旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2012年09月

【天候】曇り・晴れ
【宿場】(10)箱根宿⇒(11)三島宿
【行程】歩行距離=14.43㎞ 総距離=116.25㎞
箱根町バス停⇒(3.00㎞)⇒025山中新田一里塚⇒(4.17㎞)⇒026笹原一里塚⇒(4.26㎞)⇒027錦田一里塚⇒(3.00㎞)⇒三島広小路駅前

【ルート図】
 宿場(黒囲みが第7回旅の宿場)
29 7回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第7回)
 第7回の旅ルート
 
(箱根町バス停
 ⇒ 三島広小路駅前)
第7回ルート
【再訪】
 夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
  
〔※①〕=令和02(2020)年10月13日
  〔※②〕=令和02(2020)年11月 4日
【旧東海道の旅】
《序章》

前回(第6回)の箱根東坂の上り旅は朝は良い天気だったのですが、途中から雨模様となり
 ●旧道を間違えないように地図と睨めっこで、周りの景観を楽しむゆとりをなくす
 ●石畳の道で滑って転ばないよう下を見ながらの歩行
 ●地図などの資料を濡らさない
 ●Yumiさんの膝痛対策
などで、旅を楽しみながら歩くということが出来ませんでした。
今回の箱根西坂の下り旅は、天気予報では雨の心配がなさそうなので、富士山を眺めながら旅を味わえたらと思います。
《移動》
セットした目覚ましの音楽で起床し、外を見ましたがまだ真っ暗です。
朝食は前回と同じように、前日買い置きしたサンドイッチを食べ、靴はトレッキングシューズをウォーキングシューズに戻し、家を出発しました。
最寄り駅を定刻に出発し、何回かの乗り換えを行い、小田急線の小田原駅に到着しましたが、乗り換え時間の短い駅では、Yumiさんのザックを私が担いで走るなど、眠気を吹き飛ばされました。
07時30分、小田急線・小田原駅到着
駅前のバス停に着くと一人もいないので、出発前にトイレを済ませておこうと、Yumiさんを連れてトイレに行きました。
07時45分、小田原駅バス停発(写真右=※①で撮影)
01 小田原バス停① 003 小田原駅東口バス停
バスは定刻に出発し、旅で歩いた道を走るなどして
 箱根湯本 ⇒ 大平台 ⇒ 小湧園 ⇒ 元箱根 ⇒ 箱根町と進みバスの終点に着きました。
08時45分、箱根町港バス停着
Yumiさんと歩いた時は乗り場の建物はありませんでしたが、バス停の建物が出来ていました。
初めて乗ったバスですが、渋滞もなく、バス停での停車も少なく、約1時間の快適なバス移動でした。

【=旅=】
バスから降りて最初に、前回(H24.09.16 第6回)の到着式を行いました。
バス停は降りたバス停の隣りにあるので、そのバス停を背景に前回の看板を持って、写真を撮り到着式を終了しました。
次に、今日の出発の看板に変更して、出発式を行いました。
08時45分、箱根町バス停発(出発式)・・・(写真右)R02.11.05 箱根町港バス停

02 箱根町バス停①(出発地) 004 箱根町港バス停
バス停裏から富士山が眺められました(※②)
002-2
バス停を出発し約80m先の箱根関所南交差点の右側に箱根駅伝のミュージアムやゴール地点(白枠)がありました。
 ※①=箱根駅伝ゴール地点(右側)
005 箱根駅伝ゴール地点
箱根関所南交差点から約160m(箱根関所南信号の1つ先)歩くと信号の有る交差点で、左側の角に馬頭観音が祀られていました。
 ※①=馬頭観音(左角)
006 馬頭観音
交差点を右折する曲がり角の道路面に道路標板が埋め込まれていました。
 ※分岐(十字路):右折
007 分岐(右折) 008 道路標板
分岐をを右折して約200m歩くと、左側に赤い鳥居の駒形神社が祀られていました。
 ※①=駒形神社(左側)
005 駒形神社
駒形神社から約30m歩くとY字路分岐があり、左方向に進みました。
 ※分岐(Y字路)=左方向
011 分岐(左)
分岐を左方向に約20m歩くと右側に解説標板が建っており、さらに約20m歩くと右側に芦川の石仏群が祀られていました。
08時59分、芦川の石仏群碑(右側)
03 芦川の石仏群附近(道は向坂)013 芦川の石仏群
芦川の石仏群は、芦川のはずれ箱根峠にのぼる旧街道の道端には、庚申塔、六地蔵など、いくつかの石仏、石塔がある。江戸時代箱根を越えて、西に東に向う旅人は、恐らく村はずれにあるこの石仏、石塔に旅の安全を祈ったことでしょう。
街道は石仏の先から石畳道となり向坂が始まりますが、石畳に入った左側(白枠)に念仏碑が建っていました。
 ※①=(写真左)石畳入口 ・ (写真右)念仏碑
014 石畳入口 015 念仏碑
念仏碑から坂を約50m上ると、左側に向坂碑が建っていました。
09時00分、向坂碑(右側)
04 向坂碑016 向坂碑
向坂碑から約120m歩くと国道1号が上を走るトンネルがあり、トンネルを潜って進みました。
 ※①=国道1号ガード
018 R1ガード
ガードを潜った先から赤石坂となり、右側に赤石坂碑が建っていました。
09時04分、赤石坂碑(右側)
05 赤石坂碑019 赤石坂碑
赤石坂を過ぎると釜石坂となり、左側に釜石坂碑が建っていました。
09時06分、釜石坂碑(左側)
06 釜石坂碑021 釜石坂
釜石坂を過ぎると勾配がきつい石畳の風越坂となり、右側に風越坂碑が建っていました。
09時10分、風越坂碑(右側)
07 風越坂碑023 風越坂
風越坂を進むと右に曲がる道となり、階段坂の挟石坂に入りました。
025 挟石坂入口006 挟石坂
階段を上ると頂上手前の右側に挟石坂碑が建っていました。
09時14分、挟石坂碑(右側)
09 挟石坂碑(フーフー息が乱れている)027 挟石坂碑
挟石坂を上ると、上り切る手前の右側に箱根旧街道標柱が建っていました。
 ※①=箱根旧街道標柱(右側)
028 箱根旧街道標柱
挟石坂を上り切ったところの国道を左折(写真左)し、さらにY字路を右に進み(写真中)、箱根新道の下を潜り、道路を横切った突き当りを右折(写真右)して進みました。
 ※分岐=写真左:左折 ・ 写真中:右方向 ・ 写真右=右折)
029 分岐(左折)030 分岐(右)008 箱根新道分岐
右折して約100m歩くとY字路分岐があり左側の坂道に入りました。
 ※分岐(Y字路)=左方向 ※(写真右)駒ヶ岳
032 分岐(左)009 箱根駒ヶ岳
Y字路分岐を左方向に進むと上り坂となり、約130m進むとY字路分岐がありここが箱根峠で、ここから先は下りになり、右方向に進みました。
 ※分岐(箱根峠・Y字路):右方向
033 分岐(右折)
Y字路分岐を右方向に約120m下ると、国道1号の箱根峠交差点がありました。
09時24分、箱根峠(標高=846m)交差点
10 箱根峠①034-2 箱根峠・標識
箱根峠交差点を渡り、渡ったところを左折(写真左)して約90m進むと右折する道となり、冠木門(写真右)が建っていました。
 ※分岐=(写真左)箱根峠信号:横断 ・ (写真中)左折 ・ (写真右)冠木門:潜る
010 箱根峠交差点012 分岐(左折)036 冠木門
09時27分、箱根旧街道冠木門

11 箱根西坂入口
門を潜り約80m歩くと右側に八里記念碑(峠の地蔵)が建っていました。
09時29分、
箱根八里記念碑石像群(右側)
12 箱根八里記念碑(峠の地蔵)①
箱根八里記念碑石像群から約80m進むと左側にトイレがあり、立ち寄って身支度を整えました。
身支度を整え、街道に戻り約30m進むと分岐があり、右折して進みました。
038 分岐(右折)
※R02.11.05現在 甲石坂は台風の影響による道路破損で通行止めになっています。
そのため甲石坂が開通するまで、峠茶屋前の駐車場を通り国道1号を歩いて約1.3㎞迂回して進みます。

013 峠茶屋
〔本来の街道〕

分岐から約350m歩くと、左に箱根旧街道茨ケ平の標板、右角に石柱道標が建っている分岐があり、左折して草道に入りました。
09時40分、箱根旧街道茨ケ平標板(左側)
13 茨ケ平①
慶長9年(1604)江戸幕府は江戸を中心に、日本各地へ通じる五街道を整備した。中でも江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道で、最大の難所は小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を越える箱根八里(約32km)の区間で、箱根旧街道と呼ばれました。この街道は、土がローム層で大変滑り易いので、最初は箱根竹の束を敷きましたが延宝8年(1680)に、幅二間(約3.6m)の石畳に改修されました。参勤交替や伊勢参りなど、江戸時代の旅が一般的になるとともに賑わった旧街道も、明治22年(1889)東海道線の開通や、大正12年(1923)の国道一号線の敷設によって衰退しました。
この辺りは、茨が生い茂っているので、この付近の草原を茨ヶ平というそうです。

標板に沿って分岐を約40m進むと、東屋が建っている兜石休憩所がありました。
09時43分、兜石
14 兜石跡碑043 兜石休憩所
休憩所の手前右側に馬頭観音(憤怒の形相で災いを避ける)、左側の細道の奥に井上靖の八里記念碑が建っていました。
※①=(写真左)馬頭観音 ・ (写真右)八里記念碑:井上靖
045 八ツ手観音044 箱根八里碑(井上靖)
兜石休憩所の東屋を過ぎると、笹が覆い茂る道となりました。
15 甲石坂①
さらに歩いて行くと、笹やぶが覆うトンネルとなり、このような道はなかなか味わえないと、キョロキョロと周りを眺めながら歩きました。
15 甲石坂③(やぶトンネル)
笹やぶトンネルを過ぎるなど約550m坂を下ると、国道1号に合流しました。
なお、①と②の時は台風の影響で歩けなくなっていました。
※①=甲石坂の国道1号口の状況
050 兜石坂出口
突き当たった国道1号を右折して約180m進むと白色ガードパイプが終わった所に右折できる分岐があり、右折しました。
 ※分岐(右折)
014 分岐(右折)
右折した左側に日本橋から25番目の山中新田一里塚跡がありました。
09時58分、
025山中新田一里塚(左側)
16 山中新田一里塚③053 山中新田一里塚
一里塚の手前左側に旧街道石柱(標高=755.9m)が建っていました。
 ※箱根旧街道石柱

16 山中新田一里塚①053-2 旧街道標石
山中新田一里塚の真向かい(進行右側)に接待茶屋跡があり、跡地に解説標板が建っていました。
 接待茶屋跡碑
17 接待茶屋解説052 接待茶屋
ここには先客として先程と同じ仲間の集団(20名程)がおり、ワイワイ、ガヤガヤとうるさいので、写真だけ撮って先に歩き始めました。
 ※一里塚跡から見た街道
054 街道
一里塚跡から約40m歩くと、右側に石柱に囲まれた中の段上に兜を置いたような形の甲石があり、解説標板が建っていました。
10時01分、かぶと石(右側)
18 かぶと石①056 かぶと石
大きなおむすび形の石で、兜を伏したような形をしていることから、かぶと石」と呼ばれている。また、別の説として「豊臣秀吉が小田原征伐のとき休憩した際、兜をこの石の上に置いたことから「かぶと石」と呼ばれるなったといわれている。
甲石の真向かい(進行左側)に八代将軍吉宗がここの接待茶屋で休憩し永楽銭で支払った徳川有徳公遺蹟碑が建っていました。
 ※①=徳川有徳公遺蹟碑(左側)
055 徳川有徳公遺蹟碑
徳川有徳公遺蹟碑から約3分歩くと石原坂(黄矢印)の下りになりますが、下る手前の左奥に明治天皇御小休趾碑(白枠)が建っていました。
 ※①=明治天皇御小休市趾碑(左側)
015 明治天皇碑と石原坂058 明治天皇碑
明治天皇御小休趾碑から街道に戻り勾配のきつい石原坂をゆっくりと下るなど7分歩くと、念仏石があり解説標板が建っていました。
061 石原坂
10時09分、念仏石(右側)
19 念仏石①062 念仏石
念仏石から笹が頭上に覆いかぶさるようなところを通り、約4分坂を下ると視界が広がる施行平に着きました。
 ※笹が頭上を覆う
063 笹トンネル
右側の道標に沿ってT字路分岐を右折して約70m歩くと、右に上る道と左に進む分岐があり左に進みました。
 ※(写真左)施行平分岐 、(写真右)道標
064 施工平入口065 道標
Y字路分岐を左に進むと杉並木の上り坂となり、続いて草が茂る下り坂など大枯木坂を約400m歩くと、右側に民家が建っていました。
 ※(写真左)分岐:左方向 ・ (写真中)大枯木坂:上り ・ (写真右)大枯木坂:下り
066 分岐(左)067 大枯木坂(上り)069 大枯木坂(下り)
 ※大枯木坂の下り
20 大枯木坂①
大枯木坂を下ると右側に民家があり、民家の庭先を通るとコスモスが満開で綺麗でした。
10時26分、民家前のコスモス

20 大枯木坂②(民家の花壇)
民家の前を通りT字路を左折し(写真左)、約20mで右折し(写真中)、約40m先のT字路を左折(写真右)するクランク形に歩き、国道1号に突き当りました。
070 分岐(左折)071 分岐(右折)018 分岐(左折)
突き当たった国道を横切り右折して歩くと、箱根町から三島市に入る市境標識が建っていました。
072 合流(右折)
10時30分、市境標識(箱根町から三島市)=左側

21 三島市境標識
市境標識から約30m歩くと左折する分岐となり、左折して階段を下りました。
 ※小枯木坂
073 分岐(左折) 22 小枯木坂の眺め
この坂は小枯木坂で、道幅が広く、石畳も整備されており、神社の参道ではないのと思わせる感じの道でした。
10時33分、
道標(三島宿山中新田)
23 小枯木坂の途中①(山中新田碑)075 山中新田碑
山中新田の道標から小枯木坂を約50m下り始めると、一本杉石橋跡(白線)があり、右側に解説標板が建っていました。
※①=一本杉石橋跡
076 小枯木坂077 一本杉石橋跡077-2 解説
杉林と石畳の下り坂を歩いていると左側にポツンと1本の花が輝いていました。
 ※ぽつんと1本立っていました(花名は?)
24 花の名前4が不明079 杉林と石畳
小枯木坂を約650m歩くと、国道1号に合流する手前の右側に雲助徳利の墓が建っていました。
10時44分、雲助徳利の墓(右側)
080-2 場所確認用 25 雲助徳利の墓
お墓は、盃(上)とトックリ(下)が墓面に付いているユニークな墓で、「久四郎」という名前が彫られています。松谷久四郎と名乗り、一説には西国大名の剣道指南役でしたが、大酒飲みのために事件を起こして、国外追放となり、箱根で雲助の仲間に入りました。優れた剣術の腕前があったので、雲助をいじめる武士をこらしめたり、読み書きができるので、文字が読めない雲助たちの手紙を読んで雲助仲間から親分以上に慕われるようになったそうです。しかし、普段はお酒を飲んでごろごろしていたので命を縮めることになってしまいました。
Yumiさんに「写真を撮るから横に立って」と云うと、「お墓と一緒の写真はイヤです」と、強く拒否されてしまいました。
お墓の先で左カーブするなど約80m坂を上ると国道1号に合流するのですが、その手前の左側に箱根旧街道碑が建っていました。
 ※①=箱根旧街道碑(左側)
081 旧街道碑
箱根旧街道碑を過ぎると国道1号に合流し(写真左)、道路を渡って左方向(写真右)に進みました。
082 合流(斜め左)022 山中城址入口
道路を渡って進行右側を進むと、右側に山中城址の石碑が建っており、階段を上った先に駒形諏訪神社の鳥居が建っていました。
10時48分、山中城跡入口(左側)

26 山中城址上り口083 山中城址入口
《※①=山中城址》
階段を上ると右から城跡を歩く土道がありますが、左の駒形諏訪神社側に進みました。
 ※駒形諏訪神社
085 諏訪神社・境内085-2 諏訪神社・本殿
神社の境内左側に、今は根元だけが残された大カシ碑が建っていました。
 ※大カシ碑(神社境内)
086-2 大カシ碑023 大カシ跡
境内を出た左側に四阿が建っており、その奥に兵量庫跡があり、柱穴が保存されていました。
 ※(写真左)四阿 ・ (写真右)兵糧庫跡
087 四阿088 柱穴
ここから土道の坂を上ると、右側に矢立の杉が植生されていました。
 ※矢立の杉
089 矢立の杉089-2 解説
矢立の杉から少し上ると本丸跡があり、本丸堀跡が残されていました。
 ※(写真左)本丸跡 ・ (写真右)本丸堀跡
090 本丸跡090-2 解説093 本丸堀跡
本丸西橋を渡り二の丸跡と元西櫓を結ぶ二の丸橋の手前右側の高台に上ると、美しい富士山が目に飛び込んできました。
 ※(写真左)二の丸跡 ・ (写真右)富士山の眺め
096-2 二の丸(出発)028 富士山の眺望
二の丸橋を渡り城址内の坂を下りながら三の丸跡、三の丸堀跡を見て歩き、駐車場に出ました。
 ※(写真左)城址内の道 ・ (写真中)三の丸跡 ・ (写真右)三の丸堀跡
097 城址道098 三の丸跡099 三の丸堀跡
《Yumiさんとは山中城址には立ち寄らないで街道を歩きました》

入口の道路反対側に、「うなぎ竹屋」(H26.04.29で裾野市に移転)がありましたが、昼には時間が早いというのと、有名な三島広小路の桜屋で食べる予定があるので、横に見て通過しました。
竹屋から約350m歩くと、右側に山中城跡に行く駐車場、左側に山中城跡案内所があり立ち寄りました。
※①=山中城址駐車場(右側)
101 駐車場入口
《昼食》
10時55分、山中城跡案内所着(左側)
27 山中城址案内所(昼食)
この茶店で名物の「寒ざらし団子」(@400)を買うとともに、朝も早かったので昼食(かき揚げ丼)を摂ることにしました。
ここでは、店主の方と話しをするなど、のんびりと寛ぎました。
11時24分、山中城跡案内所発
案内所を出て、案内所裏手の石畳に入り約30m歩くと、左側に階段(白丸)があり、山中城址出丸跡があります。
102 分岐(左)
※山中城址出丸跡
103 出丸跡入口104 出丸跡付近
出丸跡入口から約50m歩くと、右側に馬頭観音と箱根八里記念碑(司馬遼太郎)が建っていました。
※①=(写真左)馬頭観音 ・ (写真右)箱根八里記念碑
106 馬頭観音107 八里記念碑
八里記念碑から石畳の坂道(写真左)を約280m下ると国道に合流する手前左側に道標(写真中)が建っており、合流した国道を左方向(写真右)に進みました。
108 石畳109 旧街道碑110 合流(左)
《初めての富士山眺望》
国道を約120m進むと信号(山中城口)があり、交差点を渡って進むのですが、信号を渡る時、右斜め前方に東海道の旅で初めて富士山を見ることが出来ました。
111 分岐(右側)
11時33分、初めての富士山眺望:(写真右)R02.11.05撮影
29 富士山②(旅で初めての眺望)032 山中城口交差点からの眺め
全景ではなく頂上付近には雲がかかっていましたが、初めて見れた富士山だったので、なんとも嬉しいひと時でした。
写真を撮って歩きだそうとすると、ノルディックウォーク姿の二人の男性が後方から歩いてきました。
箱根駅伝の全5区を歩き、今日(西坂)と来年1月(東坂)で箱根八里を歩くとのこと。
この旅を始めてから、行き交う人と挨拶することはありましたが、歩いている人と立ち止まって話したのは初めてでした。
《Yumiさんの膝痛》
男性二人が風のごとく歩き去った後、懸念していたことが起きました。
Yumiさんの、膝の痛みが強くなってきたのです。
大枯木坂を下っている時も、少し膝が痛いようなことを云っていたのですが、何とか歩いてきました。
シップ薬を貼り歩き出しましたが、平地や上りはまだ良いのですが、下りは横向き(蟹の伝い歩き)か、後ろ向きにならないと無理な状況です。
112 石畳113 道標114 石畳
前回の箱根東坂の上りで塩を飲ませて乗り切ったことを思い出しましたが、後遺症として血圧が上昇したので、塩を飲ませることを止め、歩くスピードを遅くすることで対応し、Yumiさんが離れないよう後ろを見ながら歩くことにしました。
富士見平の直前で富士山を眺めると、先ほどより大きく眺めることができ、足の痛みを忘れてニッコリしていました。
11時40分、富士見平手前からの眺め・・・(写真右)R02.11.05撮影
30 富士見平手前①033 富士見平手前からの眺め
富士山を眺めることができたところから約1分歩くと、左側に富士見平ドライブイン(食堂冨士見平)があり、突き当たった国道1号の左側に芭蕉句碑(写真下・左)、右側(写真下・右)に道標が建っていました。
116 富士見平117 食堂・冨士見平
11時41分、富士見平芭蕉句碑
31 富士見平芭蕉句碑119 道標
富士見平ドライブインの前の国道は、カーブしているので右方向が良く見えません。
いつ車が走ってくるのかわからないので、約100m離れた場所で横断しなければ危険なのですが、面倒臭いので左右を確認し走って渡ってしまいました。
国道を横断するとそのまま下る道があるのですが、街道は10数m左の階段道を進みます。
120-2(右は違う)035 階段下り123 石畳
下り坂を進むと先で街道と接する(写真右)ので進んでも大丈夫ですが、その先で分離するので気を付けて下さい。
124 左側の道
階段を下り石畳を約350m歩くと再び国道1号に突き当たるのですが、途中の左側に明治天皇休憩碑が建っていると資料に記されていましたが、確認することができませんでした。
※分岐(合流)=左折
125 合流(左折)
国道1号に合流するとYumiさんと歩いた時は出来ていなかった「三島スカイウォーク」と富士山が右側に見えました。
※②=三島スカイウォークと富士山
037-4
国道を約130m歩くと左側に道標が建っており、その先でY字路分岐となり左方向に進みました。
※(写真左)分岐(Y字路):左方向 ・ (写真右)道標=左側
128 分岐(左)129 道標
分岐を左に入り約70m進むと再びY字路となり、左方向に進みました(右はスカイウォークの駐車場)。
130 分岐(左)
この道は篠竹を敷いた道を意味する上長坂で、別名かみなり坂と云う下り立場でした。
写真の分岐から約1分歩くと右側に馬頭観世音が祠の中に四基納まっていました。
※①=馬頭観世音(右側)
131 馬頭観音131-2 馬頭観音
馬頭観世音から石畳の上長坂の下り坂を約250m歩くと、左側に箱根旧街道石柱が建っていました。
※①=(写真左)上長坂 ・ (写真右)箱根旧街道石柱=左側
132 上長坂133 旧街道碑
箱根旧街道石柱から約60m歩くと、左にUターンする小路の上り道分岐(右側の土屋家の前)があり、坂の上に日本橋から26番目の一里塚碑が建っていました。
12時00分、026笹原一里塚跡(標高=379.6m)=左側
32 笹原一里塚①32 笹原一里塚②
一里塚から街道に戻り、約50m歩くと国道1号に突き当り、突き当たった右角に石の道標が建っていました。
※R02.10.14 石の道標(右側)
138 石の道標139 分岐(直進)
国道を斜め右に横切って下長坂に入り約40m歩くと、右側に道祖神と馬頭観音が祀られていました。
※①=道祖神・馬頭観音=右側
140 道祖神・馬頭観音140-2 道祖神・馬頭観音
道祖神が祀られている向かい(進行左側)は高札場跡で、笹原新田集落の東口でした。
※①=高札場跡(左側)
141 高札場跡
道祖神が祀られている下長坂はあまりの急坂のため、背負ったコメが汗と熱でこわめし(強飯)になったということで別名「こわめし(強飯)坂」と云われています。
最初は緩やかな下りでしたが、途中から勾配のきつい下りとなり、足の膝痛を発生しているYumiさんには辛い下り道となりました。
※強飯坂
143 下長坂(強飯坂)144 下長坂(強飯坂)
強飯坂を下り始めると下から上ってくるお婆さんがおり、すれ違う時に「今、採ってきたばかりのミニトマトがあるので、袋はないか」と聞かれ、ザックからレジ袋を取り出すと、水を注ぐ感じでミニトマトを分けて下さいました。
急に云われて、私は流れのままお礼だけ云ってお婆さんと別れてしまい、気が付いた時はお婆さんの姿はなく、「時、すでに遅し」で、写真でも撮ってお礼をすることもできず、自分ながらいい年をして気の利かない自分に恥ずかしくなりました。
道祖神から約700m歩くと合流し、右方向に進みました。
145 合流(右)
合流から約70m進むと分岐があり、分岐の左側に「三ツ谷新田入口」の道標が立っており、三ツ谷地区に入って分岐を真っ直ぐに進むと、左側に少し入ったところに天神社が祀られていました。
※①=天神社(左側)
146 天神社
街道に戻り三ツ谷区公民館前から約60m歩くと「軒下の美術館」と看板が掲げられた家があり、軒下に写真などが展示されていました。
12時27分、軒下の美術館(右側)・・・(写真右)R02.10.14に撮影

33 軒下の美術館(三ツ谷)147 軒下の美術館
軒下の美術館から作品を眺めながら約240m歩くと右側に松雲寺があり、一服休憩を含めて立ち寄りました。
12時30分、松雲寺(右側)
148 松雲寺34 明治天皇史蹟①
史蹟の手前に、明治天皇が座られた石があり、同じ石に座って正面に見える富士山を眺めさせて頂きました。
※(写真左)明治天皇御座石・・・(写真右)R02.11.05撮影
35 明治天皇御腰掛石①(実際に座る)040 松雲寺からの眺め
石畳の道が終り、次に炎天下の舗装道路を汗を拭きながらの歩いてきましたが、正面に見える富士山を眺望することができて救われました。
松雲寺を出て約400m歩くと道路の右側に綺麗に手入れされた花壇があり、その先で右側を見ると富士山が見えました。
 
※道端の花壇(右側)・・・(写真右)R02.10.14に撮影
36 街道の花壇(三ツ谷)152 花壇
 ※富士山(写真中央)・・・実際は良く見えています  (写真右)R02.11.05に撮影
37 頂上の雲が取れる(三ツ谷)41 小時雨坂からの眺め
花壇からさらに小時雨坂を約350m下るとY字路分岐(三ツ谷下バス停の先)があり、右方向(写真左)に進みました。
Y字路分岐から約40m歩くと三島市眺望地点と記された看板が掲げられた分岐があり、左方向(写真右)に進みました。
154 分岐(右側)155 分岐(左⇒右)
分岐から約60m歩くと左側に史跡法善寺旧址碑が建っていました。
※②=史跡法善寺旧址碑(右側)
042 法善寺旧址碑
史跡法善寺旧址碑から右側の坂小学校に沿って約90m進むとY字路分岐があり、分岐を右方向に進みました。
156 分岐(右)
分岐を右方向に入ると左側に、足利尊氏が建立したと云われている七面堂旧址碑が建っていました。
12時49分、七面堂碑(左側)
38 七面堂碑
七面堂碑の前の細い道を進み(写真左)、階段(題目坂)を下り(写真中)、直進しました(写真右)。
159 題目坂160 題目坂161 分岐(左)
階段を下り約70m進むと「市の山新田」信号があり、右折して横断しそのまま真っ直ぐに進みました。
162 分岐(右)
交差点を渡った所の右側に、出征馬の碑が建っていました。
※①=出征馬の碑(右側)
164 出征馬の碑
出征馬の碑から約280m歩くと右側に地蔵堂が祀られており、地蔵堂の先に地蔵が12体祀られていました。
12時56分、六地蔵(右側)
165 地蔵堂166 六地蔵
六地蔵から大時雨坂を約90m歩くとガードレールの手前右側に右折して臼転坂の分岐があり、右折して臼転坂に進みました。
※分岐(臼転坂)=右折
167 大時雨坂168 分岐(右折)169 道標
臼転坂を約150m歩くと、左側に文政五年(1822)に建立された馬頭観音が祀られていました。
※①=馬頭観音(左側)
170 臼転坂172 馬頭観音
馬頭観音から約80m歩くと、左側に臼転坂解説標板が建っていました。
※①=臼転坂解説標板
173 臼転坂・解説
臼転坂解説標板から約80m歩くと国道1号と並列の道(写真左)となり、そのまま進むと左側は国道1号の市山新田信号(写真中)で、交差点を左に見てそのまま真っ直ぐ進み(写真右)ました。
044 分岐(直進)175 市山新田交差点045 合流
市山新田交差点から約160m歩くと左側に普門庵がありました。
※①=普門庵(左側)
176 普門院176-2 堂内
普門庵から約290m歩くと、右側に本尊が聖観音菩薩像の宗福寺がありました。
※①=宗福寺(右側)
177 宗福寺
宗福寺は鉄牛なる上人が本尊を運んでいたが、ここで動かなくなり、この寺に安置したと伝わっている弁財天女尊・西国三十三所供養塔がある。
宗福寺は立ち寄らないでそのまま約60m進むと、右側に「駄菓子屋YOU」がありました。
13時10分、駄菓子屋YOU(右側)
40 駄菓子屋YOU(午後はお休みでした)
この店は、先人のHPで知り、通る時は立ち寄ろうと計画していたのですが、「午後はおやすみします」と扉に貼紙されていてガッカリしました。
※①=確認
Yumiさんと歩いた時は臨時休業でご縁がなく、8年後に訪れた時は店は閉店し別の所有者に代わっていました。
046 元駄菓子屋YOU
駄菓子屋YOUから約280m歩くと左折して国道1号に出る分岐(写真左)があり、分岐を真っ直ぐに約90m進むとY字路分岐(写真右)となり左方向に進みました。
※(写真左)分岐:直進 ・ (写真右)分岐(Y字路):左方向 
047 分岐(直進)179 分岐(左)
Y字路を左に約70m進むと左側に石仏があり、石仏の先に箱根路の碑が建っていました。
※①=石仏(左側)
180 石仏
13時21分、箱根路の碑(左側)
41 箱根路碑①181 箱根路の碑
箱根路の碑の先で国道1号に突き当り、右折して進みました。
048 分岐(右折)
T字路分岐から約30m歩くと三島塚原IC交差点で、横断しながら右方向を見ると、富士山を眺めることができました。
※②=(写真左)三島塚原IC交差点:横断 ・ (写真右)富士山の眺め(交差点の右手)
049 三島塚原IC交差点(横断)050 三島塚原ICからの眺め
交差点を渡り伊豆縦貫自動車道の上(写真のフェンスの下)を横切るなど約150m歩くと、初音ケ原松並木(約1㎞の石畳)となり、炎天下から解放されホッとしました。
※伊豆縦貫自動車道の上を横切る
182 国道沿い
初音ケ原松並木は、三島市に残っている唯一の松並木だそうです。
 ※初音ケ原松並木入口・・・(写真右)R02.11.05に道路から撮影
42 初音ケ原松並木①051 初音ケ原松並木
松並木は国道1号と並行して植生されており、松並木に入って約70m歩いたところで右方向を見ると、綺麗な富士山を眺めることができました。
※②=初音ケ原からの富士山の眺め
052 初音ケ原松並木からの眺め
初音ケ原松並木に入ってから約230m歩くと、東海道の史跡として保存されている日本橋から27番目となる錦田一里塚がありました。
13時30分、027錦田一里塚(標高=101.6m)=左側
※(写真左)右塚 ・ (写真右)左塚

43 錦田一里塚①
185 錦田一里塚(左塚)
左塚は、国道1号を越した反対側にあります。
また一里塚(右塚)の手前左側に箱根八里記念碑(鈴木宗忠)が建っていました。
 ※①=箱根八里記念碑(鈴木宗忠):左側
186 箱根八里記念碑
暑い中を歩いてきたので、一里塚付近の木陰を利用し、昼に買った「寒ざらし団子」と持参した麦茶で、おやつタイム(10分休憩)を取りました。
錦田一里塚から約40m歩くと初音ケ原歩道橋が架かっており、渡って進みました。
 ※初音ケ原歩道橋=直進
187 初音ケ原歩道橋
歩道橋を渡り平坦な石畳の道を約400m歩くと、右側に全面がガラス張りのレストラン「アサカ」がありました。
 ※②=レストランアサカ(右側)・・・天気が良いと富士山の眺望が抜群です
188 初音ケ原松並木189 レストラン・アサカ053 レストランあすか・富士山
レストランアサカから約240m歩くと五本松交差点があり、石畳道の初音ケ原松並木が終わりました。
交差点の手前左側に旧街道標板が建っており、突き当たった国道1号を右折すると、分岐点右側の植え込みの中に大根の碑が建っていました。
 ※分岐(五本松交差点)=右折
190 旧街道標板
 ※①=大根の碑(右側)
191 大根の碑
街道は植え込みに沿って進み、交差点を渡り、右折して数m先の小路を左折します。
 ※分岐(五本松交差点)
192 分岐
小路を約10m進むと右側に石仏石塔群がありました。
 ※②=石仏石塔群(右側) 
055 石仏石塔群
石仏石塔群の直ぐ先のところの右手に、富士山を眺めることができました。
056 五本松交差点先からの眺め
街道は石畳から舗装路となり石仏石塔群から約140m歩くと愛宕坂になりました。
Yumiさんに「最後の坂だよ」と励ましたのですが、膝痛で元気がありません。
13時52分、愛宕坂上
44 愛宕坂①193-2 解説標板
膝痛で足を少し引きずりながら何とか約160m下ると右側に箱根旧街道標板が建っており、その先に東海道線の踏切があり長い箱根西坂が終わりました。
 ※①=(写真左)箱根旧街道標板 ・ (写真右)東海道線踏切
194 旧街道標板195 JR踏切
東海道線の踏切を渡ってからは、平地の歩きとなり、Yumiさんも普通に歩けるようになりましたが、炎天下で汗が噴き出てきました。
日陰のない舗装路を約130m歩くと山田川に架かる愛宕橋があり、愛宕橋から約60歩くと県道に合流し、そのまま真っ直ぐに進みました。
 ※①=(写真左)愛宕橋 ・ (写真右)合流(県道):直進
196 愛宕橋197 合流(直進)
県道合流から約300m歩くと大場川に架かる新町橋があり、橋から富士山が眺められると記された写真パネルが掲げられていました。
 ※新町橋
057 新町橋
 ※新町橋からの富士山
058-3198-2 解説
新町橋を渡ると、晒し場があった三島宿の江戸口の東見附跡です。
 ※東見附跡(白枠付近)
200 三島宿東見附跡
新町橋から約550m歩くと、右側に三島大社参道入口の鳥居に着きました。
三島大社に参拝しようと、鳥居の下を通って参道を歩き、山門を潜り、さらに進んで神殿の前に立ちました。
14時12分、
三島大社(右側)=(写真左)鳥居 ・ (写真右)神門
201 三島大社45 三島神社②(山門)
14時15分、三島大社・神殿
45 三島神社④(神殿)
大社の参道を通り、境内⇒神殿と進み、Yumiさんと一緒にお賽銭をご奉納し参拝しました。
参拝は、周りに人がいるので、心の中でYumiさんの病気平癒をご祈願しました。
境内(神門と舞殿の間の右側)に天然記念物の金木犀(写真左)が植生されており、開花し始めた所でしたが、大きな樹から強い香りを漂わせていました。
※写真右=神池(鳥居~神門の間の左側)
45 三島神社⑤(金木犀)061 三島大社・神池
また、境内では、結婚式を挙げた花婿さんと白無垢の花嫁さんが、幸せ一杯の満面の笑み称えて歩いていました。
14時28分、三島大社発
三島大社を出発し、約270m歩くと右側に三島市中央町別館があり、建物の脇に問屋場跡碑が建っていました。
14時34分、問屋場跡(右側)
46 問屋場跡碑①
問屋場跡から約180m歩くと本町交差点があり、交差点を真っ直ぐ越えた右側に本陣碑が建っていました。
14時38分、
世古本陣跡碑(右側)
47 世古本陣跡碑①
世古本陣跡から交差点に戻り、交差点を渡って右に2軒目の山田園(茶園)の前に樋口本陣碑が建っていました。
14時41分、樋口本陣跡碑(左側)
48 樋口本陣跡碑①
世古本陣と樋口本陣碑は、それぞれ50㎝程の高さのため、座らないと写真が撮れないので、膝痛のYumiさんは座るのが大変でした。
樋口本陣碑から約250m歩くと左側に三石神社があり、境内に「時の鐘」がありました。
14時46分、時の鐘(三石神社)=左側
49 時の鐘①(三石神社境内)
時の鐘のある三石神社を出て、約10m先の右側に蓮馨寺があり、芭蕉老翁の墓があるので見に行きました。
14時49分、芭蕉老翁の墓

50 芭蕉老翁の墓(連馨寺)
老翁の墓から旧東海道に戻り、伊豆箱根駿豆線の踏切を渡ると、右側に今日の到着である「三島広小路駅」があり、Yumiさんに看板を掲げてもらい到着式を行いました。
14時52分、三島広小路駅・駅前着(到着式)
51 三島広小路駅前②(到着地)
Yumiさんが膝痛になり苦労しましたが、何とか旅を終えることができました。
「さあ、うなぎを食べに行こう」とYumiさんに声を掛け、楽しみにしていた「桜家」にうなぎを食べに行きました。
【うなぎ】
「桜家」は、旧東海道に面していて、三島広小路駅から踏切を渡った右側にあり、夕方は行列ができる有名な店と聞いていました。
15時頃なので空いているかと思って店内に入ると、「え!!」と思うくらいお客が入っていて、他の人と相席で座りました。
52 うなぎ桜家(注文品)
鰻は、柔らかく、香ばしく、口の中でとろけるようで、諏訪のうなぎ小林店と変わらないくらい美味しかったです。
【帰路】
15時32分、三島広小路発
53 三島広小路駅ホーム
改札で切符を買い、ひと駅先の終点三島でJRに乗り換え、家に帰ってきました。
熱海から西はJR東海の管轄で東日本のパスモが使えないことを失念していたため、三島駅では民鉄の改札から一度改札を通って外に出て、JRの切符売り場に移動して小田原までの乗車券を購入して入場しました。
Yumiさんに切符を入れて改札を通る方法を教えましたが、次回まで覚えていてくれるかな?です。
99%、覚えているのは無理だとおもうので、また教えるようです。
また、駅の下り階段は膝痛のため下るのが難しいため、エレベータを使用して移動しました。
【総評】
今回の旅は、
 ①.天候に恵まれた
 ②.富士山が初めて眺められた
 ③.街道を歩く人との会話
 ④.Yumiさんの膝痛
など、今までにない体験がありました。
次回の旅は、どのような体験をするのか分かりませんが、準備して楽しい旅にしたいと思います。
また、Yumiさんにとっては厳しい旅になってしまいましたので、少しでも楽しい旅になるよう膝の筋肉強化の運動をまた再開したいと思います。
【次回の予定】
次回は「11月10日㊏~11日㊐」の一泊二日で、三島広小路駅前~東田子の浦駅前~新蒲原・五十嵐商店角までの旅をします。
三島から先は、
 ①.日帰り2回の二人分の旅費より、ツインルームで宿泊した方が安い
 ②.Yumiさんの体力負担を軽減する
ためです。
また、男性が加入できる65才になり加入したJR東日本のジバング(30%引き)も活用したいと思います。

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【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。

 
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/  
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/ 

【天候】晴れ⇒雨⇒晴れ
【宿場】(09)小田原宿⇒(10)箱根宿
【行程】歩行距離=12.91㎞ 総距離=101.82㎞  

箱根登山鉄道・入生田駅入口⇒(2.80㎞)⇒022湯本茶屋一里塚⇒(4.39㎞)⇒
023畑宿一里塚⇒(4.42㎞)⇒024箱根一里塚⇒(1.30㎞)⇒箱根町バス停
【ルート図】
 宿場(黒囲みが第6回旅の宿場)
16 6回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第6回)
 第6回の旅ルート
 
(箱根登山鉄道
・入生田駅 ⇒ 箱根宿・箱根町バス停)
第6回ルート
【再訪】
 夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
  
〔※①〕=平成26(2014)年 9月11日
  〔※②〕=令和02(2020)年10月13日
  〔※③〕=令和02(2020)年11月 4日
【旧東海道の旅】
《序章》
6月30日に旅した後の7月中旬に白内障の手術を受けたり、山荘で私の左足親指を骨折(7月中旬)することが重なり、当初計画していた9月1日の旅を9月16日に2週間延期しました。
《準備》
骨折したことで、約2カ月半、養生のためほとんど歩いていなかったので、不安感を抱きながら少し早い12日から荷造りを始めました。

ザックや服装は、この時期のスズメ蜂の動きを考え、蜂が好む黒を除くことを第一に考え、私は青色のDeuter製30㍑、Yumiさんは雨の時のことを考え、ザックカバーが備え付けられている私がいつも使っている水色のモンベル製30㍑にしました。
ザックに入れる荷物は、チェックリストを元に1から準備しました。

また、今回の東海道の旅は標高差約600mの箱根東坂の上り坂を歩く難度としては山行と同じため、万一の事故に備えヘッドランプ、非常食、医薬品、ストック、雨具(ゴアテック合羽上下・折り畳み傘)、昼食などを用意しました。
貴重品類は、前日の15日昼間に準備し、寝る前に再度、全部の持ち物について再点検し、朝4時に目覚ましをセットしてベツドに入りました。
04時20分、起床
いままでの5回の旅で権太坂、大坂、化粧坂など勾配のきつい坂がありましたが、
今回の箱根東坂の上りは旧東海道の中で一番の難所と云われているところなので、緊張感をもって当日の朝を迎えました。
起きた時はまだ日の出前なのため、暗くて天気の状況は分かりません。
前日の天気予報どおりの天気を祈りながら、いつも
と同じ段取りで朝の身支度を整え(違うのは、両足のつり防止の手入れが追加)、朝食は前日買い置きした「あんまん・肉まん」を電子レンジで温めて食べました。
また、飲み物は500mlスポーツドリンク2本(1本は冷凍)と麦茶を用意しました。
《移動》
いままでの5回の旅は、権太坂、大坂、化粧坂などの坂がありましたが、今回の箱根東坂の上りは旧東海道の中で一番の難所と云われているところなので、緊張感をもって当日を迎えました。
起きた時はまだ日の出前のため、天気の状況は暗くて分かりませんが、前日の定期予報を信頼して旅に出る準備を始めました。
靴はウォーキングシューズからトレッキングシューズに替え、少し肌寒さを感じる朝の空気を浴びながら、最寄り駅に向けて自転車を走らせました。
最寄り駅を定刻に出発し、電車を乗り継いで、小田原で箱根登山鉄道に乗り換え出発地の入生田駅に到着し、駅構内でトイレを済ませ、前回撮影を持ち越した駅の改札口を記録に残しました。
01 入生田駅①
08時02分、入生田駅着
入生田駅では旅に出発する前、先人のHPに掲載されていた丸い石を確認しようと地元の方に聞くと、「その石ならすでに撤去されていて、今はないですよ」と云いながら親切に家まで教えて下さいました。
私は、丸い石の写真を撮って、Subu君に送りたいと思っていたので、とても残念です。
また、撤去された後の写真を撮っておこうかなと考えましたが、思い出をそのまま残しておいてあげようと思い撮るのはやめました。
写真を撮ろうと探していた家は、出発地点となる入生田駅入口の前の造園屋さんでした。

【=旅=】
08時13分、入生田駅入口(出発地)
02 入生田駅入口(出発地)②:後ろ進行方向
出発地に立ち、Yumiさんに出発地を記した看板を掲げた写真を撮る出発式を行い、芦ノ湖に向けて出発しました。
歩き始めると約100m先に踏切があり、丁度遮断機が降りて小田原行きの電車が走ってくるので、急いでシャッターを押しました。
 ※小田原方向に走る箱根登山鉄道
03 入生田駅踏切①(小田原行き)
箱根登山鉄道は単線のため、入生田駅を見ると箱根湯本行きの電車が走ってくるところだったので、Yumiさんを踏切の近くに立たせてシャッターを押しました。
08時16分、箱根湯本方向に走る箱根登山鉄道
03 入生田駅踏切②(湯本行き
この旅で、このような機会は二度と無いので、良い記念になりました。
天気は青空で、日差しの強さとじめーとした湿度から、歩き始めたばかりですが、汗が噴き出てきてYumiさんも汗を拭いています。
踏切から約220m歩くと国道1号に合流するところの階段を降り、国道脇の道を約110m歩くとまた階段を上り、約550m進むと左側の箱根レッカー店の先で、1号線に合流します。
合流する右側に「山崎の古戦場跡」の石碑が建っていると史料に記されていましたが、工事中で見つけることができませんでした。
1号線の道路沿いを歩いて湯本横断歩道橋を使って反対側に渡らなければいけないのですが、面倒で車の通行を確認すると丁度信号で途切れた時だったので、横断歩道橋を割愛して道路を横切り、反対側に渡って約300m歩くと、早川に架かる三枚橋の三枚橋交差点があり左折しました。
08時37分、三枚橋・・・写真右の三枚橋の全景は※③の時に撮影
04 三枚橋①002 三枚橋
三枚橋のたもとで記念写真を撮り、沖縄地方に超大型の台風が接近している影響で、天候不順になる予報が出ていたので先を急ぎました。
【東坂の上り】
三枚橋を渡ると街道は上り坂となり箱根東坂に入ります。
三枚橋を渡って約80m歩くと、右側に村境の湯本道祖神が祀られていました。
 ※3=湯本道祖神(右側)
003 湯元村道祖神
湯本道祖神から約160m歩くと、左側にコンビニのセブンイレブンがあり、昼食(おにぎりとジュース)を仕入れるために立ち寄りました。
 ※②=コンビニ(セブンイレブン)=左側
004 セブンイレブン
昼食を仕入れ、約400m歩くと(手前の右側に湯本小学校がある)左側に温泉の守護神を祀っている白山神社がありましたが、参道入口で一礼しただけで失礼いたしました。。
 ※②=白山神社(左側)
005 白山神社
白山神社から約50m歩くと、右側に北条文化の遺産が残る早雲寺があり立ち寄りました。
08時53分
早雲寺(右側)
05 早雲寺入口①
早雲寺は小田原北条氏の菩提寺で、大永元(1521)年、北条早雲(伊勢盛時)の遺言により北条宇治綱が創建した臨済宗大徳寺派の寺院だそうです。
境内が涼しそうだったので立ち寄りましたが、Yumiさんはまったく興味がなく写真だけ撮りましたが、境内の木々はまだ緑濃く朝の陽射しを浴びてとても綺麗でした。
 
※早雲寺境内
06 早雲寺境内①
本堂の左側奥に北条氏五代の墓所がありました。
 ※②=北条五代の墓所(境内左奥)
  写真左=墓所入口 、写真右=墓所(白枠が北条早雲)
007 北条家墓所入口 008 北条五代の墓
街道は早雲寺を過ぎたあたりから、登りの勾配が一段ときつくなってきて、この先の厳しい上りを示唆するようでした。
早雲寺から約350m歩くと、左側に正眼禅寺があり、少しだけ立ち寄りました。
09時03分、正眼禅寺(左側)
07 正眼禅寺①
正眼禅寺は、曽我兄弟の菩薩供養されているのですが、境内を簡単に一巡しただけで失礼しました。
曽我堂の階段脇に五郎の槍突き岩があり、本堂前の境内に芭蕉句碑が建っていました。
 ※②=槍突き岩(写真左)槍突き岩 ・ (写真右)芭蕉句碑
010 槍突き岩 011 芭蕉句碑
正眼禅寺の先で勾配が少しきつくなるなど約190m歩くと、右側に道祖神が祀られていました。
 ※②=道祖神(右側)
012 道祖神
道祖神から右カーブを曲がり、次の左カーブの途中(道祖神から約50m)の左側に、男女双体道祖神が祀られていました。
 ※②=男女双体道祖神(左側)
013 男女双体道祖神
男女双体道祖神から約70m歩くと右側に静観荘があり、手前右側に日本橋から22番目の一里塚跡があり、石碑が建っていました。

09時12分、022湯本茶屋一里塚(右側)
08 湯本茶屋一里塚① 
この場所には寄木細工の木象嵌技法を普及させた白川洗石の生家があったところで、一里塚碑の右側に標板が建っていました。
 ※②=白川洗石生家跡
014 湯元茶屋一里塚跡 015 白川洗石生家跡
一里塚碑から約140m歩くと新茶屋があり、その前に分岐があり、右側に進みました。
016 分岐(右)
分岐の先は下り坂で、少し歩くと石畳道になりました。
017 石畳
本橋からここまでの道は、100%舗装道路だったのですが、初めて旧東海道を偲ばせる道になり、旅の雰囲気が出てきました。
 ※石畳道
09 旧道最初の石畳道(湯本茶屋)
石畳道を下ると須雲川に架かる猿橋があり、渡って進みました。
 ※②=(写真左)猿橋 ・ (写真右)左方向の眺め
020 さるはし 020-2 さるはしの眺め(左)
石畳の道は猿橋に向かって一度下り、橋を渡ったところから上り坂(観音坂)となるのですが、石畳の道は凹凸があり歩きづらい道だなという感じでした

 ※②=観音坂
022 観音坂②
観音坂は上り2町(約220m)の坂で、観音堂があったことで名付けられたと云われており、観音坂を上ると右側に福寿院があり、
 ※②=福寿院(合流手前の右側)
023 福寿院入口
その先で県道732号に合流し、右方向に進みました。
024 合流(右)
街道は歩道がない上、車がビュンビュンと走るので気を付けないと危険です。
私とYumiさんは汗でタオルはグッショリ状態になっていたため、南風荘入口のところで休憩を取り、新しいタオルに交換と水分補給を行う休憩を取りました。
※反省
一服休憩を取るとしたら南風荘を過ぎた先に湯場滝通りの入口があり、入口先の奥湯本入口バス停脇に四阿が建っているので、この場所が良いと思います(合流から約450m)。
09時35分、ホテル奥湯本の手前
10 旧道(ホテルおくゆもと手前)024-2 奥湯本バス停
四阿からホテル奥湯本の入口(約300m)を過ぎるなど約800m歩くと、右側に箱根大天狗山神社がありました。
 ※②=箱根大天狗山神社・山門(右側)
025 箱根大天狗山神社025-2 箱根大天狗神社
箱根大天狗山神社・山門前から約260m歩くと、須雲川インターチェンジがあり、真っ直ぐに進みました。
09時47分 須雲川インターチェンジ(箱根新道との合流地点で信号有り)
026 須雲川IC(直進)
この辺りの道路は、右・左にカーブしているのに歩道がなく、視界の悪い地点も多々ありますが、車は人が歩いていると思わないで走ってくるので、気を付けないと大変危険な場所です。
須雲川ICから約200m歩くと、右側に初花の滝碑が建っていました。
 ※②=初花の滝碑(右側)
027 初花の滝碑
初花の滝碑から約300m歩くと、左側に青銅製鳥居が建っている駒形神社が祀られていました。
 ※②=駒形神社(左側)
028 駒形神社
駒形神社から約30m歩くと、左側に箱根霊験躄仇討ちの主人公である飯沼勝五郎・初花夫婦の墓所がある鎮雲禅寺がありました。
9時55分、鎮雲禅寺(左側)
11 鎮雲禅寺入口②
鎮雲禅寺は、入口に石碑、その左側に霊泉の滝があり、清流が流れ独特の雰囲気をかもし出している寺院でしたが、階段の上り・下りはきついので境内には入らずに入口で失礼しました。
Yumiさんと立ち寄らなかったので、今回は立ち寄り墓前に手を合わせました。
 ※②=飯沼勝五郎・初花の墓所
031 勝五郎・初花夫婦の墓
鎖雲寺を出て約110m歩くと左側にクリーム色壁のトイレがありました。
 ※③=トイレ(左側)
031-2 須雲川橋手前ノトイレ
トイレから約30m歩くと左折する須雲川自然探勝歩道がありますが、街道は直進して須雲川橋を渡って進みます。
 ※②=(写真左)分岐:橋を渡る ・ (写真右)須雲川橋から左方向の眺め
032 須雲川自然探勝歩道入口 032-2 橋からの眺め(左)
須雲川橋を渡り約20m歩くと、右側に岩のくぼみに溜まった水をイボに塗るとイボが取れると伝わっている弘法のいぼ取り水がありました。
 ※②=弘法のいぼ取り水(右側)
034 弘法のいぼ取り水
弘法のいぼ取り水から約90m歩くと、右側に箱根大天狗山神社の赤い大きな鳥居が建っていました。
 ※②=箱根大天狗山神社・鳥居(右側)
035 箱根大天狗山神社
そして、この先の「女転し坂」から箱根の本格的な上り坂に入りましたが、
この辺りから雨が降ってきたので、持参した折畳み傘を差して歩き始めました(これ以降、雨は降ったり、止んだりが繰り返されました)
女転し坂は結構きつい上り坂で、街道の県道沿いを傘を差しながら、テクテクと歩きました。
箱根大天狗山神社の鳥居から約180m歩くと、左側に女転し坂碑が建っていました。
 ※②=女転し坂(写真左) 、坂碑(写真右):左側
036 女転ばし坂 036-3 坂碑
女転り坂碑から約160m坂を上ると、右側の発電所前バス停の真向かい左側に箱根大天狗山神社の鳥居が建っていました。
 ※②=箱根大天狗山神社・鳥居(左側)
037 箱根大天狗山神社
発電所前バス停の直ぐ先に左に下る分岐がありますが、発電所に行く道のため、街道は舗装路を真っ直ぐに進みました。
038 分岐(右)
分岐から約40m進むと、右側に割石坂碑、自然探勝歩道標識などが建っている分岐があり、右折して石段を上りました。

10時13分、割石坂(右側)
12 割石坂入口①
割石坂は、県道732号線の「須雲川自然探勝歩道」の入り口から始まり、「曽我五郎が富士の裾野の仇討に向かう時、刀の切れ味を試すため、路傍の巨石を真っ二つに割り切った」ところから名付けられたようです。
一方、降り出した雨は断続的に降り続いていますが、木立の中ということと雨の勢いが強くないということで、歩くのには支障はありませんでしたが、石畳の道は滑り易く気を付けながらの歩きになりました。
 ※割石坂の石畳(写真右=R02.10.13再訪)
13 割石坂石畳040 石畳①
一方、樹林帯の中の石畳だったので、旧道の雰囲気を味わうこともできる道でした。
また、手持ちの資料と地図が、汗と雨でフニャフニャになってきたので、保護しながらの歩きになりました。
そして背負っているザックが濡れ始めてきたので、割石坂の途中でザックカバーをセットしました。
Yumiさんのザックは、ザック備え付けのため簡単にセットすることができ、私のザックは外付けでしたが比較的簡単に取り付けることができました。
割石坂を約250m歩くと木製の小橋が掛かっており、そのまま真っ直ぐに約100m進むと右側に接待茶屋跡の標板が建っていました。
 ※②=木製小橋
043 割石坂出口 ➡ 044 合流(右) ➡
044-2 旧道
 ※②=接待茶屋跡(右側)
045 接待茶屋跡・合流045-2 解説
街道は接待茶屋跡の先で、県道に合流し右方向に進みました。

046 合流(右)
【旧道を間違える・PARTⅠ】

割石坂から国道に合流した先の千鳥橋下で、国道から左に分岐して歩くのですが、見落としてそのまま国道を歩いてしまい、「大沢坂」を歩かないで畑宿に着いてしまいました。
Yumiさんと歩いた時、分岐を見落として歩かなかった大沢坂は、合流した処から約170m歩くと、左側の白いガードルの間に石畳があり、入口左側に旧街道標柱が建っていました。
 ※②=大沢坂入口(左側)
047 大沢坂入口
大沢坂に入り約120m坂を下ると木製の小橋が架かっており、橋を渡ると上り坂になりました。
 ※②=(写真左)下り坂 ・ (写真中)木製小橋 ・ (写真右)上り坂
048 大沢坂の下り049 木の小橋050 大沢坂の石畳
大沢坂の上り坂を進むと右側に大沢坂碑がたっており、さらに数分歩くと斜めの排水路跡(黄色枠)があり、左側に解説標板が建っていました。
 ※②=大沢坂碑(左側)
051 大沢坂碑
 ※②=斜めの排水路
052 斜めの排水路
斜めの排水路は、石畳の上を流れてきた雨水を石畳から外に出すためのもので、上流側に小石、下流側に大石を斜めに敷く構造になっています。
斜めの排水路から約50m歩くと、左側に旧街道標石が建っていました。
 ※②=旧街道標石(左側)
053 箱根旧街道碑
旧街道標石から約50m歩くと階段があり、階段を上ったところの右側に道標が建っており、合流した県道を左折して進みました。
054-2 大沢坂出口
大沢坂を上った合流地点で、大沢坂を通らない歩いてしまったことに気が付きましたが、戻る気力もなく違う道でも歩いたということで良いことにし勝手に納得しました。
合流したところから約20m歩くと、左側に道祖神が祀られていました。
 ※②=道祖神(左側)
055 道祖神
道祖神から約80m歩くと、右側に本陣跡の標板が建っていました。

10時30分、畑宿茗荷屋本陣碑(右側)・・・※②の時はありませんでした
14 畑宿本陣碑①
茗荷屋本陣は江戸時代、参勤交代の大名や公家たちが使用した宿泊所で、幕末にはアメリカ総領事のハリスの通辞をしていたヒュースケンも利用したという記録が残っている。建物は大正元年(1912)に焼失しましたが、当時の趣きを残す小川や池がある庭園を見ることができる。明治時代に旧街道の杉並木から伐採し、真ん中をくり抜いた切り株があり、通り抜けると長寿をもたらすといわれているそうです。
しかし、今日は雨模様で、この辺りでは小雨になっていたため、雨の降っていない時に少しでも先に進もうと、立ち寄ることなく記録だけ残し先に進みました。
 ※②=(写真左)本陣茗荷屋跡:右側 ・ (写真右)庭園跡:建物裏
056 本陣跡056-2 庭園
 ※②=(写真左)本陣解説標板 ・ (写真右)明治14年頃の写真
056-3 解説標板(写真有)056-6 明治期の写真
明治14年の写真は再訪した時、家族が写ってる子孫の方が見せて下さいました。
本陣近隣本陣跡から約20m進むと、右側に明治天皇碑が建っていました。
 ※②=明治天皇碑(右側)
057 明治天皇碑
明治天皇碑から約40m歩くと右側に駒形神社の参道入口があり、階段を上った奥に祀られていました。
 ※②=駒形神社(右側)
058 駒形神社
駒形神社参道入口から約150m歩くと分岐があり、左側の畑の茶屋と右側の箱根寄木細工のすぎやの間を進みました。
059 分岐
分岐を進むと分岐点に東海道碑が建っており、店舗(畑の茶屋)と碑の間を進みました。
10時33分、東海道碑(右側=分岐点)
059-2 分岐15 畑宿一里塚入口①
東海道碑から約50m歩くと日本橋から23番目となる畑宿一里塚があり、復元された一里塚が左右に建っていました。

10時34分、023畑宿一里塚(左・右)
 畑宿一里塚=左側  (写真右=※②の時) ※黄矢印は街道
16 畑宿一里塚②(左)061 畑宿一里塚(左)
 
畑宿一里塚=右側  (写真右=※②の時) ※黄矢印は街道
16 畑宿一里塚④(右)061-2 畑宿一里塚(右)
畑宿一里塚は江戸時代の一里塚の形態をとどめた立派な塚で、現在のものは発掘作業で確認できたものを復元したものだそうです。
 ※①=宿一里塚(右側)
120 畑宿一里塚
街道旅の時は要介護1(認定調査を受けていないので推定)ですが、再訪のH26.09は要介護2の認定を受けています。
ご覧になった皆さん、認知症を発症していると思えますか?
認知症と診断されていても要介護2レベルは、Yumiさんと同じように外見だけでは分からない人が大勢います。
 ※畑宿一里塚・解説
121 畑宿一里塚・解説
左・右の塚写真を撮り、天気の状態も良くないので、甘酒茶屋を目指して先を急ぎました。
畑宿一里塚の右側には日蓮宗の守源寺がありましたが、参道入口から写真撮っただけで立ち寄りませんでした。
 ※②=守源寺(右側)
060 守源寺
一里塚を過ぎても箱根東坂の上り坂が終わったわけでなく、雨模様が続くなか車が行き交う舗装路、東海道で有名な石畳の道、階段道などを歩きました。
左右の一里塚の間を進むと、直ぐに石畳道となり、樹林帯に入る左側に一里塚碑が建っていました。
 ※②=(写真左)石畳道 ・  (写真右)畑宿一里塚碑:左側
062 一里塚奥の石畳 063 畑宿一里塚標柱
私たちの後から上ってきた親子連れ(3人)は、雨具を持っていなかったのでどうするのかと思っていたら、畑宿一里塚の先の西海子坂(さいかちざか)を上った国道との合流点で歩くのを止めたようで、国道を歩いていた私達を追い越したバスに乗っているのが見えたので、雨具なしで歩くのはすこし無謀だなと思っていたので、歩くのを止めたのは正解だったと思います。
西海子坂は約220mの上り坂で、石畳になっています。
 
※西海子坂の石畳道  (写真右=※②に撮影)
19 西海子坂の石畳064 西海子坂
 ※石畳の構造
17 石畳の解説
畑宿一里塚からゴツゴツとした歩きづらい石畳道を約100m歩くと、箱根新道に架かる橋があり渡って進みました。
 ※②=木橋
065 箱根新道越えの橋
橋を渡り石畳道を上ると「斜めの排水路」(白線)があり、解説標板が建っていました。
 ※②=斜めの排水路
066 斜めの排水路066-2 解説
ゴツゴツして歩きづらい石畳道の西海子坂を進むと階段があり、階段の手前右側に西海子坂碑が建っていました。
 ※②=西海子坂碑(右側)
067 西海子坂碑
西海子坂碑脇の階段を上る(写真左)と県道732号と合流し(写真中)、左折して進み(写真右)ました。
067 西海子坂出口067-2 出口(左折)068 県道
坂道の県道を約100m上ると、左側に階段があり(写真左)、階段を上り県道を短縮する形で再び県道に合流し、左折して(写真右)県道を進みました。
122 箱根旧道・歩いた思い出070 合流(左)
合流した県道を左折し、九十九折の坂道を
①上り坂を約90m進むと箱根新道のガード、②上り坂を約130m進むと再び箱根新道のガード、③上り坂を約240m歩くと箱根新道の上を跨ぎました。
 ※②=箱根新道を2回潜り⇒1回跨ぐ
071 箱根新道を潜る①072 箱根新道を潜る②
箱根新道を跨いで約70m上り坂を進むと左側に階段道の橿木坂があり、上り口左側に坂碑が建っていました。
 ※②=橿木坂(左側)
073 橿木坂入口073-2 解説
階段道を上る(写真左)県道沿いに出て約30m進む(写真中)左側の階段を上る(写真右)
074 橿木坂の出口付近075 県道合流076 分岐(階段入口)
階段は勾配が緩やかなものもありますが、足腰の負担を増加させる勾配のきつい坂が多々あり、階段以外の道を歩きたいと思っても階段以外に道がないので致し方ありません。
そのため15段くらい上ってひと休みしてまた上ることを繰り返しながら延々と続く階段を上ると(写真左)、見晴茶屋分岐(写真中)があり、左折して見晴橋(写真右)を渡って進みました。
077 上り階段078 見晴橋分岐(左折)079 見晴橋
11時15分、見晴橋
20 見晴橋分岐
見晴橋分岐で反対方向から歩いてきたご夫婦とすれ違いましたが、お互いに挨拶をすることなく行き違いました。
分岐を真っ直ぐに急階段を上ると見晴茶屋があるのですが、階段の往復を考えただけで気持ちが萎えてしまい行きませんでした。
見晴橋から約40m歩くと左側にベンチがある空き地がありました。
 ※②=休憩ベンチ(左側)
081 休憩場
休憩ベンチから約1分歩くと木橋の山根橋が架かっており、手前右側に標柱が建っていました。
 ※②=山根橋
082 山根橋
山根橋を渡り、石畳道(写真左)や階段道(写真中)など約5分歩くと左側に、「畑宿1.8㎞ 元箱根2.2㎞」と記された道標(写真右)が建っていました。
 ※②=道標(左側)
083 石畳(上り坂)084 階段道085 道標
道標を過ぎ階段を上ると甘酒橋(写真右)が架かっており、橋を渡った右側に標柱(写真左)が建っていました。
11時23分、甘酒橋
21 甘酒橋086 甘酒橋
往時の甘酒橋は木橋でしたが、現在は木に似せたコンクリート橋でした。
甘酒橋を渡り苔むして雨に濡れて滑り易くなっている石畳の上り道や上り階段などを約9分歩くと、左側に猿滑坂碑と解説標板が建っていました。
11時34分、猿滑坂
22 猿滑坂碑
猿滑坂碑から約1分歩くと上り階段(写真左)があり、猿滑坂の出口で県道に合流(写真右)し県道を横切りました。
091 猿滑坂出口092 合流(左)
県道を横切り進行右側の階段を上り(写真左・中)、県道に沿って(写真右)約2分歩くと下り階段(写真下の左)があり、県道沿いに出ました。
093 分岐(右)094 上り階段094-2 県道沿い
090 県道に合流
階段を下り県道沿いの道を約3分歩くと右側に道標と並んで追込坂碑が建っており、街道は右折して階段を上ります。
私の足は久しぶりの山道で、攣る一歩手前の状態になっていたので、歩きながらYumiさんにそのことを話すと、「私も同じなの」との返事があったので、「もう少しで着くから」とYumiさんを励まし休憩できる場所を目指しました。
追込坂碑から約30m先(白矢印)の右側に、笈の平親鸞上人石碑が建っていました。
 ※②=追込坂碑・道標:右側
095 分岐(右折)096 追込坂
 ※②=笈の平親鸞上人石碑(右側)
097 親鸞上人碑097-3 場所確認用
追込坂入口に戻り階段を上った所を左折(写真左)して約150m歩く(写真右)と、左側に箱根旧街道休憩所があり立ち寄りました。
098 分岐(左折)100 街道道
11時50分、昼食(箱根旧街道資料館)=右側
23 箱根旧街道休憩所③
 ※②=箱根旧街道休憩所(左側)
Yumiさんと訪れた8年前と違う展示物になっていました。

101 旧街道休憩所101-3 屋内
 ※(写真左と写真中)展示物 ・ (写真右)展示室
101-4 展示・駕籠101-5 薬箱101-7 展示室
休憩所は昼食が食べられる長椅子がいくつか用意されていたので、一角を借りて昼食を食べることにし、持参したおにぎりとジュースと質素なものでしたが、ゆっくり寛ぐことができました。
また、休憩所は入れ替わり人が入ってきますが、簡単に見学するだけで、ベンチに座って食事を食べているのは私達とYumiさんだけでした。
休憩所の隣りには有名な甘酒茶屋があるので、箱根に来ると立ち寄る人が多い人気スポットになっており、多くの人が来ていました。
私達は昼食を食べた後、甘酒茶屋に立ち寄り水分補給のペットボトル(500ml=2本)を買い、写真を撮って出発しました。
12時22分、甘酒茶屋発
24 甘酒茶屋①102-3 屋内
甘酒茶屋は、箱根峠の旧街道沿いに佇む一軒の杉皮葺きの建物で、江戸時代初期に創業し、現在12代目だそうです。
24 甘酒茶屋③
旧道は甘酒茶屋の裏にある道で、街道に合流し左折して再スタートすると、箱根東坂の上りはまだ終わっておらず上り坂が続きました。
 ※(写真左)甘酒茶屋裏の分岐、 (写真右)上り坂
103 分岐(左折)
105 於玉坂
Yumiさんはストックを使用して歩いています。
ところがストックの音が聞こえなくなったので、後ろを振り返ると、少し離れて足を引きづって歩いていました。
前後に人のいないことを確認し、Yumiさんのズボンを膝まで捲り上げ、足攣りに効く薬を塗って再スタートしました。
甘酒茶屋の分岐から約8分上っていると、右側に於玉坂碑が建っていました。
12時32分、於玉坂碑(右側)
25 於玉坂碑106 於玉坂碑(写真有)
於玉坂は、関所破りで処刑されたお玉の名前がついたお玉ヶ池が有名ですが、この坂も同じように於玉の名前が付いています。
塗り薬を塗ると少しの間は良いのですが、少しすると今度は反対の足が攣った状態になるなど、権現坂を下った木製の歩道橋まで、右・左の太もも、ふくろはぎと、場所を変えて治療の連続でした。
Yumiさんの辛い状況も分かりますが、凡人の私の口から「何とかならないかね」とグチが出てしまいました。
Yumiさん、ゴメンネ。
 ※於玉坂
26 旧街道石畳107 於玉坂(写真有)
於玉坂碑から約1分歩くと県道に突き当り、県道を斜めに横切り石畳道に入りました。
 ※②=分岐(斜め横断)
108 分岐(横断)
石畳道に入ると、旧街道の道標が建っていました。
12時33分、箱根旧街道道標(左側)
27 箱根旧街道碑①
 ※箱根旧街道道標

27 箱根旧街道碑③
於玉坂から上り坂は石畳の白水坂と続きました。
※②=白水坂
112 白水坂114 分岐
白水坂は上り12間(22m)の坂で、白き水が流れていたと云われており、文久3年(1863)に敷設された石畳が残っているそうです。また、石畳は皇女和宮が降嫁する際に改修されたそうです。
白水坂を過ぎると上り七間の天ケ石坂で、頂上手前の右曲がりの手前右側に天ケ石坂碑(写真中)が建っており、この付近が日本橋から約100㎞地点になるのではないかと思います。
天ケ石坂碑から約180m歩くと頂上付近(写真右)となり、
 ※②=天ケ石坂 (写真左)=上り、 (写真中)=天ケ石坂碑、 (写真右)=頂上付近
115 天ケ石坂(上り)115-2 天ケ石坂碑115-3 天ケ石坂頂上付近
少し下り始めた左側に道標が建っていました。
116 天ケ石坂道標

天ケ石坂を下って行くと、右側に「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われている箱根馬子唄の石碑が建っていました。
13時02分、箱根馬子唄の石碑(右側)
28 石碑①
箱根馬子唄石碑から約4分坂を下ると、お玉観音堂のある分岐となり、道路を横断して真っ直ぐに進みました。
 ※分岐道標
119 旧鎌倉街道との追分29 旧街道分岐・道標
 ※②=(写真左)お玉観音堂入口 ・ (写真右)分岐(横断)
120-2 お玉観音堂入口121 お玉観音堂前の横断
朝から続いた上り坂は天ケ石坂の頂上で終わり、元箱根に向かって下り坂となり、お玉観音堂の先から傾斜のきつい権現坂に入ります。
お玉観音堂前の分岐(道路横断)から約80m歩くと(写真左)U字型分岐(写真中)があり、真ん中の権現坂(写真右)に進むと、直ぐの右側に神社が祀られており、分岐から約1分歩くと右側に権現坂碑が建っていました。
122 権現坂123 分岐(真ん中)124 権現坂
 ※②=神社(右側)
125 神社
13時21分、権現坂碑(右側)

30 権現坂碑①126 権現坂碑(写真有)
私は昼食の休憩、ストレッチ、塩と水で足の状態は保たれましたが、Yumiさんにはきつい山道になりました。
足攣りに効く薬と、山の会で教えて頂いた足攣り対策の塩と水で、Yumiさんの足の状態は良くなりました。
また、甘酒茶屋からの道中は、元箱根から上って来る人で行き交う人が増えましたが、「え!!、この靴で歩くの?」と思う人がいたのは困ったものです。
歩けないことはないでしょうが、ウォーキングシューズくらいは履いてもらいたいなと思います。
権現坂碑から急坂を約3分権現坂を下ると、左側に旧街道標石が建っていました。
 ※②=旧街道標石(左側)
128-2 旧街道碑128 旧街道標柱
旧街道標石から約2分歩くと、国道1号を跨ぐ木製の歩道橋が架かっており、渡って進みました。
13時25分、木製歩道橋
31 木製の横断歩道橋129-2 木製歩道橋(写真有)
【旧道を間違える・PARTⅡ】
権現坂を下った木製の歩道橋の下でYumiさんの足の手当を行った後、道が左の国道に出る道と、真っ直ぐ進む旧道みたいの道があり、多くの人が旧道みたいな真っ直ぐの道から上ってくるので、てっきりこの道だと思って歩いて行くと、道が途中で途切れるようになってしまい、違う道を歩いてきたことに気が付きました。
ここも後戻りができないので、そのまま下って元箱根交差点付近に出ました。

今日、二度目の道間違いです。
〔街道案内〕
木製歩道橋を渡ると右側に街道案内図が建っていました。
 ※②=街道案内図(右側)
130 街道案内図
街道案内図から約1分進むと、右側に箱根の美しさを世界に紹介したケンペル・バーニー碑が建っていました。
 ※②=ケンペル・バーニー碑(右側)
132 ケンペル・バーニー碑
ケンペル・バーニー碑(白囲み)と国道の間に下る階段道があるのですが、この道は街道ではないようで、その先の突き当たった舗装路(国道1号)を右折して進むのが街道です。
 ※③=分岐(T字路):右折
131 合流(国道に出る)131-2 国道合流
突き当たった舗装路を約300m歩くと元箱根港のT字路分岐となり、分岐を左折して進みます。
 ※③=分岐(T字路):左折
131-3 国道137 元箱根港
突き当たった国道1号を左折すると、分岐の左角に身代わり地蔵が祀られていました。
13時35分、身替り地蔵(左側)
32 身替わり地蔵①051-2 解説
身代わり地蔵は、鎌倉時代に頼朝の家来、梶原景季(かげすえ)が父の景時と見誤られて背後から斬りつけられた時、その身代わりになって景季を救った伝説が残されています。
身代わり地蔵はT字路分岐の左角ですが、T字路を右折した処に箱根神社の赤い大鳥居が建っていました。
 ※②=箱根神社大鳥居(右側)
136-2 箱根神社・大鳥居
さらに大鳥居を潜った左側に、地蔵信仰の霊場である賽の河原があり、石仏石塔群が祀られていましたが、明治の廃仏毀釈で多数の石仏が破壊されたそうです。
 ※②=賽の河原(左側)

138-2 賽の河原138-4 解説
身代わり地蔵まで戻り先に進むと、
左側にセブンイレブンがあり立ち寄り、ペットボトル(2本)とおやつのアイスクリームを買いました。
アイスクリームはどれにするか迷いましたが、今日の努力を称え少し高価なハーゲンダッツを買い、店舗前の芦ノ湖湖畔に出て、湖畔の階段に腰掛け湖を見ながら仲良くアイスクリームを食べました。
13時40分~13時55分、休憩(芦ノ湖)

33 芦ノ湖湖畔②
芦ノ湖は海賊遊覧船が到着する時で、Yumiさんは「あの船に乗ったことあるね」と、母親を伴って一緒に乗った時のことを思い出したようです。
休憩を終え、セブンイレブンから約170m歩くと、杉並木入口手前の左側に日本橋から24番目となる一里塚跡があり標石が建っていました。
14時00分、024箱根一里塚(左側)
34 箱根一里塚②
一里塚から約20m歩くと正面に歩道橋が設けられており、歩道橋の手前に左方向に杉並木入口の分岐があり、左方向の土道に進みました。
 ※②=分岐(歩道橋手前)=左方向
140 分岐(左折)
 ※②=杉並木入口と標石
141 箱根杉並木入口142 杉並木碑142-2 杉並木碑
 ※杉並木
35 箱根杉並木①145 箱根杉並木(写真有)
右側の国道1号は車が渋滞していましたが、遊歩道の杉並木を歩く人は少なくノンビリと歩くことが出来ました。
杉並木は約550m続き、再び国道1号に合流し、左方向に進みました。
 ※②=合流(左方向)
146-2 杉並木出口
国道1号を約120m歩くと、右側に県立恩賜箱根公園駐車場の看板が建っている分岐があり、分岐を右折して進みました。
147 分岐(右折)
駐車場入口分岐を右折して約30m歩くと、右折=駐車場入口、直進=恩賜箱根公園、左折=箱根関所跡の十字路分岐があり、左折して進みました。
148 分岐(左折)
分岐を左折して約140m歩くと平成19年に復元された箱根関所跡の江戸口御門があり、門を潜って中に入りました。
 ※②=箱根関所跡・江戸口御門
150 箱根関所入口
復元された建物内の見学は有料で、通路からの見学は無料と云うので、通路から建物の外見を見ながら通り抜けました。
14時13分~14時27分、箱根関所跡(右側)
36 箱根関所①151-2 関所
関所が設置されたのは、元和5年(1619)で、屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合うものとなっていました。そして一般な関所は、「入り鉄砲に出女」を取り調べたと言われているが、この箱根関所では、江戸方面からの「出女」に対する厳しい取り調べを行っていたそうです。設置から250年後の明治2年(1869)、新政府により関所制度が廃止され、その役割を終えました。
関所跡は以前に見学して知っているので、今日は史跡の見学を割愛して箱根関所跡の京口御門を潜り、関所跡の外に出ました。
 ※② 箱根関所跡・京口御門
152 箱根関所出口
折角観光地に来たので、京口御門を出た右側に立ち並ぶお土産物店に入り、Yumiさんに寄木細工の髪止めと楊枝入れを買いました。
Yumiさんは髪の毛を止めるものを探していたので、ニッコリして喜んでくれました。
京口御門から約120m歩くと、国道1に突き当たるT字路で、街道は右折して進むのですが、分岐の左角に箱根関所の標識が建っていました。
 ※箱根関所標識(左側)
154 箱根関所標識
 ※分岐(T字路)=右折
155 分岐(右折)
T字路分岐から約110m歩くと右側に箱根ホテルがあり、本陣はふや跡で、楓は当時のもので樹齢400年とのことです。
14時30分、箱根本陣はふや跡(現箱根ホテル)=右側・・・白い標板はR02.10.13確認できず
37 箱根本陣:楓並木①156 本陣はふや跡(現箱根ホテル)
箱根ホテルから約80m歩くと、箱根町港のバス停があり、今日の旅を終えました。
14時32分、箱根町バス停着(到着地)=右側
 ※②=箱根町バス停(右側)

38 箱根町バス停(到着地)157 箱根町港バス停
箱根新道経由の急行湯本・小田原行きのバス停には長い列ができていて、丁度乗り始めたところでしたので、到着式を行わないで列に並びました。
並んでいた数人は次のバスにするらしく新たに並び直していましたが、私とYumiさんは流れのまま乗り込んでしまいました。
座席は既に満席で、私とYumiさんが最後の乗車になり、バスはすぐ出発しました。
Yumiさんと歩いた時はバス停の建屋はありませんでしたが、行先別に2つの建屋が出来ていました。
【帰路】
14時35分、箱根町バス停発

箱根湯本駅まで混雑しなければ、箱根新道をノンストップで走り25分で到着するとのこと。
乗りながら、到着式(バス停での撮影)や、乗っても座れないのなら次のバスでも良かったかなと思いましたが、早く帰れるので、これで良いと思うことにしました。
さて恒例の到着式は、次回(9月29日)の出発の前に行うことし、到着式の代わりに箱根湯本駅で写真を撮り、今日の閉めにしました。
15時04分、箱根湯本駅
39 箱根湯本駅
15時過ぎに箱根湯本駅に着き、駅員にロマンスカーの予定を聞くと、M駅に停まる列車が発車するのは40分後と聞き、小田原まで登山鉄道の各停電車で行き、小田原で急行に乗り換えて帰ることにしました。
なかなかロマンスカーに乗る機会がないので、この先タイミングの良い機会があることを祈るのみです。
家に帰る途中で夕食を食べ18時30分すぎに家に帰ってきました。
一日、お疲れ様でした。
今日は、シャワーではなく久しぶりに湯船に浸かり疲れを取りました。
【総評】
今日の行程は、距離的には13㎞弱と少なかったのですが、久しぶり山歩きと厳しい上り坂で、Yumiさんは大変だったと思います。
旧東海道の旅で一番厳しい旅になるだろうと考えていた上に、出発する時は快晴だった天候が、数時間後には雨天になる天候の急変で、今までにない厳しい旅になりました。
そのため、旅の途中で何回も足の具合が悪くなり対策を講じた結果、幸いにも効果が発揮され、いつもだと駅の下り階段は大変だったのですが、今日は普通に歩いて降りることができました。
また、今日は汗もたくさんかき、ペットボトルを500ml=6本、350ml=1本飲み、タオルハンカチもEi=サイズ(大)を3枚、Yumiさん=サイズ(中)を3枚使いました。
帰りのバスは、立ち通しでしたが、渋滞もなく案内された時間どおり25分と短い時間だったので、助かりました。
と、いうことで2カ月半ぶりの旧東海道夫婦二人旅は、無事に終わりました。

【次回の予定】

次回(第7回)は、「箱根町バス停から三島広小路駅まで」の14.43㎞の箱根西坂の山下りを行う予定です。
箱根西坂の下り坂は、転倒事故に気を付けるため、今回と同じようにトレッキング用の靴で歩こうかなと思います。
また、次回の旅では、今回割愛してしまった箱根町バス停での到着式と、当日の出発式を行う予定です。
そして、三島広小路駅の手前にある「桜屋」で、うなぎを食べたいと思います。

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【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
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※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
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※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
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※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
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【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
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