【天候】晴れ
【宿場】(05)戸塚宿⇒(06)藤沢宿⇒(07)平塚宿
【行程】歩行距離=20.31㎞ 総距離=58.57㎞
東戸塚・福寿歩道橋入り口⇒(3.8㎞)⇒010戸塚一里塚⇒(4.053㎞)⇒011原宿一里塚
⇒(4.143㎞)⇒012遊行寺一里塚⇒(4.181㎞)⇒013辻堂一里塚⇒(4.129㎞)⇒
014茅ヶ崎一里塚
【ルート図】
↓宿場(黒囲みが第3回旅の宿場)
↓旧東海道の旅・進捗状況
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
↓第3回の旅ルート
(JR東戸塚駅・福寿歩道橋入口 ⇒ 茅ヶ崎駅・茅ヶ崎一里塚)
【再訪】
夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
〔※①〕=平成26(2014)年 9月11日
【旧東海道の旅】
《移動》
07時40分、JR東戸塚駅着
前回(4月8日)と同じ時間の電車で移動し、東戸塚駅に到着しました。
東戸塚駅でトイレを済ませ、Yさんからメールで送って頂いた東戸塚から福寿歩道橋までの地図を片手に出発しました。
07時43分、東戸塚駅前バス停
最初に、Yさんからご推奨された源義経公が祀られている白旗神社に向かいました。
バス停先の東戸塚駅前信号を渡り、洋服のコナカの前を左に進み、次の信号右手前の急階段を上りました。
急階段を上って先を見ると、神社の裏手が柵で仕切られており、神社に行くには階段を降りて反対側に行かなければなりません。
急階段を下りて神社までの坂の往復とYumiさんが行くのを嫌がるので、Yさんには申し訳なけなく思いながら参拝を割愛して福寿歩道橋に向かいました。
福寿歩道橋は、急階段を下りたところの信号を進行方向反対側(右側から左側)に渡り、環2平戸信号手前を左折し、少し先の階段を上がったところにありました。
歩道橋に上り、福寿歩道橋を渡ると左側に福寿観音が祀られていたので、今日の道中のご加護と、Yumiさんの病気全快(意味認知症と緑内障)をご祈願しました。
07時53分、福寿観音(左側)
※今日の出発地の福寿歩道橋入口で出発式を行うことが出来なかった時のことを考え、福寿観音のところで今日の出発式の看板を掲げたところの写真を撮りました。
なおこの時の旅名は「旧東海道テクテク夫婦旅」でしたが、ここから「旧東海道夫婦二人旅」に変更しました。
【=旅=】
07時55分、東戸塚・福寿歩道橋入口(出発地)
前回終了した歩道橋入口は、人通りがあり、出発式で写真を撮っていると通行の邪魔になるため、場所を少しずらして出発式を行い出発しました。
出発地には荷物の整理や準備体操をする場所がないので、少し先の空き地でザックを整え、足のストレッチを行いながら「今日は、歩く距離が長いからね」とYumiさんに話しましたが、どこまで理解できたかは?です。
空き地を出発して左に柴田農園を見て約300m歩くと道は右に曲がるのですが、右に曲がらずにほぼ真っ直ぐに階段を下りると福寿歩道橋の下を走っていた道路を跨ぐ歩道橋があり、歩道橋を渡り左に階段を降り、下りた処を右折、直ぐ左折とクランク形に歩き、約210m先の県道218号を横切り、そのまま約210m歩くと川沿いとなり、川に沿って約400m歩くと東戸塚駅入口交差点があり国道1号に突き当りました。
旧東海道は、
①.国道1号東戸塚信号を横切り
②.国道1号の左側を歩く
③.赤関橋信号の手前で国道1号に合流
④.赤関橋信号で国道1号と別れ左に分岐
⑤.約280m先で国道1号に合流
と、国道1号を出たり入ったりしながら歩きました。
秋葉立体入口先で合流した国道1号を約750m歩くと、左側にコンビニ(ファミマ)がありトイレをお借りしました。
08時45分、ファミリーマート(左側)
店員の方に
E=トイレをお借りしたいのですが
店=(笑顔)どうぞ
Yumiさんをトイレに連れていき、二人ともスッキリすることができました。
ありがとうございました。
笑顔で対応されると、こちらまで、明るくなります。
コンビニを出て約80mのところで、カメラがないことに気が付き、走ってコンビニまで戻り店員の人に「デジカメの届け物ありませんでしょうか」と聞きましたが、「ありません」との回答。
「誰かが持っていったのかな」と思いながら、荷物を改めてみると出てきました。
私の物忘れが原因でした。
コンビニから約100m歩くと左側に大きなモチノキが見えました。
08時53分、益田家のモチノキ(左側)
※モチノキが立っている益田家
モチノキ(モチノキ科)は暖地に生育する雌雄異株の常緑広葉樹で。高さは3~8mに達し、4月頃に黄緑色の群生した花を咲かせ、球形の果実を付けて赤く熟する。この樹皮から鳥もちを作ることからモチノキの名の由来があり、古くから親しまれている木です。
益田家に植えられているモチノキは国道1号の旧東海道に面し、樹高18m、目通り2.4m、根回り3.1mの雌株と、0.75mほど離れた樹高19m、目通り3.2m、根回り4.9mの雌株の2本である。
モチノキは相模モチの愛称で郷土の人達から愛され、馴染まれてきたこの2本のモチノキは、稀有な大木となって今なお樹勢もきわめて旺盛であり、旧東海道に麺してきたという歴史的背景から県指定の天然記念物に指定されている。
益田家から数十mで道路は右に行く国道1号(1号も直ぐに国道と戸塚バイパスに分岐)と、左に行く旧東海道に分岐し、分岐したところにパネルが立っていました。
08時57分、不動坂標板(右側)
また、この辺りには大山道道標が立っているというので、近所の方や不動坂交番で聞きましたが、誰も分からず仕方なくそのまま通り過ぎました。
※大山道道標=不動坂信号の100m手前を右に入ったところにあるそうです:現物は未確認
不動坂信号から約400m歩くと短い橋が架かる十字路となり、橋の手前を右に曲がり約160m歩くと舞岡入口信号で国道1号にまた合流しました。
舞岡入口信号を渡たり、右側のブリヂストン横浜工場に沿って約270m歩くと、ダイエー隣りのレストラン「フォルクス」の前に江戸方見附跡のパネルが建っていました。
09時14分、江戸方見付跡(右側)
見附は江戸時代、戸塚宿で町並を形成し20町19間を宿内とし、その両側に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とし、貴賓の送迎はこれから行われ、大名行列もこれより隊列を整えたそうです。
※①=江戸方見付跡(左側)
進行左側のダイソーの建物の壁に埋め込まれていました。
《2つの失態》
見附跡を過ぎてから、
(1)010戸塚一里塚(左側)
見附跡が右側にあり、そのまま右側を歩いてしまったため、約300m先の左側にあるコンビニ(セブンイレブン)の先10mの国道沿いに建っている日本橋から10番目の「戸塚一里塚跡」のパネルを見落としてしまいましたので、再訪して記録の残しました。
※①=戸塚一里塚跡碑(左側)
(2)浮世絵で有名な大橋(吉田大橋交差点)
戸塚一里塚跡のパネルから約70m先に、安藤広重が戸塚宿の浮世絵に描いた吉田大橋があったのに、史跡が何もないごとくに写真を撮ることなくそのまま素通りしてしまいましたので、再訪で訪れ吉田大橋の写真を撮りました。
※①=吉田大橋
吉田大橋を渡り、国道1号を約550m歩くと、開かずの踏切で有名なJR戸塚駅の踏切に突き当りました。
09時31分、戸塚駅踏切
踏切に着いて時は踏切が閉まっており、開かずの踏切と聞いていたので、かなり待たされるのかなと思って電車が通る写真を記念にしようとYumiさんを入れた写真を撮ると、その直後に遮断機が上がり私の写真は撮らずに踏切を渡りました(残念)。
内田本陣跡
踏切を渡って戸塚駅前(西口?)のバスセンター信号付近に、内田本陣跡があったとのいうので跡碑を探しましたが、見付けられませんでしたので、再度跡碑の場所を確認し、スルガ銀行横浜戸塚支店前の道路沿いにパネルが建っていました。
※①=内田本陣跡碑(左側)
内田本陣は、間口18間(32.8m)、奥行14間(25.5m)で、畳数は152畳もあったそうで、本陣は現在の戸塚郵便局の場所にありました。戸塚郵便局はもともと内田家が営んでいた特定郵便局だったそうです。
バスセンター信号から約290m歩いた右側の戸塚消防署の手前に、澤邊本陣跡碑が建っていました。
09時47分、澤邊本陣跡(右側)
跡碑が建っている後ろの家の表札が見えたので、近くに行って確認すると「澤邊」と書かれており、ご子孫が在住しているのでしょう。
江戸時代の建物が現代の建物に変わっていましたが、本陣の跡地を守って今日まで持ちこたえるだけでも大変だっただろうなと、ご子孫のご苦労とともに時代の流れを感じました。
本陣跡から約500m歩くと八幡神社の先に、源頼義、義家父子が建立したと伝えられる富塚八幡宮が右側にありました。
09時58分、富塚八幡宮入口(右側)
富塚神社の周囲は富塚という古墳になっていて、戸塚の語源となっています。
Yumiさんに「お参りしていく?」と聞くと、「階段を上るのは嫌です」と断られてしまい、階段上り口で写真だけ撮って先に進みました。
神社入口先から約180m歩くと、左側のファミレスサイゼリア戸塚店の前に上方口見付跡のパネルが建っていました。
10時02分、上方口見付跡碑(左側)
この後、大坂の上りに入り、急ぐことなく国道1号を歩いていると、松並木が見えてきました。
旧東海道を忘れてしまうような現代の国道を歩いていたので、松並木を見て「東海道を歩いているんだなと」と思いデジカメを構えましたが、途切れることなく走ってくる大型トラックなどで、シャッターチャンスがなかなか難しく撮れませんでした。
Yumiさんの歩きが遅くなり、私との距離が開くので、
E=どうしたの?
Y=足が痛くて歩けない
E=どこが痛いの?
Y=(左の足を指差して)ここ
E=痛いの?
Y=痛い?
狭い歩道では治療が出来ないので、治療する場所を探すと左側にトランクルームの置き場があり、早速トランクルームの裏に行きました。
Yumiさんの靴と靴下を脱ぎ、左の足裏を見ると皮が剥けていたので、私のザックから救急品(山行用に一式取り揃えいつも持参している)を取り出し、ガーゼとバンドエイドで治療を施しました。
第1回の旅は履きなれたウォーキングシューズだったのですが、3月末(第2回の旅の直前)に旧東海道の旅用に新しいウォーキングシューズを購入し第2回の旅から履き始めたのですが、旅の時にできた足裏の水膨れが治らないうちに、今日を迎えてしまったようです。
治療して少し歩いたところで具合を聞くと「大丈夫」との返事なので、そのまま旅を続けることにしました。
そして高齢者専用住宅「クラシック・コミュニティ横浜・そよ風」の先の左側に、お軽堪平戸塚山中道行の場碑が建っていました。
10時21分、お軽勘平戸塚山中道行の場碑(左側)
東海道はここから大坂を下りとなり、国道の分離帯に松が植樹されていたので記録に残しましたが、大型トラックが入ってしまい技量が不足していました。
10時36分、大坂上の松並木(中央分離帯)
大坂を下り、吹上信号から約200m歩くと、左側に日本橋から11番目の原宿一里塚跡がありました。
10時45分、011原宿一里塚跡碑(左側)
※崖の上に一里塚の説明板
一里塚の付近には茶店などがあったことから「原宿」と呼ばれるようになったらしい。原宿一里塚は、明治9年(1876)10月に里程標の杭を立てる時に不要となり取り払われました。その後、一里山の名を残し、一里塚のあったところに標柱を建てて名残りとしている。
この辺りは日陰げなしの炎天下となり、景観のない国道沿いの舗装路を歩くつまらなさも旅かと思いながら歩きましたが、汗ふきふき、ペットボトルで水分補給しながらの旅となりました。
一里塚跡から約2.7㎞国道1号沿いに歩くと、藤沢バイパス出口信号の分岐となり、旧東海道は左の県道30号を進みます。
この先から両側に青々とした樹木が立ち並ぶ道場坂(遊行寺坂)の下りとなり、日陰のない国道沿いに比べ気分的に癒されました。
※遊行寺坂
《3つ目の失態》
012遊行寺一里塚跡碑
資料に坂の途中に、012遊行寺一里塚跡があると記されていたのですが、見落としてしまいました。
012遊行寺一里塚があると思いながら歩いていたのですが、左側に諏訪神社への上り階段、右側に遊行寺の入り口となり、遊行寺に着いて「012遊行寺一里塚跡」を見落としたことに気が付きました。
そのため再訪して一里塚跡碑を写真に撮り記録に残しました。
※①=遊行寺一里塚跡碑(右側)
遊行寺坂の途中(進行右側)に関野ホームズの看板があり、看板の約10m手前の草木が茂る道路沿いに「一里塚碑」のパネルが建てられていました。
※①= 遊行寺一里塚跡・解説
遊行寺の直ぐ手前左側に諏訪神社が祀られていることは旅の時に確認していたのですが、写真を撮っていなかったので、参道入口だけ記録に残しました。
※①=諏訪神社(左側)
11時39分、遊行寺(右側)
※本堂横の八重桜
遊行寺の境内には、日本三黒門の一つである総門、銀杏の巨木、中雀門、市指定文化財の梵鐘、国指定の藤沢敵御方供養塔、小栗判官と照手姫の墓、板割浅太郎の墓、有名歌人の句碑などがあり、桜・ふじ・花しょうぶの名所で、観光百選の一つにもなっているとのことでしたが、桜の時期も終わり咲いていたのは八重桜1本だけだったのと、境内には売店もなく(花より団子を期待していたのですが)閑散としていたので、本堂に参拝し一服休憩しただけで先に進みました。
私とYumiさんは、遊行寺坂沿いの入口から境内に入り、正門から本通りに出ましたが、旧街道は遊行寺坂を下り、遊行寺信号の約110m先右側のイイジマ薬局の処を右折し、約60m先の突き当り(本通り)を左折する曲尺手(かねんて)の道を進みます。
そして、遊行寺はイイジマ薬局のところを右折して、突き当たった本通りを右に進むと、正門を潜って境内になります。
私とYumiさんは、正門を潜り本通りを歩くと境川に赤い橋の遊行寺橋が架かっていました。
11時49分、遊行寺橋
遊行寺橋は、昔「大鋸橋(だいぎりばし)」と呼ばれ、橋の直ぐ近くに江の島一の鳥居が置かれていて、江戸時代に描かれた浮世絵にこの場所がよく登場していたそうです。
遊行寺橋を渡り、約20m歩くと国道467号に突き当りので右折し、約130m歩くと右側に時代を感じる格子戸となまこ壁造りの桔梗屋用紙店がありました。
11時51分、桔梗屋用紙店(右側)
桔梗屋から約160m歩くと、道路の反対側(左側)に豊島屋本店があり、道路を横切り立ち寄りました。
豊島屋は、1,849年創業の老舗の和菓子屋で、現在は目立たない小さい、古い感じの店舗構えですが、今をときめく鎌倉の鳩サブレ「豊島屋」は、この店の流れをくんでいる店です。
豊島屋本店でお土産の羊羹とおやつの「柏餅」を買い、店の前の道路を横切り進行右側に渡りました。
渡って直ぐのところ(道路の反対側に藤沢本町郵便局)ところに、藤沢宿蒔田本陣跡の標柱が建っていました。
12時00分、蒔田本陣跡(右側)
本陣跡碑から約400m歩くと右側にマンション「藤沢本町パークホームズ」があり、マンション脇の細い路地を入って行くと、奥の右側に義経の首を洗ったと伝えられる井戸がありました。
12時07分、義経首塚・首洗い井戸(右側)
さて、昼の12時を過ぎたので昼食にしようとYumiさんに話すと、「当たり前よ」と怒られましたが、今日はどこで食べるか決めてないので、これから探さなければなりません。
白旗信号、小田急江の島線を跨ぐ伊勢山橋を渡り歩くと、中華料理店、ファミレス(ロイヤルホスト)、マクドナルドがあり、久し振りに食べたいと思い「マクドナルド」(白旗信号から約450m先の右側)に入りました。
12時18分~12時40分、昼食(マクドナルド)=右側
昼時なので混んでいるかなと思いながら店に入ると、少し並ぶ程度で直ぐに食べられそうなので、Yumiさんを座らせ定番のテリヤキバーガーセットを注文し、涼しい室内で寛いで食べました。
お腹が空くと穏やかな精神状態でなくなる二人ですが、昼食を食べお腹が膨らみ休息も取れたので、穏やかな精神状態に戻り到着地を目指して出発しました。
マクドナルドから約500m歩くと県道43号は左方向に曲がり、旧東海道は少し右よりの細い道に進みます。
この道は約110mで左に曲がり、約70mでまた県道43号に合流するので、真っ直ぐ歩いてしまう方もおられるようですが、このようなところは旧道に拘りたいと歩きました。
合流すると直ぐに引地川に架かる引地橋を渡り、引地橋西信号から約300m歩くと右側にメルシャン藤沢工場があり、「試飲できるのかな」と思いながら通り過ぎ、羽鳥中学前信号から約1.1㎞歩くと四ツ谷交差点に着きました。
四ツ谷信号を渡り進行右側を約40m歩くと、道路の分岐のところに大山道道標が建っていました。
13時13分、四谷不動・大山道道標(右側)
大山道道標は、東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられた道標で、大山不動尊の下、正面に大山道、両側面に「これより大山みち」と記されています。延宝4年(1676)に江戸横山町の講中が建てたものです。堂外の道標が初代のもので、万治4年(1661)に江戸浅草蔵前の講中によって建てられたものです。
江戸町人の大山参詣は盛んで、四谷辻には多くの茶屋が立ち並んでいたそうです。
大山道道標から約170m歩くと、右側に日本橋から13番目の一里塚跡があり標柱が建っていました。
13時20分、013辻堂一里塚跡碑(右側)
一里塚の辺りから松並木が点在し始め約500m歩くと、藤沢市から茅ヶ崎市に入る市境標識が建っていました。
13時29分、茅ヶ崎市市境標識(右側)
茅ヶ崎市に入ると松並木は、赤松町、本村町三丁目、茅ヶ崎二丁目などに点在し、東海道の雰囲気を味わいながら歩くことができました。
市境標識から約800m歩くと、上野寛永寺から移転した石燈籠がある上正寺が右側にあり、休憩を兼ねて立ち寄りました。
13時41分~13時52分、上正寺(休憩)=右側
山門を潜って境内に入り、境内の隅の石に座り、豊島屋本店で購入した柏餅を食べ、涼しい木陰で英気を養しないました。
そして、この休憩の時に、茅ヶ崎に在住している親戚の叔母さんに連絡し、茅ヶ崎駅改札口で待ち合わせすることになりました。
上正寺から茅ヶ崎駅までどの程度の時間を要するのか分からないため、叔母さんに場所から判断してもらうことにし、上野寛永寺から移転された石燈籠を記録に残し寺院を後にしました。
この時点で茅ヶ崎一里塚は進行右側と思い込んでいたため、木陰ができる道路左側ではなく、日差しが強く当たる右側を歩いてしまいました。
また、途中からウォーキングする団体と一緒になり、ガヤガヤ、ワイワイの喧噪となったため、静かに歩きたいと思い少しスピードを上げて歩くことになりました。
上正寺から点在する松並木やJR相模線を跨ぐ橋を渡りながら約2.9㎞歩くと、日本橋から14番目の茅ヶ崎一里塚跡がある「茅ヶ崎一里塚」信号に着きました。
信号に着いて辺りを確認すると、進行右側にあったのは一里塚のパネルだけで、一里塚跡と石碑は道路の反対側(左側)にあり、一里塚跡のある左側に交差点を渡り、今日の到着式を行いました。
14時31分、014茅ヶ崎一里塚跡(到着地)=左側
茅ヶ崎一里塚は日本橋から14番目の一里塚で、塚は高さ1.5m、直径7~8mで、植え込みの中に一里塚碑が建っており、現在は松・榎・桜が各2本植樹されています。
上正寺を出発して進行方向右側の日差しの強い歩道を歩いてきましたが、到着してみたら一里塚は左側にあり、事前に塚の位置を良く確認しておけば良かったと思った時は、すでに遅しでした。
【再会】
到着式を行い、約300m離れたJR茅ヶ崎駅に向かい、エスカレータでデッキに上がり改札口で親戚の叔母さん(私の父親の妹の子供)に出会いました。
叔母さんはすでに改札口に来ており、昨年11月に私の母の納骨の時に会って以来です。
叔母さんはYumiさんの病状のことを私の兄弟から聞いて知っていたようで、Yumiさんがあまりにも元気だったので、驚くとともに喜んで下さいました。
叔母さんが思っていた病状は一般的なアルツハイマー性の認知症だったようで、Yumiさんの認知症は言葉に障害が起きる意味性認知症のため、外見ではまったくわからなかったようです。
叔母さんとお茶でも飲もうと思い駅近くのスターバックスに入ると、コーヒーをご馳走しようと思っていたら、逆にご馳走になってしまいました(ご散財をお掛けしました)。
私や叔母さんの近況や、Yumiさんの病気のことなどを話し、短い時間でしたが、楽しいひと時を三人で過ごすことが出来ました。
【帰路】
15時24分、茅ヶ崎駅発
茅ヶ崎駅改札口で叔母さんに見送られて家に帰りました。
また、Yumiさんの足は途中で治療してからは痛いと云うことなく旅を終えることができましたが、この先のこともあるので、帰宅してから足の治療を忘れずにしっかり行いました。
【次回の予定】
次回(第4回)は、6月10日(日)に「茅ヶ崎一里塚から二宮駅入口交差点までの15.37㎞」を旅する予定です。
梅雨の時期なので、晴れてくれたら良いのですが・・・・・。
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【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
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※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
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【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
https://michinoku-trail.blog.jp/