山鉄道
・入生田駅 ⇒ 箱根宿・箱根町バス停)
第6回ルート
【旧東海道の旅】
《序章》
6月30日に旅してから7月中旬に白内障の手術、夏の暑さ対策に私の左足親指の骨折(7月中旬)が重なり、当初計画していた9月1日に旅をする予定を、9月16日に2週間延期しました。
《準備》
骨折したことで、約2カ月半、ウォークを始めほとんど歩いていなかったので、不安な気持ちをもちながら少し早い12日から荷造りを始めました。

ザックや服装は、この時期のすずめ蜂の動きを考え、蜂が好む黒を除くことを第一に考え、私は青色のDeuter製30㍑、Yumiさんは雨の時のことを考え、ザックカバーが備え付けられている私がいつも使っている水色のモンベル製30㍑にしました。
ザックに入れる荷物は、チェックリストを元に1から準備しました。

また、今回の東海道の旅は箱根東坂の上りで山行と同じなので、万一の事故に備えヘッドランプ、非常食、医薬品、ストック、雨具(ゴアテック合羽上下・折り畳み傘)、昼食などを用意しました。
貴重品類は、前日の15日昼間に準備し、寝る前に再度、全部の持ち物について再点検し、朝4時に目覚ましをセットしてベツドに入りました。
04時20分、起床
いままでの5回の旅で権太坂、大坂、化粧坂などの大きな坂がありましたが、
今回の箱根東坂の上りは旧東海道の中で一番の難所と云われているところなので、緊張感をもって当日の朝を迎えました。
起きた時はまだ日の出前なのため、暗くて天気の状況は分かりません。
前日の天気予報どおりの天気を祈りながら、いつも
と同じ段取りで朝の身支度を整え(違うのは、両足のつり防止の手入れが追加)、朝食は前日買い置きした「あんまん・肉まん」を電子レンジで温めて食べました。
また、飲み物は500mlスポーツドリンク2本(1本は冷凍)と麦茶を用意しました。
《移動》
05時25分、自宅発

いままでの5回の旅は、権太坂、大坂、化粧坂などの坂がありましたが、今回の箱根東坂の上りは旧東海道の中で一番の難所と云われているところなので、緊張感をもって当日を迎えました。
起きた時はまだ日の出前のため、天気の状況は暗くて分かりませんが、前日の定期予報を信頼して旅に出る準備を始めました。
靴はウォーキングシューズからトレッキングシューズに替え、少し肌寒さを感じる朝の空気を浴びながら、最寄り駅に向けて自転車を走らせました。
最寄り駅を定刻に出発し、電車を乗り継いで、小田原で箱根登山鉄道に乗り換え出発地の入生田駅に到着しました。
駅でトイレを済ませ、
前回撮影を持ち越した駅の改札口を記録に残しました。
01 入生田駅①
08時02分、入生田駅着
入生田駅では旅に出発する前、先人のHPに掲載されていた丸い石を確認しようと地元の方に聞くと、「その石ならすでに撤去されていて、今はないですよ」と、親切に家まで教えて下さいました。
私は、丸い石の写真を撮って、Subu君に送りたいと思っていたので、とても残念でした。
また、撤去された後の写真を撮っておこうかなと考えましたが、思い出をそのまま残しておいてあげようと考え、撮るのはやめました。
写真を撮ろうと探していた家は、出発地点となる入生田駅入口の前の造園屋さんでした。

【=旅=】
08時13分、入生田駅入口(出発地)
02 入生田駅入口(出発地)②:後ろ進行方向
出発式(Yumiさんが出発地に立って、出発地の看板を掲げて撮影)を行い、芦ノ湖に向けて出発しました。
歩き始めると約100m先に踏切があり、丁度遮断機が降りて小田原行きの電車が走ってくるので、急いでシャッターを押しました。
 ※小田原方向に走る箱根登山鉄道
03 入生田駅踏切①(小田原行き)
箱根登山鉄道は単線のため、入生田駅を見ると箱根湯本行きの電車が走ってくるところだったので、Yumiさんを踏切の近くに立たせてシャッターを押しました。
08時16分、箱根湯本方向に走る箱根登山鉄道
03 入生田駅踏切②(湯本行き
この旅で、このような機会は二度と無いので、良い記念になりました。
天気は青空で、日差しの強さとじめーとした湿度から、歩き始めたばかりですが、汗が噴き出てきてYumiさんも汗を拭いています。
踏切から約220m歩くと国道1号に合流するところの階段を降り、国道の脇の道を約110m歩いてまた階段を上り、約550m歩くと左側の箱根レッカーの先で、1号線に出ます。
この近くに「山崎の古戦場跡」の石碑が建っていると史料のありましたが、工事中で見つけることができませんでした。
合流した1号線の道路沿いを歩いて湯本横断歩道橋を使って反対側に渡らなければいけないのですが、面倒で車の通行を確認すると丁度信号で途切れた時だったので、横断歩道橋を割愛して道路を横切ってしまいました。
そして、反対側に渡って約300m歩くと、早川に架かる三枚橋の三枚橋交差点となり、旧東海道は交差点を左折します。
08時37分、三枚橋
04 三枚橋①
三枚橋のたもとで記念写真を撮り、沖縄地方に超大型の台風が接近している影響で、天候不順の予報が出ているため、先を急ぎました。
約240mほど歩くと、左側にコンビニのセブンイレブンがあり、昼食(おにぎりとジュース)を仕入れるために立ち寄りました。
昼食を仕入れ、約450m歩くと(手前の右側に湯本小学校がある)左側に白山神社が、右側に北条文化の遺産が残る早雲寺があり立ち寄りました。
【東坂の上り】
08時53分
早雲寺(右側)
05 早雲寺入口①
早雲寺は、小田原北条氏の菩提寺で、大永元(1521)年、北条早雲(伊勢盛時)の遺言により北条氏綱が創建した臨済宗大徳寺派の寺院だそうです。
境内が涼しそうだったので立ち寄りましたが、Yumiさんはまったく興味がなく写真だけ撮りましたが、境内の木々はまだ緑濃く朝の陽射しを浴びてとても綺麗でした。
 
※早雲寺境内
06 早雲寺境内①
街道は、早雲寺を過ぎたあたりから、登り勾配がきつくなってきて、この先の厳しい上りを示唆するようでした。
早雲寺から約350m歩くと、左側に正眼禅寺があり、少しだけ立ち寄りました。
09時03分、正眼禅寺(左側)
07 正眼禅寺①
正眼禅寺は、曽我兄弟の菩薩供養されているのですが、境内を簡単に一巡しただけで失礼しました。
正眼禅寺の先で坂の上りが少し緩くなった右側に静観荘があり、その脇に日本橋から22番目の一里塚跡があり、石碑が建っていました。

09時12分、022湯本茶屋一里塚(右側)
08 湯本茶屋一里塚①
一里塚碑から約110m歩くと新茶屋があり、その前を右側に進んで少し歩くと石畳道になりました。

本橋からここまでの道は、100%舗装道路だったのですが、初めて旧東海道を偲ばせる道になり、旅の雰囲気が出てきました。
 ※石畳道
09 旧道最初の石畳道(湯本茶屋)
石畳の道は猿橋に向かって一度下り、橋を渡ったところから上り坂となるのですが、石畳の道は凹凸があり歩きづらい道だなという感じでした

一度目の上りが終わり国道と合流し、車に気を付けながら国道沿いの上り道を歩きましたが、私とYumiさんは汗でタオルはグッショリ状態になっていたため、南風荘入口のところで休憩を取り、新しいタオルに交換と水分補給を行いました。
一服休憩を取ると気分的に楽になり街道は上り坂ですが、急というほどでもない状態がしばらく続きました。
09時35分、ホテル奥湯本の手前
10 旧道(ホテルおくゆもと手前)
09時47分 須雲川インターチェンジ(箱根新道との合流地点で信号有り)
この辺りの道路は、右・左にカーブしているので、視界の悪い地点が多々あり、車は人が歩いていると思わないで走ってくるので、気を付けないと大変危険な場所です。
須雲川ICから約500m歩くと、左側に鎮雲禅寺がありました。
9時55分、鎮雲禅寺(左側)
11 鎮雲禅寺入口②
鎮雲禅寺は、入口に石碑、その左側に霊泉の滝があり、清流が流れ独特の雰囲気をかもし出している寺院でしたが、階段の上り・下りはきついので境内には入らずに入口で失礼しました。
そして、この先の「女転し坂」から箱根の本格的な上り坂に入りましたが、
この辺りから雨が降ってきたので、持参した折畳み傘を差して歩き始めました(これ以降、雨は降ったり、止んだりが繰り返されました)
旧道の女転し坂は現在通れないため、結構きつい上り坂の国道沿いを傘を差しながら、テクテクと歩きました。
そして、息を弾ませながら約750m歩くと、左側のバス停の前(右側)に割石坂碑があり、右側の石段を上るのですが、入り口から見上げると急坂が続いており、気が滅入りました。

10時13分、割石坂(右側)
12 割石坂入口①
割石坂は、県道732号線の「発電所前バス停」近くの「須雲川自然探勝歩道」の入り口から始まり、「曽我五郎が富士の裾野の仇討に向かう時、刀の切れ味を試すため、路傍の巨石を真っ二つに割り切ったところから名付けられたようです」。
雨は止むことなく降り続いていますが、木立の中ということと、雨の勢いが強くないということで、歩くのには支障はありませんでしたが、石畳の道は滑り易く気を付けながら歩きました。
 ※割石坂の石畳
13 割石坂石畳
また、手持ちの資料と地図が、汗と雨でフニャフニャになってきたので、保護しながらの歩きになりました。
そして背負っているザックが濡れ始めてきたので、割石坂の途中でザックカバーをセットしました。
Yumiさんのザックは、ザック備え付けのため簡単にセットすることができ、私のカバーは外付けでしたが比較的簡単に取り付けることができました。
【旧道を間違える・PARTⅠ】
割石坂から国道に合流した先の千鳥橋下で、国道から左に分岐して歩くのですが、見落としてそのまま国道を歩いてしまい、「大沢坂」は割愛してしまいました。
大沢坂を上った合流地点で、大沢坂を通らない歩いてしまいましたが、戻る気力もなく違う道でも歩いたということで良いでしょうと、勝手に納得しました。
そして、大沢坂の頂上の合流点から約90m歩くと、右側に本陣跡の碑が建っていました。

10時30分、畑宿茗荷屋本陣碑(右側)
14 畑宿本陣碑①
茗荷屋本陣は江戸時代、参勤交代の大名や公家たちが使用した宿泊所で、幕末にはアメリカ総領事のハリスの通辞をしていたヒュースケンも利用したという記録が残っている。建物は大正元年(1912)に焼失しましたが、当時の趣きを残す小川や池がある庭園を見ることができる。明治時代に旧街道の杉並木から伐採し、真ん中をくり抜いた切り株があり、通り抜けると長寿をもたらすといわれているそうです。
しかし、今日は雨模様で、この辺りでは小雨になっていたため、雨の降っていない時に少しでも先に進もうと、立ち寄ることなく記録だけ残し、約270m歩くと日本橋から23番目となる一里塚跡が左右に建っていました。
10時34分、023畑宿一里塚(左・右)
15 畑宿一里塚入口①
畑宿一里塚は、江戸時代の一里塚の形態をとどめた立派な塚で、現在のものは発掘作業で確認できたものを復元したものだそうです。
 畑宿一里塚=左側
16 畑宿一里塚②(左)
 
畑宿一里塚=右側
16 畑宿一里塚④(右)
 H26.09.11 再訪=宿一里塚(右側)
120 畑宿一里塚
 ※畑宿一里塚・解説
121 畑宿一里塚・解説
左・右の塚写真を撮り、天気の状態も良くないので、甘酒茶屋を目指して先を急ぎました。
一里塚を過ぎても箱根東坂の上り坂が終わったわけでなく、雨模様が続くなか車が行き交う舗装路、東海道で有名な石畳の道、階段道などを歩きました。
私たちの後から上ってきた親子連れ(3人)は、雨具を持っていなかったのでどうするのかと思っていたら、畑宿一里塚の先の西海子坂(さいかちざか)を上った国道との合流点で歩くのを止めたようで、国道を歩いていた私達を追い越して行ったバスに乗っていました。
雨具なしの行程はすこし無謀だなと思っていたので、歩くのを止めたのは正解だったと思います。
 
※西海子坂の石畳道
19 西海子坂の石畳
 ※石畳の構造
17 石畳の解説
ゴツゴツして歩きづらい石畳道の西海子坂を過ぎると、橿木坂となり途中から階段道になりました。
 H26.09.11 再訪=階段道(比較的勾配の緩やかな階段)
122 箱根旧道・歩いた思い出
階段は写真のように勾配が緩やかなものもありますが、足腰の負担を増加させる勾配のきつい坂が多々あり、階段以外の道を歩きたいと思ってもコンクリート製の階段以外に道がないので致し方ありません。
そのため15段くらい上ってひと休みしてまた上ることを繰り返しながら、延々と続く階段の上りを進み見晴橋分岐の橋に着きました。

11時15分、見晴橋分岐
20 見晴橋分岐
ここで反対方向から歩いてきたご夫婦とすれ違いましたが、お互いに挨拶をすることなく行き違いました。
ここからさらに急階段を上ると見晴茶屋がありましたが、階段の往復を考えただけで気持ちが萎え行きませんでした。
11時23分、甘酒橋
21 甘酒橋
甘酒橋の往時は木橋でしたが、現在は木に似せたコンクリート橋でした。
砕石の上を歩く感じで歩きづらい石畳の上り道⇒上り階段⇒国道の上に掛かる歩道橋⇒上り階段を経て、国道沿いのコンクリートの道を少し下ったところに、箱根旧街道休憩所がありました。
11時34分、猿滑坂
22 猿滑坂碑
私の足は久しぶりの山道で、攣る一歩手前の状態になっていたので、Yumiさんにそのことを話すと、「私も同じなの」との返事。
もう少しで着くからとYumiさんを励まして、休憩できる場所を目指しました。
緩やかな追込坂を約180m歩くと、箱根旧街道資料館の建物が見えてきました。
11時50分、昼食(箱根旧街道資料館)=右側
23 箱根旧街道休憩所③
支流館は昼食が食べられる長椅子がいくつか用意されていたので、一角を借りて昼食を摂りました。
おにぎりとジュースと簡素なものでしたが、ゆっくり寛ぐことができました。
また、資料館は、入れ替わり人が入ってきますが、簡単に見学するだけで、食事を摂っているのは私達だけでした。
そして、すぐ隣の甘酒茶屋は、箱根に来ると立ち寄る人が多い、人気スポットのため、多くの人が来ていました。
私達は、これからの水分補給のためにペットボトル(500ml=2本)を買い、写真を撮って出発しました。
12時22分、甘酒茶屋発
24 甘酒茶屋①
甘酒茶屋は、箱根峠の旧街道沿いに佇む一軒の杉皮葺きの建物で、江戸時代初期に創業し、現在12代目だそうです。
旧道は甘酒茶屋
の裏にある道で、また上り坂が始まりました。
24 甘酒茶屋③
Yumiさんはストックを使用しているので、その音が聞こえないので後ろを振り返ると、少し離れて足を引きづって歩いています。
女性なのが、前後に人のいないことを確認しズボンを膝まで上げ、足攣りに効く薬を塗り、再スタートしました。

12時32分、於玉坂碑(右側)
25 於玉坂碑
於玉坂は、関所破りで処刑されたお玉の名前がついたお玉ヶ池が有名ですが、この坂も同じように於玉の名前を付けています。
塗り薬を塗ると少しの間は良いのですが、少しすると今度は反対の足が攣った状態になるなど、権現坂を下った木製の歩道橋まで、右・左の太もも、ふくろはぎと、場所を変えて治療の連続でした。
Yumiさんの辛い状況も分かりますが、凡人の私の口から「何とかならないかね」とグチが出てしまいました。
 ※於玉坂
26 旧街道石畳
12時33分、箱根旧街道道標(左側)
27 箱根旧街道碑①
 ※箱根旧街道道標

27 箱根旧街道碑③
於玉坂から白水坂と続き、日本橋から約100㎞地点となる天ケ石坂となります。
天ケ石坂は、今まで上ってきた坂に比べて傾斜は緩やかなのですが、歩いてきた疲れもあり傾斜の割りにはきつい上り坂になりました。
13時02分、箱根馬子唄の石碑(右側)
28 石碑①
 ※分岐道標
29 旧街道分岐・道標
朝から続いた上り坂は権現坂の頂上でおわり、今度は元箱根に向かって下り坂になりました。
13時21分、権現坂碑(右側)

30 権現坂碑①
私は昼食の休憩、ストレッチ、塩と水で足の状態は保たれましたが、Yumiさんにはきつい山道になりました。
足攣りに効く薬と、山の会で教えて頂いた足攣り対策の塩と水で、Yumiさんの足の状態は良くなりました。
また、甘酒茶屋からの道中は、元箱根から上って来る人で行き交う人が増えましたが、「え!!、この靴で歩くの?」と思う人がいたのでガッカリしました。
歩けないことはないでしょうが、ウォーキングシューズくらいは履いてもらいたいなと思いました。

【旧道を間違える・PARTⅡ】
31 木製の横断歩道橋
権現坂を下った木製の歩道橋の下でYumiさんの足の手当を行った後、
道が左の国道に出る道と、真っ直ぐ進む旧道みたいの道があり、人が真っ直ぐの方から上ってくるので、てっきりこの道だと思って歩いて行くと、道が途中で途切れるようになってしまい、違う道を歩いてきたことに気が付きました。
ここも後戻りができないので、そのまま下って元箱根交差点付近に出ました。

今日、二度目の道間違いです。
この頃になると雨は止んでいました。
国道に建っている赤い鳥居をくぐった左側に、身替り地蔵がありました。
13時35分、身替り地蔵(左側)

32 身替わり地蔵①
身替り地蔵は、鎌倉時代に頼朝の家来、梶原景季(かげすえ)が父の景時と見誤られて背後から斬りつけられた時、その身代わりになって景季を救った伝説が残されています。
身替り地蔵の少し先の左側にセブンイレブンがあり立ち寄り、ペットボトル(2本)とおやつのアイスクリームを買いました。
アイスクリームはどれにするか迷いましたが、今日の努力を称え少し高価なハーゲンダッツにしました。
13時40分~13時55分、休憩(芦ノ湖)

33 芦ノ湖湖畔②
セブンイレブンの前は芦ノ湖なので、そこで食べようと湖畔に出て、階段に腰掛けて芦ノ湖を見ながらアイスクリームを食べました。
芦ノ湖は海賊遊覧船が到着する時で、Yumiさんは「あの船に乗ったことあるね」と、母親を伴って一緒に乗った時のことを思い出したようです。
休憩を終え、セブンイレブンから約170m歩くと、杉並木手前の左に日本橋から24番目となる一里塚跡があり石碑が建っていました。
14時00分、024箱根一里塚(左側)
34 箱根一里塚②
一里塚の先から杉並木が始まり、分岐を左側の遊歩道に進みました。
 ※杉並木
35 箱根杉並木①
右側の国道は車が渋滞していましたが、遊歩道の杉並木を歩く人は少なくノンビリと歩きました。
14時13分~14時27分、箱根関所跡(右側)
36 箱根関所①
関所が設置されたのは、元和5年(1619)で、屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合うものとなっていました。そして一般な関所は、「入り鉄砲に出女」を取り調べたと言われているが、この箱根関所では、江戸方面からの「出女」に対する厳しい取り調べを行っていたそうです。設置から250年後の明治2年(1869)、新政府により関所制度が廃止され、その役割を終えました。
関所跡は以前に見学して知っているので、今日は史跡の見学を割愛してお土産物店に入り、Yumiさんに寄木細工の髪止めと楊枝入れをお土産に買いました。
Yumiさんは髪の毛を止めるものを探していたので、ニッコリして喜んでいました。
14時30分、箱根本陣はふや跡(箱根ホテル?)=右側
37 箱根本陣:楓並木①
本当がどうか分かりませんが、楓の木をバックに撮影しました。
14時32分、箱根町バス停着(到着地)=右側
箱根新道経由の急行湯本・小田原行きのバス停には長い列ができていて、丁度乗り始めたところでしたので、到着式を行わないで列に並びました。
並んでいた数人は次のバスにするらしく新たに並び直していましたが、私とYumiさんは流れのまま乗り込んでしまいました。
座席は既に満席で、私とYumiさんが最後の乗車になり、バスはすぐ出発しました。
【帰路】
14時35分、箱根町バス停発

箱根湯本駅まで混雑しなければ、箱根新道をノンストップで走り25分で到着するとのこと。
乗りながら、到着式(バス停での撮影)や、乗っても座れないのなら次のバスでも良かったかなと思いましたが、後の祭りとなりました。
到着式は、次回(9月29日)の出発の前に行うことし、到着式の代わりに箱根湯本駅で写真を撮り、今日の閉めにしました。
15時04分、箱根湯本駅
39 箱根湯本駅
15時過ぎに箱根湯本駅に着き、駅員にロマンスカーの予定を聞くと、M駅に停まる列車が発車するのは40分後と聞き、小田原まで登山鉄道の各停電車で行き、小田原で急行に乗り換えて帰ることにしました。
なかなかロマンスカーに乗る機会がないので、この先タイミングの良いがあることを祈るのみです。
家に帰る途中で夕食を摂り、18時30分すぎに家に着きました。
一日、お疲れ様でした。
今日は、シャワーではなく久しぶりに湯船に浸かり疲れを取りました。
【総評】
今日の行程は、距離的には13㎞弱と少なかったのですが、久しぶり山歩きと厳しい上り坂で、Yumiさんは大変だったと思います。
旧東海道の旅で一番厳しい旅になるだろうと考えていた上に、出発する時は快晴だった天候が、数時間後には雨天になる天候の急変で、今までにない厳しい旅になりました。
そのため、旅の途中で何回も足の具合が悪くなり対策を講じた結果、幸いにも効果が発揮され、いつもだと駅の下り階段は大変だったのですが、今日は普通に歩いて降りることができました。
また、今日は汗もたくさんかき、ペットボトルを500ml=6本、350ml=1本飲み、タオルハンカチもEi=サイズ(大)を3枚、Yumiさん=サイズ(中)を3枚使いました。
帰りのバスは、立ち通しでしたが、渋滞もなく案内された時間どおり25分と短い時間だったので、助かりました。
と、いうことで2カ月半ぶりの旧東海道夫婦二人旅は、無事に終わりました。
【次回の予定】
次回(第7回)は、「箱根町バス停から三島広小路駅まで」の14.43㎞の箱根西坂の山下りを行う予定です。
箱根西坂の下り坂は、転倒事故に気を付けるため、今回と同じようにトレッキング用の靴で歩こうかなと思います。
また、次回の旅では、今回割愛してしまった箱根町バス停での到着式と、当日の出発式を行う予定です。
そして、三島広小路駅の手前にある「桜屋」で、うなぎを食べたいと思います。

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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 

 

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/