【天候】晴れのち曇り
【宿場】(21)岡部宿⇒(22)藤枝宿⇒(23)島田宿
【行程】歩行距離=15.69㎞ 総距離=210.69㎞
岡部支所前交差点⇒(2.78㎞)⇒047鬼島一里塚⇒(3.971㎞)⇒048志太一里塚⇒(4.073㎞)⇒
049上青島一里塚⇒(4.062㎞)⇒050島田一里塚⇒(0.80㎞)⇒島田・本通り2丁目交差点
【ルート図】
↓宿場(黒囲みが第13回旅の宿場)
↓旧東海道の旅・進捗状況
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間 )
↓第13回の旅のルート
(岡部支所前交差点⇒島田・本通り2丁目交差点)
【再訪】
夫婦二人旅の時、見落としたりした史蹟や分岐などの記録を再訪して補完しました。
〔※①〕=平成26(2014)年 9月13日
【旧東海道の旅】
《序章》
今日は民宿を出て数分先の出発地に移動し、島田・本通り2丁目交差点までの15.69㎞を旅します。
天気が良いので、気持ちの良い旅が出来そうです。
《準備》
5時30分、起床
トイレで起きた5時頃に暖房エアコンを点けたので、起きるころの寒さが少し和らいでいました。
Yumiさんを連れて洗面所に行き、Yumiさんの歯磨き(歯ブラシに歯磨き粉を付けて渡す)⇒洗顔⇒整髪(ドライヤーでYumiさんの整髪)を行い部屋に戻りました。
※Yumiさんが歯磨きをしている時に髭剃りを行い、洗顔の時に歯磨きと洗顔を行い、最後は一緒に終わるようにします。
朝の身だしなみを整え、旅に出掛ける支度を整え(下着と靴下以外は昨日と同じものを着ました)、私が布団をたたみ、Yumiさんが寝間着を片付け、ホットカーペットに座りTVを見て朝食を待ちました。
朝食は7時頃にお願いしていたので、7時少し前に食堂に行くと支度が整っており、久し振りに温かいご飯と味噌汁の朝食(我が家は基本的に朝食はパン食)を食べました。
美味しい食事なので、自然と食欲がそそられますが、お腹が大きく膨らむとこの後の旅が大変になるので、食べる量を自重しました。
お土産に切り絵を頂き、女将さんにお礼を云って民宿を後にしました。
7時55分、民宿発
【=旅=】
08時00分、岡部支所前交差点(出発地)
交差点を渡った左側に五智如来公園があるというので、まず最初に立ち寄りました。
08時01分、五智如来公園
※①=五智如来像(右側)
公園の入口に冠木門があり、門を潜った正面に五智如来像(ごちにょらいぞう)があり、向かって右から
●阿弥陀(あみだ)如来=慈悲と知恵の象徴、戌年と亥年の守護仏
●釈迦(しゃか)如来=真理のこの世の体現者である応身物(おうじんぶつ)
●大日(だいにち)如来=命の原点、密教の総帥、 未年と申年の守護仏
●阿閦(あしゅく)如来=誘惑に打ち勝ち、恨みを除く
●宝生(ほうしょう)如来=永遠の釈迦の働きを象徴
で、1705年に、駿河田中城城主の内藤豊前守弌信(ぶぜんのかみかずのぶ)の姫君の病(話しができない)が治り良縁に恵まれたお礼」として、家老の脇田次郎左衛門正明が寄進したものだそうです。
私とYumiさんは冠木門のところで、写真を撮って失礼しました。
快晴の冬の朝日を浴び、寒いと云うより爽やかな空気で気持ちの良い旅立ちとなり、五智如来公園から約400m歩くと、岡部宿の松並木がありました。
08時08分、岡部町松並木(右側)
松並木は約450m続き、松並木を保存するために50㎝位のブロックで保護するなど、大切に保存していることが伝わってきました。
松並木を過ぎると藤枝バイパスの内谷新田交差点があり、交差点を渡って斜め右方向に進むと、渡った左角に領界碑が建っていました。
08時17分、従是西巌村領の碑(左側)
領界碑から約400m歩くと、右に入る細い道の角に「横内陣屋跡入口」の標識と「川会所跡碑」が建っていました。
08時22分、川会所跡(朝比奈川)=右側
横内陣屋跡は、街道から少し入ったところにあるので見に行ったのですが、途中で気持ちが変わり割愛して元の旧街道に戻りました。
※①=横内陣屋跡(右側)
再訪した時、標柱に沿って奥まで行きましたが、一番奥に住んでいる方から「陣屋跡に関わるものは何もないよ。あるのは入口のところの柱だけだ」と云われ、「陣屋入口」の標柱を記録に残しました。
そして直ぐ近くの川会所跡から約400m歩くと、岡部宿名残りの松の2本目が立っていましたが、写真は撮り損ねてしまい、併せて3本目の名残りの松も見落としてしまいました。
2本目の名残りの松があるという処の先に国道1号と交差する仮宿交差点があり、道路は渡れないため歩道橋を通って国道1号を横切ると、歩道橋を降りた右側に「田中藩領西傍示石」が建っていました。
08時34分、田中藩領西傍示石(右側)
傍示石から約300mで国道1号に突き当たったところ(左側はシルエット自動車)に、日本橋から197㎞の距離標が建っていました。
08時35分、197㎞距離標(左側)
E=Yumiさん、200㎞だよ。よく歩いてきたね
Y=私は好きで歩いているのではありません
お父さんが歩くというので一緒に歩いているのです
E=何を怒っているの?
Y=歩くのは、好きじゃないんです
お父さんが歩くから一緒に歩いているんです。
何が原因で怒っているのか「???」ですが、何か気に入らないことがあるのだろうと「そうですか」と云ってそのままにしておきました。
旧街道は、距離標の少し先の「八幡交差点」で国道1号に出ることなく、V字形に斜め左側に進み、約290m歩いた左側の民家(エムロードA)の前に、日本橋から47番目の一里塚跡があり、標柱が建っていました。
08時43分、047鬼島一里塚跡(左側)
出発して約1時間歩いたら体も少し温かくなってきたので、「Yumiさん、温かくなってきたからマフラーを外そう」と話すと、何も云わずにマフラーを外しました。
八幡橋のたもとの古い小さい東海道の道標から約400m歩くと左側に鬼島の立場跡碑があり、さらに約180m歩いた右側に須賀神社がありました。
08時46分、立場跡碑(左側)
09時00分、大楠の木(須賀神社)=右側
神社は古い社が1つと狭い境内があるだけの小さい神社でしたが、狭い境内の片隅に大きな楠の木(県指定の天然記念物)がありました。
二人でお賽銭を上げ、Yumiさんの病気完治と今日の旅の無事を須賀神社の神様に御祈願しました。
旧街道のルートマップは、この先のホームセンターのところのでT字路となり、ここを右折して隣のしずてつストアに沿って直進するようになっていたのですが、造成されたりして少し変わっていました。
現在は、しずてつストアの前を通ってそのまま1号線水守交差点を渡って左に進み、静岡マツダに沿って右折し、20m位先を左折するようになっていました。
新ルートに沿って進むと、天理教の施設付近に木戸門跡があると資料に記されていましたが、領主番所跡の碑がありましたが、木戸門跡は確認できませんでした。
09時16分、領主番所跡(右側)
領主番所跡の先あたりから藤枝の商店街となっていて、歩道に「市の木・松 市の鳥・うぐいす 市の花・ふじ」の絵柄入りタイルが埋め込まれていました。
09時23分、藤枝市のタイル(左側)=コヤマラジオの先
また、大手交差点を左折した付近に大手木戸口跡、問屋場跡があると、藤枝市から頂いた資料に記されていたので、史跡を探しましたが見付けることができませんでした。
旧街道に戻る前、気温の上昇と旅歩きで汗が出るくらいになってきたので、私はフリースを、Yumiさんはアウタージャケットを、それぞれ脱ぐことにしました。
Yumiさんは「脱ぐの」と少し不満そうでしたが、「寒くなったら、また着るから」と話し、納得してもらいました。
大手交差点を渡った所から約400m歩くと、右側に白子由来記の看板が左側に立て掛けられており、これを見ながら商店街を歩くと、右側の蓮生寺の入口に秋葉常夜燈とベンチがあったので、一服休憩(3分)しました。
09時35分、白子由来記碑(右側)
09時39分~09時42分、休憩(秋葉常夜燈:蓮生寺)=右側
その少し先に千歳交差点があり、その先の和菓子屋は「きんつば」が美味しいと聞いていましたが、今日は素通りすることにし、店の角を左に入った所の大慶寺に向かいました。
ここには、天然記念物の「久遠の松」があるのです。
09時51分、久遠の松(大慶寺)=左側
寺院に通じる路地を進むと、正面に「久遠の松」がそびえており、威風堂々とした立派な松だなあと思いながら、写真に収めました。
街道に戻り、約140m歩くと左側に柴田医院があり、医院の道路反対側の歩道に「上本陣跡」のタイルが、約40m先の交番付近の歩道に「問屋場跡」のタイルが、それぞれ埋め込まれていました。
09時58分、藤枝宿・上本陣跡(右側)
本陣跡と問屋場跡の碑は、最初見付けられなかったので、近所の方に聞きました。
近所の方が「今、人のいる辺り」と教えて下さいましたので、云われた辺りを探しましたが、見付けられずにいると、教えた方が来られて、「これですよ」とタイルを指され教えて頂きました。
歩道は工事中で、工事用のガードフェンスの足場などが史跡のタイルの上にあったりして、見付けることが難しかったということもありましたが、タイルで史跡が表示されているとは考えなかったので、ビックリしました。
10時00分、問屋場跡(右側)
本陣跡のタイルを確認し、旅を続けると、約10分先の瀬戸川に架かる勝草橋を渡った直ぐ右側に、日本橋から48番目のフェンスに囲まれた一里塚跡がありました。
10時09分、048志田一里塚跡(右側)
一里塚跡碑の先に観光案内板が建っていて、一里塚の向かい側を約100m行ってところが田沼街道の終点と記されていたので、道標などがあるのかなと思い寄り道をしてみましたが、時間と労力を費やしただけで、何も見付けられませんでした。
この頃になって歩き旅に気を取られ、出発してからトイレに行っていないことに気が付きました。
しかし、この辺りにはコンビニもないので、そのままスーパーやコンビニを探しながら旅を続けていると、街道から少し外れたところにスーパー(パロー藤枝店)を見付け、立ち寄ることにしました。
スーパーのトイレを拝借し、二人ともスッキリしたところで、歩き旅をまた続けました。
旧街道に戻り、青木交差点を渡り(歩道橋がありましたが、左右を確認して横切らせて頂きました)、左側に小さい祠が祭られた津島神社あり、それを横に眺めながらスーパー西友を過ぎた先の交差点を渡った角に、さわやか住宅という会社があり、その脇にベンチがあったのでひと休みしました。
10時44分、休憩(さわやか住宅・ベンチ)
ベンチの処に立て看板があり、「しばしの休憩、店内のトイレ利用、飲み物も用意している」などと街道の旅人には嬉しいことが書かれていましたが、なんとなく店内には入りづらかったので、ベンチだけ使わせてもらいました。
旅をする人には有難い看板とベンチです。
有り難うございます。
私とYumiさんは、ザックを外し、持参したお菓子と飲み物で小腹と喉を潤しましたが、日蔭と北風で体が冷えてきてしまい、5分ほどの休憩で出発することにしました。
休憩を終え、ザックを背負って出発し、約160m歩くと左側に田中藩領傍示石、さらに約170m歩いた十字路の左角に六地蔵、そして約300m歩くと左側に追分の碑が建っており、それらを過ぎた前方に松並木が見えてきました。
10時52分、田中藩領傍示石蹟(左側)
10時57分、六地蔵(左側)
11時00分、追分の碑(左側)
11時05分、瀬戸新屋の松並木
道の両側で10本くらいと本数は少ないのですが、街道に松並木があると気持ちが和み、街道にピッタリの構図なので、これからも大切に保存してほしいと思います。
松並木をすぎると、右側の亀や濱中商店から約110m先の左側に「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」の案内看板が建っており、立ち寄りました。
11時09分、千貫堤・瀬戸染飯伝承館(左側)
千貫堤は、田中藩が大井川の氾濫から村民を守るために江戸時代の初期に造った堤防で、当時のお金で千貫掛かったところから名付けられたと云われています。
また、瀬戸染飯は、くちなしの実で黄色に染めたおこわとのことだそうですが、伝承館で販売していないのは残念です。
伝承館なので、販売してほしいと思いましたが、人があまり来ないから売らないのかな、とも思いました。
伝承館は、質素な小さい建物の中に写真や道具が飾れており、記帳ノートがあったので二人の名前を記しましたが、今日の記帳は私達二人が最初でした。
また、スタンプがあったので、今日の到着地で掲げる用紙に祈念の押印をしました。
街道に戻り約30m進むと、右側の石野モータースの隣に茶屋跡の碑が建っていました。
11時17分、染飯茶屋跡碑(右側)
石野モータースから約270m歩くと、交差点を過ぎたバス停付近に田中藩領傍示石が建っていました。
11時23分、田中藩領傍示石蹟(左側)
そろそろお昼近くになり、
Y=お腹が空いた
E=食事ができる処がないかと探しているんだよ
Y=ないね
ということで、少し我慢してもらい、旅を続けました。
田中藩領傍示石蹟から約850m歩くと瀬戸橋があり、橋を渡った左側に明治天皇小休息の碑が建っていました。
そして、その少し先に松並木があり「上青島松並木」と命名しました。
※上青島松並木(勝手に命名)
そして松並木が終わった先(瀬戸橋から約160m)の左側に、日本橋から49番目の一里塚跡があり、石柱が建っていました。
11時40分、049上青島一里塚跡(左側)
跡碑の周りは、ガードレールと駐車場だけの閑散とした場所でした。
一里塚跡から約650m先で旧街道と1号線が合流(一里山交差点)するのですが、約50m手前に食事処の看板が建っていたので昼食に入ることにしました。
11時45分、そばお食事処「さんし」着
店舗は、ごく普通のお店で、いろいろなメニューが掲げられていました。
Yumiさんに食べたいものを聞くと、何でもいいと云うので、店主にお奨めはありますかと聞くと、ごはんが美味しいと云われていると云うので、天丼を注文しました。
天丼は、海老や野菜などの天ぷらが盛られ美味しかったです。
※食べる方に気が行ってしまい、写真を撮るのを忘れました。
天気は晴れて、さらに温度が上昇してきたので、店を出る前に、私はチョッキを脱ぎ、Yumiさんはフリースをチョッキに着替えました。
E=ご馳走様でした。美味しかったです。
店主=気を付けて
と声を掛けられ、「有り難うございます」と返事して店を後にしました。
12時22分、そばお食事処「さんし」発
街道は、昼食を食べた店から約50m歩くと1号線と合流する一里山交差点で、約350m先に藤枝市から島田市に入る市境標識柱が建っていました。
12時27分、市境標識柱(藤枝市から島田市)
昨日から静岡市から藤枝市を歩き、そして日本橋から200㎞以上離れた島田市に来ました。
継続することは凄いことだなあと思いましたが、まだ先があるので、思いに浸る暇もなく歩き始めました。
歩き旅は、この先で右方向に進むため、1号線を車の往来を見ながら左から右に横切り、六合駅入口に通ずる交差点(市境標識柱から約600m)を斜め右に進みます。
そして、道悦島西交差点(六合駅入口交差点から約550m)でまた1号線と合流し、栃山橋東信号で進行左側に渡って約30m先の左側に、昭和天皇の碑が建っていました。
12時49分、昭和天皇御巡察之碑(左側)
旧東海道を歩き旅をしてきた中で、明治天皇が小休息した場所の碑は数多く見てきましたが、昭和天皇に関する史跡(碑)を見るのは今回が初めてです。
街道は、栃山川に架かる栃山橋を渡り、御仮屋交差点を左方向に分岐して本通りを進みます。
旧街道を外れることなく旅を続けていると、北風が吹き始めYumiさんが寒いと云うので、チョッキを脱いでアウタージャケットを着ました。
Y=(ピンク色のフリースを着ると思っていたようで)え、これを着るの?
E=この方が風が入らなくて温かいよ
Y=ふーん
と云って、そのまま黙って着ました。
御仮屋交差点から約950m歩くと本通り7丁目交差点があり、交差点から約170m先の右側(虎岩文具店の前)の街道沿いに、日本橋から50番目の一里塚跡があり、石柱が建っていました。
13時13分、050島田一里塚跡(右側)
この一里塚の碑も書かれている面が街道側に建っているので、車が通らなくなった間隙をぬって写真を撮りました。
危ない思いをしながら写真を撮り、約300m先の本通り5丁目交差点の手前左側に、二つの碑が並んで建っていました。
一つが刀匠島田顕彰之碑、もう一つが問屋場跡碑。
13時16分、刀匠島田顕彰之碑(左側)
※島田宿問屋場跡(左側)
本通り5丁目交差点を渡り、約60m先の交差点手前の左側に、吉村鯛焼屋がありました。
13時20分、吉村鯛焼屋(左側)
私は、ここで鯛焼きを買って、新幹線で食べようと考えていたので、途中でのお菓子の購入を控えていました。
店は新しいビルで、鯛焼き屋とは思えない店内に、5人くらい並んで焼き上がるのを待っていました。
Yumiさんは1つで良いと云うので、約10分待って3つ(@120円)買いました。
おやつに食べる鯛焼きが入った袋を持ちながら、次の史跡巡りに向かいました。
店の前の交差点を渡った反対側を左に進むと、遊歩道となっている「おび通り」があり、通りの入口にカラクリ時計台が建っていました。
13時32分、カラクリ時計台(右側)
時計台の下に、下本陣(置塩家)跡碑が建っていました。
13時32分、置塩家下本陣跡(右側)
下本陣跡から約40m先に、道路を渡った右角に天野屋呉服店があり、中本陣(大久保新右衛門家)跡碑が建っていました。
13時34分、大久保家中本陣跡(右側)
そして、約30m先のホテル三布袋の前に、上本陣(村松家)跡碑が建っていました。
13時36分、村松家上本陣跡(右側)
上本陣跡から約100m歩くと、本通り2丁目交差点となり、今日の到着地に着きました。
到着地の交差点角で、到着の看板を掲げ、写真を撮って今日の旅を終了しました。
13時39分、島田・本通り2丁目交差点着(到着地)
【帰路】
到着地の交差点から約320m歩くと、JR島田駅です。
13時45分、島田駅着
駅舎やロータリーは新しくなっており、駅舎を背景に写真を撮って駅に向かいました。
また、世界一の木製架け橋である蓬莱橋は、温かくなる4月頃になったら見に行こうと思います。
13時54分、島田駅発(静岡駅着、14時20分)
静岡駅までの普通列車は3両編成で、藤枝駅まで乗っていた高校生が多く、座席はほぼ塞がっていました。
14時48分、静岡駅発(新幹線こだま)
列車に乗るまで時間があるので、ホームのベンチに座り、先ほど買った鯛焼きを食べました。
あんこがたくさん詰まっていて、食べた後も甘ったるさがなく、さすが人気の商品だなと思いました。
こだまの車内は空いていて、自由に選べる状態でした。
曇っていた空は晴れ渡り、車窓から富士山が綺麗に見えるのでシャッターを何回か押しましたが、新幹線が早く、思い通りの写真は撮れませんでした。
※車窓からの富士山
15時40分、小田急・小田原駅発
15時36分に小田原駅に着き、新幹線から小田急線に乗り換えましたが、ホームに降りると快速急行が発車するところで、運良く乗ることでき、最寄り駅に帰ってきました。
【総括】
今回の旅は、二日間で29.7㎞と30㎞弱の短い歩き旅でしたが、Yumiが1日目に足裏が少し痛いと云っただけで、事故に遭うこともなく風は吹いていましたが、天気にも恵まれ無事に終わることができました。
Yumiさんは履いているウォーキングシューズが馴染んできたこともありますが、足の筋肉が丈夫になってきたこともあると思います。
この先、大きな高低差がない状態がしばらく続く見込みなので、問題なく歩けると思います。
《旅の思い残し》
正月に再度訪れた薩埵峠と由比宿の時と同じように、石部屋で食べた安倍川もちと食べられなかったからみ餅を買い、御羽織屋で見られなかった秀吉から拝領の御羽織、徳川家康から拝領の茶碗を見せて頂いて、十団子を買い、今度は写真をしっかりと残したいと思います。
【次回の予定】
次回は、2月9日~2月11日の三連休を利用して二泊三日で旅をしたいと考えています。
Yumiさんが認知症を発症してから蓼科の山荘を除いて、知らない旅館やホテルに2泊する旅行をしたことがないので、体力的にどうなのか、病気は大丈夫か不安なことは多々ありますが、決行することにしました。
そのため、旅だけでなく1日目の2月9日は金谷宿・金谷一里塚までにして、掛川でレンタサイクルを借り掛川城を見学したいと思います。
Yumiさんの病状は、少しづつ進行しているので良くはありませんが、旅を続けられる状態にあるので、街道で私達を見掛けましたら、声を掛けて下さい。
応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
専用メール eiyumitokaido@yahoo.co.jp
【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され、街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道を歩くため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
https://michinoku-trail.blog.jp/