旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2012年09月

【天候】曇り・晴れ
【宿場】(10)箱根宿⇒(11)三島宿
【行程】歩行距離=14.43㎞ 総距離=116.25㎞
箱根町バス停⇒(3.00㎞)⇒025山中新田一里塚⇒(4.17㎞)⇒026笹原一里塚⇒(4.26㎞)⇒027錦田一里塚⇒(3.00㎞)⇒三島広小路駅前

【ルート図】
 宿場(黒囲みが第7回旅の宿場)
29 7回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第7回)
 第7回の旅ルート
 
(箱根町バス停
 ⇒ 三島広小路駅前)
第7回ルート
【旧東海道の旅】
《序章》

前回(第6回)の箱根東坂の上り旅は朝は良い天気だったのですが、途中から雨模様となり
・旧道を間違えない
・石畳の道で滑って転ばない
・地図などの資料を濡らさない
・Yumiさんの膝痛対策
などで、旅を楽しみながら歩くということが出来ませんでした。
今回の箱根西坂の下り旅は、天気予報では雨の心配がなさそうなので、富士山を眺めながら旅を味わえたらと思います。
《移動》
03時50分、起床
セットした目覚ましの音楽で起床し、外を見ましたがまだ真っ暗です。
朝食は前回と同じように、前日買い置きしたサンドイッチを食べ、靴はトレッキングシューズをウォーキングシューズに戻し、家を出発しました。
05時15分、自宅発
最寄り駅を定刻に出発し、何回かの乗り換えを行い、小田急線の小田原駅に到着しましたが、乗り換え時間の短い駅では、Yumiさんのザックを私が担いで走るなど、眠気を吹き飛ばされました。
07時30分、小田急線・小田原駅到着
駅前のバス停に着くと一人もいないので、出発前にトイレを済ませておこうと、Yumiさんを連れてトイレに行きました。
07時45分、小田原駅バス停発
01 小田原バス停①
バスは定刻に出発し、旅で歩いた道を走るなどして箱根湯本⇒大平台⇒小湧園⇒元箱根⇒箱根町と進み終点に着きました。
08時45分、箱根町バス停着
初めて乗ったバスですが、渋滞もなく、バス停での停車も少なく、約1時間の快適なバス移動でした。

【=旅=】
バスから降りて最初に、前回(H24.09.16 第6回)の到着式を行いました。
バス停は降りたバス停の隣りにあるので、そのバス停を背景に前回の看板を持って、写真を撮り到着式を終了しました。
次に、今日の出発の看板に変更して、出発式を行いました。
08時45分、箱根町バス停発(出発式)

02 箱根町バス停①(出発地)
バス停を出発し箱根駅伝のゴール地点やミュージアムを右側に見ながら約260m先の信号(箱根関所南信号の1つ先)を右折し、さらに約240m歩くと芦川の石仏群がありました。
08時59分、芦川の石仏群碑(右側)
03 芦川の石仏群附近(道は向坂)
芦川の石仏群は、芦川のはずれ箱根峠にのぼる旧街道の道端には、庚申塔、六地蔵など、いくつかの石仏、石塔がある。江戸時代箱根を越えて、西に東に向う旅人は、恐らく村はずれにあるこの石仏、石塔に旅の安全を祈ったことでしょう。
街道は、その辺りから石ブロックが敷き詰められた道となり、向坂が始まりました。
09時00分、向坂碑(右側)
04 向坂碑
国道1号が上を走るトンネルを潜り、赤石坂を上ります。
09時04分、赤石坂碑(右側)
05 赤石坂碑
09時06分、釜石坂碑(右側)
06 釜石坂碑
石畳で急坂の風越坂と進み、
09時10分、風越坂碑(右側)
07 風越坂碑
最後に一番の急坂である挟石坂となり、箱根峠までの箱根東坂の上り坂はほぼ終わりましたが、最後の挟石坂の急階段は、息が切れました。
09時14分、挟石坂
09 挟石坂碑(フーフー息が乱れている)
 ※挟石坂を上から眺める
08 挟石坂(頂上からの眺め)
挟石坂を上ったところの国道を渡って左に進み、箱根新道からまた旧街道に入り、右方向に歩くと箱根峠交差点に着きました。
09時24分、箱根峠(標高=846m)交差点
10 箱根峠①
箱根峠交差点を渡り、左に進むと右に冠門があり、門を潜って八里記念碑(峠の地蔵)を右に見て、駐車場の角のトイレに立ち寄り、身支度を整えました。
09時27分、箱根旧街道冠木門
11 箱根西坂入口
09時29分、箱根八里記念碑石像群(右側)
12 箱根八里記念碑(峠の地蔵)①
身支度を整え、国道から右方向に進むとNTT箱根高原電話交換所の建物があり、建物の左を通って約350m歩くと茨ケ平に着きました。
09時40分、茨ケ平(左側)
13 茨ケ平①
慶長9年(1604)江戸幕府は江戸を中心に、日本各地へ通じる五街道を整備した。中でも江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道で、最大の難所は小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を越える箱根八里(約32km)の区間で、箱根旧街道と呼ばれました。この街道は、土がローム層で大変滑り易いので、最初は箱根竹の束を敷きましたが延宝8年(1680)に、幅二間(約3.6m)の石畳に改修されました。参勤交替や伊勢参りなど、江戸時代の旅が一般的になるとともに賑わった旧街道も、明治22年(1889)東海道線の開通や、大正12年(1923)の国道一号線の敷設によって衰退しました。
この辺りは、茨が生い茂っているので、この付近の草原を茨ヶ平というそうです。

道標の三島方向に沿って歩くと、東屋が建っていました。
09時43分、兜石
14 兜石跡碑
兜石の東屋を過ぎると、笹が覆い茂る道となりました。
15 甲石坂①
さらに、笹やぶトンネルとなり、このような道はなかなか味わえないと、キョロキョロと周りを眺めながら歩きました。
15 甲石坂③(やぶトンネル)
笹やぶトンネルを過ぎると甲石坂となり、途中で先に出発していたイベント集団に遭遇しながら歩くと国道1号に合流し、道なりに約400m下ると右側にバス停があり、その先を右折するのですが、その角に日本橋から25番目の一里塚跡碑(標高=755.9m)と接待茶屋跡碑が建っていました。
09時58分、025山中新田一里塚碑・接待茶屋跡碑
16 山中新田一里塚①
 025山中新田一里塚(左側)
16 山中新田一里塚③
 接待茶屋跡碑
17 接待茶屋解説
ここには先客として先程と同じ仲間の集団(20名程)がおり、ワイワイ、ガヤガヤとうるさいので、写真だけ撮って先に石原坂を歩き始めました。
石原坂の途中の右側に、甲を置いたようなかぶと石と念仏石という大きな石がありました。
10時01分、かぶと石(右側)
18 かぶと石①
大きなおむすび形の石で、兜を伏したような形をしていることから、かぶと石」と呼ばれている。また、別の説として「豊臣秀吉が小田原征伐のとき休憩した際、兜をこの石の上に置いたことから「かぶと石」と呼ばれるなったといわれている。
10時09分、念仏石(右側)
19 念仏石①
坂は大枯木坂と続き、国道に出る手前に民家があり、その庭先を通りましたが、コスモスが満開で綺麗でした。
 ※大枯木坂
20 大枯木坂①
10時26分、民家前のコスモス
20 大枯木坂②(民家の花壇)
民家の前をクランク形に歩くと国道1号に合流しました。
20 大枯木坂④(花壇の先を左折)
そして国道を少し歩くと、箱根町から三島市に入る市境標識が建っていました。
10時30分、市境標識(箱根町から三島市)=左側
21 三島市境標識
そして、その少し先に階段があり小枯木坂となりました。
 ※小枯木坂
22 小枯木坂の眺め
この坂は、道幅が広く、石畳も整備されており、神社の参道ではないのと思わせる感じの道でした。
10時33分、
道標(三島宿山中新田)
23 小枯木坂の途中①(山中新田碑)
 ※ぽつんと1本立っていました(花名は?)
24 花の名前4が不明
小枯木坂を約650m歩くと、国道1号に合流する手前の右側に雲助徳利の墓が建っていました。
10時44分、雲助徳利の墓(右側)
25 雲助徳利の墓
お墓は、盃(上)とトックリ(下)が墓面に付いているユニークな墓で、「久四郎」という名前が彫られています。松谷久四郎と名乗り、一説には西国大名の剣道指南役でしたが、大酒飲みのために事件を起こして、国外追放となり、箱根で雲助の仲間に入りました。優れた剣術の腕前があったので、雲助をいじめる武士をこらしめたり、読み書きができるので、文字が読めない雲助たちの手紙を読んで雲助仲間から親分以上に慕われるようになったそうです。しかし、普段はお酒を飲んでごろごろしていたので命を縮めることになってしまいました。
Yumiさんに「写真を撮るから横に立って」と云うと、「お墓と一緒の写真はイヤです」と、強く拒否されてしまいました。
お墓を過ぎると直ぐに国道1号と合流し、道路を渡った進行右側に山中城址に行く階段があり、入口に石碑が建っていました。
10時48分、山中城跡入口(左側)

26 山中城址上り口
入口の道路反対側に、「うなぎ竹屋」(H26.04.29で裾野市に移転)がありましたが、昼には時間が早いというのと、有名な三島広小路の桜屋で食べる予定があるので、横に見て通過しました。
竹屋から約350m歩くと、右側に山中城跡に行く駐車場、左側に山中城跡案内所があり立ち寄りました。
《昼食》
10時55分、山中城跡案内所着(左側)
27 山中城址案内所(昼食)
この茶店で名物の「寒ざらし団子」(@400)を買うとともに、朝も早かったので昼食(かき揚げ丼)を摂ることにしました。
ここでは、店主の方と話しをするなど、のんびりと寛ぎました。
11時24分、山中城跡案内所発
《初めての富士山眺望》
案内所を出て、案内所裏手の石畳の坂道を約350m歩くと国道と合流しました。
旧東海道は、約110mでまた国道から分岐して右折するのですが、東海道の旅で初めて富士山を見ました。
11時33分、初めての富士山眺望
29 富士山②(旅で初めての眺望)
全景ではなかったり、頂上付近に雲がかかっていましたが、初めて見れた富士山だったので、なんとも嬉しいひと時でした。
写真を撮って歩きだそうとすると、ノルディックウォーク姿の二人の男性が後方から歩いてきました。
箱根駅伝の全5区を歩き、今日(西坂)と来年1月(東坂)で箱根八里を歩くとのこと。
この旅を始めてから、行き交う人と挨拶することはありましたが、歩いている人と立ち止まって話したのは初めてでした。
《Yumiさんの膝痛》
男性二人が風のごとく歩き去った後、懸念していたことが起きました。
Yumiさんの、膝の痛みが強くなってきたのです。
大枯木坂を下っている時も、少し膝が痛いようなことを云っていたのですが、何とか歩いてきました。
シップ薬を貼り歩き出しましたが、平地や上りはまだ良いのですが、下りは横向き(蟹の伝い歩き)か、後ろ向きにならないと無理な状況です。
前回の箱根東坂の上りで塩を飲ませて乗り切ったことを思い出しましたが、後遺症として血圧が上昇したので、塩を飲ませることを止め、歩くスピードを遅くすることで対応し、Yumiさんが離れないよう後ろを見ながら歩くことにしました。
富士見平の直前で富士山を眺めると、先ほどより大きく眺めることができ、足の痛みを忘れてニッコリしていました。
11時40分、富士見平の手前からの眺め
30 富士見平手前①
富士山を眺めたところから直ぐに富士見平ドライブインに着くと、敷地に芭蕉句碑が建っていました。
11時41分、富士見平芭蕉句碑
31 富士見平芭蕉句碑
富士見平ドライブインの前の国道は、カーブしているので右方向が良く見えません。
いつ車が走ってくるのかわからないので、約100m離れた場所で横断しなければ危険なのですが、面倒臭いので左右を確認し走って渡ってしまいました。
渡った先は上長坂の石畳の下りとなっていて約350m歩くと国道に合流します。
そして合流した国道を約140m歩き、再び国道から左に分岐し、石畳の道を約350m歩くと左側に日本橋から26番目の一里塚碑が建っていました。
12時00分、026笹原一里塚跡(標高=379.6m)=左側
32 笹原一里塚①
 026笹原一里塚跡
32 笹原一里塚②
一里塚を過ぎ、国道1号を横切ると勾配のかなりきつい強飯坂となり、足の膝痛を発生しているYumiさんには辛い下り道となりました。
強飯坂を下り始めると下から上ってくるお婆さんがおり、すれ違う時に「今、採ってきたばかりのミニトマトがあるので、袋はないか」と聞かれ、袋をザックから取り出すと、水を灌ぐ感じでミニトマトを分けて下さいました。
急に云われて、私は流れのままお礼だけ云ってお婆さんと別れてしまい、気が付いた時はお婆さんの姿はなく、「時、すでに遅し」で、写真でも撮ってお礼をすることもできず、自分ながらいい年をして気の利かない自分に恥ずかしくなりました。
笹原一里塚から約750m歩くと左側に「三ツ谷新田入口」の道標が立っており、三ツ谷地区に入りました。
三ツ谷公民館を過ぎると、「軒下の美術館」と看板が掲げられた家の軒下に、写真などが展示されていました。
12時27分、軒下の美術館(三ツ谷地区)=右側

33 軒下の美術館(三ツ谷)
軒下の美術館の作品を眺めながら約290m歩くと、右側に松雲寺があり、一服休憩を含めて立ち寄りました。
12時30分、明治天皇御腰掛石(松雲寺)=右側
34 明治天皇史蹟①
史蹟の手前に、明治天皇が座られた石があり、同じ石に座って正面に見える富士山を眺めさせて頂きました。
35 明治天皇御腰掛石①(実際に座る)
石畳道の次に、炎天下の舗装道路を汗を拭きながらの歩いてきましたが、正面に見える富士山を眺望することができて救われました。
松雲寺を出て歩いていると道路の右側に綺麗に手入れされた花壇があり、その先で右側を見ると富士山が見ええました。
 
※道端の花壇(右側)
36 街道の花壇(三ツ谷)
 ※富士山(写真中央)・・・実際は良く見えています
37 頂上の雲が取れる(三ツ谷)
松雲寺から約850m歩くと分岐となりそのまま直進して左側に、坂放課後児童クラブを見ながらさらに約110m歩くと左側に七面堂碑が建っていました。
12時49分、七面堂碑(左側)
38 七面堂碑
七面堂碑のところを左折(坂幼稚園を左に見る)し、細い階段道を進み、広い道に出たら左に70m進むと「市の山新田」信号があり、約290m歩くと右側に「六地蔵」がありました。
12時56分、六地蔵(右側)
39 六地蔵
六地蔵を過ぎると臼転がり坂となり、国道1号と並列の道を進み、約450m歩くと国道1号の市山新田信号があり、旧東海道は交差点を左に見てそのまま真っ直ぐ進みます。
市山新田交差点から約500m歩くと右側に宗福寺があり、その約50m右側に「駄菓子屋YOU」がありました。
13時10分、駄菓子屋YOU(右側)
40 駄菓子屋YOU(午後はお休みでした)
この店は、先人のHPで知り、通る時は立ち寄ろうと計画していたのですが、「午後はおやすみします」と扉に貼紙されていてガッカリでした。
きっと、私達と縁がなかったのでしょう。
駄菓子屋YOUから約450m歩くと国道1号の三島塚原IC交差点があり、交差点の手前左側に「箱根路の碑」が建っていました。
13時21分、箱根路の碑(左側)
41 箱根路碑①
箱根路の碑の先の国道1号の三島塚原ICを渡ると、初音ケ原松並木(約1㎞の石畳)となり、炎天下から解放されホッとしました。
初音ケ原松並木は、三島市に残っている唯一の松並木だそうです。
 ※初音ケ原松並木入口
42 初音ケ原松並木①
松並木は、国道1号と並行しており、少し歩くと東海道の史跡として保存されている日本橋から27番目となる一里塚がありました。
13時30分、027錦田一里塚(標高=101.6m)=左側
43 錦田一里塚①
もう片方の一里塚跡は、国道1号を越した反対側にあるそうですが、確認はしていません。
暑い中を歩いてきたので、木陰を利用し、昼に買った「寒ざらし団子」と持参した麦茶で、おやつタイムにしました。
木蔭で10分位休憩し、旅を続けました。
平坦な石畳の道を約400m歩くと、右側に全面がガラス張りのレストラン「アサカ」があり、さらに約250m歩くと国道1号五本松交差点があり、石畳道の初音ケ原松並木が終わり、今度は舗装の愛宕坂になりました。
Yumiさんに「最後の坂だよ」と励ましたのですが、膝痛から元気がありません。
13時52分、愛宕坂上
44 愛宕坂①
膝痛で足を少し引きずりながら何とか約350m下って、東海道線の踏切を渡り、長い箱根西坂が終わりました。
東海道線の踏切を渡ってからは、平地の歩きとなり、Yumiさんも普通に歩けるようになりましたが、炎天下で汗が噴き出てきました。
日陰のない舗装路を約150m歩いて愛宕橋、愛宕橋から約400m歩いて大場川に架かる新町橋を渡り、新町橋からさらに約650m歩くと、右側に三島大社参道入口の鳥居に着きました。
三島大社に参拝しようと、鳥居の下を通って参道を歩き、山門を潜り、さらに進んで神殿の前に立ちました。
 
※三島大社・山門(右側)
45 三島神社②(山門)
14時15分、三島大社・神殿
45 三島神社④(神殿)
大社の参道を通り、境内⇒神殿と進み、Yumiさんと一緒にお賽銭をご奉納し参拝しました。
参拝は、周りに人がいるので、心の中でYumiさんの病気平癒をご祈願しました。
境内には、天然記念物の金木犀が植生されており、開花し始めた所でしたが、大きな樹から強い香りを漂わせていました。
45 三島神社⑤(金木犀)
また、境内では、結婚式を挙げた花婿さんと白無垢の花嫁さんが、幸せ一杯の満面の笑み称えて歩いていました。
14時28分、三島大社発
三島大社を出発し、約270m歩くと右側に三島市中央町別館があり、建物の脇に問屋場跡碑が建っていました。
14時34分、問屋場跡(右側)
46 問屋場跡碑①
問屋場跡から約180m歩くと本町交差点があり、交差点を真っ直ぐ越えた右側に本陣碑が建っていました。
14時38分、
世古本陣跡碑(右側)
47 世古本陣跡碑①
世古本陣跡から交差点に戻り、交差点を渡って右に2軒目の山田園(茶園)の前に樋口本陣碑が建っていました。
14時41分、樋口本陣跡碑(左側)
48 樋口本陣跡碑①
世古本陣と樋口本陣碑は、それぞれ50㎝程の高さのため、座らないと写真が撮れないので、膝痛のYumiさんは座るのが大変でした。
樋口本陣碑から約250m歩くと左側に三石神社があり、境内に「時の鐘」がありました。
14時46分、時の鐘(三石神社)=左側
49 時の鐘①(三石神社境内)
時の鐘のある三石神社を出て、約10m先の右側に蓮馨寺があり、芭蕉老翁の墓があるので見に行きました。
14時49分、芭蕉老翁の墓

50 芭蕉老翁の墓(連馨寺)
老翁の墓から旧東海道に戻り、伊豆箱根駿豆線の踏切を渡ると、右側に今日の到着である「三島広小路駅」があり、Yumiさんに看板を掲げてもらい到着式を行いました。
14時52分、三島広小路駅・駅前着(到着式)
51 三島広小路駅前②(到着地)
Yumiさんが膝痛になり苦労しましたが、何とか旅を終えることができました。
「さあ、うなぎを食べに行こう」とYumiさんに声を掛け、楽しみにしていた「桜家」にうなぎを食べに行きました。
【うなぎ】
「桜家」は、旧東海道に面していて、三島広小路駅から踏切を渡った右側にあり、夕方は行列ができる有名な店と聞いていました。
15時頃なので空いているかと思って店内に入ると、「え!!」と思うくらいお客が入っていて、他の人と相席で座りました。
52 うなぎ桜家(注文品)
鰻は、柔らかく、香ばしく、口の中でとろけるようで、諏訪のk店と変わらないくらい美味しかったです。
【帰路】
15時32分、三島広小路発
53 三島広小路駅ホーム
改札で切符を買い、ひと駅先の終点三島でJRに乗り換え、熱海、小田原を経由して、19時頃に最寄り駅に到着しました。
熱海から西はJR東海の管轄で東日本のパスモが使えないことを失念していたため、三島駅では民鉄の改札から一度改札を通って外に出て、JRの切符売り場に移動して小田原までの乗車券を購入して入場しました。
Yumiさんに切符を入れて改札を通る方法を教えましたが、次回まで覚えていてくれるかな?です。
99%、覚えているのは無理だとおもうので、また教えるようです。
また、駅の下り階段は膝痛のため下るのが難しいため、エレベータを使用して移動しました。
【総評】
今回の旅は、
①天候に恵まれた
②富士山が初めて眺められた
③街道を歩く人との会話
④Yumiさんの膝痛
など、今までにない体験がありました。
次回の旅は、どのような体験をするのか分かりませんが、準備して楽しい旅にしたいと思います。
また、Yumiさんにとっては厳しい旅になってしまいましたので、少しでも楽しい旅になるよう膝の筋肉強化の運動をまた再開したいと思います。
【次回の予定】
次回は、11月10日(土)~11日(日)の一泊二日で、三島広小路駅前・・・東田子の浦駅前・・・新蒲原・五十嵐商店角までの旅をします。
三島から先は、
①日帰り2回の二人分の旅費より、ツインルームで宿泊した方が安い
②Yumiさんの体力負担を軽減する
ためです。
また、男性が加入できる65才になり加入したJR東日本のジバング(30%引き)も活用したいと思います。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 

 

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


【天候】晴れのち曇り、一時雨
【宿場】(09)小田原宿⇒(10)箱根宿
【行程】歩行距離=12.91㎞ 総距離=101.82㎞  

箱根登山鉄道・入生田駅入口⇒(2.80㎞)⇒022湯本茶屋一里塚⇒(4.39㎞)⇒
023畑宿一里塚⇒(4.42㎞)⇒024箱根一里塚⇒(1.30㎞)⇒箱根町バス停
【ルート図】
 宿場(黒囲みが第6回旅の宿場)
16 6回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第6回)
 第6回の旅ルート
 
(箱根登山鉄道
・入生田駅 ⇒ 箱根宿・箱根町バス停)
第6回ルート
【旧東海道の旅】
《序章》
6月30日に旅してから7月中旬に白内障の手術、夏の暑さ対策に私の左足親指の骨折(7月中旬)が重なり、当初計画していた9月1日に旅をする予定を、9月16日に2週間延期しました。
《準備》
骨折したことで、約2カ月半、ウォークを始めほとんど歩いていなかったので、不安な気持ちをもちながら少し早い12日から荷造りを始めました。

ザックや服装は、この時期のすずめ蜂の動きを考え、蜂が好む黒を除くことを第一に考え、私は青色のDeuter製30㍑、Yumiさんは雨の時のことを考え、ザックカバーが備え付けられている私がいつも使っている水色のモンベル製30㍑にしました。
ザックに入れる荷物は、チェックリストを元に1から準備しました。

また、今回の東海道の旅は箱根東坂の上りで山行と同じなので、万一の事故に備えヘッドランプ、非常食、医薬品、ストック、雨具(ゴアテック合羽上下・折り畳み傘)、昼食などを用意しました。
貴重品類は、前日の15日昼間に準備し、寝る前に再度、全部の持ち物について再点検し、朝4時に目覚ましをセットしてベツドに入りました。
04時20分、起床
いままでの5回の旅で権太坂、大坂、化粧坂などの大きな坂がありましたが、
今回の箱根東坂の上りは旧東海道の中で一番の難所と云われているところなので、緊張感をもって当日の朝を迎えました。
起きた時はまだ日の出前なのため、暗くて天気の状況は分かりません。
前日の天気予報どおりの天気を祈りながら、いつも
と同じ段取りで朝の身支度を整え(違うのは、両足のつり防止の手入れが追加)、朝食は前日買い置きした「あんまん・肉まん」を電子レンジで温めて食べました。
また、飲み物は500mlスポーツドリンク2本(1本は冷凍)と麦茶を用意しました。
《移動》
05時25分、自宅発

いままでの5回の旅は、権太坂、大坂、化粧坂などの坂がありましたが、今回の箱根東坂の上りは旧東海道の中で一番の難所と云われているところなので、緊張感をもって当日を迎えました。
起きた時はまだ日の出前のため、天気の状況は暗くて分かりませんが、前日の定期予報を信頼して旅に出る準備を始めました。
靴はウォーキングシューズからトレッキングシューズに替え、少し肌寒さを感じる朝の空気を浴びながら、最寄り駅に向けて自転車を走らせました。
最寄り駅を定刻に出発し、電車を乗り継いで、小田原で箱根登山鉄道に乗り換え出発地の入生田駅に到着しました。
駅でトイレを済ませ、
前回撮影を持ち越した駅の改札口を記録に残しました。
01 入生田駅①
08時02分、入生田駅着
入生田駅では旅に出発する前、先人のHPに掲載されていた丸い石を確認しようと地元の方に聞くと、「その石ならすでに撤去されていて、今はないですよ」と、親切に家まで教えて下さいました。
私は、丸い石の写真を撮って、Subu君に送りたいと思っていたので、とても残念でした。
また、撤去された後の写真を撮っておこうかなと考えましたが、思い出をそのまま残しておいてあげようと考え、撮るのはやめました。
写真を撮ろうと探していた家は、出発地点となる入生田駅入口の前の造園屋さんでした。

【=旅=】
08時13分、入生田駅入口(出発地)
02 入生田駅入口(出発地)②:後ろ進行方向
出発式(Yumiさんが出発地に立って、出発地の看板を掲げて撮影)を行い、芦ノ湖に向けて出発しました。
歩き始めると約100m先に踏切があり、丁度遮断機が降りて小田原行きの電車が走ってくるので、急いでシャッターを押しました。
 ※小田原方向に走る箱根登山鉄道
03 入生田駅踏切①(小田原行き)
箱根登山鉄道は単線のため、入生田駅を見ると箱根湯本行きの電車が走ってくるところだったので、Yumiさんを踏切の近くに立たせてシャッターを押しました。
08時16分、箱根湯本方向に走る箱根登山鉄道
03 入生田駅踏切②(湯本行き
この旅で、このような機会は二度と無いので、良い記念になりました。
天気は青空で、日差しの強さとじめーとした湿度から、歩き始めたばかりですが、汗が噴き出てきてYumiさんも汗を拭いています。
踏切から約220m歩くと国道1号に合流するところの階段を降り、国道の脇の道を約110m歩いてまた階段を上り、約550m歩くと左側の箱根レッカーの先で、1号線に出ます。
この近くに「山崎の古戦場跡」の石碑が建っていると史料のありましたが、工事中で見つけることができませんでした。
合流した1号線の道路沿いを歩いて湯本横断歩道橋を使って反対側に渡らなければいけないのですが、面倒で車の通行を確認すると丁度信号で途切れた時だったので、横断歩道橋を割愛して道路を横切ってしまいました。
そして、反対側に渡って約300m歩くと、早川に架かる三枚橋の三枚橋交差点となり、旧東海道は交差点を左折します。
08時37分、三枚橋
04 三枚橋①
三枚橋のたもとで記念写真を撮り、沖縄地方に超大型の台風が接近している影響で、天候不順の予報が出ているため、先を急ぎました。
約240mほど歩くと、左側にコンビニのセブンイレブンがあり、昼食(おにぎりとジュース)を仕入れるために立ち寄りました。
昼食を仕入れ、約450m歩くと(手前の右側に湯本小学校がある)左側に白山神社が、右側に北条文化の遺産が残る早雲寺があり立ち寄りました。
【東坂の上り】
08時53分
早雲寺(右側)
05 早雲寺入口①
早雲寺は、小田原北条氏の菩提寺で、大永元(1521)年、北条早雲(伊勢盛時)の遺言により北条氏綱が創建した臨済宗大徳寺派の寺院だそうです。
境内が涼しそうだったので立ち寄りましたが、Yumiさんはまったく興味がなく写真だけ撮りましたが、境内の木々はまだ緑濃く朝の陽射しを浴びてとても綺麗でした。
 
※早雲寺境内
06 早雲寺境内①
街道は、早雲寺を過ぎたあたりから、登り勾配がきつくなってきて、この先の厳しい上りを示唆するようでした。
早雲寺から約350m歩くと、左側に正眼禅寺があり、少しだけ立ち寄りました。
09時03分、正眼禅寺(左側)
07 正眼禅寺①
正眼禅寺は、曽我兄弟の菩薩供養されているのですが、境内を簡単に一巡しただけで失礼しました。
正眼禅寺の先で坂の上りが少し緩くなった右側に静観荘があり、その脇に日本橋から22番目の一里塚跡があり、石碑が建っていました。

09時12分、022湯本茶屋一里塚(右側)
08 湯本茶屋一里塚①
一里塚碑から約110m歩くと新茶屋があり、その前を右側に進んで少し歩くと石畳道になりました。

本橋からここまでの道は、100%舗装道路だったのですが、初めて旧東海道を偲ばせる道になり、旅の雰囲気が出てきました。
 ※石畳道
09 旧道最初の石畳道(湯本茶屋)
石畳の道は猿橋に向かって一度下り、橋を渡ったところから上り坂となるのですが、石畳の道は凹凸があり歩きづらい道だなという感じでした

一度目の上りが終わり国道と合流し、車に気を付けながら国道沿いの上り道を歩きましたが、私とYumiさんは汗でタオルはグッショリ状態になっていたため、南風荘入口のところで休憩を取り、新しいタオルに交換と水分補給を行いました。
一服休憩を取ると気分的に楽になり街道は上り坂ですが、急というほどでもない状態がしばらく続きました。
09時35分、ホテル奥湯本の手前
10 旧道(ホテルおくゆもと手前)
09時47分 須雲川インターチェンジ(箱根新道との合流地点で信号有り)
この辺りの道路は、右・左にカーブしているので、視界の悪い地点が多々あり、車は人が歩いていると思わないで走ってくるので、気を付けないと大変危険な場所です。
須雲川ICから約500m歩くと、左側に鎮雲禅寺がありました。
9時55分、鎮雲禅寺(左側)
11 鎮雲禅寺入口②
鎮雲禅寺は、入口に石碑、その左側に霊泉の滝があり、清流が流れ独特の雰囲気をかもし出している寺院でしたが、階段の上り・下りはきついので境内には入らずに入口で失礼しました。
そして、この先の「女転し坂」から箱根の本格的な上り坂に入りましたが、
この辺りから雨が降ってきたので、持参した折畳み傘を差して歩き始めました(これ以降、雨は降ったり、止んだりが繰り返されました)
旧道の女転し坂は現在通れないため、結構きつい上り坂の国道沿いを傘を差しながら、テクテクと歩きました。
そして、息を弾ませながら約750m歩くと、左側のバス停の前(右側)に割石坂碑があり、右側の石段を上るのですが、入り口から見上げると急坂が続いており、気が滅入りました。

10時13分、割石坂(右側)
12 割石坂入口①
割石坂は、県道732号線の「発電所前バス停」近くの「須雲川自然探勝歩道」の入り口から始まり、「曽我五郎が富士の裾野の仇討に向かう時、刀の切れ味を試すため、路傍の巨石を真っ二つに割り切ったところから名付けられたようです」。
雨は止むことなく降り続いていますが、木立の中ということと、雨の勢いが強くないということで、歩くのには支障はありませんでしたが、石畳の道は滑り易く気を付けながら歩きました。
 ※割石坂の石畳
13 割石坂石畳
また、手持ちの資料と地図が、汗と雨でフニャフニャになってきたので、保護しながらの歩きになりました。
そして背負っているザックが濡れ始めてきたので、割石坂の途中でザックカバーをセットしました。
Yumiさんのザックは、ザック備え付けのため簡単にセットすることができ、私のカバーは外付けでしたが比較的簡単に取り付けることができました。
【旧道を間違える・PARTⅠ】
割石坂から国道に合流した先の千鳥橋下で、国道から左に分岐して歩くのですが、見落としてそのまま国道を歩いてしまい、「大沢坂」は割愛してしまいました。
大沢坂を上った合流地点で、大沢坂を通らない歩いてしまいましたが、戻る気力もなく違う道でも歩いたということで良いでしょうと、勝手に納得しました。
そして、大沢坂の頂上の合流点から約90m歩くと、右側に本陣跡の碑が建っていました。

10時30分、畑宿茗荷屋本陣碑(右側)
14 畑宿本陣碑①
茗荷屋本陣は江戸時代、参勤交代の大名や公家たちが使用した宿泊所で、幕末にはアメリカ総領事のハリスの通辞をしていたヒュースケンも利用したという記録が残っている。建物は大正元年(1912)に焼失しましたが、当時の趣きを残す小川や池がある庭園を見ることができる。明治時代に旧街道の杉並木から伐採し、真ん中をくり抜いた切り株があり、通り抜けると長寿をもたらすといわれているそうです。
しかし、今日は雨模様で、この辺りでは小雨になっていたため、雨の降っていない時に少しでも先に進もうと、立ち寄ることなく記録だけ残し、約270m歩くと日本橋から23番目となる一里塚跡が左右に建っていました。
10時34分、023畑宿一里塚(左・右)
15 畑宿一里塚入口①
畑宿一里塚は、江戸時代の一里塚の形態をとどめた立派な塚で、現在のものは発掘作業で確認できたものを復元したものだそうです。
 畑宿一里塚=左側
16 畑宿一里塚②(左)
 
畑宿一里塚=右側
16 畑宿一里塚④(右)
 H26.09.11 再訪=宿一里塚(右側)
120 畑宿一里塚
 ※畑宿一里塚・解説
121 畑宿一里塚・解説
左・右の塚写真を撮り、天気の状態も良くないので、甘酒茶屋を目指して先を急ぎました。
一里塚を過ぎても箱根東坂の上り坂が終わったわけでなく、雨模様が続くなか車が行き交う舗装路、東海道で有名な石畳の道、階段道などを歩きました。
私たちの後から上ってきた親子連れ(3人)は、雨具を持っていなかったのでどうするのかと思っていたら、畑宿一里塚の先の西海子坂(さいかちざか)を上った国道との合流点で歩くのを止めたようで、国道を歩いていた私達を追い越して行ったバスに乗っていました。
雨具なしの行程はすこし無謀だなと思っていたので、歩くのを止めたのは正解だったと思います。
 
※西海子坂の石畳道
19 西海子坂の石畳
 ※石畳の構造
17 石畳の解説
ゴツゴツして歩きづらい石畳道の西海子坂を過ぎると、橿木坂となり途中から階段道になりました。
 H26.09.11 再訪=階段道(比較的勾配の緩やかな階段)
122 箱根旧道・歩いた思い出
階段は写真のように勾配が緩やかなものもありますが、足腰の負担を増加させる勾配のきつい坂が多々あり、階段以外の道を歩きたいと思ってもコンクリート製の階段以外に道がないので致し方ありません。
そのため15段くらい上ってひと休みしてまた上ることを繰り返しながら、延々と続く階段の上りを進み見晴橋分岐の橋に着きました。

11時15分、見晴橋分岐
20 見晴橋分岐
ここで反対方向から歩いてきたご夫婦とすれ違いましたが、お互いに挨拶をすることなく行き違いました。
ここからさらに急階段を上ると見晴茶屋がありましたが、階段の往復を考えただけで気持ちが萎え行きませんでした。
11時23分、甘酒橋
21 甘酒橋
甘酒橋の往時は木橋でしたが、現在は木に似せたコンクリート橋でした。
砕石の上を歩く感じで歩きづらい石畳の上り道⇒上り階段⇒国道の上に掛かる歩道橋⇒上り階段を経て、国道沿いのコンクリートの道を少し下ったところに、箱根旧街道休憩所がありました。
11時34分、猿滑坂
22 猿滑坂碑
私の足は久しぶりの山道で、攣る一歩手前の状態になっていたので、Yumiさんにそのことを話すと、「私も同じなの」との返事。
もう少しで着くからとYumiさんを励まして、休憩できる場所を目指しました。
緩やかな追込坂を約180m歩くと、箱根旧街道資料館の建物が見えてきました。
11時50分、昼食(箱根旧街道資料館)=右側
23 箱根旧街道休憩所③
支流館は昼食が食べられる長椅子がいくつか用意されていたので、一角を借りて昼食を摂りました。
おにぎりとジュースと簡素なものでしたが、ゆっくり寛ぐことができました。
また、資料館は、入れ替わり人が入ってきますが、簡単に見学するだけで、食事を摂っているのは私達だけでした。
そして、すぐ隣の甘酒茶屋は、箱根に来ると立ち寄る人が多い、人気スポットのため、多くの人が来ていました。
私達は、これからの水分補給のためにペットボトル(500ml=2本)を買い、写真を撮って出発しました。
12時22分、甘酒茶屋発
24 甘酒茶屋①
甘酒茶屋は、箱根峠の旧街道沿いに佇む一軒の杉皮葺きの建物で、江戸時代初期に創業し、現在12代目だそうです。
旧道は甘酒茶屋
の裏にある道で、また上り坂が始まりました。
24 甘酒茶屋③
Yumiさんはストックを使用しているので、その音が聞こえないので後ろを振り返ると、少し離れて足を引きづって歩いています。
女性なのが、前後に人のいないことを確認しズボンを膝まで上げ、足攣りに効く薬を塗り、再スタートしました。

12時32分、於玉坂碑(右側)
25 於玉坂碑
於玉坂は、関所破りで処刑されたお玉の名前がついたお玉ヶ池が有名ですが、この坂も同じように於玉の名前を付けています。
塗り薬を塗ると少しの間は良いのですが、少しすると今度は反対の足が攣った状態になるなど、権現坂を下った木製の歩道橋まで、右・左の太もも、ふくろはぎと、場所を変えて治療の連続でした。
Yumiさんの辛い状況も分かりますが、凡人の私の口から「何とかならないかね」とグチが出てしまいました。
 ※於玉坂
26 旧街道石畳
12時33分、箱根旧街道道標(左側)
27 箱根旧街道碑①
 ※箱根旧街道道標

27 箱根旧街道碑③
於玉坂から白水坂と続き、日本橋から約100㎞地点となる天ケ石坂となります。
天ケ石坂は、今まで上ってきた坂に比べて傾斜は緩やかなのですが、歩いてきた疲れもあり傾斜の割りにはきつい上り坂になりました。
13時02分、箱根馬子唄の石碑(右側)
28 石碑①
 ※分岐道標
29 旧街道分岐・道標
朝から続いた上り坂は権現坂の頂上でおわり、今度は元箱根に向かって下り坂になりました。
13時21分、権現坂碑(右側)

30 権現坂碑①
私は昼食の休憩、ストレッチ、塩と水で足の状態は保たれましたが、Yumiさんにはきつい山道になりました。
足攣りに効く薬と、山の会で教えて頂いた足攣り対策の塩と水で、Yumiさんの足の状態は良くなりました。
また、甘酒茶屋からの道中は、元箱根から上って来る人で行き交う人が増えましたが、「え!!、この靴で歩くの?」と思う人がいたのでガッカリしました。
歩けないことはないでしょうが、ウォーキングシューズくらいは履いてもらいたいなと思いました。

【旧道を間違える・PARTⅡ】
31 木製の横断歩道橋
権現坂を下った木製の歩道橋の下でYumiさんの足の手当を行った後、
道が左の国道に出る道と、真っ直ぐ進む旧道みたいの道があり、人が真っ直ぐの方から上ってくるので、てっきりこの道だと思って歩いて行くと、道が途中で途切れるようになってしまい、違う道を歩いてきたことに気が付きました。
ここも後戻りができないので、そのまま下って元箱根交差点付近に出ました。

今日、二度目の道間違いです。
この頃になると雨は止んでいました。
国道に建っている赤い鳥居をくぐった左側に、身替り地蔵がありました。
13時35分、身替り地蔵(左側)

32 身替わり地蔵①
身替り地蔵は、鎌倉時代に頼朝の家来、梶原景季(かげすえ)が父の景時と見誤られて背後から斬りつけられた時、その身代わりになって景季を救った伝説が残されています。
身替り地蔵の少し先の左側にセブンイレブンがあり立ち寄り、ペットボトル(2本)とおやつのアイスクリームを買いました。
アイスクリームはどれにするか迷いましたが、今日の努力を称え少し高価なハーゲンダッツにしました。
13時40分~13時55分、休憩(芦ノ湖)

33 芦ノ湖湖畔②
セブンイレブンの前は芦ノ湖なので、そこで食べようと湖畔に出て、階段に腰掛けて芦ノ湖を見ながらアイスクリームを食べました。
芦ノ湖は海賊遊覧船が到着する時で、Yumiさんは「あの船に乗ったことあるね」と、母親を伴って一緒に乗った時のことを思い出したようです。
休憩を終え、セブンイレブンから約170m歩くと、杉並木手前の左に日本橋から24番目となる一里塚跡があり石碑が建っていました。
14時00分、024箱根一里塚(左側)
34 箱根一里塚②
一里塚の先から杉並木が始まり、分岐を左側の遊歩道に進みました。
 ※杉並木
35 箱根杉並木①
右側の国道は車が渋滞していましたが、遊歩道の杉並木を歩く人は少なくノンビリと歩きました。
14時13分~14時27分、箱根関所跡(右側)
36 箱根関所①
関所が設置されたのは、元和5年(1619)で、屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合うものとなっていました。そして一般な関所は、「入り鉄砲に出女」を取り調べたと言われているが、この箱根関所では、江戸方面からの「出女」に対する厳しい取り調べを行っていたそうです。設置から250年後の明治2年(1869)、新政府により関所制度が廃止され、その役割を終えました。
関所跡は以前に見学して知っているので、今日は史跡の見学を割愛してお土産物店に入り、Yumiさんに寄木細工の髪止めと楊枝入れをお土産に買いました。
Yumiさんは髪の毛を止めるものを探していたので、ニッコリして喜んでいました。
14時30分、箱根本陣はふや跡(箱根ホテル?)=右側
37 箱根本陣:楓並木①
本当がどうか分かりませんが、楓の木をバックに撮影しました。
14時32分、箱根町バス停着(到着地)=右側
箱根新道経由の急行湯本・小田原行きのバス停には長い列ができていて、丁度乗り始めたところでしたので、到着式を行わないで列に並びました。
並んでいた数人は次のバスにするらしく新たに並び直していましたが、私とYumiさんは流れのまま乗り込んでしまいました。
座席は既に満席で、私とYumiさんが最後の乗車になり、バスはすぐ出発しました。
【帰路】
14時35分、箱根町バス停発

箱根湯本駅まで混雑しなければ、箱根新道をノンストップで走り25分で到着するとのこと。
乗りながら、到着式(バス停での撮影)や、乗っても座れないのなら次のバスでも良かったかなと思いましたが、後の祭りとなりました。
到着式は、次回(9月29日)の出発の前に行うことし、到着式の代わりに箱根湯本駅で写真を撮り、今日の閉めにしました。
15時04分、箱根湯本駅
39 箱根湯本駅
15時過ぎに箱根湯本駅に着き、駅員にロマンスカーの予定を聞くと、M駅に停まる列車が発車するのは40分後と聞き、小田原まで登山鉄道の各停電車で行き、小田原で急行に乗り換えて帰ることにしました。
なかなかロマンスカーに乗る機会がないので、この先タイミングの良いがあることを祈るのみです。
家に帰る途中で夕食を摂り、18時30分すぎに家に着きました。
一日、お疲れ様でした。
今日は、シャワーではなく久しぶりに湯船に浸かり疲れを取りました。
【総評】
今日の行程は、距離的には13㎞弱と少なかったのですが、久しぶり山歩きと厳しい上り坂で、Yumiさんは大変だったと思います。
旧東海道の旅で一番厳しい旅になるだろうと考えていた上に、出発する時は快晴だった天候が、数時間後には雨天になる天候の急変で、今までにない厳しい旅になりました。
そのため、旅の途中で何回も足の具合が悪くなり対策を講じた結果、幸いにも効果が発揮され、いつもだと駅の下り階段は大変だったのですが、今日は普通に歩いて降りることができました。
また、今日は汗もたくさんかき、ペットボトルを500ml=6本、350ml=1本飲み、タオルハンカチもEi=サイズ(大)を3枚、Yumiさん=サイズ(中)を3枚使いました。
帰りのバスは、立ち通しでしたが、渋滞もなく案内された時間どおり25分と短い時間だったので、助かりました。
と、いうことで2カ月半ぶりの旧東海道夫婦二人旅は、無事に終わりました。
【次回の予定】
次回(第7回)は、「箱根町バス停から三島広小路駅まで」の14.43㎞の箱根西坂の山下りを行う予定です。
箱根西坂の下り坂は、転倒事故に気を付けるため、今回と同じようにトレッキング用の靴で歩こうかなと思います。
また、次回の旅では、今回割愛してしまった箱根町バス停での到着式と、当日の出発式を行う予定です。
そして、三島広小路駅の手前にある「桜屋」で、うなぎを食べたいと思います。

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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 

 

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
 


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