【天候】曇り(肌寒い日)
【宿場】(18)江尻宿⇒(19)府中宿
【行程】歩行距離=12.18㎞ 総距離=181.03㎞
新清水・水神社前⇒(3.273㎞)⇒041草薙一里塚⇒(5.152㎞)⇒042長沼一里塚⇒(3.752㎞)⇒
静岡・江川町交差点⇒(番外編)駿府城見学
【ルート図】
↓宿場(黒囲みが第11回旅の宿場)
↓旧東海道の旅・進捗状況
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間 )
↓第11回の旅のルート
(新清水・水神社前 ⇒ 静岡・江川待ち交差点)
【再訪】
夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
〔※①〕=平成26(2014)年 9月12日
【旧東海道の旅】
《ホテル》
昨晩は、早い時間に就寝したのですが、4時頃からYumiさんのトイレ通い(認知症の常同行動)が始まり、トイレに行く間隔は約15~30分で、眠りたくてもベッドに横たわっているだけで、熟睡できません。
トイレに行く回数が多いのは本人も大変でしょうが、一緒に寝ているこちらもたまりません。
E=Yumiさん、なんとかならない
Y=・・・が出るの
E=寝てられないよ
Y=ゴメンネ
そんな会話をしているうちに、セットした目覚ましが鳴りました。
05時50分、起床
目覚ましの音で起床し、まずYumiさんの旅支度を終わらせ、ほぼ終わりかけた頃から私の支度を始めました。
支度が終わってから持参した血圧計で、Yumiさんの血圧を測定すると少し高い(上が140台)数値でした。
その後、着替えた下着や靴下、髭剃りや化粧道具、血圧計などをザックに入れて荷造りを行い、7時前に食堂に行きました。
食堂に行くと数組の宿泊客が既に食事を始めており、私達の食事が用意された時には15人位の人に増えていました。
ホテルで提供された和食の朝食を食べ、部屋に戻ってトイレなどを済ませ、チェックアウトするとオーナーが写真のシャッターを押して下さり、昨晩からのお礼を云ってホテルを後にしました。
07時53分、ホテル出発
出発する前に、オーナーから旧街道は、水神社からの川沿いの道ではなく、銀座通りだということと、江尻宿東本陣の場所を教えて下さいました。
《移動》
出発直前にホテルのオーナーから旧街道の道を教えて頂いた道が私が思っていた道と違うのですが、出発地は変更したくなかったので、昨日到着した水神社の前で出発式を行いました。
【=旅=】
07時58分、水神社前(出発地)
出発地はオーナーに教えて頂いた場所ではありませんでしたが、旅の道はオーナーに教えて頂いた道を歩くことにし、水神社から約90m戻り、銀座通りの交差点に戻りました。
07時59分 銀座通り交差点
日曜日の早朝で、街路は閑散としており、道の真ん中で写真を撮ることができました。
銀座通りを約110m歩くとスナックエマルジョン前に、江尻宿のスタンプ台がありインクも使用できる状態でしたので、記念に押印しました。
08時02分、江尻宿街道スタンプ台(右側?)
※東(寺尾)本陣跡
銀座通りの途中に東(寺尾)本陣跡があると出発前にオーナーから教えられ、また案内地図にも記されていたのですが、史跡を見付けることができなかったのですが(付近を2往復して探しました)、ここで時間を費やすわけに行かないので、諦めて先に進みました。
※①=寺尾本陣跡(左側)
細井乃松原から移動する時、寺尾本陣のことを思い出し、急遽歩き旅の時に宿泊したホテルに立ち寄り、オーナーの方に場所をもう一度教えて頂き本陣跡を探しに行きました。
本陣跡のある場所は、一方通行のため稚児橋を渡る手前を左折して柳橋方向に走ると、柳橋の少し手前の川沿いのブロック塀に本陣跡のパネルが埋め込まれていました。
※歩き旅の時は、巴川に架かる柳橋の手前を右折して10~20m先の左側(ブロック塀)。
スタンプ台から約280m(銀座通り二つ目の信号)歩くと五差路となり、ここを左折して巴川に架かる稚児橋を渡ります。
08時10分、稚児橋(左側)
稚児橋には、銀座通り側の橋柱に男の河童像、渡った側の橋柱に女の河童像が、橋の中央に河童のモニュメントが飾ってありました。
また、橋を渡った左側には、河童の腰掛け石碑が建っていました。
08時14分、河童の腰掛け石(左側)
河童の腰掛け石から約190m先(信号二つ目の交差点)を右方向に進み、さらに交差点から約180m歩いた右側の岩崎麹店の前に東木戸跡があり、石碑が建っていました。
また、交差点を過ぎた左側に「東木戸跡まで100m」の案内板が掲げられていました。
ただ、私は最初、この石碑を見つけることが出来ず、少し先まで行ったところで場所を聞くと、50~60m戻った辺りと教えられて戻り確認しました。
08時21分、東木戸跡碑(右側)
木戸跡から約650m(県道197号を横切る)歩くと、左側に赤い暖簾と赤いシャッターの「追分羊羹」本店があり、店舗手前の左角に追分道標が建っていました。
08時29分、追分道標(左側)
08時30分、追分羊羹本店(左側)
追分羊羹本店は、定休日(日曜日)でしたが、開店日でも時間が早くて買えませんでした。
寒い日でしたが、Yumiさんを見ると汗をかいていたので、
E=汗をかいているからこれを(チョッキ)を脱いで
Y=寒いのよ
と、いつものごとく不満の声が出ましたが、汗をかいているので、「寒くなったらまた着るから」と話し納得してもらいました。
また、毛の帽子も暑いようなので、私の野球帽をかぶってもらいましたが、こちらは
E=良く似合うよ
Y=似合う?
E=大丈夫
と、ニコニコ顔で被ってくれました。
認知症患者を相手にするのは大変です。
さて、追分羊羹本店から約350m歩くと橋があり、その手前左側に追分碑が建っていました。
08時38分、追分碑(左側)
橋から約130m先の東海道線と静鉄清水線を潜って通る工事中の道路を右に見ながら、この辺りの情景も少しすると変わるんだろうなと思いながら歩くと東海道線の踏切があり、踏切を渡って約400m歩くと右側にセブンイレブンがありペットボトルを買いました。
そして、コンビニから約90m歩くと、左側に上原堤の池があり立ち寄りました。
08時52分、上原堤(左側)
池は、周回できるようになっており、散歩している人もいました。
私達が立ち寄った時、「この池でボートに乗り、隣りに遊園地(現在はイオンになっている)があって遊んだよ」と、何十年か振りに訪れて、昔を懐かしく思い出しながら歩いている人に出会いました。
私も子供の頃、カブト虫やクワガタ虫を採りに行った林が武者小路実篤の大きな家が出来て採れなくなったことや、白百合女子大学が出来る前にあった津村薬草園など、昔懐かしく思う場所が幾つかありますが、「この方もきっと自分の中に残る情景を思い出されているんだろうな」と、思いながら別れました。
上原堤から街道に戻ると直ぐに右側に静鉄清水線の狐ケ島駅があり、駅入口から約350m歩くと左側に上原地蔵堂がありました。
08時58分、上原子安地蔵堂(左側)
地蔵堂から240m歩くと、清水有度第一小学校があり、学校の脇で休憩することにしました。
9時03分~9時07分、休憩
清水有度第一小では、100人以上の人が集まって防災訓練が行われており、それを眺めながら休憩することにし、水補給と昨日買ったたまご餅を食べました。
休憩を終わり約240m歩くと県道407号に合流し、さらに約130m先に日本橋から41番目の一里塚跡(草薙一里塚)があるとのことのでしたが、見落としてしまい「草薙一里山」バス停を一里塚の代わりにしました。
09時13分、041草薙一里塚跡(右側)
ところが家に帰り再確認すると、草薙一里塚跡は清水銀行草薙支店の敷地内の道路沿いに一里塚跡の石碑が建っていることが分かり、再訪して撮影しました。
※①=草薙一里塚跡
そして、一里塚跡碑の手前に「狸八相縁起」の狸像が建っていました。
※①=狸八相縁起
一里塚跡から約900m歩くとスーパーシズテツの駐車場の前に、草薙神社のコンクリート造りの大鳥居が建っていました。
※①=草薙神社大鳥居(左側)
私は、地図に書き込んだ付近にもあると思い写真を撮らなかったのですが、地図に書き込んだ辺りにはなく撮っておけば良かったと思いましたが、後の祭りでした。残念!!
09時25分、草薙駅前
旧街道は、草薙駅前信号を左折し、約50m先の最初の小さな十字路を右折します。
右折すると住宅地となりましたが、両側には造園屋さんが連なっており、その中の一軒の庭先に「ダイコン」が干してありました。
※民家のダイコン干し(右側)
昔は良く見た風景ですが、最近はほとんど目にすることはなく、住んでいるところではまったく見ることはなくなったので、記録に残すことにしました。
ダイコン干しの家から約50mで、静鉄清水線「県立美術館前駅」からの道があり、そのまま横切って約100m歩くと左側に東光寺がありました。
09時38分、東光寺(左側)
境内に大きな石のテーブルとベンチがあるので、休憩も考えて立ち寄りましたが、逆に風邪を引きそうな寒さだったので、境内を見ただけで失礼しました。
そして、東名高速の下をくぐり、タクシー会社を左に見ながら右折し、県道407号を渡った先に県総合運動場駅がありました。
出発してからトイレに行っていないので、駅のトイレを借りようと線路を渡って駅に行くと、無人の自動改札の出入り口のため、また線路を渡り直して街道に戻り、戻った側から右折して50mほど行くと、切符売り場のある駅舎があり、トイレもあったのでお借りしました。
※要は最初から踏切手前の切符売り場に行ってトイレを借りれば良かったのです。
話しを戻して、駅舎から約200m歩くと、東海道線を地下道で潜るのですが、地下道に入る手前に記念碑が建っていました。
10時00分、旧東海道記念碑(右側)
写真を撮り終わると、Yumiさんが右足のくるぶし付近が痛いと云うので見てみると、平坦な舗装道路をトレッキングシューズで歩いていたため、足首を保護するカバーが当たるようです。
赤くなった部分に薬を塗り、ガーゼを当ててテープで止める処置を施しました。
道はここから東海道線を地下道で潜るのですが、線路の下の部分で車が交差出来るようになっているため、鉢合わせしないように侵入する時から警笛を鳴らしながら通っています。
※東海道線の地下通路(車も走る)
私とYumiさんが歩いた時も、前からも、後ろからも警笛を鳴らしながら走っていました。
地下道を出たところで地図を確認し、線路に沿って戻る感じで街道は続いています。
Yumiさんは、処置を施して歩き始めましたが、まだ痛むということなので、地下道から出た処で再度処置しました。
10時28分、静鉄清水線古庄駅前(古庄交差点)
国道1号線古庄交差点を左に進み、次の長沼交差点を斜め右に進むと右側に久應寺があり、その先に一里塚があります。
草薙一里塚を見落としているので、注意深く左右を探しながら歩いていると、街道右側のごみ集積所になっているところに、日本橋から42番目の一里塚跡があり石碑が建っていました。
10時38分、042長沼一里塚跡(左側)
注意深く歩かないと、石碑が小さいので見落としてしまいそうです。
長沼駅を渡ったところに玩具メーカーのバンダイの工場があり、ガンダムの人形が飾ってあるとのことでしたが、子供もいないので立ち寄ることなく通過しました。
静鉄線の脇を並行して歩き、国道1号線に出たところで、手元に用意した地図の旧街道を歩けないことを知りました。
旧街道と示された場所にはショッピングセンターが建っており、国道に出てくる道もなくなっていました。
そのため国道1号線をそのまま歩き、柚木交差点に行きました。
柚木交差点を左折し、JR東海道線のガードを潜った先の階段を上り、跨線橋を渡って50m程歩いた右側に道標が建っていました。
10時58分、曲金・東海道道標(右側)
道は、曲金交差点で左に沿って進み東海道線をくぐって、また国道1号線に出ました。
東海道線をくぐる道は、狭いのに自転車がスピードを出して走ってくるので危険です。
国道一号線春日一丁目交差点の角に碑が建っていました。
11時08分、見附跡碑(右側)
ここから伝馬町通りに入り、今日の到着地まで一本道です。
横田町東交差点、つつじ通りを通り過ぎた先の左のホテルアーバンイン静岡を目印に歩きました。
伝馬町通りの歩道には、東海道をモチーフにしたタイルが埋め込まれていました。
※府中宿・東海道モチーフタイル(左側の歩道)
11時24分、華陽院(右の木は家康お手植えのミカンの木)=右側
ホテルの先を右に入った線路沿いに、徳川家康の祖父の後妻だった人が祭られている寺院がありましたが、入口が分からず、結局寺院を一周してから境内に入りました。
そして寺院から元のホテル前に戻り、道標の前でパチリ。
11時29分、久能山東照宮道碑(左側)
久能山東照宮道碑の先に本陣碑が道路の右と左に建っており、車の往来を確認しながら道路を行ったり、来たりと横切りましたが、意味の分からないYumiさんは、私に云われて必死になって右や左に横切っていました。
11時34分、下伝馬本陣・脇本陣碑(左側)
11時36分、上伝馬本陣・脇本陣碑(右側)
そして、上天馬本陣・脇本陣跡碑の少し先のビルの前に、西郷隆盛と山岡鉄舟が会見した跡碑が建っていました。
11時39分、西郷・山岡会見之史蹟(右側)
そして、碑の目と鼻の先が、今日の到着地の江川町交差点です。
江川町交差点は、地下道で繋がっているため、次回のことも考えてNTTビルの角で到着式(撮影)を行うため、出口の方向を記憶して、到着式(パネルを持っての撮影)を行う出口に向かいました。
11時45分、静岡・江川町交差点着(到着地)
【散策=駿府城公園】
《昼食》
初めての街で、どこに何があるのか分からないので、人の沢山いる方に地下道で行こうする途中で、チラシを配っていた人に飲食店のある方角を聞き、昼食を食べに行きました。
居酒屋が連なっている辺りで、入りやすい雰囲気の店に入りました。
昼時でしたが、待つことなくテーブルに付き、注文しました。
料理は、勤め先の外食で食べ馴れているものと同じでした。
《駿府城公園》
天気は曇り空で、寒気の影響なのか底冷えする寒さの中、昼食を食べた店舗を出て地下道を横切り、公園側に出ました。
公園に向かう人通りはほとんどなく、城代橋を渡って東御門から公園に入りました。
※城代橋
※駿府城(巽櫓)
※東御門
公園の中は、城の跡地を平坦にしただけで、史跡はほとんどない公園でした。
※公園石碑
途中で、色付いた紅葉と銀杏を背景に写真を撮り、トイレに寄って城外に出る処まで戻ってきました。
※公園内の紅葉
城外に出る東御門まで来て、旅に使った地図や資料を綴ったバインダーがないこと気付き、トイレに走って戻ったのですが、Yumiさんも一生懸命に私に付いて走ってきました。
幸いにもトイレの手洗いの棚に置き忘れており、「あった!!」とホッとして手に取りYumiさんの処に戻りました。
再びトイレに戻ってきたので、先ほどと同じ道を歩いてもつまらないと、別の道を歩いて公園内を一周しました。
公園には、天守閣跡のパネルが建っていただけで、他には観るものはありませんでした。
※天守閣跡碑
※静岡県庁・正面玄関
【帰路】
到着地付近は、横断歩道がなく地下道で繋がっており、静岡駅までも地下道を歩いて行きましたが、初めての道で次回の出発地点になるため、曲がり角などをメモしました。
また、新幹線の改札を一度通ったのですが、乗ろうと考えている列車の時刻まで約20分あるので、改札口に戻り自由席から指定席への変更可否を確認すると出来るとのことなので、みどりの窓口で差額を支払って指定席に変更してもらいました。
そして、新幹線ホームのベンチでザックの荷物を整え、残っていたたまご餅を食べ少しの間、ゆっくりと寛ぎました。
13時37分、静岡駅発
新幹線は70%ぐらいの乗車率で、さほど混雑している感じはしませんでした。
下車駅の新横浜まで45分と短い時間でしたが、少し寝ることができました。
新横浜で降り、横浜線に乗り換え最寄り駅に戻り、途中のスーパーに立ち寄って夕食の食材を買って帰りました。
【次回の予定】
《次回に向けて》
〔Yumiさんの靴〕
Yumiさんは、トレッキングシューズで歩きましたが、平坦な舗装路の歩き旅だったため、足のくるぶし辺りが擦れてしまい旅の途中で2回手当てをしました。
また、靴下を二重履きしたのですが、前回水膨れした反対側の足裏の皮が剥けてしまいました。
そのため、靴はウォーキングシューズ、靴下は厚手のものを一枚にしようと思います。
〔史跡〕
HPで史跡の場所を確認して地図に書き込んでいるのですが、場所が違っていたりするので、自治体から頂いた資料をもっと活用しようと思います。
特に、史跡を探すのはYumiさんが当てにならないので、私一人で行わなければなりません。
地図に書き込んだ手前から左右をキョロキョロするのですが、見付けられないことが多々あります。
そのため、道路のどちら側にあるのか、どの辺りにあるのかは、史跡に出会う重要な情報なので、きちんと調べようと思います。
《次回の旅》
次回の旅は、年明けの平成25(2013)年1月12日㊏に第12回の旅で「静岡駅・江川町交差点~藤枝・岡部支所前交差点」までの13.97㎞を旅します。
この旅では安倍川餅老舗の石部屋、安倍川橋の渡り、鞠子でとろろ汁の老舗の丁子屋、宇津ノ谷峠手前の御羽織屋(陣羽織や十団子)など、時代を味わえる場所が沢山あるので、老舗で食べたり、景色を眺めたり、史跡を見学できるので楽しみです。
また、旅は到着地近くの民宿旅館に宿泊し、翌1月13日㊐も「藤枝・岡部支所前交差点~島田・本通り2丁目交差点」を一泊二日で歩く予定です。
応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
専用メール eiyumitokaido@yahoo.co.jp
【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
https://michinoku-trail.blog.jp/