【序章】
今日は、安土城址近辺を散策し、夕方、明日の旅に備えて大津駅で下車して宿泊する「東横イン琵琶湖京都」に行きます。
安土は織田信長の居城「安土城」があったところで、桶狭間の見学(H25.06.16 第25回旧東海道夫婦二人旅)に引き続いての見学で、心ウキウキと楽しみにしています。
04時30分、起床
朝食は新幹線の中で食べることにし、Yumiさんを急かせないで身支度が出来るように考え、前回と同じように早く起床しました。
目覚ましの音楽で目を覚まし、「Yumiさん、旅に出掛けるよ」と声を掛け起床しました。
寒い部屋に「おー、寒い」と云いながら、リビングの暖房を入れて身支度を整え、ウォーキングシューズを履いて家を出ました。
外はまだ夜道状態で、この冬一番の寒さではないかと思われる
冷たい風を受けながら、自転車に乗って最寄り駅に向かいました。
最寄り駅から電車に乗り、東京駅に7時35分頃に着き、新幹線の改札を通った先のトイレに行き、その後待合い室で朝食(菓子パン、コーヒー)を食べることにしました。
椅子に座って(男の人が席を譲ってくれたので、並んで座れました)食べ始めると、
 Y=食べてるの私達だけよ
 E=ホームのベンチは寒いから、ここで食べるしかないんだよ
 Y=こんなところだと、恥ずかしいわ
 E=寒い所にYumiさん一人で行く?
 Y=嫌です
 E=じゃ、ここで食べよう
と云うと納得し、その場で食べ続けました。
新幹線は4号車乗車口の一番前に並び、入線(8時22分)を待って乗りました。
 ↓新幹線乗車口
003 東京駅14番ホーム
中程の座席に座り、定例の車内撮影会を行ったり、持参したジュースを飲んだりしていると発車合図のベルが鳴り、東京駅を定刻に出発しました。
 ↓新幹線車内

005 新幹線ひかり車内
08時33分、東京駅発(ひかり505号)

乗車率は2人掛けの窓側席が満席、3人掛けは30%位で、土曜日より多い感じがしました。
車窓から外を見ると雲一つない快晴で、「今日は富士山が見れるね」と云いながら楽しみにしていると、Yumiさんが「あれ」と窓の外を指差すので見てみると、少し富士山が見えました(小田原付近)。
そのまま目をつむってウトウトしていると、Yumiが「見えるよ」と教えてくれたので、急いでカメラを向けて記録に残しました。
今日の富士山は秀麗富士の名にふさわしい、綺麗な姿を見せてくれました。
 
↓新富士付近
009 新富士付近からの富士山
新幹線は、新横浜の後、豊橋、名古屋、岐阜羽島に停車し、乗り換え駅の米原に到着しました。
10時45分、新幹線米原駅到着
Yumiさんは新幹線の動いている状態でトイレを使うのが難しいため、下車駅の米原まで我慢してもらったので、トイレに連れていきました(私は岐阜羽島の手前でトイレを済ませました)。
米原から安土には東海道線の各停で向かうのですが、昼間は30分毎のため発車まで15分あり急がないでトイレを済ませてもらいました。
11時00分、米原駅発
乗車した人は少なく、車内はガラ空き状態で発車し、途中から少しずつ乗客が増えてきました。
 ↓東海道線米原駅・車内

010 琵琶湖線(米原駅)
 ↓座席状況(米原駅発車時)=Yumiさん(一番手前の帽子)の後方で撮影
012 米原発の乗車状況
11時23分、安土駅着
 ↓下車ホームから見える改札口

013 安土駅
跨線橋を渡り、改札を通り外に出ました。
 
↓安土駅前
014 安土駅前
駅前のロータリーを見渡すと、ロータリーの左側に織田信長像、横に織田桜が植えられていました。
織田桜は、八日市市川合町から移植されたもので、信長の姫君が大和桜の絵を良く描いていたそうで、それがこの桜と云われているそうです。
時間的に昼なので、駅前にある蕎麦店「さわえ庵」に入りました。
11時30分~11時52分、昼食(さわえ庵)

023 さわえ庵
近江牛肉そばがお勧め品らしかったのですが、朝がパンだったのでご飯が食べたいと思い、お勧め看板に書かれていた牛丼セット(@800円)を注文しました。
 
↓店内
020 さわえ庵店内
 ↓牛丼セット
022 牛丼セット
店の方には聞きませんでしたが、近江牛肉そばにご飯が付いているような感じでした。
そば店を出て、安土駅ロータリー右側(そば店から駅に向かって)にある野田自転車商会(安土レンタサイクル)に行きました。
12時00分、野田自転車商会(安土レンタサイクル)

096 野田自転車商会
店舗には事前に電話で、レンタサイクル2台を予約してあり、レンタサイクル料金(@500円)を支払い、私とYumiさんのザックを預かってもらい、安土城址に向かいました。
ママチャリタイプのレンタサイクルを走らせると、思っていた以上に風が冷たく薄手のジャンパーをザックに入れたまま持ってくるのを忘れたことに気が付きましたが、戻るのが面倒で我慢してそのまま走りました。
レンタサイクル店から約550m先の安土郵便局に沿って右折し、約300m走った左側のスーパーの先を田圃道に入り、安土山方向に約700m走ると、安土城址の石碑が建っていました。
12時10分、安土城址碑

025 安土城址碑
碑の脇を通り約110m行くと、右側に安土城址ガイダンス休憩所があり、自転車を置いて中を覗くと安土城天守閣の模型が飾ってありました。
12時13分、安土城址ガイダンス休憩所

028 休憩所
 ↓天守閣(下=5階、上=6階)
029 城址前休憩所
休憩所を出て最初に右折にする道を約100m歩くと左側に受付があり(写真の白丸)、入場料(@500円)を支払います。
031 東側石塁北上段郭と虎口
受付の人から「三重塔と二王門は工事中で通行止めになっています」と云われ、上り階段の上がり口にあった木の杖を借り、階段の段差が違う歩きづらい大手道の階段を上り始めました。
12時19分、安土城址

035 城址階段
10数段上った左側の下段と一段高い場所に「伝羽柴秀吉邸跡」が、右側に「伝前田利家邸跡」の碑が建っていました。
12時22分、伝羽柴秀吉邸跡・前田利家邸跡
 ↓伝羽柴秀吉邸跡(下段)

038 伝羽柴秀吉邸跡下段
 ↓伝羽柴秀吉邸跡(上段
045 伝羽柴秀吉邸跡上段
 ↓前田利家邸跡
041 伝前田利家邸跡
大手道を上っていると左側に石仏のパネルが埋め込まれ、近くに石仏像がありました
048 大手道石仏①
石仏は、築城の時、大手道の石材として没収、使用されたもので、墓石も含まれていたようです。
また、石仏は本来信仰の対象となっていますが、築城の経緯を保存するため、発見された状態で保存されている。
段差の違う歩きづらい大手道の坂道を上っていくと、左側に織田信澄邸跡、右側に森蘭丸邸跡の碑が建っていました。
 ↓大手道

050 城址階段
 ↓左側=織田信澄邸跡、右側=森蘭丸邸跡
051 左:織田信澄邸跡・右:森蘭丸邸跡
両方の邸とも石碑が建っているのですが、雑木林状態なのでもう少し整備してほしいと思います。
12時38分、黒金門跡

052 黒金門跡
黒金門は曲尺道(かねんて)になっていて、くにゃくにゃ曲りながら歩くと、史跡の案内が記された石柱が建っていましたが、先に本丸跡と天主閣跡に行くことにしました。
12時42分、本丸御殿跡
054 本丸跡
本丸御殿は、天主閣から少し下にあり、建物には天皇を招き入れる御幸の間があり、京都御所の天皇の住まいである清涼殿と酷似した構造だったそうです。
礎石の上の柱痕から高床式建物で、伝三の丸や天主取付台と渡り廊下で繋がっていた。
広い本丸跡の奥に石段があり、上ると天主閣址になっていました。

059 天主閣跡碑
12時45分、天主閣址
060 天主閣跡
背丈ほどの高さの石垣に囲まれた東西、南北それぞれ約28mの台地。礎石が1.2mおきにに並び、五層七階(地上6階、地下1階)、高さ33mの木造高層建築で、イエズス会宣教師ルイス・フロイスはヨーロッパにもあるとは思えない壮大さだったと残されている。
 ↓天主閣址からの眺望(後方は琵琶湖)

063 天主閣からの眺め(後方は琵琶湖)
1階の部分と思われるところからも眺めが良く、地上33mの天主閣からの眺めはさぞかし素晴らしいものだったのだろうな、と思いました。
今日は、雲があり琵琶湖は良く見えませんでした。
最上部の天主閣址から本丸御殿跡に下り、さらに下がると右側に二の丸跡、奥の一段高い所に信長本廟がありました。
12時52分、二の丸跡

067 二の丸跡
二の丸跡の奥に、信長公本廟がありました。
070 信長公本廟
本廟は柵で仕切られていて中に入ることができませんが、資料によると、羽柴秀吉が天正11年2月に太刀、鳥帽子、直垂れなどの遺品を埋葬し、本廟としたと記されています。
本廟の入口右側にスタンプ台があり、その台にペットボトル(カバー付き)を忘れてしまい、帰りの黒金門跡から取りに戻るボケをしました。
二の丸の下に長谷川邸跡と呼ばれている郭があり、織田信雄公四代の供養塔が並んで建っていました。
12時57分、織田信雄公四代の供養塔

071 織田信雄公四代供養塔
さらに供養塔から黒金門跡を通り、大手道を下ると左側に信長の秘書的な役割を担っていた武井夕庵の屋敷跡がありました。
 
↓武井夕庵邸跡
074 武井夕庵邸跡
大手道の傾斜は、上から見るとかなりの急坂で、足を取られないように気を付けて下りました。
075 城址階段(上部からの眺め)
Yumiさんも慎重に、下っていました。
076 下段中のYumi①
077 ②
13時15分、安土城址大手道上り口
078 受付付近・看板の裏面
大手道の階段を上る所に信長と安土城の年表が記された看板が建っていました。
歩行注意の看板の裏面に記されているので、上る時は誰も気が付かないと思います。
折角の年表なので、上り口の看板裏側にしないで、道の横に立てたらよいのにな、と思いました。
今日は平日なので少なかったのか、行き交った人は2人だけだったので、受付の人に聞くと「今日は少なくてまだ6人です」とのことでした。
人が少なかった分、周りに気兼ねせずに見れたのでよかったです。
なお、見学者は、私達と入れ違いに夫婦連れ2人と歴史探訪みたいな団体客(10人くらい)が上っていきました。
安土城址を見た後、自転車を置いた休憩所に戻り、Yumiさんのトイレを済ませてから次の信長の館に向かいました。
安土城址入口の信号を左折、次の信号を右折し、東海道線の下を潜り、約800m離れた文芸の郷の中にある信長の館に行きました。
13時29分、文芸の郷・日時計

079 日時計
八角形のヨーロッパの各国の国旗が記された大きな時計でしたが、時間は分かりませんでした。
信長の館は日時計の後ろの文芸セミナリヨ音楽ホールの後ろにあるので、また自転車に乗って移動しました。
13時33分~13時45分、信長の館

089 信長の館
正面玄関を入ると正面に天正10年5月、信長が徳川家康や穴山梅雪を安土城でもてなした時の饗応メニューが飾られていました。
082 信長の館・家康もてなしの膳
館内には、天主5階(赤)、天主6階(金)が内部の障壁画とともに原寸大に復元されたものが展示されていました。
 ↓天主5階

087 天主閣下
 ↓天主5階部分から見た6階部分
084 黄金の天守閣
 ↓天主6階部分
085 天主閣
展示されているのはこれだけで、ひと通り館内を見学し外に出ました。
次は安土駅前(ロータリーの反対側)の、安土城郭資料館に向かいました。
地図を見ながら自転車を走らせ、駅前の資料館に着きました。
14時01分~14時21分、安土城郭資料館
091 安土城郭資料館
館内には20分の1スケールの安土城ひな型(内部構造が見れる)、7分の1スケールの安土城障壁画などが展示されており、ひと通り見学し、織田家家紋のストラップをお土産に購入しました。
093 安土城模型
予定していた三カ所の施設を見学したので、レンタサイクルを駅の地下連絡通路を通って戻しに行きました。
 
↓地下連絡通路
095 安土駅連絡通路
レンタサイクルを借りた野田自転車商会は、連絡通路を出た直ぐ横にありました。
14時25分、安土レンタサイクル(野田自転車商会)
レンタサイクルを返し、預かってもらっていたザックを受け取り、安土駅に向かいました。
30分間隔の電車は出発した後で、次に来る電車まで時間があり、駅ホームの待合い室で待つことにしました。
待合い室にいるとNさんからメールがあり、近江八幡のバームクーヘンの美味しい店(クラブハリエ)の情報を提供して頂いたのですが、スマホで場所を確認すると駅から離れていたため、立ち寄らないで大津駅に行くことにしました。
14時53分、安土駅発
15時28分、大津駅着
097 大津駅改札
大津駅からホテルには直行しないで、まず前回の到着地に行って到着看板の写真を撮ることにしました。
理由は、当初予定していた到着地(京阪電鉄・大谷駅)を、1.7㎞手前の御幸町交差点で終了したため、到着看板の到着地が違っているからです。
大津駅から前回到着地に向かって歩いていると、御幸町交差点に出る手前の右側に昔ながらの銭湯・御幸湯がありました。
 
↓大津市・御幸湯
100 大津・御幸湯
今は内(家)湯が普通ですが、私が育った昭和20年~30年代はまだ銭湯が全盛の頃で、とても懐かしく思いながら記念に残しました。
前回到着地の御幸町交差点で、前回の到着写真を撮り、宿泊するホテルの近くの鮒すしの老舗である「阪本屋」に行きました。
15時52分、阪本屋

103 阪本屋鮒寿司
阪本屋は、江戸時代膳所藩お抱えの御用料亭で、本家阪本屋は膳所木下町あたりにあり、湖面に面して楼閣を有したことから映波楼と呼ばれ、古くはシーボルトの旅日記にも登場し、琵琶湖を借景とし、料理は川魚と鮒寿司を提供していました。
現在の阪本屋は明治2年に鮒寿司の製造・販売を専門に行う分店として、東海道と北国海道の合流地点であり、現在の札の辻の地で開業したそうです。

105 鮒寿司
 ↓店内
106 店内
鮒寿司をお土産に購入し、ホテルに向かいました。
 
↓ホテル前を走る京阪電鉄(路面部分)
108 京阪電鉄
16時01分、ホテル着(東横IN)
109 ホテル前
店を出てホテル(歩いて1~2分)に行き、チェックインして部屋に入って直ぐに地図や資料を綴じたバインダーがないことに気が付きました。
《忘れ物》
フロントに確認すると「ありません」との回答。
Yumiさんに事情を話し、部屋から出ないように話し、ホテルに来る直前に立ち寄った阪本屋に走りました。
阪本屋さんに入り、
 E=バインダー、忘れていませんでしたでしょうか
 店=ありましたよ。東海道の旅をしているというので、京都方面に車で探しに行きました
 E=申し訳ございません。今日は東横インに宿泊しています
 店=戻りしたらホテルに届けてあげますよ
 E=ありがとうございます
と云って店を出たら、私達を探しに行った車が戻ってきました。
息子さんとお母さんにお礼を云って、バインダーを受取りました。
阪本屋さん、ありがとうございました。
部屋に戻り、ザックの荷物整理したり、テレビを見たりして、夕食に出掛けるまでの時間を過ごしました。
【夕食】
=居酒屋「おで湖」
17時30分頃、ホテルで教えてもらった店(おで湖)に、夕食を食べに行きました。
ホテルを出て浜大津方面に進み、最初の信号(中央一丁目)を渡りアーケードに入りました。
アーケードの中はシャッター通りで、人が歩いていません。
何とも寂しい感じがするなか、最初の十字路を左折して歩いて行くと、左側に店舗がありました。
17時33分、居酒屋「おで湖」=夕食

111 おで湖(夕食)
店舗に入り、靴を脱いで掘り炬燵形式のカウンター席に並んで座ると、先客に男性二人組がいました。
Yumiさんと生ビールで乾杯し、数種類の食材をたべながら繋がらない会話をしていました。
 
↓乾杯
113 乾杯
時間の経過とともに隣り同士となった先客の男性二人(80代の現役時代の同僚)と会話するようになり、最後に明日の東海道ゴールの激励を受け、19時30分頃、おで湖を出て、ホテルに戻りました。
 ↓お隣にお座りの人生の先輩

115 同席の方
19時24分、丸屋町商店街アーケード
116 丸屋町商店街アーケード
夕方の17時30分頃もシャッター通りで閑散としていましたが、この時間になるとほとんどの店が閉まってしまうそうです。
近くにマンションなどが建ち、人が増えて賑わいが戻ってくることを祈ります。
【ホテル】
部屋に戻り、Yumiさんにトイレの場所や水の流し方を説明し、
 ・Yumiさんに2種の目薬を点眼
 ・入浴後の着替えの支度&明日の着替え準備
 ・カメラの充電
 ・血圧計・服用薬の準備
などを約40分かかって整えました。
この作業がYumiさんと宿泊した時に最低限必要な作業で、最近は急がずに行っています。
その間、Yumiさんは立て続けに3回トイレに行き、その都度水の流し方が分からないと聞きにきたので、トイレに一緒に行って教えたのですが、3回目には分かっていても強い云い方になってしまいました。
《入浴》
夕食「居酒屋おで胡」で食べた後、ホテルの部屋に戻り、風呂から出てきた時の支度を整えシャワーを浴びました。
脱いだものを片付けて、新しく着る物を出しておかないと、何でも着てしまうため、今まで着ていたものを事前に片付ける必要があります。
シャワーは、Yumiさんが先にシャワーを浴び、その後に私が浴びました。
ところが、私が浴室から出てくると、片付けておいた着ていた下着類を身に付けているので、直ぐに脱がせて新しいものに着替えました。
片付けて置いたのですが、取り出してきて着ているので、何とも厭になってきます。
血圧測定は入浴をしたので夜の測定を割愛し、寝る前の目薬を点眼してベッドに入りました。
ベッドに入っても明日の三条大橋到着のことが頭に浮かんできて、気が高ぶってしまうのかなかなか寝付けませんでした。
一方、Yumiさんは何事もなかったように、幸せそうにスヤスヤと寝ていました。


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【街道旅のご案内】
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
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※《街道旅-3》 旧中山道二人旅
旧東海道、旧甲州道中を完歩し3つ目の街道旅としてH28.09.17にお江戸日本橋を出発し、H30.11.07に大阪・高麗橋に到着するまで39回のEiさんとMさんの旧中山道の旅ブログです。
旅は滋賀・草津で東海道に合流してから京都・山科追分まで東海道と同じ道を歩き、山科追分から京街道(大坂街道)に入り、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の69宿+4宿の旅です。
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※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
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この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
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※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮・日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旅ブログです。
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なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って五街道を制覇しました。

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【みちのく潮風トレイル】
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山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
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