旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2013年03月

【天候】曇りのち晴れ、風強し
【宿場】(29)浜松宿
⇒(30)舞阪宿⇒(31)新居宿
【行程】歩行距離=16.20㎞ 総距離=278.94㎞

浜松・伝馬町交差点⇒(2.42㎞)⇒062若林一里塚⇒(4.35㎞)⇒063篠原一里塚⇒
(1.70㎞)⇒坪井町北交差点
⇒(3.19㎞)⇒
064舞阪一里塚⇒(4.54㎞)⇒
新居町駅前・地下道横断歩道信号
【ルート図】
 宿場(黒囲みが第18回旅の宿場)
10 18回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第18回
 第18回の旅ルート
 
(浜松・伝馬町交差点⇒新居町駅前・地下道横断歩道信号)

第18回ルート
【旧東海道の旅】

《トイレ》
朝、4時頃に目を覚ましトイレに行くと、入れ替わりにYumiさんがトイレに行きました。
Yumiさんのトイレ通いは、前回の旅の時ほどではありませんが、起きるまでに何回か通いました。
自宅でもトイレ通いはありますが、知らない場所だと不安なのか、通う回数が普通ではありません。
《身支度》
5時30分、起床
Yumiさんのトイレ通いで目を覚まし、うとうと状態でホテルのモーニングコールの音が鳴り、ベッドから出て朝の支度に取り掛かりました。
Yumiさんは、トイレに行った時に、併設されている洗面場を見ているのですが、洗面場がどのようなところなのか分からなくなっており、
E=顔を洗いに行くよ
Y=何処に?
E=こっち
とトイレと併設している洗面場に連れて行き、歯ブラシに歯磨き粉を付けて渡しました。
歯ブラシに歯磨き粉を付けるのは、Yumiさんにやらせたらと思うのですが、やり方を教えても記憶できないので、私が介護します。
Yumiさんが歯磨きをしている間、私は髭剃り(電動髭剃りを持参)をしていました。
洗顔後、昨日の朝と同じように、膝痛対策のケア(シップ薬と塗り薬)を行い、寝る前に用意しておいた服に着替えましたが、下着と靴下(2重の内側)のみ新しいものに替え、それ以外は前日のものを今日も着ることにしました。
朝の支度を整え、ザックの荷造りを行い出発できる状態にして、朝食を食べに1階の会場に行きました。

《朝食》
朝食は7時からと聞いていましたが、少し早い時間から食べさせている処もあるので行ってみると、既に7~8人の人が待機していたので、Yumiさんと空いている席に座り開始を待ちました。
7時にバイキング方式の食事となり食べ始めると、同じテーブルに福島県から来たというご婦人が座り、少し話しをしました。
ご婦人は、東日本大震災で一時避難したこと、多くの方々に支援頂いたことを話しておられましたが、私は今日の旅のことを考えながら話しをしていたので、どのような話しをしたのかよく覚えていませんでした。
また、Yumiさんは「大変でしたね」を何回も連発して相槌を打っていたので、後で「どんな話しだった」と聞くとまったく覚えていませんでした(大笑い)。
食後、福島のご婦人に挨拶し、部屋に戻ってトイレを済ませ、フロントでチェックアウトしてホテルを出ました。
《移動》
07時33分、ホテル発
001 ホテル正面玄関
ホテルを出て今日の出発地に向かったのですが、道を間違えて浜松駅の方に向ってしまい、地図を確認して伝馬町交差点(今日の出発地)に行く道に戻り、迷路の地下道を潜って出発地に立ちました。
【=旅=】
07時44分、浜松・伝馬町交差点(出発地)
003 伝馬町交差点(出発地)
出発地で、出発の儀式(出発地を記した看板を持ったYumiさんを撮影)を行い、旅を出発しました。
今日の旅は、浜松の神社の総社となっている松尾神社に参拝したいと考えていたので、まず松尾神社に向かいました。
松尾神社は伝馬町交差点から約260m先の松尾小路に入った右側にあり、境内奥の左側に本殿が建っており、お賽銭を奉納(投げ入れない)しYumiさんと一緒に、「Yumiさんの病気完治と旅のご加護」をご祈願しました。
07時47分、松尾神社(本殿は奥のお宮の左側)=右側

005 松尾神社・入口
参拝後、旧東海道に戻り約170m先の横島ロープを過ぎた右側に、東海道の雰囲気を漂わす理髪店がありました。
07時54分、かみゆい伽羅(右側)

010 かみゆい伽羅
開店していたら店の中を見たかったのですが、時間が早くてまだ開いていませんでした。
かみゆい店から約170m歩くと瀧口歯科医院があり、その手前の右側に、浜松名物の浜納豆の店がありました。
08時00分、浜納豆(右側)
013 浜納豆・店内
時間が早かったので、閉まっているだろうと思っていたら、開店していました。
E=時間が早かったので、閉まっていると思っていました
店主=7時30分頃には、店を開けているんですよ
E=買いたかったので、助かりました
浜納豆は、納豆の一種で、煮た大豆に麹・小麦粉をまぶして発酵させ、塩汁に漬けたのち乾燥して山椒・生姜などの香料を加えたもので、お茶漬けなどに合いそうで、食べたことがない私は、ぜひ買いたいと思っていました。
店主に「お土産には小さいのか、少し量の多いのが良いですよ」と勧められたので、少し量の多い方(610円)を買いました。
お店の商品は、写真の通り、往時のままの陳列棚に並んでいました。
落ち着いた、風情のある陳列を見て、子供の頃を懐かしく思い出しました。
浜納豆の店の直ぐ隣が瀧口歯科医院で、医院の前に文字が消された標柱が建っていました。
何故消したのかわかりませんが、調べた資料には「西番所跡」と記されていたので、西番所跡だと思ういます。
08時03分、西番所跡(右側)
015 西番所跡
文字を消した理由はいろいろあるのでしょうが、早く明示してほしいと思います。
旧東海道は、直ぐ目の前の成子交差点を渡って左折し雄踏街道に入り、約180m先の菅原町交差点を左折します。
菅原交差点を左折する角にレストランデニーズがあり、左側に子育て地蔵尊が建っていました。
08時07分、子育て地蔵尊(左側)
017 子育て地蔵尊
この地蔵尊は、長年子供に恵まれなかった町民が、願をかけたところ子供が授かったといわれ、戦前は今はありませんが地蔵堂に集まり、7月24日には地蔵盆を盛大に催していたそうです。
地蔵尊の角を左折して約270m歩くと大久保消化器病院があり、その先を左に入った処に「堀留ポッポ公園」があり立ち寄りました。
08時12分、堀留ポッポ公園(右側)
019 堀留ポッポ公園
公園は旧国鉄の引き込み線の跡で、レールをイメージしたタイル歩道を歩くと、蒸気機関車が展示されていました。
 ※蒸気機関車
020 堀留ポッポ公園
私とYumiさんは入ってきた旧街道には戻らないで、蒸気機関車の横を通り、その先の交差点を渡った処を左折し、JR東海道線のガードを潜り西浅田北交差点で旧街道に合流しました。
西浅田北交差点で国道257号線に入り約260m歩くと新幹線のガードがあり、ガードを潜って森田町交差点を過ぎると左側に大きな建物があり目に留まりました。
08時25分、ABC浜松ルーナ店・ソーレ店(右側)
022 ABC浜松(パチスロ)
この店は、パチンコ・スロットの店で、大駐車場を完備してドデーンと建っていました。
新潟に単身赴任した時、パチンコにはまり、パチンコのチン、ジャラを聞くと、自然とパチンコ店に足が向いてしまって素通りできないほどのやみつき状態となり、パチンコ麻薬を抜くためにチン・ジャラの音を聞かないように、遠回りして帰ったことを思い出しながら歩きました。
パチンコやスロットルは、負けが込んで来た時の引き際が大切で、大やけどしない程度にパチ・スロを楽しんでもらいたいと思います。
パチンコ店の前から約300m歩くと道路の反対側の静岡トヨペットを過ぎた先に小さな橋が架かっており、この橋が鎧橋で左側の橋のたもとに史跡の碑が建っていました。
08時29分、鎧橋碑(左側)
023 鎧橋
橋名の由来は、平安時代の頃、比叡山の僧兵が鴨江寺(現浜松)を攻めたとき、鴨江寺側の軍兵はこの辺一帯の水田に水を張り、鎧を着てこの橋の守りを固めて戦い、その後鎧橋と称するようになったと伝えられているそうです。
鎧橋を渡り約330m歩くと左側に、日本橋から62番目の一里塚跡があり、跡碑が建っていました。
08時32分、062若林一里塚跡(左側)
026 若林一里塚跡
日本橋から62番目の一里塚跡は、石碑と解説パネルが建っていました。
一里塚から約70m先に東若林交差点があり、交差点を過ぎた処に北堂(右側)と南堂(左側)の二つお堂がありました。
08時36分、二つお堂
 ※北堂=阿弥陀如来が祀られている(右側)
033 二つ御堂
右側の北堂は、奥州平泉の藤原秀衡が京で病に倒れたと聞いた愛妾が、都に駆けつける途中この地で秀衡死去の知らせを聞き、菩提を弔うために建てたというお堂です。
 ※南堂=薬師如来が祀られている(左側)
030 二つ御堂
左側の南堂は、秀衡死去の知らせは誤報で、病癒えて帰国する途中、愛妾への感謝をこめて、秀衡が建てたお堂である。
そして、北堂の隣りに高札場跡があり、その隣りに馬頭観音がありました。
08時38分、高札場跡(右側)
035 高札場跡
 ※馬頭観音(高札場の隣り)=右側
037 馬頭観音
馬頭観音から約150m先と約250m先の左側に点在する形で、東若林松並木(私が勝手に命名)があり、東海道の名残りを残していました。
08時43分、東若林松並木
038 東若林松並木
  ↑約250m先の松並木=通り過ぎる辺りで、振り返って撮りました
松並木を過ぎた先の交差点(左側に静岡銀行可美支店)から約140m歩いた左側の南部保健福祉センターの前に、可美小学校跡の碑があり、碑のところに植樹された桜が開花していました。
08時50分、可美小学校跡&開花した桜
044 可美小学校跡
 ※開花した桜
046 桜の開花
東京はまだ開花していないので、浜松の方が温かくて早いのでしょう。
桜の開花はまだだろうと思っていたので、思わぬプレゼントを頂いたようで嬉しくなり心が和みました。
Yumiさんに「桜が咲いたよ」と話したのですが、少しだけだったのか「あー、そう」との返事に、拍子抜けしました。
また、約300m先の広隆寺(右側)に入って行く道の角の民家の庭に、夏みかんが沢山の実を付けていました。
08時56分、夏みかん(右側の民家)
047 夏みかん
夏みかんの味は分かりませんが、美味しそうにぶら下がっていたので、Yumiさんの反応は、桜より夏みかんの方が良かったように感じました。
夏みかんが実っていた家から約300m歩くと可美小学校東交差点があり、交差点をそのまま通り過ぎ約150m歩くと本田鉄工所があり、その先の右側に「洋品のワタナベ」がありました。
ここには、東海道53次の手ぬぐい・タオルが売られているらしいというので立ち寄りましたが、品切れで現在は扱っていないとの返事にガッカリしました。
地図と睨めっこをしながら店を探し当てたのに、残念でした。
洋品のワタナベから約170m歩くと、右側に諏訪神社があり参拝に立ち寄りました。
09時06分、諏訪神社(右側)
049 諏訪神社
諏訪神社は、Yumiさんの母親の生まれ故郷が下諏訪の諏訪大社秋宮の直ぐ近くなので、Yumiさんと結婚してから毎年参拝しており、他の神社にはない親しみがあります。
そのため、こちらの諏訪神社も朝の松尾神社と同じように、お賽銭を奉納し、Yumiさんの病気完治と旅のご加護をご祈願しました。
神社から約100m歩くと右側に増楽郵便局があり、消印のスタンプを押印しようとしましたが、「今日は日曜日だ」と休店のため消印スタンプの押印は出来ませんでした。
今度は、平日に来て、押印したいと思います。
増楽郵便局を過ぎ、約270m歩くと熊野神社参道入口があり、入口を過ぎた右側に高札場跡がありました。
09時12分、高札場跡(右側)
051 高札場跡
右側の可美中学校、その先右側の浜松信用金庫先を過ぎた右側(高札場跡から約350m)に、領界碑が建っていました。
09時18分、堀江領界石碑(右側)
053 堀江領境界石碑
境界石碑から約80m歩いた先の単身者用アパートの前に、高札場跡と秋葉常夜燈跡の標柱が建っていました。
09時23分、高札場跡&秋葉燈籠跡(右側)
055 高札場&秋葉燈籠跡
今日の旅歩きは、ホテルを出発してから約2時間近く経過するので、Yumiさんに「休憩できる場所があったら休もう」と話しながら歩いていると、バス停(高塚)のベンチが目に入り、誰もいないので借用させて頂いて座りました。
09時29分~09時35分、休憩(バス停ベンチ)=右側
ザックからお菓子とペットボトルを出し、食べながらひと休みしました。
休憩しているとバスが走って来るのが見えたので、手で☓印を示して乗らない意思表示をすると、バスは停車しないでそのまま通り過ぎていきました。
Y=そんなこと(私が手で☓印をしたこと)したら怒られるよ
E=乗らないでベンチを使っているのだから、バスに教えてあげた方がいいんだよ
と話しましたが、理解できたかどうかは分かりません。
短い時間ですが、ひと休みして元気になったので、出発です。
高塚駅入口交差点の手前の歩道に、あまり見たことがない鉄蓋がありました。
09時38分、消防車の消火栓蓋(右側)
057 消火栓蓋
旧東海道は高塚駅入口の交差点を過ぎ、その先の広い交差点を渡り約350m歩くと分岐しており、分岐のところに道標が建っていて、右に進みました。
09時44分、東海道・篠原道標(分岐点)
058 東海道篠原道標
分岐して約160m先の左側にローソンがあったので、トイレを借用し、おやつのお菓子を買いました。
09時47分~09時52分、休憩(ローソン)=左側
ローソンを出て、真っ直ぐに伸びた旧東海道を約220m歩くと、左側に立場跡の標板が建っていました。
09時57分、立場本陣跡(左側)
060 立場本陣跡
立場は、慶長6年(1601)に徳川家康が東海道に伝馬制を定めたことにより出来た宿場と宿場の間の休憩所です。ここの篠原立場は通称「本陣」と呼ばれ、大名や公家などが休憩する「本陣」的な役割を果たしたようで、時には宿泊もあったようです。
当時の建物は二階建てであったが、「安政の大地震」(1854)で破損したため、平屋建てに造りかえられたので、その昔、ここにも大地震の被害が及んでいたことがわかようです。
立場本陣から約140m歩くと右側に東神明宮があり、さらに約220m歩いた右側の小野田さん宅の庭先に、日本橋から数えて63番目の一里塚跡があり、標板が建っていました。
10時03分、063篠原一里塚跡(右側)
064 篠原一里塚跡
一里塚跡から約160m歩いた先の左側に、昔の土蔵のある家がありました。
10時06分、土蔵のある家(左側)
066 土蔵のある家
土蔵は年代を感じさせ、今はどのように使われているのか分かりませんが、大変貴重な建物なので、Yumiさんに土蔵の近くに行ってもらい写真を撮りました。
土蔵から約450m程歩いた左側に、袋井宿の澤野医院を思い出させる古い医院の建物がありました。
10時13分、柳本診療所(左側)
067 柳本診療所
医院は、日曜日でお休みなのか、医院の看板がないので営業しているかどうかも不明ですが、史跡指定されても良いような雰囲気のある建物でした。
柳本診療所から約300m歩くと篠原小学校が左側にあり、校門からさらに約600m歩くと、右側に愛宕神社があり参拝に立ち寄りました。
10時23分、愛宕神社(右側)
069 愛宕神社
愛宕神社もお賽銭を奉納し、Yumiさんの病気完治と旅のご加護をご祈願しました。
神社を出て、旧街道を真っ直ぐに約500m進むと、道幅の広い交差点に着きました。
10時31分、坪井町北交差点着
071 坪井町北交差点
この交差点が今日の旅の半分のところで、
これから舞阪の松並木、浜名湖を渡り静岡県と愛知県の県境にある湖西市に入ります。
私の花粉症は、昨日と同じように鼻水がダラダラ、くしゃみの連発、目のかゆみの三重苦で、最悪の状態が続いています。
Yumiさんは、多少花粉症の症状が出ていますが、私と比較したらかなり良い状態で、助かっています。
二人が私と同じ状態だったら、旅どころではなくなっているからです。
この時間になると、気温もかなり上昇しており、Yumiさんの状態を見ると汗はかいていないようですが、汗をかく前に衣服調整することにしました。
10時36分~10時38分、衣服調整
坪井町北交差点から約250m歩くと右側に稲荷神社の参道があり、衣服調整を兼ねて休憩に立ち寄りました。
稲荷神社の処で、私がチョッキを、Yumiさんがフリースを脱ぎ、併せて水分補給し、ひと息ついてまた旅に出発しました。
稲荷神社から約300m歩くと道路の反対側の理容きいがあり、さらに約100m歩いた右側に、秋葉山常夜燈がありました。
10時43分、秋葉山常夜燈(右側)
073 秋葉山常夜燈
常夜燈の石燈籠は、建屋の中にあり、灯りがともるのですが、現代はしめ縄の上に取り付けられた蛍光灯がともるようです。
常夜燈から舞阪の松並木までの間は、見学したいと思うような史跡がなかったので、周りをきょろきょろしながの旅となり、約750m歩くと右側に東本徳寺がありました。
10時52分、東本徳寺前(右側)
日蓮宗の寺院で、本徳寺時代の泉光坊が改称され東本徳寺となった寺院です。
東本徳寺から約130m歩くと、西本徳寺がありました。
10時54分、西本徳寺前(右側)
永徳元年(1381年)開創の日蓮宗の寺院で、本徳寺時代の大泉坊が改称され西本徳寺となった寺院です。
西本徳寺から馬郡跨線橋南交差点を過ぎた左側に、春日神社がありました。
10時56分、春日神社前(左側)
永徳元年(1381年)秋に、甲斐国の沙門が神仏の深理を人々に悟し、人々が一社の建立を願い、応永2年(1395年)に開かれたようです。
《舞阪の松並木》
春日神社から約140m先の舞阪駅南入口を過ぎ、野寄工業所の前に舞阪松並木の道標があり、ここから舞阪の松並木が始まりました。
11時01分、東海道・舞阪松並木道標(右側)
078 東海道・舞阪道標
松並木は、全長約700mの間に、約340本の松が左右に植樹されており、進行方向左側に五十三次の銅版が石碑に埋め込まれ、右側(Yumiさんが立っている側)に12干支の石像の碑があります。
五十三次の碑と12干支の両方を見て歩くことは、車が頻繁に走る道路を何度も横切って往復しなければならず、とても両方を見ることは難しいので、五十三次の碑を眺めながら歩くことにし、Yumiさんと私の干支の碑だけ見ることにしました。
 ※松並木の始まり
075 舞阪松並木
  ※舞阪の松並木
080 東海道・舞阪松並木
《五十三次の碑》
五十三次の碑の中で、①東海道の東の起点となる日本橋、②現在いる舞阪宿、③西の起点となる京都三条の三箇所を写真に残しました。
  ※日本橋(東海道の東の起点)
077 松並木・日本橋碑
  ※舞阪(江戸から30番目の宿場)
083 松並木・舞阪
  ※京都・三条(東海道の西の起点)
085 松並木・京都三条
《干支の碑》
12支の碑は、二人の干支だけを写真に残しました。
  ※Yumiさんの干支
082 干支の碑:虎年
  ※Eiさんの干支
090 干支の碑・亥年
東海道の名残りを残している全長700mの舞阪松並木の終わりに、トイレがあったのでYumiさんに聞くと「寄らなくてもいい」と云うので、そのまま立ち寄らずに通り過ぎました。
浪小僧の像は、舞阪松並木の終わりに、53次碑(京都・三条)の直ぐ先に建っていました。
11時15分、浪小僧の像(左側)
087 浪小僧像
浪小僧は、妖怪で、ある漁師が遠州灘で漁をしていると、網に奇妙な生き物が引っ掛かってきた。それは浪小僧であった。漁師はこれを殺そうとしたが、浪小僧は「命を助けてくれたならば、お礼に雨や嵐の時にお知らせします」と願い出た。漁師はそれを聞いて、海に帰してやった。それ以来、浪小僧が海鳴りで天候を知らせるようになったと伝えられている。
松並木が終わった先の新町交差点で国道1号線が斜めに交差していましたが、旧街道は新町交差点を真っ直ぐ渡ります。
なお、松並木が終了する辺りの史跡は、五十三次京都三条(左)⇒浪小僧(左)⇒12支(亥)・(右)の順に建っていますが、史跡を整理して掲載するため、見た順序を変更していますので、ご注意下さい。
新町交差点から約110m歩くと、見付石垣が道路の両側に残っていました。
11時22分、見付石垣(両側)
091 見付石垣
見付石垣は、
舞阪宿の東はずれに位置しており、石垣の起源の詳細は明かでないが、宝永6年(1709)の古地図には既に存在している。ここは見張所にあたり、大名が通行の時などには、六尺棒を持った番人が立ち、人馬の出入りを監視するとともに、治安の維持にあたった所だそうです。 
見付石垣の直ぐ先の左側にホワイト急便があり、その隣に新町常夜燈と日本橋から64番目の一里塚跡がありました。
11時24分、新町常夜燈(左側)
099 新町秋葉常夜燈(左)
浜松宿内の常夜燈は、石燈籠が建屋の中にありましたが、宿が舞阪宿になると建屋がなくなり石燈籠の常夜燈になりました。
そして、新町常夜燈の直ぐ隣りに日本橋から64番目の一里塚跡があり、石柱が左右に建てられていました。
11時25分、舞阪一里塚跡(左側)
095 舞阪一里塚跡(左)
11時26分、舞阪一里塚跡(右側)

097 舞阪一里塚(右)
一里塚跡から約110m歩くと平野生花店をがあり、生花店を過ぎた路地の左側に仲町常夜燈が建っていました。
11時33分、仲町常夜燈(左側)
101 新町常夜燈(右)
仲町常夜燈は、文化6年(1809年)に舞阪宿の大半を焼き尽くす大火があり、火防の山、秋葉信仰の高まりと、仲町の願いにより4年後の文化10年5月に建立され、高さは台座ともで2.7mだそうです。
仲町常夜燈から約100m先の右側に、宮崎本陣跡がありました。
11時41分、宮崎本陣(宮崎伝左衛門)跡(右側)
104 舞阪宿・本陣跡
舞阪宿には、本陣(宮崎伝左衛門)、本陣の2軒先に相本陣(源間徳右衛門)があり、相本陣の向側に脇本陣(茗荷屋、堀江清兵衛)がありました。
宮崎本陣跡には石碑が建っていましたが、源間本陣跡は何もありませんでした。
宮崎本陣の斜め向かい側に、脇本陣の復元建物がありましたが、昼食後に見ることにして食事をする「魚あら」に向かいました。
《昼食》
11時46分~12時30分、昼食(魚あら)=左側
109 魚あら
この店は、この界隈では有名な店で、休日の昼ということもあり既に満席になっていました。
名前を書いて待っていると、名前を呼ばれ湖が見える窓際の良い席に案内されました。
食事は、いけすで直前まで生きていた海老を使う、「活天丼」を注文しました。
112 魚あら・活天丼
活天丼は、海老の他に魚や野菜の天ぷらがのっており、小鉢の岩のりは久し振りに食べたのですが、とても美味しかったです。
二人とも残すことなく綺麗に食べ切り、満腹になって店を出ました。
店を出て、昼食の前に立ち寄らなかった脇本陣に戻りました。
12時32分~12時47分、脇本陣(茗荷屋、堀江清兵衛)=左側
106 舞阪宿・脇本陣
本陣は大名・公家・幕府役人などが宿泊したり、休憩するための施設で、脇本陣は本陣の補助的旅舎で、副本陣にあたります。平常は、旅籠屋を営んでいるが、大通行のときなど、本陣の利用が重なった場合には本陣の代わりをつとめました。脇本陣は、本陣と同じく宿場の有力者が選ばれ、江戸時代中期以降に出現しました。
天保9年(1838年)建築の旧脇本陣「茗荷屋」(みょうがや)の上段の間があった書院棟が残されていた、旧東海道では唯一の脇本陣の遺構なので、この貴重な脇本陣を後世に伝えようと、建物が復元されたそうです。
旅の中でもなかなか見学ができない施設なので、ぜひ見たいと思ってここに来ました。
遺構として残っていた書院棟の上段の間は、仕切りもなく座布団が敷いてあり座っても良いみたいなので、交代で座りました。
 ※お殿様が座った上段の間
114 脇本陣・床の間
最初「ダメなのよ」と云ってYumiさんが座らなかったのですが、私が「仕切りもなく、座布団が敷いてあるのだから座ってごらん。怒られたら謝ればいいよ」と云うと、やっと納得して上の写真のとおりに座ってくれました。
脇本陣の建物をひと通り見学し、入口に置いてあった街道スタンプを押印するなど、短い時間でしたが、のんびりとした気分で過ごしました。
ところが、見学を終えて入口で靴を履き直し外に出ると、風が一段と強くなっていました。
昼食を食べた「魚あら」に行く交差点の左角に西町常夜燈が、西町常夜燈の斜め向かいの交差点の反対側に本雁木跡がありました。
12時48分、西町常夜燈(左側)
121 西町常夜燈
12時50分、渡船場・本雁木跡(左側)
124 渡船場・本雁木跡
雁木とは階段状になっている船着場のことで、舞阪では「がんげ」と昔から云っている。
舞坂宿には三ヶ所の渡船場があったが、一番南側は主に荷物の積み降ろしをした渡荷場(とうかば)、真ん中は旅人が一番多く利用した主要渡船場で本雁木(ほんがんげ)と呼ばれている。
交差点を「魚あら」と反対の右方向に曲がり、約80m歩いた左側に北雁木跡がありました。
12時53分、北雁木跡(左側)
127 渡船場・北雁木跡碑
北雁木は、主に大名や幕府公用役人が利用したところで、往還から幅十間(約18m)の石畳が水際まで敷きつめられた浜名湖今切渡しの舞坂宿側の渡船場後で、明暦3年(1657年)から寛文元年(1661年)にかけて構築され、江戸時代には災害で幾度か修復されたそうです。
北雁木跡の辺りは風が強く、帽子が飛ばされそうなので、Yumiさんも帽子を取って歩きました。
北雁木跡から約170m歩いた右側に舞阪文化センターがあり、ここに街道スタンプが置いてあると調べた資料に記されていたので、立ち寄りましたが「そんなものはありません」とあっさり云われてしまいました。
立ち寄った舞阪文化センターから街道に戻り、浜名湖に架かる最初の橋(橋名は?)を渡る時は、さらに風が強く吹いており、15m以上ではないかと思うくらいでした。
私の花粉症は、台風の襲来のごとく鼻水はダラダラ、目はかゆかゆ状態で、早く旅を終わらせたいという気持ちに、東海道の旅に出て初めてなりました。
橋(橋名不明)を渡り、ホテル開春閣の手前の左側に、赤い社の弁天神社があったので立ち寄ると、境内の一角に正岡子規の句碑が建っていました。
13時06分、弁天神社(左側)
133 弁天神社
 ※正岡子規句碑
134 正岡子規句碑
東海道で、初めて正岡子規の句碑に出会いました。
神社を出た処で旧東海道は国道1号と合流し、信号の先のホテル開春閣を左に見ながら通り過ぎた右側に、弁天島駅がありました。
江戸時代はここから渡し舟で移動していたので、江戸時代の史跡は渡し船が着く新居町駅前までありません。
そのため、浜名湖を吹き抜ける強風にこの後も遭遇するのですが、早く旅を終わらせたいと思ったりはしましたが、ここで旅を切り上げようという気持ちにはなりませんでした。
13時10分、弁天島駅前(右側)
137 弁天島駅
浜名湖で釣りをしている人は居るのですが、強風の影響なのか弁天島駅付近では、一人も人を見かけませんでした。
13時15分、中浜名橋手前
140 浜名湖(中浜名橋手前)
浜名湖をバックにした写真ですが、風が強いためマスクを外さないで撮りました。
橋の上は、風の通り道になるのか、強風の向かい風で、頭を下げないと歩けない状態でした。
橋を渡った新弁天の信号の手前に、浜松市と湖西市の市境標識柱が建っていました。
13時17分、湖西市境の標識
142 湖西市境界柱
静岡県最後の市となる湖西市に入りました。
第7回の旅で箱根峠を越えて静岡県に入ってから静岡県を横切る形で旅をしてきましたが、次回の旅で静岡県から愛知県に入りますが、静岡県は大きい県だと実感しました。
旧街道の両側には松が植樹されているのですが、街道から少し離れたところに立っているので、松並木という感じはしません。
新弁天の信号を過ぎた先の右側に新弁天神社がありました。
13時23分、新弁天神社(右側)
143 新弁天神社
新弁天神社は、直ぐ裏を東海道線の在来線と新幹線が走っている小さな神社でしたが、二人でお賽銭を奉納し、定番となった「Yumiさんの病気完治と旅のご加護」を祈願しました。
旧東海道の直ぐ近くを走る電車の本数は、在来線より新幹線の方が多く、猛スピードで走り抜けていきます。
浜名湖の上を走る新幹線の写真を撮ろうかと考えましたが、風が強いのと花粉症で、写真を撮ろうという気が失せていて写真は撮りませんでした。
13時30分、西浜名橋(出発)
145 西浜名橋
浜名湖に架かっている三本目の西浜名橋です。
写真では分かりませんが、湖の波はうねっており、魚釣りにきていた人も「この風ではダメだ」と云って、釣り場から引き揚げてきていました。
今のYumiさんは、撮るための位置を口で云っても、手で指示しても通用しなくなっているため、私が両手で直接Yumiさんの体を動かさないとダメな状態になっているので、傍目から見ると何やっているんだろうと思います。
そのため、この写真を撮る時も私が立つ位置を決めている時に、新幹線が後ろを走り抜けてしまいました。
次に来る新幹線の時間が分からないことと、強風の中で待つのが嫌だったので、新幹線が入った写真を撮ることはできませんでした。
結局、西浜名橋は、6分掛かって渡りました。
13時36分、西浜名橋(到着)
少し後ろを歩いているYumiさんを見ると、ザックに入っているはずのフリースを着ています。
浜名湖を渡っている時、強風から体感温度が下がり一人でザックからフリースを出して着たようです。
私は、そのままにして歩いていましたが、風は南風で北風のように寒くはないことと、温度が上昇しているので、汗をかかなければと思いながら歩いていました。
旧東海道は、弁天島駅前付近で国道1号と合流しましたが、国道の右側を歩いてきたので、距離標を確認することは出来ませんでした。
13時43分、新居弁天入口交差点
交差点に着き、今日の旅もあと約500mくらいの処に来ましたが、直線の先に見える到着地は何故か遠くに感じる今日でした。
ここでYumiさんの状況を確認すると、心配した汗をかいているので、再びフリースを脱いでもらいザックにしまいました。
そして、道路の反対側の湖西警察署の前のガソリンスタンドの前を過ぎ、今日の到着地である「新居町駅前」交差点に着きました。
13時53分、新居町駅前交差点着(到着地)
146 新居町駅前交差点
強風の中、花粉症に悩まされた今日の旅は終わり、Yumiさんに到着の看板を掲げてもらい、到着式の儀式(写真撮影)を行いました。
到着式を終わり駅舎に向かって駅前に出て見ると、次回の出発はもう少し先の「新居町駅前地下道横断歩道」信号の方が良いと判断し、到着地を急遽変更しました。
13時55分、新居町駅前・地下道横断歩道信号着(新到着地)
147 新居駅前(到着地)
変更した到着地の看板がないので、当初に計画した看板を掲げてもらい到着式を再度行いましたが、次回の出発の時に改めて到着式を行いたいと思います。
今日の旅は、16.2㎞を6時間20分(休憩・昼食含む)と、2.56㎞/時と少し早いペースでの旅となりました。
これは午後の浜名湖は江戸時代は水上移動で史跡が無いことと、強い風が吹いていたので、足早になっただと思います。
【帰路】
今日の旅の到着式を終え、新居町駅の駅舎に向かい、Yumiさんにジバングで購入した切符を渡し、改札を通りました。
浜松方面の電車の時刻を見ると14時発のため、「Yumiさん、急いで」と急かせてホームに行きましたが、時間になっても電車は来ません。
ホームで風を避けながら待っていると、Yumiさんが寒いと云うので、フリースをザックから出して着させました。
14時05分、新居町駅発
150 新居町駅ホーム
5分遅れて到着した電車は、二人並んで座ることができる程度の混み具合だったので、新幹線に乗る浜松駅までの間(約15分)のんびり過ごすことができました。
《帽子が見当たらない》
さて、隣りに座ったYumiさんが、ガサガサとザックの中の探し物をしているので、
E=何をしているの?
Y=ないの
E=何が?
Y=(帽子の仕草)これがないの
E=ザックの中にないの?
Y=ないの
E=帽子は一番上に入れたよ
Y=ないの
E=さっきフリース(着ているフリースのことを教えて)を取り出した時に落としたのでは
Y=分からない
E=無いものは出てこないし、強い風が吹いているから、どこかに飛んで行ってしまったよ
Y=ふーん
E=明日、帽子を買いに行こう
と話して、終わりました。
Yumiさんが春から秋にかけて一番被っていた大好きな帽子だったのですが、探しに行けないので、諦めるしかありません。
電車は、4分遅れで浜松駅に到着し在来線から新幹線に移動しましたが、新幹線は出発した後で、ホームで約30分待つことになりました。
急いで新幹線のホーム行く必要がないため、Yumiさんをトイレに連れて行ってからホームに行きましたが、ホームには数人いるだけで閑散としていました。
ホームのベンチに座ると咽喉が渇いたというので、ペットボトルと暑かったのでアイスクリームを買い、乗車口の処にザックを置き、近くのベンチに座って咽喉を潤したり、アイスクリームを食べて待ちました。
 ※新幹線浜松駅ホーム
151 新幹線・浜松駅
14時50分、新幹線浜松駅発
乗車した新幹線「こだま」号は50%くらいの乗車率で空いていたので、二人掛けに座りましたが、停車駅ごとに乗客が増えだんだん混んできました。
帰りの新幹線の楽しみは、新富士付近の富士山を車窓から眺めることですが、今日の富士山は頂上付近に雲が掛かっていて、眺めは写真のとおり残念でした。
153 車窓からの富士山(三島)
新幹線は強風の中の走行でしたが、遅れることなく小田原駅に到着し、小田原から小田急線に乗り換え、自宅に帰ってきました。
帰る途中、家に帰って夕食を作るのは大変なので、最寄り駅近くの中華店に立ち寄り夕食を食べて帰りました。
【次回の予定】

次回は、4月に
・1日目=自宅から移動し、新居町駅~二川駅
・2日目=二川駅~名鉄伊奈駅までの旅
・3日目=島田にある世界一の木橋・蓬莱橋を見学
の予定です。
また、二川駅~名鉄伊奈駅の旅の途中で、私達が東海道の旅を始めるきっかけとなった山の師匠であるNさんと出会う予定です。
また、お互いの宿泊が豊橋なので、出会いの乾杯が楽しみです。
この旅の目的の一つにしていたので、今から楽しみです。
これからいろいろな資料を調べて旅の準備を行い、旅に出たいと思います。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール 
 eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


【天候】晴れ・風強し
【宿場】(28)見付宿⇒(29)浜松宿
【行程】歩行距離=13.37㎞ 総距離=262.74㎞

磐田・東町交差点⇒(1.92㎞)⇒059宮之一色一里塚⇒(4.79㎞)
⇒060安間一里塚
⇒(4.46㎞)⇒061馬込一里塚⇒(2.20㎞)⇒(番外編・浜松城)
⇒浜松・伝馬町交差点

【ルート図】
 宿場(黒囲みが第17回旅の宿場)
09 17回宿場
 ↓旧東海道の旅・進捗状況
  
(ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第17回
 ↓第17回の旅ルート
 
(磐田・東町交差点
 ⇒ 浜松・伝馬町交差点)
第17回ルート
【旧東海道の旅】
《支度》
〔衣服〕

朝と昼間の寒暖の差がまだ激しいので、Yumiさんの着るものをどれにしようか頭を痛めました。
一番下に撥水性の良いファイントラックの下着、長袖シャツ、純毛シャツにし、その上に着るコートはフリースを脱着するコートにしようかと考えましたが、脱いだ後のザックへの保管などを考え、シャツの上に裏地付チョッキ、インナーダウン、フリース、薄いジャケットにし、薄いフリースを予備に持参することにしました。
私も、一番下にファイントラックの下着を着用し、半袖下着、春用シャツ、裏地付チョッキ、インナーダウン、ジャケットにしました。
〔ザック〕
Yumiさんのザックは、前の週に参加したウォーキングの用具を再点検し、ザックは二室の下段に折り畳み傘、化粧道具、着替え(下着・靴下)等を、上段は脱いだものが入るように空にしました。
私のザックは、横開きができるドウター30㍑の上蓋付きに変更し、上蓋に血圧計、服用薬、髭剃り、整髪セット、予備電池等を入れ、ザックに応急用品、折り畳み傘、着替え(下着・靴下)等を入れました。
〔ポシェット〕
以前は、ウエストバックにしていたのですが、ポシェットの方が使いやすいので、最近は二人ともポシェットにしています。
財布、パスモ、切符(ジバング)、鍵、カメラなどの貴重品類は、全てポシェットに入れています。
Yumiさんはティッシュを沢山使うので、ポシェットが一杯になってしまうため、携帯電話や手帳などの貴重品類は、ザックの中に入れました。
朝は、磯辺巻にして焼き餅を食べることにし、その準備を行い、
4時に目覚ましをセットし、ベットに入りました。
《準備》
4時、目覚ましを知らせるチャイムで、「Yumiさん、旅に出掛けるよ」と声を掛け一緒に起き、いつもと同じ流れで朝の準備を行い、着替えの前に足のケアをしました。
今日の旅は、ほとんどアップタ゜ウンのない道ですが、Yumiさんの膝痛予防にシップ薬を両足の膝の両側とふくろはぎに貼り、塗り薬も膝~足首まで塗り、その後に私の足のケア(シップ薬は両足のふくろはぎのみと塗り薬を膝~足首)をしました。
また、朝食の支度はほとんど私が行い、Yumiさんは入念に化粧をしていました。
Yumiさんはあまりお餅が好きでないのですが、お餅は腹持ちが良いのと、お腹が空いたら途中で何か食べれば良いと考え、お餅があまり好物でないYumiさんにも食べてもらいました。
そして、準備を整え、予定した時間に家を出発し、途中で乗り換えて小田原に着ました。
《最悪の花粉症》
朝の道中から花粉症の症状が出て、目が痒くて涙目、鼻水がたらたら、くしゃみは5連発、6連発の状態で、ティッシュが鼻のところになかったのは「いつ?」というくらいの状態です。
ティッシュはYumiさんの分も含めて多く持参しましたが、この先足りるのか心配な状況です。
小田原駅でトイレを済ませてから新幹線のホームに行くと、自由席車両の各乗り口は6~7人の人が並んでいたので、こんなに沢山の人が乗るの?と思いながら4号車の乗り口に並びました。
新幹線が入線し、乗車しようとすると誰も扉の前に進まないので、私とYumiが最初の乗車となり、多く人が並んでいたのが数分後に到着する「ひかり」を待っていたことが分かりました。
私は、ひかり号が小田原に停車するとは思ってもいなかったので、乗車待ちの行列が理解できました。
8時03分、小田原発(こだま635号)
こだま号は、各駅で「のぞみ」や「ひかり」の待ち合わせで、各駅とも5分程度停車し下車駅の掛川に到着しました。
途中、三島から新富士間の富士山の眺望を楽しみにしていましたが、薄いもやで鮮明に見えませんでした。
 ※靄に包まれた富士山
004 車窓からの富士山
そして、掛川で在来線に乗り換え、目的地の磐田に向かいました。
静岡県内の在来線の駅は、東京のように電車が停まる位置が明確に明示されていないため、どの番号のところに並んで待ったらよいのか分かりません。
適当に並んでいたら場内放送があり言葉に従って乗り場を替えたら、今まで並んでいた処でも扉が開いていました。
掛川駅に着いた3両編成の電車は、乗車率120%程度の混雑で、とても座れる状態ではありませんでした。
ただ、静岡県内の電車に乗って感じたのは、
①電車の乗り口が、良く分からない
②人の顔を平気で、ジロジロと眺める
です。
特に、人の顔をジロジロと眺められるのは、気分の良いものではないので、やめてもらいたいものです。
これは、歩いていても同じで、特に年配の人に共通しています。
9時30分、磐田駅着
前回の旅で撮れなかった駅舎を撮影し、駅前の善導寺大クスを出発地に行く前に見に行きました。
 ※磐田駅・駅舎
007 磐田駅
9時34分、善導寺大クス(左側)
008 善導寺の大樟(くす)
大クスの樹は、磐田駅を出ると左側にバスロータリーがあり、バス停の隣りの一段高くなった場所にドーンと立っていました。
大くすの樹を記録に残した後、今日の出発地である東町交差点に行きYumiさんに、出発式の看板を掲げてもらいハイ・パチリと、出発の儀式を行って旅をスタートしました。
【=旅=】
09時37分、磐田・東町交差点(出発地)
010 磐田・東町交差点(出発式)
スタート直後は、きょろきょろと左右を眺めたり、持参した地図と見比べるなどして旅に慣れるため、目と頭のストレッチをしながら歩き出しました。
約650m歩くと右側に中泉公民館があり、公民館の前の道路沿いに、江戸時代、大正時代の中泉の絵図が建っていました。
09時48分、江戸時代・大正時代中泉絵図(右側)
013 江戸&大正の中泉絵図
公民館前から約550m歩くと旧東海道が県道に合流し、合流する交差点の右側に明治35年創業で千年長寿祈願の酒を造っている千寿酒造がありました。
先日(8日)、山の会の仲間と行った東京・福生市の石川酒造と違い予約すれば土・日でも見学ができるのですが、立ち寄れば試飲してお酒を買いたくなるので、数日前に酒造見学したので、今日は我慢して立ち寄らずにそのまま先に進みました。
※東京都福生市の石川酒造は、平日のみ見学ができますが、要予約です。
千寿酒造のある交差点から約240m歩くと、右側にパチスロ店JUMBOパークがあり、その屋上から恐竜の頭が見えました。
10時00分、屋上に恐竜(右側)
015 恐竜?
 ※パチスロ店JUMBOパークの恐竜
017 ゲーセンの恐竜
屋上の恐竜を眺めながら店舗を通り過ぎて振り返ると、答えが分かりました。
私は、お店にピッタリの実にユーモラスで、遊び心が一杯なアイデアだと感心しましたが、Yumiさんは「変なの」と云っていました。
JUMBOパークから万能橋交差点を渡り、約250m歩くと日産の販売店があり、それを過ぎた処の下万能バス停の前に、日本橋から59番目の一里塚跡碑が建っていました。
10時08分、059宮之一色一里塚跡(右側)
019 宮之一色一里塚跡
資料では、右に石碑、左に説明板と記されていましたが、左の説明板は確認できませんでした。
右の跡碑は、塚を模した石段を上ったところに、石碑が立てられていました。
一里塚跡碑から約270m歩いた左側に魚勝があり、その手前に木屋で囲まれた常夜燈がありました。
10時13分、秋葉山常夜燈=龍燈(左側)
022 宮之一色秋葉山常夜燈
常夜燈は、木製の建屋の中に石燈籠が置かれており、木屋は平成8年に部分改修し保存されています。
石燈籠は、文政11年(1828年)に作られたもので、竜の彫り物がある竜燈と呼ばれ、数ある灯篭の中でも大変貴重なものだそうです。
木屋は、風除けのために灯篭の周りを板で囲み、上部は灯りが漏れるように格子になっている。
陸の灯台として大活躍し、この先にも数多くの木屋の常夜燈が立っていました。
木屋の常夜燈から約450m歩くと右側にファミリーマートがあり、それを過ぎた左側の久野塗料店の角に「東海道の道標」が立っていました。
10時22分、「東海道と歴史の道」道標(左側)
025 東海道と歴史の道標柱
東海道に残る史跡を大切にしていることが感じる道標です。
道標から約120m先の左側の沿道に、松並木の名残りがありました。
10時24分、宮之一色松並木(勝手な命名)=左側
026 東海道の松
後ろの松から、少し間隔があいた状態で、10本程度の松が立っていました。
松並木を過ぎ、森下交差点の手前で道が分岐し、旧東海道は左に進み森下南交差点を渡ります。
森下南交差点から約300m歩くと右側に若宮神社があり、境内の隣りの森下公園の中に西之宮学校跡の碑が建っていました。
10時33分、西之宮学校跡(右側)
030 西之島学校跡
西之島学校は、明治3年に豪農の熊谷三郎馬が静岡藩士の大久保おろかを招いて開いた私塾で、その後学校になったそうです。
公園から旧街道に戻り約500m歩くと県道262号線の交差点があり、交差点を右折して天竜川橋に向かいましたが、右折する場所を間違えないように気を付けながら歩きました。
地図を見ながら歩いていると、右折する交差点の手前右側に、長森立場跡の碑が建っていました。
10時43分、長森立場跡・長森かうやく跡(右側)
032 長森立場跡・長森かうやく
立場は、江戸時代に街道の途中(宿場の間)に設けられた施設で、休憩所として茶屋や売店が建てられ、賑わったところだそうです。
また、長森かうやくは、江戸時代の前期から山田与左衛門家で作り始めらた家伝薬で、アカギレや切り傷に抜群の効能があるとして旅人の土産品として人気を博していた。
立場跡の先にある交差点を右折し、天竜川を渡る橋に向かいました。
風はだんだんと強くなり、持参している地図が飛ばされないように気を付けて歩くと、天竜川を渡る橋に近づいてきました。
天竜川に架かっている最初の橋は、長森交差点を左折する旧天竜川橋ですが、ここには歩道がないので、そのまま通り過ぎその先の池田交差点を左折しました。
10時50分、池田入口交差点
池田入口交差点を左折したところは風が強いのですが、温度も高くなってきたので、Yumiさんに「チョッキを脱ごう」と云うとブツブツ云うので、「寒くなったらまた着るから一度脱いで」と説得し脱いでもらいました。
また、ここで水分の補給もしました。
10時58分、新天竜川橋
 ※新天竜川橋(右)・旧天竜川橋(左)
038 新天竜川橋(右)と旧天竜川橋
新しく出来た新天竜川橋(隣りの鉄橋は旧道)の歩道は、幅が広くとても歩きやすく出来ていました。
私とYumiさんは、全長が912mの長大橋を向かい風が吹く中、頭を下げてもくもくと歩きました。
また、富士山が見れるかなと思いながら何度か後方を確認しましたが、富嶽を眺望することはできませんでした。
そして、橋を渡り切る約50m手前に、日本橋から250㎞の距離標が建っていました。
11時10分、250㎞距離標(左側)
043 250㎞標柱
東海道の半分を超えたことを証明する距離標になるとともに、意味認知症(要介護2)のYumiさんが、日本橋から自力で歩いてきて証明書にもなりました。
残念なのは、風が強くて、みだれ髪の写真になってしまったことです。
新天竜川橋と旧天竜川橋の間に小さな公園があり、新橋建設による東海道の歩き方が、いくつか色分けされて記されていました。
11時13分、中野町マップパネル(右側)
046 中野町絵図
私とYumiさんは渡った処を左折して天竜川西交差点を横切り約120m歩くと、六所神社の裏手に舟橋之碑の石碑が建っていました。
11時19分、舟橋之碑(右側)
048 船橋之記の碑
急傾斜を降りて石碑のところで写真を撮り、六所神社の裏手から境内に入りました。
11時20分、六所神社(右側)
050 六所神社
六所神社は、お賽銭を奉納し、Yumiさんの病気完治と旅の御加護をご祈願しました。
いつもは周囲に聞こえないように心の中でご祈願するのですが、周りに誰もいなかったので声を出して(普通の大きさ)ご祈願すると、とても気持ちが良く、清々しい気分になったので、これからは周りに人がいなかったら声を出してご祈願しようと思いました。
神社を出ると中野町道路元標と東海道案内パネルが、右側の六所神社の入口脇に建っていました。
11時21分、中野町道路元標(右側)
053 道路元標
道路元標は、大正9年に各市町村に1ケ所設置され、市町村の起終点を示す道標で、現存する1,600基の一つでだそうで、(当初は12,044基)静岡県内ではこの道標だけが現存しているそうで、貴重な道標です。
 
※東海道案内パネル(右側)
052 東海道案内標識
11時24分、船橋木橋跡(右側)
055 船橋木橋跡
船橋は、橋のない河川に多数の小船を並べて綱や鎖で連結し、その上に板を敷いたものを云うのだそうですが、ここの船橋は、明治7年(1874)、明治天皇行幸の際に掛けられたものです。
船橋は、その後、木橋に掛け替えられたが、これまで渡船しかなかった東海道の往来に大変貢献したと云われています。
最近撮った写真を見ると、Yumiさんが目を閉じたところの写真が増えてきたので、Yumiさんに目を閉じないで、と云って撮るのですが、どうゆうわけか目を閉じた時にシャッターを押してしまいます。
東海道案内パネルの前から約40m進んだ最初のT字路の右角に、銀行跡の碑が建っていました。
11時27分、中野町銀行跡(右側)
=後方の神社は六所神社
057 中野町銀行跡(後方は六所神社)
中野町銀行は、明治3年から昭和3年までこの地で営業していたそうで、現在は住宅地になっています。
そして、銀行跡から約110m歩いた右角に、創業130年の歴史を誇る人気のうなぎ店があり、昼食に立ち寄りました。
《昼食》
11時30分、昼食(うなぎ中川)=右側

062 うなぎ中川・入口
 ※うなぎ重
066 うな重
昼食は、計画した時からここで食べたいと考えていたので、スムーズに入店出来てホッとしました。
店舗に入ると座敷を進められたのですが、靴の脱着を考えて椅子席にさせてもらいました。
椅子席は、一組だけで他が空いていたので、奥の席に座りました。
のんびりしたいのですが、今年最悪の花粉症の症状がでて、目の痒さと鼻水対策に追われながら待っていると、注文したうな重がうなぎの匂いを漂わせて運ばれてきました。
Yumiさんと顔を見合わせてニッコリして、食べ始めました。
うなぎは、昨年の9月(第7回の旅)に三島の桜家で食べて以来です。
中川のうなぎは、柔らかく、たれがほどよく浸み込んでいて、とても美味しものでした。
また、待っている時に「ぶらり東海道の旅」(天竜橋~子安神社付近)のガイドパンフを頂き、午後の旅にとても役立たせて頂きました。
美味しいうなぎを食べ、トイレを済ませてスッキリしてから旅に出発しました。
12時05分、うなぎ中川発
店を出て県道313号を横切り、3本目の路地の右側に軽便鉄道の軌道跡があり、碑が建っていました(うなぎ店から約400m)。
12時13分、軽便鉄道軌道跡碑(右側)
069 軽便鉄道軌道跡
元は浜松鉄道(開業当時は濱松軽便鉄道)という遠州鉄道とは別の私鉄でしたが、戦後に合併し遠州鉄道奥山線となった鉄道の軌道が敷設されていた処である。
軌道跡から約110m歩くと右側に松林寺があり、境内の入口に奥山大権現石碑と東海道お休み処協力隊のベンチがあり、Yumiさんに座って休んでもらいました。
12時15分、奥山大権現石碑&東海道お休み処協力隊ベンチ(右側)
072 東海道お休み処協力隊・ベンチ
このベンチは、休みたいと思ったところに設置されているので、この後も体力を回復するのに大変助かりました。
そして、ベンチの真向いに、高札場跡がありました。
12時17分、かやんば高札場跡(左側)
074 かやんば高札場跡
かやんばとは萱場が訛ったもので、萱場村の高札場だったそうで、現在は高札場にあやかって市民条例が記された高札が掲げられていました。
高札場から約160m先に金原明善生家があり、その手前右側に「村境の碑」が建っていました。
12時22分、村境標柱(右側)
075 村境標柱
そして村境碑のとなりに金原明善生家が、道路を隔てた反対側(左側)に記念館が建っていました。
12時23分、金原明善生家(右側)
076 金原明善生家
 ※生家の展示室
080 室内
生家は無料で公開されていたので靴を脱いで入らせて頂きましたが、無料で公開している上に、立派なパンフを頂き恐縮してしまいました。
代々名主の家で、明治から大正にかけて天竜川の治水や植林に貢献した郷土の偉人の遺品等が展示されており、2階を含めてひと通り見学させて頂き、お礼を云って後にしました。
生家を出発して約200m歩くと、右側に姫街道の道標が建っていました。
12時36分、本坂道姫街道安間起点(右側)
084 姫街道・安間基点
姫街道は、Yumiさんが立っている右側の道で、街道の基点に立った時、どのような道だろうという思いが湧いてきました。
そして、姫街道入口から約30m先の右側に、日本橋から60番目の一里塚跡があり、標柱が建っていました。
12時38分、060安間一里塚跡(右側)
087 安間一里塚跡
四角柱に一里塚が記されていましたが、資料ではフェンスの中でだったので、確認してみると鉄柱を切って現在の場所に移動したようで、元の場所に切り取った跡が残っていました。
フェンスの中では分かりづらい、という声に対応したのかどうか分かりませんが、・・・・という感じがしました。
一里塚跡碑から約65m歩くと安間橋があり、これを渡り浜松バイパスの下を通り過ぎると左側に、松並木がありました。
12時47分、薬師町松並木(勝手に命名)=左側
092 東海道の松並木
松並木は左側だけで、10本程度でしたが、東海道の名残りを残し、松並木が終わった先に、最近では珍しい円形の郵便ポストが民家の前に建っていました。
12時51分、円形郵便ポスト(左側)
094 円柱形ポスト
ポストから約200m歩いた左側に、今にも倒れそうになりながら支柱に支えられ、途中でまた上に伸びている生命力のある松が残っていました。
12時54分、生命力のある松(左側)
098 保護の松
そして、松の直ぐ隣りには、江戸時代に宿場と宿場の間の街道などで旅人が休息する場所として、茶屋や売店などが設けられていた立場跡がありました。
 ※立場跡(左側)
096 立場跡
ここの立場には、藤棚があり旅人の目を楽しませていたと記されてました。
街道は、薬師町から天竜川町に入り、天竜川駅入口交差点先の秋葉山常夜燈を道路反対側(右側)に眺めながら、天竜川町西交差点を過ぎ、あすみ接骨院の先のレストラン・ガストの横に和洋折衷の家が右側に建っていました。
13時13分、和・洋折衷の家(右側)
100 和洋折衷の家
私とYumiさんは、道路の左側を歩いていたので、Yumiさんに待っているように伝え、道路を走って横切り写真を撮りに行きました。
Yumiさんを道路の反対側に待たせているので、写真だけ撮ってYumiさんのところに戻ったため詳細は分かりませんが、歴史のある邸宅を感じる家で機会があったら邸内を見せてほしいと思いました。
進行左側の歩道をYumiさんと約250m歩くとコンビニ(サンクス)があり、店内のトイレを使わせて頂いて、おやつ(プリン)を買いました。
13時18分、コンビニ(サンクス)=左側
 サンクスを出た処の交差点角にセブンイレブンがあり、その2軒先の卸問屋・浜松屋の前を通りながら社用車のドアを見ると、実にユニークなロゴマークが目に留まりました。
13時23分、浜松屋のロゴマーク(左側)
101 浜松屋ロゴマーク
5匹のアヒルが魚が入った網を高々と掲げているロゴマークで、創業者が北京ダックをイメージして作ったとのこと、気持ちが和む素晴らしいデザインだと思い記録に残しました。
左側の浜松屋から約210m(2つ先の信号)歩くと、右側に絵図が建っており、急いで道路を渡り見に行きました。
13時25分、浜松宿絵図(右側)
102 浜松宿絵図
絵図は、冬枯れノ図で、浜松宿について
・人別=5,964人
・本陣=6カ所
・旅籠=94軒
と記されており、江戸時代から浜松宿は大きな宿場町で、賑わっていたことが目に浮かびます。
右側の絵図を見て、また道路を左側に渡って戻り佐野歯科医院のところで、浜松市内と思わる付近にそびえ立っている建物を撮ろうとしたら、デジカメの電池が切れてしまい、予備の電池と交換することになりました。
電池を交換しながら浜松市内の方に目を向けると、前方にロケットの胴体部分と思わせる建物が見え、何の建物だろうと思いながら、シャッターを切りました(望遠にして撮影)。
 ※写真中央の高い建物は何?
103 高いタワーは?(アクトタワー)
建物の答えは、浜松城の展望台に行った時に分かりました。
さて、おやつタイムですが、少し先に子安神社があるので、境内でひと休みしようと考え神社に向かったのですが、入口が少し離れていることが近くに行って判明し、神社を往復するのが面倒になり交差点手前のアサヒビルド㈱の前のベンチでおやつタイムにすることにしました。
13時39分~13時48分、休憩(子安交差点手前)=左側
104 子安交差点
おやつタイムを取った場所には、東海道お休み処協力隊が設置したベンチがあり、サンクスで買ったプリンを食べました。
休みたいと思ったところに設置されたいるベンチは、街道ウォーカにとって大助かりのオアシスです。
ありがとうございます。
ベンチでひと休みして、「さあ、あとひと踏ん張り」と出発すると、少し先の子安交差点の左角に「植松の道標」が建っていました。
13時50分、東海道。植松原道標(左側)
106 植松原道標
子安交差点は道路に横断歩道がなく、地下道で渡ります。
地下道は方向をしっかりと見定めておかないと、とんでもない方向に出てしまうので、方向を見定めて地下道に入り交差点を潜りました。
そして、芳川に架かる琵琶橋を渡って約100m歩くと、右側に鳥居が建っていました。
13時57分、蒲神明宮大鳥居(右側)
108 蒲神明宮大鳥居
蒲神明宮は、藤原鎌足十世の孫、越後守静並(えちごのかみしずなみ)が伊勢神宮の神託を受け、この蒲の地を開拓し、美田(みた)550町歩を神宮に寄進し神明宮を創設したと伝えられ、明治6年に郷社(ごうしゃ)に指定されると共に蒲神明宮と改称され今日に至っているそうです。

神明宮入口の鳥居から約700m旅をすると、天神町交差点手前の左側に古い看板が目に入りました。
14時05分、萬屋蒟蒻(こんにゃく)店(左側)
109 蒟蒻店の看板
お店はカーテンが閉まっていたので、店の中は見えませんでしたが、年代を感じさせる建物と看板でした。
店が開いていたら見学したいと思うお店だったので、とても残念でした。
天神町交差点を渡り、約250m歩くと浜松東警察署があり、ここを過ぎた左側に日本橋から61番目の一里塚跡碑が建っていました。
14時10分、061馬込一里塚跡(左側)
110 馬込一里塚跡
一里塚跡には道路沿いに標板が建っているだけで、一里塚を連想するものはありませんでした。
一里塚跡から約210m歩いた右側(相生町交差点を渡りホテル明治屋を過ぎた右角)に、道路の起点を表示する標柱が建っていました。
14時18分、旧笠井街道入口(右側)
115 笠井街道入口
そして、笠井街道入口の標柱が建っている国道152号線の右側から左側に渡り、約110m歩くと左側に旧掛塚街道入口の碑が建っていました。
14時19分、旧掛塚街道入口(左側)
113 旧掛塚街道入口
掛塚街道入口の標柱から約40m先の馬込橋たもと左側に、通行人を監視した木戸跡の碑が建っていました。
14時22分、外木戸(東番所)跡(左側)
117 外木戸跡
馬込橋を渡った道路右側に馬込公園があり、公営のトイレがあるのでYumiさんに聞くと「大丈夫」と云うので、トイレに立ち寄らずに先に進みました。
ここで道路を左側から右側に渡り、道路の右側を進むと静岡銀行の手前に地蔵尊が祀ってありました。
14時30分、夢告地蔵尊(右側)
119 夢告地蔵尊
向かい風と、花粉症と闘いながら板屋町交差点と田町交差点を過ぎ、連尺交差点に着きました。
14時42分、連尺交差点
交差点に着くと15時前と時間的にまだ余裕があるので、急遽浜松城に立ち寄ることにしました。
連尺交差点も地下道を潜って道路を渡るので、方向を見定めて地下道に入りました。
しかし、道がいろいろな方向に出られるようになっているので、案内板を頼りに地上に出ましたが、慣れていない人には迷路の地下道です。
※ 寄り道・・・【浜松城】・・・
浜松城方面の階段を上った処に、大手門跡の碑が建っていました。
14時44分、浜松城・大手門跡(右側)
121 浜松城・大手門跡
浜松城は次回の旅の時に城内を見学する予定にしていたため、浜松城に関する地図や資料を持参していなかったので、停車している車の人(女性)に浜松城への道順を教えて頂きました。
見ず知らずの旅人に親切に応対して下さり、浜松市役所の脇から行く分かりやすい道を教えて下さいましたので、少し遠回りになりましたが、教えて頂いた道でお城に行きました。
《浜松城》 14時53分~15時14分

125 浜松城
浜松城は、徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、17年間在城しました。城は、東西600メートル、南北650メートルの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なっている。家康の後、城主は代々普代の大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多く、出世城とも云われていた。石垣は野づら積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されています。
さて、浜松城公園に入り道案内に沿って歩いて行くと、上り坂となり浜松城の撮影ポイントになりました。
天気の良い土曜日の午後ですが、人出は途切れることがない程度でした。
お城の入口で入場料(一人150円)を支払い、中に入りました。
お城の中は、江戸時代の遺品等が展示してあるだけで、掛川城のようなお城の風情は味わうことはできませんでしたが、天守閣の渡り通路からの眺望は、安全のための金網が少し目障りですが、お勧めです。
 ※浜松城・天守閣の渡り通路
130 天守閣・東側
ここで、天竜川町の子安交差点から見た高い建物(ロケットの胴体のような)が、アクトタワーという「地上45階建、最高部(塔屋上ヘリポート)の高さ212.77mの超高層ビル」で、ホテルオークラ直営のオークラアクトシティホテル浜松、多くの企業や店舗が入居する、浜松市のランドタワーでした。
浜松市の大きさを感じさせる建物だと思いました、
ひと通りお城の中を見学し、城内の土産物店で記念のお土産を買ってお城を跡にしました。
 ※浜松城のお土産(コースター)
159 浜松城のお土産
浜松城からの帰りは、来た道ではなく大手門跡碑に向かって、最短距離を歩いて戻りました。
大手門跡碑に戻り、道路を横断するために方向を見定めて連尺交差点を渡る地下道に入ったのですが、途中で方向が分からなくなってしまい、迷いながら地上に出ました。
*****旧東海道に戻る*****
地下道から出ると、右側に谷島屋書店があり、店のショーウィンドウ右側に高札場跡の石碑が建っていました。
15時23分、浜松宿・高札場跡(右側)
136 浜松宿・高札場跡
谷島書店の2軒隣りに浜松蓮尺郵便局があり、営業していたら日付スタンプを押してもらおうとしましたが、土曜日の午後で営業時間外となってしまい押印できませんでした。
そして郵便局から数軒先の浜松信金前の道路沿いに、本陣跡の標板がありました。
15時26分、杉浦本陣跡(右側)
139 杉浦本陣跡
杉浦家は、元亀元年(1570)家康入城と共に名主役に、慶長6年(1601)伝馬制が定められた時、問屋役を命じられた。室町後期から続く古い家柄で、浜松宿本陣6ヶ所の内、最も古い本陣として、建坪が約272坪(約900㎡)あったそうですが、残念ながら他の本陣跡を含めて当時を偲ぶ史跡はありません。
杉浦本陣跡から約20m歩くと、左側(進行方向では右側の歩道)に二つ目の本陣跡碑が建っていました。
15時28分、川口本陣跡(右側)
142 川口本陣跡
川口本陣は、浜松の本陣(6ヶ所)のうちで最も新しく、建坪は約163坪(約540㎡)あったそうです。
まだ浜松宿はこの2カ所の本陣の他にあと2ケ所の本陣跡があるのですが、地下道を潜った道路の反対側にあるため、ここで明日の出発場所を考え到着式を行うことにしました。
15時33分、浜松・伝馬町交差点(到着地)
151 浜松・伝馬町交差点(到着地)
【旅の追加】
到着式を行った後、迷路の地下道を潜って道路の反対側に移動すると、地下道から出た伝馬町交差点のサザンシティ浜松角に、三番目の本陣跡がありました。
15時36分、梅屋本陣跡(左側)
145 梅屋本陣跡
梅屋本陣は、杉浦本陣に次ぐ格式のある本陣で、江戸初期から本陣を勤めていた。
江戸中期の国学者加茂真淵の養子先(婿養子先)だそうです。
伝馬町交差点を渡り、杉浦本陣跡がある道路の反対側を連尺交差点の方に逆戻りしたクリニックの前に、四番目の本陣跡がありました。
15時40分、佐藤本陣跡(左側)

148 佐藤本陣跡
佐藤本陣は、約225坪(約745㎡)の建坪があったそうです。
今日の旅は、ここで終了しました。
【ホテル・夕食】
15時48分、ホテル着
佐藤本陣跡碑の連尺交差点寄りの道を右折し、今日宿泊するホテルに向かい、フロントでチェックインすると、普通の部屋から介護用の部屋に変更されていました。
このホテルに予約した時、介護できる部屋があるということで、介護用の部屋をお願いしました。
その後、介護認定(要介護2)を受けているといっても車椅子を使用していないので、車椅子の人を優先しようと考え一般のツインルームに変更しました。
ところが、その後のホテルとのやり取りで、支配人から車椅子でなくても構いません。もし、当日利用できるようでしたら介護用の部屋に変更しますと云われたことを思い出し、支配人の善意にお礼を云ってご厚意を受けさせて頂きました。
Yumiさんと指定された部屋に入り、ザックなどの荷物の整理、デジカメや携帯の充電、翌日の旅準備をし、お茶を飲んだり、テレビを見たりして夕食までの時間を過ごしました。
《夕食》
ホテルは繁華街の近くなので、沢山のお店が並んでおり、迷った末に山内牧場という居酒屋に入りました。
17時35分、居酒屋「山内牧場」
時間が早かったので、店内は閑散としていたので、個室的な席に案内してくれました。
生ビールを注文し、Yumiさんとまず乾杯。
157 居酒屋・山内農場③
料理は、
・付きだし(きゅうりとキャベツの味噌付け)
・刺身三点盛り
・さつま揚げ
・鳥の唐揚げ
と、少し財布の紐を締めて、少量にしました。
それぞれの味は、とても良く、美味しい店でした。
浜松は「うなぎ」とともに「餃子」が有名なので、中華店に入りラーメンと餃子を食べました。
食べた餃子が浜松餃子かどうか分かりませんが、小ぶりの餃子で固焼きでした。
私もYumiさんも、焼き餃子でも柔らかい方が好きなので、固焼きの餃子は???でした。
お腹が膨らんだので、ホテルに戻りました。
 ↓浜松の繁華街=寒いを連発して歩いていました

158 浜松繁華街
《シャワー》
夕食の後、ホテルに帰り、シャワーで今日の汗を流しました。
シャワーは、私が浴びた後、Yumiさんが浴びましたが、一人でシャワーを使うことが難しいので、私が全て介護しました。
シャワー室は、車椅子が入れる専用のシャワー室になっているので、介護しながらのシャワーは大変助かりました。

今日は持病の花粉症に悩まされました。
明日も天気が良く雨が降ることはないようですが、風が強く花粉が飛ぶようで、明日も花粉症に悩まされるのか、と考えると気が重くなります。
明日の支度の準備を行い、ホテルのモーニングコールとテレビのOFFタイマーをセットして、ベッドに入りました。

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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


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