旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2013年12月

【天候】曇り一時雨
【宿場】(53)大津宿

【行程】歩行距離=10.15㎞ 総距離=482.52㎞
瀬田駅
・一里山二丁目交差点⇒(4.15㎞)⇒117粟津一里塚⇒(4.50㎞)⇒118石場一里塚⇒(1.50㎞)⇒大津駅・御幸町交差点
【ルート図】

  ↓宿場(黒囲みが第36回旅の宿場)
08 36回宿場
  旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第36回
  
第36回の旅ルート
  
(JR瀬田駅・一里山二丁目交差点 ⇒ JR大津駅・御幸町交差点)
第36回ルート
【旧東海道の旅】
《移動》
05時35分、起床

身支度とザックの荷造りを行い、出発する準備を整えてから朝食を食べに行きました。
06時30分~6時53分、朝食
 ↓お腹が膨らんでご満悦です

001 朝食(レイアホテル大津石山)
朝食は6時30分からバイキング形式で、私が二人分(Yumiさんは私の後ろに容器を持っている)の食材を容器に取りテーブルに着き、その他に服用薬やサプリメントのため水やお茶を用意するお給仕役です。

07時12分、ホテル発
朝食を食べた後、部屋に戻り、トイレを済ませてからタッチ式カードの鍵をフロントの置いてあるBOXに入れ、ホテルを出ました。
005 ホテル玄関
朝の冷たい空気を浴びながら駅に向かい、パスモを使って改札を通りホームに降りました。
 ↓石山駅ホーム

010 石山駅ホーム
瀬田方面に向かうホームに降りると、日曜日の早朝ということなのか、ホームにはほとんど人がいませんでした。
07時31分、石山駅発
電車は、石山駅を出ると直ぐに瀬田川を渡ります。
瀬田川に架かる橋は、今日旅する瀬田の唐橋なので、行く時に電車から見たいと思っていました。
唐橋は、国道1号線の先に架かっているのが見え、「これから歩くんだな」と思いながら見ていました。
また、Yumiさんは1駅だけの乗車なのでザックを降ろす必要もないのですが、時間の長短に関係なくザックを降ろします。
ザックを降ろすのは良いのですが、ザックを背負う時に締めた腰ベルトを外すのに手間取るため、またたく間に瀬田駅に着いてしまいました。
07時33分、瀬田駅着

ここから昨日終了した一里山二丁目交差点まで歩きました。
交差点での出発式は、昨日到着式を行った場所から交差点を渡った場所に変更し、出発地が書かれた看板をYumiさんに掲げてもらい、出発式(出発の看板を掲げて写真撮影)を行い出発しました。
【=旅=】
07時42分、一里山二丁目交差点(出発式)

013 一里山二丁目交差点(出発地)
出発式を行った場所に、三条大橋5里、日本橋まで120里と記された道標が建っていて、「ゴールまであと20㎞のところまで来たか」と思いながら曇り空の中を出発しました。
約300m歩くと大江4丁目交差点があり、交差点を過ぎると緩やかな上り坂となり、約250m歩いた右側に「落し物です」と書かれた紙が紐を通して木にぶら下がっていました。
東京ではこのように外の道路沿いで落し物探しをしていることを見たことがないので、この地域の治安の良さを感じました。
 ↓落し物探し(白丸のところに鍵が付いている)

016 垣根に落し物の鍵
街道は、落し物が吊るしてあった処から少し歩くと、雨が降り出してきました。
雨は小降りですが、ザックから折畳み傘を取り出し、傘を差しながら下り坂を歩くと一灯式信号の十字路があり、左折しました。
08時00分、一灯式信号のある十字路(左折)

017 分岐(左折)
十字路を左折して約100m歩くと、左側の小さい川沿いに約120mに渡って桜並木(左側)があり、桜並木が終わった辺りになると、傘がなくても大丈夫な状態になったので、傘を畳み手で持って歩きました。
街道は、桜並木が終わった辺りから約220m歩いた三叉路を右折しました。
08時06分、三叉路を右折(左側の初田仏壇店の看板が目印)

018 分岐(右折)
寄り道)
右折する右側のカーブミラーの近くに案内看板があり、「国府跡まで100m」と記されていたので、立ち寄ろうと思い御霊神社の近くまで行きましたが、案内の標示もなく、場所も分からないためYumiさんに「早く戻りましょう」と急かされて三叉路まで戻りました。
10分程前に傘を畳んだのですが、また雨が降り出してきたので、再び傘を差して歩きました。
 ↓傘を差して歩くYumiさん

019 傘を差して旅歩き
なだらかな上り坂を約120m歩くと左折道路の分岐付近から下り坂となり、右側の増田産婦人科入口の屋根を利用させて頂き衣服調整(二人ともチョッキを脱ぐ)しました。
増田産婦人科から約350m歩くとT字路となり左折しましたが、T字路に着く少し手前で天気が回復したので傘を畳みました。
08時23分、分岐(T字路を左折)
020 分岐(左折)
左折して約50mで高橋川に架かる和田一号橋を渡り、約110m歩くと左側に檜山神社がありましたが、階段の往復を考え、参拝を失礼して鳥居の前で失礼しました。
08時26分、檜山神社・鳥居

021 檜山神社・鳥居
鳥居前から約260m歩くと左側にオムライスの店、右側に石善山村石材店の看板があり、その間の道を進みました。
 ↓分岐(左折)

023 分岐(左折)
街道は約60mでT字路となり、右折します。
私達は、T字路を逆の左に進み、建部神社の参道入口の石碑を記録に収めました。
08時33分、建部神社・参道入口

026 建部大社・入口
建部神社は少し歩かないと参拝できないため、瀬田名物の「たにし飴」を買っていこうと近くにいた方に聞くと、直ぐ近くの神領交差点のところにある辻末製菓舗を教えて下さいました。
建部神社石碑を後に街道に戻り、約40m歩くと神領交差点となり、交差点右手にたにし飴を販売している辻末製菓舗がありました。
たにし飴は、にっきの飴で、形が琵琶湖のたにしに似ていたことから瀬田川名物として、おみやげに親しまれ、
「神さまの食すもの」という説もあるそうです。
お店は時間が早く開店していなかったので、買えませんでした。
 ↓たにし飴の辻末製菓舗

028 たにし飴(辻末製菓)
県道16号の左側を約150m歩くと、道路反対側の料亭山形屋重右衛門の道路反対側の左側に旧代官屋敷跡がありました。
08時40分、旧代官屋敷跡(左側)

029 旧代官屋敷跡
代官屋敷跡から約60m先の左側に、大津町家物件があり改修工事をしていました。
邪魔にならないようにしてYumiさんの写真を撮っていると、「見れますので、どうぞ」と案内され、中に入らせて頂きました。
08時42分、大津町家物件(左側)

031 大津町家物件
 ↓大津町家物件・内部
033 大津街家物件・屋内
大津町町家物件から約40m先の唐橋東詰交差点の左角に道標が建っていました。
08時45分、道標(左側)
034 道標
そして、交差点を渡った橋のたもと左側に、石柱常夜燈と歌碑が建っていました。
08時47分、常夜燈・歌碑(左側)

036 常夜燈・歌碑
今朝、電車の中から見た「瀬田の唐橋」に着きました。
常夜燈と歌碑を写真に収め、ふと左を見ると石碑が建っていたので見に行きました。
08時48分、瀬田の唐橋碑(左側)

038 瀬田の唐橋碑
瀬田の唐橋は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋で、全長260m。勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも云われている。
宇治橋、山崎橋と並んで日本三名橋・日本三古橋の一つとされ、日本の道100選にも選ばれている。琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。瀬田川に架かる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、京都防衛上の重要地であったことから、古来より唐橋を制する者は天下を制すと云われた。
本格的には近江大津宮遷都の時に架橋されたと考えられるが、当時は現在の位置より65m南の龍王社・雲住寺を東端としていた。
夕陽の時の景色が良いみたいですが、そういうわけにもいかないので、先に進みました。
08時51分、瀬田の唐橋(親柱)
042 瀬田の唐橋・親柱
この辺りのYumiさんの血流の状態は悪く、私の云うことがほとんど理解できない(写真を撮るためにYumiさんが立つ場所が分からない)のと、私が云ったことに対して反発してくるなどで、二人ともプリプリしながらの唐橋渡りになってしまいました。
08時53分、瀬田の唐橋(欄干)

044 瀬田の唐橋・欄干
しかし中瀬の近くになると(数分後ですが)二人の沸騰も治まり、また和やかな歩きになっていました。
唐橋は、途中の中瀬で第一橋と第二橋に分かれていました。
08時55分、二つ目の親柱
048 二つ目の親柱
二つ目の唐橋を渡ったところの唐橋西詰交差点左角の料理旅館・唐橋の前に、小さい祠が祀られていました。
08時58分、橋姫竜神の祠(左側)
050 橋姫竜神の祠
唐橋西詰交差点から約170m歩くと京阪電鉄石山坂本線の踏切があり、踏切の左側に「唐橋前」駅がありました。
09時01分、唐橋前駅(左側)
054 京阪石山坂本線・唐橋前駅
踏切を渡り約50m歩くと左側に、近江牛老舗の「松喜屋」がありました。
09時03分、松喜屋(近江牛の老舗)=左側
052 近江牛・松喜屋
松喜屋から約50m歩くと鳥居川交差点となり、右折しました。
 ↓分岐(右折)

055 分岐(右折)
交差点を右折して約400m先の国道1号線の高架下を潜り、さらに約70m先の京阪電鉄の踏切を渡り、そこから約90m歩くと松原町西交差点に着きました。
天気はクルクルと変わり、交差点に着くとまたポツリ、ポツリと雨が降ってきましたが、まだ傘を差すほどでもなかったので、二人とも傘は差さずに歩きました。
《石山駅コンコースが旧東海道》
街道は、松原町西交差点を渡り、右折してJR石山駅に向かいます。
09時15分、松原町西交差点(交差点を渡って右折)

056 分岐(渡って左折)
①約80m先をバスロータリーに沿って右折
057 分岐(バスに沿って右折)
②バスロータリーに沿って歩き、正面のエスカレータで階上
058 分岐(真っ直ぐエスカレータ)
③階上を右折してコンコースを歩く(途中の左に改札口)
059 分岐(右からコンコースへ)
④コンコース突き当り手前の階段を下りる
061 分岐(右折)
⑤階段下をロータリーに沿って歩き、左方向に向かう
062 分岐(左折)
コンコースから階段を降りてロータリーに出ると、雨の降りが強くなってきたので、傘を差して歩き始めました。
ロータリーを出た処から約150m歩くと、T字路となり左折しました。
 ↓分岐(左折)

063 分岐(左折)
この分岐の辺りが日本橋から117番目の「粟津一里塚」があったと推定されているのですが、何も標示されていませんでした。
自治体の方がこのブログをご覧になりましたら、ぜひ一里塚跡碑の設置をご検討下さいますようお願いします。
東海道を旅してきて感じるのは、街道を旅するほとんどの人が一里塚跡碑を記録に残しています。
一里塚の史跡は、他の史跡とは別格のようです。
09時24分、117粟津一里塚跡(?)付近

064 117粟津一里塚跡付近?
分岐から約250m歩くとルネサスエレクトロニクスの工場前から右折する道路の角に、農業試験発祥地の碑が建っていました。
09時29分、農業試験発祥地の碑(右側)

066 農業試験発祥地碑
この辺りでは傘がないとかなり濡れるくらい雨が降っていたのですが、私達を追い越していった男性2人組は、傘なしで歩いていました。
ほとんどの旅人は、私が出会った人だけですが、史跡を記録に残すことなく通り過ぎていくので、史跡ごとに記録に残すために立ち止まる私達は追い抜かれることはあっても、追い越すことは99%ありません。
発祥地碑から約550m歩き、左に大きく曲がる角に森本宅があり、その玄関前に総門跡碑が建っていました。
09時37分、膳所城勢多口総門跡

068 膳所城勢多口総門跡
森本宅から約60m歩いた左側に、連子格子の家が建っていました。
 ↓連子格子の家

070 連子格子の家
街道は、森本宅付近から枡形道となり、連子格子の家の先で街道は右に曲がり、さらに約30mで左に曲がる曲尺手になっていました。
曲尺手(かねんて)とは、旧城下町に見られる街の作りで、敵が一気に攻め込めないようにクラング方や、カギの形状になっている道で、枡形ともいいます。
曲尺手を出て約100mで先の京阪電鉄石山坂本線の踏切を渡り、約60m歩いた右側に若宮神社があり立ち寄りました。
09時41分~09時45分、若宮神社・鳥居

071 若宮神社
 ↓若宮神社・本殿
073 若宮神社・本殿
今日は旅を始めてから神社に参拝していなかったので、お賽銭をご奉納し参拝しました。
神社には誰もいなかったので、小さい声を出してYumiさんの病気完治と旅のご加護をご祈願しました。
参拝が終わり境内の外に出て、約30m歩いた左側の奥村食料品店の前を右折しました。
09時47分、分岐(右折)

075 分岐(右折)
分岐を右折して約140m歩くと京阪電鉄瓦ケ浜駅の踏切があり、タイミング良く電車が来て遮断機が下りたところだったので、京阪電鉄石山坂本線の電車を記録に残しました。
09時49分、京阪電鉄石山坂本線・瓦ケ浜駅踏切

076 京阪電鉄・石山坂本線
踏切に着くと、農業試験発祥地の碑のところで追い越していった男性二人が此処にいたので、「え、何でここにいるの?」と思いましたが、特に挨拶することなく遮断機が上がると先に歩いて行き、この先で出会うことはありませんでした。
踏切を渡って少しすると雨が止み、傘を畳んで持ち歩いていると左側に篠津神社があり立ち寄りました。
09時53分、篠津神社・鳥居

077 篠津神社
 ↓篠津神社・山門(膳所城の北大手門を移築したもの)
079 篠津神社・表門(膳所城北大門)
神社入口から約70m歩くと奥村歯科医院に突き当り、その右側に晴好雨碕亭跡碑が建っていました。
09時57分、晴好雨碕亭跡碑

082 晴好雨竒亭跡
晴好雨碕亭は、膳所の名工・初代菅次が金銀銅鉄器類を製作したとだそうです。
碑が建っている奥村歯科医院の前を道なりに左折し、約170m歩いた一灯式信号のある十字路を右折します。
 ↓分岐(一灯式信号の十字路を右折)

085 分岐む(右折)
《不親切な駅員①=京阪電鉄・中ノ庄駅》
私達は、Yumiさんがトイレに行きたいと云うので、右折する十字路を直進し、約40mさきにある京阪電鉄・中ノ庄駅に行き「トイレを貸して下さい」と云うと、「駅にはトイレがありません」と断られてしまいました。
小さい駅ですが、「トイレはありません」と断った駅員は、トイレに行かないのでしょうか?
今まで約500㎞歩いてくる途中で、公共交通機関の駅のトイレを利用させて頂きました。
その中で、唯一中ノ庄駅で断られました。
何と不親切な駅なんだろうと思いながら、先に進みました。
Yumiさんに「少し待っていて」と話し、街道に戻りトイレがある膳所城址公園に行くことにしました。
城址公園に行く途中、十字路から約350m歩いた左側に大養寺があり、膳所六長屋門の一つと記されていたので、記録に残すことにしました。
10時07分、大養寺・長屋門

086 大養寺(長屋門)
大養寺から約60m歩いた十字路を右折し、街道を離れて膳所城址公園に行きました。
十字路から約220m歩いた本丸町交差点を渡り城址公園入口でYumiさんの写真を撮っていると、公園から出て来られた男の人が「撮りましょうか」と声を掛けて下さったので、お言葉に甘えお願いしました。
10時13分、膳所城址公園入口

090 膳所城址公園入口
写真を撮って頂いた後、男性の膳所城址公園の講釈が始まりました。
写真を撮って頂いたので少し話しを聞いていましたが、Yumiさんともどもトイレに行きたいので、話しの途中でしたが「すいません。トイレに行かせて下さい」と云って話しを打ち切って頂いて失礼し、Yumiさんの荷物を預かり、トイレに行かせスッキリしてもらいました。
 ↓琵琶湖に架かる近江大橋(後方)

091 膳所城址公園
 ↓膳所城址碑
093 膳所城址碑
 ↓城址公園(門からの眺め)
095 膳所城址公園・風景
城址公園を出て街道に戻るため本丸町交差点を渡って左側の建物を見たら、お城風の屋根になっていました。
10時24分、大津市市民センター
096 大津市市民センター
街道に戻ると十字路左角に、膳所城中大手門跡碑が建っていました。
10時27分、膳所城中大手門跡碑

097 膳所城中大手門跡
中大手門跡碑から約400m歩くと、三叉路となり左に進みました。
 ↓分岐(左に進む)

099 分岐(左折)
三叉路から約220m歩くと、T字路となり(突き当りは響忍寺)右折し、さらに約90m歩くと左折できる道があり、左折してその道を進みます。
 ↓分岐(左折

100 分岐(左折)
左折した道は弧を描くような道で、橋を渡りスーパー「フレンドマート」に沿って左に進み、突き当りを右に道なりに進みます。
 ↓分岐(フレンドマートの左側を進む)

101 分岐(斜め左)
なりに右に進み約70m歩くと、左側に石坐(いわい)神社があり、境内で一服休憩することにしました。
10時40分~10時52分、石坐神社

102 石坐神社
境内では新年に向けて氏子の男の人(10人くらい)がしめ縄(?)の準備をしており、雰囲気的に参拝する状態でなかったため、境内隅の石に坐って水分補給と持参したスポーツ羊羹を食し、休憩しました。
104 石坐神社境内で休憩
石に座って休憩していると、宮司さんらしき人(白装束)から「どこからきたんですか?」と聞かれ「瀬田からです」と答えると、「今日は瀬田からの人が多いね」と云われ、私達の前に歩いた人もここで休憩したのかなと思いました。
休憩を終わり神社を後に約130m歩くと、左側の法傳寺の敷地に天智天皇の碑が建っていました。
10時54分、天智天皇御尊碑

106 天智天皇御尊碑
碑から約230m歩くと、右側の笹川宅の前に膳所城大津口総門跡碑が建っていました。
10時58分、膳所城大津口(北)総門跡碑

108 膳所城大津口総門跡
跡碑から約160m先の一灯式信号を過ぎ、さらに約240m歩くと、左側に木曽義仲の墓がある義仲寺がありました。
11時06分~11時17分、義仲寺(ぎちゅうじ)
110 義仲寺・山門
山門を潜ると右側に受付があり、入場料(@300円)を支払らい寺院を見学しました。
義仲寺は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来し、近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。
江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。

 ↓境内


113 境内
 ↓本堂
114 朝日堂
 ↓木曽義仲公墓所
115 木曽義仲の墓
 ↓松尾芭蕉墓所
117 松尾芭蕉の墓
 ↓巴塚(義仲の妻)
119 巴塚
 ↓佐渡の赤石
122 佐渡の赤石
 ↓義仲寺山門脇の碑
123 義仲寺・門前
義仲寺を出て約400m歩くと、京阪電鉄石山坂本線の踏切があり、踏切を渡って分岐を左方向に進みました。
 ↓分岐(左方向)

125 分岐(左)
分岐を左方向に進み約100m歩くと左に入る道があり、そこを左折して約60m先の右側に、蹴鞠で有名な平野神社があり立ち寄りました。
11時25分~11時32分、平野神社

126 平野神社・鳥居
 ↓平野神社・本殿
128 平野神社・本殿
平野神社の精大明神は蹴鞠の祖神のため、特に芸能に御利益があるとされ、現在でも例祭には古式ゆかしい蹴鞠が奉納されているそうです。
平野神社の本殿でYumiさんと並んでお賽銭を奉納し、声を出してご祈願しました。
清々しい気分になり、街道に戻り旅を続けました。
街道に戻ると約20mで分岐となり、左方向に進みました。
 ↓分岐(左方向)

131 分岐(左)
分岐から約50m付近が日本橋から118番目の石場一里塚があったと云われているのですが、117粟津一里塚と同じように跡碑がないので、場所が特定できません。
しかたがないので、この辺りの街並みを写真に収めることにしました。
11時35分、118石場一里塚跡(?)付近

132 118大津一里塚跡付近(?)
ここから約200m歩くと大きな道路に突き当り、車の合間をぬって横切り、さらに250m直進すると十字路があり、十字路から左を見ると格式のある滋賀県庁の建物が見えました。
11時47分、滋賀県庁庁舎

135 滋賀県庁
ここから約300m歩くと(中央大通りを渡る)、左側に森野すだれ店がありました。
11時53分、森野すだれ店

137 森野すだれ店
外から家屋をバックに写真を撮っただけのため、店内の様子は分かりません。
歴史を感じる店なので、今度来る機会がありましたら、立ち寄りたいと思います。
森野すだれ店から約110m歩いた十字路の左角(徳永洋品店の角)に、露国皇太子遭難地の碑が建っていました。
11時55分、露国皇太子遭難地の碑
139 露国皇太子遭難地碑
露国皇太子が遭難したのは、大津事件と云われ、明治24年(1891年)5月11日に、日本を訪問中のロシア帝国皇太子のニコライ(後のニコライ二世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件でです。
碑から約30m先の中央二丁目南交差点を渡り、交差点からさらに230m歩くと西近江路の京町一丁目交差点があり、街道は交差点を左折します。

142 分岐(左折)
この交差点は、幕府の法令を記した高札が建てられた四つ辻である札の辻だったところで、交差点を渡った左角(信号機下)に札の辻の標示パネルと大津市道路元標が立っていました。
12時01分、札の辻(Yumiさんの右側)・大津市道路元標(Yumiさんの左側)
144 大津市道路元標
札の辻は現在も町名としてその名が残って名残りをとどめており、道路元標は静岡県内を旅している時、何か所かで記録したことを思い出しました。
京町一丁目交差点を渡ったところを左折し、西近江路を走る京阪電鉄京津線と平行に歩き、次の交差点(京町一丁目南)を再度渡って進行左側に移り約140m歩くと、大津京町郵便局を過ぎた左側角(滋賀県労働局看板が建っている)に、本陣跡碑と明治天皇聖蹟碑が建っていました。
12時06分、大津宿本陣跡碑
146 大津宿本陣跡
 ↓明治天皇聖蹟碑
149 明治天皇聖蹟碑
平行して走っていた京阪電鉄は、大津京町郵便局の辺りで、西近江路から別れ右方向に走っていきました。
そして本陣から約110m歩いた処に御幸町交差点があり、当初予定していた京阪電鉄京津線の大谷駅を変更し、「御幸町交差点」で旅を終了することにしました。
理由は、大津駅で子午線モニュメントを見ることにしたためと、最後の歩くたびの楽しみを残しておきたいというおセンチリズムからです。
12時10分、西近江路・御幸町交差点(到着地)

152
【帰路】
Yumiさんに看板を掲げてもらい到着式(写真撮影)を行い、第36回目の旅を終了しましたが、看板は次回作成したものを持参し、改めて記録に残したいと思います(持参した到着式の看板で再撮影)。
到着式を終え、交差点の先を左折し、大津駅に向かいました。
大津駅前のロータリーに入る角にそば屋があり、昼の時間帯でもあるので、躊躇なく店に入りました。
12時15分~12時42分、昼食(やま喜)
154 そば処・やま㐂(昼食)

席に着きメニューを見て、手ごろな値段から「かにづくしそば」(@880円)を注文しました。
 ↓かにづくし蕎麦
156 昼食(かにづくしそば)
蕎麦の味は普通でしたが、温かいかに玉そばに、かに寿司のかにづくしでしと実にユニークなメニューでした。
全て食べ切り、Yumiさんのかに寿司を一つ頂きました。
店を出て、ロータリーを横切り、大津駅に着きました。
12時44分、大津駅

159 大津駅
《不親切な駅員②=JR・大津駅》
大津駅から京都駅までは、一度昨日の朝、三宮から草津駅まで乗車しているため、大津駅から京都駅までの切符を購入し、その時に子午線モニュメントの場所を聞くと、実に不親切な人(女性)で、親切な窓口の人が大多数の中で、このような女性もいるのかと思いながら外に出ました。
北緯35度子午線モニュメントは改札を入った直ぐ左側の壁に記されているだけで、手原駅の子午線モニュメントのような彫刻モニュメントを期待していた私は少しガッカリしました(地元の方、すいません)。
12時53分、北緯35度モニュメント

161 北緯35度モニュメント
モニュメントを記録に残し、京都に向かうホームに行きました。
12時58分、大津駅発
164 大津駅ホーム
13時07分、京都駅着
京都駅で孫ちゃんのお土産に硬い八つ橋を買うつもりでいたのですが、駅に着いた時は京都から草津までの切符購入と新幹線の乗り換えで、小さい頭が一杯になり可愛い孫ちゃんへのお土産を買うのを忘れてしまいました。
次回は、必ず買って帰ります。
新幹線のホームに行き3号車の処に並び、列車を待ちました。
13時29分、新幹線京都駅発
定刻通り入線してきた新幹線に乗り、二人掛けの席に座り、車内販売で缶ビール2本買い、Yumiさんと乾杯しました。

166 新幹線・車内(乾杯)
品川まで約2時間35分の乗車なので、東下りで旅をしているNさんにメールしたり、旅の記録をまとめたり、うとうと寝たりしていると、新富士が近づき富士山を眺めようと車窓から見ましたが、雲の中に隠れて眺められませんでした。

16時03分、新幹線品川駅着

16時13分、山手線品川駅発
新幹線の改札を出る前にトイレに行き、スッキリしてから在来線ホームに行き、山手線に乗って帰りましたが、家に帰って食事の支度はしたくないので、最寄り駅近くの食事店で夕食を食べ、家に帰りました。
 ↓最寄り駅近くの食事店

168 夕食
お問い合わせやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールアドレスをコピーしてお使い下さい。
  (専用メール)  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/

【天候】晴れ
【宿場】(52)草津宿⇒(53)大津宿

【行程】歩行距離=9.95㎞ 総距離=472.37㎞
手原駅・駅入口交差点⇒(2.10㎞)⇒114目川一里塚⇒(4.20㎞)⇒115野路一里塚⇒(3.65㎞)⇒116大萓一里塚(瀬田駅・一里山二丁目交差点)

【ルート図】
  ↓宿場(黒囲みが第35回旅の宿場)
07 35回宿場
  旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第35回
  
第35回の旅ルート
  
(JR手原駅・駅入口交差点 ⇒ JR瀬田駅・一里山二丁目交差点)
第35回ルート
【旧東海道の旅】
《移動》
05時30分、起床

洗面、着替え等の身支度を行い、その後
ザックの荷造りを行い、出発する準備を整えてから
朝食会場に行き、7時からバイキング形式の朝食を食べ、部屋に戻ってトイレを済ませてから出発しました。
07時35分、ホテル発
001 東横イン三宮2
今日は、ルミナリエを見た三宮駅から出発地の手原駅まで移動します。
07時50分、JR三宮駅発
003 JR三宮駅ホーム
09時06分、JR草津駅着
改札を出てコンコースの「うばが餅屋」に立ち寄り、「うばが餅」(12粒・500円)を買いました。
うばがもちは、広重、北斎の浮世絵や各種の名所図会にも描かれている『うばがもちや』で、この商品名は広辞苑にも記載されており、「あんころ餅の一種。滋賀県草津の名物。」とあります。
※うばが餅は、食べるところに写真を掲載しています。
草津駅で草津線に乗り換え、手原駅に向かいました。
09時24分、草津線草津駅発
09時29分、手原駅着
005 手原駅・改札口

手原駅は、東経136度の子午線が走っており、駅前にそのモニュメントが建てられているというので、記録を残しました。
09時33分、東経136度の子午線

006 東経136度子午線(手原駅前)
【=旅=】
ここから約120m先の稲荷神社手前の交差点が、今日の出発地です。
出発地が記された看板を、Yumiさんが掲げているところを写真に収める出発式を行い、今日の旅をスタートしました。
09時36分、手原駅入口交差点(出発地)

009 手原駅入口交差点(出発地)
出発地から約200m先の右側(民家の前)に、東経136度子午線の標柱が建っていました。
09時41分、東経136度子午線の標柱(民家の前)
013 東経136度子午線
私はもう少し出発地に近いところと思っていたので、「見逃したかな」と思った矢先に標柱があり、「あったー」という感じでした。
子午線の標柱から約20m先の左側に白壁の豪邸が、右側に連子格子の家が建っており、両家とも川崎家でした。
 ↓白壁の豪邸(川崎家)

016 白壁の豪邸
 ↓連子格子の家(川崎家)
017 連子格子の家
旧家から約130m歩いた右側のマンション(メゾンジョイ)手前の右入り道路の角に道標が、その数m先に田楽茶屋跡がありました。
09時46分、道標(右側)

018 道標
 ↓田楽茶屋・すずめ茶屋跡(右側)
020 すずめ茶屋跡(田楽茶屋)
茶屋跡から約120m歩くと県道55号の交差点となり、右を見ると国道1号を越えた先に家具・インテリアのプラスカーサがあり、建物の後ろにVサインしている白い像が建っていました。
 ↓プラスカーサに建っている白い像(右側)

022 vサインの像
交差点を過ぎて左を見ると上鈎池があり、交差点から約70m歩いた左側に、足利9代将軍足利義尚の鈎の陣碑が建っていました。
 ↓上鈎池(左側)

023 上鈎池
09時55分、足利義尚鈎の陣跡(左側)

025 足利義尚の鈎の陣
九代将軍足利義尚
鈎の陣所跡は、室町幕府が応仁の乱を境に勢力が衰え社会は乱れ、近江守護職佐々木高頼が社寺領等を領地とした。幕府の返還勧告に応じない佐々木氏を討伐のため時の将軍足利義尚は長享元年(1487年)10月近江へ出陣し鈎に滞陣した。滞陣2年している時に病となり延徳元年(1489年)3月に25歳の若さで当地で陣没した。本陣跡は西に約300mの永正寺の一帯です。
立場跡から数軒隣りの民家の庭(道路沿い)に、目川田楽・古じま屋跡がありました。
10時29分、田楽茶屋・古じま屋跡(右側)

038 田楽茶屋・こじま屋跡
菜飯田楽は豊橋で食べましたが、江戸時代に全国ブランドだった目川立場の菜飯田楽が、現在は一軒もこの地に無いのはちょっと残念です。
さらに約220m歩いた右側に田楽茶屋・京いせや跡が西岡宅の前に建っていました。
10時33分、田楽茶屋・京いせや跡(右側)

040 田楽茶屋・京いせや跡
茶屋跡碑から約70m歩くと分岐となり右方向に進むのですが、分岐左角に現代の茶屋が建っていました
 ↓分岐(右方向・左が茶屋ほっこり庵)=左側

042 分岐(右方向)
10時36分、ほっこり庵=左側(入口は分岐を左に入った処)
043 ほっこり庵
 ↓ほっこり庵(分岐手前の左側)
045 ほっこり庵(横)
 ↓芭蕉句碑=左側(分岐を左折し、ほっこり庵の隣り)
047 芭蕉句碑
句碑を見て分岐に戻り、右方向に進み約250m先の東海道新幹線ガードを潜り、さらに約220m歩いた右側のホワイト急便(クリニーング店)手前に領界石が建っていました。
10時47分、領界石(従是東照領)=右側

049 従是東照領碑
石碑から約90m先の右側の民家の前(斜め左側に山田プロスポーツ整体院)に、老牛馬養生所址がありました。
10時51分、老牛馬養生所址=右側
051 老牛馬養生所跡
老牛馬養生所は、栗太郡志等に「この施設は和迩村榎の庄屋岸岡長右衛門が湖西和迩村の牛場で老廃牛馬の打はぎをしている様子を見て、その残酷さに驚き、これから老牛馬であっても息のある間は打ちはぎすることを止めるようと呼びかけ、天保12年(1841年)四月当地が東海、中山両道を集約する草津宿の近くであることから、ここに老牛馬の余生を静かに過ごさせる養生所を設立、県下の老牛馬を広く収容された」と記されている。
石碑から約160m歩くと栗東市から草津市に入る市境標識柱が建っていました。
10時53分、市境標識(栗東市から草津市)
053 草津市市境標識
市境から約50m歩くと分岐となり、左側の道を歩き土手に上がりました。
 ↓分岐①(左側)

055 分岐(左の上り道)
分岐を細い左側に入り、土手を上り、そのまま道に沿って進み1号線の上を通り、約70m先に旧草津川に架かっている橋を渡ります。
 ↓分岐②(左折)

056 分岐(左折)
渡った所のT字路を、右折します。
 ↓分岐③(右折)

057 分岐(左側)
右折すると二又になっている道を、左に進みます。
左に進んだ道の左側に石燈籠が建っていました。
11時01分、横町道標(左側)

058 横町道標
横町道標は、草津宿の江戸方の入り口であった草津川の堤上建つ火袋付石造道標です、高さ約3.9mを測り、日野の豪商中井氏の寄進によって文化13年(1816年)3月に建てられました。なお、道標はかつて道を挟んで北側にありました。
坂を下り、約400m歩くと左側に草木栄久堂があり、店の前からカラー舗装になっていました。
 ↓カラー舗装

060 カラー舗装
カラー舗装を約160m歩くとT字路となり、東海道と中山道の合流・分岐地の追分(右側角)がありました。
11時11分、追分常夜燈道標(右側)
061 追分道標
追分常夜燈道標は、「京」から「江戸」に向かって書いてあるので、「右 東海道いせみち」、「左 中山道のみち」となっている。
多くの旅人が道に迷わぬよう、また旅の安全を祈って文化13年(1816)江戸大坂をはじめ、全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されたもので高さは一丈四尺七寸(4.45m)で火袋以上は銅製の立派な大燈籠であり、火袋以上は度々の風害によって取り替えられたが、宿場の名残りの少ない中にあって、常夜燈だけは今もかつての草津宿の名残りをとどめている。
また、追分常夜燈道標の道路向かい側に、高札場跡がありました。
11時13分、高札場跡(右側)

063 高札場跡
追分を東海道は進行左折、中山道は右折します。
※街道の分岐(草津追分)

065 分岐(東海道と中山道の合流点)
 ↓右折した中山道はトンネルを潜ります。
065 合流点から見た中山道
追分を左折して約40m歩いた右側に、草津宿本陣がありました。
11時15分~11時35分、草津宿本陣跡
066 草津宿本陣
草津宿本陣は、当主の田中七左衛門が寛永12年(1635)に本陣職を拝命したとされ、明治3年(1870)に本陣が廃止となるまで、代々本陣職を勤めてきました。いつの頃からか材木商も営むようになり、田中九蔵本陣と区別して「木屋本陣」と呼ばれていました。
本陣が廃止となった明治時代以降、本陣の建物は郡役所や公民館として使用されていましたが、江戸時代の旧姿を良く留めているとして、昭和24年(1949)に国の史跡に指定されました。
私とYumiさんは、受付で入館料(@200円)を支払い、館内を見学しました。
 ↓上がり座敷(玄関から入った処)

068 本陣土間
 ↓畳み廊下(館内の通路)
070 本陣内の通路
 ↓風呂場(五右衛門風呂が当時を偲ばせる)
073 湯船
 ↓上段の間(殿様の部屋)
074 上段の間
 ↓当時の食事
076 本陣食事の見本
本陣をひと通り見学し、草津宿の街並みを眺めながら歩きました。
本陣(田中七左衛門)を出て田中九蔵本陣跡を探したのですが、見落としてしまいました。
ところが家に帰ってきて写真を見たら、本陣跡らしき石碑(白丸)が写っていました。

077 本陣の町並み(右の石碑は本陣跡?)
本陣を出て、食事出来そうな店を探して左右をキョロキョロしながらゆっくりと歩くと、約100mでスナック「トリコロール」があり昼食に立ち寄りました。
11時38分~12時03分、昼食(トリコロール)

078 スナック・トリコロール(昼食)
 ↓店内
080 店内
店内に入ると、若いカップルと私達だけで、何種類かのメニューからハンバーグランチ(@600円)を注文し、ひっそりとした店内で寛ぐことができました。
食事を済ませ草津宿を約90m歩くと左側に、くさつ夢本陣がありました。
12時05分、くさつ夢本陣
081 くさつ夢本陣
建物がひっそりとしていたのと、食事直後だったので立ち寄らないで通過し、約80m先の左側の草津宿街道交流館に立ち寄りました。
12時07分~12時13分、草津宿街道交流館
083 草津宿街道交流館
 ↓館内(駕篭に乗ってみました)
085 館内・展示の駕籠
Yumiさんは、重いお尻を降ろすのも、持ち上げるのも大変で、写真を撮る前後はYumiさんのヨイショ、コラショの声がしていました。

外に出て約90m歩くと左側に太田酒造があり、酒造所の前に草津政所跡がありました。
 ↓太田酒造(左側)

087 太田酒造
江戸城を作った太田道潅から名付けたのか「道潅」という銘柄で販売しているようです。
酒造には立ち寄らないで店の前を通り過ぎようとしたら、草津政所跡がありました。
12時15分、草津政所跡

088 草津政所跡
酒造から約200m歩くと立木神社前交差点となり、産廃に立ち寄りました。
12時21分、立木神社

090 立木神社
境内に道標があり、Yumiさんの病気完治と旅のこ加護をご祈願するため、本殿に詣でてお賽銭をご奉納し、声を出してご祈願しました。
 ↓ウラジロガシ(滋賀県指定自然記念物)

092 ウラジロガシ
 ↓道標(現追分道標の先代道標)
094 石造道標(境内)
神社から約220m歩くと草津川に架かる矢倉橋がありました。
12時30分、矢倉橋
099 矢倉橋
矢倉橋を渡り、約180m歩くと右側に吉川宅があり、玄関前に「小さなパン屋さん」の看板が架かっていました。
12時35分、小さなパン屋さん(右側)

101 小さなパン屋
開店は、毎月第四日曜日だけという、個人の方が趣味で運営しているお店のようです。
パン屋さんから約70m先の最初の交差点の右角の瀬川元という店舗の角に、矢倉道標が建っていました。
12時39分、矢倉道標(右側)

103 矢倉道標
矢倉道標は、「右 やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」とある。店舗右の道は「矢橋の港」につながり、そこから船で対岸へと渡っていたらしい。琵琶湖の南端を歩いて回って行くより、こちらの方が近い。しかし比叡山からの強風で渡れない日もあり、逆に歩いた方が早い時もあったようです。そこで室町時代の連歌師・宗長が「もののふの矢橋の船は 速くとも 急がば回れ 瀬田の長橋」と詠んだらしい。「もののふ」とは武士のことで、「瀬田の長橋」とは瀬田の唐橋である。
道標の直ぐ後ろ(格子窓)に、矢倉立場のパネルが掲げられていました。
 ↓矢倉立場跡(右側)
105 矢倉立場(瀬川元宅前)
立場跡から約350m歩いた右側に、稲荷神社があり、赤い鳥居が並んで建っていました。
12時46分、稲荷神社(赤い鳥居)=右側
108 稲荷神社・鳥居前
神社から約220m歩くと国道1号線と合流する矢倉南交差点となり、交差点を渡って道路の反対側に行き、約50m国道1号と平行して歩き、突き当りを左折して、直ぐ右折するクランク形に街道は進みます。
 ↓分岐(クランク形に進む)

110 分岐(クランク形)
 ↓分岐(突き当りを左折)
111 分岐(直進右折)
クランク形に曲がった道を進むと突き当りに上北地公園があり、公園内に日本橋から115番目の一里塚跡があり、塚跡に石碑が建っていました。
12時52分、115野路一里塚跡
113 115野路一里塚碑(上北地公園内)
公園の入口に東海道の案内図が建っていました。
115 東海道・順路
私とYumiさんは、一里塚跡からかがやき通りを歩いて国道1号の交差点(野路町)を渡らないで、車の合間をぬってかがやき通りを横切りました。
かがやき通りを横切った左側に、東海道の案内標が建っていました。
12時57分、東海道案内標(左側)
116 東海道・案内道標
案内標から道なりに約700m歩くと県道43号線となり、渡る手前左にコンビニ(セブンイレブン)があり、ペットボトルを買うために立ち寄りました。
そして、信号のない交差している県道43号線を横切り、約40m先の川を越えた右側に野路萩の玉川跡がありました。
13時12分、野路萩の玉川跡(右側)

118 野路萩の玉川
「野路」は平安朝から鎌倉時代にかけて東海道の宿駅として栄えた所である。源平争乱の時代ここ野路は、数多くの武将の宿陣となり時には戦火に包まれ若い命が消え去った地とも伝えられる。ここ萩の玉川は多くの歴史を秘めて日本六玉川の一つとして有名となり、都から公卿、貴族、詩人等しばしばこの地を訪ね景勝をめでて、多くの詩歌を詠んだ中でも千載集(1188年)所載の源俊頼の作「あすもこん 野路の玉川 萩こえて 色なる浪に 月やどりけり」は名歌として世に広くしられている。又、十六夜日記(阿仏尼作)には「のきしぐれ ふるさと思う 袖ぬれて 行きさき遠き 野路のしのはら」と詠んだ。十禅寺川の伏流水が清らかな泉となって湧きいでてあたり一面咲き匂う萩とあいまって、その優美な風情は旅人のしばし憩の場となり、江戸時代の名所図絵によく描かれいつの頃か歌碑も建てられた。

萩の玉川から約400m歩くと弁天池に突き当り、
120 弁天池
池に沿って約70m歩くと池の中にある弁天島に渡る参道がありました。
13時20分、弁財天参道入口(右側)
123 弁財天参道
デコボコ道の参道を通って、島に渡りました。
弁天島は日本左衛門が追手に追われ、逃げ隠れたと云われており、島の入口に鳥居と島のなか程に古い社が建っていました。
 ↓弁財天鳥居

125 弁財天鳥居
 ↓弁財天・社
127 弁財天・社
13時22分~13時29分、休憩(弁財天参道入口脇)
128 弁財天桟橋前(休憩)
 ↓うばが餅
130 うばが餅
今朝、草津駅のコンコースで購入した、「うばが餅」をおやつで食べることにしました。
うばが餅は小さいお餅をこしあんで包み、乳首のようにポツンと白いあんが付いており、大きさが一口サイズと小さいので、人によっては6個では少ないかもしれません(私とYumiさんには適量でした)。
休憩を終わり旅を再開し、約210m歩くと狼川に架かる橋があり、さらに約210m歩いた大学生協学生会館が終わる辺りに草津宿と大津宿の宿境の常夜燈が建っていました。
13時37分、宿境常夜燈(右側)
131 宿境(草津宿・大津宿)
常夜燈から約150m歩くと右側に学生生協学生会館花梨35があり、その隣りの日本黒鉛工業の工場の道路反対側(進行左側)が土塁になっており、現在は桜が植樹されていますが、昔は松並木だったそうです。
13時40分、土塁(松並木の名残り)
136 ④
土塁のある場所(土塁の反対側の日本黒鉛工業)を過ぎた先の右側に県営栗林団地があり、団地を過ぎた辺りから約300m歩いた左側に白壁の大きな邸宅がありました。
私の能力ではとても住むことが出来ない家なので、住める夢を描くために記録に残しました。
Yumiさんは、「人の家の写真を撮っても生がないでしょ」と現実の話しをしましたが、男は夢を描くから頑張れるので、Yumiさんの言葉は無視して写真に収めました。
13時48分、白壁の邸宅(長野邸)=左側
138 白壁の豪邸
邸宅から約120m歩くと左側に月輪寺があり、境内の中(?)に明治天皇が休息した跡碑などの石碑群が建っていました。
13時51分、石碑群(左側)

140 石碑群
石碑群から約130m歩いた月輪池の脇に東海道立場碑が建っていました。
13時53分、東海道立場碑

142 東海道立場跡
立場碑から約300m歩くと一里山一丁目交差点となり、進行左側の道を進みます。
 ↓分岐(左方向)

144 分岐(左折)
交差点から約140m歩くと一里山橋があり、川沿いは桜並木になっており、「桜の頃は綺麗なんだろうな」と思いながら左右の桜並木を眺めながら橋を渡りました。
14時03分、一里山橋(桜並木)

145 桜並木(一里山橋)
橋を渡り、道なりに約280m歩くと学園通りの「一里山二丁目」交差点となり、交差点の左角に日本橋から116番目の一里塚跡があり、塚跡に石碑と標板が建っていました。
14時07分、116大萱一里塚(左側)
149
一里塚でYumiさんの写真を撮っていたら通りすがりの男の人が、「一緒のところを撮ってあげましょう」と云って撮って下さいました。
今日の旅は、ここが到着地のため、Yumiさんに到着地の看板を掲げてもらって到着式を行いました。
14時09分、一里山二丁目交差点(到着地)

151 一里山二丁目交差点(到着地)
Yumiさんが掲げている看板は「一里山一丁目」になっていますが、これはグーグル地図の表示がこのようになっていたためで、交差点の標示は「一里山二丁目」となっていました。
【帰路】
到着式を行い、450m離れたJR瀬田駅に向かって歩き、国道1号線と学園通りが交差する瀬田駅口を渡り、瀬田駅に着きました。
今日のホテルは、一駅移動して石山駅から5分程のレイアホテル大津石山に予約したので、瀬田駅から石山駅に移動します。
14時20分、瀬田駅

153 瀬田駅
 ↓瀬田駅ホーム
157 瀬田駅ホーム
14時35分、瀬田駅発
14時37分、石山駅着
石山駅のコンコースは明日の旅で通過するので、ルートを確認していると街道ウォーカの団体が駅前ロータリーを歩いてきました。
明日のルート確認の参考になると思い、団体さんが歩くコースを確認してから、ホテルに向かいました。
《面会者》
部屋で翌日の支度をしていると、携帯にTさん(東海道の旅で知り合った滋賀県の方)から電話がありました。
私が今日と明日の二日間、東海道の旅で歩くことを知っていたので、陣中見舞いの電話かと思い話していると宿泊ホテルを教えてほしいと云うので、ホテルを教えて電話を切りました。
暫くするとフロントから「Tさんがフロントにお見えです」と連絡があり、Yumiさんを連れてロビーに行くと、Tさんがソファーに座っていました。
Tさんとはメールで知り合い、会うのは初めてで、ホテルまで来られるとは思ってもいなかったので、ビックリしました。
東海道の旅や、滋賀県を歩いて感じたことなどを約1時間近く話し、別れました。
その時、手原駅に子午線のモニュメントがあったことを話すと、大津駅にも子午線のモニュメントがありますよ、と教えて下さいました。
明日は京阪電鉄大谷駅まで歩くのですが、予定を代えて大津駅で子午線モニュメントを見て行こうと思いました。
《夕飯》
 ↓今日はハイボールで乾杯しました
161 花の舞(夕食)
 ↓牡蠣鍋
163
鍋、刺身、鳥から揚げなど食べたいものを注文し、飲み物を追加するなどお腹を膨らませてホテルに戻りました。
その後、シャワーを浴び、明日の旅支度を行い、早々にベッドに入りました。


お問い合わせやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールアドレスをコピーしてお使い下さい。
  (専用メール)  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/ 

今日は、神戸の三宮~元町界隈を散策し、「ルミナリエ」を山の師匠のNさんと一緒に見学します。
【序章】
《準備》
旅に持参する荷物は、二人の着て行くものと着替えだけ用意し、それ以外は前回の旅のザックを再確認をするだけで終えました。
【移動】
04時30分、起床
朝食は新幹線の中で食べることにし、せかせかしないで身支度出来るように、前回と同じように早く起床しました。
目覚ましの音楽で目を覚まし、「Yumiさん、旅に出掛けるよ」と声を掛け起床し、寒い部屋に「おー、寒い」と云いながら、リビングの暖房を入れ、体重測定、洗面、着替え、点眼、血圧測定と毎朝の流れに沿って準備を行い、東海道夫婦二人旅で使っているウォーキングシューズを履いて家を出ました。
外はまだ日の出前で暗い状態の中、
朝の冷たい風を体に受けながら自転車を走らせ最寄り駅に向かいました。
最寄り駅から電車に乗り、東京駅に7時35分頃に着き、新幹線の改札を入ったトイレに立ち寄ってからホームに上り、列に並び(6番目)ました。
新幹線は、列に並ぶと直ぐ入線し(7時45分)、3号車に乗りました。
中程の座席に座り、持参した朝食(菓子パン・ジュース)を食べていると発車合図のベルが鳴り、東京駅を出発しました。
08時03分、東京駅発(ひかり463号)
001 新幹線車内(東京駅)
新幹線の乗車率は今までと同じように、東京駅を出発した時は30~40%程度、品川で50~60%、新横浜でほぼ満席になりました。
天気は良く、三島から新富士の辺りで富士山が眺められることを楽しみに乗っていました。
期待どおり三島を過ぎると富士山が大きく見えるようになり、進行方向右側に座っている多くの人がカメラを向けていました。
 ↓富士山(三島~新富士)
004
私は車窓から歩いてきた東海道の辺りの風景をぼんやりと眺め、Yumiさんはコックリしていました。
私が名古屋駅の手前でトイレに行った後、Yumiさんにトイレを聞くと「停まっている時なら」と云うので、名古屋駅の停車を利用してトイレに連れて行きました。
トイレの鍵を開けられないようになると大変なので、鍵は掛けないように話し、私が外に立っていました。
11時03分、新幹線新大阪駅着
11時09分、東海道線(新快速)新大阪発
新大阪駅で在来線の東海道線に乗り換え、目的地の三宮に向かいました。
車内はほぼ満席の状態でしたが、4人BOXのところで2席空いていたので、座ることができました。
 ↓大阪駅付近

005 東海道線車内
私は、関西地区に来ることがほとんどなかったため(現役の頃に数回、出張で来た程度)、車窓からの景色をじっーと眺めていました。
景色は、淀川を渡った辺りから東京の下町を連想させるような建物が立ち並び、芦屋付近からはマンションなどが多くみられるようになりました。
11時35分、JR三宮駅着
今日の目的地に到着しました。
【散策】
《レンタサイクル》
009 レンタサイクル(三宮駅前)
神戸は初めての街で、右も左も分からないので、レンタサイクルで観光地巡りをしようと考え、数日前に駅前のレンタサイクルに電話して場所確認しました。
電話で聞いた通り中央改札を出て、そごう側に向かったタクシー乗り場のところの駅レンタカーに行きました。
レンタカー会社の事務所に入り、
E=レンタサイクルを借りたいのと、このザックを預かって頂けないでしょうか
事務員=狭いので駅構内のコインロッカーに預けて下さい
と云われ、コインロッカーの場所を聞いて行って見ると、満杯で預けることができませんでした。
レンタサイクル店に戻り、再度ザックの一時保管をお願いしたのですが、断られたためレンタサイクルを借りないで店舗を出たところで、今日宿泊するホテルにザックを預けて出掛けようと思い、ホテルに行きました。
フロントでザックだけ預かってほしいことを云うと、チェックインすることになり、その後ザックを預かってもらいました。
身軽になってホテルの外に出ると、居酒屋の昼食メニューが目に入り時計を見ると12時なので、居酒屋に入りました。
《昼食》
12時00分~12時22分、昼食(金八)

007 金八(三宮)
店内はまだ混雑前で、案内された席に座り、店で一番人気のある「お造り定食」(@880円)を注文しました。
お造り定食は、名札のついた5種の刺身(2切れ)と天ぷらで、食べ終えてから写真を撮り忘れたのを思い出しました。
荷物がなくなったので改めてレンタサイクルを借りることにし、先ほどの駅前レンタカーに行き、レンタサイクル(@500円/回)を借りました。

010 レンタサイクル
来る前に考えていた風見鶏の館、異人館を見に行こうと店舗の事務員(女性)に行き方を聞くと、
事務員=自転車では無理だと思います
E=無理ですか
事務員=上り坂がきついと思います。行かれるなら、ここから地下鉄で新神戸に行き、そこから歩かれることをお勧めしています
E=そうですか
ということになり、風見鶏の館、異人館に行くことは取り止めることにしました。
※風見鶏の館、異人館などは、翌年の3月17日に神戸・須磨丘陵および六甲山を山行した後、Yumiさんと見学に立ち寄りました。
《神戸散策》
三宮駅前を走り、三宮交差点に架かっている歩道橋を通り、神戸・花時計を見に行きました。
12時40分、こうべ花時計

011 花時計
次に何処にするか考え、「相楽園」に行くことにし、こうべ花時計を後にしました。
持参した地図とYumiさんを確認しながら自転車を走らせ、三宮駅の次駅である元町駅前を走り、花隅公園交差点を右折すると坂道となり、ほどなく自転車をおりて歩く状態になりました。
先を見ると、まだ上り坂が続いているので、「相楽園」に行くことを止め、兵庫県公館を見に行くことに変更し、兵庫県警察本部の裏に出る道で右折しました。
兵庫県警察本部の裏に出ると、Yumiさんが「何これ」という??大王像が建っていました。
12時58分、〇〇大王像

014 ○○大王
Yumiさんに「トイレは」と聞くと、行きたいと云うので、「もう少し我慢して」と話し、兵庫県警察本部に沿って上り、地下鉄県庁前駅を左に見て兵庫県公館に行きました。
公館の入口が良く分からないため、清掃していた男の人に聞き建物の反対側に行きましたが、扉が閉まっているようでしたので、建物を一周して元の場所に戻ってきてしまいました。
13時04分、兵庫県公館

016 兵庫県公館
先ほどの男がこちらを見ていましたが、建物を一周させられたことで「ムッ」としていたため、男を無視して自転車を道路の端に置き建物の中に入り、まずトイレに連れていきました。
建物の中は、兵庫県の歴史が記された資料、歴代の県知事の顔写真などが展示されていました。
 ↓兵庫県公館の模型
018 兵庫県公館・館内
兵庫県公館を出て、来た道を戻ると坂が緩やかになっているので、四宮神社交差点を右折して相楽園に行くことにしました。
13時34分~13時55分、相楽園

020 相楽園・入口
相楽園は、元神戸市長の小寺謙吉氏の先代泰次郎氏の本邸に営まれた庭園で、明治末期に完成したそうです。
入口で入場料(@300円)を支払い、庭園を一周しました。
 ↓蘇鉄園

022 相楽園・蘇鉄園
 ↓旧小寺家厩舎
024 旧小寺家厩舎
旧小寺家厩舎は明治43年に建築され、1階に馬車を入れる車庫や馬房、2階に厩務員の宿舎があり、重要文化財に指定されています。
 ↓ハッサム住宅
027 旧ハッサム住宅
英国人貿易商のハッサム氏が明治35年頃、異人館街に建てて住んだ建物で、昭和38年に移築されたそうです。
(写真=Yumiさんの左側)阪神・淡路大震災の時、屋根から落下した煙突だそうです。
園内は、広い土地に池泉回遊式庭園が作られ、のんびりとしたひと時を過ごすことができました。

033 庭園③
035 庭園⑤
相楽園を散策し、今度は来た時の逆で、坂道を下り波止場町にあるポートタワーに向かいました。
《Yumiさんがいない》
ポートタワーに向かう途中、後ろを確認するとYumiさんの自転車が見えません。
慌てて自転車を停めYumiさんを探すと、後ろの方で自転車を降りて私を探しているので、「Yumiさーん!!」と呼びましたが聞こえないので、Yumiさんの居るところまで戻りました。
迷子になったら大変なので、ちょくちょく後ろを確認しながら自転車を走らせ、ポートタワーの近くに駐輪しました。
14時02分~14時30分、神戸ポートタワー
タワーの入口で入場券※(@600円)を購入し、EVに乗り、展望台に行きました。
JAF会員は、会員証を提示すれば1割引きになるためJAF会員証を持参したのですが、ホテルに置いてきたザックの中に入れたままだったので使えませんでした。

039 神戸ポートタワー・5階展望台
少し曇があり、視界は良くありませんが、初めて見る神戸の町は新鮮に感じ、四方の写真を記録に残しました。
 ↓メリケンパークオリエンタルホテル方向

041
 ↓西(JR元町方向)
043 西側
 ↓東(オリエンタルホテル方向)
044 東側
 ↓南方向
045 南側
 ↓山の斜面に山名のマーク
046 山肌に山のマーク
左側=碇山・右側=市章山
 ↓六甲山方向
048 六甲山方向
ポートタワーで神戸市内の景色を眺めた後、ルミナリエの交通規制が始まる前にレンタサイクルを戻そうと考え三宮に向かいました。
三宮には国道2号線を通り、税関前を左折すると左に東遊園地公園があり、ルミナリエの会場でした。
公園内は屋台が開店目指して忙しく準備しており、「暗くなるとここを歩くのか」と思いながら、自転車を走らせていました。
レンタサイクルを返し、三宮からルミナリエの会場となる元町に移動しました。
ルミナリエが始まるまで時間があるので、元町中華街を見ながらコーヒー店で時間を過ごすことにしました。
 ↓元町中華街①

051 元町中華街①
 ↓元町中華街②
055 ⑤
元町界隈のコーヒー店は何処も混雑していて、何店か巡って入りました。
16時21分、コーヒー店(元町)
059 ③
コーヒー店で過ごしていると、辺りが暗くなりそろそろルミナリエを見に行こうということになり、コーヒー店を後にしました。
《ルミナリエ》
17時35分、元町駅近く
060 ルミナリエ行列
かなりの人が並んでおり、私達も行列の最後部に並び、Yumiさんとはぐれないように手をつないで歩くことにしました。
ルミナリエの見学は18時からのため、行列は前に詰めながら進みましたが、ルミナリエ会場の道にはなかなか入れずルミナリエが見れない場所で待つことになりました。
18時少し前、写真で見たルミナリエの電飾が遠くに見える場所に動いてきました。

072 ルミナリエ⑨
行列は、ルミナリエの写真を撮るために立ち止まるため、なかなか前に進みませんが、写真を撮りたいのは誰も同じなので、「立ち止まらないで下さい」というアナンスにもほとんどの人が耳を傾けることなく、写真を撮っていました。
 ↓ルミナリエ①

076 ⑬
 ↓ルミナリエ②
079 ルミナリエ⑯
 ↓③入口手前での直近距離から顔入り写真
080 ⑰
 ↓④中に入った所
084 21
 ↓⑤東公園のルミナエル
090 ②
 ↓⑥東公園のルミナエル
093 東公園ルミナリエ⑤
 ↓⑦色違いのルミナエル
099 東公園ルミナリエ
18時30分、東公園のルミナエルを見た後、食事を食べに三宮駅の方向に向かい、途中で合流したNさんの案内で三宮駅に近いの店に入りました。
100 乾杯
久し振りに会ったNさんは元気で、YumiさんもNさんに会えて終始にこやかでした。
ビールで乾杯し、Yumiさんが好きな焼き鳥や刺身をおかずに、和やかな楽しい時間を過ごしましたが、Nさんは明日と明後日の2日間、小田原~藤沢まで東海道東下りの旅があるので、20時30分過ぎにお開きにしました。
《ホテル》
20時42分、ホテル着
101 東横イン三宮2
部屋に入り寝着に着替え、入浴(シャワー)し、明日からの東海道夫婦二人旅の準備をして就寝しました。

お問い合わせやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールアドレスをコピーしてお使い下さい。
  (専用メール)  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


このページのトップヘ