旧東海道夫婦二人旅

今年(H24)65才になるEiさんと、少し年下のYumiさんの熟年夫婦が歩く旧東海道二人旅で、平成26年1月に京都三条大橋に立つことを目標にしています。 若年性認知症(意味認知症)のYumiさんとの旅なので、どのような展開になるのか分かりませんが、結婚40周年と二人の人生の思い出として旧東海道を夫婦二人で歩く旅に出発しました。私とYumiさんを街道で見掛けたら声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

2014年01月

【番外編】
今日は、Nさんと大阪市内を散策し、午後の新幹線で東京に帰ります。
起床、5時30分
モーニングコールで起床し、身支度を整え、二人のザックの荷造りなどを行ってから、食堂となる1階に朝食を食べに行き、朝食後、再び部屋に戻り、テレビを見ながら過ごし、少し早い時間でしたがホテルを出発しました。
08時25分、ホテル発
005 ホテル出発
天気は曇り空。
心の中で、「傘を差さないで済むように」と祈りながら出発しました。
08時38分、谷町4丁目発
谷町4丁目駅で、一日乗車券(@600円)を買いましたが、初めて購入するため、前夜ホテルに帰る時に買い方を駅員に教えてもらっていたので、スムーズに買うことができました。
地下鉄に乗り、次の駅で座席に坐ると、その次の駅が下車駅とお上りさんの乗り方をして、待ち合わせの東梅田駅に着きました。
08時42分、東梅田着
東梅田駅の改札を出ると、目の前にコインロッカーがあり、Nさんに確認しないで大型(@400円)のロッカーに私とYumiさんのザックを入れ、折畳み傘や防寒着は手提げバックに入れて持ち歩くことにしました。
改札を出たところで待っていると、Nさんから「少し遅れます」とメールが入り、09時15分頃にやってきました。
Nさんが合流し、最初に大阪城に向かい、その後阿倍野ハルカスと通天閣を見学することにしました。
 法円坂建物群・高床式
007 法円坂建物群・高床式
09時55分~10時50分、大阪城見学
 大手門
012 大坂城・大手門
 多聞櫓
014 多門櫓
 千貫櫓
017 千貫櫓
  大阪城全景
023 大坂城
大阪城の内部を見学し、折角の機会なので天守閣にも上るために入場料(@600円)を支払って中に入りました。
 
号砲
026 号砲
号砲は先込め式の旧式砲で、1863年に幕府の命令で造られ大阪天保山砲台の備砲として据え付けられ、明治3年(1870年)から時刻砲として日に3回号砲として用いられたが、明治7年からは正午のみ空砲で用いられ、大正12~13年頃に中止されたそうです。
号砲を見て、大阪城の中に入り、天守閣に上りました。
 
大阪城・天守閣
031 展望台
 大阪城・天守閣
032 展望台
ひと通り城内を見学し、大阪城公園で大坂名物の「たこ焼き」を食べ、大阪城公園の中を抜けて阿倍野ハルカスを見にいきました。
11時36分、阿倍野ハルカス前
042 阿倍野ハルカス
阿倍野ハルカスは近鉄が再開発して建てている超高層ビルで、3月に開業すると日本一の高さ(60階、300m)になるそうです。
300mの高さがあると、全体を写すのは難しく、やっと最上階を入れて撮ることができました。
阿倍野ハルカスを見学し、次は通天閣に行くことになり、歩いて行くか、地下鉄に乗るかになりましたが、一日乗車券があるので、地下鉄で移動することになりました。
11時51分、通天閣
046 通天閣
通天閣の地階からEVに乗るのですが、行列になっていて約20分くらい待って展望台に行くEVがある階に移動し、ここでまた行列に並び展望台に行くEVに乗り、展望台に上りました。
展望台の高さは87.5mと高くないのですが、新世界にある有名な塔なので、展望台に上り良い思い出をつくることができました。
 
展望台・吉祥天像
047 通天閣・吉祥天
 展望台から眺める阿倍野ハルカス
049 通阿倍野ハルカス(天閣からの眺め)
 展望台・大黒天像
051 通天閣・大黒天
丁度、展望台に上っている時、雨降りのどんよりとした雲に覆われていたため、眺めは良くありませんでした。
通天閣の展望台にいた時に降っていた雨は、外に出ると止んでいたので、傘を取り出さなくてよかったと素直に幸運を喜びました。
12時50分~13時43分、昼食(初代エビス)
時計を見ると13時近くになってきたので、昼食をどこで食べることになり、串揚げ&お好み焼きが食べられる初代エビスに入りました。
 初代エビス

057 エビス(昼食)
 初代エビスの店内
056 エビス(昼食)
生ビールで乾杯し、注文した串揚げセット(10本)を食べると美味しくて串揚げを追加し、飲み物をグイグイ飲みながら、他にお好み焼きや新世界焼きそばなどを注文し、Yumiさんもお腹一杯食べました。
お腹が膨らんだところで店を出て、ザックを取りに東梅田駅前のコインロッカーに向かい、ザックを背負って新大阪駅まで地下鉄(一日乗車券)で移動しました。
《帰京》
私とYumiさんはジバング切符のためひかり、Nさんは列車変更ができない切符と違ってしまい、Nさんのご厚意で差額を支払ってひかりに変更して下さいました。
14時40分、新大阪駅発(ひかり)
新大阪駅で2号車の乗車口に並び、岡山始発のひかりに乗車しました。
 新幹線新大阪駅ホーム

058 新幹線・新大坂駅
入線してきたん新幹線は空いていて、3人掛けの席に座り、車内販売を待ちました。
米原を過ぎた辺りで車内販売の人が来て、ビール、ワイン、おつまみなどを購入し、東京までの約3時間をいろいろな話しをしたり、ひと寝したりして過ごし、新横浜でNさんと別れ、私とYumiさんは品川で降り、山の手線に乗って家に帰りました。
車窓からの富士山眺望を楽しみにしていたのですが、残念ながら雲に覆われていたので、見ることはできませんでした。


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  (専用メール) eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道夫婦二人旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/

【京都・散策】
京・三条大橋に到着して少しの間、踏破した余韻を味わってから、祝膳の昼食を食べに行きました。
Nさんは私とYumiさんに配慮して京の町を散策しながら食事するところを探そうとして、まず三条大橋に近い瑞泉寺に案内してくれました。
11時49分、瑞泉寺
198 瑞泉寺・山門
瑞泉寺は、豊臣秀次の墓があると云うのですが、山門のところで失礼し、先に向かいました。
木屋町通りに沿って流れる高瀬川、川沿いの柳の木を眺め、京の雰囲気を感じながら先斗町に入りました。
 高瀬川

199 高瀬川
高瀬川は、江戸時代初期に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河で、開削から大正9年までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられ、現在は鴨川において京都側と伏見側で分断され、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼んでいるそうです。
 先斗町の街並み
201 先斗町の町並み
時間は昼食タイムになっていますが、先斗町の道は人通りが少なく静寂そのものでした。
予約していないので、入口に出されているメニュー看板を見ながら、何処にしようか左右をキョロキョロしながら歩き、豪華さがあって、懐に優しい和食屋に入りました。
12時00分~13時07分、昼食(金の箸)
204 金の箸(昼食)
店は、築100年の京町屋のお座敷で、靴を脱いで二階の奥に案内され、コースのランチを注文しました。
 箸置きと八寸3種盛り
208 前菜と箸置き
出されてくる料理を食べながら、Nさんと東海道のこと、山のことなど、いろいろな話しに花が咲いていると、メールが届き内容を確認すると、山の会でお世話になっているYさんからでした。
メールの内容は、「第37回 大津宿・御幸町交差点⇒三条大橋」の三条大橋到着時に記してあります(
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/?p=4
207 座敷②
注文した料理が出される頃になると、少しずつお客が入店してくるようになりましたが、のんびりと食べて店を後にしました。
店を出て、先斗町を四条通りまで歩き、創業が天保3年(1832年)の千枚漬けで有名な村上重本店に立ち寄りました。
13時12分、村上重本店

213 村上重本店
名物の千枚漬け、シバ漬けをお土産に購入し、店内の休息所に座るとお茶を出して下さいましたので、ひと休みすることにしました。
ところが、ここで休憩したことで思わぬハプニングに遭遇することになりました。
お店を出ると、雪か雨が降り出してきそうな怪しい雲行きになっていたので、四条通りに出て京阪本線・祇園四条駅に急いで歩いていると、あと少し(50mくらい)で駅の入口というところで、ザーとあられが降ってきました。
13時33分、「あられ」が降ってきた

215 あられが降る
予期していない急のあられにビックリしながら、駅に急ぎました。
村上重本店で休憩していなければ「あられ」に遭遇することはなかったのですが、何もないよりこのようなハプニングがあった方が、より強い印象として記憶に残ることになりました。
13時38分、京阪本線・祇園四条駅発
祇園四条駅から大阪・天満橋まで特急で約50分乗り、駅から5~6分歩いたところの宿泊するホテル(東横イン)に立ち寄りました。
【大阪散策】
14時38分、ホテル着
着いた時間が早かったため、チェックインと料金を支払い、背負っているザックを預けて大阪の街に出発しました。
14時49分、ホテル発
ホテルから地下鉄谷町四丁目駅に行き、大阪港に沈む夕陽と、、日本一標高の低い山「天保山」に向かいました。
15時09分、谷町四丁目駅発
15時24分、大阪港駅着
駅を降り、左に天保山大観覧車(今日は動いていませんでした)を見ながら天保山公園に行き、公園内の日本一低い「標高4.53m」の天保山に行きました。
天保山は公園内の一番高いところにあるわけではなく、天保山より高い場所は公園の直ぐ近くにもありますが、国土地理院の三等三角点が埋設されていました。
15時38分、天保山 三角点(標高=4.53m)
217 天保山・三角点
 天保山標識
218 天保山
公園内には、明治天皇が観艦した跡碑や、天保山の壁画がありました。
 
明治天皇観艦之所跡碑
221 明治天皇観艦之所
 浪速天保山風景壁画
223 浪速天保山風景
大阪港から沈む夕日を眺めたかったのですが、曇り空と陽が沈むまで1時間以上あるので、公園を出て隣接している天保山マーケットプレース、天保山ハーバービレッジのイルミネーションを見ながら大阪港駅に戻りました。
 天保山マーケットプレースのイルミネーション
225 天保山マーケットプレース
大阪港駅から本町駅に行き、ここで御堂筋線に乗り換え「なんば駅」まで行き、法善寺に行きました。
16時25分、法善寺
231 法善寺
法善寺の門を入った正面に、水苔に覆われた水掛不動尊があり、お賽銭をご奉納し、柄杓で不動尊に水を掛けてから参拝しました。
 水掛不動尊
232 水掛不動尊
この後、「包丁一本、晒しにまいて・・・」の歌で有名な法善寺横丁を通りました。
16時30分、法善寺横丁
235 法善寺横丁
16時36分、道頓堀・戎橋(グリコネオン塔)
242 道頓堀川・戎橋
 心斎橋の商店街
245 心斎橋筋
心斎橋駅から長堀通駅前を通り、松屋駅と谷町六丁目駅の間にある空堀商店街に向かいました。
 空堀商店街
247 からほり商店街
空掘商店街に来たのは、東下りのNさん(1月13日に日本橋到着)と京上りの私達の「旧東海道の旅、踏破記念」の祝杯をするためで、お好み焼きを食べたいと云う私の希望からNさんが予約してくれた「冨紗屋」に行くためです。
【祝杯】
予約した時間は18時からでしたが、予定していた時間が到着などを含めて少しずつ早くなり、少し待たされてもいいから行こうということになり来ました。
17時06分、冨紗屋入店(祝杯)
249 冨紗家(お好み焼き)
店舗に入ると店主が気持ちよく迎えて下さり、指定された席に着き「おまかせコース」で注文し、お互いの東海道踏破を祝福してビールで乾杯しました。
咽喉が乾いていたこともありますが、ビールの味が一段と美味しく感じました。
 乾杯
251 店内
私はテーブルのところでお好み焼きを作るのかと思ったら、出来上がったものを運んできてくれるので、楽しい会話に集中することができました。
Yumiさんもお腹が空いていたのか、取り分けたものは次からつぎに食べ、満足そうでした。
18時30分過ぎ、長島さんが「今日は沢山歩いたし、Yumiさんも疲れていると思うので、ゆっくり休んで下さい」と優しい配慮をして下さり、短い時間でしたが楽しいひと時を過ごした店を後にしました。
18時40分、冨紗屋発
帰る時、明日の待ち合わせ場所と時間を打合せ、谷町6丁目から天満橋に向かいました。
18時51分、谷町六丁目駅発
18時54分、天満橋駅着
天満橋駅でNさんと別れホタルに向かいましたが、方向が心配だったので、歩いている途中でサラリーマン風の方に聞いてホテルの場所を確認しました。
19時08分、ホテル(東横イン)着
252 ホテル(東横イン)
ホテルに戻り、シャワーを浴び、明日の支度を整えてベッドに入ると、Yumiさんはスヤスヤと可愛い寝息を立てて寝ていました。

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【街道旅-】 旧甲州道夫婦二人旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


【天候】曇り一時晴れ
【宿場】(53)大津宿⇒三条大橋

【行程】歩行距離=10.75㎞ 総距離=493.27㎞
大津駅・御幸町交差点⇒(2.20㎞)⇒119走井一里塚⇒(4.45㎞)⇒120御陵一里塚⇒(4.10㎞)⇒京都
・三条大橋(ゴール)

【ルート図】
  ↓宿場(黒囲みが第37回旅の宿場)
17 37回宿場
  ↓旧東海道の旅・進捗状況
  (ピンク=今回の旅区間/黒線+ピンク=完歩区間)
全体 第37回
  ↓第37回の旅ルート
  
(J
R大津駅・御幸町交差点 ⇒ 京都・三条大橋(ゴール)
第37回ルート
【旧東海道の旅】
《準備》
05時30分、起床
さあ、東海道夫婦二人旅の最後の日を迎え、身支度を整え、二人分のザックを整理し、全ての旅支度を終えました。
7時からホテル提供の朝食を食べ、Nさんとの待ち合わせがあるのと、最後の旅なので少し時間的ゆとりを持ちたいと考え、予定より
30分早くホテルを出発することにし、Nさんに「12時頃の到着を目指して出発します」とメールを送信しました。
《移動》
07時32分、ホテル発

006 ホテル前
天気は曇り空ですが、雨の心配はしないでよさそうなので、雨に降られずに三条大橋に着きたいと思いながらホテルを出発しました。
ホテルを出て最初の京町一丁目南交差点を進行左側に渡り、約80m歩くと京阪電鉄が西近江路から右に分岐します。
 京阪電鉄の分岐(直進)
008 京阪電鉄の分岐
京阪電鉄はこの後、御幸町交差点の近くに行った時に走ってきましたが、自然の流れの中なので、残念とは思いましたがタイミングが合わなかったので致し方ありません。
分岐付近から約120m歩いた地点が今日の出発地であり、東海道夫婦二人旅の最後の出発です。
今までと同じように出発地を記した看板を掲げ、写真を撮る出発式を行いました。
【=旅=】
07時38分、御幸町交差点(出発地)

009 御幸町交差点(出発地点)
さあ、最後の東海道五十三次大津宿から三条大橋への旅が始まりました。
出発地の御幸町交差点付近は八町通り(宿場通)と云われ、上関寺から札の辻まで距離が八町(872m)あったからと云われ、大名の宿泊施設である本陣や庶民の宿である旅籠屋が並んで、大変賑わっていたそうですが、今は閑散としていて寂しい限りです。
 旧八丁通り
011 八丁通り
春日町交差点で道路の反対側に渡り、左に約30m歩くと右側に昨日の御幸湯とおなじように銭湯「小町湯」がありました。
何とも風情を感じさせる建物で、開店していて一人だったら入浴して行きたい気分になりました。
07時42分、小町湯(右側)
012 小町湯
小町湯から約90m歩くと右側に、東海道本線と京阪電鉄が交差していました。
 
東海道本線(下)と京阪電鉄(上)の交差=右側
014 東海道線と京阪電鉄の交差
JR東海道本線の跨線橋の上を京阪電鉄が東海道本線を横切る形で走っていました。
この付近の東海道本線は複々線になっていますが、南側(奥)の二線はレンガ造り、北側(手前)の二線はコンクリート造りになっているので、北側が後で造られたと一目で分かります。
ここは通称「蝉丸跨線橋」(プレートは上関寺となっている)と云われ、レンガ造りの方は大正10年に竣工し、トンネル方式で掘られたようです。
そして跨線橋から約100m歩くと、右側に關蝉丸神社下社があり、参拝に立ち寄りました。
07時45分、關蝉丸神社・下社
017 關蝉丸神社下社
神社の入口にある「關蝉丸神社」と「音曲芸道祖神」の石碑は、先人のHPに埋もれて上部だけしか石碑が出ていないと記されていましたが、今は全部見れるようになっていました。
07時46分、關蝉丸神社(右側)
019 参道入口
参道を入ると直ぐに踏切(京阪電鉄)があり、渡った先に鳥居があり、その先が境内、社殿になっており、静岡県興津の清見寺と同じように参道の途中を電車が走っておりました。
踏切に警報機が付いていますが、左右を確認して踏切を渡り、鳥居を潜って境内に入りました。
關蝉丸神社は、琵琶の名手蝉丸を祀る神社で、旧東海道沿いに三社あり、今いるところが下社です。
平家物語、謡曲「蝉丸」などにも、名前が記されるなど古くから歌謡音曲の神として知られているそうで、芸能関係する人は参拝に訪れているのかなと思いました。
私とYumiさんは、まず本殿に行き、お賽銭をご奉納し、声を出してYumiさんの病気完治と旅のご加護をご祈願しました。
 
※本殿
026 本殿
境内には、芸能の碑、重要文化財になっている「蝉丸型」という「時雨燈籠」、現在は枯渇してしまった「関の清水」があり、本殿右横の坂を上った処に、小野小町の「小町塚」がありました。
 
能の碑=本殿左
024 芸能碑
 時雨燈籠(重要文化財)=境内左
028 時雨燈籠
 
小野小町の小町塚=本殿横の坂を上がった処
032 小町碑
 関の清水(跡)=境内入口右
034 関の清水
境内で史跡を見学していると警報機がなるので、踏切を見ると京阪電車が走ってきました。
このような光景はなかなか巡りあわないので、急いでシャッターを押しました。

 神社参道を横切る京阪電車
022 鳥居前の踏切(京阪電鉄)
神社の参拝を終わり、踏切を渡って旧東海道に戻り、右折して約190m歩くと京阪線の上関寺国道踏切があり、踏切を渡って約40m進むと、右側に安養寺があり山門入口の右脇に石碑が建っていました。
08時01分、逢坂の碑(右側)
036 逢坂の碑
逢坂は、日本書紀によると、神功(しんぐう)皇后の将軍・武内宿禰(たけのうちすくね)がこの地で忍能王(おしくまおう)とばったりと出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る關蝉丸神社や關寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られていました。
国道161号(西近江路)は、この先170m先の逢坂一丁目交差点で国道一号と合流し、私達もこのまま交通量の多い国道(歩道が交差点の先でなくなる)の右側を歩くのは危険なため、国道と京阪電車の間の歩道を歩くことにしました。
08時05分、分岐(逢坂一丁目交差点)
039 逢坂一丁目交差点
 国道と京阪電車の間の歩道
040 道路と電車に挟まれて
Yumiさんの左隣りに電車が、右の国道に大型貨物車が同時に走ってきたら、怖いのではないかなと思わせる歩道でした。
線路と国道に挟まれた歩道を歩くと486kの距離標が建っていました。

08時08分、486k距離標(左側)
042 486㎞ポイント
だんだんとゴールが近づいてきた、距離表示になりました。
距離標の先に名神高速の高架アーチ橋が架かっており、高架橋を潜ったところが今日の1㎞地点です。
時速2.5㎞を予定速度として設定したのですが、關蝉丸神社に立ち寄ったりしたので、23分のところを35分くらい要してしまいました。
高架橋を潜って約60m歩くと、道路反対の右側に關蝉丸神社上社がありました。
08時11分、關蝉丸神社・上社(右側)
044 關蝉丸神社・上社
狭い歩道の中で写真を撮るので、Yumiの立つ位置を言葉では伝わらないため、両手で位置を動かしてシャッターを切るので大変です。
私の時は、
①撮影するカメラの画面を決める
②Yumiさんにカメラを持たせて、画面を見ながらカメラの位置を決める
③私が立つ
④シャッターを押す
⑤画像を確認
ダメだと、②から⑤をもう一度やり直す
ので、人の二倍、三倍の時間が掛かります。
神社の参拝は、時間がないのと、横断歩道がないため、目礼だけして失礼しました。
神社から約100m歩くと道路反対の右側に弘法太子堂があり、その入口左側に寛政6年(1629年)11月建立の逢坂常夜燈が建っていました。

08時19分、逢坂常夜燈=右側(道路反対側から望遠撮影)

050 逢坂常夜燈
この辺りは、逢坂一丁目交差点から上り坂になっており、この先も上りになっているため、私もYumiさんもダウンジャケットを脱ぎました。
Yumiさんは「寒い」といつもと同じように不満がでましたが、首のところを触ると汗ばんでいたので、「また寒くなったら着るから」と話し、納得してもらいました。
常夜燈から約110m歩くと左側の壁面に、車石のプレートが埋め込まれていました。
08時22分、車石壁面プレート(白丸印)=左側
051 車石・壁面プレート
遅れ気味になっているので、少しスピードアップしようとYumiさんに「少し早く歩くよ」と促しましたが、お鼻のお手入れが忙しいのか、速度は上がりません。
車石プレートを過ぎ、右カーブの上り坂を歩くと頭上に架かっている歩道橋(逢坂山歩道橋)があり、その下を通った交差点が国道の峠で、交差点の先から下り坂となり、反対側(右)に逢坂常夜燈と逢坂山関跡碑が建っていました。

 分岐(交差点を渡る)=白丸印が常夜燈
054 分岐(横断)・常夜燈

08時24分、逢坂常夜燈と逢坂山関跡碑(右側)
055 逢坂常夜燈・逢坂山関跡
常夜燈と石碑を交差点を渡った右に見て、街道を左に進むと、直ぐ右側に逢坂の関記念公園があり、木門が建っていました。
08時25分、逢坂の関記念公園(右側)
057 逢坂の関跡
逢坂の関は、大化2年(646年)に設けられたと云われており、歌枕にも詠まれた場所だそうです。
旧東海道は、公園のところで国道1号と分岐して、歩道をそのまま右に進みますと、うなぎで有名な「かねよ」の店舗が道の両側に軒を連ねてありました。
 
ウナギ・かねよ=左側
060 うなぎ・かねよ
かねよから約40m先の右側に、3つ目の關蝉丸神社があり、神社に上る階段の手前右側に「一等水準点」が、その横に車石が保存されていました。
08時31分、
一等水準点(右側)
063 一等水準点
 
車石(白丸印)=右側
066 車石
車石は、大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資を運ぶ道として利用されてきました。江戸時代中期の安永8年(1778年)には牛車だけでも年間15,894輌の通行があり、この区間は大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、通行の難所でした。京都の心学者脇坂義堂は、文化2年(1805年)に1万両の工費で、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に牛車専用道路として、車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てました。これを「車石」と呼んだそうです。
08時33分、關蝉丸神社(右側)

068 蝉丸神社
關蝉丸神社は天慶9(946)年蝉丸を主神として創建され、蝉丸は盲目の琵琶法師と呼ばれ、音曲芸道の祖神として平安末期の芸能に携わる人々に崇敬され当宮の免許により興業したものである。その後、万治3(1660)年に現在の社が建立され、街道の守護神猿田彦命と豊玉姫命を合祀してお祀りしてあります。
神社から約30m歩くと、左側の京阪線大谷駅入口角に元祖走井餅本家の石碑が建っていました。
08時34分、元祖走井餅本家跡(左側)
070 走井餅碑
走井餅は江戸時代に売っていた名物餅だったそうです。
そして、石碑に沿って左折すると京阪線の大谷駅で、計画変更しなければ先月はここまで歩いてくる予定だったのかと、幻となった到着&出発場所(大谷駅入口)で写真を撮りました。
 
大谷駅入口(幻の到着&出発の地)=左側
073 京阪電鉄・大谷駅前
大谷駅前から約70m歩くと、左側に歩道橋の階段があり、階段を通って道路の反対側に渡りました。
歩道橋階段の右側を直進すると、国道に出るのですが、信号も横断歩道もありません。
 
歩道橋から京都方面の眺め
075 歩道橋からの眺め
 
歩道橋の下り
076 分岐(歩道橋②)
歩道橋を渡りそのまま約150m歩いたところが、今日の2㎞地点で、出発から約1時間が経過しました。
そして、2㎞地点から約170m歩いた左側に、大津算盤の始祖の碑が建っていました。
08時43分、大津算盤の始祖・片岡庄兵衛の碑(左側)
078 大津算盤始祖の碑

江戸時代、東海道筋のこの付近で売られていた大津算盤は、慶長17年(1612年)片岡庄兵衛が、明国から長崎に渡来した算盤を参考に、製造を始めたものと伝えられています。片岡家は以後、この碑の西方にあった一里塚付近(旧今一里町)で店を構え、幕府御用達の算盤師になったそうです。碑の場所には、昭和の初期まで同家の子孫が住まわれていたそうです。 石碑から数軒先に、「走井」と書かれた行灯看板が架けられていました。
ここは月心寺で、第13代成務天皇の産湯に用いられたという名水「走井の井戸」があり、見学しようとしたら戸が閉まっていたので諦めて歩き始めると、管理人が走ってきたので「見せてもらえるのかな」と思ったら「予約がないと開けられません」といって、塀の外から説明を始めましたが、写真だけ撮って一礼して失礼しました。
規則は規則ですが、何とも不親切な人でした。

塀の外からの寺院の中(Yumiさんは背が低いため見れません)

085 月心寺・寺院内
月心寺を過ぎ、約40m歩いた左側に道標らしき石碑が建っており、書かれている右一里丁から一里塚跡付近ではないかと思いました。
08時46分、119走井一里塚跡付近(左側)
086 大谷一里塚付近
大津市は史跡保存に熱意がないようで、市内の一里塚跡にパネル等の標示もありません。
標示板を建てたりするのはいろいろと大変でしょうが、他府県から沢山の人が街道旅で通るので、旅人に優しい街であって欲しいと思いました。
一里塚付近を通り約90m歩くと、左側に村松石材商会があり、大きな切断機が目に止まり記録に残しました。
 
村松石材商会(左側)の切断機
088 石材店の切断機
石材店から約550m歩くとY字路の分岐があり、右に進み名神高速の下を潜ります。
 
分岐(右に進む)
089 分岐(右)
そして、名神高速道路の高架下を潜ったところが、今日の3㎞地点です。
3㎞地点から約50m先の左側に「KOBAN」と書かれた建物、正面の「追分歩道橋」の手前を左折しました。
08時57分、分岐(左折)
090 分岐(左)
分岐から右の仏立寺を眺めながら約400m歩くと、Y字路分岐の髭茶屋追分がありました。
09時02分、髭茶屋追分(道標は壊れて撤去)=左側
091 髭茶屋追分・分岐を右
東海道は追分を右手方向に真っ直ぐ進み、京街道は左手に進みます。
京街道は東海道とも云えるようで、西国の大名等は京を通らずここから左方向へと進んだようで、大坂(現在の大阪)へと向かい、高麗橋まで続いていました。
この街道は「伏見街道」とも呼ばれていたらしく、道標が2つ建っていました。一つは「みきハ京ミち」「ひたりハふしミみみち」「柳緑花紅」と書かれていて、もう一つには「蓮如上人」「是より十丁」とあった。ちなみに前者の道標は複製品で、本物は大津市の琵琶湖文化館近くに移された後、現在は滋賀県の安土町にある「滋賀県立安土城考古博物館」にあるそうです
※追分碑がない
追分なので、分岐の道標があるかと思い探しましたが、ありません。
近くにいた地元の方に聞くと、「以前は2つ石碑が建っていたが、かなり前に1本が車がぶつかって折れてしまい、もう1本も車がぶつかって折れ、昨日撤去されたんですよ。そして追分の道標なので、役所に復旧を陳情しているところです」と詳しく説明して下さいました。
と、云うことで、追分の道標は1月16日に、無くなってしまいました。
追分の分岐から約80m歩いた右側に閑栖寺があり、入口右側に東海道道標と車石が置かれていました。
09時07分、東海道道標・車石(右側)
092 東海道碑・車石碑
車石は、東海道五十三次、大津八丁(札の辻)から京三条大橋までの約3里の間、物資輸送する牛馬車の通行を楽にするため、花崗岩に溝を刻んで切石を敷き詰めた。文化2年(1802年)心理学者脇坂義堂が発案し、近江商人中井源左衛門が財を投じたと伝えられています。
この付近は、車道と人道に別れていて、京に向かって右側に車石を敷き、左側は人や馬の通る道であったと伝えられています。
寺院から約170m歩くと分岐があり、直進しました。
 分岐(直進)
095 分岐(直進)
分岐から約80m歩くと、左側にベンガラ色の連子格子の家がありました。
09時11分、ベンガラ色の連子格子の家(上田家)=左側
096 連子格子の家(上田家)
上田家から約140m歩くと交差点に出る手前に歩道橋に上る階段があり、歩道橋を使って国道1号を渡ります。
 
分岐(右側の歩道橋の階段を上る)
098 分岐(右階段)
 
歩道橋からの京都方面の眺め
099 歩道橋からの眺め
 
歩道橋の下り
101 分岐(直進)
歩道橋を渡り、そのまま直進し、約80m歩くと分岐があり、右折して進みます。
 
分岐(右方向に進む)
102 分岐(右)
分岐を曲がった処の右川にある竹内医院が今日の4㎞地点だったので、Nさんに「今、4㎞地点を通過」と現在の位置をメール連絡しました。
09時17分、4㎞地点(竹内医院前)通過
N=12時過ぎですね
E=急ぎます
N=時間調整できるので、急がないで来て下さい
とやり取りをしながら進みました。
そして、竹内医院から約80m歩くと、右方向に入る道の先角に道標が建っていました。
09時18分、三井寺観音道道標(左側)
103 三井寺観音道
道標から約220m先の左側に、京都市市境の標識が建っていました。
東京日本橋(中央区)を出発して37日目、最後の自治体である京都市に着きました。
Yumiさんは何にも分からなくなってしまいましたが、健常者だったら「やったね」と喜びあったかもしれません。
私は一人、心の中で、「とうとう、京都に着いた」と思い、市境の標識の写真を撮りました。

09時21分、京都市市境(左側)
105 京都市市境標柱
京都市に入り、約250m歩くと一灯式の信号がついた旧三条四ノ宮交差点(京阪・京津線の四ノ宮駅入口)がありました。
 
旧三条四ノ宮交差点
108 旧三条四ノ宮交差点
交差点から約100m歩いた左側に、ローソンがありトイレを使用させて頂きました。
コンビニでトイレを借りた時は、必ず何か購入するのですが、今日はトイレだけで失礼しましたので、この先、この道を通った時は必ずお礼の買い物をさせて頂くつもりです。
お許し下さい。
ローソンでトイレを済ませ街道を約100m歩くと、右側に六角堂が見え、徳林庵がありました。
09時33分、徳林庵(六角堂)=右側
109徳林庵・六角堂
徳林庵は山科廻地蔵が祀られ1550年に開創され、山科地蔵が祀られてから東海道の守護仏となっている名跡
ですが、街道から六角堂を見ただけで失礼しました。
徳林庵から約230m歩いた左側のコ-トtake優付近が、今日の5㎞地点です。
09時37分、5㎞地点通過
この1㎞は、史跡のないところはスピードアップした効果がでて、20分で歩るくことができ、平均の2.5㎞/hとなりました。
5㎞地点から約200m歩くと、モダンな山科駅前の交差点に出ました。
09時40分、山科駅(右側)前
115 山科駅前
交差点を渡った右側のホテルブライトンの建物脇の植え込みに旧東海道の石碑が、さらにその直ぐ先のに明治天皇御遺跡の石碑が同じように植え込みに建っていました。
09時42分、旧東海道道標(右側)
116 旧東海道碑
 明治天皇御遺跡
118 明治天皇御遺跡
明治元年9月、2年3月、11年10月の三回、古く戦国時代から東海道の茶店、宿場または本陣として洛東山科の名刹毘沙門堂御領地内にあった「奴茶屋」(現RACTO・A2階)に御駐輦されたことを記念して建立されたものです、
遺跡碑から約210m歩いた右側に入る道の角に、道標が建っていました。
09時46分、吉祥山安祥寺道標(右側)
119 吉祥山安祥寺道標
道標から約40m先の安祥寺川を渡り、220m歩くと左に入る道の左角に、五条別れの道標が建っていました。
09時50分、五条別れの道標(左側)
121 五条別れの道標
道標は、宝永4年(1707年)11月に建立された。
道標の一方は、「右ハ三条通り」とあり東海道を指している。もう一方は、「左ハ五条橋 ひがしにし六条大仏 今ぐまきよ水 道」と書いてあるようで、渋谷街道になっている。
道標から約190m歩くと、右側に静かな佇まいの黒塀の家が建っていました。
09時54分、黒塀の家(右側)
123 黒塀の家
この家の辺りが、今日の6㎞地点です。
ここから約160m歩くと県道143号(三条通り)と合流し、右に進みます。

 
分岐(右に進む)
124 分岐(右)
交差点を右折して約70m歩くと東海道線が走るガードがあり、ガードを潜って約130m歩くと、右に天智天皇陵があり、見学に行きました。
09時59分~10時11分、天智天皇陵(右側)
 
参道入口
126 天智天皇陵参道
 中間の参道仕切り
128 天智天皇陵・参道②
 
天智天皇陵
129 天智天皇陵
大正天皇と昭和天皇の武蔵野陵は、陵墓が見えるのですが、天智天皇陵は二重の柵で仕切られている上に、樹林で何も見えませんでした。
陵は見学する人とすれ違うことなく私とYumiさんの二人だけで、時間も少し歩き方が早かったのか、予定した時間(約30分)よりかなり早く見学が終わりました。
参道入口に戻り左に数メートル進むと、参道入口の脇に日時計が建っていました。
10時12分、日時計(右側)
131 日時計
時計は天智天皇が水時計を作ったので、昭和の初め頃、時計組合が造ったものらしい。時計は縦型で棒2本水平に突き出ている。そしてその2本の陰が交わるところが現在の時刻のようです。
陰を見ると10を過ぎたところと、12の近くにあり、概ね合っているようです。
日時計の処で踵を返し、天智天皇陵入口を通り過ぎ、山科警察御陵交番の斜め前の交差点まで戻り、交差点を渡りました。
交差点を渡ると「陵ケ丘みどりの径」石碑が建っており、その隣りに冠木門が建っていました

10時14分、陵ケ丘みどりの径(左側)
134 陵ケ岡みどりの径碑
 冠木門
135 冠木門
ここは遊歩道で、京阪電鉄京津線の廃止跡だそうです。
現在の京阪電鉄京津線は、三条通りの反対側辺りから地下に潜り、京都市営地下鉄に乗れ入れているようです。
私は東海道をあるこうと遊歩道は歩かずに、交差点を渡って、左に石碑と冠木門を見て、約90m歩いた処を左折しました。
10時15分、
分岐(左折)
137 分岐(左)
左折する場所にあった建物は取り壊されて更地になっていましたが、工事が始まるようなので、シガドライ(白い吊り看板)の手前を左折すると覚えた方が現在は良いよいと思います。
左折して細い道を約50m歩くと左からの遊歩道と合流し、そのまま直進します。
 
遊歩道と合流
138 分岐(合流)
 分岐(小さいクランク形に進む)
139 分岐(直進)
上の写真の分岐から約150m歩いた付近が、史跡の表示はありませんが、一里塚跡ではなかったかと云われているところです。
10時19分、120御陵一里塚跡付近
141 御陵一里塚跡付近
右側は住宅、左側は田畑で、一里塚の「い」の字の跡形もないのは、何とも残念なことです。
一里塚跡付近から約120m歩いた所の十字路は直進。

143 分岐(直進)
途中の小さい川を渡った先の十字路も直進します。
144 分岐(直進)
この分岐の辺りが、今日の7㎞地点です。
10時24分、7㎞地点通過
この辺りから日ノ岡峠への、上り坂が始まりました。
坂道は一歩ごとに傾斜を強め、汗をかかないように少し歩く速度を緩め、Yumiさんが遅れないようにしました。
分岐から約160m、息を切らせながら歩いていると、左に入る道の角のブロックに囲まれるように、道標が建っていました。
10時27分、明見道道標(左側)
145 明見道道標
ここでひと休みして、上り坂をさらに歩くと、右側に鬼瓦を壁に飾った家がありました。
10時32分、鬼瓦(白丸印)を飾った家(右側)
148 鬼瓦の家
ここまで来て、亀の水不動尊を無意識に通り越したことに気が付きましたが、そのまま直進することにしました。
亀の水不動尊と亀の口から流れている亀の水は、次にこちらの方に来た時に、立ち寄りたいと思います。
鬼瓦の家の少し先が峠の頂上のようで、緩やかな下り坂となりました。
細い道なのですが、ひっきりなしに車が走ってきて、「プー、プー」と警笛を鳴らされながら歩いていると、
 
狭い道を走り去る車
149 峠道
県道143号が見える右側の民家敷地内に、旧東海道の石碑が建っていました。
10時37分、
旧東海道碑(右側)

150 旧東海道碑
碑からさらに下り坂を歩くと先ほど見えた県道143号(三条通り)に合流する交差点に出ました。
 分岐(直進)
152 分岐
街道は、交差点からまた上り坂になっている道をそのまま真っ直ぐ進むと、約50m先の左側に車石のモニュメントが建っていました。
10時40分、車石モニュメント(左側)
153 車石モニュメント
 
車石モニュメント碑
155 車石モニュメント碑
ここは、京都市営地下鉄東西線開通に伴い廃線になった「京阪電鉄・京津線」の跡地に作られた広場です。
上りの坂道を約120m歩いたところが今日の8㎞地点で、そこから約200m歩いたところに九条山交差点があり、右側に交差点を渡りました。
10時44分、九条山交差点
159 九条山交差点
渡って左に進むと右に上る道がありますが、そのまま真っ直ぐ県道143号を歩きます。
 分岐(直進) 
160 分岐
分岐の先に陸橋があり、このあたりが坂の頂上で、ここから下り坂になり、陸橋から約350m歩くと蹴上浄水場前交差点となり、私とYumiさんはそのまま真っ直ぐに直進しました。
ところが、この後に分かったのですが、信号付近に右斜め方向に上って行く道を行くと、琵琶湖から鴨川までのインクライン(傾斜鉄道)の遺構のところにでたことが分かりました。
しかし、この時は、行こうかどうか迷ったのですが、目的の場所に辿りつくか不安だったので行きませんでした。
話しを戻すと、レンガ造りの蹴上浄水場の建物を左に見ながら約260m歩くと、左側に地下鉄蹴上駅入口があり、その少し先の右側にレンガ造りのトンネルがありました。
10時57分、ネジリマンボウ(右側)
162 ネジリマンボウ
 
ネジリマンボウの内部
164 ネジリマンボウの中
ネジリマンボウは、内部のレンガが斜めにねじって積まれていることから付いた名前のようで、この上に「琵琶湖疏水」のインクラインが敷かれています。
トンネルを抜けて、出口を右に進むと(上り道)先ほどのインクラインの遺構が広がっており、ここで蹴上浄水場前の交差点を右に進むと遺構のところに出たことが分かりました。
インクラインの遺構を見たいと思い、急傾斜の土手を上り、「ここを上がるの?」というYumiさんを引き上げて、インクラインの脇に立ちました。
10時59分、インクライン遺構(右側)
166 インクライン跡
インクラインの遺構には、線路がまだ敷かれていて、線路を歩いて下ってくる人もおりましたが、インクラインの遺構を見ることができたので良かったと思いました。
ちなみに琵琶湖疏水は、明治維新で東京に遷都したため、沈んだ京都を蘇らそうと府知事(北垣国道)が建設を指示し、琵琶湖から京都に水を引いたもので、インクラインはその琵琶湖疏水と高低差のある京都市内を舟で行き来するよう、レールを敷き舟を上げ下げしたものだそうです。
インクラインからネジリマンボウのトンネルに戻ろうとすると、九条山浄水場からの導水管が敷設されていました。
 九条山浄水場からの導水管
168 放水路
ネジリマンボウのトンネル辺りが、今日の9㎞地点で、ゴールまで1.75㎞です。
Nさんに「今、蹴上交差点。12時頃にゴールかな」とメール連絡すると、「あと30分くらいなので、急いで行かないと着いてしまうね」と返信があり、いよいよゴール間近を感じました。
11時04分、蹴上交差点
169 分岐(左)
交差点の横断歩道を左折すると、右側の一段低いところに歴史を感じさせるレンガ造り建物の関西電力蹴上発電所がありました。
11時06分、関西電力蹴上発電所(右側)
170 関西電力発電所
明治時代の建造物のようで、見学することができたら見てみたいと思います。
発電所から約50m歩くと、右側に昔の町屋をそのまま使った小さなお宿の「あずきや」があり、ウインドウに昔のタイプライターが展示されていました。
11時08分、お宿・あずきや(右側)
172 格子戸の家:あずきや
 
ショーウィンドウに昔のタイプライター
173 あずきや:昔のタイプライター
あずきやから約230m歩くと、右側の岡崎通りに入る手前角に道標が建っていました。
11時12分、三条通道標(右側)
174 三条通道標
道標のところで三条通りを渡り、進行方向左側に移りました。
道路反対側の京都三条広道局を過ぎた辺りを見ると、屋根が段違いに続いている家並みが建っていて、京都らしい感じがしてきました。
 段違い屋根の家並み(右側)
176 繋がっている屋根
三条神宮通交差点を渡り、約160m歩くと白川橋があり、橋のたもとに道標が建っていました。
11時18分、三条白川橋道標(左側)
177 白川橋
延宝6年(1678)に 建立され、道標に「是よりひだり ち於んゐんぎおんきよ水みち」と刻まれていました。
 
白川橋からの眺め
180 白川橋
川の両岸に柳の木が植樹され、風情を感じました。
そして、橋から約50mほどで今日の10㎞地点になり、予定より早く到着しそうなのでNさんに「今、白川橋を渡った。後、800mぐらいです。進行左側を歩いています」とメール連絡し、ゴールを目指しました。
10㎞地点から約90m先に地図が掲げられており、手の指で三条大橋が届くようなところにいることを確認し、写真を撮って記念にしました。

11時23分、京三条付近地図(左側)
181 三条大橋付近図
東大路通の東山三条交差点を渡り、約400m歩くと左側に京都三条大橋局があり、風景入り消印スタンプを受けるため立ち寄りました。
大津駅近くの郵便局から何カ所かの郵便局に立ち寄り、風景入りの押印を受けようとしましたが、「置いてない」と云われてきたので、恐る恐る局員に聞くと、「あります。消印を押印しますので、切手を貼って出して下さい」と云われ、ホッとするとともに急いで80円の記念切手を1シート購入し、シートの一枚を持参した白紙の用紙に貼り、局員(女性)に押印頂きました。
 
日付・風景入り消印
196 記念の消印
三条大橋の図柄が入った、良いスタンプを押印できました。
郵便局を出て約90m歩いた三条大橋手前の左側に、高山彦九郎の大きな像が建っていました。
11時38分、高山彦九郎の像(左側)
184 高山彦九郎像
高山彦九郎は群馬県の出身で、18才の時以来5回上洛し、京都に出入りする時には銅像のように、京都御所に向かって拝礼したそうです。明治維新を成就した勤皇の志士は、この姿を心の鑑と仰いだと伝えられています。
銅像の先の三条大橋交差点を渡るとゴールの三条大橋です。
 三条大橋交差点
186 三条大橋交差点
赤信号で待つ間、「とうとう、ゴールだ」と思い、深呼吸してから交差点を渡り、三条大橋の東詰親柱の脇に立ちました。
11時39分、三条大橋東詰親柱
187 三条大橋入口
さあ、ゴールの三条大橋西詰まで、あと少しです。
橋の途中で、待ち合わせしている「弥次・喜多像」の方を見ると、Nさんが手を振っているます。

 手を振って出迎えて下さるNさん(白丸印)
189 出迎えの長島さん
E=Yumiさん、Nさんがいるよ
Y=え、ほんと。どこ
E=(指を差して)あそこだよ
Y=本当だ
と話しながら、Nさんに手を振りながら三条大橋を渡り、あと三歩、あと二歩、そしてゴールの三条大橋西詰親柱に到着しました。
11時42分、京都・三条大橋西詰親柱着(左側)
190 三条大橋・到着
到着した時に使う「祝 旧東海道完歩」と記した看板を掲げ、到着式を行いました。
するとNさんが、到着のお祝いにと到着看板を作ってきて下さり、「弥次さん・喜多さん像」のところで、到着記念のセレモニーを行いました。
11時43分、旧東海道踏破到着セレモニー(左側)
192 三条大橋・到着
思わぬNさんの祝福に心から感謝し、弥次さん・喜多さん像のところで、江戸・日本橋から京・三条大橋まで完全踏破した感激はありませんでしたが、37回の旅の思い出が走馬灯のように思い出されてきました。
弥次・喜多像の前の縁石に座り、Nさんと東海道の思い出話しをしながら到着した余韻を楽しんだ後、三条大橋を後にしました。
 
Nさんと談笑するYumiさん
194 弥次・喜多像
 到着した三条大橋(西詰からの眺め)
197 三条大橋(弥次喜多像から)
この後、先斗町で昼食している時、山の会でKYOの会を結成し懇意にしているYさんから祝福のメールが届きました。
【メール=絆】
「お江戸日本橋を出発したのが2年前の3月11日(東日本大震災の日)、京三条大橋に到着したのが1月17日(阪神淡路大震災の日)というのも奇遇です。
お二人が助け合い、また沿道の人々に助けられ、成就することができたのも「絆」、震災で人々が助け合い復興するのも「絆」、という縁でしょうか・・・・。」
と、温かい祝福メールを頂きました。
出発日も到着日も自然の流れの中で決めた日で、Yさんからのメールを噛みしめさせて頂くとともに、「絆」を大切にして行きたいと思います。

・・・昼食から夕食の祝杯までは、「番外編=京都・大阪(乾杯)」に掲載しています・・・
    お時間がございましたら、ご覧下さい。

お問い合わせやブログのコメント(返信をご希望の場合)は、以下のメールアドレスをコピーしてお使い下さい。
  (専用メール)  
eiyumitokaido@yahoo.co.jp

【街道旅-】 旧甲州道中旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/  


【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


【序章】
今日は、織田信長の居城だった安土城址界隈を散策してから、明日の旅のために宿泊する大津に移動します。
04時30分、起床
朝食は新幹線の中で食べることにし、Yumiさんを急かせないで身支度が出来るように考え、前回と同じように早く起床しました。
目覚ましの音楽で目を覚まし、「Yumiさん、旅に出掛けるよ」と声を掛け起床しました。
寒い部屋に「おー、寒い」と云いながら、リビングの暖房を入れて身支度を整え、ウォーキングシューズを履いて家を出ました。
外はまだ夜道状態で、この冬一番の寒さではないかと思われる
冷たい風を受けながら、自転車に乗って最寄り駅に向かいました。
最寄り駅から電車に乗り、東京駅に7時35分頃に着き、新幹線の改札を通った先のトイレに行き、その後待合い室で朝食(菓子パン、コーヒー)を食べることにしました。
椅子に座って(男の人が席を譲ってくれたので、並んで座れました)食べ始めると、
Y=食べてるの私達だけよ
E=ホームのベンチは寒いから、ここで食べるしかないんだよ
Y=こんなところだと、恥ずかしいわ
E=寒い所にYumiさん一人で行く?
Y=嫌です
E=じゃ、ここで食べよう
と云うと納得し、その場で食べ続けました。
新幹線は4号車乗車口の一番前に並び、入線(8時22分)を待って乗りました。
 ↓新幹線乗車口
003 東京駅14番ホーム
中程の座席に座り、定例の車内撮影会を行ったり、持参したジュースを飲んだりしていると発車合図のベルが鳴り、東京駅を定刻に出発しました。
 ↓新幹線車内

005 新幹線ひかり車内
08時33分、東京駅発(ひかり505号)

乗車率は2人掛けの窓側席が満席、3人掛けは30%位で、土曜日より多い感じがしました。
車窓から外を見ると雲一つない快晴で、「今日は富士山が見れるね」と云いながら楽しみにしていると、Yumiさんが「あれ」と窓の外を指差すので見てみると、少し富士山が見えました(小田原付近)。
そのまま目をつむってウトウトしていると、Yumiが「見えるよ」と教えてくれたので、急いでカメラを向けて記録に残しました。
今日の富士山は秀麗富士の名にふさわしい、綺麗な姿を見せてくれました。
 
↓新富士付近
009 新富士付近からの富士山
新幹線は、新横浜の後、豊橋、名古屋、岐阜羽島に停車し、乗り換え駅の米原に到着しました。
10時45分、新幹線米原駅到着
Yumiさんは新幹線の動いている状態でトイレを使うのが難しいため、下車駅の米原まで我慢してもらったので、トイレに連れていきました(私は岐阜羽島の手前でトイレを済ませました)。
米原から安土には東海道線の各停で向かうのですが、昼間は30分毎のため発車まで15分あり急がないでトイレを済ませてもらいました。
11時00分、米原駅発
乗車した人は少なく、車内はガラ空き状態で発車し、途中から少しずつ乗客が増えてきました。
 ↓東海道線米原駅・車内

010 琵琶湖線(米原駅)
 ↓座席状況(米原駅発車時)=Yumiさん後方右側
012 米原発の乗車状況
11時23分、安土駅着
 ↓下車ホームからの改札口

013 安土駅
跨線橋を渡り、改札を通り外に出ました。
 
↓安土駅前
014 安土駅前
駅前のロータリーを見渡すと、ロータリーの左側に織田信長像、横に織田桜が植えられていました。
織田桜は、八日市市川合町から移植されたもので、信長の姫君が大和桜の絵を良く描いていたそうで、それがこの桜と云われているそうです。
時間的に昼なので、駅前にある蕎麦店「さわえ庵」に入りました。
11時30分~11時52分、昼食(さわえ庵)

023 さわえ庵
近江牛肉そばがお勧め品らしかったのですが、朝がパンだったのでご飯が食べたいと思い、お勧め看板に書かれていた牛丼セット(@800円)を注文しました。
 
↓店内
020 さわえ庵店内
 ↓牛丼セット
022 牛丼セット
店の方には聞きませんでしたが、近江牛肉そばにご飯が付いているような感じでした。
そば店を出て、安土駅ロータリー右側(そば店から駅に向かって)にある野田自転車商会(安土レンタサイクル)に行きました。
12時00分、野田自転車商会(安土レンタサイクル)

096 野田自転車商会
店舗には事前に電話で、レンタサイクル2台を予約してあり、レンタサイクル料金(@500円)を支払い、私とYumiさんのザックを預かってもらい、安土城址に向かいました。
ママチャリタイプのレンタサイクルを走らせると、思っていた以上に風が冷たく薄手のジャンパーをザックに入れたまま持ってくるのを忘れたことに気が付きましたが、戻るのが面倒で我慢してそのまま走りました。
レンタサイクル店から約550m先の安土郵便局に沿って右折し、約300m走った左側のスーパーの先を田圃道に入り、安土山方向に約700m走ると、安土城址の石碑が建っていました。
12時10分、安土城址碑

025 安土城址碑
碑の脇を通り約110m行くと、右側に安土城址ガイダンス休憩所があり、自転車を置いて中を覗くと安土城天守閣の模型が飾ってありました。
12時13分、安土城址ガイダンス休憩所

028 休憩所
 ↓天守閣(下=5階、上=6階)
029 城址前休憩所
休憩所を出て最初に右折にする道を約100m歩くと左側に受付があり(写真の白丸)、入場料(@500円)を支払います。
031 東側石塁北上段郭と虎口
受付の人から「三重塔と二王門は工事中で通行止めになっています」と云われ、上り階段の上がり口にあった木の杖を借り、階段の段差が違う歩きづらい大手道の階段を上り始めました。
12時19分、安土城址

035 城址階段
10数段上った左側の下段と一段高い場所に「伝羽柴秀吉邸跡」が、右側に「伝前田利家邸跡」の碑が建っていました。
12時22分、伝羽柴秀吉邸跡・前田利家邸跡
 ↓伝羽柴秀吉邸跡(下段)

038 伝羽柴秀吉邸跡下段
 ↓伝羽柴秀吉邸跡(上段
045 伝羽柴秀吉邸跡上段
 ↓前田利家邸跡
041 伝前田利家邸跡
大手道を上っていると左側に石仏のパネルが埋め込まれ、近くに石仏像がありました
048 大手道石仏①
石仏は、築城の時、大手道の石材として没収、使用されたもので、墓石も含まれていたようです。
また、石仏は本来信仰の対象となっていますが、築城の経緯を保存するため、発見された状態で保存されている。
段差の違う歩きづらい大手道の坂道を上っていくと、左側に織田信澄邸跡、右側に森蘭丸邸跡の碑が建っていました。
 ↓大手道

050 城址階段
 ↓左側=織田信澄邸跡、右側=森蘭丸邸跡
051 左:織田信澄邸跡・右:森蘭丸邸跡
両方の邸とも石碑が建っているのですが、雑木林状態なのでもう少し整備してほしいと思います。
12時38分、黒金門跡

052 黒金門跡
黒金門は曲尺道(かねんて)になっていて、くにゃくにゃ曲りながら歩くと、史跡の案内が記された石柱が建っていましたが、先に本丸跡と天主閣跡に行くことにしました。
12時42分、本丸御殿跡
054 本丸跡
本丸御殿は、天主閣から少し下にあり、建物には天皇を招き入れる御幸の間があり、京都御所の天皇の住まいである清涼殿と酷似した構造だったそうです。
礎石の上の柱痕から高床式建物で、伝三の丸や天主取付台と渡り廊下で繋がっていた。
広い本丸跡の奥に石段があり、上ると天主閣址になっていました。

059 天主閣跡碑
12時45分、天主閣址
060 天主閣跡
背丈ほどの高さの石垣に囲まれた東西、南北それぞれ約28mの台地。礎石が1.2mおきにに並び、五層七階(地上6階、地下1階)、高さ33mの木造高層建築で、イエズス会宣教師ルイス・フロイスはヨーロッパにもあるとは思えない壮大さだったと残されている。
 ↓天主閣址からの眺望(後方は琵琶湖)

063 天主閣からの眺め(後方は琵琶湖)
1階の部分と思われるところからも眺めが良く、地上33mの天主閣からの眺めはさぞかし素晴らしいものだったのだろうな、と思いました。
今日は、雲があり琵琶湖は良く見えませんでした。
最上部の天主閣址から本丸御殿跡に下り、さらに下がると右側に二の丸跡、奥の一段高い所に信長本廟がありました。
12時52分、二の丸跡

067 二の丸跡
二の丸跡の奥に、信長公本廟がありました。
070 信長公本廟
本廟は柵で仕切られていて中に入ることができませんが、資料によると、羽柴秀吉が天正11年2月に太刀、鳥帽子、直垂れなどの遺品を埋葬し、本廟としたと記されています。
本廟の入口右側にスタンプ台があり、その台にペットボトル(カバー付き)を忘れてしまい、帰りの黒金門跡から取りに戻るボケをしました。
二の丸の下に長谷川邸跡と呼ばれている郭があり、織田信雄公四代の供養塔が並んで建っていました。
12時57分、織田信雄公四代の供養塔

071 織田信雄公四代供養塔
さらに供養塔から黒金門跡を通り、大手道を下ると左側に信長の秘書的な役割を担っていた武井夕庵の屋敷跡がありました。
 
↓武井夕庵邸跡
074 武井夕庵邸跡
大手道の傾斜は、上から見るとかなりの急坂で、足を取られないように気を付けて下りました。
075 城址階段(上部からの眺め)
Yumiさんも慎重に、下っていました。
076 下段中のYumi①
077 ②
13時15分、安土城址大手道上り口
078 受付付近・看板の裏面
大手道の階段を上る所に信長と安土城の年表が記された看板が建っていました。
歩行注意の看板の裏面に記されているので、上る時は誰も気が付かないと思います。
折角の年表なので、上り口の看板裏側にしないで、道の横に立てたらよいのにな、と思いました。
今日は平日なので少なかったのか、行き交った人は2人だけだったので、受付の人に聞くと「今日は少なくてまだ6人です」とのことでした。
人が少なかった分、周りに気兼ねせずに見れたのでよかったです。
なお、見学者は、私達と入れ違いに夫婦連れ2人と歴史探訪みたいな団体客(10人くらい)が上っていきました。
安土城址を見た後、自転車を置いた休憩所に戻り、Yumiさんのトイレを済ませてから次の信長の館に向かいました。
安土城址入口の信号を左折、次の信号を右折し、東海道線の下を潜り、約800m離れた文芸の郷の中にある信長の館に行きました。
13時29分、文芸の郷・日時計

079 日時計
八角形のヨーロッパの各国の国旗が記された大きな時計でしたが、時間は分かりませんでした。
信長の館は日時計の後ろの文芸セミナリヨ音楽ホールの後ろにあるので、また自転車に乗って移動しました。
13時33分~13時45分、信長の館

089 信長の館
正面玄関を入ると正面に天正10年5月、信長が徳川家康や穴山梅雪を安土城でもてなした時の饗応メニューが飾られていました。
082 信長の館・家康もてなしの膳
館内には、天主5階(赤)、天主6階(金)が内部の障壁画とともに原寸大に復元されたものが展示されていました。
 ↓天主5階

087 天主閣下
 ↓天主5階部分から見た6階部分
084 黄金の天守閣
 ↓天主6階部分
085 天主閣
展示されているのはこれだけで、ひと通り館内を見学し外に出ました。
次は安土駅前(ロータリーの反対側)の、安土城郭資料館に向かいました。
地図を見ながら自転車を走らせ、駅前の資料館に着きました。
14時01分~14時21分、安土城郭資料館
091 安土城郭資料館
館内には20分の1スケールの安土城ひな型(内部構造が見れる)、7分の1スケールの安土城障壁画などが展示されており、ひと通り見学し、織田家家紋のストラップをお土産に購入しました。
093 安土城模型
予定していた三カ所の施設を見学したので、レンタサイクルを駅の地下連絡通路を通って戻しに行きました。
 
↓地下連絡通路
095 安土駅連絡通路
レンタサイクルを借りた野田自転車商会は、連絡通路を出た直ぐ横にありました。
14時25分、安土レンタサイクル(野田自転車商会)
レンタサイクルを返し、預かってもらっていたザックを受け取り、安土駅に向かいました。
30分間隔の電車は出発した後で、次に来る電車まで時間があり、駅ホームの待合い室で待つことにしました。
待合い室にいるとNさんからメールがあり、近江八幡のバームクーヘンの美味しい店(クラブハリエ)の情報を提供して頂いたのですが、スマホで場所を確認すると駅から離れていたため、立ち寄らないで大津駅に行くことにしました。
14時53分、安土駅発
15時28分、大津駅着
097 大津駅改札
大津駅からホテルには直行しないで、まず前回の到着地に行って到着看板の写真を撮ることにしました。
理由は、当初予定していた到着地(京阪電鉄・大谷駅)を、1.7㎞手前の御幸町交差点で終了したため、到着看板の到着地が違っているからです。
大津駅から前回到着地に向かって歩いていると、御幸町交差点に出る手前の右側に昔ながらの銭湯・御幸湯がありました。
 
↓大津市・御幸湯
100 大津・御幸湯
今は内(家)湯が普通ですが、私が育った昭和20年~30年代はまだ銭湯が全盛の頃で、とても懐かしく思いながら記念に残しました。
前回到着地の御幸町交差点で、前回の到着写真を撮り、宿泊するホテルの近くの鮒すしの老舗である「阪本屋」に行きました。
15時52分、阪本屋

103 阪本屋鮒寿司
阪本屋は、江戸時代膳所藩お抱えの御用料亭で、本家阪本屋は膳所木下町あたりにあり、湖面に面して楼閣を有したことから映波楼と呼ばれ、古くはシーボルトの旅日記にも登場し、琵琶湖を借景とし、料理は川魚と鮒寿司を提供していました。
現在の阪本屋は明治2年に鮒寿司の製造・販売を専門に行う分店として、東海道と北国海道の合流地点であり、現在の札の辻の地で開業したそうです。

105 鮒寿司
 ↓店内
106 店内
鮒寿司をお土産に購入し、ホテルに向かいました。
 
↓ホテル前を走る京阪電鉄(路面部分)
108 京阪電鉄
16時01分、ホテル着(東横IN)
109 ホテル前
店を出てホテル(歩いて1~2分)に行き、チェックインして部屋に入って直ぐに地図や資料を綴じたバインダーがないことに気が付きました。
《忘れ物》
フロントに確認すると「ありません」との回答。
Yumiさんに事情を話し、部屋から出ないように話し、ホテルに来る直前に立ち寄った阪本屋に走りました。
阪本屋さんに入り、
E=バインダー、忘れていませんでしたでしょうか
店=ありましたよ。東海道の旅をしているというので、京都方面に車で探しに行きました
E=申し訳ございません。今日は東横インに宿泊しています
店=戻りしたらホテルに届けてあげますよ
E=ありがとうございます
と云って店を出たら、私達を探しに行った車が戻ってきました。
息子さんとお母さんにお礼を云って、バインダーを受取りました。
阪本屋さん、ありがとうございました。
部屋に戻り、ザックの荷物整理したり、テレビを見たりして、夕食に出掛けるまでの時間を過ごしました。
【夕食】
=居酒屋「おで湖」
17時30分頃、ホテルで教えてもらった店(おで湖)に、夕食を食べに行きました。
ホテルを出て浜大津方面に進み、最初の信号(中央一丁目)を渡りアーケードに入りました。
アーケードの中はシャッター通りで、人が歩いていません。
何とも寂しい感じがするなか、最初の十字路を左折して歩いて行くと、左側に店舗がありました。
17時33分、居酒屋「おで湖」=夕食

111 おで湖(夕食)
店舗に入り、靴を脱いで掘り炬燵形式のカウンター席に並んで座ると、先客に男性二人組がいました。
Yumiさんと生ビールで乾杯し、数種類の食材をたべながら繋がらない会話をしていました。
 
↓乾杯
113 乾杯
時間の経過とともに隣り同士となった先客の男性二人(80代の現役時代の同僚)と会話するようになり、最後に明日の東海道ゴールの激励を受け、19時30分頃、おで湖を出て、ホテルに戻りました。
 ↓お隣にお座りの人生の先輩

115 同席の方
19時24分、丸屋町商店街アーケード
116 丸屋町商店街アーケード
夕方の17時30分頃もシャッター通りで閑散としていましたが、この時間になるとほとんどの店が閉まってしまうそうです。
近くにマンションなどが建ち、人が増えて賑わいが戻ってくることを祈ります。

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【街道旅-】 旧甲州道夫婦二人旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

  http://eiyumi-nakasendo.blog.jp/


今日、私達の山の師匠であり、旧東海道夫婦二人旅のきっかけを作って下さったNさんが、お江戸日本橋に到着しました。
【日本橋で待機】
11時過ぎ、地下鉄日本橋駅に着き、ゴールの日本橋に向かいました。
Nさんは大阪に単身赴任中のバリバリの現役で、仕事の関係などで山の会が計画した日に参加出来ない時もあり、他の日に一人で抜け落ちた区間を旅するなど、苦労して今日を迎えました。
今日は雨の心配がない晴天で、気持ち良く日本橋にゴールできることになり、本当に良かったと思いました。
地下鉄に乗っているとNさんから「今、泉岳寺いて、少し遅れぎみ」とメール連絡があり、日本橋に到着するまで時間があるので、自分たちが日本橋を出発する時に記録に残せなかった日本橋の親柱、史跡、東京市の道路元標碑、日本橋魚河岸跡碑などの写真を撮り、しばらく道路元標の近くで待つことにしました。
Yumiさんは、エベレストでも寒さを感じないという下着上下を着せてきたので、顔に当たる部分は寒いといいますが、体が寒いとはいいません。
寒さ対策バッチリで、出迎えることになりました。
 ↓日本橋全景(コレド日本橋側)
001 日本橋
 ↓日本橋碑
004 日本橋の史跡
 ↓東京市道路元標
007 東京市道路元標
 ↓日本橋魚河岸跡
010 日本橋魚河岸跡
天気は良いのですが、日陰になると北風が当たると寒く感じるので、Nさんが到着するまで目の前の三越本店入口脇の待合い室の椅子に座って待つことにしました。
待合い室からNさんに、「東京駅付近に来たら連絡下さい」とメールで連絡し、のんびり座って外を歩く人を眺めていました。
12時20分
Nさんからメールで、「銀座一丁目を過ぎ、最後の直線に入った。オレンジ色のパーカーを着て、先頭を歩く。右側の予定」と連絡があり、Yumiさんに「行くよ」と声を掛け、日本橋に行きました。
最初は橋を渡ったてきたところで待とうかと思いましたが、やはり橋の先端の方が良いだろうと考え、日本橋交差点に近い側に移動して待つことにしました。
進行右側は日陰で、北風が冷たく顔に当たり、少しでも風を避けながらNさんの到着を待ちました。
また、橋のたもとで待っていたのですが、直ぐ脇では「日本橋クルーズ(遊覧船による川巡り)」(料金=@1,500円)の乗客集めをしていました。
【お江戸日本橋に到着】
12時38分
ゴールの日本橋手前の交差点に、Nさんの姿を発見(白丸印)。
013 長島さん①
Nさんの後から同行の山の会の方々が、続々と歩いてくるのが見えました。
日本橋の手前の横断歩道を渡り、Nさんがやってきました。
014 到着直前
 ↓旅の到着のVサイン
015 到着Vサイン
12時40分、日本橋に到着(東下り完歩)
016 到着の証
 ↓Yumiさんと記念写真
017 Yumiさんと記念写真
到着した時に何か記念になるものをと考えていた時、ケアマネージャーから「出発と到着で使っている看板を作った方がいい」と勧められ、 旧東海道完歩 日本橋 平成26年1月13日」と記した看板を作り持参しました(写真の写りが悪くてすいません)。
Nさんと記念の写真を撮っていると、同行の山の会の方々がぞくぞくと到着し、Nさんとゆっくり写真を撮っている暇がなくなりました。
どこに集まるかというになり、道路反対側の日本橋碑側が良いのではないかと助言し、道路を渡り日本橋碑の脇に集まり、到着セレモニーの集合写真を私がカメラマンになって撮りました。
すると、山の会の方々から持参したデジカメを次々に渡され、思い出になる到着の集合写真を記念にするため、私が代行してシャッターを押しまくりました。
山の会の方々はこの後、祝賀の食事を予約してあるので三越側の方に歩き出し、私とYumiさんもNさんと別れて昼食に向かいました。
私は歩く方向は逆ですが、同じ東海道を旅しているので、同じ旅の苦労をされてきた方々をとても近くに親しみを感じて出会うことができました。
《締め括り》
Nさん、お疲れ様でした。
大阪在勤中に旅を完結することができ、よかったですね。
人生の良い思い出とし、一緒に旅をした仲間を大切にして下さい。
旧東海道東下り完歩、心からお祝い申し上げます。

※看板
東海道夫婦二人旅の出発・到着式で使う看板のゴール版
17日に私とYumiさんが京都・三条大橋に到着した時に、Nさんが日本橋に到着した時と同じようにしようと考え出発・到着式の時に使っていた看板のゴール版にしました。

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【街道旅-】 旧甲州道夫婦二人旅
H26.09.15に日本橋を出発しましたが、相方のYumiさんが山行途中の転倒による足首の骨折を契機に歩行困難となり、第3回の旅から私一人で旅を再開しました。
そして、第8回の旅からMさんと男二人旅となり、H28.05.30に下諏訪・中仙道合流点に到着しました。旅紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
  http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

【街道旅-Ⅲ】 旧中山道二人旅

H28.09.17に日本橋を甲州道中を一緒に歩いたMさんと二人で出発しました。

今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅に出発します。

旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入って東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。

旅紀行は、以下のURLでご覧いただけます。

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