旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2013年11月

【京都・紅葉散策②】
《移動》
起床、5時30分

今日は宿泊した嵐山周辺の紅葉散策に出掛けるので、朝の外出はしないでザックの整理や身支度を整えながら、部屋の前の紅葉を背景に記録に残したりして過ごしました。
07時36分、部屋の前の紅葉
001 部屋からの眺望
 ↓朝食
004 朝食
館内放送で朝食の案内があり、食堂に行くと全て配膳されており、夜に比べて質素ですが、ご飯、味噌汁、焼き魚、その他のおかずで十分で、私はご飯のお代わりし、Yumiさんも残さずに食べました。
今日は、食後に部屋へ戻り、トイレを済ませてからザックなどの荷物を持ち部屋を後にしました。
08時19分、宿泊施設発
レンタサイクル屋さんの場所は前日確認しておいたので、宿泊施設から最短距離を歩いて行きレンタサイクルを借りました。
《散策》
08時25分~08時30分、レンタサイクル屋

自転車(1,000円/回)を借りる時にザックの一時預かりをお願いすると、1個200円で預かるとのことで、2人分(400円)預け、レンタサイクル屋を出発しました。
地図は用意していたのですが、レンタサイクル屋から頂いた地図も持参し、大覚寺に向かいました。
細い道を地図を確認しながら走ると大覚寺門前交差点があり、その脇に大覚寺御所跡碑が建っていました。
8時40分、大覚寺御所跡碑
009 大覚寺御所跡碑
碑から約400m走ると大覚寺に突き当り、駐車場脇の自転車置き場に駐輪して大覚寺に行きました。
大覚寺は、時間が早く(開館9時)まだ玄関先しか入れず、紅葉ではなく菊の花を背景に記録を残し先に行くことにしました。
08時43分、大覚寺本殿入口

011 大覚寺・境内
 ↓大覚寺庭園
013 大覚寺脇
大覚寺境内入口の紅葉を記念に撮影し、駐輪場に行き二尊院に向かいました。
二尊院への道は、地図を確認しながら走りましたが、初めての道なので途中で地元の人だと思う人に聞くと、「分かりません」と云われ「え、近所ではないの」と思ったのですが、地図を見せて「この辺りですか」と今いる位置を確認しました。
二尊院は、聞いた場所から数分のところにあり、門前の駐輪場に自転車を停め山門を潜りました。
09時00分、二尊院着
山門を潜った脇に受付があり、入場料(@500)を支払って参道を歩き始めましたが、直ぐに立ち止まりました。
紅葉の素晴らしさに、直ぐに「Yumiさん、ここに立って」と云ってカメラを向けました。
時間が早かったので、周りに気兼ねすることなく写真を撮ることができました。
 ↓①参道入口からの眺め
018 二尊院・参道
 ↓②参道・階段下からの眺め
020
 ↓③参道・階段中間からの眺め
024
 ↓④参道階段上
026
 ↓⑤境内入口手前
028 境内方向
 ↓⑥二尊院本殿
030 二尊院・本堂
 ↓⑦境内
031 境内
 ↓⑧住職が使用した駕篭
033 住職使用駕籠
 ↓⑨境内から出た処(⑤の写真の逆方向からの眺め)
035 28の逆方向・境内からの戻り
 ↓⑩参道階段上からの眺め(④写真の反対方向の眺め)
037 階段上
二尊院の参道、境内の綺麗な紅葉をみることができ、満足して寺院を跡にしました。
09時14分、二尊院発
次に向かうのは、竹林の小道です。
二尊院から地図を見ながら自転車を走らすと、9時を過ぎたので反対側から人が歩いてくるようになりました。
どこが竹林の小道か分からず、最初に立ち止まったのは竹林の中にある家で、なんとも風情を感じ、失礼して門の中に入らせて頂きました。
 ↓竹林の中の家(実際に住んでいました)

041 竹林の家の門前
045 竹の小道
竹林の家から先も竹林の間を通る道となっているのですが、竹林の小道ではないようです。
047
自転車を走らせるとトロッコ嵐山駅に着きました。
自転車を置いてひと休みしようと店の人に駐輪を聞いたら、「トロッコが停まって人が大勢通るので、停めないで下さい」と断られてしまいました。
何か食べるものを買ってひと休みしようとしたのですが、けんもほろろに云われて移動したので、トロッコ嵐山駅の写真を撮ることを忘れてしました。
また、この先から野宮神社までの間が「竹林の小道」なのですが、駐輪を断られたことで気分悪く走っていたので、ここも写真を撮らないで通過してしまいました。
そして、自転車をそのまま走らせていると野宮神社があり、自転車を駐輪し参拝に立ち寄りました。
09時35分~09時39分、野宮神社
神社には多くの人が来ていましたが、まだ早い時間なので、少ない方なのでしょう。
神社の鳥居を潜り、本殿に詣でて参拝しました。
051 野宮神社・鳥居
神社境内にも紅葉がありましたが、鳥居を出た左側にある紅葉の方が綺麗で、多くの人が写真に収めていました。
054 神社前
ここから天龍寺の方向を確認し、地図を見ないで自転車を走らせたのですが、分かりづらい細い道に突き当たったりして天龍寺に到着し、駐輪場に自転車を停め寺院の紅葉を眺めに向かいました。
09時46分~10時12分、天龍寺
 ↓参道

060
 ↓本殿(実際は庭園が綺麗に見えたのですが、逆光でした)
062 庭園は逆光で見えず
 ↓境内の紅葉①
063 境内
 ↓世界遺産の庭園
066 世界遺産の庭園
072
 ↓境内の紅葉②
074 天龍寺・庭園内
 ↓境内の紅葉③
078
 ↓境内の紅葉④
080
 ↓境内の紅葉⑤
084
 ↓境内の紅葉⑥
086 天龍寺参道
《帰路》
10時26分、嵯峨嵐山駅発
10時42分、京都駅着
京都駅で、昼食の駅弁やビール、お土産などを購入し、新幹線のホームに向かいました。
 ↓駅弁(京都牛膳)

094 駅弁(京都牛膳)
11時33分、新幹線京都駅発
 ↓京都駅・新幹線ホーム

088 新幹線京都駅ホームベンチ
今日は少し雲が出ていましたが、車窓から見る景色はとても綺麗で、食べたり、飲んだり、景色を眺めたりと忙しい時間をすごしましたが、Yumiさんは駅弁を食べ終えるとコックリ、コックリしていました。 
 ↓浜名湖

095 浜名湖(車中から)
静岡を過ぎた辺りから富士山の眺望を楽しみにしながら眺めていると、一番綺麗に見える新富士駅を通過すると見えてきました。
今日の富士山は、とても綺麗に眺めることができ、目覚めていたYumiさんと「綺麗だね」と云いながら眺めていました。
 ↓富士山

099 富士山
14時03分、品川駅着
Yumiさんは、動いている新幹線でトイレに行くのは嫌いなため、品川駅で下車して直ぐにトイレに連れて行き、多くの乗降客を避けながらコンコースを歩き、山手線に乗って帰りました。
14時12分、品川駅発

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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


京都・紅葉散策①】
《散歩》

起床、5時30分
身支度を整えて、京都嵐山の名物である渡月橋に出掛けました。
6時20分、宿舎発
渡月橋の前を走る県道29号線に出て愛宕山の方を見ると、山が綺麗に色付いていました。
  ↓色付いた山(愛宕山?)

002 嵐山
桂川を見ると、台風18号の時の残骸がまだ残っていました。
003 台風の跡
  ↓全景
007 渡月橋
06時31分、渡月橋
012
渡月橋は、朝が早いので、ほとんど歩いている人がいないので、行き交う人に気兼ねすることなく歩くことができ、6時30分頃になるとだんだん明るくなり、東の空が朝焼けに輝いてきましたので、日の出間近かです。
 ↓朝焼け雲

017 朝焼け
朝の冷たい風を浴びながら渡月橋を渡り、反対岸にきました。
 ↓橋の反対側(桂川を渡ったところ)

020 渡月橋・反対側
桂川の左手にある嵐山も木々が色付いていました。
 ↓色付いた嵐山

026
ひととおり渡月橋および周辺を眺め、宿泊施設に戻りました。
《移動》
7時30分~7時50分 朝食

030 朝食
予約が決まった時、朝食の時間を問い合わせるとパンフレットに記されていたとおり8時からと云われ、予約したレンタカーの時間に合せるため食事の時間を30分早めて頂くことを話すと了解して下さり、7時30分になりました。
その後、レンタカー利用をバス移動に変更しましたが、早い時間の移動の方が楽かなと思い、朝食時間はそのままにしていたので、7時30分少し前に食堂に行くと準備が整っていました。
朝食の時間は、指定されたテーブルで食事を始めると、10分後の40分に館内放送で朝食の案内があり、これなら特に早くしてもらわなくても良かったのかなと思いました。
腹八分目の食事を終え、そのまま部屋に戻らないで(※)出発しました。
Yumiさんは持参したショルダーバック、私はYumiさんの旅の荷物を取り出したザックを背負いました。
07時53分、宿泊所発
08時00分、嵯峨嵐山駅着
ホームは電車が発車した直後だったのかほとんど人がいませんでしたが、今日は平日なのでホームには通勤する人で行列になりました。
08時11分、嵯峨嵐山駅発
乗車した電車は快速で終点の京都駅まで3駅停車の13分で着くため、乗車すると通路は歩けない混雑でしたが、次の駅でYumiさんが、その次の駅(終点の手前)で私が座りました。
08時24分、京都駅着
下車した駅は乗降客で溢れ返り東京と同じように歩くのが大変な状況の中、案内板を見ながら京都市バスの切符売り場に向かいました。
  ↓京都駅構内
034 京都駅
市バスの切符売り場に入ると、日本語が聞こえないで、中国語などの言葉が飛び交う騒々しい状況でした。
《散策》
市バスの一日フリー切符(@500円=均一220円範囲内)を購入し、最初に行く東福寺のバスを教えてもらい並びました。
既にバス停には中国人や修学旅行生がならんでおり、立ち席状態できたバスにやっと乗り込み、すし詰め状態で出発しました。
08時38分、京都駅バス停発
08時57分、東福寺バス停着
東福寺バス停では、乗客の90%の人が降りました。
向かうところは皆同じ方向なのと、戻ってくる人で、クランク形に歩く道は沢山の案内人がいるので、迷う心配なく歩けました。
 ↓東福寺の紅葉

036 東福寺付近
09時05分、東福寺(写真中央が通天橋)
037 東福寺
東福寺の紅葉は赤・黄・緑が入り混じった紅葉で、綺麗でした。
通天橋からの紅葉は以前きた時に見たことがあるので、今日は無料の通路から見るだけにしました。
東福寺の境内に入って行くとYumiさんがトイレに行きたいと云うので、トイレに連れていきそのまま寺院を後にして、清水寺に向かいました。
清水寺には、東福寺バスで207番のバスに乗って向かいました。
市バスフリーキップは、最初に下車する時にカード機を通すと日付が刻印され、乗車の時は乗るだけ、降りる時は刻印された日付を見せるだけと、とても便利でした。

151 一日フリーキップ
〔清水寺〕
清水寺に行くには「五条坂」か「清水道」のいずれかで行くのですが、バスの案内で「清水寺はこちらです」とあり、五条坂で降りました。
五条坂はちゃわん坂の名前のとおり、だんだんと傾斜がきつくなり、最後はひと休みして上る傾斜となり、上った処から紅葉だらけの境内となりました。
09時43分、清水寺境内①

044 清水寺・境内
入口で入場料(@300円)を支払い、清水の舞台がある本殿に入り、紅葉を眺めました。
09時48分、清水寺・舞台

046 清水寺・舞台
 ↓清水寺の紅葉
053 清水寺
 ↓境内②
056 清水寺・境内
 ↓境内③
058
 ↓清水坂上
061
帰りは、清水坂を下って「清水道バス停」に行きました。
バス停で待っていると、地元の叔母さんが
叔母さん=何処にいかれるのですか?
E=南禅寺です
叔母さん=100番に乗って「南禅寺・永観堂道」のバス停で下りなさい
E=ありがとうございます
と教え下さいました。
私が持参している「市バスのルート図」では100番は南禅寺・永観堂道バス停を通らずに、202番だと通ります。
叔母さんは私以外にも声を掛け、南禅寺という人には、私に話したことと同じように下車するバス停を教えていました。
叔母さんは先にきた別ルートのバスに乗って行ってしまい、私は先に来た100番のバスに乗り近くの東天王町で降りて南禅寺・永観堂に行くことにしました。
東天王町で降り、地図を確認すると永観堂の前を通るのですが、帰りに同じ道を戻ってくるので先に南禅寺に行くことにしました。
《昼食》 10時50分~11時46分 湯豆腐「奥丹」
最初は南禅寺の紅葉を見てから昼食と考えていたのですが、10時50分頃に食べる予定にしていた湯どうふの「奥丹」の前には10組(20~30人)ぐらいの人が並んでいたので、急遽予定を変更し並ぶことにしました。
11時開店ですが、並ぶと直ぐに案内が始まり、少し待っていると「こちらにどうぞ」と案内されました。
 ↓中庭で案内を待っています
064 奥丹
 ↓座ると最初にとろろ汁が出されました
065 奥丹・店内
 ↓とうふおまかせセット
066 湯豆腐セット
詳しいことは、以下のURTを参照下さい。
 http://www.kyotokanko.co.jp/kyoto/tetsugaku/shop/okutan.html
 ↓中庭から店外までの行列
067 奥丹の行列
奥丹は、創業350年余の老舗の湯どうふ店で、行列をみるだけでその人気がうかがえます。
店を出ると目の前が南禅寺で、綺麗な紅葉に大勢の人(ほとんどが中国人のようです)が散策していました。
《南禅寺》
 ↓境内・三門の手前
069 南禅寺・境内
11時50分、南禅寺・境内(三門から法堂方向)
072 南禅寺
 ↓三門(後方)
075 三門(後方)
南禅寺を出て、次に永観堂に行きました。
《永観堂》
12時01分、永観堂・参道
079 永観堂・境内
参道から紅葉が楽しめたので、中に入りませんでした。
080
 ↓永観堂・山門
083 永観堂・山門
下車した東天王町バス停が見える道路に出ると、次に行く銀閣寺前に停車する100番のバスが到着したところだったので、運転手さんに手を振って待ってもらい乗車しました。
銀閣寺前まではバス停で2つ目なのですが、バス停間の距離があり健脚の二人でも歩くのはちょっとという距離でしたので、助かりました。
バス停から銀閣寺に向かう途中の右側に、桜が立ち並ぶ哲学の道がありました。

《哲学の道》
12時23分、哲学の道
085 哲学の道
哲学の道に入る反対側(左側)にトイレがあり、Yumiさんに聞くと行きたいというので、連れて行ってから銀閣寺の入口て゜入場料(@400)を支払い、見学に入りました。
《銀閣寺》
12時26
分、銀閣寺
090
 ↓銀閣寺境内
091
 ↓銀閣寺裏山からの眺め
099
 ↓境内からの眺め
102
 ↓銀閣寺裏側
105
銀閣寺を出て、次に予定している金閣寺に行くため銀閣寺前バス停に停まっていた運転手にバスルートを聞くと、「この先のバス停から102番に乗って下さい」と教えられ、銀閣寺道バスに移動しました。
バスは同志社大学の前を通り、北野天満宮を経由して金閣寺に行くため、行く順番を変更して先に北野天満宮に行くことにしました。
《北野天満宮》
北野天満宮前バス停で下車し、道路を横断し北野天満宮鳥居の前に立ちました。
13時27分、北野天満宮・鳥居
106 北野天満宮・鳥居
鳥居を潜り参道を進むと、右側にある駐車場の脇の木々が赤・黄色に輝いていました。
 ↓参道脇の紅葉
108 参道脇の紅葉
参道を進むと立派な山門があり、山門を潜って境内に入りました。
110 北野天満宮・山門
本殿でお賽銭をご奉納し、Yumiさんの病気平癒と東海道夫婦二人旅のお礼とご加護をお願いしました。
ご祈願は、周りに人がいたので、声は出さずに行いました。

112 北野天満宮・本殿
お参りを終わり、参道を歩いていると屋台があり、たい焼きを買い一服休憩しました。
13時38分、北野天満宮参道(休憩)
114 参道で休憩(鯛焼き)
13時45分、北野天満宮バス停
115 北野天満宮前バス停
バス停に着いた時は待っている人は少なかったので、バス停の椅子に座って待っていました。
ところが金閣寺に行く「101番」と「102番」のバスがなかなか来ないため、だんだんと待つ人が増え最後は立って待つことににりました。
バスは15分待って、やっと来ました。
《金閣寺》
金閣寺道バス停で降り、参道入口で入場料(@400)を支払い中に入りました。
14時05分、金閣寺・参道
117 金閣寺・境内
 ↓金閣寺
120 金閣寺
金閣寺は中国からのツアー客、修学旅行生で、写真を撮るのも大変です。
人がいなくなるのを待ってビューポイントで撮るのですが、Yumiさんは私が云うことが理解できないため、私がカメラの位置を合わせてYumiさんにカメラを渡してから私がビューポイントに立ったため、周りにいた修学旅行生(女生徒)が不思議そうな顔をして眺めていました。

125
 ↓金閣寺・境内①
129 金閣寺境内の紅葉
 ↓金閣寺・境内②
131
 ↓金閣寺・境内③
134
 ↓金閣寺・境内④
136
 ↓金閣寺・参道①
140
 ↓金閣寺・参道②
142
《帰路》
金閣寺を出た処でトイレに立ち寄り、トイレの後におやつでも食べようと思ったのですが、うどん・そばなどの食事はあるのですが、お団子のようなものがなかったため、そのまま帰ることになり金閣寺道バス停に向かいました。
バス停のある道路に出ると京都駅行きのバスが信号待ちしていたので、Yumiさんともども走って交差点を渡りバス停に急ぎました。
Yumiさんの走りは早く、私を追い抜いて行くので、
E=早いね
Y=そおよ。私はこうゆうのは早いのよ
と鼻高々でした。
バスは座ることができ、京都駅までうとうと寝ながら乗っていました。
京都駅でJR山陰線に乗り、嵯峨嵐山駅に戻ってきました。
嵯峨嵐山駅から宿泊所に戻る前に、明日借りようと考えているレンタサイクル店に立ち寄り、営業開始時間と借り方を確認しました。
そして宿泊所に行く途中で、踏切の警報機がなっているので嵐電の写真を撮り、記録に残しました。
16時22分、嵐電嵐山本線
144 京阪電鉄
宿泊所に戻り、昨日と同じようにYumiさんは入浴できないので(部屋風呂がない)、温タオルで体を拭き、着替えを行いました。
その後、Yumiさんに部屋で待っていてもらい、私一人で大浴場に行きました。
明日に向けての着替えや、ザックの荷造りを行っていると館内放送で「夕食」の案内があり、途中でしたが食事に行くことにしました。
《宿舎》
18時05分、夕食
146 夕食
148 夕食献立
149 夕食①
150 夕食②
昨日とは違うメニューになり、京の和食を味わいました。
宿泊している人は、私と同年代の人ばかりですが、美味しそうに食べていました。
私は、昨日飲み残した焼酎のボトルを出してもらい、お湯割りを飲みながら紅葉散策を思い出している一方、Yumiさんは、黙々と目の前に並んだ料理を食べていました。
今日見てきた紅葉のことをYumiさんに話しても、ほとんど記憶していないため会話にならず、一人で思い出さなければならない現実は、何とも寂しいことです。

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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


【番外編】
《移動》
13時20分、手原駅ホーム

169 手原駅ホーム
旅を終え、これから京都に移動して紅葉を見る楽しみからか、自然と顔がほころんできました。
京都の紅葉は、永年勤続(30年勤続)で5日間の特別休暇が付与された時、Yumiさんと見に来て以来、約10年振りですが、元気だったYumiさんは介護されないと一人で動けない状態になるなど、環境は大きく変わりました。
13時40分、JR草津線手原駅発
13時45分、草津駅着
ここで、びわ湖線に乗り換え京都駅に向かいます。
↓びわ湖線草津駅ホーム、写っている車両は乗ってきた草津線の列車
171 琵琶湖線・草津駅ホーム
13時52分、びわ湖線草津駅発
列車はつり革に捕まって乗る状態で、京都駅まで立ちっぱなしでした。
14時13分、京都駅着
乗り換え時間が4分しかない中、乗車するホームの場所を案内板頼りに動き、二人で並んで座れる場所を探し乗り込みました。
急がなくても良いのに、せっかちな性格はなかなか治ることなく出てしまい、終わるとゆっくりでも良かったなといつも反省してしまいます。
14時17分、JR山陰線京都駅発
初めて乗る電車で、一駅、ひと駅、確認しながら乗車し、下車駅の嵯峨嵐山駅に到着しました。
14時33分、嵯峨嵐山駅着
  ↓嵯峨嵐山駅改札
173 嵯峨嵐山駅・改札
嵯峨嵐山駅は、初めて降り立つ駅で、持参した地図を見ながら宿泊する施設に向かいました。
施設は、駅から7~8分のところにあり、以前宿泊したことがあったので、近くの風景は記憶に残っていました。
14時42分、宿舎着
176 健保・すみのくら入口
チェックインが15時からのため、受付の手続きを済ませ、ザックをフロントに預け歩いて10分程度の渡月橋に行くことにしました。
渡月橋は嵐山の観光名所になっているので、平日ですが大勢の人で賑わっていました。
15時01分、渡月橋全景
182 渡月橋
  ↓賑わう渡月橋
184 渡月橋・橋上
9月に台風18号で大きな被害を受けた渡月橋ですが、綺麗に修復されていました。
今日は人も多いので、明日の朝、人が来る前に見にくることにして、宿舎に戻りました。
受付でザックを受け取り、指定された部屋に入ると、目の前に紅葉した木があり、まず写真を撮りました。
15時40分、部屋からの紅葉
186 宿泊・部屋
宿泊したところは部屋風呂がなく大浴場だけのため、一人で入浴できないYumiさんは温水で濡らしたタオルで体や頭を拭いて我慢しました。
私はYumiさんに部屋で待っていてもらい、大浴場で入浴しました。
また、この宿泊施設には二泊するため、着替えや薬・血圧測定などの準備をしていると、時間が経過するのが早く、夕飯の支度ができましたとアナンスがあり、食堂に食べに行きました。
この宿泊施設の食事は評判が良く、楽しみにしていました。
  ↓夕食の時に出されていた「お献立」
188 夕食の献立
  ↓Yumiさんと乾杯
193 夕食のYumiさん
私はビールだけでは足りなかったので焼酎のボトル(翌日も使えるため)を追加し、食事は残すことなく完食しお腹を膨らませて部屋に戻りました。
明日は、朝食前に、渡月橋を見学し、昼間は京都市内の紅葉を散策する予定です。

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【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
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【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

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【天候】晴れ
【宿場】(51)石部宿⇒(52)草津宿

【行程】歩行距離=13.75㎞ 総距離=462.42㎞
三雲駅・野村薬品店前⇒(2.70㎞)⇒111夏目一里塚⇒(4.55㎞)⇒112石部一里塚⇒(4.80)⇒113六地蔵一里塚⇒(1.70)⇒手原駅・駅入口交差点

【ルート図】

  宿場(黒囲みが第34回旅の宿場)
18 34回宿場
  旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第34回
  ↓
第34回のルート
  
(三雲駅・野村薬品店前 ⇒ 手原駅・駅入口交差点)

第34回ルート
【旧東海道の旅】
《移動》
起床、5時20分

旅の身支度を整え、ザックの荷造りを行い、出発の準備を終えてから食卓に並べられた朝食を食べました。
食後、トイレなどを済ませ7時30分過ぎにザックを持ちお礼を云って出発しようとすると、「お腹が空いたら食べて下さい」と特大の大きさに握られたおむすびを頂きました。
実は、このおにぎりが今日のお昼を救ってくれました。
そして、女将さんから「また写真を撮らせて下さい」と云われ、玄関前の石碑脇で写真を撮りました。

002 あや乃旅館
7時35分、あや乃旅館発
ご主人が運転する車に乗せて頂き、女将さんの見送りを受け、出発地のJR三雲駅前に向かいました。
朝の通勤時間帯になってきたのか、幹線道路の1号線は多くの車が走っていましたが、渋滞することもなく、15分くらいで到着しました。
ご主人にお礼をいい、また機会を作って泊まりに来ますと約束して別れ、出発地に立っていつもの通りYumiさんに、出発地が記されたボードを掲げてもらい写真を撮って出発式を行いました。
出発地は駅前のため、ひっきりなしに車が走ってくるため、車と車の合間をぬって写真を撮る状況でした。

【=旅=】
07時55分、三雲駅・野村薬品店前(出発地)
003 野村薬品店前(出発地)
出発地を出て最初にしたのは、史跡を探す時の準備運動で、両方の景色をキョロキョロ眺めて歩くことですが、朝の通勤時間帯のため、狭い裏道をひっきりなしに車が走っているので、事故に気を付けて歩きました。
出発地を出て約650m歩いた荒川橋を渡った十字路の左側の角に道標が3つ建っていました。
08時04分、道標

008 道標群
そして、十字路を川に沿って直進(出発地からは橋を渡って右折)すると、約50m先の左側に三雲公民館があり、その前に三雲常夜燈が建っていました。
08時10分、三雲常夜燈
005 三雲常夜燈
常夜燈から元の十字路に戻り、右折して街道を約450m歩くと県道4号に突き当たるので左折して踏切を渡ったところを右折するクランク形になっていました。
010 分岐(クランク形)
踏切に着くと、草津線の列車が走ってきたので、記念写真を撮りました。
011 JR草津線
遮断機が下りている間に道を渡り、踏切を渡たると右角に東海道の道標が建っていました。
08時15分、東海道の道標
012 東海道・道標
道標から約290m歩くと右側にお大尽の家がありました。
014 門の中に門がある家(山中家)
写真でははっきりしませんが、外門の中に内門があり、その先に庭園が見えました。
東海道を歩いてきて、史跡でない豪邸を数多く見てきましたが、このようなお宅(山中家)は初めてで、どのようなお宅なのだろうと思いました。
豪邸から約220m歩くと天井川だった大沙川隊道(トンネル)があり、トンネルを潜った左側に弘法杉と弘法大師錫杖碑がありました。
08時25分、大沙川隊道(トンネル)=上部は天井川跡
015 大沙川隊道
08時26分、弘法杉
017 弘法杉

弘法杉は、大沙川の堤上に、樹高26m、周囲6m、樹令約750年の杉で、この大杉を古来より弘法杉、または二本杉と人々はよんでいます。一説によれば弘法大師(空海)がこの地方を通過した時、二本の木を植えたとも、また弘法大師が食事をしたあと杉箸を差しておいたがのが芽を出したとの説がある。その後、大風のために折れて朽ちたので里人が再び植えたが、安政2年(1773年)の台風でそのうちの1本が倒れたともいわれています。

08時27分、弘法大師錫杖跡碑
020 弘法大師緆杖跡
街道は片側一車線で歩道もない狭い道なのに、通勤車がひっきりなしにスピードを落とさずに走るので、車の合間をぬっての写真撮影となるり時間を費やしました。
錫杖跡碑から約450m先(右側の炭忠商店先)の十字路左角に、藤棚跡碑が建っていました。
08時33分、夏見の里藤棚跡
022 夏見の里藤棚跡
夏見の里藤棚跡は、名物トコロテンを出す茶屋があり賑わっていたが、夏見の里も今は昔。かつては茶屋の店先で水車を回し、その動力でカラクリ仕掛けの人形を動かして客を楽しませていたという。近年まで”いなりや”という茶店の建物が残っていたが、平成21年に店先の藤棚と共に撤去されてしまったらしい。
藤棚跡から約700m歩くと左側に中川昭宅があり、その前の道路に日本橋から111番目の一里塚跡があり、塚跡にパネルが埋め込まれていました。
08時45分、111夏見一里塚跡(道路に埋設)

025 111夏見一里塚跡
  ※一里塚の位置
026 111夏見一里塚跡
一里塚跡が埋設されている道路の反対側(進行方向右側)に、石碑と石灯篭が建っていました。
029 夏見一里塚跡の前
一里塚跡から約80m先に市立夏見診療所があり、入口の看板脇に立場跡がありました。
08時50分、夏見立場跡
030 夏見立場跡
立場跡碑から約250m歩くと由良谷川隊道手前の右折道路の手前に、道標が建っていました。
08時53分、新田道道標
033 新田道道標
道標脇の道路を過ぎたところに、天井川の隊道がありました。
08時54分、由良谷川隊道=上部は天井川跡

035 道標・隊道

由良谷川隊道は、明治19(1,886)年3月25日に完成した、街道の通行をよくするために作られたアーチ型の隊道です。外国人技師の設計により、県費で大沙川⇒由良谷川⇒家棟川の順に作られ、旧東海道筋にあった3つの隊道の一つです。

  ↓トンネル内を歩くYumiさん
038 隊道の中
トンネルを越えたところで、上部の天井川跡を見ておきたいと思い、急傾斜の堰堤を上り見に行きました。
08時56分、天井川跡

039 隊道上の天井川跡
急傾斜を戻り街道を約400m歩くと右側に、針公民館(街道の休憩所)がありましたが、月曜日で休館だったのか閉まっていました。
09時02分、お休み処(針公民館)
040 針公民館(お休み処)
公民館から約240m歩くと、左側に酒造があり立ち寄りました。
09時07分~09時24分、北島酒造

041 北島酒造
この酒造は、市から資料を頂いた時に、「御代栄」という日本酒が美味しいので、お酒が好きだったら立ち寄って頂ければと案内を頂いていました。
山の師匠であるNさんはお酒がすきなので、何か贈ろうと思って立ち寄りました。
いろいろなお酒が飾られていて、お店の方に「人に贈りたいのですが、どれが良いでしょうか?」と聞くと、「これが一番人気があります」と勧められ、試飲するとさっぱりとしたお酒で美味しかったので、Nさんと私の自宅に送ってもらうことにしました。
  ↓しぼったそのまま一番酒

043 ぼったそのまま一番酒
私が宅急便の手続きをしている間、Yumiさんはお店のトイレを借用しました。
お店の人に、「病気でトイレから一人で戻ってこれないかもしれないので、よろしくお願いします」と伝えました。
お店の人に見送られて約120m歩くと安棟川に架かる安棟川橋があり、橋の手前左側にうつくし松碑が建っていました。
09時26分、うつくし松碑

044 うつくし松碑
安棟川橋を渡った左側に、角形の細長い常夜燈が建っていました。
09時28分、常夜燈(角形細長)
047 常夜燈(角細形)
安棟川橋を渡った先から、ベンガラ塗りの家が目に留まるようになりました。
049 ベンガラ塗の家
常夜燈から約450m歩くと右側に宮島商店があり、そこから約70m先の左側のベンガラ塗りの家の前に、立派な菊の花が(田村家)置いてありました。
09時37分、菊の花(田村家)
050 満開の菊
歩いていて「青木姓」の家が多いことに気が付き、なおキョロキョロと表札をみていると、途中から小島姓が多くなってきました。
そして菊の花の家から約500m先の右側に光林寺があり、さらに220m歩いたところの十字路の左側に、石灯篭が建っていました。
09時47分、石燈籠
053 石燈籠
石燈籠から約240m先に落合川に架かる落合川橋があり、橋を渡った左側に宿碑が建っていました。
09時50分、石部宿標識
055 石部宿看板

石部宿は東海道五十三次の五十一番目の宿場町で、古くから伊勢路への街道として多くの人の往来がありました。最も栄えた頃には商家や旅籠が建ち並び、京都から江戸へ向かう旅人が最初に泊まる宿場町として栄えました。

宿碑から右側の電柱に、東見附跡の看板が掲げられていると地図に記していたのですが、ものの見事に見落としました。
少しの間、ぼやーと歩いた区間があり、その時に見落としたようで、橋から450m先の吉姫神社の鳥居が出てきてしまいました。
09時58分、吉姫神社鳥居(金文字
057 金文字の鳥居(吉姫神社)
いろいろな神社を見てきましたが、金文字の神社文字は珍しいと思い記録に残しました。
鳥居から約300m歩くと石部宿の中心地となり、現在の街並みを写真に収めました。

059 石部宿の現在の町並み
現在の街並みを眺めながら歩いていると石部中央交差点の左角に高札場跡碑が建っていました。
10時06分、高札場跡
061 高札場跡
高札場跡の直ぐ脇に東海道碑(お休み処)があり、壁に浮世絵が、広場にはベンチが設けられていました。
063 東海道碑(お休み処)
また、立ち寄りませんでしたが、道路の向かい側(交差点手前の右側)に造り酒屋がありました。
そして交差点を渡った道路右側に、問屋場跡碑が建っていました。
10時07分、問屋場跡
064 問屋場跡
問屋場跡碑から約60m先の右側にバーバータニグチがあり、店の軒先に本陣跡看板が掲げられていました。
10時12分、三大寺本陣跡

067 三大寺本陣跡
本陣跡の額縁パネルは、最初気が付かないで通り越してしまい、休憩施設で教えて頂いて戻りました。
近くに寄らないとこの額縁が本陣跡とは分からないので、気を付けて歩かないと確実に見落としてしまいます(要注意)
本陣跡から約80m歩くと左側に木八金物店があり、その隣りの駐車場先隣りに休憩施設「あっこれ」がありました。
10時12分~10時19分、休憩施設「あっこれ」

070 石部宿休憩施設・あっこれ
休憩施設の方は親切に対応下さったのですが、まだ道中が長いので、トイレと少しの休憩で出発しました。
休憩施設を出発して直ぐ(数軒先)の左側に、いしべ宿駅の施設がありました。

071 石部宿駅
宿駅には立ち寄らなかったので、どのような施設か分かりません。
また、立て続けに休憩施設があるのはどのようなことかも分かりません。
いしべ宿駅を過ぎて直ぐ左側に、本陣跡碑が建っていました。
10時22分、小島本陣跡碑
072 小島本陣跡

小島本陣は、慶安三年(1650)吉川代官屋敷あとに創建され、承応元年(1652)に膳新藩主本多俊次公、康将公に忠勤の功により本陣職を拝命された。なお、明治天皇も御宿泊され、明治天皇聖跡碑が残っている。
本陣跡から約170m歩くと正面に田楽茶屋が見え、手前の三叉路を右折します。
075 分岐(右折)
田楽茶屋は、江戸末期に人気を博した浮世絵師・安藤広重の「東海道五十三次」で石部の田楽茶屋が描かれ、それをもとに再現されました。施設は木造平屋建てで、観光客などが休憩できるようになっており、営業=10:00~16:00、休業日=月曜日(祝日の場合はその翌日)、12月27日~1月5日、駐車場はない。
  ↓田楽茶屋(月曜日は定休で休みでした)

076 田楽茶屋
田楽茶屋前の三叉路から約70m歩くと、左側に「いちご大福」で有名な菓子店があり立ち寄りました。
この店は、北島酒造と同じように、市から資料を頂いた時に記されていた処で、立ち寄る予定にしていました。
10時28分、谷口長栄堂
078 谷口長栄堂(いちご大福)
名物のいちご大福(@130)を買う時、ふと食事場所のことが頭に浮かび、
E=この先、食事をするところがありますか?
店員=手原駅まで行かないと無いと思います
と云われ、急遽菓子パンを追加で買いました。
店外に出て約130m歩いた先のT字路を左に曲がりました。

080 分岐(左折)
左折して約50m歩くと右側の民家の前(先隣りは吉川宅)に、日本橋から112番目の一里塚跡があり、塚跡に木碑が建っていました。
10時35分、112石部一里塚跡碑(右側)
081 112石部一里塚
一里塚跡から約80m進むと石部西交差点があり、交差点を渡った公園の右角に西見附跡碑が建っていました。
10時38分、西見附跡碑(右側)
083 西見附跡
西見附跡から約400m歩いた右側に旅館平野屋があり、さらに40m先の右側に入る道があり、石部駅がありました。
石部駅入口から約70m先の左側に西縄手松並木があり、その松並木の中に西縄手跡や、跡碑の直ぐ裏の松が公園の中に五十三次図の石板が建っていました。
10時46分、西縄手松並木
089 西縄手松並木
10時47分、西縄手跡
091 西縄手跡
  ↓東海道五十三次絵図石板
094 東海道五十三次図
公園にベンチがあったので、少し早いかと思いましたが昼食をたべようと公園に入ると、風が吹いていて寒いので、この先で場所を探すことにしました。
街道はこの先で村井川をクランク形に渡ります。
10時50分、分岐(左側の橋は第3号町道橋)
095 分岐(左折)
第3号町道橋を渡って左折し、約150m歩くと五軒茶屋橋が左にある分岐となり、写真は撮りませんでしたが、右前方に大きな「昭建石部ソーラー発電」がありました。
10時53分、分岐(五軒茶屋橋を渡る)
096 分岐(左折)
街道は真っ直ぐ進むと旧道の下道、左折すると新道の上道です。
上道は、天和3年(1683)の野洲川の洪水で下道を通行止めとし、この道を使うことになったそうです。
東海道を歩く人は上道だったり、下道だったりしていますが、私はお上の通達に従って上道を歩くことにしました。
分岐の五軒茶屋橋を渡り、道はだらだらとした上り坂となり、右側にはゴーシューという会社で、左側は荒地状態でした。
ゴーシューの間から三角おむすびのような灰山が見え、銅・亜鉛の2次鉱物を多産する山でしたが、今は廃鉱山のように見えます。
  ↓灰山(中央の山)
098 灰山(石部金山跡)
五軒茶屋橋を渡ってから右の工場、左の荒地と、無味乾燥な道を約950m歩いていると、道路工事中の看板ととも左方向に進む迂回路となり、指示に従って進むと栗東水口道路の下を潜り、約100m歩くと元の道と合流し、上りが終わりました。
※栗東水口道路=この時点では開通前の無料区間

097 現在の状況
合流地点から下り坂となり、約150m歩くと分岐があり、右折しました。
11時13分、分岐(栗東水口道路先)
099 分岐(右折)
右折した道は、左カーブとなり、その先の名神高速道を潜り、出た処を右折しました。
  ↓名神高速道の下を潜る

100 分岐(直進)
  ↓名神高速道を潜った処を右折
101 分岐(右折)
東海道は名神高速道に沿って進み約190m歩くと、高速道路に市境標識(湖南市)が建っていました。
11時19分、市境標識(湖南市)
102 市境標識(湖南市)
この道路は工事用や産廃用のダンプトラックがひっきりなしに走っていて、この写真を撮る時も車がない時に
急いでシャッターを切りました。
また、この道の正面に近江富士がそびえていました。

104 近江富士
近江富士を眺めながら歩いていると、左側に座るのに丁度良い高さのブロックがあったので、昼食を食べることにしました(市境標識から約150m先)。
11時22分~11時37分、昼食(名神高速道路脇)
106 昼食休憩
昼食は、あや乃旅館で頂いた「おにぎり」、いちご大福を買った時に買った菓子パンといちご大福でしたが、頂いたおにぎりは漬物混じりの固く握られた「特大の旅おむすび」だったので、お腹を満たすのに大変助かりました。
あや乃旅館の女将さん、ありがとうございました
また、この場所は、左を見ると近江富士を眺めることができ、風に吹かれることなく、陽差しを受け、前を走り抜けるダンプがなかったら最高の場所でした。
短い時間でしたが、お腹も膨らみ先に向けて出発しました。
出発して160m歩くと十字路となり左折するのですが、この十字路が下道との合流地点でした。
  ※分岐(左折)

108 分岐(左折)
左折すると伊勢落集落に入るのですが、左折する右角に案内標識が建っていました。
11時42分、伊勢落集落案内標識

109 伊勢落集落案内標識
十字路から約500m歩くと、右側に大きな家(山本宅)がありました。
どのような間取りになっているか、どのように使用しているのか、うさぎの寝床にすんでいる私は聞いてみたいと思いながら、横に眺めながら前を通り過ぎました。

111 大きな家(山本家)
山本宅から約40m歩くと十字路があり、それを過ぎた辺りからの集落を記録に残しました。
112 伊勢落集落街並み
集落は、新しい家になっているので、往時を偲ばせる建物はありませんでしたが、柱がベンガラ色に塗られた家が多く建っており、その中の一軒、青木宅を記録に残しました(大きな家の山本宅から約270m先の右側)。
11時52分、柱がベンガラ色の家(青木家)

113 柱がベンガラ塗り
青木宅から約30m先の左側の小さい祠の前に、伊勢落晴嵐碑が建っていました。
11時55分、伊勢落晴嵐碑
114 伊勢落晴嵐碑
碑から約270m歩くと右側に、虎マーク(色が薄くなっている)の看板が建っている家があり、家の壁も薄黄色でした。
どこのファンか一目瞭然で、Yumiさんに「ここで写真撮る」と聞くと、「嫌です」とキッパリと断られてしまいました。
我が家は大の巨人ファンなので、当然の答えが返ってきました。

117 黄色壁・虎マーク
虎マークの家から約70m先の左側に、人力屋の屋号が架かっている家がありました。
12時02分、屋号=人力屋(森部宅)
118 屋号人力屋(森野家)
人力屋屋号の家から約140m歩くと右側に薬師如来堂があり、入口左側に領界石が建っていました。
12時05分、領界石「従是東照嶺」

120 薬師如来堂
如来堂から約270m歩いた右方向に進む道を越えた右角に、道標が建っていました。
12時09分、新善光寺道道標
122 新善光寺道道標
道標から約40m歩くと三叉路(左=太い道、右=細い道)となり、左に進みました。
左に進むと直ぐの左の六地蔵尊の山門前に、国宝六地蔵尊碑が建っていました。
12時12分、六地蔵尊碑

125 地蔵尊碑
山門の脇を通って中に入ると、地蔵堂が建っていましたので、Yumiさんに声を掛けて一緒にお賽銭をご奉納し、参拝しました(※参拝方法は、いつもと同じ)。
  ↓六地蔵堂

126 六地蔵堂
六地蔵から約130m歩くと、左側に標板が建っていました。
どのようなものか見たかったのですが、施設がお休みなのか扉が閉まっていたため、パネルを写真に収めて次に進みました。
  ↓大角氏庭園碑

129 大角氏庭園碑
その隣りに旧和中散本舗大角家の屋敷が建っていました。
12時20分、旧和中散本舗大角家屋敷
130 旧和中散本舗跡
旧和中散跡の道路を隔てた反対側に、大角家住宅隠居所があり、門から中を覗くと現在も使われていて人がいたので、記録だけ残して先に進みました。
12時21分、大角家住宅隠居所

134 大角家住宅隠居所
また、隠居所の右脇に井戸があり、つるべがそのまま残っていました。
釣瓶(つるべ)は、
水をくみ上げる際に利用される、綱等を取り付けた桶などの容器を言い、後に、それを引き上げる天秤状の釣瓶竿や滑車など機構の一切を指すようになった。
隠居所から約50m歩くと左の県道116号に接続する道路があり、そのまま県道116号と平行に真っ直ぐ約160m歩くと、左側の三角地に日本橋から113番目の一里塚跡があり、塚跡に石碑が建っていました。
12時25分、113六地蔵一里塚跡碑
139 113六地蔵一里塚跡
一里塚碑から後らを振り替えると、昼食の時に見た近江富士を眺めることができました。
  ↓近江富士の眺め

141 近江富士(後方の山)
ここでトイレに寄っていないことに気が付き、Yumiさんに聞くと行きたいと云うので、「少し待っててね」と話し約160m歩いた処にあるコミュニティセンター葉山東に立ち寄り、トイレを貸して頂きました。
施設の方は親切に対応下さり、休憩もできますよと案内下さいましたが、「先の予定(京都に移動する)があるので失礼します」と答えトイレだけお借りしました。
12時30分~12時36分、休憩(トイレ=コミュニティセンター葉山東)
六地蔵会議所角に戻り東海道を約300m進むと、枡形道になっていました。
12時41分、枡形道
143 枡形道
枡形道から約350m歩くと、右側民家の壁に「五葉の松」と書かれた看板が掲げられていました。
12時48分、五葉の松碑
144 五葉の松跡
近くにいた方に、
E=五葉の松があったのですか?
男=そうだよ。この先にも碑が建っているから見ていきな
E=ありがとうございます
と、云って別れました。
看板のところから碑を見逃さないように注意深く歩くと、約120m先の右側に小野公民館があり、西厳寺の参道入口に教えられた松の碑が建っていました。
12時52分、肩かえの松碑

146 肩かえの松
松の碑から約240m先の手原一丁目交差点があり、交差点から約230m歩くと名神高速道があり、その下を潜ってでたところの右側に石碑が建っていました。
13時00分、行者堂跡
149 行者堂跡
石碑から約100m歩くと、右側に有形文化財の登録票が掲げられた連子格子の里内呉服店があり、その先隣りも同じように連子格子の家で、同じ苗字の里内家で屋号が塩屋藤五郎と掲げられていました。
13時03分、里内呉服店(有形文化財)

152 有形文化財の家(里内呉服店)
  ↓登録票
154 登録標
13時05分、里内宅(屋号=塩屋藤五郎)
155 連子格子の家・屋号塩屋
ここから約80m歩いた左に稲荷神社があり、その手前に石で出来た手のひら形になった「手ハラベンチ」がありました。
13時07分、手ハラベンチ

159 手ハラベンチ
ここから約10m歩くと、今日の到着地になっている「手原駅入口交差点」がありました。
Yumiさんに到着式に使う看板を渡し、看板を掲げた写真を撮って到着式を行いました。
13時10分、手原駅入口交差点(到着式)
162 手原駅入口交差点(到着地)
列車の時刻表を確認すると、13時12分の草津行きがありましたが、時間も早く急ぐ必要もないかと考え次の13時40分の列車に乗ることにし、稲荷神社で参拝することにしました。
13時11分~13時15分、稲荷神社

164 稲荷神社
  ↓稲荷神社(本殿)
165 稲荷神社・本殿
お賽銭をご奉納し、Yumiさんの病気完治と東海道の旅のご加護、および無事の到着に対してお礼を言上しました。
稲荷神社から手原駅は数分の処にあり、駅舎をバックに記念撮影をして旅を終了しました。

13時17分、今日の旅を終了し、京都・嵐山に移動しました


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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/

【天候】晴れ
【宿場】(50)水口宿⇒(51)石部宿

【行程】歩行距離=5.65㎞ 総距離=448.67㎞
水口石橋駅・駅入口⇒(1.30㎞)⇒109林口一里塚⇒(3.20㎞)⇒110泉一里塚⇒(1.15㎞)⇒三雲駅・野村薬品店前

【ルート図】
  宿場(黒囲みが第33回旅の宿場)

17 33回宿場
  旧東海道の旅・進捗状況
   (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第33回
  第33回の旅ルート
   (近江鉄道・水口石橋駅入口 ⇒ 三雲駅・野村薬品店前)

第33回ルート
【序章】
旅に持参する資料を入手した資料や先人のブログを参考に準備し、今回は寒さ対策を考え山用のゴアテックス雨具を持参することにしました。
【朝】
04時30分、起床
身支度を整え、
ザックを背負い、朝食の入った手提げ袋を持ち、朝の冷たい風を受けながら自転車を走らせ、最寄り駅に向かいました。
最寄り駅から電車に乗り、東京駅に7時06分に着き、新幹線ホームに行く前にトイレに立ち寄ってからホームに上り、列に並ぶ(4番目)と間もなく新幹線が入線し(7時15分)、4号車に乗りました。
車両中程の座席に座り、持参した朝食(菓子パン・ジュース)を食べ終わったところでペットボトルを忘れたことに気が付き、急いで(発車2分前)ホームの自販機で購入しました。
07時33分、東京駅発(ひかり503号)

003 新幹線車内
新幹線は定刻に出発し、乗車率は約30%程度と、かなり空いた状態で、4号車は品川と新横浜で60%、小田原でほぼ満席と、前回の旅の時と同じような乗車率の感じでした。
東京を出発した時、晴れていたので「富士山が眺められたらいいね」とYumiさんと話して待っていると、期待どおりに綺麗な富士山眺められました。
  ↓富士山(三島~新富士辺り)

007
  ↓浜名湖(良い写真が撮れませんでした)
009 浜名湖
今日は新聞朝刊を持参したので、外を眺めたり、新聞を読んだりして時間を潰し、Yumiさんはコックリ、コックリと寝ていました。
豊橋駅を通過する時、
E=ここの駅で泊まったんだよ
Y=覚えてない
と、つれない返事が返ってきました。
新幹線は名古屋で多くの人を降ろしましたが、同じくらいの人が乗車してきてほぼ100%の乗車率で出発しました。
Yumiさんにトイレのことを聞くと「嫌」と云うので、列車内でのトイレを止め米原駅でトイレに行くことにし、私だけゴミを捨てに行った時にトイレを済ませました。
09時45分、新幹線米原駅着
ここでびわこ線に乗り換えるのですが、まずYumiさんをトイレに連れていき、15分後の電車に乗ることにしました。
10時00分、びわこ線米原駅発

010 琵琶湖線車内
途中、進行右側の高台に建っている彦根城があり、車中から写真を撮ろうとしたのですが、手前の家が邪魔になり写真は撮れませんでした(残念!!)。
10時44分、びわこ線草津駅着

015 10時57分柘植行き
10時57分、草津線草津駅発
016 草津線草津駅ホーム
018 草津線車内
草津線は、今日から旅をする街道の近くを走るので景色を眺めたかったのですが、陽射しが眩しくシャッターを下ろしていたので、反対側の車窓から景色を眺めていました。
11時21分、草津線貴生川駅着
近江鉄道に乗り換えるため改札で切符を購入し、4両編成の電車に乗りました。
11時30分、近江鉄道貴生川駅発

021
定刻どおりに出発し、2駅目の水口石橋駅に着く前に、車内放送で「無人駅のため、切符は1両目の運転手に渡して下さい」とアナンスがあり、1両目に移動して運転手に切符を渡して下車しました。
11時36分、近江鉄道水口石橋駅着

024 水口石橋駅改札
水口石橋駅を出て今日の出発地を一度通り過ぎ゛、自販機でペットボトルを2本買ってから昼食を食べに前回の旅の帰りに立ち寄った「スナック・ポエム」に入りました。
11時38分~12時25分、昼食(カフェポエム)

025 スナックポエム前
店内には2組の先客がおりましたが、前回の旅の時に座った席が空いていたので同じ席に座りました。
  ↓店内

027 ポエム店内
店内に入ると店主は私達のことを記憶していて、温かく迎えて下さり、生姜焼き定食(@800円)を注文しました。
料理が出てくる前にトイレに行っておこうとYumiさんに聞くと、「どうしようかな」と云うので、「行った方がいいよ」とトイレを済ませました。
料理は、なかなか出てこなくて、12時過ぎてからやっと出てきました。
Yumiさんが出る前にトイレに行ったので、精算を済ませると、
店主=今日はどちらまで行かれるのですか
E=今日は三雲までで、明日は手原駅まで歩きます
店主=あー、そうですか
E=今日は、また「あや乃旅館」に泊まります
店主=気を付けて歩いて下さい
E=ありがとうございます
と、店主と話しをして店を出ようとしたら、奥で調理中の奥さんが調理場から顔を出して見送って下さいました。
温かいご夫婦の見送りを受けて、旅に出発しました。
店の横の踏切を渡り、今日の出発地である「水口石橋駅入口」で、出発式を行いました。
12時30分、水口石橋駅入口(出発地)
030
出発地を出て直ぐの右側に山蔵がありましたが、改修中でした。
12時32分、天王町山蔵(山車の倉庫)
032 山車の山蔵
江戸時代、水口は東海道の宿場町で、加藤氏二万五千石の城下町として政治、経済、文化の忠臣として栄えました。曳山祭りはこの町に住む町衆の力によって、享保2年(1,725)に登場し、最初は9基の巡行から始まりその後、町ごとに曳山が建造され30基あまりになりました。曳山は「二層露天式人形屋台」構造で、複雑な木組み、精巧な彫刻、華やかな幕を飾り、屋上に「ダシ」と呼ばれる作り物を乗せて巡行します。また、山車の構造から組み上がった状態で山蔵に収納されている。
山蔵から約40m先の右側に、甲賀市水口地域市民センターがあり、その中に甲賀市ひとまち街道交流館がありました。
12時35分、甲賀市ひとまち街道交流館

034 甲賀市ひとまち街道交流館
施設は、特産品等の紹介や講演会の開催などや宿場を散策される方の憩いの場としてできたようで、トイレがあるなど旅人には有難い施設です。
私とYumiさんは、トイレを済ませて出発したばかりのため、立ち寄らずに入口で失礼しました。
門を出て約160m先の左側に湖東信用金庫があり、その前を右折するのですが、曲がる右角に水口城天王口御門跡碑が建っていました。
  ※分岐(右折)

037 分岐(湖東信金前を右折)
12時40分、水口城天王口御門跡碑
038 水口城天王口跡碑
水口城天王口は、江戸時代この場所は水口城の東端にあたることから木戸が置かれ、「天王口御門」と呼ばれていた。もともと直進していた東海道も、ここで北へ直角に曲がり、北町・天神町・小坂町と城の北側を迂回し、林口五十鈴神社の南でふたたび当初の道に戻るように出来ていました。また、天王口の名は、天王町の名の起源でもある八坂神社(八坂)がもと牛頭天王社と呼ばれたためです。
右折して約140m先の突き当りに、文字抜け看板の店がありました。
12時44分、花(喜)米穀(店
040 文字ぬけ看板
文字抜け看板の店の前を左折し、約150m歩いた左側に心光寺があり、その境内に大きな木があるというので立ち寄ろうとすると、Yumiさんが「行きたくない」と云うので、少し左に入った処から写真を撮ることにしました。
12時45分、心光寺の樹
041 心光寺の大きな木
街道に戻り、約100m先の十字路を左折して水口城資料館に向かいましたが、十字路を左折して約60m先の左側に、巌谷一六先生旧居宅跡碑が建っていました。
12時47分、巌谷一六先生旧居宅跡
042 巌谷一六先生旧居跡碑
巌谷一六は、明治時代に貴族院議員になった人で、書家としても有名だったらしい。
この先(約90m)の交差点で道路の右側に渡り、約180m先の右側に水口城の櫓が見えました。
道路の反対側は、県立水口高校です。
道路を右に入って約50m歩くと左側に水口城跡の碑が建っており、碑に沿って左に入ると木造橋が架かっていて、渡った左側に資料館の入口がありました。
12時52分~13時01分、水口城資料館

046 水口城址・入口

水口城は、寛永9年~11年(1632~1634)に、徳川三代将軍家光の宿所(御茶屋御殿)として作られたのが始まりで、幕府は城番を置いて管理していました。天和2年(1682)に加藤明友(加藤嘉明の孫)が2万石の大名として入城し、水口藩が成立しますが、将軍宿所として作られた豪壮な殿舎を、居所や藩庁として使うのは抵抗があったのか、本丸の外に二の丸を築き、そこに藩庁や武家屋敷を建てたそうです。
資料館は有料(@100円)ですが、今日は無料開放ということで、無料で館内を見学させて頂きました。
048 水口城資料館内
  ↓城郭の模型
050 水口城模型
館内ではVTRが放映され4~5人の人が見ており、資料を見ているのは私とYumiさんだけでした。
係員の人からいろいろと勧められるのですが、ここでゆっくりしていられないのと、Yumiさんがまったく興味を示さないで先に行きたがるため、約10分程で失礼することになりました。
資料館を出て元の街道に戻り、再スタートをしました。
13時06分、街道旅再スタート
約120m歩くとT字路となり、ここを左折して直ぐ(約30m)の左側に白い壁の連子格子の家がありました。

052 昔ながらの住居
格子戸のある家から約70m先の三叉路を右折するのですが、右角に力石がありました。

053 分岐(右折)
13時09分、水口石
054 水口石
水口石は、東海道に面した小坂町の曲がり角に伝えられる大石で、「力石」とも呼ばれている。
江戸時代から知られた大石と見えて、浮世絵師国芳が錦絵の題に採っている。
この辺りは水口藩の藩庁にも近く、長大な百間御長屋や小坂町御門など城下のたたずまいが濃かったところです。
水口石を右折して約120m歩いた左側の小公園の前に、百軒長屋跡がありました。
13時13分、百軒長屋跡
056 百軒長屋跡
目印は、右隣りに黄色の鳥居が数個立っています。
百軒長屋は、
水口城の西北に位置し、東海道に面して存在した東西に延びる長大な長屋で、「百間長屋」と称した。百間(約180m)の棟割長屋には主に足軽や下級武士が住んでいた。南側が郭内という武家地で玄関があり、東海道に面した北側は裏になり、武家地と町場とは自由に往来できなかった。往来に向かって小さな窓があり、ここから東海道を往来する物売りから者を買った。現在はその数戸分が残存している。水口藩成立後の建築で、南側に藩庁などの重要な施設があったことから、その防御的機能を果たしていました。
百軒長屋跡から約40m先の右側に、真徳寺があり寺院の山門に藩士の長屋門が移築されているというので、立ち寄りました。
13時15分、武家屋敷門(真徳寺)
059 武家屋敷門(真徳寺)
徳寺の表門は、水口藩士の邸の長屋門を移転したものです。石高70石程度の中級藩士の長屋門で、改造は著しいが旧藩時代の家臣屋敷に関する唯一の現存建物である。
境内墓地には同藩出身で、明治時代の代表的な書家である巌谷一六家の墓所ほか、旧藩士の墓が多く残っている。

真徳寺の参道に入る左角に、お目出度い鬼瓦がありました。
  ↓宝船の鬼瓦

062 宝船の鬼瓦
真徳寺参道入口から約230m歩いた右側に五十鈴神社があり、神社の右角に日本橋から109番目の林口一里塚があり、塚跡に石碑が建っていました。
13時20分、109林口一里塚跡

063 109林口一里塚碑
林口一里塚は、現在のⅰりやや南方にありましたが、水口城の郭内の整備にともない東海道が北側に付け替えられ、五十鈴神社の境内東端に移りました。
一里塚跡を確認した後、五十鈴神社に参拝しました。
13時21分、五十鈴神社
065 五十鈴神社・鳥居
鳥居を潜り境内に入ると、右にヒノキ、左に杉大木があり、境内の奥に本殿のお社が建っていました。
Yumiさんと二人でお賽銭をご奉納し、
・Yumiさんの認知症と緑内障の完治
・東海道の旅のご加護
を声を出して(Yumiさんが分かるように)ご祈願しました。
街道は、一里塚跡碑の処が突き当りになっているので、T字路を左に曲がり、さらに約60m先の十字路(信号有り)を右折しました。
  ↓分岐(十字路交差点を右折)

071 分岐(右折)
右折する角にひまわり薬局があり、交差点の辺りが「西見附跡」だったようですが、史跡は確認できませんでした。
交差点から約200m歩いた左側に、美冨久酒造があり立ち寄りました。
13時29分、美冨久酒造
073 美富久酒造
酒造は、東海道の街道沿いにある、創業約100年の蔵元です。美しく冨くよかな人生を幾久しく続けたいという願いを込めて、『美冨久』という銘柄を醸しています。昔ながらの”山廃仕込”による酒造りを中心とした酒造りを行い、お酒の多くをこの”山廃仕込”で醸しています。
私はビールか焼酎を主に飲み、日本酒はあまり飲まないのですが、宿泊するあや乃旅館に到着地まで迎えに来て頂くので、お礼に何かお酒を買っていこうと考えていました。
この先、手に提げて歩くので、なるべく負担にならないものと考えていると、店の方がこれはどうですかと勧められた地元の土山茶を使った「茶の酒」を購入することにしました

075 茶の酒
※店の中に地図や資料を綴じたバインダーを置き忘れて出発すると、店の方が走って届けて下さいました。
酒造を出発し、街道を約250m歩いた左側に、北脇畷と松並木の碑が建っていました。
13時39分、北脇畷と松並木
080 北脇畷松並木
北脇畷と松並木は、
東海道が一直線にのびるこの辺りは、江戸時代「北脇縄手」と呼ばれていました。縄手(畷)とは田の中の道のことで、東海道の整備にともない曲りくねっていた旧伊勢大路を廃し、見通しの良い道路としてことにちなむと考えられます。
また、江戸時代、東海道の両側は土手になり松並木があり、街道は近隣の村々に清掃場所が割り当てられ、美しさが保たれていた。旅人は松の木陰に涼を取り、旅の疲れを休めたといわれています。
北脇畷の道路は一直線で、左側に6本の松並木になっていました。
畷の看板から約350m先の右側に、五体屋根付き地蔵尊がありました。
13時45分、五体屋根付き地蔵尊

082 五体屋根付きお地蔵様
お地蔵様から数mの左側に、小さい祠のお社が祀られていました。
084 小さなお社
お社から約180m先の左側に北脇バス停があり、どのくらいの頻度でバスが走っているのかと思いました。
085 北脇バス停・時刻表
時刻表を見たら、今日の到着地であるJR三雲駅に行くのは夜に2本、市役所に行くのは午後4本と、本数の少なさに驚きました。
北脇バス停から約400m歩いた右側に甲賀市柏木地域市民センターがあり、JA寄りの街道沿いに「時の鐘モニュメント矢倉」がありました。
13時54分、時の鐘モニュメント矢倉

086 時の鐘モニュメント櫓
モニュメントの側面には、広重の水口宿の浮世絵等が描かれており、側面扉を開けて楼内を覗くと、広重の「東海道五十三次」、水口宿の屋外で干瓢(かんぴょう)を干す農民達を描いた浮世絵を、人形を使って立体化したジオラマがあり、そのさまを筆でスケッチする広重本人の人形も一緒にジオラマの中にありました。
  ↓動く人形(ガラスが反射して見えないのが残念です)

088 モニュメントの中のからくり人形
※時の鐘モニュメントは分かりやすい場所に建っているので、ご覧になることをお勧めします。
モニュメントの先隣りにJA支所があり、その前の道路反対側に建屋式のバス停があり、休憩しました。
13時56分~14時02分、休憩(JAこうか柏木支所前バス停)

089 JA前バス停
建屋のバス停は、雨避け、風除け、体力の回復に助けられており、大変ありがたく思っています。
維持管理は大変かと思いますが、長く存続してほしいと思います。、
ザックを背負い直して約350m歩くと信号のある柏貴農道があり、さらに約200m歩いた右側に真っ黒な壁の家が畑の中にポツンと建っていて、少し異様な感じがしました。
14時08分、畑の中の黒い家

090 黒壁の家
黒い家の前から約200m先の右側(木島宅)の屋根に、カエルを連想させる鬼瓦が目に入りました。
14時13分、鬼瓦(カエル?)
091 鬼瓦(カエル?)
鬼瓦から約40m先の右行き道路の右角バス停脇に、道標が建っていました。
14時15分、山村天神道道標
092 山科天神道道標
道標から約450m歩いた右側のフクイ理容店の手前に、田代章鯉があり屋根に鯉の鬼瓦が飾られていました。
14時22分、鬼瓦(鯉)
094 鬼瓦(鯉)
鬼瓦部分に鯉が二匹。
火事除けの御守りで水に関する魚となったのかな?
今日は、いろいろな鬼瓦を見る一日になりました。
ここから約180m歩くと、左側に松並木があり勝手に泉一里塚の近くだったので「泉松並木」と命名しました。

14時26分、泉松並木(勝手な命名)
098 泉松並木(勝手に命名)
本数は少ない泉松並木(約100m)ですが、東海道には松が似合いますね。
松並木の途中には、ベンチがあり休憩できるようになっていましたが、少し前に休憩したばかりなので、素通りしました。
道は松並木の先でY字路となり、左に進み泉川に架かる舞込橋を渡りますが、渡る手前左側に東海道の道標が建っていました。

100 分岐(左)
14時29分、東海道道標
101 東海道道標
舞込橋を渡った処から約70m先の右側に、日本橋から110番目の泉一里塚があり、塚跡にモニュメントの塚が出来ていました。
14時31分、110泉一里塚跡
102 110泉一里塚跡
105 110泉一里塚
本町域では泉・林口・今在家(今郷)に一里塚がありました。塚上には榎などを植えて旅人の目印し、道中奉行の管轄下に維持管理されました。当時の一里塚は現在地よりやや野洲川寄りにありましたが、これはそのモニュメントとして整備されたものです。

一里塚跡から約160m先のT字路突き当り(道路を渡った先)に、東海道13渡しの一つである「横田の渡し跡」がありました。
14時34分~14時43分、横田の渡し跡
  ↓横田渡し跡・全景

107 横田渡し跡
 《横田渡し跡》
108 横田渡し跡・入口
横田渡しは、鈴鹿山脈に源を発する野洲川がこのあたりで横田川となり、江戸時代に入って東海道が整備されると、東海道十三渡しのひとつとして重視され、軍事的な意味からも幕府の管轄下に置かれました。そのため、他の「渡」と同じく通年の架橋は許されず、地元泉村に「渡」の公役を命じ、賃銭を徴収してその維持に当たらせました。これによると、三月から九月の間は四艘の船による船渡しとし、十月から翌二月までの間は、流路の部分に土橋を架けて通行させたようです。野洲川と支流の杣川が合流する当地は、水流も激しく、また流れの中には巨石も顔を見せ、道中の難所に数えられました。

 《横田常夜燈》
111 横田常夜燈
横田橋常夜燈は、文化初年より村人が義金を募り文政5年(1822年)、近在の石工にこの燈篭を造らせ燈台の役目を果すようになってから、東海道を往来する人が迷うことがなくなりました。この燈篭は、高さ10.5m、笠石2.7m四方で、周りは7.3mの玉垣を築いており、本郡石造品では最大のもの。

 《横田橋跡》
115 横田橋跡
横田の渡し跡には、東屋の休憩所と簡易トイレが設置されていたので、Yumiさんはトイレを借用しました。
渡し跡を出て左に進むと(渡しに立ち寄らない場合は、突き当りの道路を渡って右に進む)、約400mで1号線と合流する泉西交差点があり、道なりに道路の左側をそのままさらに約400m歩くと「あさくにおうだんほどうきょう」がありました

119 朝国横断歩道橋上り
歩道は、写真の看板のとおり行き止まりになっているので、朝国交差点に架かっている横断歩道橋で1号線を渡りました。
120 朝国横断歩道橋下り
クランク形になった歩道橋を通り、下りた処を左折して横断歩道を渡り、渡った処を左折し野洲川に架かる横田橋の歩道専用橋を渡ります。
14時58分、横田橋
122 横田橋
野洲川には、9月に襲来した18号台風の跡が残されており、それを横に眺めながら橋を渡りました。
123 分岐(下りて左折)
横田橋を渡ると階段となり、階段を下った左側のトンネルを潜ると、約70mでJR三雲駅前の十字路があり、右折した右側に今日の到着地がありました。
133 分岐(左折)
15時01分、三雲駅・野村薬品店前(到着地)
124 野村薬品店前(到着地)
到着地とした野村薬品店は、見た感じ廃業しているようでした。
Yumiさんに到着式の看板を掲げてもらい、到着の写真を撮って到着式を行いました。
【旅館】
《史跡散策》

事前に宿泊するあや乃旅館に、迎えをお願いする場所と凡その時間を連絡していたので、到着式の後、あや乃旅館に迎え依頼の電話をしました。
車が到着するまでに、三雲駅と三雲側に残されている横田常夜燈を見ることにしました。
15時06分、JR三雲駅
128 JR三雲駅(草津線)
駅前の十字路に戻り、十字路を右折して約200m先の左側(右側は踏切)に、常夜燈が建っていました。
15時09分、横田常夜燈
130 横田常夜燈(三雲側)
横田常夜燈は、東海道十三の渡しの難所の一つに数えられる横田の渡し場、湖南市側に建立されている。安永8年(1774)に東講中によって建てられた火袋付きの常夜燈です。高さ4.85m、5段の石積みの上に建っている。水口側の常夜燈より、50年以上前に建てられていた。建立された時は、現在地より約200m上流にあったが、何時の時代からか現在地に移転していた。
常夜燈を見た後、滋賀タクシーの処に戻り迎えを待ちましたが、駅の方が車を停めるのに便利かと考え、三雲駅脇のブロックに腰掛けて待つことにしました。
のんびりと待っていると、送迎用のワゴン車が停まり、旅館ご主人のお父さんが迎えに来て下さいました。
15時25分、三雲駅前発
先月、宿泊した時も道の駅・あいの土山まで迎えに来て下さっているので、顔見知りのご挨拶をして乗車させて頂きました。
旅館に着くまでの間、拡幅工事中の道路のこと、あや乃旅館の名前の由来などについて話しを聞かせて頂きました。
15時43分、あや乃旅館着
134 宿泊・あや乃旅館
旅館に着くと女将さんの出迎えがあり、部屋はYumiさんの病気を配慮して前回と同じ部屋にして下さいました。
前回(10月)は雨中の旅だったので、着ていた衣類を乾燥させるため部屋一杯に干しものが並びましたが、今回は天気も良く干た衣類が並ぶことはありませんでした。
あや乃旅館の良さは家族風呂で使えることで、二人でゆったりと入浴することができました。
そして、18時から楽しみな夕食。

140 旅館の夕食
ビールで乾杯し、配膳されたのを食べながら、前回と同じようにご主人のお母さんが美声を聞かせて下さり、旅の疲れを癒して下さいました。
  ↓お母さんの美声
144 美声
今日は一人で東海道を歩かれている男性が一緒で、昨晩は関ロッジに泊まったとのこと。
先月の私達と同じところに宿泊したようですが、私達が2日で歩いた関宿~土山宿~水口宿を、1日で歩いてきたことを聞き健脚ぶりに感服いたしました。
また、前月宿泊した時に撮った写真が掲示されていました。
  ↓掲示されていた写真

142 旅館内に貼り出された写真
お母さんの美声を聞いたり、同じ東海道の旅をしている方と話したりと、楽しい食事の時間を過ごすことができました。
Yumiさんに「終わりにしよう」と云われ部屋に戻る時、記念に女将さんとお嬢さんの写真を撮らせて頂きました。
145 親子
部屋に戻り、血圧を測定し、明日の着替えを再確認し、Yumiさんをトイレに連れて行き、明日の旅を考えて早い時間に布団を敷いて寝ました。
お休みなさい。
【あや乃旅館情報
〒528-0032 滋賀県甲賀市水口町八坂3-41
 TEL=0748-62-0998 FAX=0748-63-3338
  
 http://www.ayano-ryokan.com/i/

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  専用メール  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道夫婦二人旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


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