【旧東海道夫婦二人旅(序章)】
旧東海道を歩くことは新年を迎えた時、考えてもいませんでした。
一方、認知症と診断を受け少しずつ介護が必要な状態になっているYumiさんと、4月に結婚40周年を迎えるにあたり何か思い出に残ることをしたいと考えながら日々過ごしていました。
すると山歩きで私の良き相談相手になってくれているN氏(大阪に単身赴任中)から、「今度、旧東海道の東下りに参加することになりました」とメールが届きました。
最初は「そうなの」と思った程度でしたが、次第に「街道歩きならYumiさんも歩けるだろう」と考えるようになり、「よし、Yumiさんと二人で日本橋から歩こう」と歩くことを決めました。
また旅の途中、東海道の何処かでNさんと私達が出会い、すれ違えたら「素晴らしいな」と夢も描きました。

私は今年(H24)65才を迎え来年(H25)の3月31日で、長きに渡るサラリーマン生活を終え、自遊人の年金生活に入ります。
相方のYumiさんは、私より少し年下で、着物着付けをこよなく愛する、心の優しい、穏やかな女性です。
そのようなYumiさんは、4年前の平成19(2007)年11月に乳がんの手術を受け、抗がん剤の治療を受けている最中の平成20(2008)年12月に「認知症」と診断され、病名を云われないまま2年を経過しました。
そして、平成23(2011)年1月に受診した3ケ所目の病院で、「意味性認知症(SD)」と診断され病名が確定し、平成23年2月に介護認定調査を受け、平成24(2012)年6月における介護度は「要介護2」です。
※追記=その後のYumiさん
平成27(2015)年1月の区分変更認定調査で要介護4となり、3ケ月後の4月に階段から転落し頭蓋骨骨折で入院したのを契機に歩行困難となり、4月下旬に受けた区分変更認定調査で要介護が「5」になりました。
幸運にも平成27年6月に第一希望として考えていた特別養護老人ホームに入所することができ、在宅介護だったYumiさんの介護を専門家に委ねることになりました。
また、意味性認知症が含まれる前頭側頭葉変性症が平成27年7月に難病指定となり、医療費助成(医療費が2割負担)を受けられるよう申請し、東京都から認定証の交付を受けました。
現在(平成31年01月01日)は「歩けない」、「自分で食べられない」、「会話出来ない」など、100%介護状態ですが、週3回の訪問マッサージを受けながら歩行リハビリに取り組んでいます。
Yumiさんの日常の状況は以下のブログでご覧になれます。
  http://kujakusaboten2921.blog.jp/

★意味性認知症(SD)
「前頭側頭葉変性症の中の1つで、症状は言葉や物の意味語議がわからなくなる意味記憶障害で、話していることがちぐはぐになり会話がうまくできなくなります。
進行すると、前頭側頭型認知症と同じような精神行動障害(無為や常同行動、脱抑制など)が目立つようになり、日常生活をする上で支障をきたすようになります」
《解説情報》 以下のアドレスをクリックするとご覧になれます
・前頭側頭葉変性症 つくしの会 カテゴリー「病症情報」・・・私が会長を務める介護仲間の会です
  http://yamatosakura2016.blog.fc2.com/

【街道旅】
さて、旧東海道を歩くといっても、全く知識がありません。

思い出を作りには汗を流すことが必要と考え自力で資料を収集して完歩するため、インターネットなどで資料の収集を始めました。
旧東海道のルートは、Uソリューションズが作成した「5街道 Googliマップ 東海道編」と「東海道一里塚」。
日本橋から箱根峠は、国交省東京国道事務所と横浜国道事務所が作成した地図を基本に、先人の方々が苦労して集められたHP情報を組み合わせて収集することにしました。

そして、箱根峠から先は旧東海道が通っている自治体に、旧東海道に関する資料の提供をお願いすることにしました。
また、旅は歩くだけではなく面白くないので、先人が残して下さっているHP情報を使わせて頂くことにしました。
さて、Nさんが参加している京都・三条大橋を出発する東下りは、既に1月から始まっているため、私もなるべく早く出発しなければなりません。
ところが、一日の歩く距離、全体の行程をどうするか等、いろいろと考えなければならないことが多々あり、計画は一進一退を繰り返し、なかなか全体の工程が決まりません。
そこで、3月11日に日本橋を出発、再来年1月に三条大橋に到着することを目標に定め準備を始めました。
《旅の基本的な考え方》
 ①.加入している山の会の低山ハイキングや、ウォーキングに参加しながら歩く。
 ②.三島までは日帰り、そこから先は1泊2日、または2泊3日で歩く。
 ③.7月と8月は、猛暑の歩きは体力を消耗するのでお休みする。
 ④.前日の午後5時発表の日本気象協会予報で、降雨確率が40%以上の時は予約ホテルの対応により順延する。
これらを基本に詳細な計画を立てていくことにしましたが、夫婦二人の気ままな旅なので、準備に汗を流しますが、他の人に気兼ねすることなく自由に計画を変更して、無理なく、楽しい旅をしたいと思います。
皆さん、ご支援程よろしくお願いします。

さあ、京・三条大橋を目指して、出発です。

【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26(2014).09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28(2016).05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところがご縁があって第8回旅からMさん(男性)と二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

※《街道旅-3》 旧中山道二人旅

旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28(2016).09.17にお江戸日本橋を出発し、H30(2018).11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/

※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅

H31(2019).01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01(2019).11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 

※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅

江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02(2020).03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02(2020).10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/  

【みちのく潮風トレイル】

環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間と男二人で80歳までの完歩を目指してR03(2021).10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイルを80歳までに完全踏破する予定でいました。
ところが相方が家庭の事情から外れることになり、私一人で歩くことになりました。
五街道のように多くのハイカーが歩いている道と違いほとんど歩いている人が居ないため、私に万一のことがあった時、誰も助けを求めることができません。
Yumiさんは特養でお世話頂いているとはいえ私に万一のことがあってはならない状況下にあるため、私の脚力などを考えながら安全なルートを虫食いになりますが、計画して歩きたいと思います。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/