旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2013年04月

【天候】晴れ
【宿場】(33)二川宿⇒(34)吉田宿
⇒(35)御油宿
【行程】歩行距離=12.51㎞ 総距離=306.80㎞
JR二川駅前交差点⇒(3.378㎞)⇒069飯村一里塚⇒(3.847㎞)⇒豊橋・きく宗前
(1.70㎞)⇒
070下地一里塚⇒(3.578㎞)⇒名鉄伊奈・駅入口T字路
【ルート図】
 ↓宿場(黒囲みが第20回旅の宿場)
15 20回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第20回
 第20回の旅ルート
  
(二川駅前交差点
 ⇒ 名鉄伊奈・駅入口T字路)
第20回ルート
【旧東海道の旅】
《トイレ通い》
4時頃に目が覚めてトイレに行くと、今度はYumiさんがトイレに行くのを待っていたかのように、朝のトイレ通いが始まりました。
トイレに行く間隔は、普通で15分間隔、早いと5分で行きます。
Yumiさんは静かに歩いてトイレに行くのですが、扉を開閉する音やトイレの洗浄水でとても寝ていられません。
しかし、頻繁にトイレに行くからと云って怒ることはできませんが、行く頻度が激しい時は、
E=何とかならない
Y=ごめんなさい
の会話になります。
自宅でも同じ状態なのですが、ホテルに泊まった時は見覚えのないトイレなので、不安感が増し回数が多くなるのではないかと思います。
《身支度》
モーニングコールをセットしているので、Yumiさんのトイレ通いで目は覚めているのですが、モーニングコールが掛かってきてから起きようとベッドに横たわっていました。
5時30分、起床
モーニングコールでベッドを起き、カーテンを開けて天気の確認をすると、天気は曇りですが雨は大丈夫のようです。
まず、Yumiさんを洗面所に連れて行き、歯磨きができるようにしてからYumiさんに手渡しました。
使い方を教えてあげればよいのにとか、世話のやき過ぎと思うかもしれませんが、これが認知症なのです。
洗面所はトイレと同じところにあるので、入室してから何回も見ているのですが、何をする場所なのか分からないようで、「顔を洗うよ」と云っても場所が何処で洗うのか分かりません。
また、歯磨きも、袋から歯ブラシと磨き粉を出して使えばよいのですが、この旅で10回以上ホテルに泊まっているのですが、覚えられません。
洗顔も同じで、ホテルで頂いた洗顔用シャンプーや乳液等も、一つ一つ開封して渡さないと使えません。
Yumiさんの介護をしながら自分の髭剃り、歯磨き、洗顔をするので、私ものんびりとはしていられません。
そのため、Yumiさんを先に終わせて、部屋の椅子に座って待っているように話し、私の洗面を終わらせます。
次に、両足膝の両サイドにシップ薬を貼り、脚部に塗り薬を塗って足のケアーを行ってから着替えをします。
着替えは、着るもの、はくものをそれぞれ順番に重ねておかないと、あるものをめちゃくちゃに着てしまいますので、順番にしておかなければなりません。
私はYumiさんの着替えを見ながら、自分の足のケアを行い、Yumiさんの支度が終わる頃から自分の着替えをします。
そして、Yumiさんは私の着替えをしている時に、お化粧をします。
これらの支度が終わってから、朝の血圧測定と目薬の点眼を行うので、今朝は6時05分に血圧の測定をしました。
朝の血圧測定と目薬の点眼を行い、朝食まで時間の余裕があったので、携帯三脚を使いセルフタイマーで記念に撮りました。
  
ホテルの部屋
001 ホテルの室内
《朝食》
ホテルの朝食は、バイキング形式で、朝7時からと聞いていたので、7時少し前に会場に行きました。
タイミング良く丁度、朝食のバイキングが始まったところで、混雑しないところで、Yumiさんの手助けをしながら食べるものをお皿に盛り付けることができました。
無料で、温かいご飯、味噌汁、おかずを食べれるので、助かります。
これから長距離を歩くので、腹七分目のところで止め、部屋に戻りました。
《移動》
ザックは朝食を食べに行く前に整えておいたので、トイレを済ませ、フロントでチェックアウトしてホテルを後にしました。
豊橋駅は通勤・通学客で賑わっており、平日の通勤時間帯にこのような旅姿でいる自分を「自由人になったんだ」と改めて認識させられました。
07時48分、豊橋駅発
002 豊橋駅(在来線)
電車は折り返しの始発電車で、座席は特急列車と同じ椅子のボックス席になっていました。
一駅で降りるので、扉に近いところに座り、座席の向きを反対にするとYumiさんから「外が見えない」と苦情が発生し、後ろの席に移動しました。
豊橋から一駅目の二川で降りる人が沢山いたので、初めての私には驚きでした。
07時53分、二川駅着
改札を出て、昨日の到着地である時計台に行きました。
【=旅=】
07時57分、二川駅前交差点(出発地)=左側
004 出発式(二川駅前)
出発地で、今日の出発式を行い、少しでも良い画像の写真を撮りたいと思い少し待ったのですが、諦めてシャッターを押し、旅をスタートしました。
二川駅ロータリーの緑地帯に、道標が立っていました。
08時00分、岩屋八丁道標(左側)
006 岩屋八丁道標
道標は、石碑に「是より岩屋江八丁 ・・・」と記され、弘化4年(1847年)に建立された道標です。
ロータリーを出て街道を約270m歩くと左側にヤマモトスポーツ店があり、店舗の横に石碑が立っていました。
08時04分、渥美郡奥郡道標(左側)
008 渥美郡奥道標
石碑の一面に「伊良胡阿志両神社道」、もう一面に「右 東海道 豊橋一里半」と刻まれていました。
今日は温度が上がっていたため、Yumiさんもすでに汗ばみ始めていたので、私がチョッキ、Yumiさんが薄フリースを脱いで衣服調整をしました。
Yumiさんは少し不満そうでしたが、今回は夫婦の小争いにはなりませんでした。
街道は約30m先の三叉路を右に進み、約170m歩いた火打坂交差点を真っ直ぐに渡った辺りから上り坂になり、約200m先の左側に豊橋市視聴覚教育センターがあり、その入口に顔像が並んでいました。
08時13分、豊橋市視聴覚教育センター入口(左側)
010 顔の像
顔像が並んだ入口から約110m先の左側に、美容院「ヘアースペース?」がありました。
「?」はどのような意味なのか、こちらが「?」です。
  ヘアースペース?(左側)
012 美容室・ヘアースペース
帰ってきてから調べてみたら、「ヘアスペースクエスチョン」という店名だそうで、「?」が付いていた意味が分かりましたが、おもしろい店の名前ですね。
ヘアスペースクエスチョンから約150m進んだ火打坂の上りが終わった辺りの左側の道路歩道部分に、手筒花火絵の消火栓蓋があり記録に残しました。
08時18分、消火栓蓋(左側)
013 消火栓蓋
街道をそのまま進むと左側に「ガーデンガーデン」という造園屋があり、信号のある変則十字路をガーデンガーデンに沿って左折(交差点)し、道なりに真っ直ぐ歩きます。
そして約350m歩くと、右側の「カイロプラスチックゆいまーる」の斜め前にバス乗り場とトイレがあり、さらに約170m先の信号を越えた処に、同じ絵柄で色が少し違ううず巻消火栓蓋があり、記録に残しました。
08時28分、うず巻消火栓蓋(左側)
014 うず巻消火栓蓋
消火栓は、消火するために設けられた水栓で、バルブとホース接続口で構成され、接続口の口径は消防ホースに合わせ65mmに統一されています。
うず巻き形はフランジ接続部への通水部構造がうず巻形状になっている水栓ですが、どのように違うのか良く分かりません。色を変えて形状名を記す必要があるのでしょう。
私は暇つぶしに消火栓の写真などを撮って気分転換しながら歩いていましたが、Yumiさんは私の後ろ5mくらいのところを黙々と歩いています。
  黙々と歩くYumiさん

015 歩くYumiさん
記録に残した渦巻き消火栓から約190m歩くと、左側にコインランドリーがあり、さらに約190m進むと左側に名残りのくろ松跡の石碑(右側のホワイト急便(高師原口店)の斜め手前左側)が建っていました。
08時33分、名残りのくろ松跡(左側)
016 名残りの松
街道は約110m歩くと国道1号との接続道路に合流し、国道1号と並行して歩きます。
08時38分、飯村南二丁目交差点
交差点から右側の悟慶院などを眺めながら約1㎞歩くと、殿田橋の手前左側に藤の花が咲いていました。
08時49分、藤の花(左側)
018 民家の藤花(殿田橋手前)
直ぐ先の殿田橋を渡り、国道1号に合流する直前手前の左側(右側はビデオ店・アメリカ)に、日本橋から69番目の一里塚跡があり、石碑が建っていました。
08時51分、069飯村一里塚跡(左側)
020 飯村一里塚跡
一里塚碑の先で国道1号に合流し、ここから東八町交差点までの約2.5㎞歩きます。
合流した処で時計を見ると9時近くになっており、歩き始めて一時間を経過することから約70m先のかっぱ寿司豊橋飯村店(右側)の角の積ブロックに腰掛けて休憩することにしました。
08時55分~09時00分、休憩(かっぱ寿司豊橋飯村店の角)
ここで水分補給し、持参したチョコ菓子を食べ、私は帽子からバンダナに替え頭に巻きました。
休憩を終え約450m先の山中橋を渡り、約200m先の三ノ輪町交差点、さらに約400m先の伝馬町交差点を通り過ぎ、右側角にエネオスGSがある円六橋交差点を渡った右側に「すし龍」があり、店の前に大たぬき像が飾られていました。
09時15分、すし龍のたぬき像(右側)
025 すし龍・たぬき像
すし龍から約300m歩くと瓦町交差点の手前右側に寿泉禅寺があり、アーチ形の山門を潜った境内に三重塔がありました。
09時20分、寿泉禅寺(三重塔)=右側
027 三重塔(寿泉禅寺)
  積ブロックのアーチ形の山門
029 寿泉禅寺・入口
この先の史跡の場所や歩きを考えて,瓦町交差点で歩く側を右側から左側に変えました。
また、瓦町交差点は、起点の日本橋から294.8㎞地点で距離標が建っていました。
瓦町交差点から左側を歩き始め、約240m歩いた3本目の路地の手前左側に高木建具店があり、正月のしめ飾りが飾ったままになっていました。
商売をしている所で、謹賀新年と入ったしめ飾りをこの時期までそのまま付けているのを見たのは初めてで、何か縁起をかついでいるのでしょうか。
09時26分、高木建具店(しめ飾り)=左側
030 しめ飾り(まだ正月)
高木建具店から約110m先の東新町交差点の角に設置されていた自販機でペットボトルを買い、冷たいお茶で咽喉を潤しました。
また、この辺りは花粉が多く漂っているのか、朝から出なかった花粉症の症状が出て、5連発のくしゃみと鼻水に泣かされました。
そして、自販機から約350m歩いた西新町交差点付近の道路両側に設置されているガード柵を見て、良いアイデアだなと思いました。
  ガード柵の両側は透視性が確保
031 ガード柵
西新町交差点の次の東八町交差点は、五差路になっている大きな交差点のため、歩道橋での交差になっていました。
09時37分、東八町交差点
034 東八町交差点
この交差点には、文化2年(1805年)に本坂道入口に建立されたもので、高さ約5m、花崗岩で出来ている新町の大燈籠として吉田宿の名物になっていた秋葉山常夜燈が立っているのですが、一番行きにくい場所にあるため、望遠で写真を撮り見に行きませんでした。
※東八町交差点の秋葉山常夜燈(右側)
033 秋葉山常夜燈
秋葉山常夜燈は、明治以降、地震による倒壊や戦火に遭い長く放置されていたものを、現在の地に復興されたそうです。
東八町交差点を歩道橋で真っ直ぐに渡り、階段を降りて左側に少し歩いた処に、吉田宿の東番所である東惣門跡がありました。
09時40分、東惣門(東番所)=左側
037 東惣門
東惣門は、東海道にまたがり設置され、番所と駒寄場が有り、朝6時から夜10時迄開かれていて、それ以外は通行が禁止だったそうです。 
東惣門から約100m歩いた鍛冶町交差点を右折し、約60m歩くと右側に竹細工のタケ空間工房がありました。
09時43分、竹細工の店(右側)
040 竹細工店
竹細工の店は少なくなっており、昔ながらの作品を見ると心が和んできます。
竹細工の店から信号の先にある鍋屋辻村金物店を左側に見て、約350m歩いた2つ目の交差点の中央分離帯を右側に入った処に、曲尺手門の石碑が立っていました。
09時48分、曲尺手(かねんて)門跡=右側
041 曲尺手跡
石碑のある場所は中央分離帯の中にあるため、車のないことを確認して車道を横切ろうとしたら、横切る反対側の道路をパトカーが走っていましたが、そのまま道路を横切らせてもらいました。
曲尺手になった街道は、曲尺手門碑のある交差点を真っ直ぐ渡り、約150m先の次の十字路(左角に嶋田屋本店)を左折し、約50m先の十字路を右折して進みます。
しかし、私達は曲尺手門碑のある交差点を真っ直ぐ渡り、約150m先の次の十字路の左角にある嶋田屋本店を左に見てそのまま直進し、日本郵便豊橋市役所前局が左側にある交差点を少し直進した右側に大手門跡の標柱が建っていました。

09時34分、吉田城大手門跡(右側)
043 吉田城大手門跡
この後、十字路に戻り右側に郵便局を見て、呉服町の交差点で街道に戻るため右折しました。
そして、右折して約70m先の国道1号に出る手前の右側のNTT西日本の前に、問屋場跡がありました。
09時58分、吉田宿問屋場跡(右側)
046 吉田宿問屋場跡
問屋場は, 道中奉行所支配のもと 各宿駅におかれ、人馬継立を円滑に行い,旅客貨物などを 目的地に送る役目を果たしていました。
そして、国道1号の交差点を真っ直ぐ渡った先の右側にうなぎ屋があり、店の前に本陣跡が建っていました。
10時00分、吉田宿本陣跡(右側)
049 吉田宿本陣跡
札木町一帯が吉田宿の中心で、享和2年(1802年)の頃、清須屋与右衛門と江戸屋新右衛門の2軒の本陣と、脇本陣1軒、問屋場1ヶ所、旅籠(はたご)60数軒が軒を連ねていたそうです。
本陣跡碑の反対側(左側)の数軒先に、脇本陣跡の石碑が立っていました。
10時04分、吉田宿脇本陣跡(左側)
051 吉田宿脇本陣跡
脇本陣跡の先の左側に、菓子の若松屋がありました。
10時07分、菓子・若松屋(左側)
053 菓子・若松園
若松園は、創業が江戸時代の菓子の老舗で、豊橋銘菓「ゆたかおこし」で知られています。

おやつにと考え立ち寄ったのですが、先客の対応が忙しいのか私達に声を掛ける人がいないので、縁がないのだろうと思い買わないで店を後にしました。
若松園を出て、交差点を渡った左側に菜飯田楽の老舗がありました。
10時08分、豊橋・きく宗前着(左側)
054 きく宗(菜飯田楽)
きく宗は、創業が文政年間で、江戸時代から約200年続いている老舗の菜めし田楽の店です。
菜飯田楽は、こんがりと焼いた自家製豆腐に秘伝の味噌をぬった田楽と、細かくきざんだ大根の葉を混ぜ合わせた"菜めしを組み合わせたものです。
また、田楽は豊作を祈って田の神に奉納した田楽舞のその姿が豆腐を串に刺し、味噌をつけた料理によく似ているため、田楽と名づけられたと云われます
私は、旅の思い出に食べたいと考えていたのですが、開店が11時と1時間も先のため諦めて店の前を通り過ぎました。
きく宗は、東海道思い出旅の時に、立ち寄りたいと思います。
きく宗から約100m先の十字路を通り過ぎ、次の十字路である上伝馬交差点を渡った左側の松葉公園の入口に、吉田宿の石碑が立っていました。
10時11分、東海道 吉田宿碑(左側)
056 吉田宿碑
吉田宿は、江戸時代に設定された東海道五十三次の江戸側から数えて34番目の宿場で、現在の愛知県豊橋市中心部になっています。
慶長6年(1601年)の伝馬朱印状があり、東海道ができた頃からの宿場で、日本橋から西方73里(約287km)に位置し、東の二川宿と1里20町(約6.1km)、西の御油宿と2里20町(約10.5km)離れており、町並は約2.6kmの長さがありました。老中・大坂城代・京都所司代格の大名の吉田藩の所領で、本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠が65軒あり、戸数は約1,000軒で人口は5,000から7,000人ほどだったそうです。
宿碑の脇に植樹されていた八重桜が満開で、綺麗でした。
  
松葉公園の八重桜
058 松葉公園・八重桜
街道は松葉公園前の上伝馬交差点を右折するため、公園を出て真っ直ぐ西方向(豊川が流れている)に渡り道路の左側を歩き始めました。
ところが、西番所跡が道路の右側のあるため、「Yumiさん、渡るよ」と声を掛け、車の来ないことを確認して道路の右側に渡りました。
そして、国道23号を真っ直ぐ渡った右側に、西惣門が立っていました。
10時16分、西惣門(西番所)=右側
060 西惣門
西惣門は、江戸時代、東海道筋の坂下町と上伝馬町の間にあり、惣門の左側に2畳の上番所、8畳の下番所、4坪の勝手が、さらに駒寄せの空き地17坪があったそうです。
復元された西惣門は、湖西市鷲津の本興寺の惣門を参考にして作成されたそうです。
西惣門を出て約130mを歩き、次の信号のある交差点を左折すします。
そのため、交差点で2度道路を渡る必要があるため、交差点に行く間に車の往来を確認して道路左側に渡り、交差点(信号有り)では道路を渡って左折しました。
  横断歩道を渡り、東海道の標識に沿って左折
062 道案内・歩道渡り左折
街道は、約280m歩くと、右側の芭蕉の句碑が立っている湊町公園を過ぎた先の船町交差点となり、交差点を真っ直ぐ渡って右折します。
10時23分、船町交差点(右折)
063 船町交差点
船町交差点を上の写真のオートバイ側に渡り右折して約歩いていると、豊橋市の下水道蓋があり記録に残しました。
ここの絵柄は、二川で見た消火栓蓋とは少し違い、「手筒花火」と「吉田城」が描かれていました。
東海道の旅に出るまでは、マンホールの蓋に興味を持ったことはありませんでしたが、旅をしていると自治体によっていろいろと目を和ませる工夫をしていることが分かり、下を見る楽しみを知りました。
  豊橋市の下水道蓋
066 豊橋・下水道蓋
さて、船町交差点から約180m歩くととよかわ南詰交差点となり、交差点の先は豊川で豊橋(旧吉田大橋)が架かっていました。
私とYumiさんは、橋の手前のとよはし南詰交差点を左折して約50m歩くと左側に、旧とよはし跡が展示されている豊橋記念碑を見に行きました。
10時28分、豊橋記念碑(左側)
067 とよはし跡
鎌倉時代に豊川に架けられた橋は、今橋と呼ばれていましたが、江戸時代になって「吉田橋」と改名され、さらに明治に入ると「豊橋」と改名され、昭和に入ってから70m上流に移されたそうです。
記念碑を見た後、豊川を渡るため豊橋に戻り、橋の親柱を撮影することでYumiさんと小争いになりました。
10時33分、とよはし南詰(左側)
069 とよしは(南詰)
《夫婦の小争い》
私は橋の写真を撮る時は、橋の感じがでるように欄干・通路(床板)が入るようにするのですが、Yumiさんは私が真ん中に入っていればよいので、欄干や通路が写ろうと写るまいと関係ありません。
撮る前に参考の画像を見せるのですが、直ぐに忘れてしまい再撮影が頻繁に生じるため、分かっていても強い口調で「見せたでしょう」と云ってしまいます。
今回も同じで、一枚の写真を撮るのに2~3分も掛かってしまいました。
また、小争いの直後だったので、豊川を橋の真ん中で撮ることを忘れて、橋を渡ってしまいました。
笑顔を忘れると、物忘れはするし、楽しくないなど、良いことは何もありません。
あー、怒るのはやめよう。
10時35分、豊橋北詰(左側)
071 とよはし(北詰)
豊橋を渡るととよはし北交差点があり、交差点を左折し、県道367号を進みます。
左側には歩道がないので、右側の歩道を約200m歩くと祐泉寺があり、約90m先に聖眼寺(右側)があり、山門の横に松葉塚の石碑と解説パネルが建っていました。
10時40分、松葉塚跡(右側)
073 松葉塚
松葉塚は、1687年冬に松尾芭蕉が愛弟子杜国の身を案じて渥美郡を訪れる途中、聖眼寺に立ち寄った時に詠んだ句碑だそうで、1754年に建立され、1769年に再建されたそうです。
松葉塚を後にして一里塚跡を目指しましたが、前日の豊橋一里塚に引き続いて
「一里塚(070下地一里塚)」・・・見落とし
してしまいました。
持参しているマップには、一里塚の場所を記しておいたのですが、ダメでした。
私はマップに下地交差点の手前に赤で記したのですが、その目印の処に貼付した写真入り資料の「下地交差点先250m」を信じて歩いてしまったため、下地交差点の手前右側にあった石碑を見逃してしまいました。
下地交差点を過ぎ、かなり歩いてきたと思った処の右側にサンクス(下地交差点から約300mの地点)があり、ここまで歩いて来ても一里塚跡碑がないのは見落としたと思いました。
しかし、戻るわけにもいかないため、見落としたものは諦めるしかないと自分に言い聞かせ、旅を続けました。
時計を見ると11時近くになっているので、Yumiさんに
E=トイレは?
Y=(少し考えて)大丈夫
E=本当に
Y=大丈夫
と云うので、そのまま先に進みました。
そしてサンクスから約550m先の横須賀町交差点を約70m過ぎた右側に、遺跡案内の標識が立っていたので、街道から外れますが、休憩を兼ねて見て行こうと思い案内標識にしたがって右折し、約120m歩いた左側に遺跡がありました。
11時03分、瓜郷遺跡(右側)
076 瓜郷遺跡
遺跡は、豊川下流の沖積地に立地する弥生時代中期~後期の遺跡で、遺跡の中でも低湿地遺跡として有名だそうで、石碑と弥生時代の平地式住居が復元されていました。
遺跡の入口に簡易トイレがあり、Yumiさんに行っておいでと促しトイレを済ませ、休息をとってから街道に戻りました。
街道に戻り約60m歩くと鹿菅橋、橋を渡って約60m行くと鹿菅橋北交差点があり、交差点を渡った約20m先の左側にコンビニ、右側に食堂が見えました。
E=Yumiさん、この先で食べる処があったらお昼を食べよう
Y=そうね
ということで、食堂を探しながら歩きました。
シャディサラダ館を右に眺めながら通り過ぎた先の左側に、豊橋魚市場が見えてきました。
豊橋魚市場は閑散としているので、どこか開いている所があるかなときょろきょろと辺りを見回しましたが、場内の店舗はシャッターが閉まっていて、開いている店はありませんでました。
目を前方に向けると右側に営業中の中華店があったので、「Yumiさん、ここで食べよう」と云って立ち寄りしました。
11時13分~11時42分、昼食(陽華樓飯店)=右側
081 陽華樓飯店
今日は、きく宗の菜飯田楽を食べる予定だったのですが、この店で食べることになりました。
理由は簡単で、
①菜飯田楽老舗のきく宗の開店時間(11時)の一時間前の10時頃だった
②この先に食堂があるのかどうか、分からなかった
からです。
Yumiさんに「何が食べたい」と聞いても、返ってくる答えは「・・・・・」なので、私がYumiさんの好きそうなものを考えて注文します。
今日は、Yumiさんも食べられるだろうと考え、ランチ定食を注文しました。
また、ご飯の盛り方はもっと多かったのですが、残してはいけないと思い私が30%(写真)、Yumiさんが50%くらい減らしてもらいました。
きっと、この店で食べる人は、魚市場で働いてお腹が減るのでしょう。
  今日の定食(@800円)
084 昼食
お店の人とは、
店=今日は何処に行くのですか?
E=今日は、この後、伊奈駅まで歩き、東京に帰ります
店=どこから歩いてきたのですか?
E=二川駅から歩いてきました
店=え!!そんな遠くから
E=旧東海道を歩いています
店=東京の高尾にお墓があるので、この連休で行くことになっているの
E=あー、そうですか
店=東京の何処ですか?
E=・・・・・なので、高尾は近い処ですね
など、店の人と話しをしながら食べました。
若女将さんは東京に行くことを楽しみにしているようで、目が輝いていました。
Yumiさんはご飯を半分くらいに減らしてもらったのですが、それでも食べきれなくて残してしまいました。
昼食のひと休みをして、再び旅立ちました。
店を出て約260m歩くと豊川放水路があり、橋の手前左側に豊橋市から豊川市に入る市境の標識が立っていました。
11時43分、豊川市境標識(左側)
086 豊川市境標識
豊川市は、愛知県に入って2つ目の市です。
市境標識の直ぐ先に、豊川放水路が流れており、高橋が架かっていました。
11時26分、豊川放水路(高橋)=右側
088 豊川放水路
豊川放水路に架かる高橋は、橋の少し手前から歩道のない道となっているため、安全を考えて車を正面から見る右側を歩きました。
  豊川放水路の眺め
090 豊川放水路
豊川放水路は、昭和18年に本格的に着手し、戦争で一時中断しましたが、昭和28年に再開し、昭和40年に全長6.6㎞の放水路が完成し、洪水などの水害がなくなったそうです。
豊川放水路を渡り、歩道のない道が終わった約30m先の右側に、石碑が立っていました。
11時54分、子だか橋跡碑(右側)
092 子だか橋
橋の名前は、子だが橋とも云われ、明治時代は小田橋とも云われていたそうです。
約千年前、人身御供(ひとみごくう)があり、春の大祭の初日に、この街道を最初に通る若い女性を生け贄にする習慣があり、自分の子供がその対象になった時、「子だが止むを得」と生け贄にしたことから、この名が付いたとされています。
橋碑から約100m先の才ノ木南交差点、次の才ノ木交差点(約90m先)を通り過ぎると、住宅の瓦に水の文字が入った家が幾つか目に入りました。
また、その中の一軒の屋根の真ん中に、飾り物が付いていました。
  「水」文字の入った瓦
095 水入れの瓦
  屋根の真ん中の像

096
水の文字が入った瓦は鬼瓦の一種で、明治時代に火事から家を守るために入れられたそうで、今でも続いているのですね。
屋根の真ん中に付いていた飾り物の像は、遠くて何なのかは分かりませんでした。
左右をキョロキョロしながら屋根の瓦を眺めながら歩くとJR飯田線の踏切があり、たまたま遮断機が下りていたので、走ってくる列車を撮ろうと待ち構えました。
12時04分、JR飯田線・小坂井踏切
097 飯田線踏切
走ってきたのは電車ではなく、ディーゼル機関車に牽引された特急列車で、特急列車が牽引される光景は普段目にすることがないので良い記念になりました。
小坂井踏切を渡った最初の十字路(約90m先)を過ぎて約40m歩いた右側に秋葉神社にがあり、境内に秋葉山常夜燈が立っていました。
12時07分、秋葉山常夜燈(右側)
099 小坂井常夜燈
常夜燈から約300m歩くと県道と交差する宿西交差点があり、交差点を真っ直ぐに渡り約250m歩くと、右側に高齢者介護住宅のあんじゅ宿があり、その先に今日の到着地である伊奈駅入口のT字路に着きました。
12時18分、名鉄・伊奈駅入口・T字路(到着地)=右側
101 到着式(伊奈駅入口交差点)
今日の旅は、ここで終了しました。
【帰路】

終了式(到着地の撮影)を終え、約450m離れた名鉄・伊奈駅に向かいました。
12時30分、伊奈駅着
3月中旬からICカードの共通化が開始されたので、駅員に「パスモ」を見せて使用の可否を尋ねると、「使えます」との答えを聞き、便利になったと思いました。
昨年の9月に三島広小路駅から乗った時は、JR東日本とJR東海を跨いで使用することができなくて、民鉄の改札を出て、JRの切符を買って改札を通ったことを思い出します。
  名鉄・伊奈駅ホーム
105 名鉄伊奈駅ホーム

12時43分、伊奈駅発
今日の東海道の旅は終わり、1時間に2本しかない電車に乗って、豊橋に向かいました。
電車は、平日の昼ごろの時間帯だったので、乗客が少なくどこでも座れました。
12時48分、豊橋駅着

107 新幹線豊橋駅ホーム
名鉄豊橋駅から新幹線への接続利用方法(東京と同じ・JR切符投入⇒パスモタッチ)を教わり、新幹線ホームに移動しました。
13時02分、豊橋駅発(こだま652号)
自由席6号車に乗り、真ん中付近の2人掛け席に座りました。
時間的には昼食を食べてから1時間30分ほどしか経過していなかったのですが、ザックからスポーツ羊羹を取り出して、Yumiさんと食べました。
手前みそになりますが、スポーツ羊羹は山行やウォーキングの携帯食に良いと、良いものを買ったと自画自賛しています。
今日は晴天なので新富士と三島間の富士山はどうかな?と期待して待っていましたが、残念ながら頂上付近に雲が掛かっていて全景は見れませんでした。
  新富士~三島間からの富士山の眺め
109 車窓からの富士山・新富士附近
これからは暖かくなるごとに靄が出てくるので、綺麗な富士山を見るのは、夏過ぎまで待つことになるのかもしれません。
新幹線は駅ごとに乗車する人が増え、小田原を過ぎた頃は三人掛け席も含めて、ほとんど空席がない状態になりました。
今までは小田原で降りて、小田急線に乗り換えて帰ったのですが、ジバングを利用(30%割引)して品川経由で帰っても二人で300円くらいしか高くならないため、新幹線利用の方が時間短縮されてかなり早く家に着けるので、品川経由で帰ることにしました。
15時09分、品川駅着
品川駅に着くと、Yumiさんが珍しくトイレに行きたいと云うので、改札と反対方向にあるトイレに行きましたが、この時もYumiさんのザックとポシェットを預かったので、通りすがりの人にジロジロと眺められました。
15時18分、山の手線・品川駅発
平日の昼間でも混雑している山の手線に乗って、我が家に帰りました。
【総括】
今回の旅で、東海道京上りと東下りのNさんと「街道すれ違いの出会い」を実現することができました。
連絡を取り合わないで自然に出会えることが最高かもしれませんが、多くの東海道街道ウォーカーがいる中で、江戸・日本橋と京・三条大橋を別々に出発して、街道の途中で出会うことができたことは凄いと思うので、少しくらいの事前の打合せがあっても良いと思います。
私とYumiさんにとって、生涯の思い出を作ることができた「街道のすれ違いの出会い」は、至福の喜びです。
しかし、残念ながらYumiさんは認知症のため、Nさんと出会った記憶だけは少し残っているようですが、今回の出会いがどのようなものなのかは、まったく理解できていません。
しかし、二人の人生の記録は残せたので、子供に私たちの人生の記録を伝えることはできたと思っています。
Nさんの配慮に、ただ、ただ感謝の旅になりました。
【次回の予定】

次回は5月18日(土)~20日(月)の二泊三日で、名鉄・伊奈駅~名電長沢駅~東岡崎~名鉄・新安城の37.5㎞を旅する予定です。
今回の旅では、二か所の一里塚(豊橋一里塚・下地一里塚)を見落としてしまいましたので、これからは確実に記録に残して行せるように、事前の準備をしっかりと整えて臨みたいと思います。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp


【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/ 


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/








【天候】晴れ/曇り
【宿場】(31)新居宿⇒(32)白須賀宿
⇒(33)二川宿
【行程】歩行距離=15.35㎞ 総距離=294.29㎞
新居町駅前地下道横断歩道信号⇒(1.47㎞)⇒065新居一里塚⇒(3.97㎞)

066白須賀元町一里塚⇒(1.60㎞)⇒白須賀小学校西側角
⇒(2.64㎞)⇒
067豊橋一里山⇒(3.94㎞)⇒068二川一里塚⇒(1.72㎞)⇒JR二川駅前交差点

【ルート図】
 ↓宿場(黒囲みが第19回旅の宿場)
14 19回宿場
 旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第19回
 ↓第19回の旅ルート
  
(新居町駅前地下道横断歩道信号
 ⇒ 二川駅前交差点)
第19回ルート
【旧東海道の旅】

《序章》
当初は、5日~7日の二泊三日で旅をする予定でいたのですが、春の嵐の影響で前日の4日の夜に急遽、列車及びホテルの宿泊予約を変更し、本日に順延しました。
また、6日に東海道東下りの旅をしているNさんと「街道すれ違いの出会い」をする予定でしたが、日程を変更したため一度しかないNさんとの「街道すれ違いの出会い」のチャンスは消滅したかと思っていました。
ところが、Nさんから「山の会の東下りの旅とは別行動をとり、14日は私一人で国府駅から二川駅まで旅をします。二川駅で会いましょう」と、思いがけない連絡がありました。
東海道夫婦二人旅の一つの夢であったNさんとの「街道すれ違いの出会い」が、再び実現することになり、何とも云えない喜びを感じました。
東海道の旅は、静岡県(新居)から愛知県(二川)に入ります。
歩いても、歩いても静岡県だった旅が、愛知県に入るということで、京都に近づいたことを感じます。
また、二川駅でNさん(現在、東海道東下りをしている)とすれ違いの出会いをする
記念日です。
Nさんは日帰りの旅になるので、豊橋で祝杯をあげた後、大阪に帰るという強行軍での旅になるため、今回の配慮に感謝して旅の朝を迎えました。
《準備》
〔着る物〕
朝と昼間の寒暖の差がまだ大きいので、Yumiさんの着るものを何にするか頭を痛めます。
山行と違い街道ウォークなので普通の恰好でも良いのですが、自分で寒暖の調整ができないため、速乾性、保温性を考えると山歩きで使用するものになってしまいます。
Yumiさんは、ポリ長袖Tシャツ2枚、薄いフリース、チョッキ、ウインドブレーカ、私は、ポリ長袖シャツ、チョッキ、ジャケットにしました。そして、二人とも、折畳み傘と軽量合羽を用意しました。
〔ザック〕
Yumiさんのザックは、ドウター25㍑を使用していたのですが、私が一時使用していた軽量のモンベル30㍑にしてみました。
理由は、ドウターに比べると①軽量であること、②外の物入れが大きいことです。
私は、前回から使い始めた横で開閉できるドウターアルパイン30㍑にしました。
《移動》
04時20分、起床

いつもの旅と同じ流れで旅支度を整え、新鮮な朝の空気を吸いながら最寄り駅に向かいました。
朝食は、新幹線の中で食べる予定で、前日に朝食(菓子パンとパックジュース)を買い、ザックに入れて出発しました。
06時52分、東京駅着
11分の乗り換え時間があるのですが、ついつい急ぎ足で16番線の東海道新幹線のホームに移動し、出発待ちのひかり号の自由席車両に乗車しました。
自由席の5号車の2人掛けは満席状態だったので、4号車の2人掛けに座りました。
Yumiさんのウインドブレーカと私のジャケットを脱ぎ、ザックから朝食用のパンとパックジュースを取り出し、食べ始めると、新幹線は動き出しました。
07時03分、東京駅発
東京駅を出発する頃には、4号車の2人掛け席で、一人座りの人が多く、二つとも空いている席はない状態でした。
朝食を食べ終わると、睡魔に襲われウトウトと寝てしまい、目が覚めたら三島付近でした。
天気は晴れていたので富士山はどうかなと思いましたが、靄が出ていて鮮明には見えませんでした。
  車窓からの富士山の眺め
003 車窓からの富士山(新富士附近)
8時過ぎ(静岡駅付近)、携帯にNさんから名古屋に向かう途中とのメールが入り、「15時30分頃に二川駅前に着く予定」と返信しました。
だんだんと、この旅の夢である「旧東海道すれ違いの出会い」が近づいてきたことを感じました。
08時32分、新幹線浜松着
新幹線の中でYumiさんに「トイレは」と聞くと「いきたくない」と云うので、降りた駅のトイレに行くことにし、新幹線の改札を出る前にトイレに行き、二人ともスッキリして在来線のホームに移動して電車を待ちました。
《トイレ》
Yumiさんは、新幹線のトイレに一人で行くことが出来ないので、必ず私が付いて行き、扉の近くで待っているのですが、走行中のトイレに入ったことを覚えているのか、嫌なようなので、浜松駅で下車した時に行きました。
駅のトイレにYumiさんが行っている間、私は自分のザックを背負ったまま、Yumiさんのザックとポシェットを持ってトイレを済ませました。
私の姿を見た人は、何をしているんだろうと思いますが、過去に何回もYumiさんがトイレの中に荷物を置き忘れ、冷や汗をかきながら探したことがあるため、トイレに行く時は全ての荷物を預かるようにしています。

08時51分、在来線浜松発
  在来線浜松駅ホーム
004 浜松駅(在来線)
車窓から見える景色は、前回の旅で歩いた処なので、バス停のベンチで休んだこと、舞阪の松並木、強風の浜名湖を渡ったことなど、一月前の旅のことを思い出しながら車窓からの景色をぼんやりと眺めていました。
今日の浜名湖は、少し波が立っている程度で、穏やかな感じでした。
天候は、その時の運次第なので、幸運を祈るしかありません。
そのようなことを思っていると、浜松から4駅目の新居町に着きました。
09時06分、新居町駅着
改札を出て、真っ直ぐ前回の到着地の場所に行き、前回分の儀式である到着地の写真を撮り、その直ぐ後に今日の出発式(写真撮影)を行いました。
【=旅=】
09時10分、新居町駅前地下道横断歩道信号(出発地)
006 出発式(新居町駅前)
出発式の後、一度交差点を渡って反対側の進行左側に行き、旅を始めました。
歩き始めてルート図をもう一度見てみると、この先で道路が左側に分岐しているため、また道路の反対側に戻らなければならないので、車が来ないことを確認し車道を横切り、ガードレールを跨いで進行右側に戻りました。
Yumiさんから、「え、渡るの」と云われましたが、「急いで渡って」と云って一緒に渡ってもらいました。
進行右側の歩道を約500m歩くと浜名橋があり、橋の歩道沿いに
新居宿の浮世絵の陶板が6枚設置されていました。
09時16分、浜名橋(右側)
新居宿浮世絵の陶板
010 新居宿絵(浜名橋)
近くで撮るよりも少し遠くからの方が良いと思い、道路の反対側から少し望遠にして撮りましたが、Yumiさんはどこを見ているのか・・・。
浜名橋を渡り、約130m歩くと右側にお城を模した建物がありました。
09時19分、湖西市消防団第10分団詰所(右側)
011 湖西市消防団詰所
日本橋からここまで歩いてくる途中にも消防団の詰所はありましたが、このような詰所は初めてです。
消防団の詰所の隣りに関所の駐車場(公衆トイレ有り)があり、その先隣りに新居関所がありました。
09時20分~09時31分、新居関所史跡(右側)
021 新居関所石碑
入口で、旅籠紀伊国屋も観れる共通券(@400円)を購入し入場しました。
入口の直ぐ前が、渡船場跡になっており、関所跡は建物を含めて復元されていました。
 渡船場跡
012 舟渡場跡
配られた資料を見ながら見学し、靴を脱いで建物の中にも入ってみました。
蝋人形が薄暗い中に据えられているので、Yumiさんは気味悪そうでした。

016 新居関所②
  関所の石樋跡(浜名湖に雨水を流す側溝の跡)
018 関所の石樋跡
Nさんとの待ち合わせや、他の史跡見学もあるので、資料館で街道スタンプを押印し、足早に見学して次に向かいました。
関所跡を出て約60m歩くと、左側に黄色の暖簾を張った旅籠紀伊国屋がありました。
9時35分~9時45分、旅籠紀伊国屋(左側)
023 旅籠紀伊国屋
紀伊国屋は、1703年(元禄16年)に紀州藩の御用宿となり、1716年に紀伊国屋の屋号を掲げた宿内の老舗だったようで、店主は紀州の出身で江戸初期に新居に移り住んで茶屋を営み、昭和30年代に廃業するまで約250年旅館業を営んでいました。
入場料を支払ったので、面倒でしたが靴を脱いで見学しましたが、旅館の施設を見ても部屋はガラーンとした宿泊部屋だけでした。
私がセルフタイマーで写真を撮ろうと思い携帯用三脚を立てる台がないか探していると、Yumiさんが「座布団使ったら」と云うので、撮ったのが下の写真です。
  紀伊国屋・居室
027 旅籠の室内②
受付の人が、「この建物の裏に大正から昭和20年代まで芸者置屋と小料理屋だった小松樓があるので、ぜひ見て行って下さい」と云われ、近道になる裏口に案内して下さいました。
小松樓跡は、次に見ようと思っている史跡から逆方向に離れるので、施設の中には入らずに外から見ただけで失礼しました。
  
小松樓(左側=紀伊国屋の裏手)
029 小松楼
旅籠紀伊国屋の裏を通り、細い脇道を抜けて街道に戻りました。
戻った街道右側の疋田医院(泉町交差点の右角で紀伊国屋から約80m)が本陣跡と資料に記されていたのですが、廃院となっていて史跡は何もありませんでした。
街道は泉町交差点を左折するのですが、交差点を渡った右角に本陣跡の標板が立っていました。
09時51分、飯田武兵衛本陣跡(右側)
031 飯田本陣跡
飯田本陣は、建坪196坪で、門構え玄関を備え、小浜藩、桑名藩など約70家が利用していたそうで、明治天皇の行幸の行在所にもなったそうです。
飯田本陣の隣りに、道標が立っていました。
033 新居宿本陣跡道標
そして、道標から約20m先の右側に、先ほどの疋田医院のところにあると思っていた疋田本陣跡がありました。
09時53分、疋田八郎兵衛本陣跡(右側)
035 疋田本陣跡
疋田本陣は、飯田本陣とほぼおなじ建坪193坪で、門構え玄関を備え、吉田藩、徳川御三家など120家が利用していました。
また、疋田家は、新居宿の庄屋や年寄役も務めていたそうです。
疋田本陣跡から約50m歩くと、右側に寄馬場跡の石碑が立っていました。
09時55分、寄馬場跡(右側)
038 寄馬跡
新居宿は人夫100人と馬100匹を用意するように決められていましたが、数が足りない時に助郷として集められた人馬の溜り場が寄馬場だったそうで、補充のために宿駅近隣の村々に課された夫役です。
寄馬跡碑の後、今日の昼食に新居町が普及に力を入れている「関所太巻き」を食べる予定にしていたので、約110m先右側のスーパーかきこや仲町店に立ち寄りました。
009時57分、スーパーかきこや(右側)
店舗は9時に開店していたので、
E=関所太巻きは何処に置いてありますか?
店=昼に合わせて11時頃に作るため、まだありません
E=お昼に食べようと思っていたのですが・・・・
店=これから作るので、少し待ってくれます?
E=時間はどのくらい掛かりますか?
店=10分ほど
E=それならお願いします
と云って、待つ時間を使って店舗の裏手にある諏訪神社に向かいました。
10時01分、諏訪神社(右側)
  神社入口の大けやき

041 諏訪神社の大ケヤキ
  諏訪神社・本殿
040 諏訪神社
店舗に沿って右折し、上り坂を歩くと入口に大けやきの樹があり、本殿はその奥にありました。
本殿に参拝し、お賽銭をご奉納し、誰もいなかったので、声を出してYumiさんの病気完治と旅のご加護を祈願しました。
声を出しての口上は、とても気持ちが良く、周りに人がいない時は声を出しています。
参拝を終わり、またスーパーに戻ると、注文した関所太巻きを作っているところでした。
関所太巻きは、浜名湖ののりを使い、しらす、まぐろ、きゅうりなど各店独自の食材で作られた太巻きで、寿司屋さんで売られている太巻きより太く出来ており、ワンパック4片(@480円)を2個買いました。
店舗を出て道を隔てた菓子舗いさごやに寄りました。
10時11分、いさごや(右側)
この店は、どら焼きが名物で、小腹用にどら焼きを2個(@120円)と、Yumiさんがご所望の真空パックの深茶を一緒に買いました。
店を出ると体も外気も温かくなってきたので、Yumiさんは薄フリースを、私はチョッキを脱ぎ、それぞれ衣服調整しましたが、Yumiさんは少し不服気味でだったので、「」寒くなったらまた着るからね」と話し夫婦の小争いにならないで終結しました。
いさごやを出て約350m先の右側に若宮八幡宮があり、参道入口の手前左側の民家の垣根の処に、日本橋から65番目の一里塚跡のパネルが立っていました。
10時22分、065新居一里塚跡(左側)
043 新居一里塚跡
一里塚跡から約70m歩くと右側に西町公民館があり、さらに約50m歩くとY字路となり、街道は右側に進みます。
すると約90mで左に曲がり、さらに約160mで国道1号の橋本交差点となり、交差点を右折するクランク形の枡形道になっています。
このクランク形の道で、最初に右折して約70m歩いた処の右側に棒鼻跡がありました。
10時26分、棒鼻跡(西木戸跡)
046 棒鼻跡
棒鼻とは、江戸時代の宿場町の入り口の呼び名のひとつで、木戸とか見付けとも云うそうです。
枡形道(クランク形)はこの先で左折して橋本交差点に向かいます。
045 枡形(クランクになっている)
棒鼻跡の先で左折し、約160m先の橋本交差点に出る手前の右側に東海道の道標が立っていました。
10時28分、東海道の道標(右側)
048 新居宿加宿 橋本 道標
そして、国道1号線と合流する橋本交差点を右折して約30m(3軒目?)歩いた左側に、古民家が建っていました。
049 古民家
格子戸の入った時代を感じさせる建物だったので、思わずシャッターを押しました。
古民家から約160m歩くと橋本西交差点(三叉路)があり、交差点の手前約40mの左側に風炉の井跡がありました。
10時31分、風炉の井跡(左側)
050 風炉の井跡
風炉の井跡は、橋本西交差点(三叉路)の左側に石碑があると資料に書かれていたので、Yumiさんを残して道路の反対側に渡ったりして探しましたが見つかりませんでした。
「なかったよ」と云いながらYumiさんの処に戻り先に進もうとした時、三叉路の脇にある家の人が
男性=風炉の井の石碑かい?
E=そうです
男性=それなら「あそこだよ」
E=ありがとうございます
私の動きを見ていて、石碑を探していることが分かったようで、親切に声を掛けて下さいました。
風炉の井は、尾崎家の石積井戸は口径1.8mあり、1190年源頼朝が上洛の途中、この井戸水で茶の湯にしたと伝えられています。
さて、旧街道は橋本西交差点の三叉路で、左手に進む国道1号線から別れ、右手の浜名街道を進みます。
三叉路から約400m歩くと左側に松並木が始まり、右側に紅葉寺跡の案内パネルが立っていました。
10時43分、紅葉寺跡(右側)
053 紅葉寺跡
お寺が好きでないYumiさんは、「どこに立つの」と、少し噴火していましたので、すぐ終わるからと云って階段の処に立ってもらいましたが、にこりともしないYumiさんでした。
松並木は、左側だけですが、かなり長い距離続いていました。
  松並木(Yumiさんの後方をこれから歩きます)
058 浜名旧街道松並木
松並木を歩いていると東海道東下りの男性一人の街道ウォーカが歩いてきました。
男=どこからですか?
E=新居町から二川まで歩きます
男=私は二川を8時出てきました
E=私達は史跡見学や写真を撮ったりしているので遅いんですよ
男=新居町までどのくらいでしょうか
E=歩くだけでしたら、1時間程度です
男=ありがとうございました
と短い会話を交わして別れました。

10時57分、松山住宅入口(まだ続く松並木)=左側

059 浜名旧街道松並木③
松並木の途中、左側に建つ松山住宅に入る道があり、松並木はそこからさらに約300m続きます。
そして、松並木が終わった処に浜名街道の標識が立っており、約60m先の左側に立場跡の石碑とパネルが立っていました。
11時01分、立場跡(左側)
061 立場跡
立場は、旅人が休息する施設で、江戸時代は東海道の各所に設けられていた。ここ大倉戸の立場は新居宿と白須賀宿の中間出来ていました。
立場跡から約850m歩くと、火鎮神社の参道入口の右角に東海道の道標が立っていました。
11時12分、東海道道標(白須賀宿・火鎮神社)
064 白須賀宿道標
街道の右側の柵の中に、白須賀宿案内絵図と並んで立っていました。
そして、左側の一区公民館(約110m先)や左側の元町東町公民館(約800m先)を見ながらさらに約160m歩くと、右側の民家の前に、日本橋から66番目の一里塚跡と高札場跡の石碑とパルネが立っていました。
11時28分、066白須賀一里塚跡・高札場跡
065 白須賀一里塚跡・高札場跡
一里塚では必ずYumiさんの写真を撮るのですが、家に帰って写真を見てみたらYumiさんの写真が撮れていませんでした。
私のシャッター操作がダメだったようで、私の写真で我慢して下さい。
旧街道は、約600m先(国道42号線に出る約130m手前)の岩松冷熱工業の看板が掲げられた処を、右折して潮見坂を上ります。
※右折すると左側に東海道道標(白須賀宿・潮見坂下)が立っている。
11時35分、東海道道標(白須賀宿・潮見坂下)=左側
068 潮見坂道標
この道標の処で、暑さ対策を考えYumiさんに「暑くなるからチョッキを脱いで」と云うと、いつものとおり「脱いだら寒くてダメ」と拒絶反応がでましたが、坂を歩けば必ず暑くなるので、Yumiさんのブーブー文句は馬耳東風で無視して脱いでもらいました。
潮見坂は歩いて見ると私でも息が切れる勾配の坂で、約450m歩くと右側に潮見坂のパネルが立っていたので、Yumiさんに声を掛けて休憩し水分補給しました。
11時44分、潮見坂(右側)
070 潮見坂(後方は海)
また、ここは海の眺望の良いところで、上ってきた道を振り返ると遠州灘の太平洋が広がっていました。
Yumiさんに「海が見えるよ」と云うと、「そう」と云って少し振り向いただけで、興味がなさそうでした。
きっと、登りたくないきつい坂道を歩いてきたので、眺めるといった状態でなかったのでしょう。
潮見坂は、西国から江戸への道程では、初めて太平洋や富士山の見える場所として旅人の詩情をくすぐった地で、街道一の景勝地として数々の紀行文に記されています。
一服休憩を終え、「もう少しで昼食だから」とYumiさんを激励し、潮見坂の上りを再開しました。
約150m歩くと左側に白須賀宿歴史拠点施設の「おんやど白須賀」の建物が見えてきました。
 おんやど白須賀
073 おんやど白須賀・全景
《昼食》
11時48分~12時15分、昼食(おんやど白須賀)=左側

受付で記帳し、館内での食事の許可を頂き、昼食にしました。
新居町を出てからここまで、コンビニを含めて食材を調達できる処は一軒もなかったので、新居町のスーパーで関所太巻きを購入したのは、大正解でした。
屋内に入りましたが、動きが止まると体温が下がるため、Yumiさんにウインドブレーカーを着せました。
また、私は帽子からバンダナを頭に付けました。
館内では、無料のお茶を頂きながら、座敷に腰掛けて買ってきた「関所太巻き」を食べました。
「関所太巻き」の感想は、「浜名湖のりと食材が良く合っていて、とても美味しかった」です。
今日、二川で「すれ違いの出会い」をするNさんは、国府を9時30分頃に出発しており、今どの辺りかなと思いながら、トイレを済ませ、館内の展示を見学し、係員の人に挨拶して次に向かいました。
  浮世絵=白須賀宿・潮見坂
077 白須賀潮見坂絵(館内)
  白須賀宿の模型
079 白須賀宿模型(館内)
おんやど白須賀を出て、すぐの左側に館内にあったのと同じ安藤広重が描いた「白須賀宿・潮見坂」の絵が立っていました。
081 潮見坂絵
おんやど白須賀を出て約180m歩いた右側の白須賀中学の反対側(左側)に、潮見坂公園跡のパネルが立っていました。
12時18分、潮見坂公園跡(左側)

082 潮見坂公園跡
そして、公園跡から約50mの先の左側に、潮見坂上の石碑群がありました。
12時20分、潮見坂上の石碑群(左側)
085 潮見坂上の石碑群
石碑群の南隣りは、遠州灘を一望できる展望台になっていました。
写真に写っている施設は、道の駅「潮見坂」です。
087 潮見坂上からの眺望
白須賀中学の隣りに白須賀小学校が、並んで建っていました。
12時25分、白須賀小学校西側角着
090 白須賀小・西側交差点
小学校の横を通り、白須賀の街に向けて約450m歩くと、道がクランク形の曲尺手(かねんて)になっていました。
12時30分、曲尺手(かねんて)
092 曲尺手(かねんて)
曲尺手は、直角に曲げられた道で、軍事的な役割の他に、大名行列同士が道中でかち合わないようにする役割もあったと云われています。
白須賀の街並みは新しく建て替えかれた家もある一方、古い家屋が維持されるなど、新・旧の家が混在して建っていました。
その中で、以下の三軒が、旅の記憶として残りました。
①太田サイクルの店舗=曲尺手を出た処の千成屋から約70m左側(白須賀郵便局より手前)
建物と店舗の看板は、年代を感じます
095 太田サイクル
②シーサー(?)が飾ってある家=太田サイクルの真向い
096 シーサーの飾りのある家
③たばこ店=本陣跡の先(右側)
戸は閉まっていたのですが、開けて写真を撮らせて頂きました。

101 タバコ屋
白須賀の街をきょろきょろしながら歩き、白須賀郵便局(左側)を通り過ぎた美容院(右側)の前に、本陣跡の標板が立っていました。
12時36分、大村庄左衛門本陣跡(右側)
099 本陣跡
大村本陣は1864年の記録に、建坪=183坪、231畳、板敷51畳と記されているそうです。
大村本陣から数軒先の右側にたばこ店があり、その角に脇本陣の石柱が立っていました。
12時38分、三浦脇本陣跡(右側)
097 白須賀・本陣跡
そして、たばこ店の先の白須賀駐在前交差点の右角に夏目みか麿邸跡の石碑が立っていました。
12時40分、夏目みか麿邸跡・加納諸平生誕地碑(右側)
102 夏目みか麿邸跡
夏目みか麿は、この地の造り酒屋で宿場の名主。家業の傍ら国学を学び、本居宣長の教えを受けた地元自慢の国学者だそうです。
加納諸平は、夏目みか麿の長男で、親と同じ国学者として紀州候に請われ国学所の総裁を務めたそうです。
石碑から約100m先の両側に、
火防樹・槙が植えられていました(火防樹のパネルは左側、写真は右側の槇)。
12時42分、火防樹
107 火防樹(マキの木)
坂上に移転し水害の被害がなくなった反面、坂上ゆえに風が強く火災が再々発生しました。
火防の対策として<防火用地=火除け地:間口2間、奥行き4.5間>を設け、かつ火に強い常緑樹の槙が10本ほど植えられたそうです。
昔はどこの宿場でも見られた風景ですが、静岡県内で現存するのはここだけだそうです。
火防樹から約30m歩くと、右側の民家(広田家)の花壇の処で、Yumiさんの歩みが停まりました。
私の三歩後ろを歩くYumiさんの「ちょっと」という声に、振り返って見ると「綺麗ね」の声。

109 民家の花壇
私は「綺麗だな」と思うだけで通り過ぎたのですが、女性のYumiさんは違いました。
広田さんの家で丹精込めて育てているのでしょう、花が競い合って咲いていました。
目の保養をさせて頂いて歩き始め、約280m先の右側に猿の像が飾ってあるお堂がありました。
12時48分、庚申堂(右側)
  入口の3体(見ざる・聞かざる・言わざる)
110 庚申堂
  境内の4体の猿
111 庚申堂のさる像

四猿は珍しく、左から見ざる、言わざる、せざる、聞かざるのようで、せざるは孔子の論語の「礼にあらざるもの視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、行うことなかれ(=せざる)」または、庚申信仰(庚申の夜は身を慎んで徹夜し女性を避ける)の「同衾せざる」からきているようです。

庚申堂を出ると白須賀宿の加宿であった境宿となり、約400m歩くと境宿公会堂前の三叉路手前に東海道白須賀宿加宿・境4宿の道標が、左角に高札場跡の石碑が立っていました。
12時52分、東海道の道標(右側)
112 境宿
12時53分、高札場跡(右側・三叉路角)
114 高札場跡
街道は、境宿の三叉路を左に約120m進むと、県道173号線に合流しました。
県道173号線を歩いていると境川があり、この川が静岡県と愛知県の県境と史料に記されており、県道に標識が建っていました。
13時00分、静岡県・愛知県県境
116 県境(静岡・愛知)
昨年の9月29日に第7回の旅で箱根峠を越えてから、13回(約180㎞)の旅で静岡県を通り過ぎることになりました。
「Yumiさんも良く歩いてきたな」と、継続することの凄さを感じながら愛知県に入りました。
街道は、緩やかな上り坂になっており、約250m歩くと一里山東交差点で、国道1号潮見バイパスに合流しました。
この辺りでは、一里塚を一里山と呼んでいるそうです。
そして、日本橋から67番目の一里塚があった「豊橋一里山」でしたが、跡碑を見過ごしてしまいました。
※067豊橋一里山 見過ごす
少し注意深く歩けばよかったと後悔したのですが、後の祭りでした。
旅の準備で豊橋一里塚は、一里山交差点から250m先の付近の右側と記され、ルートマップも一里山交差点の先に記されていたので、一里山交差点付近は簡単な確認で通り過ぎてしまいました。
ところが一里山交差点を過ぎた50mくらい先から注意深く右側を確認しながら歩きましたが、一里塚跡碑はありません。
200mくらい歩いた処で後ろを振り返り、一里山交差点付近のブロック積みと木立がある辺りではなかったのかと思いましたが、Nさんとの出会いがあるため戻ることはしないで先に進みました。
潮見バイパスは、ガードレールの中央分離帯があり信号のある交差点以外、進行左側に渡ることができないので、跡碑が右側ではなく左側に立っていたとしたら、最初から確認もできませんでした。
人の作られた資料を使用しているのですから、自分の勉強不足です。
そのため、新中田付近で潮見バイパスから少し回り道を歩くようにマップではなっていましたが、道路を渡る場所がなかったので、見るものが何もない、無味乾燥の潮見バイパスを延々と歩きました。
愛知県に入って約30分。
Yumiさんが疲れたと云うので、道路端のブロックに腰掛けて休むことにしました。
13時25分~13時32分、一服休憩
119 1号線沿いで休憩
一里山の処で休もうと考えていたのですが、一里山探しをしながら休憩せずに歩いてしまい、Yumiさんには可哀想なことをしてしました。
炎天下ですが、とにかく休もうとザックを降ろして道路脇の積ブロックに腰掛け、水分補給と、スポーツ羊羹(一口羊羹)を食べました。
18 スポーツ羊羹
スポーツ羊羹は、近年売り出されたもので、スポーツの補助食として人気が出てきたもので、持ち運びにも便利なので購入し、今回の旅から持参しました。
ひと休みして水分補給とエネルギー補給をして元気が出てきたので、「さあ、行くよ」とYumiさんに号令を掛けて再出発しました。
歩き始めると、私達を追い抜いていった記憶のない(どこから来たのか)男性二人の街道ウォーカが歩いていました。
13時37分、三ツ坂交差点通過
13時41分、豊清町茶屋ノ下交差点通過
一里山東交差点で潮見バイパスに合流してから約35分(一服休憩含む)、見るものが何もない、休憩する施設もない、無味乾燥な道路端を歩きました。
  
歩くYumiさん(豊清町茶屋ノ下付近)
120 もくもくと歩く
昼食を摂ったおんやど白須賀を出てから約1時間30分歩いた籠田交差点の角に、初めてのコンビニ(サンクス)があり、トイレをお借りしました。
13時48分、トイレ休憩(5分)
すっきりした気分になり旅を再開すると、先を歩いていた二人連れの街道ウォーカが、道路の脇に腰掛けて休んでいましたので、挨拶して先に進みました
14時01分、三弥町交差点通過
風は少し吹いていますが、ウインドブレーカーは暑いと思い、Yumiさんに脱ぐように話しましたが、風があって寒いのでイヤですと断られてしまいました。
  脱ぐ準備をしたのですが、この直後に拒否されました
121 ウインドブレーカを脱ぐ準備
国道1号潮見バイパスに一里山東交差点で合流してから炎天下のアスファルト道路端を、約3.9㎞歩きやっと二川ガード南交差点で潮見バイパスから離れることになりました。
14時07分、二川ガード南交差点(右折)

122 二川ガード南交差点
交差点を右折し、新幹線が走るガード下を潜り、約110m先の梅田川に掛かる筋違橋を渡り、約130m歩いた東海道線の踏切の手前で、Yumiさんがガードの手前で拒否した衣服調整を再度行おうとすると、Yumiさんの拒絶があり夫婦のになりました。
E=Yumiさん、やっぱり暑いからこれ(ブルーのウインドブレーカー)を脱いで
Y=寒いのでイヤです
(ウインドブレーカーの下のTシャツを触ると汗でビッショリです)
E=暑いから、こんなに濡れているんだよ
Y=これを脱いだら寒いの!!(強硬に拒否)
E=代わりにチョッキを着て、寒かったらまた着これを着るから
と、何とか納得して脱いでもらいチョッキを着ましたが、脱いだウインドブレーカは地面に投げつけられました。
Yumiさんに脱ぎ捨てられたウインドブレーカーを拾い、手で触って見ると中は汗でビッショリ濡れていました。
なお、
夫婦の小争いでウインドブレーカーをチョッキにお色直しすると、それ以降はYumiさんから苦情は発生しませんでした。
踏切に着くと、丁度遮断機が下りた時だったので、東海道線の電車が来るのを待って、シャッターを押しました。
数少ないチャンスだったので、良かったです。

14時12分、東海道線二川踏切

123 踏切(在来線が通過)
踏切を渡ったところで、出会いの約束した時間より少し早かったのですが、Nさんに場所確認の電話をすると、
E=今、東海道線の二川の踏切を渡ったところです
N=こちらは、二川本陣前のあたりです
E=え!!、もう、そこまで来ているの?
N=二川の本陣は見学する予定ですか
E=そのつもりでいます。
などの会話を交わしもう少しで出会うので、街道から外れた史跡は割愛し、Nさんと行き違いしないように気を付けて歩き始め、踏切を渡って約120m先の二川宿入口T字路の右角に、日本橋から68番目の一里塚跡があり石柱が建っていました。
14時17分、068二川一里塚跡(右側)
126 二川一里塚跡
Yumiさんと交代して写真を撮っていると、潮見バイパスで私達の先を歩いていた街道ウォーカの二人連れの方が「撮りますよ」と声を掛けて下さいましたので、お願いしてシャッターを押してもらいました。
なお、街道ウォーカの方は、そのまま先に歩いて行かれました。
いよいよ出会いの時が近づいてきましたので、街道から外れる妙泉寺山門付近にあるあじさい塚の見学を取り止め、街道を歩くと前方にNさんの姿が見えてきました。
14時21分、感動の街道すれ違いの出会い
 Nさんが見えてきました

127 出会い①(八幡神社入口)
   感動の出会いの瞬間です
128 出会い②
八幡神社参道入口付近(新橋?のたもと)で、Nさんと出会い、がっちりと握手
東海道の旅に出る時に描いた夢が一つ叶った瞬間です。
129 出会い③
Nさんのことを良く知っているYumiさんも、笑顔です。
※他の人のことは覚えていないのですが、Nさんだけはしっかりと記憶しています
出会いを味わいながら談笑したり、写真を撮ったりし、Nさんは逆戻りになりますが、二川宿本陣の見学に向かいました。
Nさんは見学する時間的な余裕があったのですが、私達のために見学を後回しにして下さいました。
本陣に向けてNさんと出会った小さい橋(新橋?)を渡った数軒先の右側に本駒屋がありましたが、改修工事中で建物を見ることが出来ませんでした。
本駒屋は、安政3年(1856)創業のたまり醤油屋です。建物は明治時代後期から大正時代に建てられたものですが、現存する豊橋市内最古の商家で豊橋市の指定有形文化財になっており、保存に向けて復元工事中でした。
14時30分、旧商家・本駒屋(右側)
131 本駒屋(改築中)
街道は、その先で枡形道になっていました。
二川宿は、写真の東側と本陣先の西側が枡形道にして、街の防御を図っていたようです。
130 枡形道
枡形道を進んだ先の十字路の右角に、東問屋場跡の石碑が立っていました。
14時31分、東問屋場跡(右側)
132 東問屋場跡
跡碑から70~80m歩いた右側に、松坂脇本陣跡がありました。
14時33分、松坂脇本陣跡(右側)
133 脇本陣跡
脇本陣は、間口約13m、奥行約35m、広さ93畳の大きさで、松坂家が務めていました。本陣が紅林家から馬場家に移った1807年に、街道南にあった脇本陣がこの地に移ったそうです。
また、街道の建物には、往時を名残りを残す江戸時代の屋号が飾られていました。
脇本陣の斜め前方に、二川本陣跡があり立ち寄りました。
14時34分、二川宿本陣跡(左側)
136 二川宿本陣跡
二川宿本陣は、文化4年(1807年)から明治3年(1870年)まで本陣職を勤めた馬場­家の遺構で、1855年には建坪233坪の規模になっていました。
本陣資料館の敷地に入ると、正面に高札場跡がありました。
  高札場跡
147 高札場跡
高札場の左側に資料館入口があり、入場料(@400円)を支払って入場しました。
本陣跡は、改修復原工事により主屋・玄関棟・書院棟・土蔵等を江戸時代の姿に復元し­、大名や公家など貴人の宿舎であった建物が公開されており、時間にゆとりがあったので、資料館を含めてゆっくりと見学しました。
  二川宿本陣跡碑
143 二川本陣跡碑
本陣の隣りには、旅籠屋「清明屋」(はたごや・せいめいや)があり、江戸時代後期から明治まで二川宿で旅籠­屋を営んだ倉橋家の遺構だそうで、改修復原工事により主屋・繋ぎの間・奥座敷等を江戸時代の­姿に復元され公開されていました。
  旅籠屋「清明屋」の入口
146 旅籠清明屋跡
E=Yumiさん、写真を撮るから座って
Y=どこに
E=(床を指して)ここ
Y=ここ?
と、Yumiさんは生きているように見える蝋人形が気持ち悪そうで、人形を見ないようにして座り、写真を撮ったらすぐにこの場を離れました。
蝋人形は、私が見ても生きているように見えましたので、お嬢様のYumiさんが気持ち悪いと云うのも頷けるほど、上手にできていました。
30分くらいの時間をかけて本陣資料館の史跡を見学し、入口に戻り三人で写真を撮ってから次に向かいました。
本陣資料館入口の向い(右側)に、本駒屋から分家した西駒屋跡の建物がありました。
15時05分、西駒屋(右側)
148 西駒屋

本駒屋・田村家は元々質屋で、成功をおさめた後、分家していき、東駒屋(本駒屋の隣り)、西駒屋で醤油や味噌などの醸造業を展開していったようでが、現在は廃業(未確認です)されているようでした。
看板は年代を感じます。
西駒屋の先で道は枡形になり、西側の敵に対する防御が図られていました。
そして、枡形の手前左側に道路元標と常夜灯がありました。
  
西枡形(左側の石碑が道路元標)
149 西枡形
15時08分、二川町道路元標(左側)
150 二川町道路元標
道路元標は、大正9年に各市町村に1ケ所設置され、市町村の起終点を示す道標で、現存する1,600基の一つでだそうで(当初は12,044基)、豊橋市には、旧東海道であったこともあり豊橋・札木通りと二川に残されています。
二川宿の街並みは旧街道が大切に保存され、古民家が残されています。
151 古民家
また、Yumiさんは気心の合うNさんと楽しそうに話しをすることができ、良い治療薬になったと思いNさんには「感謝」以外に表現する言葉がありません。
152 歓談
歓談しながら史跡を見落とさないように注意して歩き、史跡を見付けると、「ちょっと待ってて」とNさんに云ってYumiさんにモデルになってもらいました。
15時11分、西問屋場跡(右側クリーニング店の前)
153 西問屋場跡
街道をそのまま進むと右側の大岩神明宮に入る反対の左側に郷蔵跡の石碑が立っていました。
 大岩町郷蔵跡(左側)=案内看板の脇
155 大岩町郷蔵跡
郷蔵とは、江戸時代、年貢米の保管や凶作に備えた貯穀のために置かれた共同の穀蔵のことだそうです。
郷蔵跡を過ぎ、約100m歩いた化粧品店の前に立場跡の石碑が立っていました。
15時18分、立場茶屋跡(左側)
157 立場茶屋跡
立場は人足の休憩したところで、二川宿西入口見付土居の東側にあり、茶店が軒を連ねていたのですが、本陣や旅籠とは客の取り合いで、特に旅籠は死活問題だったので、係争が起きるなど仲は良くなかったようです。
立場跡を跡に旅を進めると、数分でJR二川駅前に出ました。
15時23分、二川・駅前交差点(到着地)
159 到着式(二川駅前)
到着式は、二川駅前交差点でしたが、駅舎が見えて、時計台が入った方が良いかなと考え、場所を代えて行いました。
到着式を行い今日の旅を終えました。
Nさんは日帰りで大阪に帰るのですが、豊橋駅で出会いの乾杯をしようと云うことになり二川駅に行きました。
【ホテル】
《移動》
15時30分、二川駅発
162 二川駅ホーム
豊橋に向かう電車は120%くらいの混雑で座れませんでしたが、豊橋駅は1駅目なので、旅の後でも苦になりませんでした。
15時36分、豊橋駅着
まず、私達が泊まるホテルでチェックインしてから乾杯しようということになり、乾杯する店舗を探しながら予約してあるホテル(東横INN)に向かいました。
15時50分、ホテル着
ホテルでチェックインして鍵を預かり部屋に向かおうとすると、フロントの方から
ホ=車椅子用のツインルームが空いていますが、いかが致しますか?
E=使わせて頂けるようでしたらお願いします
ホ=事前の予約は車椅子の方に限定させて頂いていますが、空いていれば車椅子を使用しない介護を必要とする人にも提供させて頂いています
と云われました。
私が事前にホテルを予約した時、車椅子の方だけと利用を断られていたので、チェックインの時もこのことに関しては何も云いませんでしたが、私との電話の交信記録が残っていたのでしょうか、チェックインした時に利用の可否を聞かれました。
Yumiさんは一人でホテルのシャワーなどを使用することが難しくなっているため、通常の部屋の浴室だと狭く介護が難しいため、介護用の部屋をなるべく利用させて頂いており、ホテルのご厚意で介護用の部屋を利用させて頂くことになりました。
そして、Nさんにロビーで待っていてもらい、ザックを部屋に置き近くの居酒屋へ乾杯に出掛けました。
【乾杯】
時間が16時頃と早いため開店している居酒屋があるのか心配しましたが、豊橋駅とホテルの中間くらいにある「はなの舞」が開店していたので入店しました。
164 乾杯②
生ビールを乾杯し、今日の出会いを祝しました。
久し振りに会ったNさんと、ビールや焼酎を飲みながら、現役当時の思い出や近況のことなど、いろいろなことを話していると、Yumiさんが今日の旅の疲れかコックリが始まったのを見たNさんが、「今日は旅をして疲れているからそろそろ終わりにしましょう」と云われお開きにしました。
約2時間のNさんとの乾杯でしたが、一生の思い出を作ることができた一日になりました。
Nさん、ありがとうございました。
18時20分、乾杯終了
Nさんと次に会うのは、5月3日の大菩薩峠ハイクで、再会を約して店の前で別れました。
私とYumiさんは、ホテルに戻り、シャワーを浴びたり、荷物の整理をして21時30分頃に夢の世界に入りました。

応援メールやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールをご利用下さい。
  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


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