旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2013年01月

【天候】晴れのち曇り
【宿場】(21)岡部宿⇒(22)藤枝宿⇒(23)島田宿
【行程】歩行距離=15.69㎞ 総距離=210.69㎞
岡部支所前交差点⇒(2.78㎞)⇒047鬼島一里塚⇒(3.971㎞)⇒048志太一里塚⇒
(4.073㎞)⇒049上青島一里塚⇒(4.062㎞)⇒050島田一里塚⇒(0.80㎞)⇒
島田駅・本通り2丁目交差点
【ルート図】
 ↓宿場(黒囲みが第13回旅の宿場)

13 13回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
 
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間 )
全体 第13回
 第13回の旅のルート
 (岡部支所前交差点⇒島田駅本通り2丁目交差点)
第13回ルート
【旧東海道の旅】
《序章》
今日は民宿を出て数分先の出発地に移動し、JR島田駅・本通り2丁目交差点までの15.69㎞を旅します。
天気が良いので、気持ちの良い旅が出来そうです。
《準備》
5時30分、起床
トイレで起きた5時頃に暖房エアコンを点けたので、起きるころの寒さが少し和らいでいました。
Yumiさんを連れて洗面所に行き、Yumiさんの歯磨き(歯ブラシに歯磨き粉を付けて渡す)⇒洗顔⇒整髪(ドライヤーでYumiさんの整髪)を行い部屋に戻りました。
※Yumiさんが歯磨きをしている時に髭剃りを行い、洗顔の時に歯磨きと洗顔を行い、最後は一緒に終わるようにします。
朝の身だしなみを整え、旅に出掛ける支度を整え(下着と靴下以外は昨日と同じものを着ました)、私が布団をたたみ、Yumiさんが寝間着を片付け、ホットカーペットに座りTVを見て朝食を待ちました。
朝食は7時頃にお願いしていたので、7時少し前に食堂に行くと支度が整っており、久し振りに温かいご飯と味噌汁の朝食(我が家は基本的に朝食はパン食)を食べました。
美味しい食事なので、自然と食欲がそそられますが、お腹が大きく膨らむとこの後の旅が大変になるので、食べる量を自重しました。
お土産に切り絵を頂き、女将さんにお礼を云って民宿を後にしました。
7時55分、民宿発
【=旅=】

ホテルから今日の出発地に移動し、出発地の看板をYumiさんが掲げ、「ハイ、パチリ」と写真を撮って出発式を行い、「さあ、行くよ」と声を掛け出発しました。
08時00分、岡部支所前交差点(出発地)
06 岡部支所前交差点(出発地)
交差点を渡った左側に五智如来公園があるというので、まず最初に立ち寄りました。
08時01分、五智如来公園
08 五智如来公園と秋葉常夜燈

  ※↓H26.09.12 再訪=五智如来像(右側)
127 五智如来像
公園の入口に冠木門があり、門を潜った正面に五智如来像(
ごちにょらいぞう)があり、向かって右から
・阿弥陀(あみだ)如来:慈悲と知恵の象徴、戌年と亥年の守護仏
・釈迦(しゃか)如来:真理のこの世の体現者である応身物(おうじんぶつ)
・大日(だいにち)如来:命の原点、密教の総帥、 未年と申年の守護仏
・阿閦(あしゅく)如来:誘惑に打ち勝ち、恨みを除く
・宝生(ほうしょう)如来:永遠の釈迦の働きを象徴
で、1705年に、駿河田中城城主の内藤豊前守弌信(ぶぜんのかみかずのぶ)の姫君の病(話しができない)が治り良縁に恵まれたお礼」として、家老の脇田次郎左衛門正明が寄進したものだそうです。
私とYumiさんは冠木門のところで、写真を撮って失礼しました。
快晴の冬の朝日を浴び、寒いと云うより爽やかな空気で気持ちの良い旅立ちとなり、五智如来公園から約400m歩くと、岡部宿の松並木がありました。
08時08分、岡部町松並木(右側)
10 岡部宿松並木
松並木は約450m続き、松並木を保存するために50㎝位のブロックで保護するなど、大切に保存していることが伝わってきました。
松並木を過ぎると藤枝バイパスの内谷新田交差点があり、交差点を渡って斜め右方向に進むと、渡った左角に領界碑が建っていました。
08時17分、従是西巌村領の碑(左側)
12 従是西厳村領内碑
領界碑から約400m歩くと、右に入る細い道の角に「横内陣屋跡入口」の標識と「川会所跡碑」が建っていました。
08時22分、川会所跡(朝比奈川)=右側

13 川会所跡(朝比奈川)
横内陣屋跡は、街道から少し入ったところにあるので見に行ったのですが、途中で気持ちが変わり割愛して元の旧街道に戻りました。
  ※↓H26.09.12 再訪=横内陣屋跡(右側)

126 横内陣屋跡
再訪した時に標柱に沿って奥まで行きましたが、一番奥に住んでいる方から「陣屋跡に関わるものは何もないよ。あるのは入口のところの柱だけだ」と云われ、「陣屋入口」の標柱を記録に残しました。
そして直ぐ近くの川会所跡から約400m歩くと、岡部宿名残りの松の2本目が立っていましたが、写真は撮り損ねてしまい、併せて3本目の名残りの松も見落としてしまいました。
2本目の名残りの松があるという処の先に国道1号と交差する仮宿交差点があり、道路は渡れないため歩道橋を通って国道1号を横切ると、歩道橋を降りた右側に「田中藩領西傍示石」が建っていました。
08時34分、田中藩領西傍示石(右側)
14 従是西田中領傍示石
傍示石から約300mで国道1号に突き当たったところ(左側はシルエット自動車)に、日本橋から197㎞の距離標が建っていました。
08時35分、197㎞距離標(左側)
15 197㎞ポイント
E=Yumiさん、200㎞だよ。よく歩いてきたね
Y=私は好きで歩いているのではありません。お父さんが歩くというので一緒に歩いているのです
E=何を怒っているの?
Y=歩くのは、好きじゃないんです。お父さんが歩くから一緒に歩いているんです。
何が原因で怒っているのか「???」ですが、何か気に入らないことがあるのだろうと、「そうですか」と云ってそのままにしておきました。
旧街道は、距離標の少し先の「八幡交差点」で国道1号に出ることなく、V字形に斜め左側に進み、約290m歩いた左側の民家(エムロードA)の前に、日本橋から47番目の一里塚跡があり、標柱が建っていました。
08時43分、047鬼島一里塚跡(左側)
16 鬼島一里塚碑(047)
出発して約1時間歩いたら体も少し温かくなってきたので、「Yumiさん、温かくなってきたからマフラーを外そう」と話すと、何も云わずにマフラーを外しました。
八幡橋のたもとの古い小さい東海道の道標から約400m歩くと左側に鬼島の立場跡碑があり、さらに約180m歩いた右側に須賀神社がありました。
08時46分、立場跡碑(左側)

18 鬼島の建場
09時00分、大楠の木(須賀神社)=右側
20 大楠木(須賀神社境内)
神社は古い社が1つと狭い境内があるだけの小さい神社でしたが、狭い境内の片隅に大きな楠の木(県指定の天然記念物)がありました。
二人でお賽銭を上げ、Yumiさんの病気完治と今日の旅の無事を須賀神社の神様に御祈願しました。
旧街道のルートマップは、この先のホームセンターのところのでT字路となり、ここを右折して隣のしずてつストアに沿って直進するようになっていたのですが、造成されたりして少し変わっていました。
現在は、しずてつストアの前を通ってそのまま1号線水守交差点を渡って左に進み、静岡マツダに沿って右折し、20m位先を左折するようになっていました。
新ルートに沿って進むと、天理教の施設付近に木戸門跡があると資料に記されていましたが、領主番所跡の碑がありましたが、木戸門跡は確認できませんでした。
09時16分、領主番所跡(右側)
22 領主番所跡
領主番所跡の先あたりから藤枝の商店街となっていて、歩道に「市の木・松 市の鳥・うぐいす 市の花・ふじ」の絵柄入りタイルが埋め込まれていました。
09時23分、藤枝市のタイル(左側)=コヤマラジオの先
24 藤枝市のタイル
また、大手交差点を左折した付近に大手木戸口跡、問屋場跡があると、藤枝市から頂いた資料に記されていたので、史跡を探しましたが見付けることができませんでした。
旧街道に戻る前、気温の上昇と旅歩きで汗が出るくらいになってきたので、私はフリースを、Yumiさんはアウタージャケットを、それぞれ脱ぐことにしました。
Yumiさんは「脱ぐの」と少し不満そうでしたが、「寒くなったら、また着るから」と話し、納得してもらいました。
大手交差点を渡った所から約400m歩くと、右側に白子由来記の看板が左側に立て掛けられており、これを見ながら商店街を歩くと、右側の蓮生寺の入口に秋葉常夜燈とベンチがあったので、一服休憩(3分)しました。
09時35分、白子由来記碑(右側)
25 白子由来の碑(看板)
09時39分~09時42分、休憩(秋葉常夜燈:蓮生寺)=右側
26 秋葉常夜燈(蓮生寺入口)
その少し先に千歳交差点があり、その先の和菓子屋は「きんつば」が美味しいと聞いていましたが、今日は素通りすることにし、店の角を左に入った所の大慶寺に向かいました。
ここには、天然記念物の「久遠の松」があるのです。

09時51分、久遠の松(大慶寺)=左側

28 久遠の松(大慶寺)
寺院に通じる路地を進むと、正面に「久遠の松」がそびえており、威風堂々とした立派な松だなあと思いながら、写真に収めました。
街道に戻り、約140m歩くと左側に柴田医院があり、医院の道路反対側の歩道に「上本陣跡」のタイルが、約40m先の交番付近の歩道に「問屋場跡」のタイルが、それぞれ埋め込まれていました。
09時58分、藤枝宿・上本陣跡(右側)
31 藤枝宿・上本陣跡
本陣跡と問屋場跡の碑は、最初見付けられなかったので、近所の方に聞きました。
近所の方が「今、人のいる辺り」と教えて下さいましたので、云われた辺りを探しましたが、見付けられずにいると、教えた方が来られて、「これですよ」とタイルを指され教えて頂きました。
歩道は工事中で、工事用のガードフェンスの足場などが史跡のタイルの上にあったりして、見付けることが難しかったということもありましたが、タイルで史跡が表示されているとは考えなかったので、ビックリしました。
10時00分、問屋場跡(右側)
32 藤枝宿・問屋場跡
本陣跡のタイルを確認し、旅を続けると、約10分先の瀬戸川に架かる勝草橋を渡った直ぐ右側に、日本橋から48番目のフェンスに囲まれた一里塚跡がありました。
10時09分、048志田一里塚跡(右側)
33 志田一里塚跡(048)
一里塚跡碑の先に観光案内板が建っていて、一里塚の向かい側を約100m行ってところが田沼街道の終点と記されていたので、道標などがあるのかなと思い寄り道をしてみましたが、時間と労力を費やしただけで、何も見付けられませんでした。
この頃になって歩き旅に気を取られ、出発してからトイレに行っていないことに気が付きました。
しかし、この辺りにはコンビニもないので、そのままスーパーやコンビニを探しながら旅を続けていると、街道から少し外れたところにスーパー(パロー藤枝店)を見付け、立ち寄ることにしました。
スーパーのトイレを拝借し、二人ともスッキリしたところで、歩き旅をまた続けました。
旧街道に戻り、青木交差点を渡り(歩道橋がありましたが、左右を確認して横切らせて頂きました)、左側に小さい祠が祭られた津島神社あり、それを横に眺めながらスーパー西友を過ぎた先の交差点を渡った角に、さわやか住宅という会社があり、その脇にベンチがあったのでひと休みしました。
10時44分、休憩(さわやか住宅・ベンチ)

35 さわやか住宅㈱のベンチ
ベンチの処に立て看板があり、「しばしの休憩、店内のトイレ利用、飲み物も用意している」などと街道の旅人には嬉しいことが書かれていましたが、なんとなく店内には入りづらかったので、ベンチだけ使わせてもらいました。
でも、旅をする人には有難い看板とベンチです。
私とYumiさんは、ザックを外し、持参したお菓子と飲み物で小腹と喉を潤しましたが、日蔭と北風で体が冷えてきてしまい、5分ほどの休憩で出発することにしました。
休憩を終え、ザックを背負って出発し、約160m歩くと左側に田中藩領傍示石、さらに約170m歩いた十字路の左角に六地蔵、そして約300m歩くと左側に追分の碑が建っており、それらを過ぎた前方に松並木が見えてきました。
10時52分、田中藩領傍示石蹟(左側)
37 田中藩領傍示石
10時57分、六地蔵(左側)
38 六地蔵
11時00分、追分の碑(左側)
39 藤枝宿・追分の碑
11時05分、瀬戸新屋の松並木

40 瀬戸新屋の松並木(歩いてきた方向に向けて)
道の両側で10本くらいと本数は少ないのですが、街道に松並木があると気持ちが和み、街道にピッタリの構図なので、これからも大切に保存してほしいと思います。
松並木をすぎると、右側の亀や濱中商店から約110m先の左側に「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」の案内看板が建っており、立ち寄りました。
11時09分、千貫堤・瀬戸染飯伝承館(左側)
41 千貫堤・瀬戸染飯伝承館
千貫堤は、田中藩が大井川の氾濫から村民を守るために江戸時代の初期に造った堤防で、当時のお金で千貫掛かったところから名付けられたと云われています。
また、瀬戸染飯は、くちなしの実で黄色に染めたおこわとのことだそうですが、伝承館で販売していないのは残念です。
伝承館なので、販売してほしいと思いましたが、人があまり来ないから売らないのかな、とも思いました。
伝承館は、質素な小さい建物の中に写真や道具が飾れており、記帳ノートがあったので二人の名前を記しましたが、今日の記帳は私達二人が最初でした。
また、スタンプがあったので、今日の到着地で掲げる用紙に祈念の押印をしました。
街道に戻り約30m進むと、右側の石野モータースの隣に茶屋跡の碑が建っていました。
11時17分、染飯茶屋跡碑(右側)
43 染飯茶屋跡
石野モータースから約270m歩くと、交差点を過ぎたバス停付近に田中藩領傍示石が建っていました。
11時23分、田中藩領傍示石蹟(左側)
44 田中藩領傍示石
そろそろお昼近くになり、
Y=お腹が空いた
E=食事ができる処がないかと探しているんだよ
Y=ないね
ということで、少し我慢してもらい、旅を続けました。
田中藩領傍示石蹟から約850m歩くと瀬戸橋があり、橋を渡った左側に明治天皇小休息の碑が建っていました。
そして、その少し先に松並木があり「上青島松並木」と命名しました。
 ※上青島松並木(勝手に命名)
45 松並木
そして松並木が終わった先(瀬戸橋から約160m)の左側に、日本橋から49番目の一里塚跡があり、石柱が建っていました。
11時40分、049上青島一里塚跡(左側)

47 上青島一里塚(049)
跡碑の周りは、ガードレールと駐車場だけの閑散とした場所でした。
一里塚跡から約650m先で旧街道と1号線が合流(一里山交差点)するのですが、約50m手前に食事処の看板が建っていたので昼食に入ることにしました。

《昼食》
11時45分、そばお食事処「さんし」着

店舗は、ごく普通のお店で、いろいろなメニューが掲げられていました。
Yumiさんに食べたいものを聞くと、何でもいいと云うので、店主にお奨めはありますかと聞くと、ごはんが美味しいと云われていると云うので、天丼を注文しました。
天丼は、海老や野菜などの天ぷらが盛られ美味しかったです。
※食べる方に気が行ってしまい、写真を撮るのを忘れました。
天気は晴れて、さらに温度が上昇してきたので、店を出る前に、私はチョッキを脱ぎ、Yumiさんはフリースをチョッキに替えました。
E=ご馳走様でした。美味しかったです。
店主=気を付けて
と声を掛けられて、店を後にしました。
12時22分、そばお食事処「さんし」発
街道は、昼食を食べた店から約50m歩くと1号線と合流する一里山交差点で、約350m先に藤枝市から島田市に入る市境標識柱が建っていました。
12時27分、市境標識柱(藤枝市から島田市)
49 島田市境標識
昨日から静岡市から藤枝市を歩き、そして日本橋から200㎞以上離れた島田市に来ました。
継続することは凄いことだなあと思いましたが、まだ先があるので、思いに浸る暇もなく歩き始めました。
歩き旅は、この先で右方向に進むため、1号線を車の往来を見ながら左から右に横切り、六合駅入口に通ずる交差点(市境標識柱から約600m)を斜め右に進みます。
そして、道悦島西交差点(六合駅入口交差点から約550m)でまた1号線と合流し、栃山橋東信号で進行左側に渡って約30m先の左側に、昭和天皇の碑が建っていました。
12時49分、昭和天皇御巡察之碑(左側)

50 昭和天皇御巡察碑
旧東海道を歩き旅をしてきた中で、明治天皇が小休息した場所の碑は数多く見てきましたが、昭和天皇に関する史跡(碑)を見るのは今回が初めてです。
街道は、栃山川に架かる栃山橋を渡り、御仮屋交差点を左方向に分岐して本通りを進みます。
旧街道を外れることなく旅を続けていると、北風が吹き始めYumiさんが寒いと云うので、チョッキを脱いでアウタージャケットを着ました。
Y=(ピンク色のフリースを着ると思っていたようで)え、これを着るの?
E=この方が風が入らなくて温かいよ
Y=ふーん
と云って、そのまま黙って着ました。
御仮屋交差点から約950m歩くと本通り7丁目交差点があり、交差点から約170m先の右側(虎岩文具店の前)の街道沿いに、日本橋から50番目の一里塚跡があり、石柱が建っていました。
13時13分、050島田一里塚跡(右側)
52 島田一里塚(050)
この一里塚の碑も書かれている面が街道側に建っているので、車が通らなくなった間隙をぬって写真を撮りました。
危ない思いをしながら写真を撮り、約300m先の本通り5丁目交差点の手前左側に、二つの碑が並んで建っていました。
一つが刀匠島田顕彰之碑、もう一つが問屋場跡碑。
13時16分、刀匠島田顕彰之碑(左側)
54 刀匠島田顕彰碑
※島田宿問屋場跡(左側)
56 島田宿・問屋場跡
本通り5丁目交差点を渡り、約60m先の交差点手前の左側に、吉村鯛焼屋がありました。
13時20分、吉村鯛焼屋(左側)
58 吉村鯛焼屋
私は、ここで鯛焼きを買って、新幹線で食べようと考えていたので、途中でのお菓子の購入を控えていました。
店は新しいビルで、鯛焼き屋とは思えない店内に、5人くらい並んで焼き上がるのを待っていました。
Yumiさんは1つで良いと云うので、約10分待って3つ(@120円)買いました。
おやつに食べる鯛焼きが入った袋を持ちながら、次の史跡巡りに向かいました。
店の前の交差点を渡った反対側を左に進むと、遊歩道となっている「おび通り」があり、通りの入口にカラクリ時計台が建っていました。
13時32分、カラクリ時計台(右側)
61 カラクリ時計
時計台の下に、下本陣(置塩家)跡碑が建っていました。
13時32分、置塩家下本陣跡(右側)
59 島田宿・下本陣(置塩家)跡
下本陣跡から約40m先に、道路を渡った右角に天野屋呉服店があり、中本陣(大久保新右衛門家)跡碑が建っていました。
13時34分、大久保家中本陣跡(右側)

62 島田宿・中本陣(大久保家)跡
そして、約30m先のホテル三布袋の前に、上本陣(村松家)跡碑が建っていました。
13時36分、村松家上本陣跡(右側)

64 島田宿・上本陣()跡
上本陣跡から約100m歩くと、本通り2丁目交差点となり、今日の到着地に着きました。
到着地の交差点角で、到着の看板を掲げ、写真を撮って今日の旅を終了しました。
13時39分、島田駅・本通り2丁目交差点着(到着地)

66 島田・本通り2丁目交差点(到着地)
【帰路】
到着地の交差点から約320m歩くと、JR島田駅です。
13時45分、島田駅着
67 島田駅
駅舎やロータリーは新しくなっており、駅舎を背景に写真を撮って駅に向かいました。
また、世界一の木製架け橋である蓬莱橋は、温かくなる4月頃になったら見に行こうと思います。
13時54分、島田駅発(静岡駅着、14時20分)
静岡駅までの普通列車は3両編成で、藤枝駅まで乗っていた高校生が多く、座席はほぼ塞がっていました。
14時48分、静岡駅発(新幹線こだま)
列車に乗るまで時間があるので、ホームのベンチに座り、先ほど買った鯛焼きを食べました。
あんこがたくさん詰まっていて、食べた後も甘ったるさがなく、さすが人気の商品だなと思いました。
こだまの車内は空いていて、自由に選べる状態でした。
曇っていた空は晴れ渡り、車窓から富士山が綺麗に見えるのでシャッターを何回か押しましたが、新幹線が早く、思い通りの写真は撮れませんでした。
 
※車窓からの富士山
72 車窓からの富士山
15時40分、小田急・小田原駅発
15時36分に小田原駅に着き、新幹線から小田急線に乗り換えましたが、ホームに降りると快速急行が発車するところで、運良く乗ることができました。
ここから約1時間少々先の新百合丘で乗り換え、最寄り駅に帰りました。
【総括】
今回の旅は、二日間で29.7㎞と30㎞弱の短い歩き旅でしたが、Yumiが1日目に足裏が少し痛いと云っただけで、事故に遭うこともなく風は吹いていましたが、天気にも恵まれ無事に終わることができました。
Yumiさんは履いているウォーキングシューズが馴染んできたこともありますが、足の筋肉が丈夫になってきたこともあると思います。
この先、大きな高低差がない状態がしばらく続く見込みなので、問題なく歩けると思います。
《旅の思い残し》
正月に再度訪れた薩埵峠と由比宿の時と同じように、石部屋で食べた安倍川もちと食べられなかったからみ餅を買い、御羽織屋で見られなかった秀吉から拝領の御羽織、徳川家康から拝領の茶碗を見せて頂いて、十団子を買い、今度は写真をしっかりと残したいと思います。
【次回の旅】
次回は、2月9日から2月11日の三連休を利用して二泊三日で旅をしたいと考えています。
Yumiさんが認知症を発症してから蓼科の山荘を除いて、知らない旅館やホテルに2泊する旅行をしたことがないので、体力的にどうなのか、病気は大丈夫か不安なことは多々ありますが、決行することにしました。
そのため、旅だけでなく、最初の9日は金谷宿・金谷一里塚までにして、掛川でレンタサイクルを借りて掛川城を見学したいと思います。
Yumiさんの病状は、少しづつ進行しているので良くはありませんが、旅を続けられる状態にあるので、街道で私達を見掛けましたら、声を掛けて下さい。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 

 

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


【天候】晴れ・風強し
【宿場】(19)府中宿⇒(20)丸子宿⇒(21)岡部宿
【行程】歩行距離=13.97㎞ 総距離=195.00㎞

静岡・江川町交差点⇒(1.68㎞)⇒043府中一里塚⇒(3.78㎞)⇒044鞠子一里塚⇒
(3.015㎞)⇒045宇津ノ谷一里塚⇒(3.895㎞)⇒046岡部一里塚⇒(1.60㎞)⇒
岡部支所前交差点
【ルート図】
 ↓宿場(黒囲みが第12回旅の宿場)

12 12回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
 (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体ルート(第12回)
 第12回の旅のルート
 (静岡・江川町交差点⇒岡部支所前交差点)
第12回ルート
【旧東海道の旅】

《移動》
04時30分、起床

身支度を整え、ザックの荷物を再確認の上、
朝食、トイレなどを済ませて家を出発し、まだ氷点下の厳しい寒さの中、自転車で最寄り駅に行き、電車を乗り継いで東京駅に移動しました。
07時22分、東京駅着
01 東京駅新幹線ホーム
東京駅は大勢の人が行き交っていて、さすが東京駅だなと思いながら人とぶつからないように歩き、新幹線の改札口に行きました。
ところが新幹線の改札に切符をいれると「ピンポーン」と警告音が鳴り、駅員が切符を見て「東海道新幹線は向こうです」と注意されてしまいました。
東北新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海と別れているのですが、田舎から出てきた者にはどの改札も同じだろうと切符を投入した時は思っていました。
「不便だな」と不便さを感じながら東海道新幹線の改札を通ってホームに行きました。
ホームに着いた時は発車の30分以上前と早かったため、自由席(1~5号車)の乗り口に並んでいたのは数人だけでしたので、Yumiさんを連れてトイレに行きました。
発車10分くらい前に乗車するひかり号が入線してきましたが、乗車前に並んだのは15人程度だけだったので、時期によって差はあるのでしょうが、最寄り駅で乗る電車の時間をもう少し遅くらせても大丈夫だったようです。
今日は、ひかり自由席の乗車状況が分からなかったので、少し早くに家を出発していました。
また、車内でYumiさんと交互に写真を撮っていると、通路反対側の方が「シャッター押しましょう」と云って二人の写真を撮って下さいました。
 ※新幹線車内
03 新幹線車内
08時03分、東京駅発
乗車した車両の乗車率は60%くらいで、停車した品川駅と新横浜駅で乗車してきて90%くらいの乗車率になりました。
今日は天気が良いので、車窓から富士山が眺められるかなと期待感をもって乗っていると、期待どおり小田原に近づくと富士山が大きく見えるようになり、三島~新富士の間はさらに大きく眺めることができました。
 ※新幹線車窓からの富士山
06 車窓からの富士山
急いでカメラを用意してャッターを押しましたが、新幹線のスピードが速く、電線や建物等々が入ってしまうなど、思うような写真が撮れませんでした。
また、実際に見えた富士山はもっと大きかったのですが、写真になると小さくなっていて残念です。
09時06分、静岡駅着
東京駅を発車して約1時間、下車駅の静岡駅に到着しました。
ここから出発地の江川町交差点に移動するのですが、地下街から地下通路を通って行きます。
前回の帰りに道案内を記しておいたのですが不安になり、途中で道を尋ねると斜め左の方に行ってしまうところだったので、教えて頂いて助かりました。
地下通路から地上の御幸通りに出てそのまま直進し、今日の出発地である江川町交差点に着きました。
【=旅=】

09時16分、江川町交差点(出発地)
07 静岡・江川町交差点(出発式)
交差点付近は、店舗がまだ開店時間前だったため、人通りはほとんどありません。
江川町交差点でいつものとおりYumiさんに看板を掲げてもらい出発式を行い、出発しました。
江川町交差点を出発し約170m歩いた呉服町交差点を右折した時、静岡駅でトイレに立ち寄らなかったことを思い出し、交差点から160m先の左側にコンビニ(セブンイレブン)があり、Yumiさんを連れて店内に入りトイレをお借りしました。
トイレに入ってスッキリした気分となって約140m歩くと、伊勢丹がありその角に札の辻跡碑が建っていました。
09時27分、府中宿・札の辻碑(左側)
09 府中宿・札の辻跡
伊勢丹を右に見て左折し、七間町通りを進む頃になると温かくなってきたので、Yumiさんのアウタージャケット、私のフリースを脱いで、衣服の調整をしましたが、Yumiさんからは特に不満の声はありませんでした。
静岡市内の旧街道は、伊勢丹の角から約450m先の、昭和通りの七間町交差点を過ぎてから2つ目の十字路(クチーナの前)を右折し、約210m先の新通りを左折(左角・疋野商店)して安倍川方向にジクザクして歩きます。
これは、駿府城を守る防御のためにクランク形に作ったのでしょう。
新通りを安倍川橋に約500m歩くと本通り「本通八丁目交差点」に出る十字路があり、ここを右折して旧東海道から一時離れ本通りの「本通り八丁目交差点」を渡り、渡ったところを左方向(安倍川橋方向)に約50m歩くと、左側に日本橋から43番目の一里塚跡に標板が建っていました。
09時45分、043府中一里塚跡(左側)
10 府中一里塚跡(043)
跡碑は、道路に面しているため、「一里塚」を写真に入れるために、車が通る間隙をぬって車道に出てシャッターを切りました。
碑面が歩道向きになっていれば、危険を冒して車の間隙をぬいながら写真を撮らなくてもよいので、自治体には考えてほしいと思います。
私とYumiさんは、一里塚碑の処を直進して「本通九丁目交差点」を旧東海道に向かって左に渡り新通りに戻りました。
本通り九丁目交差点から新通りに戻った十字路から約500m歩くと、弥勒交番があり交番の横に安倍川の川会所跡碑と安倍川架橋の碑があり、交番先先隣りの弥勒公園の中に由比正雪の墓碑、明治天皇小休止跡碑が建っていました。
09時54分、川会所跡(右側)
12 川会所跡(安倍川)
  安倍川架橋の碑(右側)
13 安倍川架橋の碑
09時57分、由比正雪の墓(右側)
14 由比正雪の墓
  明治天皇小休止跡(右側)
16 明治天皇小休所跡
この弥勒公園で、女性4人組の街道ウォーカに出会いましたが、お互いに顔を見合わせただけで特に言葉を交わすことなくそれぞれの動きを続けましたが、考えて動くことは同じで、石部屋でまた一緒になりました。
09時59分~10時09分、休憩(石部屋)=左側

17 石部屋
弥勒公園の左斜め前に、安倍川もちの元祖である石部屋があり、開店したところで今日の一番客になり、先ほど出会った女性4人組も続いて入ってきました。
店に入ったところで女性4人組の話しを聞くと、3人は東京からこだまで来たようで、今日は岡部まで歩いて東京に帰るとのことでした。
石部屋には、安倍川もち(あんこ・きなこ各5個=@600円)とからみもち(わさび醤油で食べる=@600円)がありましたが、Yumiさんと二人なので、安倍川もちだけにしました。
人数が3~4人以上いたら両方を注文して、食することができると思います。
私とYumiさんは、安倍川もち1皿を注文し、昔の人もこのようにして食べたのかなと思いながら、老舗のもちを味わいました。
  ※安倍川餅
19 安倍川もち(一つ食べました)
※H26.09.12 再訪=安倍川餅(右)・からみ餅(左)
114 安倍川餅とからみ餅
からみ餅はわさび醤油を付けて食べるのですが、Yumiさんは2つぐらい食べたらいらないと云い出し、私がほとんど一人で食べました。
石部屋を出ると、直ぐ左脇に安倍川義夫の碑が建っていました。
※H26.09.12 再訪=安倍川の義夫の碑(左側)
115 安倍川の義夫の碑
安倍川の義夫の碑は、安部川に橋がなく、川を渡るには人夫を雇うのが一般的であった1738年(天文3年)、江戸へ出稼ぎに出ていた漁夫が紀州(現和歌山県)へ戻る途中、自力で安部川を渡った際に仲間と稼いだ150両の大金を落としてしまいました。 たまたま居合わせた人夫が財布を拾い、漁夫を追いかけ、財布を届けてくれたので、お礼を漁夫が人夫に渡そうとしても頑なに受け取りません。 困った漁夫が奉行所から渡してもらうよう取り計らっても受けとらない。 とうとう奉行所は漁夫にお礼を戻し、人夫に報奨金を渡したそうです。
この美談を後世に伝えようと 昭和4年、和歌山県と静岡県の学童や有志によって碑が建てられたと記されていました。
そして義夫碑から約70m歩くと、全長490mの安倍川橋が架かっていました。
10時11分、安倍川橋
21 安倍川橋(東側)
歩・車が分離した舗道を歩きながら川の上流方向、下流方向を、キョロキョロと眺めて歩き、天気が良いので橋を渡った所で後ろを振り返ってみると、美しい富士山を眺望することができました。
  ※安倍川橋西交差点の左脇からの富士山(白丸)
23 富士山の眺望(安倍川橋西側)
旧街道は県道を安倍川橋西交差点を真っ直ぐ進み、ここから約1.1㎞歩くと手越原交差点があり、ここで1号線に合流しますが、約240m先の佐渡交差点でまた1号線から分岐して左に進み、交差点から約70m歩くと右側に佐渡地蔵堂が建っていました。
10時36分、佐渡地蔵堂(右側)
25 佐渡地蔵堂
地蔵堂の直ぐ隣りに無人販売所があり安価だったのですが、荷物になるので眺めるだけで通り過ぎました。
  ※無人販売所(全品100円です)
27 無人販売所
地蔵堂から約400m歩くと丸子交番のある交差点があり、右側の丸子交番に沿って(道路の反対側の左側は静岡銀行)歩き、静岡丸子郵便局、そして道路反対側の左側の長田西小学校を通り過ぎた先の信号を真っ直ぐ渡った先の右側に道標が建っていました。
10時50分、丸子宿道標(右側)
28 丸子宿道標
そして、そこから約60m先の右側の道路沿いに、日本橋から44番目の一里塚跡があり、石碑が建っていました。
10時52分、044丸子一里塚跡(右側)

29 丸子一里塚(044)
一里塚跡碑は、交通量の多い狭い道路の道路沿いに建っているため、一里塚跡碑の写真を撮るのは危険な場所でした。
そして、一里塚跡から約200m歩いた右側の丸子幼稚園と元丸子簡易郵便局の間に、丸子宿・江戸方見付跡に碑が建っていました。
10時56分、東見付跡(右側)
32 丸子宿江戸方見付跡
見付跡から約240m歩くと、左側に歴史を感じる「しらい酒店」がありました。
11時03分、しらい酒店(左側)
34 しらい酒店
しらい酒店は立ち寄らなかったので、店の内部などのことは分かりませんが、外観は年代を感じさせるものがありました。
このしらい酒店を過ぎると、丸子宿の中心部となり、約200m先の左側に脇本陣跡
11時06分、脇本陣跡(左側)
35 丸子宿・脇本陣跡(進行左)
脇本陣の直ぐ先の右側に、問屋場跡と丸子宿・本陣跡があり、
11時07分、問屋場跡(右側)

36 丸子宿・問屋場跡
11時08分、丸子宿・本陣跡(右側)

37 丸子宿・本陣跡
本陣跡からさらに約100m歩くと、右側に丸子宿・脇本陣跡と明治天皇小休止跡があり、
11時10分、脇本陣跡・明治天皇小休止跡(右側)

39 丸子宿・脇本陣(進行右)
脇本陣跡の道路を渡った反対側に鞠児学校跡
11時11分、鞠児学校跡(左側)

41 鞠児学校跡(明治)
そして、学校跡から道路を反対側に戻ったところにお七里役所跡の跡碑と、連続して跡碑が建っていました。
11時12分、お七里役所跡(右側)

40 お七里役所跡
お七里役所跡を過ぎ、右にカーブした先の右側に、芭蕉句碑と十返舎一九の東海道膝栗毛碑が並ぶように建っていました。
11時14分、芭蕉句碑(右側)

42 芭蕉の句碑
11時14分、十返舎一九 膝栗毛碑(右側)
43 十返舎一九の碑
2つの碑の隣に、とろろ汁で有名な丁子屋がありました。
《昼食》
11時14分、丁子屋着(右側)
44 丁子屋
障子戸を開けて中に入り、店の人に奥の座敷間を案内されましたが、靴を脱ぎたくなかったので、入口脇のテーブル席にしてもらいました。
食事を注文し、配膳を待つ間にYumiさんをトイレに連れて行きながら、その帰りに店内に展示されている400年の歴史を物語る品々を見て回りました。
そして、席に戻ると、注文したとろろ汁(丸子定食)が並べられていました。
  ※丸子定食
46 丸子定食
Yumiさんはとろろ汁が好物ですが、私は生タマゴととろろが大の苦手なのです。
そのため丁子屋に来るまでどうしようか考えていたのですが、ここに来る人はとろろ汁を食べに来るので、私も食べてみることにしました。
麦入りのご飯にとろろ汁をかけて食べてみると、思いのほか食べ易く、味も良く、残さずに全部食べてしまい、美味しいものを食べると、自分の食わず嫌いが恥ずかしくなります。
勿論、Yumiさんも残さずに全部食べました。
11時44分、丁子屋発
店を出ると、道路を渡った右側に丸子川の碑があり、丸子川に架かる丸子橋を渡った右側に、京方見付跡碑と高札場跡碑が建っていました。
11時45分、丸子川の碑(右側)
48 丸子川の碑
11時46分、京方見付跡・高札場跡(右側)
49 丸子宿・京方見付跡・高札場跡
丁子屋に着く前から風は吹いていたのですが、店を出る頃からは一段と強くなり帽子が飛びそうなので、耳当ての部分を出して飛ばないようにして約1㎞歩くと国道1号に合流し(赤目ケ谷交差点)、交差点の手前に188㎞の距離標識が建っていました。
12時00分、188㎞ポイント(左側)
51 188㎞ポイント
この距離表示は、日本橋からの国道1号線の距離ではなく、旧東海道の距離なのです。
交差点から旧街道は標識の先を左に入り約250m歩いた左側に、日本紅茶発祥の地(丸子紅茶)の看板が、水車の脇に掲げられていました。
12時04分、日本紅茶発祥の地(左側)

53 日本紅茶発祥の地案内
日本紅茶の発祥の地を聞いて、答えられる人は何人いるかな?
一つ知識を得ることができました。

54 丸子紅茶
旧街道は国道1号と並行し、約450m先の右側にレストラン東海道が両方の街道の間にあることが地図に記されていましたが、倒産したのか建物はありませんでした。
そして取り壊された建物付近から約50m歩くと、岡部町に残る「三本の名残りの松」のうちの一本が立っていました。
12時11分、名残りの松(左側)
56 名残りの松
  ※名残りの松・解説
55 名残りの松碑
名残りの松の先に「あかめがやおはやしほどうきょう」があり、この先の歩く方向を考えこの歩道橋で1号線の反対側(進行右側)に渡りました。
歩道橋を渡ったところで名残りの松の方を見ると、父親と男の子の2人が歩いているのが見えましたが、親子連れは歩道橋を渡らずにそのまま真っ直ぐ歩き、宇津ノ谷歩道橋を渡ってきました。
私とYumiさんは歩道橋を渡ったところで国道1号と別れて川沿いの側道を歩いていると、Yumiさんが寒いというので脱いでいたアウタージャケットをザックから出して着せて、約300m歩くとまた国道1号に合流し、そこから約800m歩くと宇津ノ谷歩道橋があり、先ほどの親子連れが渡ってきました。
〔045宇津ノ谷一里塚〕=跡碑確認できず
宇津ノ谷歩道橋の辺りが「045宇津ノ谷一里塚」のあった場所と史跡の資料に書かれていたので、
E=一里塚碑はありませんでしたか?
男=何もなかったですよ
と、一里塚跡は確認できませんでした。
宇津ノ谷歩道橋から約300m歩くと、「道の駅・宇津ノ谷峠」がありましたが、親子連れは立ち寄らずにそのまま先に行き、私とYumiさんはこの先の道の駅でトイレ休憩を取ることにしました。
この親子とは、この先で出会うことはありませんでした。
12時36分~12時39分、休憩(上り線道の駅宇津ノ谷峠)
※H26.09.12 再訪=道の駅「宇津ノ谷峠」(左側)

116 道の駅・宇津ノ谷峠
街道はこの先で右折して上り坂を道なりに進むと、道が分岐する江戸・大正の分岐点に着き案内板が建っていました。
12時46分、江戸・大正の道分岐(右側)
58 江戸・大正の分岐
私達は、集落を通って宇津ノ谷峠の登山道に入り、出世街道から坂下地蔵堂に出る道を旅します。
また、風が強いため、この分岐のところで帽子の止め具を取り付けました。
この集落には、豊臣秀吉から羽織を贈られたことから名付けられた御羽織屋があり、この地方の名産品である「十団子」が売られているというので、立ち寄りました。
御羽織屋の前で写真を撮っていると、一人旅の男性が「写真を撮りましょう」と声を掛けて下さったので、お願いしました(この後、私がこの方を撮りました)。
12時50分、御羽織屋(右側)
60 御羽織屋
一人旅の男性と別れ店内に入り十団子を買うと、応対したおばあさんが、お土産にみかんを2つ下さいました。
豊臣秀吉から贈られた羽織や、徳川家康から拝領した茶碗を見せてもらおうかと思いましたが、この先の宇津ノ谷峠道の方が気になり、また改めて見に来ようと思い云わずに店を後にしました。
※H26.09.12 再訪=御羽織屋(右側)
歩き旅と違う入口から奥に入ると戸が閉まっていたので「見れないのかな」と思っていると、家の中に人がいる気配がしたので閉まっている戸を開けると、説明するおばあさんが座っていました。
「入ってもいいですか?」と聞くと、「どうぞ」と云われ、靴を脱いで座敷に上がり、入場料の@200円を置いてある箱に入れ、「陣羽織」にまつわる伝記や陣羽織を修繕した話しを聞かせて下さいました。
ひと通り話しを聞き、おばあさんの了承を頂いて写真を撮らせてもらいました。
  解説のおばあさん
119 説明するおばあさん
右=陣羽織、左=家康拝領の茶碗(中段左)、15代慶喜拝領の茶碗(中段右)
120 展示品
集落の道は、私とYumiさん、それと一人旅の男性の三人だけしかおらず、シーンと静まりかえっていました。
  宇津ノ谷集落の通り
62 宇津ノ谷集落(後方・丸子川橋)
御羽織屋を出て峠に向かう道は、階段状の上り坂になっており、最初の分岐を左に上ると道標が建っており、道標に明治のトンネルまで300mと比較的近かったので、見に行くことにしT字路を左方向に上りました。
12時58分、明治トンネル入口(この時はトンネルの入口で戻りました)
63 明治のトンネル入口

明治トンネルの中は、灯りが付いて明るくなっており、出口も見えました。
この道を通れば峠を通らずに早く、そして楽に岡部宿に行けるのですが、それは旅の目的ではないので、先ほどのT字路の道標の処に戻りました。
※H26.09.12 再訪=明治のトンネル
御羽織屋のおばあさんに明治のトンネルを見学してくる間の駐車(御羽織屋の隣りの駐車場)の了解を頂き、御羽織屋から5~6分の明治のトンネルに行きました。
  明治のトンネル入口(丸子宿側)
123 明治トンネル入口
  トンネルの内部
125 トンネル内⑤
  トンネルの出口(岡部宿側)
124 トンネル出口側
13時01分、宇津ノ谷峠登り口(左側)
65 宇津ノ谷峠登り口
  宇津ノ谷峠の登り道
67 峠道
峠道は竹が茂った坂道ですが、約200m進むと先ほど見に行った明治トンネルや、宇津ノ谷集落を眼下に見下ろす展望台に出ました。
13時05分、宇津ノ谷峠展望台
69 展望台
碑の後ろは崖になっており、Yumiさんに「これ以上行ったら落ちます」と怒られながら写真を撮りました。
 明治のトンネル入口付近(峠道からの眺め
70 明治のトンネル入口の眺め
坂道はさらに続き、峠の地蔵堂跡の石垣を右に見ながらさらに登って宇津ノ谷峠に着きました。
13時11分、峠の地蔵堂跡の石垣(右側)
71 峠の地蔵堂跡
峠を越すと、反対側から登ってきた4~5人の人と交差しながら滑らないように下っていくと、舗装路に出ました。
後で分かったものですが、この舗装路は明治のトンネルに繋がっている道でした。
《道を間違える》
しかし、この時は間違えることがないようなところで、何を考えたのか舗装路に出た処をそのまま真っ直ぐに下らずに、右に入れる狭い道をみかん畑の方に下ってしまいました。
道を少し下ると、道が無くなり急斜面になったので、間違えたと思いYumiさんを助けしながら元の道に戻りましたが、バカみたいなことをしてしまいました。
元の道に戻ると道の案内図があり、舗装路をそのまま下って行けば良かったので、良く確認すればと反省しました。
舗装路を下って行くと、左に砂利の小道のある分岐があり砂利道の方に行くと、髭題目碑を見ながらさらに下ると、つたの細道との合流点に着きました。
13時27分、髭題目碑の下(左側)
73 髭題目碑(後方)
  宇津ノ谷峠の下り
75 宇津ノ谷峠の下り
13時31分、旧東海道・つたの細道合流点

76 道標(左=旧街道・右=つたの細道)
矢印の道が旧東海道で、矢印の方向に下り、つたの細道は写真右下の道。
旧東海道とつたの細道の合流点から約60m歩くと右側に、坂下地蔵堂がありました。
13時32分、坂下地蔵堂(右側)

78 坂下地蔵堂
地蔵堂を過ぎて旧街道を進むと、静岡方面の標識に沿って国道1号の下を潜って道路の右側を歩くと、上り線の道の駅があり、休憩することにしました。
13時38分~13時48分、休憩(上り線の道の駅宇津ノ谷峠岡部)=右側
79 道の駅・宇津ノ谷峠
道の駅には食事ができる場所があり、峠を越えてきた疲れを癒すため、水分補給と御羽織屋で買った十団子で英気を養うことにしました。
旧街道は、道の駅がある廻沢口交差点で、国道1号を右折して県道208号を進み岡部宿に向かいますが、強い風が依然として吹いていたので、Yumiさんの健康を考えマスクを付けさせました。
廻沢口交差点から約1.3㎞歩くと、左側に「東海道岡部宿案内板」が建っており、この辺りが一里塚があったと云われてる場所というので、記録に残しました。
14時08分、046岡部一里塚跡(左側)
80 岡部一里塚(碑はない)
岡部宿案内板(一里塚)から約50m歩くと、右側の階段を上ったところに十国坂観音堂がありましたが、立ち寄らずに通り過ぎました。
十国坂観音堂から約100m歩いた右側の道路沿いに、「枡形跡」の石碑が建っていました。
14時11分、枡形跡(右側)
82 枡形跡
枡形跡碑から約260m歩くと左側に那須野商店があり、ここで県道と分岐して右折し、約100m先の三叉路を左折、そして約100m先で再び県道に合流し、県道を渡って約50m歩いたところに史跡の旅籠がありました。
14時20分、大旅籠柏屋着(左側)
84 岡部宿大旅籠・柏屋
この旅に出る前に藤枝市に連絡し、入館割引券(20%引き)を頂いたので、使わせて頂きました。
旅籠の中は土間から見るのは見学無料なのですが、時間の余裕があったので、靴を脱いで施設の案内をして頂きました。
85 旅人気分
江戸時代に実際に使われた展示品は、昔の生活を偲ばせるものばかりで、大切に保存してほしいと思いました。
86 大広間
また、敷地内では踊りなどの催し物が行われていましたが、無料の甘酒だけ頂いて少し観させて頂きました。
14時40分、大旅籠柏屋発
大旅籠柏屋を出ると直ぐ隣りに岡部宿・内野本陣跡がありましたが、工事中で碑も建っておらず、ガードフェンスに本陣跡の看板が架かっているだけでした。
14時45分、内野本陣跡(左側)
88 岡部宿・内野本陣跡(工事中)
本陣跡地に併設されている岡部宿公園でトイレと水分補給を済まし、約170m歩くと左側に火の見やぐらが建っている消防団の車庫前を左折しました。
※H26.09.13 再訪=分岐(左折)
012 旧東海道
そして分岐から約60m歩くと、小野小町が自分の姿を映したと云われる橋がありました。
14時49分、小野小町姿見の橋
89 姿見の橋
姿見の橋から約120m歩くと右側に弘法大師堂が建っており、お堂の脇に高札場跡碑が建っていました。
※H26.09.13 再訪=弘法大師堂(右側)
010 弘法大師堂
※H26.09.13 再訪=高札場跡(右側)
007 高札場跡
弘法大師堂を過ぎると旧街道は県道208号に合流しそうになるのですが、県道に出ないで左に進むと左側に白壁に黒塗りの格子戸の立派な家が建っていました。
※H26.09.13 再訪=ゴン中山さんの実家(左側)
この辺りでは異様に感じる建物なので、写真に収めてから表札を見てみると「中山儀助」となっていたので、ひょっとしたらと確認したらサッカーで有名なゴン・中山雅史さんの実家がでした。
005 ゴン中山の実家
実家の脇には、ゴンプロジェクトと記された「ゴン企画」(白丸印)の建物が建っていました。
006 ゴン企画(有)事務所
そのまま歩くと、右側に三輪医院の駐車場、小林製畳店の真向いに、問屋場跡碑が建っていました。
15時01分、問屋場跡(左側)
91 問屋場跡
※H26.09.13 再訪=ミニギャラリー(右側)
問屋場跡碑の斜め前の右側に、ミニギャラリーと記された屋台が設置されていました。
013 ミニギヤラリー
ミニギヤラリーから約250m歩いた今日の到着地である岡部支所前交差点に出る手前左側に、枡形跡の石碑が建っていました。
15時06分、枡形跡(左側)
93 枡形跡
旧街道の岡部の街並みを見ながら歩いてきましたが、枡形跡の直ぐ先で突き当りとなり右折したところに、岡部支所前の交差点があり、今日の旅の到着地に着きました。
※H26.09.13 再訪=岡部支所前交差点手前分岐(右折)

014 旧東海道道案内
15時07分、岡部支所前交差点着(到着地)
96 右の車の道が旧街道
交差点の角でYumiさんに到着地を記した看板を掲げてもらい今日の到着式を行い、宿泊する場所に向かいました。
【宿泊】
《予約までの経緯》
当初は到着地からバスで藤枝まで行ってビジネスホテルに泊まる予定にして予約したのですが、FAXにYumiさんの状態を記して送信すると予約OKの回答があり、ビジネスホテルを解約して民宿に泊まることにしました。
ビジネスホテル以外のところに泊まるのは2年振りで、この2年間におけるYumiさんの認知症の進行状況を考えると、不安をかかえながらでの宿泊となりました。
15時12分、民宿着
民宿は普通の一軒屋で看板もなければ案内もなく、外からは分かりません。
駐車場の奥と聞いていたので、奥にある建物に行くと女将さんとバッタリと出会い、名前を告げるとニッコリと笑い「どうぞ」と案内して下さいました。
案内された部屋は16畳ほどの広さがあり、今日は私達だけの宿泊とのこと。
予約する時にYumiさんが要介護2の認知症ということを通知しておいた方が良いだろうと考えて知らせたので、女将さんが他の人を泊めない方が良いと判断したようで、申し訳ないことをしたとお詫びしました。
《入浴》

さて、民宿に着き、まずトイレの場所を教え、部屋でユカタに着替えていると、風呂の案内があり汗を流しに行きました。
風呂の大きさは我が家の風呂と同じ位の大きさで、浴槽に二人で入るのは無理そうなため、一人ずつ交代で入りますが、Yumiさんは一人では入浴できないため、
①先に浴槽に入れ、その間に私が洗う
②Yumiさんが出たら洗い布にシャンプーを付けて渡し、Yumiさんが洗っている間に私が浴槽に入る
③Yumiさんの体のシャンプーを流す
④Yumiさんの洗髪をする
⑤Yumiさんを浴槽に入れ、その間に私の洗髪を行う
⑥体は自分で拭きますが、どの順番で着たらよいのか分からないので、着る物を順番に渡す
の介助をして入浴を終えました。
なお、髪用のシャンフーとコンディショナーが切れていたので、ボディーシャンプーで洗髪をしました。
今日の汗を流し、部屋でホットカーペットに横になってテレビを見ていると、女将さんから夕食の案内があり食堂に行きました。
《夕食》 17時40分~19時30分
食堂に行って女将さんにビールを注文し、Yumiさんと乾杯。
食堂はリビングで食事しているのと同じで、配膳された料理をYumiさんもニコニコしながら食べ始めました。
特に、女将さんが作った野菜スープは抜群の味で、Yumiさんも美味しいを連発しながら食べていました。
私は野菜スープを食べる時、もう一度温めてもらえば良かったと後悔しました。
また、途中から女将さんも会話に加わり、楽しい時間を過ごすことができました。
《贈り物》
私がリビングに飾ってある切り絵を見ていると、
女将=気に入ったものがありますか?
E=Yumiさん、気に入ったものある?
Y=水仙がいい
女将=差し上げますので家に飾って下さい
E=(辞退したのですが)家のリビングに飾らせて頂きます
女将=明日、持ち帰れるようにして上げます
E=ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます
と、考えてもいなかった贈り物を頂くことになり、長居した食事を終え部屋に戻りました。
《夜のトイレ》
部屋に戻り、Yumiさんの目薬の点眼と血圧測定を行い、トイレに行く時は起こすように話して、21時に床に着きました。
Yumiさんは、明け方になると必ずトイレに行くのですが、新しい所は行き方が分からなかったり、戻って来れなかったりするので、私を起こすように話したのですが、最初は私を起すことなく一人で行って戻ってきたようです。
一人で行けたんだと思っていると、次は一人では行けません。
二度目は私が後から付いていくと、トイレではなくリビングの方に行こうとするので行き方を教え、戻る時も部屋と反対の風呂の方に行こうとするので、声を掛けて部屋に連れ帰りました。
三度目も、ほぼ二度目と同じ状況と、私もゆっくり寝ていられません。
トイレに行く道順は、
部屋のふすまを開けると廊下で、左に2m歩き ⇒ 左折 ⇒ 2m先に横引き扉 ⇒ 2~3歩先に横引き扉 ⇒ トイレ
とすぐ近くなのですが、Yumiさんには遠い所なのか、行き方が覚えられないのです。
今回の経験で、ビジネスホテル以外は、宿泊できないことが分かりました。
また、女将さんの気配りには感謝のひと言です。
【明日の予定】
明日は、第13回の旅で「岡部支所前交差点から島田駅・本通り2丁目交差点まで」の15.69㎞を歩きます。
途中、著名な史跡はありませんが、チェックしてきた史跡は見落とさないように気を付けて旅をしたいと思います。
また、島田には旧東海道ではありませんが、ギネスに登録された木橋「蓬莱橋」があるので、行き方の下調べをする予定です。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 

 

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


【序章】
12月1日の「第10回旧東海道夫婦二人旅」で薩埵峠と由比宿を歩き旅したのですが、薩埵峠では富士山が雲に隠れて眺められなかったり、由比宿では史跡を見落としたり、時間の関係で割愛したりと、心残りの部分があったので、車ですが改めて行くことにしました。
朝、富士山を見ると、雲一つない状態で、これなら秀麗富士が眺められると、急遽支度して出掛けました。
07時50分、自宅を出発
【薩埵峠】
朝食を食べないで家を出たので、途中のコンビニでサンドイッチとジュースを購入し、車の中で食べながら車を走らせました。
今日から仕事始めの会社もありますが、交通量はさほど多くないので一般道を走り、東名高速厚木ICから高速道路に入り、清水ICに向かいました。
高速道路は、御殿場ICを過ぎると空いてきて、100㎞/hくらいで走れることができました。
また、車窓から見える富士山は雲が多少出てきておりましたが、雲に隠れることなく綺麗に見えています。
時間とともに雲が出てきやすいので、御殿場から新東名を走る予定でいましたが、なるべく早く薩埵峠に着こうと従来の東名高速を走りました。
10時15分、東名高速清水IC着
1号線富士由比バイパスを興津方面に走り、興津川橋の先で左折し、薩埵峠手前の山之神遺跡のある駐車場に向かいました。
駐車場に向かう道は、交差が困難な場所が何か所もある狭い道なので、対向車がこないことを祈りながら走りました。
駐車場は、道路脇に車が停まるなど混んでいましたが、運良く奥に1台分の駐車スペースが空いていたので、停めることができました。
家を出てからほとんど休憩なしで走ってきたので、まずトイレに寄ってから富士山を眺めに行きました。
駐車場(山之神遺跡)から見る富士山は、はっきりと綺麗に見えました。
10時30分、山之神駐車場
001 山之神遺跡・駐車場
薩埵峠展望台は、歩いて数分のところにあるので、富士山を見るのを楽しみにしながら向かいました。
 ※展望台手前
003 展望台への道
展望台は数人の人が写真を撮っていましたが、順番に富士山をバックに写真を撮りました。
10時34分、薩埵峠展望台
004 展望台
ここからの眺めはまさに絶景です。
009 展望台デッキからの富士山
眼下に山裾に沿ってJR東海道線が走り、東名高速と国道1号線が交差し、駿河湾の先に富士山を眺める壮大な美しさに、Yumiさんと綺麗だね、来てよかったね、と喜び、場所を変えながら何枚も写真を撮りました。
富士山の眺望を堪能し、展望台を後にしました。
そして、展望台から戻ってくる途中で、みかん(1袋5個100円)を買い、駐車場に戻りました。
【くらさわ屋=桜えびのかき揚げ】
次に向かうのは前回、昼食を食べた「くらさわ屋」で名物の桜えびのかき揚げを食べることです。
由比宿に行く前に、この地方の名物の桜えびをまた食べたいと思い、昨年の12月の旧東海道の旅の時に食べた「くらさわ屋」に行きました。
駐車場からこの店に行くには、山之神遺跡の駐車場に行くために走った道よりさらに車の交差が難しい細い道を、長く走らなければなりません。
途中で対向車が来たら大変なことになるので、対向車が来なことを心に念じながら下り坂を走っていると、対向車が上ってきました。
「え!!、来たの」と思っていると、運良く対向車と交差することができる場所だったので、事なきを得ました。
いや、助かりました。
道路は、くらさわ屋に行く途中の望嶽亭・藤屋を過ぎると、少し幅が広くなり車の交差が可能となり、柏屋脇本陣、川島本陣を右に見てYumiさんと、ここ歩いたねと話しながらくらさわ屋に向かいました。
11時07分、昼食(くらさわ屋着)=左側
015 くらさわ屋
先客は1人だけでしたので、私とYumiさんは、先月の旅の時と同じ席に座り、その時と同じ「桜えびかき揚げ定食」を注文しました。
018 桜えび天ぷら
私は出された物は残さなかったのですが、Yumiさんは桜えびかき揚げ(2枚)を1/4残してしまいました。
また、前回の時はなかったのですが、お正月ということなのかみかんが1つ付いてきました。
急ぐことなくのんびりと食事をし、次の由比宿に向けて出発しました。
私たちが店を出る頃は、店内の席は一杯となり空き席待ちの人がおり、駐車場も満車でした。
11時45分、くらさわ屋発
【由比本陣公園】
由比本陣公園の付近は、先月(12月1日)の旅の時、先を急いでいたため見学を割愛したり、史跡を見落としたりしていたので、もう一度行ってみたいと考えていた場所で、今日は旅をした時に歩いた道を逆方向に車で走り、名主の館小池邸、街道時計台などを眺めながら由比宿に向けて走りました。
由比川の橋を渡った清水銀行の手前(右側)に無料駐車場があり、車を停め史跡見学に出掛けると、駐車場の隣に、登録有形文化財の指定を受けた清水銀行の建造物が建っていましたが、前回の旅では、完全に見落としていました。
11時58分、清水銀行の建物(左側)
020 清水銀行
そして、その少し先に明治の郵便局舎がありましたが、この建物も旅の時に見落としていました。
 ※明治の郵便局舎(現平野邸)=左側
028 明治の郵便局舎(平野邸)
局舎には当時、局長を勤めていた平野氏が代々住んでいるそうで、中に入って写真を撮りたかったのですが、入るのを止め塀の外から写真を撮りました。
その隣りの「おもしろ宿場館」は、旅の時にYumiさんに写真撮影を拒否された「やじさん、きたさん」の像が入口にあり、Yumiさんに脇に立ってと云うと、旅の時に拒否したことは忘れて素直に立ってくれました(認知症のYumiさんは1ケ月前のことは覚えていません)。
 ※おもしろ宿場館
022 おもしろ宿場館
おもしろ交流館の数軒先に、由比正雪の生家と云われている「正雪紺屋」があり、旅の時は外から写真を撮っただけだったので、今日は店の中に入ってみました。
藍染めに使用するカメと藍染め商品が陳列されていましたが、ピンとくるものがなかったので、何も買わないで店を出ました。
次に、道の反対側の東海道由比交流館に行きました。
交流館は、先月の旅の時に外から見ただけで素通りしたため、今日は館内に入って見学しました。
館内には五重塔の模型が飾ってあり、奥に由比宿の街並み模型が展示されていました。
 ※東海道由比交流館(右側)・五重塔
032 東海道由比交流館・五重塔
 ※由比宿街並み模型
034 由比宿街並み模型
ひと通り館内を見た後、公園に出ると広重美術館の脇に顔を出し写真を撮るパネルがあり、セルフタイマーで撮ろうとしましたが、上手くできませんでした。
近くで見ていた方が「撮りましょうか」と声を掛けて下さいましたので、撮影をお願いしました。
 ※由比宿パネル
037
 ※広重美術館
038 広重美術館
その後、由比本陣公園の山門を出て右隣に、馬の水呑み場跡がありましたが、ここは素通りしたので写真におさめました。
 ※馬の水呑み場跡(右側)
031 馬の水呑み場
Yumiさんは、水の中の亀形の石を見て、
Y=これ亀?
E=それは石です(大笑い
Y=本物かと思った
亀の形をした石は、本物かと間違えるほどの色合いをしていました。
由比本陣公園の周りの史跡で、旅の時に見落としていたり、素通りしたところをひと通り見て歩きました。
12時50分、駐車場発
【新東名高速を初走行】
時間が早いので、遠回りになりますが、来る時に走れなかった新東名高速を走って帰ることにしました。
ナビをセットすると富士ICから高速に乗る案内でしたが、逆の清水方面に向けて走り、寺尾交差点で1号線富士由比バイパスに入り清水ICに向かいました。
清水ICを入ると約1㎞で清水JCTとなり、ここから新東名高速となり、新清水JCTを東京方面に向けて走りました。
新東名高速は、開通してから日が浅いので、トンネルはまだ排気ガスで黒く汚れておらず、気持ち良く走ることができました。
私の車のナビには、新東名高速の道路地図が入っていないので、道路のないナビ画面の中を進んでいました。
新東名は、御殿場で東名高速と合流し、交通量が増えてきました。
事故の発生で、横浜IC~中井ICで9㎞渋滞の情報があり、途中のSAでの休憩を割愛し、厚木ICに急ぎました。
厚木ICの1㎞手前から渋滞が発生していましたが、停まることがなかったので、比較的スムーズに一般道に出ることができました。
厚木市内では、部分的に渋滞していましたが、私が知っている厚木市内の渋滞よりかなりスムーズに走ることができたと思いました。
相模原から八王子バイパスを走り、北野を経て、我が家に帰ってきました。
帰りも長いドライブになりましたが、壮大な富士山を眺めることができた満足感で、疲れはそれ程感じませんでした。
【感想】
綺麗な富士山が見れて良かった。
家を出る時間は計画していた時間より遅くなりましたが、いろいろな場面で運に恵まれて往復することが出来ました。
楽しい一日を過ごすことができました。


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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 

 

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

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